レイチェル・ニュース #781
2003年10月30日
予防原則に対する批判と
サンフランシスコ市条例の予防原則

メアリー・オブライエン
Rachel's Environment & Health News
#781 - Critiques of the Precautionary Principle, October 30, 2003
by Mary O'Brien
http://www.rachel.org/?q=en/node/5725

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年12月8日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_03/rehw_781.html

(2003年12月4日発行)

 今週は、我々の仲間メアリー・オブライエンが予防原則に対して向けられる共通の批判について解説し、サンフランシスコ市の予防原則条例を検証しながら、これらの批判が正当なものであるかどうかを見てみることにする。メアリーはこの検証作業に最適である。それはサンフランシスコ市当局者たちは、この市条例を作成するに当たって、メアリーの本 『よりよい環境政策の策定 Making Better Environmental Decisions,[1] 』 を参考にしているからである。
 今では、すでに皆が知っていることであるが、予防原則は、政策決定に当たって ”後悔するより、安全を! better safe than sorry” というアプローチをとるものである。

 今年の夏、サンフランシスコ市と郡は、環境に影響を与える全ての公共政策の指針として予防原則を採用した[2] 。このことにより、化学産業界はパニックに陥った。

(訳注 : サンフランシスコ市条例の予防原則については、当研究会訳の下記資料をご覧ください。)
レイチェル・ニュース#765 サンフランシスコ市 予防原則を市の政策として採用
サンフランシスコ環境コード第1章 予防原則方針声明

 100年間にわたって化学産業界は誰からも合意を得ずに作業者と地域を有毒化学物質で汚染してきた。今、予防的手法 (precautionary approach ) は、化学物質は人々が暴露する前に安全性がテストされるべきとしている。

 11月下旬、エンバイロンメント・ワーキング・グループ Environmental Working Group (EWG) (http://www.ewg.org)  は、アメリカ化学協会 American Chemistry Council (ACC) によって書かれた秘密メモ [3] を公表した [4]。

(訳注 : カリフォルニア市に対する ACC の秘密キャンペーンについては、当研究会訳の下記資料をご覧ください。)
カリフォルニア州の予防原則/反有毒物質の動きに米化学産業界が秘密計画 (EWG レポート)
環境正義に関するカリフォルニア環境保護局の勧告ドラフト July11, 2003

 外部に漏れたこのメモは、広告会社ニコルス・デゼンホールを ”攻撃犬” として雇い、予防原則を陥れ、カリフォルニアにおける言論を支配するために、秘密裏にアメリカ化学協会のためのキャンペーンを実施することを提案する内容である。
 このメモは、予防原則は常識になりつつあるので、アメリカ化学協会にとって最重要事項であるとしている。 「余りにも長く、予防原則という常識が反対もなく普及してしまっている」 とメモは述べている。
 また、 「カリフォルニアは他州を引っ張る先導州 (首に鈴をつけた雄の先導羊) であり、もし、少しでもカリフォルニア州で成功すれば、アメリカ中の他の州に容易に広がる恐れがある」 とメモは述べている。常識が全土に広がる! これが深刻であるとは!

 笑いを誘う(しかし空恐ろしい)このメモ[3]と関連資料[4]、[5]をどうか自身で読んでいただきたい。そして、ここに、メアリー・オブライエンの産業界の予防原則に対する批判の検証を紹介する。
ピーター・モンターギュ


予防原則に対する批判
メアリー・オブライエン

 予防原則に対する批判は、次の5つに分類することができる。
  1. 予防原則は曖昧であり、従って役に立たない
  2. それは価値観であり、感情的であり、科学ではない
  3. それが実施されると、技術的及び経済的な進歩を妨げる
  4. それはリスクのない世界を求めるうぶな望みから生じたものである
  5. それはリスク評価(risk assessment)を無視しているので、採用されるかもしれない代替(alternative)が、当初に提案されたものに比べてもっと大きな危険を生じるかもしれないという危険性に導く
 これらの批判と対照的に、サンフランシスコの2003年7月の予防原則条例[2] は、いかに論理的で、実際的で、賢明な予防原則の実施が可能でるあか、そしてこの原則に対する批判がいかに根拠のないものであるかを典型的な例で示している。

批判 #1:予防原則は曖昧である
回答:サンフランシスコ条例は予防原則を明確に記述している


 予防的アプローチの記述は、全ての医師にとって最初の一歩であるヒポクラテス宣誓、 ”傷つけない Do No Harm” と同様に、曖昧なところから始まる。しかし、地域、州、国、あるいは条約が特定の状況の下で予防的アプローチを取り入れ実施する時には、それは曖昧ではなくなる。
 例えば、サンフランシスコの条例では、誰が、何を、いつ、どこに、どのように、なぜ、を明確にしている。

■なぜ:
 一般的福祉のため


 サンフランシスコ市諮問委員会は予防原則条例の中で次のように宣言している。
 「全てのサンフランシスコ市民は、 ”個人及び地域が健康で、満たされた、威厳ある生活を営むことができる” 、十分に高い品質のの空気、水、大地、そして食物を享受する平等な権利を持っている。

 これは科学ではない。これは価値である。そして、それぞれの、”健康的”、”満たされた”、”威厳のある”という言葉は、ほとんどの市民が広く合意する意味を持っている。

■誰が:
 政府、住民、市民団体、産業界


 サンフランシスコの条例は明示的に、 ”市及び郡の全ての幹部職員、理事会、委員会、及び部局” は市の業務を遂行するに当たって、予防原則を適用するよう求めている。また、産業界、地域団体、及び一般大衆は、 ”危険を防止するために事前措置をとる” 責任をともに持つと述べている。

■何を:
 市条例、政策決定


 この条例は、予防的アプローチは市条例や決議だけでなく、市の業務についての通常の管理にも適用することを求めている。

■どのように:
 公開プロセス


 サンフランシスコ市条例は、その予防的アプローチは、透明な政策決定、選択肢の環境及び経済に与える影響について知る公衆の権利、及び、考慮されるべき代替案の範囲を決定することへの公衆の参加、等を含む、積極的な公開プロセスであるとしている。

 市条例の ”どのように” は、また、いくつかの代替案の中から一つを選択するための価値基準に基づく指針を含んでいる。すなわち、その危険な行為は本当に必要なのかどうか、もしそうでないのなら、人間の健康と環境に最も潜在的危険を与えない代替案を選択することを求めている。
 ”予防原則政策の本質” は、 ”不必要な、そして自由に選択できないリスクは許容することができない” という確信である。

 従って、賢明な代替案は検討されるだけでなく選択されなくてはならない。

■どこに:
 環境に影響を与える全ての政策決定


 この条例は、予防原則が特に次のような分野に適用すると述べている。 ”輸送、建設、土地利用、計画、水、エネルギー、医療、リクリエーション、購入、歳出”。これは野心的なそして大きな挑戦である。

■いつ:
 過去、現在、そして未来


 この市条例は、 ”サンフランシスコ市サンシャイン法” 及び、 ”統合害虫対策条例” や ”資源効率ビルディング条例” などの各種環境関連法などを見ると、予防措置 (precaution) はサンフランシスコにとって決して新しいのものではないと述べている。従って、予防原則条例は過去のアプローチから外れたものではなく、その拡張である。

 この条例発効後、3年以内に ”環境委員会” はこの(予防原則)方針の効果について報告しなければならない。

批判 #2:予防原則は価値観であり、科学ではない
回答:予防原則は価値観であり、また、科学である


 予防原則は科学を放棄し単にゼロリスクの価値観を提唱するものであるというよく聞く批判は、 ”予防原則の適用には、入手可能な代替案を最良の科学を用いて注意深く評価することが必要である” とするサンフランシスコ条例の簡単な記述によって退けられてしまう。
 全ての合理的な予見可能なコストは、 ”たとえ当初の価格には反映されていなくても” 、考慮される。さらに、 ”新しい科学データが入手可能となったなら、市はすでになされた政策を見直し、正当性があれば調整を行う” としている。

批判 #3:予防原則は進歩を妨げる
回答:サンフランシスコ予防原則は技術の進歩と行動の進歩の両方を促進する


 市条例は、 ”科学と技術は環境問題を防ぐ、又は緩和する新たな解決を作り出す” と述べている。言い換えれば、科学と技術は環境的に危険な技術を生み出すことだけに必要なのではでなく、それらは環境問題を防ぐ、又は緩和するための解決を作り出す、そしてその能力があるということである。
 従って、予防原則は技術的進歩の有効な促進媒体であるということである。

 しかし、サンフランシスコ市条例はまた、進歩の概念を技術の地平線を越えて拡張する。 ”社会生活を敬意の念をもって自然の境界を侵さずに行うことは行動の変革を伴うことである” と市条例は述べている。もちろん言うは行うより易しで、我々は全て、習性の産物であり、産業界や個人の一部は、たとえ日々のビジネスや日々の日常生活が自然との境界を無視しても、あるいは、たとえ我々の子どもたちを殺すことになっても、習性として日々のビジネスを守ろうとする。従って、意識的に ”変革” という言葉を使っている。

批判 #4:予防原則はリスクのない世界を求めている
回答:サンフランシスコ予防原則はより危険の少ないもを求めており、危険ゼロを求めるものではない


 サンフランシスコ市条例は、賢いことに、潜在的に危険な行為を安全であると証明しようとすることを求めたりはしない。
 本質的には何もしないことが ”安全” なのである。我々が電気を日常的に使用することは、水力発電所によって水路を閉ざされるサケにとっては ”安全” ではない。我々が日常的にきれいな水の中に排出する排泄物も自然の水系生物多様性にとって ”安全” ではない。

 その代わり、サンフランシスコ市条例は環境への影響を低減すること、すなわち、より健康であることを目指している。代替案を選択する前に、合理的に予見できる全ての代替案のコストを検討する義務がある。各代替案に関する合理的に予見できる環境的、健康的、及び経済的コストを分析することにより、通常、何らかの潜在的有害性が見つかる。分析を行いながら、政策決定者は、 ”人間の健康と環境に対し最も潜在的危険性の小さい代替案を選択する” ように方向付けられる。
 だから、サンフランシスコ市条例は、全ての有害性、全ての影響、及び、有害性に関する全てのリスクが、選択された代替案から取り除かれるであろうなどということは期待しないと述べている。

批判 #5:予防原則はリスク評価を放棄しており、代替案はもっと大きな有害性をもたらす
回答:サンフランシスコ予防原則は代替案のリスクと便益を評価する


 サンフランシスコ市は、予防原則が ”広い範囲の代替案について徹底的な探求と注意深い分析を要求する” と考えている。それは短期的、又は即座の影響だけに着目することに対し警告している。 ”短期的及び長期的便益と時間的制限が考慮されなければならない”。
 市条例が代替案の検討において避けることは、広くはびこっている ”リスク評価(risk assessment)” のやり方、すなわち、前提として危険な行為を容認し、それから、どのくらいの行為なら又は技術なら安全か、又はどのくらい小さなリスクなら少なくとも許容できるかを分析するということ−である。
 ある行為又技術が許容できるかどうかは、通常、代替案の検討をするかしないかに依存して大きく変わる。例えば、ポリ塩化ビニール(PVC)は、耐久性、用途の広さ、保守不用の利点から長らくすばらしい建材であると考えられてきた。しかし、その有毒な製造プロセス、廃棄の難しさ、消防上の危険性、そして代替物質の入手が可能であること [6] から、建材としての許容性は急激に失われてきた。

予防原則の重要な要素

 サンフランシスコによる予防原則へのアプローチだけが合理的で最善なアプローチというわけではない。しかし、有意な予防的アプローチ(それがどのような名前で呼ばれようとも関係なく)にはどれにも次の 4つの重要な要素が伴っており、これら 4つの要素は全てサンフランシスコ市条例に内包される。
  1. 有害性は不確かであるが、ありそうに見える時(plausible)、便益はともかく、健康をまず第一に確保する
  2. 公衆に対し十分な情報と参加の機会を提供する
  3. 全ての合理的な代替案を用意する
  4. 代替案を分析するために技術的及び科学的情報を透明性をもって使用する

 政府当局者は、自分たちが必ずしも、特定のプロセスや特定の公衆健康の目標、又はその他決定しなければならない政策に関連する全ての範囲の代替案について、よく訓練されている、あるいは、よく精通しているわけではないということを認識することが重要である。

 公衆、業者、及び産業界の参加により、分析の選択肢の範囲を格段に広げることができる。過去 22年間のほとんどを、多くの企画において代替案を検討し開発してきた非政府組織(NGOs)の一人の科学者として、(再度、サンフランシスコ市条例を引用すれば) ”環境に影響を与える政策決定に市民を対等なパートナー” として含めることの賢明さを私がどれほど強調しても十分には説明しつくせない。

 我々が代替案の中から一つを選択する時に、我々はフライパンから火の中に飛び込むようなことは望まない。我々は選択肢の決定にあたって情報を必要とする。十分な情報がないということすら情報である。我々は、我々が環境にしていることについてほとんど知らないし、従って、お互いに対してしていることも知らない。そして、もし我々がお互いについてや仲間が作り出したものに注意を払えば、我々が自身の無知(ignorance)を認識することにより、情報がない中で決定しなければならない時には、環境健康の側に立つことに本質的な価値を見出すことであろう。

 サンフランシスコは全く新しい(brand new)予防原則条例を実施し始めたのであろうか? その通りである。、しかし、その大部分は有毒物質に関してである。サンフランシスコ市環境局有毒物質削減計画部長デビー・ラファエルは、環境的に健全な調達条例(environmentally sound purchasing ordinance)の草稿を導くために公開会議の企画に尽力した。

 「市の意図するところは有害性を最小にすることである。しかし、予防原則条例ができたので、我々はそのプロセスを通じて主要な公衆の関与を追加している。我々は、単に市の職員がそれで十分予防的であると考えるかどうかだけでなく、いかに政策をうまく作り実施するかについて注意を払っている」 とラファエルは述べた。

 「もし、公衆が”輸送、建設、土地利用、水、エネルギー、医療、リクリエーション、購入、歳出に関する代替案の決定について十分に関与することができれば、いかに多くのことが変わるか誰が知るであろうか?」 とラファエルは問う。

 多分、大きく変わるであろう。



 元エンバイロンメンタル・リサーチ基金 (Environmental Research Foundation) のスタッフ科学者であるメアリー・オブライエン博士(Mary O'Brien Ph.D)は 『よりよい環境政策の策定:リスク評価への代替 Making Better Environmental Decisions: An Alternative to Risk Assessment (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2000)』 の著者である。
 彼女は現在、ユタ州国立森林計画の代替案作成に参画している。

[1] Mary O'Brien, Making Better Environmental Decisions: An Alternative to Risk Assessment (Cambridge, Mass: MIT Press, 2000).

[2] http://rachel.org/library/getfile.cfm?ID=195

[3] American Chemistry Council, "Nichols-Dezenhall Precautionary Principle Campaign Proposal" (undated, but leaked Nov. 21, 2003). See http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=330

[4] Glen Martin, "Chemical industry told to get tough," San Francisco Chronicle Nov. 21, 2003. http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=329

[5] Douglas Fischer, "Chemical industry may fight tests," Oakland Tribune Nov. 21, 2003. http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=328

[6] http://www.sfgov.org/sfenvironment/aboutus/ greenbldg/pvc_alternatives.pdf



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