白書
予防原則とサンフランシスコ市及び郡
2003年3月
W.予防措置と経済性

情報源:The Precautionary Principle and the City and County of San Francisco March 2003
IV. Precaution and economics
http://www.sfenvironment.com/aboutus/policy/white_paper.pdf
訳:安間 武 /(化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年7月4日


W.予防措置と経済性

 「予防原則を実施するとどのくらい金がかかるのか? 財政的に耐えられるのか?」 という問いは納税者や政治家にとって当然のことである。予防科学と同様に、予防経済も現実の世界で活動しており、関連、コスト、利益などが複雑で、不確実性に囲まれている。
 予防の”コスト”を数え上げるということは真の”価値”判断が必要であるが、それは貨幣価値での表現しか出来ない ( Ackerman and Massey 2002)。

A.責任の所在

 ほとんどの製品や技術の値札は、金銭的にも非金銭的にも、その真の価値を表すことはできない。真のコストをより精度よく計算し、コストと利益をより公正に分配する手法がいくつか開発されている。三つのコンセプトが特に有用であろう。

1) 負の外的性質

 負の外的性質 (Negative externalities) とは、個人または組織が自身の利益のために行動する時に、経済、健康、社会、文化等へ及ぼす危険性のことである。負の外的性質が存在する時には製品の全コストは製造者にも消費者にも見えない。例えば、もし製造者が有毒廃棄物を川に流したなら、その川を飲料水や水泳、あるいは漁業に利用している人々にコストが賦課される。しかし、そのコストは製造者が売る製品の値段には反映されない。
 製造者と消費者が、その製品をいくらで売るか、または買うかについて正しい決定を下すのであるならば、川に有毒廃棄物を流したことにより発生するコスト、例えば、病気、種の殺戮、あるいは生息環境の破壊、川での生計、あるいは川の利用、などが製品のコストに計上されなくてはならない。

 負の外的性質を計上する、あるいは内在化するということは、利益を上げる人々にそのコストを賦課するということである。この負の外的性質という概念は、EUの輸送に関する政策等、環境政策において重要である。EU告示 ( EU Bulletin 1.2.127 (1997))で、EUは、持続可能な輸送システムの方向へ展開するため、輸送の外部コストを内在化するという方法をに明示的に採用した。
 EUの多くの国々が内在化コストとして環境税を徴収している。例えば、オランダ水道局は、汚染事業者に、水銀、カドミウム、銅、鉛、ヒ素など排出汚染に応じた税を支払うことを要求している。これにより環境を汚染する製品や技術の値段が上昇するので、市場では汚染物質の排出を抑制しようとするインセンティブが働く。

2) ライフサイクル・アナリシス

 現座のほとんどの製造技術は、地球の天然資源の有限性と両立しない。資源は持続不可能的に採取・消費され、非効率的に処理され、製品となり、やがて廃棄される。製造プロセス中の水銀、アスベスト、鉛、塩素系物質のような有毒物質は、危険な排出物質や副産物となり、また最終製品の成分となる。

 ライフサイクル・アナリシス((LCA)は、製品の生涯の各ステージで、どのくらいのエネルギーと原材料が使用され、どのくらいの廃棄物が生成されるかを定量化する分析手法である。この LCA は、環境毒性及び化学学会やアメリカ環境保護局(EPA)などの機関が発行する指針に基づく新たな学問分野である。

 LCA は、他の数値解析ツールと同様に、もしその意図がコストを明らかにすることではなく、むしろ隠すことにあるのなら、そのような操作ができる。理想的には LCA が健康と環境への影響も見て、それらを分析してくれるとよいのであるが、健康や環境への影響を数値化することが難しいので、そのようなことはほとんどできない。
 LCA は、 ”拡大製造者責任 (extended producer responsibility)” のような本格的予防措置政策を実施する場合に最も有効である。”拡大製造者責任”とは、製造者は、製品設計の段階で排除できなかった環境への影響に対する法的、物理的、あるいは経済的責任を負うというものである。拡大製造者責任により製造者は、汚染を防ぎ、製品生涯の各段階で資源とエネルギーの使用を削減し、廃棄についても考慮するというインセンティブを持つようになる。

 他の関連概念としてライフサイクル会計の概念がある。これは初期購入費用や据付費用は比較的高価でも、保守費用、修理費用、あるいは交換費用が安価なら、長期的には出費を節約できるというものである。

3) 保証金預託

 この概念は回収ビンの預託で考えるとわかりやすい。これにより消費者はビンを最も望ましい方法(リサイクル)で処理し、もし消費者がそのようにしなかった場合でもコストは回収できる。
 保証金預託は建設や鉱山プロジェクトで適用される同様な概念である。例えば、公共の土地で採鉱する場合、採鉱者は保証金(ボンド)を事前に払い、その保証金はその土地が現状に復帰された場合にのみ、採鉱者に返還される。
 環境における保証金預託はもっと広範囲に適用され、例えば、新しい技術の開発者、あるいは社会の資源を使用しようとしている者は、危険をもたらすかもしれないどのような行為に対しても金銭的な責任を負うというものである (Cornwall and Costanza 2000)。

B.コストと節約の程度

 負の外的性質を認め、ライフサイクル・アナリシスと保証金預託を用いれば、予防措置政策の重要な面である責任の所在を適切に配置することが出来る。しかし、これらのツールに厳密さを望むことはできない。なぜなら、”コスト”は生命、健康、子孫の将来、生物種の数など数値で計算できない価値と関連するからである。しかし、予防措置を怠った時に金銭的及び 非金銭的観点から、どの程度のコストとなるのか概略をつかむ上では有用である。以下にこのツールで計算した事例をいくつか示す。
  • インファンタとディスタチオは1988年に、もしリスク評価ベースのベンゼン規制が10年遅れれば、アメリカの労働者のベンゼン暴露による死亡者は白血病で198人、骨髄腫で77人増えると推定した(EEA 2001)。
  • オランダは、オランダが1993年ではなく、もし最初に中皮種との関連が示唆された1965年にアスベストを禁止していれば、34,000人の被害者と建設費及び補償費の410億ギルダー(約200億ドル)がなくて済んだと推定した(EEA 2001)。
  • EUの新たな化学物質政策では、がんやアレルギーのような化学物質に関連する病気の発生率を減らし、また化学物質が環境に与える影響を減らすために、今後11年間で全ての既存の化学物質の完全なテストを製造者のコスト負担(推定21億ユーロ)で実施することを求めている。
    政策の著者たちは化学物質の危険な特性や使用情況は十分にはわかっていないことを認めているが、ヨーロッパではアレルギー対応にかかる年間コストは約290億ユーロであり、喘息の発症数は1970年代から40%増加していると指摘している。
    新しい政策が、例えアレルギーにかかるコスト290億ユーロをの一部を削減するだけでも、この政策によって発生するコストより大きいと結論付けている。
  • マサチューセッツ有毒物質使用削減条例(TURA)は製造企業に対し、化学物質使用量を計上し、有毒廃棄物、有毒物質の排出、有毒物質の使用を削減する計画を立案するよう求めている。1990年から1999年までに企業は化学物質廃棄物を57%削減、有毒化学物質の使用を40%削減、化学物質の排出を80%削減し、1500万ドルを節約した。この金額には定量化できない健康、安全、環境の利益などは含まれていない(Ackerman and Massey 2002, http://wwwturi.org)。
C.ビジネスにおける予防原則

 民間による研究、製品開発、ビジネス遂行において、暗示的にあるいは明示的に、予防原則と整合するようになってきている。
  • 市場に出す前の厳密なテスト、クリーン製造と廃棄物削減計画、ISO等の認証プログラムなどが予防的手法を支えている。
  • ナチュラル・ステップ(持続可能な企業用)、ハノーバー原則(建物と建築用)、グリーン・ケミストリー原則などは企業に対し、予防措置の倫理と科学について指針を与えている。全く新たな産業が持続可能原則の周囲で起き始めている。
 いくつかの企業では特定の政策の中で予防原則を明示的に引用している。
  • 2001年、予防原則を引用しながらベリゾン社(Verizon)は子どもたちによる過度な携帯電話の使用に警告を発した。
  • ブリストル−マイヤーズ スクイブ社(Bristol-Myers Squibb)は同社の研究に対する指針として下記声明を採用した。
    ”科学的不確実性だけで、環境、健康及び安全に関する深刻な脅威に取り組む努力を排除すべきではない。”
    この原則に基づき、同社はこれらの脅威への取り組み方を評価するスコアーカードを開発した。それは薬品が環境中に濃縮するのを最少にすることを求めるものである (BMS)。
 さらに、企業は早期警告に基づき危険を避けるために、科学的にはまだ不確実であっても自主的に製品やプロセスを変更している。例えば、最近多くの企業が、おもちゃ、化粧品、医療器具などに使われていた”フタレート”と呼ばれる一群の化学物質の使用を中止し、これらの用途のために代替品を開発している。これらの化学物質が人間の体に吸収されるという事実、及び動物実験では発達障害、生殖障害、その他の障害に関係しているという事実に懸念が集まっている。

 人々が危険性やより安全な代替案について知るようになったので、これらの実践は倫理的に好ましいだけでなく、ビジネスとしても賢いやり方である。21世紀の市場では、ますます安全な製品と持続可能な技術が求められる。

D.予防措置と仕事

 予防措置とともに繁栄することについて、アッカーマンとマッセイは、環境政策が強くなると経済が弱まり失業が増えるという神話を否定した。彼らの見解は下記のようなものである。
  • リサイクリングのような多くの環境保護の実施策は、埋立のような環境的に危険な実施策より多くの仕事を創出する。環境関連の仕事は地域の経済にしっかり根をおろしている。
  • 環境保護に金を使えば民間企業ではより多くの熟練を要する環境関連の仕事が増える。
  • 環境規制により大規模な就労者の一時的解雇が増えるわけではない。労働統計局によれば、年間1,000人の一時解雇の内、環境規制に起因するのはわずか1人である。一方、環境保護によりより多くの仕事が創出され、年間の仕事の正味量は増える。
  • 環境規制が、企業の環境規制の緩い国への移転に弾みをつけることはない。環境規制により発生するコストは小さく、実際には企業の歳入のせいぜい2〜3%である。賃金や市場など、他の要素が移転の主要な理由である。
 予防的政策は現在及び将来の経済を支えるものである。急速な環境関連ビジネスの発展や、即座のそして長期的な人間と環境の利益のための適切な投資などである。
 予防原則は、経済発展の必要性について疑いを持つものではない。それは人間の生存にとって必要であるだけでなく、我々のより大きな責任を我々に気付かせるものである。それは我々により多くの問いを導き出す。我々は何をしているのか? それはなぜか? その結果はどのようになるのか?
 それは責任を果たすために、最良のツールとしての人間の知識 (特に科学的知識) と行動 (技術を含む) を与えるものである。

(訳:安間 武 /化学物質問題市民研究会)BR>
他章の日本語訳については下記をご覧ください。
 T.なぜ今、予防措置か
 U.予防原則の歴史
 V.有機的な原則としての予防措置

サンフランシスコ市の予防原則採用については、レイチェル・ニュース#765をご覧下さい。

References cited
参照

Frank Ackerman and Rachel Massey, Prospering with Precaution: Employment,Economics, and the Precautionary Principle, Tufts University Global Development and Environment Institute, 2002.

Bristol-Myers Squibb Company (BMS), "Implementing the precautionary principle," in "Governance Structure and Management Systems: Overarching Policies," 2002
Sustainability Report (www.bms.com/sustainability/manage/data/polici.html

Centers for Disease Control (CDC), Second National Report on Human Exposure to Environmental Chemicals http://www.cdc.gov/exposurereport (2003)

Laura Cornwell and Robert Costanza, "Environmental Bonds: Implementing the Precautionary Principle in Environmental Policy," in Raffensperger and Tickner 1999 (see below).

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(http://reports.eea.eu.int/environmental_issue_report_2001_22/en)

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Treaties and agreements cited
引用された条約・協定

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Second World Climate Conference 1YB International Environmental Law 473, 475 (1990).

Stockholm Convention on Persistent Organic Pollutants, www.pops.int (2000).


The Department of the Environment would like to give special thanks to Nancy Myers of the Science and Environmental Health Network for her excellent input on this document. We were also grateful for the thoughtful and articulate comments from: Francesca Vietor and Davis Baltz, Commonweal; Tim Shestek, American Chemistry Council; Lena Brook, Clean Water Action/Clean Water Fund; Neil Gendel, Healthy Children Organizing Project; Tom Lent, Healthy Building Network; Janet Nudelman, The Breast Cancer Fund; Rachel Massey, Global Development and Environment Institute, Tufts University; Joan Reinhardt Reiss, The Breast Cancer Fund; Rona Sandler, City Attorney’s Office, San Francisco; Katie Silberman, Center for Environmental Health; Joel A. Tickner, Lowell Center for Sustainable Production, University of Massachusetts.



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