白書
予防原則とサンフランシスコ市及び郡
2003年3月
T.なぜ今、予防措置か

情報源:The Precautionary Principle and the City and County of San Francisco March 2003
I. Why precaution now?
http://www.sfenvironment.com/aboutus/policy/white_paper.pdf
訳:安間 武 /(化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年6月29日


T.なぜ今、予防措置か

A.地球が変化している

 近年、科学者達は人間が地球に与えている影響について評価している(例えば Vitousek et al. 1997)。彼らは、人口の増加と資源の枯渇がかつてない仕方で地球を変化させていると結論づけている。
 下記のようなことがわかった。
  • 60億人以上の人々が地球上に住んでおり、控えめな推定でも21世紀の中頃には90〜100億人になると予想される。もし、全ての人々がアメリカ人と同じように多量の資源を使うこととなれば、今日の人口を支えるためにはあと2.5個の地球が必要である。
  • 約85,000種の産業化学物質が世界の生態系に入り込んでいる。その多くは人間及び生物の生息域を汚染しており、母乳や卵黄、卵巣、羊水中で検出されている。その多くの毒性は知られておらず、ほとんど理解されていない。
  • 非常に多くの植物や動物が絶滅に追いやられており、多くの海洋漁獲高は激減している。世界のさんご礁の半分以上は人間の活動により危機に瀕している。
B.人間の暴露

 人間の体内の環境有毒物質を測定するバイオモニタリングで、人間は毎日、体内に有毒化学物質を取り込んでいることがわかった(CDC 2003)。例えば、マウント・シナイ医学校の最近の分析で、9人のボランティアの体内から167種の汚染化学物質が検出された(1人当たり平均91種)。それらには下記のものが含まれている。
  • 53化学物質:人間及び実験動物でがんに関連
  • 62化学物質:脳と神経系に有毒
  • 55化学物質:先天性欠損症あるいは発達異常に関連
  • 53化学物質:免疫系に有毒
  • 55化学物質:健康への影響が不明
 疾病管理センター(CDC)のテストによれば、子どもたちは不釣合いに多くの化学物質に暴露している。最近の科学研究で、ある物質に早い時期に暴露すると免疫システムがダメージ受けるか(Weisglas-Kuperus et al. 2000)、あるいは成人してから喘息、高血圧、あるいはがんになる危険性が増大する(Sorensen et al., 1999, Peden et al. 2000; Czene et al. 2002, Hemminki and Li, 2002)。

C.病気のパターンが変化している

 健康問題の専門家達は、最近、人間の病気や障害のパターンの傾向に変化がみられると指摘している。(例えば McCally 2000, Schettler 2002)
  • アメリカでは1億人以上の男性、女性、子どもが慢性的な疾患や不調に悩まされている。この数は人口の1/3以上である。がん、喘息、アルツハイマー病、自閉症、先天的欠損症、発達障害、糖尿病、子宮内膜症、不妊症、多発性硬化症、パーキンソン病などがいたるところで増加しており、これらは環境中の有毒物質と関連があるという証拠も出てきている。
  • アメリカでは1200万人(17%)近くの子どもたちが一つあるいはそれ以上の発達障害を持っている。学習障害児が公立学校では5〜10%に達し、その数は増加傾向にある。注意欠陥多動症は少なく見積っても全ての学童の3〜6%にみられ、実際にはもっと多いと思われる。自閉症児も増大している(Schettler et al., 2000)。
  • 喘息は過去20年間で2倍の増加となっている。サンフランシスコ公衆衛生局の最近の調査によれば、サンフランシスコの15歳以下の子どもの喘息入院率は、カリフォルニア州の都市部の中で最も高い。市内のベイビュー・ハンターズ・ポイント地区では、6人に1人の子どもが喘息にかかっている。
  • 黒色腫、女性の肺がん、非ホジキン・リンパ腫、前立腺がん、睾丸がん、甲状腺がん、肝臓がん、乳がん、脳腫瘍、食道がん、膀胱がん、等の年齢補正した発生率は、過去25年間増大し続けている(SEER 1996))。例えば、乳がんは現在、世界中で、女性のがんの中で最も多くなっている。過去半世紀の間にその発生率は50%増大している。1940年代は、乳がんの生涯罹患率は1/22であったが、現在、アメリカの生涯罹患率は1/8、マリン郡では1/7である(Evans 2002)。マリン郡のがん発生率は全米平均より40%高い。
  • アメリカでは、男性器異常、先天性心臓疾患、尿道閉鎖障害、等の先天的欠損症が増大している(Pew 2003, Paulozi 1999)。アメリカのある地域、及び世界中で、精子数が減少している((Swan et al., 1997)。

D.科学的証拠と科学的不確実性

 環境と人間の健康に関するこれらの変化については多くの文献が報告している。しかし、これらの現象の多くに関して直接的な原因を挙げることは容易なことではない。

 太陽光線、喫煙、及び食物では、これらの病気に関する傾向についてほとん説明できない。遺伝的要素はこれらの変化について少しは説明できるが、大部分については説明できない。このことは他の環境要因が働いているということである。
 新たな科学分野がこのことを示唆している。実験動物、野生生物及び人間における悪性腫瘍、先天性欠損症、生殖障害、行動障害、及び免疫障害と、環境汚染との関連性について、多くの証拠が報告されている。科学者たちは、生物学的発達と機能がどのようにしてこれらの結果に至るか理解するようになってきている(Schettler 2002)。

 しかし、内分泌かく乱、気候変動、がん、生物種の滅亡などの深刻で明白な現象に関し、それらを引き起こす決定的な単一要因を挙げることは不可能である。原因と結果が複雑に絡み合っている場合、すなわち、潜伏期間が長い、暴露のタイミングが非常に重要である、暴露していないコントロール群が存在しない、外乱要因を区別できない、等の場合には、確実性について科学的規準を設けることは難しい。

E.不適切な政策

 今日のほとんどの環境規制は、廃棄物として、あるいは測定可能な汚染物質として排出される有毒物質を管理することを目的としており、それらの使用を制限したり排除することを目的としていない。
 これらの政策も排出管理がうまくいかず、有害、特に子どもたちにとって非常に有害、となりうる。建物に使用される有毒化学物質、洗剤、農薬などであり、それらは家庭や車庫、事務所、学校などで使用された後、焼却炉で処理されるか埋立処理される。

 しかし、有毒物質と環境保護の政策における最大の弱点は、保護措置(protective action)をとるためには有害性の確たる科学的証拠が必要とされるところにある。

 今日、製品や技術、開発プロジェクトによる有害な影響の度合いを決定するための手法として、定量的リスク評価法が広く採用されている。リスク評価法では、まず、標準モデルに基づき、どの程度の危険性がありうるかを数値で示す。次に政策決定者はどの程度の危険性なら許容できるかを決定する。しかし、1980年代中頃にアメリカで標準的な手法となり、1990年代に世界的な貿易協定のなかで制度化されていったリスク評価法は、政策決定者に対し、リスクを本質的に削減するような代替案がないかどうかの検討を促がす仕組みにはなっていない。
 例えば、毒性についてあまりよくわかっていない化学物質を溶出するプラスチック製のおもちゃで遊ぶと何人くらいの子どもたちが発達障害やがんの被害を受けるかを確定しようと試みるであろう。このようなリスク評価に基づき、政策決定者は何人くらいの子どもたちなら被害を受けても許容できるか(1万人に1人?、10万人に1人?)を決定するであろう。このような政策決定のプロセスでは、おもちゃの材質を子どもに対する安全性が確認された材質のみに限定するというような代替案を考える機会はでてこない。

 もし不確実性が比較的小さく、利害関係が限られているなら、リスク評価法は有用な情報を提供し、社会が代替案を選択する助けになるであろう。しかし明確にすることが難しく、あるいは不可能で、利害関係が大きい場合、例えば子どもたちの健康や学習能力に関わること、不特定でその数もわからない個人の生死に関わること、生物種や生態系の生存に関わることなどに関しては、リスク評価法は政策決定のための手法としては不適切である。
 リスク評価法は不確実性を明確にしようと試みるが、そのような企てには仮定と単純化が必要となる。リスク評価法では通常、限られた数の潜在的危険性のみを取り扱い、定量化することが難しい社会的、文化的、あるいはより広い環境要因についてはしばしば見逃す。また規制により生ずる直接的なコストは定量化して限定したコスト−利益評価をするが、通常、長期にわたる社会に対するコストと利益についての評価を行なうことはできない。

 リスク評価法は、取るべき措置に対し有用な指針を出すことがしばしばできないだけでなく、実施する規制当局に膨大な金と人的資源を使わせることとなる。有害性の許容限界を決め、潜在的危険性を定量化し、危険防止措置にかかるコストを定量化するリスク評価法は、重要な科学的ツールに基づくが、それらのツールに大きな負荷を与え、本質的に不正確なプロセスから確実な答えを引き出さなければならない。リスク評価を実施するための時間と人的資源を確保することは、人間と環境を保護するために広範囲な職務を全うしなくてはならない規制当局にとって、非常に難しいことである。より安全な代替案を特定しそれに置き換えることの方が、当局の、特に地方レベルにおける資源を有効に活用できる。

F.警告が出てからずっと後に教訓を得る

 法規制を行なうまでに時間がかかり、”科学的確実性”を主張し、直接的に発生するコストを重視するので、有害な影響が疑われる場合でも、製品や技術に対する疑義にとって有利に働く。その結果、国際的環境協定も国内の法規制も環境が受けるダメージのスピードとその蓄積に追いつくことができない。

 ヨーロッパ環境局の2001年の報告書は、有害であることについての早期の警告を無視したことにより発生した莫大な社会的コストを数え上げている。放射性物質、オゾン層破壊、アスベスト、狂牛病、その他の問題にはおなじみのパターンがある。 「危険は存在しないという”確実性”を信じたために、未然防止措置(preventive actions)が遅れることとなった」 と報告書の著者たちは述べている。

 彼らはさらに 「未然防止措置(preventive actions)にかかるコストは通常、明白で、適切に割り当てられ、しばしば短期間ですむ。しかし、この措置を怠るとそのために発生するコストは明白でなくなり、適切に配分されず、通常、長期的になり、問題が大きくなる結果となる。措置に対する是非、あるいは何もしないことに対する是非を推し量るためには、経済的な考慮だけでなく、倫理的考慮が必要となり、非常に難しくなる」 と付け加えている(EEA 2001)。

G.予防原則と倫理的規範

 予防原則は、有害性に関するあいまいな世界、本質的に科学の一部である不確実性、そして公共の政策に対する倫理的な指針である。予防原則は、人間の健康と環境に対する責任ある保護という点で科学と関連している。予防原則に関するどのような記述にも次の決まり文句がある。保護措置(protective action)をとるために、科学的確実性を待つ必要はない。

 これは、政策決定において含蓄ある言葉である。予防原則は、我々が何を知っていて何を知らないかについての科学的な問いを投げかけているが、また、同時に、科学だけでは答えることのできない倫理的で政治的な問いに我々を導くものである。

  • 行動の結果は何か?
  • より良い選択肢はないのか?
  • 誰が傷つくのか?
  • 誰に責任があるのか?
  • 行動するための情報は十分か?
 予防原則を支える倫理的な仮定は、”人間は、我々自身を含む全ての生物が依存している地球の生態系を保護し、維持し、回復させることに責任がある” ということである。

(訳:安間 武 /化学物質問題市民研究会)

他章の日本語訳については下記をご覧ください。
 U.予防原則の歴史
 V.有機的な原則としての予防措置
 W.予防措置と経済性

サンフランシスコ市の予防原則採用については、レイチェル・ニュース#765をご覧下さい。


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