白書
予防原則とサンフランシスコ市及び郡
2003年3月
U.予防原則の歴史

情報源:The Precautionary Principle and the City and County of San Francisco March 2003
II. History of the Precautionary Principle
http://www.sfenvironment.com/aboutus/policy/white_paper.pdf
訳:安間 武 /(化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年7月2日


U.予防原則の歴史

A.国際法における新たな原則

 1980年代、必ずしも科学的確実性はないが前例のない環境変化の証拠が積み上げられていく情況において、予防措置 (precaution) の概念が国際的な環境協定の中に現れ始めた (参照:Raffensperger and Tickner 1999, AppendixB )。例えば:

  • 1984年初頭、北海の汚染を減少するための一連の議定書における”予防的手法 (precautionary approach)”
  • 1987年、オゾン層破壊物質の排出を規制するためのオゾン層議定書における”予防的措置 (precautionary measures)”
  • 1990年、持続可能な開発に関するベルゲン宣言及び第2次世界気候会議における声明 : 深刻な、あるいは取り返しのつかないダメージを与える恐れがある場合には、科学的な確実性が十分ないということを、環境破壊を防ぐ措置を遅らせる理由にしてはならない。
 1992年リオ地球サミットにおいて、予防措置 (precaution) は、環境と開発に関するリオ宣言の中で原則 15 (Principle 15) として公式に記された。
 環境を保護するために、各国は可能な範囲で予防的手法 (precautionary approach) を広く適用しなくてはならない。深刻な、あるいは取り返しのつかないダメージを与える恐れがある場合には、科学的な確実性が十分でないということを、環境破壊を防ぐための費用効果のある措置を遅らせる理由にしてはならない。

 リオ宣言の後、予防原則 (Precautionary Principle) は国際法における新たな原則として、認められるようになった。例えば:
  • 1994年マーストリヒト条約で、EUの環境と健康に関する政策に対する指針としての予防原則が、汚染者が支払わなければならないとする汚染源を防ぐための原則とともに、確立された。
  • 予防原則は、フランスの核実験に関する1995年の国際法廷での議論におけるベースとなった (Order 22 IX 95)。裁判官は ”リオ宣言における合意” 及び、予防原則が ”環境に関する国際法の一部として支持を広げている” という事実を引用した。
  • 1990年代後半、世界貿易機構(WTO)においてEUは、ホルモン飼料牛肉と遺伝子操作生物の輸入問題に関して予防原則を引用した。
B.強制力のある措置

 1980年代及び1990年代の国際的環境条約において、予防原則は一般的指示あるいは指針としての原則であった。しかし2000年に交渉が行なわれた二つの条約で、予防原則は初めて強制力のある措置として適用された。
  • 生物学的安全性に関するカルタヘナ議定書では、各国が遺伝子操作生物の輸入許可の決定において、予防原則を権威あるものとして引用することを認めた。
  • 残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POP's)において、同条約が禁止している12の化学物質に新たな化学物質を追加する場合には、予防原則を規準とするよう規定した。
C.国の政策としての予防原則

 ”予防原則”という言葉はドイツ語の Vorsorgeprinzip の訳で、1970年代、ドイツ国民の間に高まった環境汚染に対する懸念、すなわち、火力発電所の排煙が酸性雨及び急速な森林破壊(Black Forest)と関係があるのではないかという疑いが生じた時に、ドイツの環境法と政策の中で発展した基本的な原則であった。
 ドイツ国民は、健全な経済と持続可能な環境が共存できるドイツの将来のための新技術の急速な開発を望んだが、同時に、ドイツの環境を保護するための未然防止措置(preventive measures)を歓迎した(von Moltke 1988)。Vorsorge は文字通り、事前の保護(forecaring)を意味する。この言葉には”先見”と”準備”の意味があり、単なる”警告”ではない。それは、環境技術におけるリーダーとしてのドイツ発展の基礎となった。

 危険物質の代替などを含む同様な原則が以前からスウェーデンとデンマークの国家政策に適用されている。リオ・サミット後、オーストラリア、ニュージランド、イギリス、オランダなど多くの国々が予防原則を法律と政策決定のベースにし始め、時には法廷においてもこの原則を引用し始めた。

D.アメリカにおける予防原則

 アメリカも予防原則を含む国際条約に署名している。例えば、オゾン条約やその他の環境議定書、1992年リオ宣言 (先代ブッシュ大統領が署名)、ストックホルムPOP's条約 (2001年に現ブッシュ大統領が署名)。さらに、
  • 1978年以来、国境をまたがる問題に関し、アメリカ政府とカナダ政府に政策を提言し監視する機関である国際共同委員会は、5大湖への残留性及び生体蓄積性物質の排出を完全に排除するよう要求した。1994年の第7回報告書(2年毎)で同委員会は 「商業ベースでの化学物質の導入と継続的使用に対する予防措置(precaution)が、実質的な排除戦略の支えとなる」 と述べている (IJC 1994)。
  • 1996年、持続可能な開発に関する大統領の諮問委員会は 「科学的に不確実であっても、人間の健康と環境に対する潜在的な危険が深刻で取り返しがつかないと考えられる場合には、社会は合理的な行動をとるべきである」 と述べている (PCSD 1996)。
 名指しで挙げられているわけではないが、予防措置(precaution)はアメリカのいくつかの環境及び食品医薬品の法律のベースとなっている。これらの法律は、将来に対する慎重さ(foresight)、未然防止(prevention)、保護(care)などを取り入れており、その多くは規制者に、可能性はあるが証明はされていない危険性を未然に防ぐための措置をとる権限を与えている。例えば、
  • アメリカ有毒物質規制条例で、環境保護局(EPA)は、新たな物質に過度な危険性がある、あるいはその物質への暴露が重大な結果をもたらすと判断した場合には、その新物質を市場に出すことを中止させ、安全性テストやその他の措置を要求することができる。
  • 食品医薬品局(FDA)は、予防的措置(precautionary measure)として、市場に出す前に全ての新薬をテストするよう求めている。
  • 1996年の食品品質保護条例により、有機リン系農薬のいくつかの用途は廃止されることとなっている。この条例は農薬は子どもに対して安全であることを証明するか、さもなければ排除することを求めている。
  • 国家環境政策条例は次の二つの点で予防原則的である。
    1) 連邦政府の資金が投入されている全てのプロジェクトについて環境影響評価を行うことを求め、将来に対する慎重さと結果に対する注意とを強調している。
    2) 何もしないという代替案を含めて、代替案を検討するよう求めている。
 予防的意図(precautionary intent)をもった例は他にもたくさんある。野生条例ではある地域を入域禁止にした。職業安全衛生条例(OSHA)では雇用者は安全な作業環境と職場を提供する義務がある。絶滅危険種条例では多様性を守ることを最終的目標に掲げている。クリーン・ウォータ条例ではアメリカの水を化学的にも、物理的にも、そして生物学的にも安全なものに回復し、維持することを厳格な目標とする。疾病管理センター(CDC)では広範囲な物質に対する人間の体の負荷を監視し、将来の予防措置政策のためのデータを用意し始めた(CDC2003)。

 残念ながら、アメリカの環境政策において、予防的行為(precautionary action)は法律原則ではなく、規則の例外であった。むしろ、予防的な意図や本質をもった法律さえ、歪曲され、無視され、十分に実施されることがなかった。例えば、職業安全衛生条例(OSHA)を適切に施行するには検査員が少な過ぎる。絶滅危険種条例は重大な危機が実際に起きた時にだけ実施されている。

E.予防的行為を支える他の法的概念

 これらの法律や政策以外に、アメリカの法律における少なくとも他の二つの重要な要素が予防的行為(precautionary action)を支えている。

 知る権利法 は政策決定における透明性に役立っており、予防原則を実施する上での主要な要素である。例えば、
  • 有毒物質排出目録(Toxics Release Inventory) : 公的に開示されるEPAのデータベースであり、特定の産業グループや政府の施設によって毎年報告される有毒化学物質の排出や廃棄物管理に関する情報を含んでいる。
  • 農薬、食品、医薬品、その他消費材に対する表示義務 : 国民が潜在的な危険性を評価する上で有用な非常に多くの情報を提供している。
 そのような法の要求や実施を広げていくこと、例えば、農薬中の不活性成分や化粧品中の全ての成分の表示など、により予防原則の実施をさらに推し進めることになるであろう。

 公共信託の原理 (Public Trust Doctrine) はアメリカの州法廷で認知されている判例法における教訓である。公共信託の原理の下では、州は天然資源を公共と将来の世代のために保護しなくてはならない。例えば、カリフォルニア州最高裁は1983年に公共信託 (public trust) を ”川、湖、干潟にある人々の共通の遺産を保護することは州の義務であると宣言すること” と定義している。

 予防原則と公共信託の原理は、公共の財産を守るという同じ倫理的基盤を共有している。公共信託の原理は州に偉大な財産として天然資源を保護する義務を与えており、予防原則及びその実施手段はその義務を実行するための方法を提供するものである。

F.州及び地方びおける予防原則

 予防原則はアメリカにおいては1998年、ウィスコンシン州ラシーヌのウィングスプレッドでの会議の後に初めて公に導入された。この会議で出された声明が、本白書の冒頭に引用されている。
 その声明では、科学的確実性が完全に満たされていなくても危害を守るために実行に着手するとする原則と、その原則を実施するための主要な方法、すなわち、民主的なプロセス、代替案評価、責任の移行、目標設定、とを初めて結びつけた (第V章参照) (Raffensperger and Tickner 1999)。

 それ以来、地域と政府機関は、予防原則を検討し、州と地方の政策、法律、条例に明示的に導入するようになった。例えば、
  • マサチューセッツ州議会では、予防原則に基づき、代替が可能な有毒化学物質10種の代替を要求する法案を出した。
  • ニューヨーク州議会では、州が財政支援する新技術に関する研究には予防原則を適用するよう求めた法案が出されようとしている。
  • ミネソタ州公共健康局では、予防原則を引用しながら、公共と環境の健康問題に関する早期警告システムを採用した。
  • マサチューセッツ州アマーストの健康法規委員会では、予防原則に基づき、最も毒性の低い洗浄用化学物質及び他の製品を使用することを求めた。
  • デントン、テキサスからハドソン、ケベックまで、多くの自治体は、予防原則に関わる討論、法令、政策、企画に着手した。
F.カリフォルニア州における予防法

 カリフォルニア州のいくつかの法律は、予防的な意図を実現しているが、連邦政府あるいは国際的な法律や政策と同様に、本来の予防的手法よりも後退して解釈されたり実施されている。

1) カリフォルニア環境品質条例 1970

 1970年、州議会は、予防措置立法の素晴らしいサンプルであるカリフォルニア環境品質条例(CEQA)を成立させた。CEQAの主要な目標は現在及び将来の環境を保護し、良好に保つことである。CEQAの下では、プロジェクトの提案当事者は、そのプロジェクトが環境に対し重大な影響を与えるかどうか、そして重大で有害な影響を与える場合には、その影響を最小にするあるいは除去するための実行可能な代替案(それにはプロジェクトを実施しないという代替案も含む)とともに、環境影響報告書の作成が必要かどうかを決定するために、公共機関からの承認を得なければならない。

2) 提案65 安全な飲料水と毒性条例 1986

 1986年に有権者主導で立法化された”提案65”では、事業者は、製品あるいは排出物中に発がん性あるいは生殖毒として知られる化学物質が含まれる場合には、それらの製品あるいは排出物に対する環境または職場での暴露に対し、決められた記述による警告をしなくてはならない。
 提案65はまた、これらの化学物質が飲料水中に混入することを禁じている。この警告要求により、消費者、作業者、その他は、彼らの購入または行為に関し選択する機会が与えられる。
 警告を出すという要求は、事業者に製品を替えさせるか製造や排出をやめさせることを意図したもので、これによりこのような警告をしなくてもすむようにしようとするものである。
 提案65はまた、政府がこの法律の履行を怠った場合には、市民は政府に対し法を実施させるよう法的措置をとることを認めている。

G.サンフランシスコにおける予防措置の判例

 予防原則は、サンフランシスコですでに実施されている多くの政策を支える統一された一つの概念である。下記に示すものは人間の健康と環境を保護するために立法化された市の条例であり、政策決定における代替案手法を取り入れている (参照:the Appendix “Resolutions Adopted/Proposed by the Commission on the Environment” for relevant resolutions adopted by both the Commission and the Board of Supervisors.)。
  • 資源保護条例が1992年に採択された。これは市の部局に対し彼らが出す廃棄物をリサイクルし、その量を減少することを求めている。2000年にこの市条例は改訂され、市の部局は廃棄物の削減に対する説明責任として資源保護計画を立案するとともに、リサイクル品の購入を義務付けた。
  • サンフランシスコ市は、統合害虫対策プログラム (Integrated Pest Management Program - IPM)を通じて、市街地における害虫対策を環境的に健全な方法で実施し、市民の健康と環境を保護している。
    このIPM条例は1996年に採択されたもので、サンフランシスコ市に対し、ほとんどの有毒殺虫剤の使用を排除し、危険性が削減されているとして承認された殺虫剤リストに登録されたもののみを使用することを義務付けている。
  • サンフランシスコ市は、他市に先駆けて1999年に資源効率建築条例を立法化した。この条例は市の全ての建物に対し資源効率規準を求めるもので、パイロット・プロジェクトで最新の環境建築技術を披露することを求めている。そのような技術により、エネルギーと資源を最大効率で使用し、環境と人間の健康に与える有害な影響を最小とすることを狙いとしている。
  • 1999年、サンフランシスコ市と郡は、市の運営で使用する製品の健康と環境への悪影響を削減することを目標として、 環境に望ましい購買条例を採用した (このプログラムは現在、その範囲が限定されている)。
  • 2002年、サンフランシスコは、全米で初めて、市の建設プロジェクトにおいてヒ素防腐処理した木材の使用を禁止した。ヒ素含有圧力処理木材条例により、市の部局は建物、公園、桟橋で圧縮処理木材を使用する場合には、毒性がより少ない 代替案を選択することが求められる。
  • 2001年に採択された都市森林評議会条例は、全てのサンフランシスコ市民の健康と安全のために、市内の森林を健全で持続可能な状態に維持管理するための指針を与えている。評議会の使命は、地域の利益を守り、サンフランシスコ市が将来にわたって森林による恩恵を最大限満たすことを見届けることである。
  • 地球全体で現在、残っている森林はもともとの森林の20%以下であるが、アメリカでは4%以下である。熱帯硬材と赤色新材(アメリカ杉)保護のための購入禁止令は、我々に残された最後の森林からの伐採を削減するために、持続可能な代替案として、提案されたものである。
  • 1999年6月、市政監視委員会は、市の全ての機関と部局、及びサンフランシスコ市内の全ての医療機関は、環境と人間の健康を保護するために、水銀の使用を排除する決議を全会一致で採択した。これにより、サンフランシスコ市及び郡で水銀温度計の販売を禁止する市の条例が出された。
(訳:安間 武 /化学物質問題市民研究会)

訳注:
項目番号としてのF,項のダブりはオリジナルの白書の中でのダブりです。
他章の日本語訳については下記をご覧ください。
 T.なぜ今、予防措置か
 V.有機的な原則としての予防措置
 W.予防措置と経済性

サンフランシスコ市の予防原則採用については、レイチェル・ニュース#765をご覧下さい。


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