UNESCO 報告書 2006年6月
ナノ技術の倫理と政治 情報源:The Ethics and Politics of Nanotechnology Published in June 2006 United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization (UNESCO) http://unesdoc.unesco.org/images/0014/001459/145951e.pdf 訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会) http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/ 掲載日:2006年8月21日 このページへのリンク http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/unesco/unesco_nano_2006.html 内容
3. ナノ技術の倫理的、法的、及び政治的影響 ナノ技術は、広範な科学的及び技術的分野をカバーしているので、倫理的、政治的、及び法律的な影響を当然、伴う。ナノテクが既存の政治的問題、又は古い、そしていくつかは新しい倫理的ジレンマと交差する多くの領域がある。 訳注3.0-1 (参考資料) 3.1 ナノ技術の国際的な動向 ナノ技術の研究は現在、世界中の先進国及び開発途上国の双方で実施されているが、資金調達と投資のレベル、科学的及び技術的基盤とデータへのアクセス、及び分野間の協力のレベルには非常に差がある。 科学及び知識の進歩の積み重ねの点で、開発途上国は、もし他の諸国と等しい基盤に立って参加する方法を見つけることができなければ、”知識の格差(knowledge divide)”によって遅れをとるリスクをおかすことになる。 しかし、この格差の特徴が今日では15年前に比べて異なることを示す証拠が増大している。研究者らはインターネットを通じて出版物に容易にアクセスできるようになり、中国、ブラジル、及びインドの経済力が大きくなり、アメリカや EU の研究者らがこれらの国々の科学者らと互いに交流し協力するために出かけていくことが多くなった。 その結果、例えば1980年代と1990年代におけるバイオ技術の研究に比べて、はるかに国際的な科学プロジェクトになり得るという状況にある。その結果、異なる国家の利害が衝突することがあるが、”知識の格差”の特徴は異なるように見える。 研究へのアクセスの不平等は国家間よりも国家の中で大きくなっているということができるかも知れない。研究の最高レベルにおいて異なる国家の専門家やエリート間のコミュニケーションは容易で一般的になったが、ひとつの国の専門家やエリートと貧しく高い教育を受けていない人々とのコミュニケーションは一般的に少なくなり、そのようにしようとするインセンティブも減少している。 したがって、国際的なコミュニティーにいる科学者や研究者らは、国家間とともに自身の国の中に存在する”知識のギャップ”を埋める必要がある。 知識のギャップの問題は、ナノ技術研究の種類と方向が全ての国に利益をどの程度等しくもたらすかに関連する。『PloS Medicine』 2005年の記事[17]が示すように、どのような商業的開発よりもはるかに最貧国に役に立つ、エネルギー貯蔵と変換、水処理、及び健康と疾病の診断と治療のような多くの領域がある。同記事はさらに、開発途上国のためのナノ技術適用上位10傑はまた、国連の”ミレニアム開発目標”に対応することができることを示唆している(イメージ7参照)。 しかし、そのような研究はどのようなメカニズムにより促進されるのか? 大学と企業の科学者らはこれらの目標を達成するために、(商業的生存能力以上に、またそれを超えて)どのようにインセンティブを与えられるのか? 国際的な協力は大学と企業の科学者の仕事を最大の必要と影響のある領域での研究の方向に導くことに役立つことができる。 これらの領域の多くは強い商業的及び開発の可能性を持つが、その実現は、第一にそのような研究を推進し、第二に開発途上国の様々な基盤の中で利用することを国家と私企業が約束することなくしてはあり得ない。 [17] Salamanca-Buentello, F., Persad, D. L., Court, E. B., Martin, D. K., Daar, A. S. and Singer, P. A. 2005. Nanotechnology and the developing world. PLoS Medicine, Vol. 2, No. 5, e97, p. 302. ![]() 3.2 ナノ粒子の毒性と環境的影響 ナノ技術に関連して最も差し迫った問題は人と環境への毒性と暴露である。このことはもっと厳密に言えば安全と健康の問題−倫理や政治の問題ではない−であるが、ナノ技術の認識されている新規さのために、ナノ技術は新たなハザード、又は暴露リスクを及ぼすかもしれないという高い懸念があり、したがっていかにそれらを扱うかということについての新たな問題が提起される。ほとんどの企業と多くの研究者らは、リスク管理−必然的に狭い範囲での高い技術的形態−を通じてこの分野に目を向けている。このアプローチは、新たに生成された物質、材料、及び装置のリスク(場合によてっは便益を)を精密に記述する利点があるが、だれがリスクを負うのか? リスクは国際的にどのように分布しているのか? 誰がこれらの分析に基づいた決定を下す権限を持つのか? というような、リスクの倫理的又は政治的な意味についてのより広い問題には目を向けない。 今日までに、これらのリスクについての研究は一握りしかない。いくつかの最近の報告書(この報告書の末尾にリスト)は現在の研究について、かなり詳細に踏み込んでいる。二つの懸念がある。ナノ粒子の危険性と暴露リスクである。最初のものは、人の体又は自然の生態系に与えるナノ粒子の生物学的及び化学的影響に関するものである。二番目のものは、人の体又は生態系に危険をを及ぼすナノ粒子の漏れ、流出、流布、濃縮に関するものである。 ナノ粒子として定義されるものの中で、近い将来、広く流布するかもしれないと考えられる新規物質はわずかしかない。最も分りやすいのはバッキーボール、単層又は多層カーボンナノチューブのようなカーボン・ベースのナノ構造である(訳注3.2-1)。二酸化チタン、酸化亜鉛、又は金のナノ粒子もまた多様な状況の中で使用されるかもしれない(あるいはすでに使用されている)。 ナノ粒子の3つのタイプを明確にすることが重要である。工業ナノ粒子(バッキーボールや金のナノシェル)、非意図的ナノ粒子(溶接ヒューム、調理及びディーゼルからの排気)、及び天然由来のナノ粒子(海からの塩霧や森林火災による煙)である。工業ナノ粒子だけが事実上完全に新規の粒子であり、今日まで、バッキーボールだけが入念に調査された工業ナノ粒子である。一方、自動車の排気ガスのような非意図的ナノ粒子(しばしば超微粒子と呼ばれる)はもっと徹底的に調査されている。 フラーレン(バッキーボールの別名)の毒性に関する一握りの研究が現在までのところそれらは実際に有害であるということを示しているが、しかしそれらは、特にバッキーボールの表面を他の化学物質に変えて化学的特性を変えることにより、有害性を少なくするよう設計することができるということを示唆している[18]。そのような発見は、規制当局者や政策立案者にとって適切な質問は、”それは安全か?” ではなく ”ナノ技術をいかにより安全にすることができるか?” であることを示唆している。 国際的な協力・共同はそのような物質の生成及びテストのための最低限の倫理的規範を規定する役割を演じることができる。科学者らはそのようなナノ粒子の発見や生成を発表するだけでなく、同じ目的を達成する物質をより安全にするために必要な要求を発表すべきである。 環境的及び生態学的影響もまた評価を著しく複雑なものにする。自然の生態系サイクルは複雑であり、また自然環境を直接実験することは不可能なので、生態へのナノ粒子のハザードと暴露リスクについての知見はほとんどない。しかし、他の多くの場合と同様に、最も緊急な問題はナノ粒子の正確な毒性を決定することではなく、これらの新規の物質を製造し処理している産業に適用する新規の規制を作る又は既存の規制を実施することである。 多くの国では、ヒ素や水銀のように最も明確な有毒化学物質についてさえも監視は十分ではなく、もし、ナノ粒子がそれらの物質よりも毒性が低いということが示されたなら、規制当局に対する抗議は相当なものになるであろう。グリーン・ケミストリーを実践したり、廃棄製品のリサイクリングや再利用のプロセスを開発している企業はそうでない企業に比べて当然、暴露リスクの生成は少ないが、もっとコストのかかる実践のためのインセンティブを生成することはナノ技術よりもっと古い政治的な問題である。 EUとアメリカは、ナノ粒子のハザードと暴露リスクを評価できるかもしれない確立された規制システムを持っている。EUの 地域社会の健康と消費者保護(Community Health and Consumer Protection)に関する委員会は、これらリスクを取り扱うことができる潜在的プロセスに関する予備的報告書をすでに発表している。さらに、EUの新たな化学物質規制案(REACH)は、ナノ粒子の製造者に対する影響は不明であるが、化学産業に対しては広範な影響を与えるであろう[19]。 米環境保護庁(米EPA)、米食品医薬品局、労働安全衛生局、及び米国立労働安全衛生研究所(NIOSH)もまた、ナノ技術に対応するために既存の規制プロセスを変更する必要性についての調査を開始した。特に米EPAは、カーボン・ナノチューブの規制承認を求めるある会社からの最初の”製造前届出”を評価中である。これら機関の規制権限に加えて、工業ナノ物質によって及ぼされるハザードと暴露リスクを理解することを目的とした内外研究プロジェクトで資金を受けているものがいくつかある。
[18] フラーレンの毒性に関するいくつかの研究がなされているが、それらの中には、オオクチバスの脳に酸化ダメージを与えることを示したもの (Oberdorster, E. 2004. Manufactured nanomaterials [fullerenes, C 60] induce oxidative stress in brain of juvenile largemouth bass. Environmental Health Perspectives, Vol. 112, No. 10, pp. 1058-62) 、及びラットにおけるバッキーボールの細胞毒性を測定したもの(Colvin, V. L. 2003. The potential environmental impact of engineered nanomaterials. Nature Biotechnology, Vol. 21, No. 10, pp. 1166-1170)がある。 [19] http://europa.eu.int/comm/enterprise/reach/overview.htm (Accessed 17 January 2006.) 英国王立協会もまた最近、報告書を発表し、政府がナノ技術に関する新たな規制に着手する前に、2〜5年の間に企業と大学はナノ物質の毒性を調査して理解し、ナノ物質を管理するためのプロセスを設計するよう勧告している(訳注3.2-2)。 明らかに毒性に関連する問題は消費者の意識、ラベル表示、そしてナノ粒子の基準と規制の推進である。今日、どのような科学的又は技術的対象の製造においても中心となる問題点は、消費者と市民が与えられる情報に置く確信と信頼の程度である。 遺伝子組み換え食品の明白な事例は、ナノ技術への投資に関心あるほとんどの企業にとって恐ろしい事例である。公衆の承認や明白なラベル表示なしにGM食品を製造し流通させたいくつかの企業による決定は激しい反発を招き、食品のラベル表示、及び政府と企業のGM食品の安全性の監視と信頼性についての議論を広げた。 ナノ技術は同様な問題に直面しており、特に、”グレイ・グー(訳注3.2-3)”のようなシナリオが感情的又は説得の目的で用いられた場合が問題である。しかし、そのような人騒がせな予測がなくとも、健康と安全報告の手続きの正常な過程でそのように多くの不一致があり、しばしば理解できない警告と承認が生じるので、ナノ粒子の正確なリスクを効果的に情報伝達することは困難であろう。 さらに複雑なことは、規制又はラベル表示の目的という観点から、ナノ粒子は又はナノ物質が全く新たなものとして取り扱われるべきなのかあるいは既存物質の一部とみなされるべきかについて現在まで意見の一致がないということである。 国の標準機関から国際標準機関(ISO)まで、材料の標準機関は、ナノ粒子新規物質を同一化学成分を持つもっと大きな構造の物質とどのように区別するのかを決定するという課題に直面するであろう。規制当局が既存のシステムを改良すべきか新しいシステムを作るべきかを知ることがより容易であろう。 もし、よく知っている物質がナノスケールのサイズでは異なった挙動を示すということが真実なら、リスク評価のための既存の体制では、それらの潜在的に新しい危険を捉えることはできそうにない。EUの消費者保護に関する指令は、新たな基準、ツール、命名法、及び、ナノスケール物質と新たなナノ粒子に特化した測定システムを要求することにより、これらの問題のいくつかに対応している(Box 3)。 国際組織はそのような開発を促進すること、及びアメリカやヨーロッパにおいてだけでなく、もっと重要なことは中国、インド、ブラジル、イランのようなナノ技術研究プログラムと規制の開発に着手した開発途上国において、それらの使用と採用を推進する役目を演じることができる。
このスタイルの相違を特に大きくにさせているのは、グローバリゼーションが国家の規制と安全確保の効率をもっと政治的にそしてもっと困難にしているということである。 [20] Figure provided by Kristen Kulinowski of the Center for Biological and Environmental Nanotechnology. All rights reserved. [21] For the precautionary style see also the report produced by COMEST: The Precautionary Principle. UNESCO, 2005. 訳注3.2-1 訳注3.2-2 訳注3.2-3 4. 結論 ナノ技術は重大な決意をすべき分岐点にある。ナノ技術の方向性、安全性、望ましさ、及び資金調達に関する合意の出現は、それがどのように定義されるのか、結果として、誰がそこ関与するのかに依存する。我々の世界はますます科学と技術に依存するようになっていると言っても過言ではなく、その危険性と可能性についての公衆の知見が増大し続けているので、あらゆる種類の関係者の関与は、さらに上流側の科学的作業自身の中心部へと移っていくであろう。 さらに、政府から非営利組織まで、企業から活動家グループまで、様々なグループの広い範囲の注意と熱狂的な関心が協調の取れた協力を求めるであろう。既存のものを強化するという必要性が高まっているので、新たな制度、機関、又は分離した組織を作り出す必要性が減少しつつあるということについて何かをすることに関心を持つ人々がすでに十分いるということは明らかである。 APPENDIX ナノ技術に関する報告書インデクス このインデクスはのの技術、その影響と社会的、政治的、又は倫理的問題をカバーするものとして発表された最近の報告書のリストである。
|