レスポンシブル・ナノ・フォーラム 2009年7月29日
警告の発信か? 単なる画期的な出来事か?
2004年 英国王立協会・王立工学アカデミー報告書に関する考察
ナノ科学、ナノ技術:機会と不確実性

情報源:Responsible Nano Forum, 29th July 2009
A beacon or just a landmark? Reflections on the 2004 Royal Society/Royal Academy of Engineering Report:Nanoscience and nanotechnologies: opportunities and uncertainties
http://www.responsiblenanoforum.org/pdf/beacon_or_landmark_report_rnf.pdf

訳:野口知美 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2009年8月19日
更新日:2009年9月4日 (序文の日本語化)
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/rnf/090729_RNF5yearsReport.html

訳注:英国王立協会・王立工学アカデミーが世界的に大きな影響を与えた報告書『ナノ科学、ナノ技術:機会と不確実性』(訳注1)を2004年に発表してから5年経過したことを記念して、レスポンシブル・ナノ・フォーラムが発表した報告書『警告の発信か? 単なる画期的な出来事か?』の”目次”、”はじめに”及び、アンドリュー・メイナード博士による”序文”を紹介します。
目次

はじめに ヒラリー・サトクリフ
Introduction from Hilary Sutcliffe


5年の間にいろいろあった・・・だろうか?

 英国王立協会・王立工学アカデミーがナノ技術についての報告書を発表してから5年が経つとは、信じがたい。月日が流れるのが早くはないか?この画期的な報告書を記念して、その遺産と影響について英国内外の世論形成者に検討してもらうのも面白いではないかとわれわれは考えた。喜ばしいことに、28人の人々が自身の見解を語ってくれることになり、アンドリュー・メイナード(Andrew Maynard)博士からは序文の執筆の承諾をいただき、当時の英国王立協会・王立工学アカデミーの作業部会メンバーのうちのおふたりにも見解を述べてもらうことができた。

 彼らの見解をここで強調したり、要約したりすることはやめようと思う。なぜなら、寄稿者である彼らの方がずっと上手く説明しているからだ。しかしながら、この5年間でどのような教訓が得られたかを手短に考察することは、やがて役に立つことになるだろうと思う。こうしたことは、別の新興技術‐おそらくは合成生物学、地球工学またはナノの収束技術またはハイブリッド技術、バイオ・情報技術、認知科学、ロボット工学‐の発展に適したものになるであろう。

未来についての考察

不完全な毒物学が議論を歪める
 毒物学や環境毒物学が十分早い時期に解明されなかったことが影響して、技術に関する議論が歪められる可能性がある。Richard Jones 教授が14頁で概説しているように、毒物学について明確ではなく、資金調達の柔軟性に欠けており、安全性研究・テストについてのコミュニケーションが不足している場合、こうしたことを補う必要性ばかりが議論のテーマになる。「遺伝子組み換え(GM)での教訓を学ぶこと」とあちこちで言われているが、これは基本的な教訓について言っている。すなわち、当該領域では最近、事態が急速に展開しているらしいけれども、われわれが学び、それを適用する速度は非常に遅いというようなことである。

 グリーンピースのSantillo博士が10頁で概説しているように、リスクに焦点を当てることによって、より広範な懸念を抑えることができる。特に、十分早い時期から議論されてきた技術及びその様々な適用のもたらす社会的・倫理的影響を抑えることが可能となる。

 立ち上がり、技術について確信を持って話すことができなければ、懸念と信用失墜の悪循環が引き起こされる。こうした悪循環は、もしかしたら技術の即時適用に悪影響を及ぼす以上の波紋を投げ掛けるかもしれない。しかし、リスク・データが迅速に改良されれば、おそらく公衆参加が顕著になり、行政措置によって異なった関係者が関与することになるため、ナノ技術に関してはこうした悪循環を回避できる可能性もあるかもしれないが、来年あたりが正念場となる。未来の技術開発においては、こうした側面を特に注意深く考察することが必要になってくるであろう。

透明性と誠実性は後回しにできない
 しかし、重要な情報が欠如している場合、不確実性やリスクを伴うことになるのは当然であろう。あるいは、Seaton教授が7頁で述べているように、その他のことが最優先課題になるかもしれない。そうであれば、透明性と公開性が極めて重要になってくる。またしてもGMでの過ちを、残念ながら特に産業界が再び犯してしまう可能性があるらしい。産業界と政府が何もせずに公衆との信頼を築くことのできる時代は、とうに過ぎ去った。これからは、こうした信頼を勝ち取っていかなければならない。信頼構築の要となるのは、公開性とコミュニケーションである。

 製品を市場に出す前に、その安全性・有効性テストを公開することは、企業責任の新しい一分野になりそうであるが、その理由は新しい技術が開発されているからというだけではない。ありきたりの製品についての主張や誇大宣伝への幻滅があるからなのだ。

もっと早く関係者の参加に焦点を当てよ
 肯定的な面としては、公衆をナノ技術に参加させるために、特に英国が著しい努力をしているということである。実際、英国はこのことに関して世界をリードしていると見なされている。今になってみると、ナノ技術の様々な適用やその特定の側面について考慮すれば、「ナノについてどう思いますか」という類のプロジェクトではなく、もっと参加ということにもう少し早く焦点を当てることができたのではないかと思うかもしれない。ナノそして未来の技術に関して重要なのは、広範な関係者、特に科学者、産業界が公衆及び関係者の参加に関する自身のプログラムをもっと実施すべきだということであろう。

国際協力が必要不可欠
 ナノ技術において稀だが効果的であったに違いないと思われることは国際協力、すなわちEC、OECD、ISOプロセスを通してまたはこれらを通さずに各国が協力することである(28頁のPeter Hatto博士によれば、英国がどれだけの間この領域で主導的地位を保っていられるか疑問の余地があるそうだが)。こうした新しい技術は隔離されたところでは成り立たないため、国際協調が必要不可欠である。ナノをひとつのケーススタディとして、将来その成り立ちを研究することは興味深いものとなるであろう。

本当に役立つこと、真の革新を支援せよ
 Tim Harperが23頁で指摘しているように、こうしたことは全て革新と適切な資金援助に裏打ちされたものでなければならない。その目的は、大絶賛されている新しい技術適用を市場に導入し、研究開発に関する英国の専門知識を有効活用することである。社会との信頼の「取り決め」の一部をなしているのは、現代で最も喫緊の課題‐Grimshaw博士の34ページでの指摘によれば、それが気候変動、栄養、ヒトの健康、または貧困であろうと‐をいくつか解決していく上で、新技術もその期待に沿うよう確保することであろう。さらに、われわれが考慮しなければならないのは、より広範な社会的・倫理的問題、誰がこの全プロセスから取り残されることになるのかということ、その影響がどんなものになる可能性があるのかということである。

 ということで、話をナノに戻そう。われわれとともに考察する時間を割いてくださった皆さまに心から感謝する。われわれにとってはこの上なく興味深い作業となったが、皆さまもそう感じてくださることを願っている。

 10周年にまたご連絡したとき、それまでに起こったことを検討するとしよう!


序文‐アンドリュー・メイナード博士 (09/09/04)
Foreward - Dr Andrew Maynard, Woodrow Wilson Centre


 2004年7月29日、英国王立協会・王立工学アカデミーが「ナノ科学、ナノ技術:機会と不確実性」を発表した。新興分野であるナノ技術にとって、画期的な瞬間であった。広範な専門知識や見解を示す識者たちによって執筆されたこの報告書は、ナノスケールをベースにする技術の将来性を強調し、安全で持続可能性のある開発への潜在的な障害について徹底的に研究し、「たったひとつの」見識に偏ることを回避しつつ、「ナノ技術」という用語を世界に紹介した。また、著しく発展しつつある技術による被害を避けながら、その大いなる可能性を実現するための明確な道筋を示した。

 それから5年たった今、どうなったであろうか?
 かつて2004年に、私はナノ技術の潜在的影響に取り組む米政府作業部会の共同議長を務め、国立労働安全衛生研究所(NIOSH)においてナノ技術の安全衛生関連の研究を主導してきた。英国王立協会・王立工学アカデミー(RS/RAEng)の委員会では以前、意見を申し上げていたので、最終報告書を心待ちにしていた。この報告書の米国での刊行に立ち会うため、シンガポール旅行を途中で切り上げることさえしたが、このことは刊行を主導したウッドロー・ウィルソン・センターに、私がその数ヵ月後転職になることを予兆するものであった。

 当時は、ナノスケールで物質や装置を作成することに伴い新たなリスクが生じる可能性や、それが技術開発にいかなる影響を及ぼすかということに対する懸念が高まっていた。その前年にMichael Crichtonの"Prey"(訳注2)が出版され、ナノ技術業界は公衆が確かな根拠もなく新興科学技術に反発するということに狼狽させられた。さらに研究者たちは、ナノスケールの新奇物質がヒトや環境に対してこれまでにない影響を及ぼす‐さまざまな場所に到達し、その小さなサイズからは考えられない規模の被害をもたらす‐可能性もあるという示唆を明らかにしはじめていた。

 大きな将来性と被害をもたらす可能性の拮抗や誇大宣伝が激しさを増しており、新興ナノ技術はそうしたものの象徴のように思われていた。その中で、RS/RAEng の報告書ははっきりとした理性の声になった。この報告書は権威があり、明確であり、科学に基づいていながら、ナノ技術が頭角を現しつつある広範な社会・経済・政治環境にも敏感に対応していた。また、公衆を関与させること、安全性への懸念に取り組むこと、ナノスケール科学・工学・技術の潜在的利益を完全に実現しようとするのであれば新興技術をうまく規制することが必要性であると力説していた。

 このような問題に取り組んだのは、RS/RAEng の報告書が最初ではなかった。しかし、機会と課題とはどんなものなのか、課題を克服しつつ機会をつかむにはどうしたらよいかということに対する明確かつ包括的な視点を与えたのは、この報告書が初めてであった。そうすることで、時期についての考えの焦点を絞ることを促し、責任ある効果的なナノ技術開発への前向きな道筋を明らかにしたのである。

 もしこの報告書が執筆されなかったとしたら、安全で受け入れ可能なナノ技術開発に関して、この5年間ほどの成功は見られなかったであろうと想像される。2004年に報告書が発表されてからというもの、ナノ技術の潜在的影響に関する研究、出版、議論が急激に増えている。欧州では、さまざまな委員会が科学的状況を検討しており、安全な使用や効果的な規制を支持する措置を取ることを推奨してきた。具体的な健康・安全・社会問題に取り組むため、新たな汎欧州研究プログラムに資金が提供されている。米国では、「国家ナノテクノロジー・イニシアティブ」によって、環境衛生や安全性への懸念に対する連邦政府の取り組み方が統一され、ヒトの健康や環境へのナノ技術の影響に関する研究が増加してきている。

 国家及び国際イニシアティブによって関係者同士が団結し、責任あるナノ技術開発を模索してきた。標準機構はすぐに、非常に多くのナノ技術報告書、指針、技術基準を作成し始めた。新興技術を開発するにあたって、ナノ技術を使用できる製品の開発者や使用者に参加してもらう必要があるという意識が高まってきている。さらに欧州と米国では、新規ナノ物質の規制強化に向けた動きが出てきている。

 そして最も重要なことは、われわれの知る限りでは、新しい人工ナノ物質の暴露被害を受けた者はひとりもいないということである(訳注3)。

 だが、このように活発な動きがあるにもかかわらず、具体的にどのくらい進展が見られたかということを突き止めるのは難しい。もしRS/RAEng の報告書が現在の形で今、出版されたとしても、その評価や勧告の重要性は5年前と変わらないであろう。この5年間で変わったことは、わずかしかない。例えば、もともとの報告書が消費者製品にナノスケール銀が広く使われるようになると予測していなかったことや、現在、実行可能な技術になりつつあるナノ科学について、ますます複合的な発展を見せていると表現するのを避けたことである。

 しかし、2004年の報告書における最も重要な勧告の多くは、ナノ技術の機会と課題に対する2009年の評価においても的外れになることはないであろう。

 RS/RAEng による勧告の中には、決して一晩では解決されないような問題を扱うものもあった。そのような場合、まだやらなければならないことがたくさんあるというのも不思議ではない。例えば、ライフサイクル評価、職場での暴露、適切な測定方法の開発、公衆の新興技術への参加といったことは全て、今後数十年にわたって重要な分野であり続ける可能性が高い。

 その他の分野では、進歩がなぜここまで遅くなってしまったのか理解しがたい。例えば、英国にはナノ物質のリスク研究を専門とする学際的な研究施設がまだ存在しておらず、産業界や政府の意思決定者は主要な知識のギャップを埋めるための戦略上、重要な資源を欠いたままである。さらに、カーボン・ナノチューブの潜在的影響に関する研究‐報告書では極めて重要な問題として強調されている‐は、RS/RAEng の勧告に関心を示さない研究資金提供者によって妨げられてきた。

場合によっては、RS/RAEng の勧告を無視した措置が取られることもあった。"Environmental Health Perspectives"に最近掲載された論文(訳注4)では、世界中の45ヵ所で地下水や土壌を浄化するために自由ナノ粒子が環境中に放出されているということが強調されている(その場所を示す地図(訳注5)は
http://www.nanotechproject.org/inventories/remediation_map/ で入手可能である)‐環境への影響についてさらに解明されるまでは、「自由ナノ粒子を地下水の浄化に使用するなど、環境に応用することは禁止すべきである」とRS/RAEngの委員会が勧告したにもかかわらず。

 しかし、もともとの報告書を通読してみて何より印象に残っているのは、RS/RAEng によって明確になった新興技術の責任ある開発についての考え方が、いかにぼやけてきているかということである。

 この5年間、ナノ技術の責任ある開発についての議論、ワークショップ、レビュー、報告が数え切れないほど行われてきた。多くの場合は気がかりなことに、問題に対する理解が2004年以前のものであるということを明らかにすることになった。まるで RS/RAEng の報告書が画期的ではあるが警告としては見なされていないかのようである‐誰もが報告書の存在は知っているが、時間を割いてそれを読む(再読する)者はいないのだ。

 数週間前、英国のビジネス・イノベーション・技能省(BIS)は、政府のナノ技術戦略についての情報を提供するためにパブリック・コンサルテーションを実施した。これは良い考えであり、英国が責任あるナノ技術開発を成功へ導く明確な道筋を立てるのに役立つに違いない。しかし、RS/RAEng が安全なナノ技術を開発するために何が必要か政府に明確なアドバイスを提供してから5年がたち、これを記念してさらにまたレビューを行うというのは、皮肉なことである。

 こうした動きがあるから、RS/RAEng の報告書の発表後にさまざまな活動があっても、それほど大した進歩はなかったのではないかと思ってしまうのである。

 しかし、ここにはさらに重大な問題が存在する。人工ナノ物質‐RS/RAEng の報告書における主要な焦点となっている‐は、今後数十年の間に現れる可能性のある幾多の技術革新のうちのひとつを象徴している。科学的知識とこれが生み出す技術は、幾何学的な速度で増加している。このような新興技術がもたらすことになる機会と課題は、20世紀で経験したものとは類似点がほとんどない可能性が高い。こうしたことは、ナノ技術、合成生物学、情報技術といった分野において既に見られている。けれども、われわれは決まりきったやり方から抜け出せず、20世紀の考え方をもって21世紀の技術に対処しようとしている。

 RS/RAEng の報告書は、こうした考え方を改め、新しいやり方で新たな課題に取り組むための道筋を示した‐これによって人々は一致団結し、積極的に新たな機会をつかみつつ、新たに出現するリスクを回避及び管理することを目指すことになった。どのようにして責任ある新興技術の開発をするのかという枠組みを提示したのである。

 ナノ技術はこれまで、かなり楽な道を歩んできた。公衆の意識は低いままである。徐々に進歩してきてはいるが、それが目に見えないこともある。そして、誰も死んでいない‐今のところは。これから現れる次世代の新しい技術に関しては、今までのように上手くいかないかもしれない。RS/RAEng による2004年の報告書から広範な教訓を得て、これを礎としなければ取り組むことのできない機会と課題に直面することになるかもしれないのだ。


訳注1
英国王立協会・王立工学アカデミー報告 2004年7月29日ナノ科学、ナノ技術:機会と不確実性−要約と勧告

訳注2
Prey (novel) From Wikipedia, the free encyclopedia

訳注3
2020 Science 2009年8月18日 ナノテクノロジーは直面する荒波に準備ができているか?/アンドリュー・メイナード

訳注4
EHP Online 24 June 2009 ナノテクノロジーと原位置修復 便益と潜在的リスクのレビュー

訳注5
WWICS/PEN 2009年7月8日 汚染サイトの修復:ナノ物質が答か? 世界のナノ利用修復サイト 初の地図がオンラインで入手可能


化学物質問題市民研究会
トップページに戻る