ピーター!下痢け?・・・。.... 佐久間學

(17/12/5-17/12/26)

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12月26日

STRAUSS
Salome
Emily Magee(Salome), Wolfgang Koch(Jochanaan)
Peter Bronder(Herodes), Michaela Schuster(Herodias)
Andrés Orozco-Estrada/
Frankfurt Radio Symphony
PENTATONE/PTC 5186 602(hybrid SACD)


フランクフルト放送交響楽団が、現在の首席指揮者のアンデレス・オロスコ=エストラーダの指揮でこのレーベルに録音した3枚目のアルバムは、シュトラウスのオペラ「サロメ」でした。
このオーケストラ、最初に掲げたような呼び名で、例えばエリアフ・インバルとの、おそらく世界初のデジタル録音によるマーラーの交響曲全集を作った団体としておなじみですが、その後2005年に「hr-Sinfonieorchester(hr交響楽団)」という名前に変わっていました。しかし、2015年からは、国際公式名として「Frankfurt Radio Symphony」を採用することになったため、日本語では以前と同じ呼び方でも構わなくなりました。
指揮者のオロスコ=エストラーダは、1977年にコロンビアに生まれたという若手です。主にウィーンで指揮の勉強をしたそうです。勉強をおろそかにしなかったので、今では立派なオーケストラのシェフになれました。
彼がこのオーケストラの首席指揮者になったのは2014年。それまではウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席奏者でした(2015年まで兼任)。つまり、現在の指揮者、佐渡裕の前任者ということになります。
この「サロメ」は、2016年9月10日に行われた、コンサート形式の上演をライブ録音したものです。会場は先ほどのマーラー全集で一躍有名になったフランクフルトの「アルテ・オーパー」です。
レーベルもエンジニアも違いますが、まずはあの時のようなヌケの良い明晰なサウンドを存分に楽しむことが出来ます。シュトラウスの、多くの種類の楽器を使った色彩豊かなオーケストレーションが、とても高い精度で再現されているのではないでしょうか。それだけではなく、ソリストとともにバランスも完璧、目くるめく官能的な音楽が眼前に広がります。
ここで主役のサロメを任されたのは、アメリカ人のエミリー・マギーです。1965年生まれと言いますから、もはや「おばさん」の年齢に達していますが、その強靭な声は年を感じさせないものがあります。スタミナも充分、最後の長大なソロまで、楽々と、そして表情の豊かさを失わず歌いきっています。
オロスコ=エストラーダの指揮は、とても腰の据わった堅実なものでした。最大の聴かせどころである「7つのヴェールの踊り」でも、表面的な派手さはねらわず、じっくりと深いところから情感を滲み出していくような作り方で、圧倒されます。そんな渋さを演出しているのが、フルートのソリスト。極力ビブラートを抑えた暗めの音色が、逆に新鮮な味わいを出しています。
このオペラでは、地下牢に閉じ込められたヨカナーンの扱いが一つのポイントです。さすがにコンサートでは舞台下に潜り込むことはできないので、ここでは客席の一番後ろで歌っていました。いや、もしかしたらもっと後ろ、客席との扉を開けて、ロビーで歌っていたのかもしれません。
つまり、このSACDにはマルチチャンネルも含まれているので、その環境で再生してみるとヨカナーンの声は後ろの方から聴こえてくるのです。そして、次の場で地上に出てくる時には、ロビーからステージまで歩いて行ったのでしょうね。時間はたっぷりありますから。
もちろん、普通のステレオで聴いていたのでは、ヨカナーンの声にはたっぷりエコーがかかって、「遠くから」というのは分かりますが、それが後ろなのかどうかまでは、分からないはずです。
今では、このようにマルチチャンネルで録音して「サラウンド」の効果を出すことは、オーディオ・ビデオの世界ではもはや当たり前になっていますが、ピュア・オーディオではなかなか味わうことはできません。そもそも、SACDでサラウンドを聴くためのオーディオ機器は、今ではほとんど市場から姿を消していますからね。さらに、LINNのように、あれだけのスキルを持ちながらSACDから撤退してしまったレーベルもあります。さまざまな事情があるのでしょうが、これは非常にもったいないことです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.


12月23日

POSTCARDS
World Piccolo, Vol 2
Jean-Louis Beaumadier(Pic)
6 Piccolists, 4 Pianists,
Basson, Kaval, Vibraphone, Casseroles
SKARBO/DSK4149


LPしかなかった時代からピッコロのための作品を集めた珍しいアルバムをCALIOPEなどで数多く作っていたピッコロ奏者のジャン=ルイ・ボーマディエのキャリアは、フランス国立管弦楽団のピッコロ奏者としてスタートしました。1978年にはそのオーケストラとともに来日してメシアンの「主イエス・キリストの変容」の日本初演を行っています。その時のフルートの首席奏者はパトリック・ガロワでしたね。同じ年に、デビューアルバム「La Belle Époque du Piccolo」を録音していました。そのオーケストラには12年間在籍し、その後はソリストとして世界中で活躍するようになります。かつては小澤征爾の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラにも参加していましたね。
最近はあまり名前を聞くこともなくなっていたと思っていたら、つい最近このSKARBOレーベルから「World Piccolo」というシリーズの「第3集」がリリースされるというニュースが伝わってきました。彼の正確な生年はどこを探しても見つからないのですが、おそらくもう70歳近辺なのではないでしょうか。まだまだ頑張っていたのですね。
せっかくなので、そのシリーズを全部入手しようと、マルチ・バイでまとめて3枚注文したら、なぜか2015年にリリースされていた(録音は2014年)この「第2集」だけが「対象外」ということではじかれてしまいました。たしかに、インフォを見てみるとすでに「販売終了」になっていましたね。仕方がないので、他のものを入れて注文を完了させたのですが、その直後にインフォでは「在庫有り」になったので、あわててこれだけを購入してしまいましたよ。その直後にやはり「販売終了」になりましたが、いまでは「メーカー取り寄せ」に変わっています。いったい、どうなっているのでしょうね。そう言えば、このインフォの案内文も「フランスを代表するフルート奏者ジャン=ルイ・ボーマディエ。近年はピッコロの名手としてレパートリー開拓に積極的」なんて、アホなことが書かれていましたね。彼は40年近く前から「積極的」だったというのに。それを書いた代理店はもちろんキングインターナショナルです。
このシリーズでは、タイトルの通り世界中の作曲家によるピッコロのための作品が紹介されています。ここで取り上げられている人はフランスのダマーズ以外は全く知らない人ばかりです。アルメニア、トルコ、コスタリカ、エジプトといった珍しい国の名前も見られます。おそらく、その人たちはボーマディエがコンサートで訪れた時に知り合った友人たちなのでしょう。
演奏しているのも、やはりボーマディエの「仲間」たち、彼以外に6人のフルート奏者(アンドラーシュ・アドリアンなどという大物もいます)がピッコロで参加しています。ナンシー・ノースというカナダトロント交響楽団のピッコロ奏者が作った「Quelque chose canadienne」という曲では、ピッコロだけの三重奏が聴けます。ピッコロがこんなことをやっていていいのか、と思えるような異様な響きですね。
もう一人、「カヴァル」というブルガリアやルーマニアあたりで使われている民族楽器の演奏家もいます。イザベル・クールワというそのフランスの「カヴァル奏者」は、元々はガストン・クリュネルやボーマディエに師事したまっとうなフルーティストでしたが、カヴァルの魅力に取りつかれて今ではこの楽器のスペシャリストとして大活躍をしているのだそうです。彼女が作ったこの「Baïpad」という曲ではバルカンのテーマが使われていて、後半には5拍子のダンスが登場します。刈上げの人が踊るのでしょうか(それは「バリカン」)。カヴァルというのは、斜めに構える縦笛で、ものすごい息音を伴います。ここでのピッコロとのバトルは、このアルバム中最大の聴きどころでしょう。
ボーマディエのピッコロはテクニックも確かですし、高音のピアニシモなどさすが第一人者というところも見せてくれますが、ちょっとビブラートが強すぎるかな、という思いは、どのアルバムでもついて回ります。

CD Artwork © Scarbo


12月21日

DURUFLÉ, HOWELLS
Requiems
Kirsten Sollek(MS), Richard Lippold(Bar)
Frederick teardo(Org), Myron Lutzke(Vc)
John Scott/
Saint Thomas Choir of Men & Boys, Fifth Avenue, New York
RESONUS/RES10200


「ニューヨーク五番街の聖トーマス教会男声と少年の合唱団」という長ったらしい名前の、文字通りアメリカの団体のアルバムです。彼らはこのレーベルからはフォーレの「レクイエム」など何枚かのCDを出していますが、実際に聴いたのはこれが初めてです。そもそも、この「Resonus」という2011年に発足したばかりのイギリスのレーベルのものを聴くのも初めてですし。
名前の通り、この教会の聖歌隊である合唱団は、少年と成人男声だけによる編成という、よくある形のものです。そして、たとえばイギリスのキングズ・カレッジ聖歌隊と同じように、少年、つまり「トレブル」のパートの人数が非常に多いのが特徴になっています。あまり多いと、問題も多いのでしょうね(それは「トラブル)」。ブックレットのメンバー表では、トレブルが24人に対して、他の3パートはアルト(もちろん成人のカウンターテナー)6人、テナーとベースは5人ずつですからね。成人のパートのメンバーは、すべてプロフェッショナルな歌手たちなのだそうです。
この合唱団の少年団員は、1919年に創設された聖歌隊養成のための学校(そういう学校は、ここを含めて全世界で3つしかないのだそうです)の生徒の中から選抜されています。そして、このような混声合唱の編成としての活動だけではなく、少年合唱団としてもコンサートや演奏旅行を行っているのだそうです。
指揮をしているジョン・スコットという人は、イギリス出身のオルガニスト、小さいころは聖歌隊で歌っていました。オルガニストとしては世界中でコンサートを開いていて、バッハやメシアンでは、全ての作品を演奏していますし、ブクステフーデ、フランク、ヴィドール、ヴィエルヌといった、全ての時代の有名な作曲家のオルガン曲も、ほぼ全曲レパートリーとしているという、ものすごい人です。2004年にこのニューヨークの聖トーマス教会の音楽監督に就任しましたが、2015年に59歳の若さでこの世を去ってしまいました。このCDには、2011年に録音されたハウエルズとデュリュフレの「レクイエム」が収録されています。
ハーバート・ハウエルズが1936年に作った「レクイエム」は、通常の典礼文ではなく、「Requiem aeternam」という冒頭のテキストだけはそのままラテン語で2回使われるほかは、詩編などの英訳が使われている無伴奏の作品です。これまでにも多くの録音がリリースされていますが、今回のものはおそらくそれらの中でもかなり高い順位にランキングされる演奏なのではないでしょうか。なによりも、この合唱団の少年たちによるトレブル・パートが、少年合唱にありがちな「はかない」ところが全く感じられない、とても強靭な声として聴こえてくる点が、最大の魅力です。
デュリュフレの「レクイエム」は、オルガン伴奏と、チェロのソロが入る第2稿による演奏です。これは、オリジナルのフル・オーケストラのバージョンよりも合唱の実力がもろに問われる形態ですが、ここでもこの合唱団はその魅力をいかんなく発揮してくれていました。トレブルだけでなく、他のパートも充実した響きで、この作品に相応の重みを与えています。
ちょっと面白いのが、トレブルの扱い方。普通のところは全員がソプラノのパートを歌っているのですが、例えば2曲目の「Kyrie eleison」では、「Christe eleison」という歌詞の部分のように、ソプラノとアルトだけで歌われるところではトレブルが2つのパートに分かれて歌っているのです。「Sanctus」や「Agnus Dei」でも、やはり女声パートだけになるところではトレブルだけで歌われています。同じ個所を先ほどのキングズ・カレッジ聖歌隊のようにアルトのパートを成人アルト(カウンターテナー)が歌うと、どうしても音質がまとまらないものですが、ここでは見事にピュアなハーモニーが生まれています。
正直、アメリカの聖歌隊でこれほどのクオリティの高さが味わえるとは思っていませんでした。とても素晴らしい録音とあわせて、脱帽です。

CD Artwork © Resonus Limited


12月19日

BEETHOVEN
Symphonies Nos. 6, 7, 8
Rafael Kubelik/
Orchestre de Paris
Wiener Philharmoniker
The Cleveland Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 250(hybrid SACD)


クーベリックが1970年代にDGに録音したベートーヴェンの交響曲全集は、元々はその頃のオーディオ界の最新技術であった「4(フォー)チャンネル(Quadraphonic)」で録音されていたのだそうです。確かに、あのころは誰もが「これからは4チャンネルだ」と思い込んでいたのではないでしょうか。包み込まれるようなサウンドに、父親はぐっすり(それは「とうちゃん寝る」)。ただ、結局はその何種類かの再生方式を巡っての醜い覇権争いの末、消費者にはそっぽを向かれ、一過性のブームで終わってしまっていたのでした。
レーベルでも、時代の流れに乗り遅れまいと、しっかりと4チャンネルでの録音の体制を作り上げ、全てその方式で録音を行っていた時期があったのでしょうね。ただ、実際にそれらが4チャンネルのソースとして市場に出回ることはほとんどありませんでした。もちろん、このクーベリックのベートーヴェンも、普通の2チャンネルステレオのLPでしかリリースされてはいなかったはずです。
例えばあのカラヤンは、1970年から1978年にかけてEMIから20枚以上の4チャンネルのLPをリリースしていますが、DGからのものは1枚もありません。
2002年から活動を始めたこのPENTATONEというレーベルは、PHILIPSというオランダのレーベルが新録音をやめることになり、そのために解雇された人材が集まって作ったSACDに特化したレーベルです。それ以前、1998年に、やはり元PHILIPSのエンジニアが作ったPOLYHYMNIAという録音チームとは密接な関係にあり、当初はこの時代に録音されたPHILIPSの4チャンネルの録音を、サラウンドSACDとしてリリースしていました。後に新録音も開始、さらに今では同じ系列となったDGの4チャンネルの音源も、同じようにSACD化するようになっています。つまり、かつて録音されても日の目を見ることのなかった数多くの4チャンネルの音源が、四半世紀を経てSACDという媒体で初めて世の中に出ることになったのですね。
個人的には、今まではSACDはもっぱらピュア・オーディオの対象でしたから、サラウンドには全く興味はありませんでした。ところが、ひょんなことからSACDのサラウンド・トラックを聴ける環境が整ってしまったので、そんな「4チャンネル」を実際に体験出来ることになりました。そして、そこにはピュア・オーディオとは別の面での魅力が潜んでいることが分かりました。
この、PENTATONEのリマスターとしては3番目のアルバムでは、2枚組で6番、7番、8番が収録されていました。そのうちの6番ではユニヴァーサルからシングル・レイヤーで2チャンネルだけのSACDが出ていたのでまず「ステレオ」でそれを比較してみると、やはりDGのサウンドは見事にPHILIPS寄りの繊細なものに変わっていました。もう、ここのエンジニアは体の芯までPHILIPSの音がしみ込んでいるのでしょうね。
それはそれで楽しめるとして、肝心のサラウンドでの再生を試してみると、ステレオではあまりよく分からなかった、録音会場の違いがとてもはっきり分かるようになっていました。6番はパリ管の演奏なのですが、録音はサル・ワグラムというだだっ広い空間で、余計な残響がないので録音スタジオとしてよく使われていたところです。ですから、ここではホールトーンのようなものはほとんど感じられません。ところが、ムジークフェライン・ザールでのウィーン・フィル(7番)と、セヴランス・ホールでのクリーヴランド管(8番)の場合は、もうビンビンと客席からの反響がリアスピーカーから聴こえてくるのですね。特に、8番の第2楽章では、木管楽器のパルスがそのままエコーとして半拍近く遅れてはっきり聴こえてくるのですよ。
この部分をステレオで聴いてみたら、そんなディレイ感は全くありませんでしたから、2チャンネルのマスターではリアの成分をきっちりカットしてあるのでしょう。確かに、これはサラウンドで聴かないと単に邪魔になるだけのものですからね。でも、元の録音にはそれがしっかり入っていて、ここで初めて聴けるようになったというのは、ちょっとした感動でした。

SACD Artwork © Pentatone Musik B.V.


12月16日

WAGNER
Siegfried
Simon O'Neill(Siegfried), Heidi Melton(Brünhilde)
Matthias Goerne(Wanderer), David Cangelosi(Mime)
Werner Van Mechelen(Alberich), Falk Struckmann(Fafner)
Jaap van Zweden/
Hong Kong Philharmonic Orchestra
NAXOS/NBD0069A (BD-A)


ヴァン・ズヴェーデン指揮の香港フィルによる「指環」のツィクルスもほんこんと(とんとんと)進んで、後半に入りました。今回もCDだけではなくこのようにBD-Aが用意されているのがうれしいところです。最近、かなりのオーディオ・マニアなのに、SACDやBD-Aを実際に聴いたことが無いという人がいたので、何種類か貸してあげたら、「ブルーレイ・オーディオってすごいね!」と驚いていたぐらいですから、このフォーマットはもっともっと広まってもいいのに、と思ってしまいましたね。
なんせ、一時は多くのレーベルがこのフォーマットに賛同して、業界団体みたいなものまで結成されたというのに、現在では新録音を定期的にBD-Aで発売しているのは2LとLSO LIVEぐらいしかなくなってしまいましたからね。NAXOSにしても、これは久しぶりのBD-Aのような気がします。もしかしたら、この「指環」を最後にBD-Aからは手を引いてしまうかもしれませんね。
なんと言っても、長時間の連続再生が出来るというのが、オペラの場合はとても便利です。この「ジークフリート」も、丸4時間ぶっ通しで聴き続けてしまいました。実演だと、幕間に1時間近くの休憩があるので、6時間も同じ場所に拘束されてしまいますから、これはありがたいことです。
そう、ごく最近、実際にこのオペラを「生」で体験してしまったのですよ。そこで、歌手の動きやオーケストラで活躍する楽器などもしっかり頭に入れてきたので、対訳を見る必要もなく、音だけで聴いてもしっかりその時の情景が目に浮かぶようになっていましたから、十分に長時間の音楽を楽しむことが出来ました。
香港フィルは、このツィクルスで確実に腕を上げてきているのがよく分かります。ほんと、的確にストーリーの流れを作り上げている手腕は、とても満足のいくものでした。ただ、まだ低音の重量感のようなものにはちょっと不満がありますが、それはもしかしたら録音のせいかもしれないので我慢しましょう。
でも、ジークフリート役のサイモン・オニールには、ちょっと我慢ができませんでした。最初に登場した時にはミーメとの対話に終始しているのですが、よく聴いていないとどちらがミーメでどちらがジークフリートなのか分からなくなってしまうほど、しょぼい声でしたからね。以前こちらのCDを聴いて、表現には物足りないものがあるものの、声自体は紛れもないヘルデンだという印象を受けたのですが、その時の輝きはもはや彼の声にはありませんでした。さらに、以前気になっていた歌い方の変なクセも、すごく耳障りに感じられるようになっていました。去年の「ワルキューレ」を聴いたときに、翌年はオニールだと知って期待していたのですが、それは完全に裏切られてしまいましたよ。来年1月の「神々の黄昏」のキャストを見てみると、ジークフリートは別の人になっていますから、きっと降ろされてしまったのでしょう。
ブリュンヒルデは、「ワルキューレ」でジークリンデを歌っていたハイディ・メルトンです。ジークリンデはちょっと役不足だったのですが、ブリュンヒルデはまだ力不足という気がしました。そのせいかどうかは微妙ですが、彼女も、来年はキャスティングされていませんね。
その二人が初めて顔を合わせるのが、第3幕の第3場です。ジークフリートは炎の中に横たわっている鎧姿の人を最初は男だと思っていて、それが女性だと分かってとても驚くのですが、バックのオーケストラはそのパニックの様子をとても大げさに表現しています。でも、これっておかしくないですか?ジークフリートは、その前に森の小鳥に「炎の中にあなたの花嫁がいる」と言われたので、その「花嫁」に会うためにここまでやってきたんですよね。だったら、そこに人がいれば、それが目指す相手だすすぐ分かるはずじゃないですか。今のテレビドラマで頻繁に見られる無駄に盛り上げる展開は、こんなところに期限があったのでしょうか。

BD Artwork © Naxos Rights US, Inc.


12月14日

BACH
Motets
Grete Pedersen
Nowegian Soloists' Choir
Ensemble Allegria
BIS/SACD-2251(hybrid SACD)


ほぼ毎年ニューアルバムをリリースしているペーデシェンとノルウェー・ソリスト合唱団の今年の新譜は、ちょっと今までとは様子が違っていました。これまでは、何かしらのテーマを中心にして、多くの作曲家の作品を集めたという「コンセプト・アルバム」が主体だったのですが、今回はバッハのモテット集という、ベタな選曲でした。しかも、前々作の中にあった音源をそのまま使いまわすという「手抜き」まで行われているのですから、ちょっと心配でご飯も食べれなくなってしまいます(それは「ら抜き」)。
つまり、ここでは収録曲をまとめて一度に録音したのではなく、一昨年、昨年、今年と3回に分けて録音しているのです。その一昨年の分が、すでにこちらのアルバムに含まれていたのです。
と、現象的には許しがたいことをやってはいても、このアルバムではそれがしっかり全体の中に納まっている、という結果にはなっているので、それはそれで許せるというのが面白いところです。つまり、同じ音源でも、コンテクストが変わると全くその役割が変わってくる、ということを、現実に体験できたものですから。
バッハの「モテット」に関しては、いったい何曲あるのかという問題はありますが、ここでは普通に「モテット」と言われているBWV225からBWV230までの6曲に、BWVではそのあとに記載されているBWV118を加えて7曲が演奏されています。さらに、伴奏の編成もはっきりしてはいないので、ここでのペーデシェンは、3回のセッションでそれぞれ異なった編成のアンサンブルを協演させていました。
アルバムの曲順では、まず2016年のセッションで録音された「Komm, Jesu, komm(来ませ、イエスよ、来ませ) BWV229」、「Fürchte dich nicht, ich bin bei dir(恐るるなかれ、われ汝とともにあり) BWV228」、「Der Geist hilft unser Schwachheit auf(み霊はわれらの弱きをたすけたもう) BWV226」の3曲が演奏されます。これらは全てソプラノ、アルト、テナー、ベースの4パートの合唱が2つ向かい合って歌う二重合唱の形で作られたものですが、その伴奏はオルガンにチェロとヴィオローネという編成の通奏低音だけになっていて、さらにピッチがほぼ半音低くなっています(A=415)。ですから、ここではほぼ合唱の裸の姿が披露されることになります。
それに続いては、2015年のセッションと2017年のセッション(これはモダンピッチ)のものが交互に演奏されますが、その前半の「Jesu, meine Freude (イエス、わが喜びよ)BWV227」と「Lobet den Herrn, alle Heiden(主よ讃えよ、もろもろの異邦人よ) BWV230」では、通奏低音の他にコラ・パルテ(合唱のパートと同じメロディを重ねること)で弦楽器が加わっています。そうなると、合唱は弦楽器に覆われることになり、豊かな音色が醸し出されるようになります。
そして、最後の2曲、「O, Jesu Christ, meins Lebens Licht(おお、イエス・キリスト、わが生命の光) BWV118」と「Singet dem Herrn ein neues Lied(主に向かいて新しき歌をうたえ) BWV225」では、弦楽器の他にオーボエやファゴットが加わって、さらに華やかなサウンドとなっています。BWV118などは、前奏や間奏など、合唱が入っていない部分までありますから、さらに充実したサウンドになります(お葬式の音楽なんですけどね)。
そんな感じで、以前はニューステットの作品との対比として使われていたものが、ここでは見事に同じ合唱が伴奏の形態が変わることによって、どれだけの違いが出てくるかということを見せてくれていました。
ただ、「同じ合唱」とは言っても、この合唱団のことですからメンバーは3年の間には大幅に変わっているはずです。それなのに、ブックレットではそれらを区別せずに、「1度でもこれらのセッションに参加したことのある人」を全員並べています。これはちょっと不親切。
でも、なんと言ってもこの合唱のメンバーはそれぞれにレベルが高く、ちょっと「普通の」合唱団が歌っているバッハのモテットとは次元の違う素晴らしい演奏を繰り広げてくれていますから、ぐだぐだと文句を言う必要なんか全然ないのですけどね。

SACD Artwork © BIS Records AB


12月12日

Silence & Music
Paul McCreesh/
Gabrieli Consort
SIGNUM/SIGCD 490


かつては「ARCHIV(アルヒーフ)」のアーティストだったポール・マクリーシュのCDを初めて聴いたのは、20年近く前のある日でした。すでにその頃は「アーリー・ミュージックの先駆的なレーベル」ではなく、単なるDGのサブレーベルという扱いになっていたこのレーベルですが、そこではマクリーシュは、当時は「これこそがバッハ演奏の本来の姿だ」ともてはやされていた「1パートは一人で演奏する」というジョシュア・リフキンの主張の実践者として邁進していたはずです。
最近になってSIGUNUMからCDを出すようになると、いつの間にか彼はやたらと大人数の合唱での録音に邁進するようになっていました。ベルリオーズの「レクイエム」では、なんと400人の合唱ですからね。なんか、極端から極端に走る指揮者だな、という印象がありましたね。
そんなマクリーシュの最新のアルバムでは、さらに意表をつくように、「普通の」合唱団としてのレパートリーで勝負してきましたよ。つまり、ここで取りあげられている作品は、全部ではありませんが基本的にアマチュアの合唱団が歌うことを前提にして作られています。ほとんどがソプラノ、アルト、テナー、ベースという4つのパートが伴奏なしで歌われるというシンプルな編成のものです。「パートソング」という言い方をされることもありますね。
とは言っても、ここで取り上げられているのは、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリスの大作曲家が作ったものばかりです。マクリーシュはブックレットの中でのインタビューに答えて、「合唱専門の指揮者としてではなく、あくまで交響曲などの指揮もする一般的な指揮者として曲に対峙した」と語っています。さらに、この中で歌われているエドワード・エルガーの2つの合唱曲を引き合いに出して「私のようにエルガーの交響曲や『ゲロンティアスの夢』のような大曲を指揮したことがあれば、必然的にこれらの4分前後の作品に対して別の視野が開けてくるだろう」とも言っています。
なんか、それこそ「合唱指揮者」が聴いたら確実に「やなやつ」と思ってしまうような、高慢な発言ですね。でも、彼の場合はそれをきちんと演奏面で実践しているのですから、何も言えなくなるのではないでしょうか。確かに、このアルバムの中の「小さな」曲たちは、ただのパートソングには終わらない広がりと深みを持っていました。
最初に歌われているのは、エルガーと同世代の作曲家、スタンフォードが作った「The Blue Bird」という曲です。偶然にも、つい最近聴いたキングズ・シンガーズのニューアルバムでも、この曲が取り上げられていましたね。あちらの演奏は、少人数ならではの小気味よくハモるという楽しさが十分に伝わってきて、それはそれで完成されているものでしたが、そのあとにこのマクリーシュの演奏を聴くと、ほとんど別の曲ではないかと思えるほど、広がる世界が異なっていました。
なによりも素晴らしいのが、そのダイナミック・レンジの広さでしょうか。20人ほどの編成なので、特に大きな音で迫ることはありませんが、反対に弱音までの幅がかなり広く感じられるのですよ。超ピアニシモでのエンディングだけで、そのスキルの高さは存分に伝わってきます。
大半は、20世紀の前半に作られた曲で、もちろん作曲家は物故者なのですが、このなかに2曲だけ、ジェイムズ・マクミランとジョナサン・ダヴという、ともに1959年に生まれた、バリバリの「現代作曲家」の曲も歌われています。スコットランドの素材をクラスター風に重ねたマクミランの「the Gallant Weaver」、ミニマル風の細かいフレーズの繰り返しを多用したダヴの「Who Killed Cock Robin?」と、イギリス音楽の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代のイディオムもふんだんに盛り込んだこれらの作品にも、たしかな命が吹き込まれています。
男声だけで歌われるヴォーン・ウィリアムズの「Bushes and Briars」と「The Winter is Gone」がちょっと大味なのは、見過ごしましよう。

CD Artwork © Signum Records


12月9日

HÄSSLER
360 Preludes in All Major and Minor Keys
Vitraus von Horn(Pf)
GRAND PIANO/GP686-87


タイトルが「すべての長調と短調のための360の前奏曲」ですよ。のけぞりますね。バッハの「平均律」という曲集が、やはり「すべての長調と短調のための前奏曲とフーガ」でしたよね。長調も短調も12ずつ存在しますから、全部で24曲、バッハはそれを2セット作りましたからそれでも48曲に「しか」なりませんよ。いったいどうやったら「360曲」も作れるのでしょう。
バッハの場合は、鍵盤の順番にハ長調→ハ短調→嬰ハ長調→嬰ハ短調と並べていますが、このヘスラーさんの場合は、ハ長調→ハ短調の次は、その5度上(シャープが一つ増えます)のト長調→ト短調というように「5度圏」で進んでいます。そうすると、これは「円」で表わすことが出来るようになりますから、その円の一回りの角度である「360度」にちなんで360曲作ってしまおう、という発想ですね。ほとんど「しゃれ」ですが、あまり笑えん
ヨハン・ヴィルヘルム・ヘスラーという人は、1747年にドイツのエアフルトに生まれたオルガニスト兼作曲家です。バッハの最後の弟子の一人であったヨハン・クリスティアン・キッテルの弟子ですから、バッハの孫弟子になります。若いころはヨーロッパ中を渡り歩いていましたが、その後ロシアに永住し、1822年にモスクワで亡くなりました。
現在では作曲家としては全く忘れられた存在ですが、彼はモーツァルトのお蔭でかろうじて音楽史に足跡を残すことが出来ました。それは、モーツァルトが1789年にベルリンへ向かう途中で立ち寄ったドレスデンでのこと、モーツァルトはそこに滞在していたヘスラーと、オルガンとピアノでの「弾き比べ」を行ったのです。その時の様子をモーツァルトはコンスタンツェに宛てた手紙の中で「彼は古いセバスチャン・バッハの和声と転調をおぼえているだけで、フーガを正しく演奏することはできない」とか「ぼくが、ヘッスラーにピアノをきかすことになった。ヘッスラーもひいた。ピアノではアウエルンハンマーだって、これと同じ位よくひく」(吉田秀和訳)とか、ぼろくそに書いています。
モーツァルトにしてみればそんな残念なヘスラーでしたが、彼はモスクワ時代にはなにか生まれ変わったようになって、それまでに作っていた作品に新たに「Op.1」から作品番号を付けて書き直したりしています。このアルバムにカップリングされている「Op.26」の「Grande Sonate」などは、ほとんどベートーヴェンの初期のピアノソナタのような高みに達しているのではないでしょうか。
この「360の前奏曲」は、それより後、彼の晩年の1817年にOp.47として出版されています。CDでは1枚半に収録されていますが、トラック数は24しかありません。つまり、一つの調の中にはそれぞれ15曲が入っているのです。24×15=360ですね。ところが、それぞれのトラックの演奏時間は4分とか5分といったとても短いものでした。ですから、前奏曲「1曲」はほんの10秒か20秒ほどで終わってしまうのですね。これはもうワンフレーズを演奏しただけのものですから、言ってみれば究極の「ミニマル・ミュージック」ではないですか。この世にそういう名前の音楽が生まれる1世紀半も前に、こんなことをやっていた人がいたんですね。
とはいっても、いくら短くても、それぞれが全く異なる「360個」のフレーズを作るなんて、ある意味ものすごい作業ですね。ただ、ヘスラーさんは意気込んで作り始めたものの、すでに「ト長調」のあたりではかなり投げやりな作り方になっているようですね。無理もありません。全体的に、長調よりも短調の方が楽想が豊かなのは、ロシア風の素材が使えたからでしょうか。
そして、何とか24トラック目の「ヘ短調」にたどり着くと、最後の気力を振り絞って、10分3秒という最長のトラックを作り上げました。その中の5曲目などは、なんと1分48秒「も」ありますよ。なんたって、一番短い前奏曲は3秒で終わってしまいますから、これは「大曲」です。

CD Artwork © HNH Intrnational Ltd.


12月7日

GOLD
The King's Singers
SIGNUM/SIGCD 500


公式には1968年に結成されたイギリスの6人組のヴォーカル・グループ「キングズ・シンガーズ」は、来年の2018年には創立50周年を迎えることになります。その記念に2016年10月から2017年2月にかけて録音されたのが、この3枚組のアルバムです。「金婚式」という意味合いでしょう、そのタイトルは「ゴールド」、さらに品番が「500」というのですから、もうすべてがお祝いモードですね。あんまりはしゃぎ過ぎて、メンバーの間柄が冷たくなってしまうことはないのでしょうか(それは「コールド)。
50年の間には何度も何度もメンバーが変わっているこのグループですが、2016年の9月にカウンター・テナーがデイヴィッド・ハーレーからパトリック・ダナキーに替わった時点で、全メンバーが21世紀になってからの加入者となりました。そういう意味で、「長い結婚生活」ではなく、「新しいパートナーとの再出発」的な意味も、このアルバムには込められているのではないでしょうか。
3枚のCDにはそれぞれ「Close Harmony」、「Spiritual」、「Secular」というタイトルが付けられており、このグループのレパートリーの根幹をなす3つのジャンルの曲が演奏されています。「Close Harmony」は、元々は「密集和音」という音楽用語ですが(対義語は「開離和音(Open Harmony」)、ここでは音域が狭いのでそのようなハーモニーを使わざるを得ない無伴奏男声合唱のことを示す言葉として使われています。もっとも、このグループはカウンター・テナーで女声のパートを歌うことができるので、やっていることは「Open Harmony」なのですが。
ここでは、彼らのライブでの定番の、ポップスや民謡などを編曲したものが歌われています。今回新たに編曲されたものもありますが、この中の2曲のビートルズ・ナンバーは、1986年に録音された全曲ビートルズのカバーのアルバムで使われたものと同じ編曲で歌われていました。「And I Love Her」は、その録音時にテナーのメンバーだったボブ・チルコット、「I'll Follow the Sun」は、その前任者のビル・アイヴズの編曲です。30年前に録音されたこの2曲を、まさに「セルフ・カバー」である今回の新録音と比べてみると、その表現には全くブレがないことに驚かされます。彼らの伝統がしっかり演奏上の細かいところまで受け継がれつつ、メンバーチェンジが行われていたことに、改めて気づかされます。
とは言っても、ソロのパートではそれぞれのメンバーの個性の違いはしっかりと分かります。特に、30年前のテノールだったチルコットの悪声は、現メンバーの日系人、ジュリアン・グレゴリーでは完全に払拭されていました。
「Spiritual」では、広い意味での宗教曲が歌われています。その中に、男声合唱の定番、プーランクの「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」がありました。これは、テナー、バリトン1、バリトン2、ベースという4つの声部の曲ですから、彼らの場合はカウンター・テナーのパートを除くと残りの4人だけで完璧に歌える曲ですね。ということは、テナーを歌っているグレゴリーくんの声がはっきり聴こえてくるということになります。6人で歌っている時にはちょっと目立たない声でしたが、ここではとても芯のある声のように聴こえました。歴代のメンバーの中では最高のテナーだと思っているビル・アイヴズには及びませんが、それに次ぐ人材なのではないでしょうか。
3枚目の「Secular」は、文字通り世俗曲ですが、宗教曲以外の合唱曲のレパートリーということでしょう。お得意のマドリガルなどに交じって、1987年に武満徹に委嘱した「Handmade Proverbs(手づくり諺)」が入っていたのには驚きました。同じ年に日本で初演された曲ですが、もしかしたらこれが初録音なのでしょうか。いかにも武満らしいハーモニーが素敵です。
このアルバムを携えてのワールド・ツアーがすでに始まっています。丸1年以上をかけて行う大規模なツアーですが、あいにく日本でのコンサートはないようですね。

CD Artwork © Signum Records


12月5日

SCHUBERT
Symphony No.8
Peter Gülke/
Brandenburger Symphoniker
MDG/901 2053-6(hybrid SACD)


シューベルトの「交響曲第8番」という珍しいタイトルのアルバムです。いや、その曲であれば、「ザ・グレイト」というサブタイトルのついた、シューベルトの最後のハ長調の交響曲のことなのではないかと普通は誰でもが思いますよね。しかし、ことレコード業界においては、「交響曲第8番」はその前に作られた前半の2つの楽章しか完成されていない、いわゆる「未完成交響曲」を指し示すものだと決まっているのですよ。これはもちろん、かつてはそれが「常識」だった時代の名残です。レコード業界が誕生した時点ではまだ「未完成=8番、グレイト=9番」だったのですが、その後の研究によってこの2曲はそれぞれ1つずつ番号が繰り上がってしまいました。それに合わせて、演奏家たちはしっかり呼び名を変えたのに、レコード業界は決してそれに従うことはなく、大昔の呼び名にしがみついていたのです。
そのような大きな力の元では、良心を持った人たちは不本意でもそれに従うしか、道はありません。許されたのは、「第8(9)番」というみっともない表記だけだったのですからね。
ところが、このアルバムはどうでしょう。そこにはしっかり「Symphony No.8 C major(The Great)」という文字が躍っているではありませんか。もしかしたら、こんなタトルが付けられたCDにお目にかかったのは初めての体験だったかも。これは「画期的」と言っても差し支えないほどの出来事です。
同じジャケットで指揮者の名前を見て、そんな「快挙」の訳が分かりました。ここでは、あのペーター・ギュルケが指揮をしていたのですよ。「あの」と言われても何のことかわからないかもしれませんが、このギュルケさんは指揮者というよりも、音楽学者として有名な方でした。つまり、彼は「ベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章に、ダ・カーポを入れた人」として、世界中で有名になったことがあったのです。
そんな、大作曲家の楽譜に手を入れることなんてできるのか、と思われるかもしれませんが、そもそも印刷されている楽譜は作曲家が書いたものとは同じではない場合の方が多いのです。そこで、自筆稿や初演の時に使われたパート譜などを丁寧に調べて、最も作曲家の意図を反映した「原典版(クリティカル・エディション)」が作られるようになりました。ベートーヴェンの交響曲について、最も初期に全曲完成した原典版がかつてのドイツ民主共和国(東ドイツ)のペータース社が刊行した「ペータース版」ですが、その校訂に携わったのが、このギュルケさんたちなのです。ギュルケさんはご自分が担当した交響曲第5番で、先ほどのような、斬新な見解が反映された楽譜を作ったのです。普通は第3楽章はスケルツォ−トリオ−小さなスケルツォという構成で、そのままアタッカで第4楽章につながっているような楽譜であったかと思うのですが、ギュルケさんはそのトリオが終わったところで、もう1度楽章の頭までもどって演奏するように指定していたのです。それ以前にもそういうことをやっていた指揮者はいましたが、それが実際に楽譜として出版されたのはこれが初めてでしたから、大きな話題になりましたね。
ギュルケさんはその後ブライトコプフ社でのシューベルトの原典版の校訂にも携わります。「交響曲第7番」がその成果です(「8番」の方は、ペータース版のベートーヴェンの共同校訂者、ペーター・ハウシルトが校訂したものが出版されています)。
1934年生まれ、83歳になるギュルケさんは、指揮者としてはもはや「巨匠」と呼ばれるような年齢に達しています。しかし、2015年から首席指揮者を務めている1810年に劇場付属の楽団として創設されたという由緒あるオーケストラ、ブランデンブルク交響楽団を指揮している時には、なんとも軽いフットワークを発揮して、余計なものをそぎ落としたすっきりとしたシューベルト像を再現していました。このオーケストラは弦楽器も少なめなようで、管楽器との程よいバランスも聴きものです。

SACD Artwork ©c Musikproduktion Dabringhaus und Grimm


おとといのおやぢに会える、か。



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