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居間にいる猿。.... 渋谷塔一

(02/4/16-02/5/5)


5月5日

DVORAK
Symphony No.6
Ivan Anguélov/
Slovak Symphony Orchestra Bratislava
ARTE NOVA/74321 91054 2
ドヴォルジャークの交響曲というと、大抵の人はまず第9番の「新世界」を思い浮かべることでしょう。知らない人はいないと言っても過言ではない超有名曲ですね。その次に人気なのは第8番。いわゆる「ドボハチ」ですね。竹で出来てる(それはシャクハチ)・・・。全体的にチェコの民族色に溢れた名作で第3楽章の憂いに満ちたテーマや、終楽章・・・(これは色んな意味で興味深い)など聴き所も多い作品で、これを聴いた事ない人にはアーノンクール盤でもオススメしちゃいましょうか。ちなみにこの作品、一時期「イギリス」なんて呼ばれていましたが、この副題は全く意味のないもので、(イギリスの出版社から出版されたためらしい!)いつしか廃れてしまいました。
しかし、この2曲以外の彼の交響曲を知っている人は、私の周囲にもあまりいません。7番なんかも良い曲なのですが、耳にする機会は8、9番に比べずっと少ないのが現状です。
で、前振りが長くなりましたが、今回の第6番。改めて聴くと、とても良い曲ではありませんか。伸び伸びと明るい冒頭の主題は、同じ調性で書かれたブラームスの第2番にも勝るとも劣らない美しさです。郷愁を誘う第2楽章、スラヴ舞曲そのままのノリの第3楽章、これまたブラームスにちょっと似ている終楽章(最後がカッコいい)。私の行きつけのお店でも「掛けると売れるんです」と売り場の人が言ってましたね。確かに聴けば納得です。ドヴォルジャークの作品の特徴ともいえる、何とも形容しがたい懐かしさが聴く人をひきつけるのでしょうか。
さて、指揮のアンゲロフです。いかにも劇場の叩き上げと言った、地味ながらも堅実な音楽作りで定評のある人です。以前からこのARTE NOVAレーベルに「トロヴァトーレ」や「オペラ合唱曲集」などの録音があり、例えばトロヴァトーレは、2、3の歌手がイマイチこなれていないのにさえ目をつぶれば、全体的にはなかなかの名演。値段の手頃さも手伝って、かなりの好セールスを記録したと聞きます。オペラ合唱曲集は、合唱団の熱唱を楽しむ1枚ですし。そうそう、以前リリースされたビゼー・サンサーンス交響曲集もなかなかの好演でしたね。
このドヴォルジャークもなかなかの良い演奏と言えましょう。少しばかり弦の音が乾いているかなとも感じましたが、もしかしたら、この曲には、このくらいの軽くて明るい音色があっているのかも知れません。何と言っても値段が手頃なのが魅力のこのアルバムです。これを機会にドヴォルジャークにハマるのもいいかな。

5月3日

SHOSTAKOVICH
Symphonies
Rudolf Barshai/
WDR Sinfonieorchester
BRILLIANT/6324
最近、輸入CD屋さんで、とんでもない価格(1枚5000円とかという意味ではなく、逆に安すぎる)が付けられているボックス物を見かけることはありませんか?1枚あたりだと200円から300円という、もうタダ同然の値段で売られているものです。実は、以前ここでもご紹介したこともあったのですが、これは「Brilliant」という、オランダに本拠地があるレーベルの製品なのです。あの時取り上げたのはバッハの全集200枚近くのCDに収められた大バッハのすべての作品が、たった4万円で買えてしまうというとんでもないものでした。
なぜ、こんなに安くできるのかというと、基本的にこのレーベルはライセンス契約で、よそのレーベルから権利を買い取っているのですが、そのライセンス先というのが、現在ではほとんど活動していないか、もはや消滅してしまったレーベルだからなのです。例えば、旧東ドイツの「Deutsche Shallplatten」とかイギリスの「Collins」、ベルギーの「Accent(アクサンと読みます。不倫相手ではありません。・・・それはオクサン)」、オランダの「Vanguard」などです。ですから、かつてはそれらのレーベルから正規にリリースされていたものも、破格の値段で売られるようになるのです。かつてVanguardから出ていた時に6000円ぐらいで買った「マタイ受難曲」が、1000円以下で手に入ると分かった時のショックは、忘れられません。
最近倒産した、「Nimbus」というイギリスのなかなか味のあるレーベルも、やはり、Brilliantが権利を買い叩いてしまった結果、アダム・フィッシャーの「ハイドン交響曲全集」などという、マニア垂涎のアイテムが、やはり安価に入手できるようになったのも、ある意味では歓迎すべきことなのかも知れませんが。
最近のヒット作が、この「ショスタコーヴィチ交響曲全集」です。ショスタコの15曲のすべての交響曲が収録されていて、それでいてお値段は2000円台というのですから、普通の人にはとても信じられないことでしょう。もっと信じられないのは、演奏者。指揮がルドルフ・バルシャイ、交響曲第14番の初演者としても知られていますし、ショスタコの弦楽四重奏曲を、弦楽合奏や、フル編成の(管の入った)オーケストラのために編曲して、それが作曲家自身からのお墨付きをもらっているという、ある意味「権威」の指揮者。で、オーケストラはケルン放送交響楽団。今では「WDR交響楽団」が正式名称ですが、かつて、あの宮本文昭が首席オーボエ奏者として在籍していたオケです。この録音も1992年から2000年にかけてのものですから、彼のオーボエソロを聴くことが出来ます。さらに、ちょっとマニアックですが、ここの首席フルート奏者はアンドレア・リーバークネヒトという大変な美人。神戸のコンクールで入賞してから注目しているのですが、おそらく「5番」のソロは彼女のものでしょう。
例の吉田ヒデカヅ先生が新聞紙上で紹介してから、CD屋さんには問い合わせが殺到しているとか。「ほんとに全集なんですか?」とか、「3セット取り置きしてください」とか、ほとんどパニック状態。実は、私のところにも友人から「この指揮者とオケ、信用おける人たちなのかなー?」という問い合わせが。

4月30日

BANTZER
Missa Popularis
Christiane Behn, Jan Jarczyk(Pf)
Leszek Zadlo(Sax)
Paulo Cardoso(Bas)
Stephan Krause(Dr)
Claus Bantzer/
Choir St. Johannis
ARTE NOVA/74321 91197 2
ラテン語で「ミサ・ポピュラリス」というタイトルのこの曲、本当は「大衆のミサ」とでも訳すのでしょうが、この「ポピュラリス」は、もはや死語となった「ポピュラー音楽」のことを指し示す概念ととらえたほうがより的確でしょう。もっと端的に言うならば、サブタイトルの「ジャズ・ミサ」が、この曲のすべてを言い表しています。アフリカ系アメリカ人の音楽である「ジャズ」と、ヨーロッパ文化の礎でもあるキリスト教の音楽の象徴とも言える「ミサ」。この、ほとんど相容れることはないと思われるものを同時に進行させたらどうなるかということを試みたのが、クラウス・バンツァーです。高齢な女性(それはバンツァン・・・東北地方限定おやぢ)、ではなくて、50代の男性であるこの作曲家は、メインのフィールドは合唱音楽のようで、ここでも、自らの合唱団、ハンブルクの聖ヨハネ教会の合唱団を指揮しています。
この「ジャズ・ミサ」が初演されたのは1980年、今から20年以上昔のことです。北ドイツ放送協会(NDR)のジャズ・ワークショップで、この異文化の出会いとも言うべき曲を初めて聴いた人の驚きは、想像に難くありません。しかし、この21世紀においては、異なるカテゴリーの融合などというものはもはやルーティンワークと化しており、それ自体ではなんの価値もないものになってしまっています。従って、この曲が2001年の6月に演奏された時には、まさに作品としての音楽性そのものが問われることになったのです。
パーソネルを見ていただければ分かるとおり、この曲には2人のピアニストが参加しています。片方は「ピアノ」とだけですが、もう片方は「ピアノ・インプロヴィゼーション」とクレジットされていることから、自ずとその役割が明らかになるでしょう。つまり、バンツァーがきちんと譜面に書いたものを演奏するピアニストと、4ピースのジャズコンボのメンバーとしてのピアニストがそれぞれ用意されているということになります。これは、この曲の構成を語る時に重要になってくるのですが、ここではいつぞやのフルーティストのように、クラシックの演奏家がアドリブを行うというようなことは決してなく、クラシックとジャズは完全に役割が分かれているのです。
合唱団+ピアノという「クラシック組」は、ちょっとミニマルっぽいテイストを持った伴奏に乗った、少し軽めの、しかし、基本的には日常的に教会で演奏しても何の違和感もないような音楽を奏でます。イギリスのジョン・ラッターあたりに通じるものも感じられるでしょうか。一方の「ジャズ組」は、その合唱とアンサンブルをしている部分はあっても、メインはアドリブの世界、ドラムスやサックスのソロが始まれば、そこに広がるのはキリスト教の典礼とは全く無縁の音楽です。従って、私あたりには、「クラシック組」だけでも充分美しいこの曲に、ジャズプレーヤーが参加している意味がどうしても見出せないまま聴き終わってしまったというのが正直な気持ち。

4月28日

OPERISTI AL PIANO
Marco Sollini(Pf)
BONGIOVANNI/GB5118-2
19世紀の始めの頃、そうフランスでもイタリアでもオペラが盛んだった時代。人々は毎夜、着飾って劇場に通いました。オペラの中で歌われる美しいアリアは、すぐさま大流行。街行く人誰もが口ずさんでいたのではないでしょうか。
そんな流行を見逃さなかったのが、このアルバムにも登場しているリストでしょう。彼の作品リストにはかなりの数のオペラからの編曲があります。特に有名な「リゴレット・パラフレーズ」に始まり、ヴェルディ、ベッリーニ、ワーグナーに至るまで、リスト特有の装飾を施されたメロディに改作された当時の有名なアリアの数々を、人々は喝采を持って迎えたであろうことは想像に難くありません。
さて、このアルバムはもう少し範囲を広げて楽しみましょう、というコンセプトによって選曲されています。それもそのはず、ここでピアノを演奏しているマルコ・ソッリーニは、以前にも全く知る人もいない、レオンカヴァッロのピアノ曲をなんとCD2枚分も演奏した人。この時代のオペラ作曲家の書いたピアノ曲に光をあてることに執心しているのでしょうか。
最初におかれたヴェルディの愛らしい小品2つ(どちらも1分半ほど)。これは、あの悲劇を好んだヴェルディとはまた違った表情を持つとてもオシャレで小粋な音楽です。このワルツのオーケストラヴァージョンはあのヴィスコンティの映画「山猫」(音楽ニーノ・ロータ、1963年)でも使われていましたがここでは、やっとそのオリジナルで聴けるというわけです。次のパルジアーニ。今でこそ音楽史から忘れ去られた音楽家ですが、当時はもてはやされたのでしょう。しかしここに収録されている「セミラーミデのテーマによる変奏曲」を聴く限り、テーマの使い方も展開の仕方も凡庸です。やはりタールベルクやリストの域にまでは達していませんね。これは本人のピアノの技術にも関係するのでしょうけど。そのタルベルクの「モーゼによる幻想曲」は確かに聴き応えあります。ロッシーニの軽やかな音楽に一味違う味をつけて、壮大な音楽に仕立てているところなどまったくリストにひけをとらない作曲家といえましょう。ただ、リストほどに多作でもなく、また人間的にバランスが取れていたのが災いしてか、現在ほとんど忘れられているのは不運としかいいようがありませんね。ベッリーニのピアノ曲も、全て3分程度の断章のような作品ですが、どれも彼らしい叙情的な歌に満ちています。このままソプラノ歌手が歌っても充分になりたつでしょう。リストの作品は言うに及ばず。トランスプリクション好きにはたまらない1枚です。

4月25日

大栗裕
大阪俗謡による幻想曲他
高木和弘(Vn)
下野竜也/
大阪フィルハーモニー交響楽団

NAXOS/8.555321J
現在、NAXOSレーベルで、「日本作曲家選輯」というシリーズが進行しています。「選集」ではなくて「選輯」と表記するあたりが、アナクロっぽくて素敵ですし、ジャケ写で分かるように毛筆のフォントまで使っていますから、外人さんが見たらさぞや異国情緒をそそられることでしょう。そう、これは、外国のレーベルが日本人作曲家によるオーケストラ曲を体系的にリリースするという、画期的な企画なのです。完成の暁には、日本人による代表的なオーケストラ作品はほとんど網羅されるいう、ものすごい全集になるはずです。
このような仕事は、本来は日本のメーカーがやらなければいけなかったものなのでしょう。しかし、今の国内メーカーさんにそれを望むのは、ヨドバシカメラで絆創膏を買い求めようとするようなもの。いや、ヨドバシでさえ、きょうび絆創膏ぐらいは売ってますよ。バイオとか(それはパソコン・・・いいのかっ、そんなベタなオチで)。
それはともかく、かつてはこのようなある種の文化事業に意欲を燃やしていたこともあったレコードメーカーも、昨今の厳しい状況を乗り切るためには手っ取り早く売上げにつながるものに目を向けざるを得ないわけです。その結果市場にあふれたものはヒーリングとコンピレーション、もはや、この国のメーカーは文化の担い手としての自己の役割を完璧に否定しているかに見えます。しかし、そんな姿勢は誰も歓迎してはいないということは、このNAXOSのシリーズが発売されるやいなや、驚異的なセールスを記録したことからも分かります。もちろん、「ニューイヤー・コンサート2002」には及ぶべくもありませんが、価格の安さ(スペシャル・プライス、790円)とも相まって、この手のものでは従来は考えられなかったような売れ方が現実に起ってしまったのです。
今回は、第3回目のリリースとなる、大栗裕の作品集です。ここで注目したいのは、指揮をしている下野竜也。ご存知のとおり、昨年のブザンソン国際指揮者コンクールで見事優勝を果たした、期待の新人です。アマチュアのオーケストラも数多く指揮されていて、なんと、このサイトのマスターのオケとも共演されたとか。コンクールの時にマスターがお祝いのメールを送ったら、ちゃんと返事も下さったという、気さくな方、このCDが、公式のものとしてはデビュー作となりますが、これからはどんどんビッグになっていかれることでしょう。大阪フィルの指揮研究生として、朝比奈翁の薫陶を受けた下野が、その朝比奈の十八番であった大阪の作曲家(というか、元はホルン吹き)大栗裕の作品を、ある意味、少し距離をおいてのめりこまずに演奏している姿からは、しかし、この作曲家の魅力と同時に、欠点までも白日の下にさらけ出す冷徹さを感じないわけには行きません。

4月24日

DONIZETTI
Lucia di Lammermoor
Caballe(Sop),Carreras(Ten),Ramy(Bar)
Jesus López-Cobos/
The New Philharmonia Orchestra
DECCA/470 421-2
行き付けのCD屋さんに出向いたところ、また新しいオペラの再発物がたくさん並んでいて、ついつい全部買ってしまいましたよ。何しろデジパックの美しい装丁で値段も安いのです(2枚組で1800円ほど、3枚組でも2700円ほど。配達もしてくれますし・・・それはゆうパック)。その上、エンハンスド仕様になっていて、英、独、仏の3カ国語のリブレットがPDFで収録されています。もちろん、「アクロバット5」も自動的にインストールされるという優れもの。
このシリーズから1枚ご紹介しましょう。カバリエの歌う「ルチア(1976年録音)」です。カレーラスのエドガルド、レイミーのライモンドなどキャストも豪華な1枚ですね。私は普段はイタリア・オペラなどあまり聴かないのですが、ルチアは好きで結構持ってます。もちろん、このカバリエ盤も以前に聴いたことがありますが、どうしても好きになれず、今まで手元になかったのです。そのわけは・・・・。
さてさて、この演奏は原典版を使用したものです。オペラではよくある例ですが、最初演奏効果を狙うあまり難しく書きすぎてしまって歌える人がいなくなり、しぶしぶ難易度を下げる・・・・。この「ルチア」もそんな感じだったようですね。有名な「狂乱の場」。こちらも現行版ではEs-Durですが、原典版ではF-Durと2度高くなってます。当然、要求される高音も並大抵なものではありません。曲の中ほどに置かれたカデンツァの部分に至っては、想像を越えた技術がないと歌いこなせないでしょう。
あの時も「カバリエほどの大歌手であれば、当然うまいに違いない。」と、目くるめく声の饗宴を期待して聴きました。問題の部分に来たときです。「おや?」一瞬耳を疑いましたよ。そうです。彼女は見せ場・・・・そう、オブリガードのフルートとの丁々発止の掛け合いの部分を全部省略していました。もちろん高音も全て回避、全くの安全運転で、ちっとも面白くないのです。(例のスカラ座の「トロヴァトーレ」でリチートラがハイCを歌わずブーイングの嵐を巻き起こしたようなものでしょう)はっきり言ってがっかりでした。多分彼女ほどの大歌手になると自分の限界は知り尽くしているのでしょう。ですから危ない橋は渡らないのかも知れませんが、一番手に汗を握るはずの、そのカデンツァの部分を全部省略するなんて・・・。そんなわけで、当時は購入を見送ったわけです。
今回入手して聴いてみると、思った以上にロペス=コボスの指揮も溌剌としているし、カレーラスも良かったし、他にも新しい発見もありましたので許すとしましょう。まあ、聴く方に寛容の精神が身についたという証しなのでしょうか。安いし。

4月22日

DVORAK
Slavonic Dances
Nikolaus Harnoncourt/
Chamber Orchestra of Europe
TELDEC/8573-81038-2
(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCS-11225(国内盤)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と共演した交響曲が各方面で話題を呼んで、ドヴォルジャークに関しても目が離せない存在になったかに見える、あのアーノンクール、今回は「スラブ舞曲」集を録音してくれました。
私達がアーノンクールの演奏に期待するのは、「新鮮な意外性」でしょうか。過去の慣習にとらわれることなく、自らの審美眼のみに頼って作品にアプローチするという潔い姿勢は、ありがちな軟弱な解釈にあふれた凡庸な演奏には見られない新鮮な魅力となって、私達を虜にするのです。
有名な、作品46の3を聴いてみましょう。「ポルカ」と題された、いかにも「ボヘミアの広々としたのどかな草原」というようなテーマからは、私たちは今までに何か郷愁をそそられるような安心感を感じ取ってきたはずです。しかし、このアーノンクールの演奏にそんな穏やかなものを求めていた自分の愚かさに気付くには、ほんの10秒もあれば充分です。彼がドヴォルジャークのスコアから読み取ったものは、もう少しひねくれた、言ってみれば病んだ情感でした(そんなのヤンダ〜)。ある種ノーテンキなこのメロディーから、これほど重苦しい持ち味を引き出した指揮者が過去にいたでしょうか。
そんなアーノンクールの手にかかれば、作品72の2のような、ほとんど演歌の一歩手前のような曲でも、むせび泣くような思いのたけを訴えるものになるはずはありません。フレーズごとにたっぷりと歌いこんでいるように見えながら、その実表面にあらわれるのは一歩下がったところから眺めているクールな視線という、とことん屈折した表現が、そこにはあります。
アーノンクールのリズム感覚にも、時折驚かされることがあります。作品46の1(フリアント)などは、スラブ音楽に見られるヘミオレの見本と言ってもよい曲ですが(註:ヘミオレとは、小さな3拍子二つを、大きな3拍子一つに感じるリズムのこと)、ここではそんなめんどくさいことなど一切考えていないかのように、ひたすら大きな3拍子のビートに専念する姿があります。これだけはっきり断定させられてしまうと、なんの抵抗も出来ないほどの強い信念を、そこから感じることができるでしょう。かと思うと、同じフリアントでも作品46の8では、このヘミオラがかもし出すリズムの「ズレ」を、さっきのベタで白痴的なリズム感の持ち主とは思えないほどとことん強調して、私達に衝撃的な体験を与えてくれるのです。
例えば作品72の8のように、単独で演奏されることはほとんどないマイナーな曲では、先入観がない分、アーノンクールの音楽に抵抗なく浸ることが出来ます。この、ワルツをベースにした愛らしい曲を、ふんだんにアゴーギクを用いて優雅に演奏している様は、感動的ですらあります。

4月19日

Koji Oikawa plays LISZT
及川浩治(Pf)
DENON/COCQ-83589
マスターのご当地、仙台出身の人気ピアニスト、及川浩治の最新アルバムです。最近の彼の人気には驚異的なものがあり、その端正なマスクと相まってコンサートの集客力は抜群のものを誇っています。今年の演奏予定を見てみても、リサイタル、オーケストラとの共演、さらには、あの五嶋みどりの主宰する「みどり教育財団」のコンサートも各地で目白押しという、超過密スケジュールには驚かされます。
彼が今までリリースしてきたCDには、初期のBMG時代のショパンとラフマニノフ、そして、現在所属しているDENONからのベートーヴェン(このレーベルからは、「J−クラシックス」のお約束として、エンニオ・モリコーネやニーノ・ロータの作品集も出していますが)、さらに、最近のショパン・ツアーの中で録音されたショパン集(朝日放送)など、数多くのものがあります。
今回のCDはリストの名曲を集めたものになりました。発売にあたってレコード会社が用意したキャッチコピーが「激情のリスト」というもの。しかし、彼の弾くリストには、そんな陳腐な言葉では言い切ることができないほどの多彩さが含まれています。それは、アルバム冒頭の「メフィスト・ワルツ」を聴けば誰しも納得するに違いありません。さまざまな場面を持つ一編の物語とでもいうべきこの愛すべき曲に、彼はその卓越したテクニックと、磨きぬかれた音色で実にいきいきとした表情を与えているのです。その演奏からは、まるで彼の、「この曲にはこんなに楽しくて素敵なものがいっぱい詰まっているんだよ。僕が、僕のピアノで、それを教えてあげるね。」とでも言いたそうな悪戯っぽい素顔までが浮かんでくるではありませんか。だから、彼の手にかかると、有名な「ラ・カンパネッラ」ですら、ちょっと前に大流行だった某自称女性ピアニストの演奏に見られるようなアクの強さとは無縁の、爽やかで見晴らしのよい曲へと変貌するのです。さすがにアルバムの最後に置かれた3曲の「超絶技巧練習曲」は、激しい汗と息遣いまでもが伝わってくるほどの、まさにコピー通りの「激情」あふれる演奏になっていますが、それは決して彼が感情の赴くまま弾いているのではなく、その曲を最も効果的に聴いてもらうための「見せ場」をきちんと演出した結果なのです(だから「劇場」って)。
アルバムを聴き終わってみれば、彼のクリスタルのような煌くアルペジオで、心の最も敏感な部分をもてあそばれてトロトロになっている自分を発見できることでしょう。演奏全体から伝わってくるフェロモンにすっかり酔いしれて、気がついたときはあなたも及川ファンの一人になっているのです。

4月18日

WAGNER PORTRAIT
Albert Dohmen(Bar)
ARTE NOVA/74321 90063 2
今回は、ほぼ1年待ちに待ってたアルバムです。以前も発売が予定されていたにもかかわらず(CD番号まで決定してたのですよ)、実際リリースされたのは他の歌手のアリア集。「なんで違う人なのですか?」と思わずメーカーに電話をかけてしまった・・・・そのくらい待ちに待ってた、と言えば私の熱意も伝わるでしょうか。それは私の敬愛するバリトン歌手、アルベルト・ドーメンのアリア集なのです。願いがかなうまでは面倒なことが多いようで。
彼は、確かに日本での知名度は高くありません。一昨年の秋のアバド&ベルリン・フィルの「トリスタン」の来日公演の際も、主役の2人と演出のコンヴィチュニーばかりが注目を集めましたね。渋いクルヴェナールを歌った彼は、ほんの申し訳程度に新聞の批評欄に名前が載った程度で、聴きに行けなかった私としては、「ドーメンはどーだったの?」と気になるばかりでした。昨年の夏には、チョン・ミョンフンの指揮で「魔弾の射手」に出演。それこそコンヴィチュニーの演出の公演のDVDは見ている私、聞きに行きたかったけど、スケジュールがあわなくて泣く泣く我慢したのです。
しかし、そんな私の寂しさを埋めるかのように、あのシノポリの追悼アルバム、R・シュトラウスのオペラ2タイトルがリリースされたのはほんとに嬉しかったものです。「平和の日」での総督、アリアドネの「音楽教師」。これらはドーメンの真価を世に知らしめる画期的なアルバムでもありました。彼の声をたっぷり聴きたい・・・・こう思う人も多くなったことでしょう。満を持して登場したのが、今回のワーグナー・オペラアリア集というわけです。
彼の素晴らしい声は最初の「パルジファル」から遺憾なく発揮されています。ここでは、アンフォルタス王とグルネマンツの両方の役を歌っているのですが、そのどちらも違和感なく歌いこなす彼の度量の広さには感服しますね。バックを固めるのは、レック指揮、マッシーモ・パレルモ管弦楽団。これは去年の暮れ、あるお店で爆発的ヒットとなった、ベルクの「ルル」のオケと言えばご存知の方もいらっしゃるのでは。極めて精度の高いアンサンブルに加え、柔軟な音作りが魅力で、もちろん指揮者のレックも大絶賛を浴びたものです。まあワーグナーには、少々音が軽いかもしれませんが、なかなかの聞き応え。充分満足の行く仕上がりです。圧巻は何と言っても「ヴァルキューレ」のヴォータンの別れの音楽でしょう。このところ、他の仕事の関係もあり、この場面は10種類近く聴き比べましたが、ドーメンの歌は最高の部類に入ります。神としての品格、父親としての悲しみ、そして愛情、これらが混然一体となり、聴くものの心を打つ歌です。この曲だけオケが違い、少々未熟ではありますが、だからこその若々しい音のうねりはワーグナーの心意気を伝えるのに最適です。

4月16日

Après un rêve
Emmanuel Pahud(Fl)
Jacky Terrasson(Pf)
Ali Jackson(Dr)
Sean Smith(Cb)
東芝EMI/TOCE-55396(国内盤先行5月9日発売予定)
CDを出せば、必ず大きなセールスが期待できるフルーティストという、かつてのジェームズ・ゴールウェイが持っていた地位は、ベルリン・フィルの首席奏者のポストと同様、今ではエマニュエル・パユのものになっています。パユの人気が、マシュー・ブロデリック(ハリウッド版ゴジラに出演)似のルックスのみにあったのではないことは、一度退団したそのベルリン・フィルに再度入団したことでも分かるでしょう。パユに見放されたこの世界屈指のオーケストラは、その後釜を選ぶために何度もオーディションを行いましたが(応募者には、ボストン交響楽団の首席奏者ジャック・ゾーンなども含まれていました)、結局パユをしのぐフルーティストを見つけることは出来なかったのですから。
そんなパユが今までEMIから発表してきたアルバムは、まさに正統的なフルーティストのレパートリーと言うべきものでした。しかし、注意深い聴き手であるならば、そのようなスタンダード・ナンバーの中で彼にしかなしえないような高度のアプローチを試みてきたことに気付いていたに違いありません。例えば、モーツァルトの四重奏曲に見られたいとも淡白な表現や、バッハ作品集でのトラヴェルソを思わせるような独特の奏法など、パユはその曲にもっともふさわしい音色と奏法を慎重に選択していたのでした。
今回、同じEMIグループのジャズ・レーベル「BLUE NOTE」の看板アーティストであるジャッキー・テラソン(CMも作ってるんですってね・・・それは「コマソン」)とのコラボレーションから生まれた「ジャズ・アルバム」でも、彼は今までと同様のスタンスで「ジャズ」に最もふさわしい表現法を選んでいます。このアルバムのオリジナルタイトルは「Into The Blue」、ジャズの根本的なキーワードを「ブルー」ととらえたパユは、クラシックではほとんど使うことのない極めて虚ろな音を多用することで、ジャズの真髄に迫ろうとしたのです(これだけ「抜いた」音をコントロールするのは、パユのような「真の名人」にしかなしえないこと)。アルバムの邦題にもなっている「夢のあとに」を聴けば、この試みが最高の結果を伴って成就したことが分かるでしょう。テラソン・トリオのけだるいリズムに乗ったアンニュイなフルートからは、フォーレのエスプリとは全く無縁の、あたかもハーレムの酒場のような雰囲気が漂って来たのですから。
パユが、ジャズマンには不可欠な「インプロヴィゼーション」さえもきちんとマスターしているのにも驚かされます。シューマンの「見知らぬ国から(子供の情景)」で見られるテラソンとのソロバトルの応酬には、正直度肝を抜かれてしまいました。次々に繰り出されるアイディア豊かなフレーズを聴けば、だれしも「クラシックをやらせておくにはもったいない」と思ってしまうのではないでしょうか。
そうは言ったものの、7拍子にアレンジされた「ボレロ」でのバッキングなどに見られるリズム感の悪さ(テラソンのフェンダー・ローズはいとも軽快だというのに)は致命的。このアルバムで全く新しい魅力を開花させたつもりでいるパユ、これからいったいどこへ向かってゆくのか、他人事ながら気になるところです。

おとといのおやぢに会える、か。


(since 03/4/25)

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