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カーマ・スートラはかく語りき....渋谷塔一

(01/1/1-01/1/14)


1月14日

MUSSORGSKY
Bilder einer Ausstellung
Peter Ustinov(Nar)
Karl Anton Rickenbacher/
Radio-Sinfonieorchester Krakau
RCA/74321 80400 2
いつも書いてますが、私はバッハも好きですが、R・シュトラウスも大好きです。で、シュトラウスマニアなら避けて通れないのが、KOCHレーベルから発売されている「知られざるR・シュトラウス」のシリーズですね。
ピアノ曲あり、室内楽曲あり、と、なかなか聴く機会のない作品を演奏してくれるので、いつも本当にうれしい企画です。ただしマニア以外の人は見向きもしませんので、「おやぢ」でとりあげるのは、自重しております。(そうですよねっ、マスター。)いつぞやは、アルバムタイトルが「ワルツ王シュトラウス」。いやぁ、これには大笑い。(某アリアドネとは違って、こちらは確信犯ですからね。もちろん「ばらの騎士のワルツ」などですよ。)
実は、そんなマニアである私でも、シリーズ中、手の出せなかったアイテムがありました。それは「町人貴族Op.60」です。ご存知のように、このオペラは「ナクソス島のアリアドネ」の元の形なわけですが、これはそのアリアドネでも、ケント・ナガノの使った初稿版でもありません。なんと、俳優のピーター・ユスティノフによる版なのです。曲を入れ替えたりしているかなり自由な版で、なによりユスティノフの語りがメインになっています。もちろん分り易い発音、かつニュアンスもたっぷりなのでそれなりに楽しめるのですが、やはり、英語が出来ないと理解不能。これは、かのP.D.Q.Bachが日本でイマイチ人気がないのと似たような状況ですね。
前置きが長くなりましたが、今回は、このシリーズの殆どを指揮しているリッケンバッヒャーの演奏で「展覧会の絵」です。しかも、ユスティノフの語り(ドイツ語です)まで入っているというもの。音楽の方は、いつものラヴェル版などではなく、1955年のゴルチャコウ版を使用。なかなか斬新な音でして、これだけでも面白いはず。各々の曲の説明は省きますが、原曲はご存知のとおりピアノ独奏曲ですね。肉付けをする人の違いによって、こんなにも出来上がりが違うとは・・・。
「卵の殻をつけたひな」なんて、わざと重苦しくしているのか?と判断に苦しんでしまいました。中間部はまるで酔っ払っているみたいですし。次の曲「ザムエル・ゴルデンベルクとシュムイル」もかなり変。いやいや、面白い。
で、ユスティノフの語りは「年を取ると、絵を見るのが楽しみですなぁ」なんてしゃべっているみたいですし、最初から通して聴くとドイツ語のヒアリングの練習にもなりますよ(間違ってもヒーリングには使わないように。)。「語りはいらないぜ」とおっしゃる方は、プログラミングして、全部語りをすっとばす!という手もあります。
とにかく、とっても興味深い一枚であることはまちがいありません。そのうえ、こういうキワモノはすぐに店頭から姿を消しますので、見かけたらお早めに。

1月12日

BRUNEAU
Requiem
Jacques Mercier/
Orchestre National d'Ile de France
RCA/74321 75087 2
ジャック・メルシエという指揮者は、珍しい曲を録音するのが好きな人です。レアものが好きな人は「メルシー」と言いたくなるほどで、このコーナーでも以前ご紹介したサン・サーンスのレクイエム「ノアの洪水」など、現在では彼以外の演奏のものを入手するのは困難です。実は、以前書いたように、これらのアイテムだってもともとは他のレーベルで入手困難だったものを、メジャーレーベルが権利を買い取ったために、広く流通するようになったもの。
で、今回も、アルフレッド・ブリュノーのレクイエムという、やはりマイナーレーベルで一度リリースされて、それ以来入手困難だったものの再発売です。はたして、サン・サーンスのような掘り出し物なのか、期待はいやがうえにも高まります。
オリジナルは見たことがありませんが、今回はジャケットからしてそそられるではありませんか。クリムトの「Tod und Leben(死と生)」の「死」の半分。カップリングの「ラザレ」という曲も、やはりテーマは「死」ですから、これほどふさわしいジャケットもないのでは。
さあ、では、聴いてみましょう。曲は、通常のレクイエムのテキストを元に、9つの部分からなっています。第1曲目の「レクイエム&キリエ」では、冒頭から思わせぶりなテーマがオーケストラだけで始まります。合唱が入ってきて同じテーマを歌うのですが、どうも音程が定まりません。次に、ソリストが対位法的なパッセージを歌い始めると、あまりの変化の大きさに一瞬ついていけなくなってしまいます。最後の部分に出てくる合唱のフレーズなどは、とても楽しいメロディーで思わず微笑まずにいられません。
2曲目の「ディエス・イレ」は、うって変わってスペクタクルな展開。オケによる派手なトゥッティのあとでアカペラの合唱が出てきたり、児童合唱が例のグレゴリオ聖歌の「ディエス・イレ」を歌ったりと、見せ場が各所に設けられて、飽きることがありません。
しかし、面白かったのはここまで。それに続く7つの部分は、はっきり言って退屈なだけのものです。「サンクトゥス」で、マーラーの「巨人」のパクリが出てきてびっくりさせられますが、あとは陳腐なメロディーとその場しのぎのアイディアの羅列、がっかりです。
良い印象が得られなかったのは、演奏者にも大きな責任があります。サン・サーンスの時もそうでしたが、このメルシエという人は、珍しいものを演奏することには興味がありますが、良い演奏をしようということには何の興味もないのでしょう。そうでなければ、これほど歌手の暴走を許したり、何のパッションも持たない児童合唱をそのままにしたりはしないでしょうに。

1月10日

Andreas Schmidt
 Singt Schumann
Rudolf Jansen(Pf)
HÄNSSLER/CD98.159
シューマンの「詩人の恋」です。そういえば昨年、知り合いに薦められてユリ・ケイン・アンサンブルのこの曲を聴きましたっけ。あれはあれで楽しかったのですが、やはり別物。前任者ではありませんが、確かに「ユリ・ケインを楽しむ」ためのアルバムでしたね。今回は、きわめてまっとうなアンドレアス・シュミットの演奏で聴いてみました。
もし「シューマンの代表作を1曲挙げろ」と言われたら、私は迷わず「詩人の恋」を選ぶでしょう。このハイネの詩による連作歌曲は、クララと結婚した年に書かれているにもかかわらず何ともやるせなく憂鬱な趣きを持ってます。ミルテの花はあんなに喜びに満ちているというのに。なかでも、この「美しい5月に」のためらいがちな美しさはどうでしょう。ピアノの簡素な分散和音に乗って、短いメロディを2度繰り返すだけの単純な曲なのに、音楽的には限りなく深い物があります。最後も解決されることなく終わってしまうのがいかにもシューマンらしい書法ですし。
過去にも様々な名演奏のあるこの曲です。とりあえずフィッシャー・ディースカウを持っていれば用は足りるかも知れませんが、あまりにも優等生的演奏ですね。このシュミットの演奏も、どちらかと言うと生真面目なもので、ちょっとディースカウと似たところもあるかもしれません。しかし、時折見せる、ぞっとするような暗さがたまらなく良いのです。例えば13曲目の「私は夢の中で泣いた」でのモノローグ。これはほんとに悲しい思いが伝わります。ピアノ伴奏も素晴らしく、各々の曲ごとに微妙に音色を変えて、奥深い世界を表現するのに一役買ってます。
同時収録は、リーダークライスOp24ですね。リーダークライスと言うとアイヒェンドルフの詩によるOp39が有名ですが、こちらはハイネの詩に作曲されていて、やはりなかなか良い曲がそろってます。シュミットの歌は、「詩人の恋」では隅っこにいるみたいにかなり抑制されていたのですが、こちらは一転して感情を込めた熱いものです。もともと何でも歌える人なので、驚くこともないのですが、やはり「えっ?これがシュミット?」と思ったこともしばしば。こんなに伸び伸びと歌えるのですね。実は以前R・シュトラウスの歌曲全集でちょっとがっかりした経験があったのですが、(みんな歌い方が同じに聴こえたのですよ)今回のこのリーダークライスで、見直してしまいました。
何はともあれ、およそ1年ぶりに「詩人の恋」を聴いて、少し若返った気がするおやぢでした。

1月8日

MOZART
Gran Partita K361
Marcel Moyse/
Marlboro Alumni Ensemble
BOSTON RECORDS/BR1038CD
私のように、ほとんど毎日のように新譜の紹介をするためにたくさんのCD聴いていても、何度も聴き返したくなるようなものにはなかなか巡り会えません。時間もありませんから、他のことをしながら聴いたりすることも。しかし、このCDには、第1楽章の最初の音がたっぷりした響きで鳴り渡った瞬間から、集中して聴かなければならないと思わせられる何かがありました。
指揮をしているのはマルセル・モイーズ。「フルートの神様」とまで言われているフルート奏者であり、晩年には多くの弟子を育てたことでも知られています。現在活躍しているフルーティストでモイーズの影響を受けていない人はいないとまで言われているぐらいです。1951年に、ルドルフ・ゼルキン、フリッツ・ブッシュらと創設した「マールボロ音楽祭」は、いまではリチャード・グードと内田光子に引き継がれて、今年は50年祭を迎えることになります。余談ですが、マールボロというのはボストン近郊のタングルウッドの北部にある場所で、同名の煙草のブランドとはなんの関係もありません。
で、演奏しているのがマールボロ・アラムナイ・アンサンブル。その名のとおり、マールボロ音楽祭で学んだ、いわば「卒業生」の集まり。かつてモイーズに教えを受けた管楽器奏者たちが、メジャーオーケストラのポストを得たのち、モイーズの指揮のもとに「グラン・パルティータ」を録音するために集まったもので、危なげない技術の持ち主ばかりです。録音されたのは1980年、モイーズはもはや90歳になっていましたが、彼の教えを骨の髄までしみこませたプレーヤーたちは、モイーズの意図を余すところなく音にしていたのでした。
素晴らしいのは、全ての音に「命」が宿っていること。ある音符がそこにある必然性、次の音符に移る為の必然性が手にとるように納得出来るものですから、結果として極めて居心地の良い音楽になっているのです。例えば、第5楽章ロマンツェの冒頭、4小節のフレーズの前半2小節で、pからクレッシェンドしてfまでもっていく部分が、全員で呼吸を合わせているのがとてもよく分かります。
もちろん、個人技の冴えも。第2楽章メヌエットの第2トリオでのオーボエの歌い方も見事としか言いようがありません。
トリルがついた付点八分音符をほとんど複付点音符のようにしたために、十六部音符が思い切り短くなって次の四部音符につながっているのですが、この十六部音符に入る時にガラリと音色が変わるので、とてもセクシー。
20年の時を経て陽の目を見たこの宝物のようなCD、末永く私の愛聴盤となることでしょう。

1月6日

PROKOFIEV
Love for Three Oranges
Valery Gergiev/
Kirov Opera & Orchestra
PHILIPS/462 913-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCP-1028/9(国内盤 3月25日発売予定)
昨年のレコードアカデミー賞大賞を受賞したのは、ゲルギエフの「ボリス・ゴドノフ」でした。これは大方の予想をはるかに超えたもの。なにしろ下馬評では、ヴァントのブルックナーとか、ツィマーマンのショパンの協奏曲。私は密かにアレ(秘密)がいいな。なんて思ってたのですがね。
別に何に決まっても、大して生活に影響のあるものではないのですが、大晦日にテレビでも放送される某レコード大賞は(何の関係があるんじゃい)その年の売上も反映されることを考えると、こちらのアカデミー賞はまったく採算を度外視したものであるといえましょう。
なにしろ、これは極秘情報ですが、ある大型店の昨年1年間のこのCDの売上枚数は国内盤がやっと2桁いったところ。それほどまでにマニア受けするアイテムだということです。
さて前置きが長くなりました。今回の1枚はゲルギエフの新録音。曲はプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」です。例によってあらすじを。自宅でお誕生会を開くので、「おれんちへ来い」とみんなを招待するというお話です。とっ、うそですからねっ。
それはさておき、この曲は組曲だけあればいいや。なんて思ってる人。是非この機会に全曲にトライしてみてください。もともとは児童劇だけあって、魔法使いは出てくるは、オレンジから姫はでてくるはと、かなり話はむちゃくちゃなのですがさすがプロコフィエフ、程よく風刺を利かせた楽しい台本と音楽に仕上がっています。
出演している歌手は、キーロフではおなじみの人たちばかり(他のオペラではあまりお目にかかることはありません。)ですが、今回はボロディナとかゴルチャコーワとかいった大物は見受けられません。とは言うものの、この完成度の高さはどうでしょう。クラリッサ役のラリーナ・ディアドゥコワが、ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートに起用されたのも納得です。もちろん、ゲルギエフの目の覚めるようなオケ捌きはもちろんのこと、歌手のレヴェルの高さは相当な物です。皆、余裕を持って楽しんで演じているな。と感じました。
例えば、決して笑わぬ王子が、魔女が転んだのを見て大笑いする場面。ここでのアキモフ(この人は先のボリス・ゴドノフでは愚者の役を好演。こういう役がめちゃ上手い人です)の演技の巧みなこと。思わずつられて吹き出してしまいました。全編、オーケストラも抜群の出来映え。メリハリのある、かつ説得力のある素晴らしい音の洪水です。
何を信じていいのかわからない程、冗談で一杯のプロコフィエフの音楽。それに惑わされる事なく、ひたすら楽しく演奏してくれるものですから、2枚あっという間に聞き終えてしまいましたよ。

1月5日

ROSSINI
Messa di Gloria
Wilhelm Keitel/
Europian Festival O
ARTE NOVA/74321 77711 2
このところのおやぢは必要に迫られて(何が?)宗教音楽ばかり聴いてます。
先日のバッハのロ短調、シャイーのヴェルデイ、あとチョン・ミョンフンのヴェルディの新譜やメルシエのブリュノーのレクイエムなどなど。使われている言葉は殆ど同じなのに、ここまで出来上がる作品が違うというのを再発見して一人にやにやする私です。
今日の1枚はロッシーニの「ミサ・ディ・グローリア」です。使われている典礼文は当然の事ながら、バッハだろうが(第1部ね。)ヴェルディの荘厳ミサだろうがこのロッシーニであろうが、皆同じ物。それだけに作曲家の力量がストレートに反映されるといっても過言ではないでしょう。
このロッシーニの曲。1820年頃の作曲。オペラ・セリアの名曲を次々と量産してた頃の作品です(この頃、彼は童謡も作っていました。「りょ〜うさん、りょ〜うさん…」)。しかし、これは彼にとっては初めての宗教曲で、後のスターバト・マーテルやミサ・ソレムニスのような完成度はありません。楽譜も散逸してたらしく、この曲の他の録音も見当たりません。(ただし世界初録音ではありません。)正直なところ先日のヴェルディの若書きながらも溌剌とした曲に比べると、どうしても手抜きの感が否めませんね。
いつもなら、どんなCDでもとりあえず良いところを探すのをモットーにしている私。曲がイマイチならば演奏で・・・、と思ったのですが、これがまたちょっと。ソロも力むばかりで自然な音楽の流れに逆らっているようですし、合唱のレヴェルも?って感じ。
指揮のヴィルヘルム・キーテル。プトバス音楽祭でロッシーニのオペラを次々と指揮している、いわば「ロッシーニの権威」なのですが、やはりオペラと宗教曲は根本的に違うのでしょうか。先日の某日本人指揮者ではないですが、このような曲を演奏するときはある程度の見極め(そういって良いのか)をつけないと曲の持つパワーに負けてしまうのかもしれません。
まあ、珍しい曲が聴けたということで良しとしましょう。安いことですし。でも同じ曲をシャイーが振ったらどうかな?などと不遜なことを考えたおやぢでした。

1月4日

WEBER
Der Freischütz
Ingo Metzmacher/
Hamburgische Staatsoper
ARTHOUS/100107(DVD)
お正月ですね。いつもは忙しいおやぢですが、こんな時はのんびりとオペラの映像でも見ましょうか。このところ良質の映像を次々と提供してくれる、ARTHAUSの最新DVDのご紹介です。
話はちょっと違いますが、今年のニューイヤーのコンサートの模様をテレビで見ました。美しいワルツの調べと時折映し出される風景が相俟って、否応でもお屠蘇気分を盛り上げます。しかし指揮がアーノンクール。音楽性は素晴らしかったのですが、彼の指揮姿はちょっと見たくなかった・・・(失礼)なんて。音だけ聴いていればこんな感想は抱かなかったでしょうね。
今回の「魔弾の射手」の映像もかなりショッキング。演出は鬼才ピーター・コンヴィチュニー。本来ならこのオペラでの重要な役割を果たす「鬱蒼たる森」もあまり姿を見せることはありません(うっそ〜)。何よりも人間主体。ロマンティックな場面など殆ど皆無です。終幕などは、あまりにも凝りすぎていて、私のような凡人にはイマイチ理解できない部分もありました。(なぜ狼はネクタイを口に加えて、ご婦人のぱんつに見入るのだろう?)しかし、なんらかのメッセーじを発しているのは間違いありません。これは何も言わずに楽しむ事にしましょう。
面白かったのはアガーテとエンシェンの若い2人が結婚の不安について話しているところ。音だけ聴いてるといかにも初々しいのですが、映像ではどうでしょう。アガーテ(シャルロッテ・マルジョーノ)はどう見ても初々しい処女には見えないし、エンシェン(ザビーネ・リッターブッシュ)は海千山千のやり手ばーさん。映像で見ると、「嫁いびりを企てる姑2人」にしか見えません。映像では見たくなかった・・・。(失礼)なんて。
メッツマッハーの指揮はさすがのもの。現代音楽の得意な指揮者ですが、このようなロマン派の曲では、メロディーをたっぷりと歌わせて、華やかな音を聴かせてくれます。マックスを歌うエルミングはワーグナーが得意のデンマークのテノール。最初はバリトンとしてデビューしただけあって、深みのある歌が魅力です。先程ふれたアガーテ役のマルジョーノ。アーノンクールとの共演でモーツァルトの録音が幾つかありますが、私がこの人を「いいな」と思ったのは以前出たアルマ・マーラーの歌曲集での事。そこでのリリカルな歌唱は、モーツァルトよりワーグナーを聴きたい人としてインプットされたのでした。外見はともかく、ここでのアガーテも、力強さと優しさを兼ね備えた素敵な演奏です。もう一人、私の大好きなアルベルト・ドーメンがカスパール役で出演。この人を映像で見ることができたのは大いなる喜びでした。
そんなわけで、オペラを楽しむとき、映像を見るか、音だけで楽しむか。この命題には答えの出ることはないでしょうね。

1月3日

VERDI
Messa Solenne
R.Chailly/
Orchestra Sinfonica e Coro di Milano Giuseppe Verdi
DECCA/467 280-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCD-1020 (国内盤 1月25日発売予定)
さて、バッハイヤーが終わったと思ったら、今年はヴェルディイヤーです。とは言うものの、昨年あたりからヴェルディはブームの兆し。これからも、トロヴァトーレの公演の予定があったりと、イタリアオペラファンには楽しい1年になりそうですね。ほんとうは、記念年になど関係なく、いつでも隆盛でありたいと願っているのですが。
この1枚もヴェルディ没後100年を記念して作られた物です。5曲の世界初録音を含む宗教合唱曲集で、この手の曲は、日頃「レクイエム」か「聖歌4篇」くらいしか聴かれる機会のないヴェルディの新しい1面を見る思いがします。
メインの曲は20代のヴェルディが彼の師のひとりフェルディナンド・プロヴェッシの協力を得て完成させ、最近になって発見された作品「荘厳ミサ」。初期の作品らしく、まるでモーツァルトかロッシーニを思わせる軽快なメロディが素敵です。シャイーの創設したミラノ・ジュセッペ・ヴェルディ交響楽団と合唱団の演奏もこれまた活気に満ちたもので、聴いているだけで楽しくなってしまいます。なかでも良かったのが、第5曲目の「Qui tolis peccata mundi」でソロをつとめるエリザベッタ・スカーノ。何と初々しく瑞々しい声でしょう。プロフィールが書いてないので経歴はわかりませんが、若手の新進ソプラノと言ったところでしょうか。技術的に幾分ぎこちないところが、却って曲の持つ若々しさを引き立てているのです。おぢさんはもうメロメロと言った感じ。
男声ソロと管弦楽のための2つの「タントム・エルゴ」、「クイ・トリス」、「ラウダテ・プエリ」も世界初録音。これも「クイ・トリス」でのクラリネットのオブリガートがとても巧みでついつい聴きほれてしまいました。(ソロはチアッポーニ。)
初期の作品ばかりでなく、「我を許し給え」「アヴェ・マリア」も収録されていて、ヴェルデイの作風の変化を楽しむこともできます。
あと、「Libera me」の1869年ヴァージョンも収録。これは1868年のロッシーニ死去に際し13人のイタリアの作曲家によるレクイエムの合作の企画のためにかかれたもの。(これは、HÄNSSLERから、かのリリンクによる良いアルバムが出ていますね。)その時は演奏されず、後にマンゾーニの死を追悼して、他の部分を書いたものが例のレクイエムとなるわけですね。(曲自体はそれほど大きな違いはありません。)
さすがシャイー。先日のパリアッチでもそうでしたが、歌とオケのバランスは見事なもので、曲の緊張感も途切れることはありません。合唱もすばらしく華やかで、聴き応えのある演奏です。
新年早々、こういう曲を聴くのはいいものですね。

1月2日

BACH
Mass in B Minor BWV232
小澤征爾 サイトウ・キネンO
PHILIPS/468 363-2(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCP-1020/1(国内盤先行発売)
長野県松本市。東京から特急で3時間弱。なかなか雰囲気の良い町です。
20年ほど前の松本と言えば、音楽的にはかなり遅れていました。駅前に楽器店。(ここでは珍しく輸入のスコアを扱ってました。)イトー×ーカドーの中のレコード屋さん。(ここのクラシック担当のお兄さんはなかなか物知りでした)あと、駅裏にもうひとつ小さなレコード店があって、ここのおやぢもなかなかこだわりがあったものですがその他は地方都市の宿命でしょうか、ろくなホールもなく、来日オーケストラの公演があっても、プログラムは名曲シリーズ。例えば東京でマーラーを演奏したとしても、あちらではベートーヴェンの「運命」。仕方ないですが・・・。
それがいつの間にか、夏のシーズンになると、日本中の音楽ファンがこぞって集まるという国際的な音楽都市になってしまったのだから、世の中ながの起こるかわからないもの。
その松本でのサイトウ・キネン・フェスティバルの昨年のメインプログラムである、この「ロ短調ミサ」。演奏会の模様は、先日「紅白歌合戦」の裏番組として、教育テレビで放映されましたから、ご覧になった方もいらっしゃることでしょう。マスターのページのおかかえライターヒレカツ先生も、ご感想を寄せられていましたね。
実は、このCDはあの演奏会とは別の日にセッションを組んで録音されたもので、今はやりのライブ録音ではありません。したがって、ヒレカツ先生が聴かれた演奏とは微妙に異なっているはずですから、私としては、あえて先生の批評を無視して、私なりの感想を述べることに。
小澤の指揮は、思いのほか抑制の効いたもので、きっちりと細部にまで配慮が行き届いています。もちろん大編成の曲の得意な彼らしく、合唱の使い方も申し分なし。全曲を通して輝かしい響きに満ちています。
ただしこの演奏、はっきり言って、「ロ短調」のベスト盤と言い切るにはあまりにも問題が多すぎます。まず、少し楽天的過ぎるきらいがあるので、厳しいバッハを聞きたい人にはちょっと不向きかもしれません。また、一応オリジナル楽器へのアプローチを心がけてはいるのですが、各々の演奏家の様式感がばらばらなのが気になるところ。ソリストの個性が強すぎるのも良し悪しなのかもしれません。それは歌手についても言えることで、例えばChriste eleisonでの二重唱に何となく違和感を覚えたのは何故なのでしょうか。アルトの歌をメゾ(キルヒシュラーガー)が担当するのも、すこし不自然に思いました。バッハの求める響きを無視してしまったように感じるのは私だけではありますまい。
ただ、そんなものは些細なこと。これだけの演奏を体験できるのは大いなる喜びです。97年の「マタイ」同様、日本でのバッハ演奏の記念碑的な公演の模様を余すことなく再現したアルバムとして、長く語り継がれることでしょう。

1月1日

2001年〜ツァアトゥストラはかく語りき
Various Artists
BMG
ファンハウス/BVCC-37094(国内企画)
さあ、いよいよ21世紀の始まりです。本年もどうぞよろしくお願いします。さて今世紀の始まりの1枚として、何をお勧めしましょうか。なんて悩む必要もありませんね。ちなみに、この言い回しは昨日の使い回しです。「おやぢ」は21世紀になろうが、大して変わりはないと言うことですな。
今回の1枚は、大方の人が「多分出るぞ」と予想していた企画CDです。題して「2001年〜ツァラトゥストラはかく語りき」。かのスタンリー・キューブリック監督の映画を元に選曲されていますが、監督へ捧げるオマージュとして、かつ20世紀への訣別として、質の高い内容を持った1枚と言えましょう。
実は私、このアルバムにかかわった人と個人的に知り合いでして、アルバムの製作が決定したときには「なんて陳腐な企画なんだろう」と、ある種、軽蔑の思いを抱いた物です。2001年だから「2001年」の映画で使った曲を集めてCDを出す事。こんなの安易すぎるのでは。そう思いませんか。
しかし、製作コンセプトを伺ったり、音源に苦労している話を聞いたりしているうちに、(当然のことですが、自社で持ってる音しか使えないのですね。だから「アトモスフェール」は収録できなかったのだそうです。)「そこまでしてでも発売する」必然性に思い当たったわけです。
その思いが良く表れているのが、このCDのライナー。これを執筆しているのは、この部屋でも時々名前の出てくる某サウンド&ヴィジュアルライター前島氏です。彼の映画における膨大な知識には恐れ入るばかり。これを読めるだけでも、この企画は大成功なのかもしれません。
収録されている曲については、先程も書いたとおり、純粋に映画で使われたものではありません。その代わり、例えば「ツァラ」ではマゼールの最高の録音や、オーマンディのいわば「こけおどし」(これは良い意味)の音が収録されていますし、後は変り種としての富田のシンセサイザー。これはこれで充分に楽しめます。
このアルバムのために録音された「The Adbent」も見逃せません。これは、かの榊原大によるカヴァー。そう、あのG-CLEFのメンバーですね。もう1曲のオリジナル(こちらは岸ミツアキとハリー・アレンによる)と共に、素晴らしいアレンジで、この2曲を聴くためだけに買ったとしても決して損はしないと思いますよ。
余談ですが「2001年」を語る上で忘れてはならないリゲティの音楽。先程もふれたように「アトモスフェール」は音源の関係で収録できなかったそうですが、「ルクス・エテルナ」はちゃんと入ってます。これは永らく入手不可能で、この曲マニアのマスターのリストからも漏れていたのですが、今回めでたく日の目を見たのでありました。
さあ、もう一度本編の映画をみることにしましょうか。

20世紀のおやぢに会える、か。


(since 03/4/25)

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