2002年 過去ログ
2000年1月11日(サイトオープン)から2005年5月15日まで収録してあります
2005年5月15日
管理人
中三っす。難民はほんまにかわいそう!!!
Next talks likely to decide fate of Category No. 2 Bhutanese refugees
お返事が遅れてしまって失礼しました。こちらにたどり着いてくださってありがとうございます。
アフラジャパンのスタディツア−に参加されたとのこと、
世界は狭いですね。リングホ−ファ−さんはお元気でし
たか? 私はご無沙汰ばかりしていて、、、大学で国際人権法を勉強されていらっしゃるのですか。
勉強されたことが、これから(難民など抑圧された人々
のために)うまく活かされると良いですね。ここの掲示板は閑古鳥が鳴いているので、時々ひやかし
に来てやってください。今後ともよろしく。
「難民」について調べていたら、ここにたどり着きました。
「アフラジャパン」という言葉があちこちに出てくるので少し驚きました。
というのは、私は1999年のアフラジャパンのスタディツア−に参加したんです!!
ネパ−ルのブ−タン難民キャンプ、チベット難民キャンプを訪れました。
アフラジャパンのHPのスタディツア−の写真に私ものってます・・・。
どれかは言えませんが(笑)私は今、大学で研究生として国際人権法を学んでいます。
特に「難民の人権」さらには、子どもの難民の人権について国際法の視点から研究を進めようと思っています。
そのためにリングホ−ファ−先生とも最近久々に連絡を取らせてもらったところです。ここはすごくまとまっていて内容豊富ですね。
とてもわかりやすくて、素敵なHPだと思います♪
これから大いに参考にさせてもらおうと思います。また時々カキコさせていただきます。
よろしくお願いします。
JJさん、チェコから?書き込みありがとうございます。>ブータンでの難民はどの国に移民しているのでしょう?
難民の多くはネパールの難民キャンプに収容されています。
一部の難民は、ネパール内で仕事をしていますが、少数です。
また、数万人のブータン難民がインドにいると推定されてい
ます。>ルートなどを教えていただけるとありがたいです
ブータン当局がブータンとインドの国境まで人々を輸送したという
報告もあるようです。それ以降は、熱帯のジャングルや湿地帯
を陸路で移動したようです↓。最初期にネパールに辿り着いた
難民達の健康状態はかなり悲惨なものであったようです。けんたさん、チェコから書き込みありがとうございます。お二人
の方から、それもチェコから書き込みがあるのはとても珍しいの
で、うれしいですね。>ブータンの人々はどのようにインドやネパールへ
>移動するのでしょうか?そのときに問題はないのでしょうか。地図を見るとわかるのですが、ブータンとネパールは国境を
接していません。当然、ネパールに辿り着くにはインドを経由
しないといけません。また、インド自身もブータン難民を国内
に抱えています。しかしながら、インドはブータンとネパール
の二国間交渉に関与しようとしません。不思議ですね。>インドやネパールでついてから何が問題になっているのでしょう。
>(職場がない、生活できないなど。)難民はほとんどが農民です。彼等がキャンプ周辺の田畑を
耕し始めたら、周囲との衝突が避けられませんし、難民
キャンプにいる難民は「働いてはならない」という建て前
になっています。
JJさんと同じような質問です。
ブータンの人々はどのようにインドやネパールへ
移動するのでしょうか?そのときに問題はないのでしょうか。
インドやネパールでついてから何が問題になっているのでしょう。
(職場がない、生活できないなど。)
皆さんの返事をお待ちしています。
ブータンの難民に興味をもちました。
このページを見ましたが
もう一度皆さんの意見を聞いて整理したいとおもいました。
返答をお願いいたします
ブータンでの難民はどの国に移民しているのでしょう?
おもな理由も教えてください。
ルートなどを教えていただけるとありがたいです
またその移民先、そして移動中でどのような問題を抱えているのでしょう。
ありがとうございました
が The Sunday Post に掲載されています。下にリンクします。http://www.kantipuronline.com/archive/kpost/2002-10-27/kp_expression.htm
あすかさん、書き込みありがとうございます。「難民キャンプ」についてですが、「難民」は自分の国にいられなく
なって、国外に出ている人を指します。国内のもといた場所にいられ
なくなって国内の別の場所にいる人たちを「国内避難民」と言います。
ですからアフガニスタン難民キャンプはアフガニスタンの国境の外に
あります。詳しくは下の国連難民高等弁務官事務所の説明を見てくださいね。
私の学校で、1〜4年生に「アフガニスタン難民キャンプの教育用品の支援についてのお願い」というのを5年生が発表しに各教室に行くんですけど1年生にも分かりやすく難民キャンプなどの意味を直すのが宿題なんです。難民キャンプ⇒戦争などで生活に困ったりしている人々の居る場所」であってます?
まめさん、書き込みありがとうございます。ブータン難民の学校についてはアフラ・ジャパンのサイトに
少し紹介がでているようです。詳しく知りたい場合は連絡を
とってみてはいかがでしょうか?難民の学校一般については、私はあまり情報をもっていませ
ん。色々なNGOのサイトから情報を集められてはいかがで
しょうか?
ブータンなど難民の学校についてのHPや情報をよろしければ教えてください。
お願いします!!
ジャックさん、初めまして。弓道はブータンの国技のようなものらしいですね。ジャックさんの行かれた
フェスティバルの中でも異彩を放っていたのでは?>検索しているうちにブータン難民のことを初めて知りました。
そうですね。私も実際に現地に行くまでは、その存在自体を知りませんでし
た。一般的なブータンのイメージと難民の存在が、背景を知るまでなかなか
結びつかなかったのを思い出します。
はじめまして。アメリカに住んでいるジャックといいます。昨日、アイオワでInternational Hose Archery Festival と言うものが開催されていたので行ってみました。そうしたら、ブータン人のTsewang Nidup さんがブータンのアーチェリーについてスライドを使って説明されていました。スライドに映されたブータンの風景などを見ているうちに興味が湧き検索してみました。
検索しているうちにブータン難民のことを初めて知りました。
日本やアメリカで不自由なく暮らしている私にとって大変考えさせられる問題となりました。また寄らせて頂こうと思います。
書き込みどうもありがとうございます。ブータンについて調べられているのですか。なかなかまとまったアップトゥデイト
な書籍が少ないようですね、、、このサイトも十分な情報を提供できているとは思えませんが、少しでもお役に立て
ば幸いです。これからもどうかよろしくお願いします。
ページを見させて頂きましたので、カキコさせてもらいました。今秋よりイギリスの大学院にて社会人類学を専攻する、ハンドルネームもるどと申します。ブータンに関する知識は、恥ずかしながら皆無に等しいのですが、ブータンに並々ならぬ感心を抱き、調べているうちにこのページに辿り着いたという次第です。
ネパールにおけるブータン難民については多少存じておりましたが、実情を知ることが出来、これから自分がブータンを知るにあたり、非常に重要な要素であると感じました。
またページ拝見させていただきます。ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。きょうたるこさんが、ブータンに行って自分の眼でいろんなことを見られる日が、一日も早く来ると良いですね!
はじめまして。いろいろみさせていただきました。キャンプのことがとても丁寧に書かれていて、勉強になりました。
2年くらい前にブ−タンの双子の子どものことをテレビで見て、すごくかわいくて、いつかブ−タンに行くのが夢なんです。でも、今日初めて、ブ−タンの難民問題について知りました。もっとブ−タンのこと知りたいと思いました。ありがとうございました。
スプリングさん、はじめまして>うちの学校に、ブータンから来た人が国について話してくれることになりました。
いろいろな話が聞けると良いですね。難民問題のような大きな問題もありますが、
良い面もたくさんある国ですから。>シルクロードと関係があったのか
>日本とは何かつながりがあるのか
>さかんなスポーツは何かその辺の情報は私はあまり詳しくありません。文化について良く記載している本、例えば「地球の歩き方」というシリーズのブータンの巻などで調べてみられては?
>難民について(難民とはどういうものか・・?)、詳しく載っているHPはないでしょうか?
やはりわかりやすく書かれているのは、国連難民高等弁務官事務所(駐日事務所)↓ではないでしょうか?
はじめまして。私は中学二年生です。うちの学校に、ブータンから来た人が国について話してくれることになりました。
そこで、ブータンについて調べてみようと思ってきました。とても参考になりました!それでも、気になることがたくさんありました。
・シルクロードと関係があったのか
・日本とは何かつながりがあるのか
・さかんなスポーツは何か
ブータンは、交流がさかんではなかったからか、探してみてもあまりいい情報がないので
質問したいことがたくさんあります。それと、私は社会が大の苦手なのです。
難民について(難民とはどういうものか・・?)、詳しく載っているHPはないでしょうか?
Kuensel On Line に80回ブータン国会での難民問題について
の討論などがでています。Assembly discusses the joint verification of refugees
時間が前後しますが、7月3日のカトマンドゥポストの記事
「EU envoys express concern over delay」は以下のリンク
デンマーク、フランス、ドイツ大使館、および、オランダ開発庁(SNV)、
EUの5者からなる調査団がネパールにあるブータン難民キャンプに実
地調査に7月3日から入りました。6日のカトマンドゥポストにはドイツ大使の記者会見での発言等が記事
になっています。
German envoy concerned over refugees
Also voices concern over human rights violationshttp://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/ktmpost/2002/jul/jul06/index.htm
やまじゅん!!!さん、書き込みありがとう。
勉強、頑張って下さいね。
わいは,今授業で,難民キャンプの事ならってんねん。為になっわ。おーきに。写真よかったでー。BYやまじゅん!!!
デンマークとなりました(半年間)。下のカトマンズ・ポストの記事にも書かれているように、EUから
ブータン政府への外交圧力が強まる可能性があります。ネパール国内の新聞の論調も、かなり攻撃的なものが目立つように
なってきています。難民のフラストレーションもとても高まってい
ると思われます。ブータン政府が、現在のような対応を取り続ける
ことは、後に大きなツケとなって帰ってくるように思えるのですが、、、、下の記事は「ブータンはネパール系住人を追い出した土地への北方
の人々の再定住を推し進めている」という表題のものです。
その手の質問は、他のブータンの文化を扱っているサイト、例えば
Restaurant Tashi Delek !さん、などで聞いてみると答えてもらえ
るかも知れませんね。
学校でブータンの事を調べてます!学校でみんなとブータンの遊びって何かな?とか、おはようやこんにちはなんて、なんて言うのかなぁ〜?などと言ってます!なんて言うんですか?教えて〜
ゆうさん、書きこみありがとうございます。加藤泰孝氏の下記のサイト「プライマリーヘルスケア(PHC)」が
充実しており、[アルマアタ宣言]および[オタワ憲章] も日本
語で読むことができます。PHCについては以下の8項目が挙げられています
1. 健康教育
2. 水供給と生活環境
3. 栄養改善
4. 母子保健と家族計画
5. 予防接種
6. 感染症対策
7. 簡単な病気やケガの手当て
8. 基本的医薬品(エッセンシャル・ドラッグ)の供給最後の「エッセンシャル・ドラッグ」については
「世界のエッセンシャルドラッグ」という題名でWHO専門委員会
のレポートが日本語に翻訳されています。http://www.asahi-net.or.jp/~bd9y-ktu/test/ishi/igaku_f/phc.html
最低限の医療の勉強しています。どういうことか教えてください
5月16日にThe Rising Nepal紙に掲載された「Bhutan says not now to UNHCR office」と題する記事の要点はUNHCRネパール事務所の代表が The Rising Nepal紙に語ったところでは
UNHCRからブータンに、難民の帰還を進めるためにUNHCRの事務所をブータン国内に設置したいと提案した。このような提案がいつからブータンにUNHCRからなされていたかについては明らかにしなかった。
ブータンは決してNOと言ったのではなく、「適当な時期」が来たらとのこと。
「適当な時期」とは、(現在、無期限に延期されている)第12回閣僚級会談の後がもっともありそうだ。(そうブータンがUNHCRに言ったと伝えられる)
アフラ・ブータンのラタン・ガズメル氏は「ブータンにとって、自国にUNHCRの事務所を開設する『適当な時期』など永遠に来ないだろう」と言っている。
http://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/trn/2002/may/may16/index.htm#3
悸由さん、書きこみありがとうございます。このサイトが悸由さんの理解に少しでもお役に立ったのであれば、とてもうれしいです。
今後も様々なことを幅広く勉強してくださいね。
はじめまして。私は今年中学2年生になり、テーマ別学習というのにとりくんでいます。
今回のテーマは「私にでること」で、世界の避難民の人々についていろいろ調べています。このホームページを開いたのもそれが理由です。見ていてといてとても胸が痛む事
ばかりで、驚きました。私はまだ子供ですが、少しでもそんな人達の力になれたらと
思っています。
最近、アップデートできていませんが、一つの理由は情報があまり入ってこないことがあります。ネパールは現在、国内のマオイストと激しい戦闘を続けています。ブータンの事実上の宗主国であるインドは、パキスタンとの間で緊張が高まっています。
このような現状で、難民問題の解決への努力の優先順位が下がっていることが推測されます。
ブータン難民に認められた拷問によるPTSDを検討した論文。1998年にアメリカの権威ある医学雑誌JAMAに掲載された。
の中のブータンに関するレポートが公開されています。
ブータン難民の支援をしているNGOのアフラ・ジャパンのサイトがリニューアルされていました。
藤村甲子園さん、はじめまして。私自身も、キャンプに参加するまではブータン難民の存在を知りませんでした。だからこそ、ブータン難民について情報を提供するサイトをはじめたのです。おっしゃられるように、確かにブータン難民問題は、色々と考えさせる要素を多く含んでいる問題だと思います。
藤村さんはアラブ民族主義やクルドに興味を持たれているのですね。知れば知るほど、自分の以前持っていた認識の変更を迫られますよね(私の場合、特に)。
「難民」として「国際問題」になるケースはそれでも、世界の注目は集めていると思います。苦しんでいる人々の数では、「国家」によって抑圧を受けている人々の方が圧倒的なのですから、、、
これからもよろしく。
アルさん、はじめまして。リンクありがとうございます。アルさんのサイトを拝見しました。写真がとてもきれいなサイトですね。
今度、こちらのサイトを更新するときにこちらからもリンクさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。
初めまして。貴ホームページを拝見致しました。ブータン難民のことはこれまで知りませんでしたのでとてもタメになりました。
さて、私がこのホームページに辿りついたのは、クルド難民問題研究家の「中川喜与志」氏をネット検索していてのことです。クルド難民問題に興味を持ったのは、いわゆる「アラブ民族主義」について問題意識を抱くようになったからです。そうなったきっかけは、アフガニスタンとタリバンについて、半年ほど前、色々調べてみたからです。今日という今日は、「国家って一体何なんだろう?民族って一体何なんだろう?」とアタマを抱えてしまいました。10万人もの難民が、国際的な「無関心」のもとでなんの混乱も熱狂もなく「日干し」にされているというのは、なんと言ったらいいのか、・・・。
かつて冷戦時代には「共産主義に利するか?/自由主義に利するか?」というモノサシ(いいかげんなモノサシでしたけど)があったおかげで、世界中のありとあらゆる揉め事が、米中ソの「関心事項」になっておりました。しかし、現在では「無関心」という新しい「パワー」にさらされて困窮している人々もいるのですね。マスコミは「テロ」や「闘争」を追いかけるのに忙しくて、整斉と「日干し」にされ続けている人々のことはほったらかしです。
それでは、「血を見る」騒動になっていた方が良かったのか?「その通り。**(国家、民族、宗教、いずれを入れても可)のためならば、個人の命を惜しむべきではない」という意見もあるのでしょうが。
ハジメマシテ。アルと言います。
突然ですが、私の個人サイトにリンクを貼らせて貰いました。
Link-Worldのページに貼りました。有り難うございました。
そして報告が遅れてしまいすみません。では、また。
と題する記事が4月9日のカトマンズポストに掲載されました(リンクを参照)。以下はその前半部分の翻訳です。ラフな訳ですが、明らかな誤訳などがありましたら、メールなどで教えていただけると幸いです。ブータンの新しい戦略にはびっくり
Damakant Jayshi著
カトマンズ 4月8日ネパール政府は、数か月の間、難民立証および本国送還の厄介な問題を解決するために(ティンプーで開かれる)次回の二国間交渉へのブータンからの招待を待ちつづけていました。Shital Niwas (訳注:外務省の住所)の官僚達は待って待って、待ち続けて、とうとう招待が来ました。しかしそれは彼らを招待するものではありませんでした。
その代わり、奸智にたけたブータン王国によって丁重な歓迎を受けたのは、民間のリーダー達でした。わずか数日前に、元外務大臣 Chakra Prasad Bastola 氏は、ブータンの政府の招待でティンプーへ4日間の訪問をしました。来る4月22日には、主要野党リーダーでCPN(UML)の書記長であるMadhav Kumar Nepal 氏は、6名からなる代表団を率いてブータンを訪れる予定です。
しかし、(公的なルートである)ネパールの外交政策を実行する大臣および職員達は、次回の会談にティンプーを訪れるための、長く遅れた招待を待ち続けています。この事態は当然のことながらここ(カトマンズ)では驚きをもって受け止められています。
ネパールの外務省職員は、ブータンの政策に疑問を感じ始めています。ブータンは公式な会談を行う時間は持っていない一方で、カトマンズの官界に一定の影響力のあるこれらのネパール人達をもてなす充分な時間があるとは?
しかし、外務省職員は、これらの訪問を否定的に捉えることを否定します。多分、ネパール国内での政治的なゴタゴタを引き起こすことを恐れてのことでしょう。実際、緊密に難民問題に関係しているある職員は、「私たちはこれらの訪問を公式プロセスを補完するものと考えています。それらは、厄介な問題の解決に寄与するかもしれません。」と言います。しかし彼は、ブータンの政府の難民についての目論みが「まったくもって公明正大ではないかもしれない」と認めました。
ブータン難民のリーダー達は、ブータン政府のこの様なやり方が気に入りません。「ブータン政府は、彼らのパッケージ(訳注:セットになった政策やメッセージなど)を売ろうとしています。公式レベルの会談のための時間は無いとする一方、彼らは豊富なもてなしで影響力のあるネパール人達に印象付けようとしています」とブータン国家民主党党首の R Basnet氏は言います。
もう一人の難民のリーダーであり、CEMARD の代表である Rakesh Chhetri氏は、難民問題の解決への障害となっているとブータンへの増大する国際的な批判をかわそうとする「イメージ作り行為」としてブータンの試みを片付けています。(以上、前半部分訳)
http://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/ktmpost/2002/apr/apr09/index.htm#1
と題する記事が3月29日付けのカトマンズ・ポスト紙に掲載されています。http://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/ktmpost/2002/mar/mar29/features.htm
以下にカトマンズポストの2月27日の社説の日本語訳(私訳)をアップします。この日本語訳はかなりラフな翻訳ですので、意味が取りにくいときは以下の原文にあたってください。明らかな誤訳等はメールなどで指摘してくださると助かります。
http://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/ktmpost/2002/feb/feb27/editorial.htm#1
今週開かれる予定であったネパールとブータン間の第12回閣僚級合同委員会は、無期限に延期されました。どちらの側も、次の合同委員会に関するどのような声明も発表していません。また、どれくらい1991年以来、東ネパールの7つのUNHCRが管理するキャンプで惨めに暮らしているブータン難民を連れ戻すのに、ドゥルクパ中心の体制(Druk regime)政権(非常に長い期間にわたり難民の権利を侵害している)にかかるでしょうか?もし会議が開かれていたならば、会議は分類(10万人の難民の運命ではないにしても)上の行き詰まりを少なくとも解消していたでしょう。しかし、会合が延期された経緯から、(ネパールの)デゥバ政府が十年来の難問題に対処する明瞭な政策を持っていないことが明らかになりました。結果として、10万人を越えるブータンの難民の運命は相変わらず不確かなままなのです。さらに、ブータンの政府が、ブータン難民が所有していた土地への再入植計画を十分考えた上で始めたことは明らかです。チンプー(ブータン政府)は、警察と軍隊の職員に、難民のSamchiとSarbhangの地区の土地を分配しました。そのような再入植計画は本国帰還プロセスに影響を与えただけでなく、難民の権利を踏みにじるものでした。
米国がブータンに対する圧迫をかけた後の昨年3月に組織された共同立証チームは、クンドゥナバリキャンプで1363組の家族を立証しました。クンドゥナバリキャンプのブータン人でない難民の中からブータン人を、カテゴリー分類プロセスはせずに、識別するのに7か月かかりました。もし共同立証チームが難民を(現在のように:訳注)ゆっくりと確認する場合、残りの6つのキャンプの立証プロセスを終えるのに、少なくとも7年かかることになります。難民たちがインドを通ってこの国へ入って以来、はたしてこれらの難民達はブータンへ帰還できるのか否かは、誰をも悩ませてきた問題でした。インドは、10年来の難民問題の行き詰まりを解決するための、いかなるイニシアチブも取って来ませんでしたし、この国(ネパール)の歴代の政府もそうでした。元外務大臣および現職の大蔵大臣であるRam Sharan Mahatとネパールのブータン大使Bhekh Bahadur Thapaは、難民たちに彼らが昨年年12月までに尊厳と名誉をもって帰国できると難民に保証しました。不運にも、その保証は、あまりに理想主義的であったと判明しました。
確認された総数のうち、95パーセントの難民は、真正のブータン国民である証拠を提示しました。これは、ブータンがそのDriglam Namzhaおよび一国家一民族政策といった旧式の法を根拠に、どのように何千人ものマイノリティを強制的に追放したかの図式を明らかにします。これは、ブータンからネパール系マイノリティを追放するために、独裁体制が行った、一種の強制的な同化および文化的殲滅政策でした。今、ブータンは、遊牧民、軍隊および警察人員に難民の土地に入植するように奨励しています。先の12月に開かれた分類プロセスに関する次官級会談は、明確な成果を産みませんでした。ブータンの人口の6分の1の人々が7つの(難民)キャンプで惨めに暮らしている主要な要因は、ネパール側のリーダーシップが貧弱であるからです。ネパール国民会議派政権と協力するべきだった主要な野党は、そうする代わりにデゥバ政府を倒すためにコイララ一派に手を貸しました。ネパール国民会議派議長のコイララは、毛沢東主義者の暴動を引き合いに出して、デゥバ政府を倒そうとしてきました。コイララは、(与党内の激しい:訳注)権力争いではなく、難民問題の生き詰まりを解決するように政府に促すべきなのです。
と題する2月14日にカトマンズポストに掲載された記事の日本語訳をアップします。原典は下のリンクに示しています。翻訳は理解し易いように、意訳になっている部分もあります。誤訳等あれば、メールなどでお知らせ下されば幸いです。
http://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/ktmpost/2002/feb/feb15/index.htm#3
Damakant Jayshi著 カトマンズ、2月14日ネパールとブータン両国の外務大臣による第十二回閣僚級協議会は、2月の3週目にカトマンズで開かれるもようです。この会議では、ブータン難民の分類についての両国間の違いを調和させるという、係争となっている問題を再び取り上げることになります。
一方、難民たちは、90年代の初めに「難民たちが強力に立ち退かせられた土地および家への(主に北方民族による:訳注)再入植」に対する彼らの懸念をネパールが提起することを望んでいます。また難民は、二国間会議(難民らによれば、次の会議の日取りを発表する以外、なんら成果をあげていない)について、否定的な見解を持っています。
おそらくブータンの難民によって醸し出された、この皮肉に気付いて、大蔵大臣ラム・シャラン・マハト博士(この人は次回の会談でネパールを代表するだろう)は、会合の次のラウンドの日取りにネパールが単に同意するだけではないだろうと数週間前に言いました。
政府高官さえ、マハト博士によって出された感傷を繰り返しました。しかし、彼らは用心深いので、ブータンの神経を逆なでするようなことはしません。「私たちは会合のために会合しないでしょう」と外務省の職員が匿名を条件に、カトマンズ・ポストに語りました。
彼らは、ネパール政府が綱渡りをしていると認めました。ネパール政府は、現在の行き詰まりが続くことは望みません。また、ネパール政府は、ブータン政府の機嫌を損ねてしまい、彼らが会談を放り出してしまいようなことがあっては困ります。しかし、ブータンのレスポンスが今のところ、かなり期待以下であるということでは皆の意見が一致しています。
外務省の共同長官でありスポークスマンであるギャン・チャンドラ・アチャリャは、ネパールが良い結果が出ることを期待していると、カトマンズ・ポストに伝えました。「私たちは、本国帰還問題についての現在の見解の相違を埋めていかなければならない」とアチャリャが言いました。閣僚級会談で再び行き詰まった場合にはネパール政府はなにか思いきった手段を考慮しているかどうか尋ねられた時、アチャリャはなんら明らかにはしませんでした。しかしアチャリャは、ネパール側の対応は「ブータン側がどれだけ用意して来られるか」によるだろうと付け加えました。彼は、「私たちはブータン側の返事の性質を判断した後に決定するでしょう」と付け加えました。
さらに、彼は、難民のカテゴリー分類に両国が早く取りかかれれば、早いだけ良いだろうと言いました。「一旦私たちが分類のために基準を定めれば、同じ判定基準は7つのキャンプのすべての難民に適用されるでしょう。」
ネパール側がただ2つの分類(「強制的にブータンを退去させられたブータン人」と「非ブータン人」)を使いたい一方、ブータン政府は以前に両国間で同意した4つの分類(上記に「望んで国外に出てブータン人」と「犯罪歴のあるブータン人」が加わる)に固執しています。ネパールの見解は、最後の2つのカテゴリーに分類された難民であってもブータン国民であり本国へ送還される必要があるというものです。両国の共同の立証チームは、昨年に9か月をかけて、クンドゥナバリキャンプの12,000人以上のブータンの難民の立証を完了しましたが、立証作業の「スローペース」に不満を持つロシャンパ(ネパール系のブータン人)の難民からは怒りを買いました。
質問に答える形で、ネパール外務省職員は、ネパールは残りの6つのキャンプにいる難民の同時の立証を行うことを提案するだろうと言いました。ブータン側の反応について尋ねられて、彼は、ブータン側は提案を拒絶しなかったが、ブータン側は人材のようなロジスティクの問題を指摘したことを明らかにしました。「しかし、全てのプロセスをスピードアップする良い傾向を示しました」彼は、ネパールが全ての必要な人材および全てのロジスティックの支援をよろこんで供給すると付け加えました。
ブータン人権活動家協会のラタン・ガズメル氏は、ネパールの政府はカテゴリー分類について話すことに加えて、非定住者や退役した警察や軍人が、追放されたネパール系ブータン人の土地に再入植している問題を取り上げるべきだと、カトマンズ・ポストに伝えました。この難民リーダーは、ブータンの政府による難民たちの土地への「ペースの速い」再入植に対する懸念を表明しました。「難民たちが彼らの祖先の土地へ戻ることができなければ、本国帰還についての会談をすることに一体なんの意味があるのでしょうか?」難民たちは、また、ネパールの政府との対決に備えているように見えます。ガズメルは、やがて難民が自発的な本国帰還書式に署名するように依頼されるだろうと言いました。「私たちは、もし私たちの土地および家が私たちに戻されなければ、書式に署名するのは困難でしょう。誰がこのことを保証してくれるのでしょうか?」さらに、彼は、この行き詰まりにおけるインドの役割の必要性を繰り返し強調しました。ガズメルは「何にも具体的なことを達成せずに、会談につぐ会議を開くことには、なんの意味もないのです」と言いました。
をアップしました。亡命ブータン人による見解ですので、
立場が違えば、また、別の解釈もありうるかもしれません。しかし、書かれている事実関係についての現状分析は適切
なものであると、私は考えます。また誤訳や、用語の不統一などが数多くあると思われますが、
気がついた方は、メールなどで教えてくださると助かります。
更新が滞っていてすみません。主にネパールからの最新のブータン関連の
ニュースをリンクしているサイトhttp://nepalresearch.com/politics/bhutan.htm
から情報をみると、滞っているカテゴリー分けのプロセスについて、
しびれを切らした難民側などから、米国に対して解決に向けた外交的な
圧力を行使するようにと訴えがなされているようです。
が Kathmandu Post の1月5日号に掲載されています。http://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/ktmpost/2002/jan/jan05/features.htm#3
一部を紹介すると
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安全保障:この見解は、ブータンの政府によってまだ保持されています。最近、政府が
所有しているKuensel紙上に、政府が後援となった6部からなる記事が、掲載されました。
滑稽にも、そのなかでは「ネパールで難民危機を解決するどんな試みも、ブータンの安全
保障上の懸念と取り組まざるを得なくなるでしょう。なぜなら、ネパール系の人々(彼ら
は19世紀後半に移住して来た)は、政治的な安定にとって不安定で爆発しかねない存在
(volatile)であると考えられるからです。」と論じられているのです。このように、
ブータンを支配するエリート層は、難民の帰還とブータンの仕組まれた安全保障の緊急用
件とを結びつけたのです。このことは、ブータンを支配するエリート層がこの難民問題を
解決し、ネパールのキャンプからブータンの「ネパール系の人々」を連れ戻す意志など
ないというブータンからの明瞭な徴候なのです。
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翻訳はあまり厳密ではない試みの訳です。誤訳などがありましたら、ご指摘ください。
が Kathmandu Post の1月5日号に掲載されています。http://www.nepalnews.com.np/contents/englishdaily/ktmpost/2002/jan/jan05/features.htm#3
一部を紹介すると
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安全保障:この見解は、ブータンの政府によってまだ保持されています。最近、政府が
所有しているKuensel紙上に、政府が後援となった6部からなる記事が、掲載されました。
滑稽にも、そのなかでは「ネパールで難民危機を解決するどんな試みも、ブータンの安全
保障上の懸念と取り組まざるを得なくなるでしょう。なぜなら、ネパール系の人々(彼ら
は19世紀後半に移住して来た)は、政治的な安定にとって不安定で爆発しかねない存在
(volatile)であると考えられるからです。」と論じられているのです。このように、
ブータンを支配するエリート層は、難民の帰還とブータンの仕組まれた安全保障の緊急用
件とを結びつけたのです。このことは、ブータンを支配するエリート層がこの難民問題を
解決し、ネパールのキャンプからブータンの「ネパール系の人々」を連れ戻す意志など
ないというブータンからの明瞭な徴候なのです。
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翻訳はあまり厳密ではない試みの訳です。誤訳などがありましたら、ご指摘ください。