ブータン難民について語ろう

2000年 過去ログ


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2005年5月15日
管理人

12月1日付けのBBCニュース 投稿者:管理人 投稿日:12月 7日(木)10時08分50秒
が以下のサイトで読めます。米国国務副長官らのネパールおよび
ブータン訪問についての記事です。米国が強い外交圧力をかけて
いるのがわかります。

日本は一体なにをしているのでしょうか?

http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/south_asia/newsid_1050000/1050401.stm


11月22日付けのBBCのルポ 投稿者:管理人 投稿日:12月 7日(木)10時03分20秒
が以下のサイトで読めます。英国王室の難民キャンプ訪問前の
キャンプのルポなのですが、最後の段落が示すように悲観的な
論調です。

http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/south_asia/newsid_1035000/1035459.stm


ドナーによる外交圧力?二国間交渉再開か。 投稿者:管理人 投稿日:11月30日(木)20時50分07秒
Refugees Dailyの11月28日付けのニュースによると

Nepal and Bhutan will hold another set of talks
next month to resolve a refugee problem that has
marred relations between the two countries for
nearly a decade, Nepal's foreign minister said
today, reports Reuters.
Foreign Minister Chakra Prasad Bastola said
Bhutan had proposed December 22-24 for the talks
aimed at finding a common plank for categorising
98,000 refugees living in UNHCR-supervised camps
in east Nepal since the early 1990s. Nine rounds
of ministerial talks between the two neighbours
have failed to verify the status of the refugees.

AFP reports Bastola said the plan followed
pressure from western donors. A group of foreign
donors had asked the Bhutanese government to take
measures to solve the refugee problem and
threatened to stop aid unless the initiatives were
taken.

Meanwhile AFP also reports visiting British Princess
Anne yesterday inspected Bhutanese refugee camps in
southeast Nepal, state-run radio said.


WFPはブータン難民に対する食料援助を継続 投稿者:管理人 投稿日:11月28日(火)17時40分43秒
10月末にWFPはブータン難民に対する食糧援助の継続を
決定。追加の360万ドルの援助が決まった。そのうち
実際の食料は300万ドルである。2000年の予算に
さらに6ヶ月分を追加するという内容である。詳しくは
下記のWFPのサイトへ。

http://www.wfp.org/nepal/projects.htm


ネパール:ブータン政府にさらなる話し合いを要求 投稿者:管理人 投稿日:11月 1日(水)21時55分25秒
HCRのサイトのRefugee NewsNetがRefugees Dailyから
10月31日付けで引用したところによると、

Nepal: More talks on Bhutanese requested

Foreign Minister Chakra Prasad Bastola said yesterday that Nepal has asked
the Bhutanese government to fix a date for talks about repatriating 100,000
Bhutanese refugees in the country, reports AFP. Bastola was quoted by
local radio as saying Nepal had written a letter to Bhutan, asking them to
confirm a date for talks between the foreign ministers. These would be the
ninth round of ministerial discussions between on the issue.


アムネスティより出された声明 投稿者:管理人 投稿日:10月13日(金)21時03分55秒
10月4日にアムネスティより出された声明も以下の
サイトで読むことができます。

タイトルは
Bhutan: Refugees face further set back
です。

楽観はしていなかったものの、厳しい状況のようです。

http://www.web.amnesty.org/ai.nsf/Index/ASA140022000?OpenDocument&of=COUNTRIES\BHUTAN


アムネスティによる報告書 投稿者:管理人 投稿日:10月13日(金)20時59分33秒
下のニュースでの最後に触れられている、先月に出された
アムネスティの報告書は以下のアムネスティのサイトで
読めます。

題は
Nationality, expulsion, statelessness and the right to return
というものです。

http://www.web.amnesty.org/ai.nsf/Index/ASA140012000?OpenDocument&of=COUNTRIES\BHUTAN


HCRより示された難民判定基準案(一種の仲裁案)をブータン側は拒否 投稿者:管理人 投稿日:10月13日(金)20時56分20秒
以下は10月5日付けのRefugees Dailyからの引用です。
これはアムネスティが発表したものを要約しているようです。

The future of almost 100,000 refugees living in camps in eastern Nepal was
dealt another blow this week after the Bhutanese government rejected a
UNHCR formula to determine their eligibility for a future voluntary
repatriation programme, Amnesty International said today. Bhutan and
Nepal started negotiations to solve the problem of the people in the refugee
camps in November 1992. Since then, nine ministerial-level bilateral
meetings have taken place.

"The Bhutan government's decision will delay a solution to the problem even
further. It is imperative that both governments recommit themselves to
finding a solution which will uphold the rights of the refugees, including their
right to return to their own country," Amnesty International said.

Amnesty International last month published a report "Bhutan: Nationality,
Expulsion, Statelessness and the Right to Return" outlining the issues
involved.


ゆきさん、こんにちは 投稿者:管理人 投稿日:10月 8日(日)16時10分22秒
書き込みありがとうございます。

ブータン難民の情勢については現在ほとんどニュースなど
からは入ってきません。両政府による認定作業が行われて
いる?はずなのですが、、、

ゆきさん、情報などありがとうございます。難民キャンプ
にいる子どもたちが、将来への夢を奪われ続けている状況
は悲しいですね。

ところで、ゆきさんのHPでも書かれていたユーゴですが、
情勢が良い方向に向かいだして本当に良かったです。


こんにちは! 投稿者:ゆき 投稿日:10月 6日(金)00時33分44秒
はじめまして♪ うちのHPに来ていただいて、ありがとうございます。
正直言って、ブータンの難民がいるなんて、知りませんでした。
事態は深刻なんでしょうけど、それでも子供達の笑顔は世界中同じなんですね。
なんと言っていいか、わかりません。
ブータン難民に限らないことだと思うけど、世界中の子供達に平和な生活を知って
その中で笑って育つような世界にしたい、って本当に思います。

下の方で議論されていた援助の話ですけど、
手元にある資料(1997とちょっと古いですが)でもブータンに対する日本の援助は
16.2M$、シェアは36%でトップでした。
ついでに日本が一番の援助国である国は実に55ヶ国で、165ヶ国あるDACリストの
PART1国(開発途上国)の1/3弱でした。さすが世界一の援助大国(笑)!

エチオピアに限らず、DAC加盟国をはじめとする先進国の援助によって援助漬けに
なっている途上国の問題は、実際にあると思います。
しかし、先進国を非難するのもいいですが、それだけでは国家予算の半分以上を
先進国からの無償援助に頼っているLLDC(後発発展途上国)が
どうにかなるわけではありません。
また、それを非難するのであれば、債務救済無償(ケルンサミットと
こないだの沖縄サミットで決まったばっかり)は、さらに自立への道を閉ざすのでは?

まぁいいや(笑)。すいません。
これからも宜しくお願いします♪

http://www.fides.dti.ne.jp/~yosiki


APのニュース 投稿者:管理人 投稿日: 8月 8日(火)20時00分07秒
ネパールにいるNGO職員からの情報だと、下に引用したAP電と
されるニュースには、間違いがあるようです。

「国籍法」のようなものが改正されたのは事実らしいのですが、
新たに認められた条件が、下に引用したニュースの内容と異なる
ようです。

詳しい(且つ正確な)情報が入れば、改めて掲載します。


現状追認型の解決か? 投稿者:管理人 投稿日: 7月31日(月)08時46分53秒
27日のニュースとして伝えられるところによると、

AP reports Nepal's parliament has adopted a bill allowing immigrants to
become citizens of the country if they speak the language and have lived
there for 10 years, which opponents say would allow some 100,000
Bhutanese refugees to become Nepalese.


日本が1億4000万円拠出? 投稿者:管理人 投稿日: 7月26日(水)17時31分01秒
18日の Refugees Daily が共同通信からのニュースとして以下のように
伝えた。
Japan will provide US$1.3m to UNHCR to look after Bhutanese refugees in
Nepal, the Japanese embassy in Nepal said yesterday, reports Kyodo. The
assistance was in response to a global UNHCR appeal for help to the
refugees 2000, the embassy said in a press release.
The Japanese government provides assistance to the Bhutanese refugees in
Nepal, while awaiting a resolution of the problem, it said. Nepal is home to
nearly 100,000 Bhutanese who are sheltered at seven UNHCR-run camps in
the east of the country.

くまさん、こんにちは 投稿者:管理人 投稿日:07月09日(日)21時00分15秒
くまさん、書き込みありがとうございます。

また来て、書き込みしてくださいねー。


(無題) 投稿者:くま 投稿日:07月09日(日)19時48分07秒
よくわからないけど興味があって見てみました。
私も何かできるといいです。
色々なことを探します。

アムネスティの資料 投稿者:管理人 投稿日:07月05日(水)22時18分20秒
クズザンポーさん、こんばんわ。

アムネスティの資料は94年のレポートをはじめとして
読む価値の高いものが多いし、信頼の置けるものです。
ブータン関連だけでも、許可をとって訳したいのですが、、、
でも、ちょっと大変そうですよね。

東部問題の日本語のHPがあるのですか??うーん。
数ヶ月前にいろいろ調べたけれどなかったような、、、
最近出来たのでしょうか??なかったらクズザンポー
さん、作られてみては?


ブータンに対する援助 投稿者:管理人 投稿日:07月05日(水)22時11分07秒
tairatさん、こんばんわー(こんにちはかな?)

書き込みありがとうございます。宗教うんぬんもあるの
ですが、ブータンの場合は、民主化運動(立場によって
呼び名は異なる)が主に最初南部で起こったことから
「民族問題」と捉えられがちであったり、また後になっ
て今度はブータンに一番古くから住んでいる民族が中心
になって民主化運動が東部で起こったり(じゃあ、やっ
ぱり民主化闘争への弾圧なのか?)といろいろ複雑で
す。

一連の経過の発端になったとも言われるブータンへの開
発援助金の不正流用事件には王族がからんでいたりと、
権力闘争もからんでいるし、、、

ちなみにブータンへのODAの一位は数年前の資料だと日本
だったと思います(手元に資料がないのではっきりしま
せんが)。間接的に民主化抑圧や民族浄化に手を貸してい
るという解釈も成り立つのです。(インドネシアに対する
ODAほど、露骨ではないにせよ、、、)

ちょっと引っかかって、多分tairatさんならわかると思って
敢えて書くのですが、、「エチオピアは・・もらい癖が付い
てしまいました」とか「自立の道をつくってあげること」と
いう表現はどうも、、、
エチオピアを(間接)支配して、間違った形の援助漬けにして、
産業を骨抜きにしたのは援助国で、「自立の道を奪ったのも」
援助国(含むイタリア)なのではないのかしら???経過は
良く知らないけど、、、


(無題) 投稿者:クズザンポー 投稿日:07月05日(水)00時28分48秒
いやあ〜、管理人さんごめんなさい。
ここのページじっくりチェックしたら、リンクの中に
東部ブータンでの動きについて というアムネスティの
記事を発見しました。
早速プリントアウトして読もうと思います。
札幌在住のブータンの友人にも、東部問題の資料を欲しい
と頼んでたのですが、なかなか集まりませんでした。
(難民問題を論文にされたNORUBUさんでさえ資料が無っかった
そうです。今回の訪ブでの最新情報期待してます)

ところで、ブータンの友人が言うには、東部問題に関する
日本語のホームページが存在してるとか?
ほんとかな〜 メチャクチャ マイナーですよね。


難しい 投稿者:tairat 投稿日:07月04日(火)04時20分03秒
長い時間をかけて浮かんできた問題を短い時間で解決しようとするのは難しいことですね。
日本も昔、多産だったので人口密度がすごいことになっています。
でも、文化の高度化に従っていろいろな知恵というか、ふんべつが生まれて
子供をあまりつくらなくなる世の中になってきますね。
教義と言えば、日本は宗教を信じなくなっていますからね。
宗教を信じなくなって、経済を考える合理主義的な教育をしていくと
子供が減っていくというのも悲しいものがありますね。

新しい宗教が入ってきて、もともと居た人々が共感して改宗していく分には
政治はそのまま継続するのですが、外から違う文化の人たちが入ってきて
その文化がもと居た人々に浸透しないまま人口が膨らむとたいへんです。
これは人口増加のスピードを揃えないと危険ですね。
解決策として追い出してしまうのは正しいとは思いませんが、
ではとりあえずどうしたらいいのでしょう。
それが提示できないと国主はYESと言えないでしょう。
倫理的に許されないことは承知しているでしょうから。
ひどいひどいと言っても解決にはなりません。
何故?を知らなくては。そして何故に対する解決策を提示しなければ。
旧ユーゴでもトルコがイスラム教徒を空輸すると言えば喜んでそれを受け入れましたね。

10年・・・いったい難民の人たちはちゃんと教育を受けられたのでしょうか。
その10年、高度な教育を受けられたら、その知識と教養を持って先進国へ行って文化的に生活する道も
あったかもしれませんね。難民の流入を嫌うのは、その人たちが底辺の仕事をして
治安の悪化を生み出すのを危惧するからですね。
アメリカの犯罪を減少させる試みでいちばん成功しているのが何かご存知でしょうか?
犯罪を犯した人は再び犯罪を犯す可能性が高いので、刑務所で高度な通信教育を受けることが出来るようにしたんです。
すると多くの囚人は大学の学士以上の高度な学歴と知識を持って完全に更生してしまう例が多いんです。
弁護士になったりしてね。時間は十分すぎるほどありますから。
過去に重大な犯罪を犯した人でもちゃんと仕事を持って文化的な人になるのですから
何の犯罪も犯してない人ならどうでしょうね。

元いたところに戻せというのもいいでしょう。それを望む人もいるでしょうから。
でもいろいろな選択ができる能力と知識を付けてあげることも必要なのではないでしょうか。
これこそ正に日本政府ができるODAだと思いますけどね。
日本が最も適しているのでは?
今やインターネットでアメリカの大学の学士号が取れる世の中です。
いろいろな選択が自分でできて、自分でどうするかを選べるだけの教育が
求められてはいないでしょうか。

エチオピアは長い間、援助を受け続けたために、外国人に言えばやってくれるというもらい癖が付いてしまいました。
自ら創りだそうと言う考えを持たなくなってしまいました。
だからイタリアは物はもうあげない、インフラの整備はする、という風に援助の仕方を転換しました。
自立の道をつくってあげることが問題解決にとって重要だと思います。
10年もあったんですから。これからもまだまだあるのなら何にも増して必要ですね。
これからも続くのであればむしろ幸いかもしれません。
インターネットで世界の教育機関が援助してくれるとしたら?
それが難民でなければ受けられないサービスだとしたら?
欧米の教育機関は積極的に支援するはずですよ。難民に未来を与えられるのでは?
またもしそんな高度な教育を持った人たちがたくさん増えたら
はたしてブータンの国は、その人たちが外国に行ってしまうことを望むでしょうか。
おすすめだと思います。

http://www.tairaatl.com


tairatさん、こんにちは 投稿者:管理人 投稿日:07月03日(月)19時10分04秒
こんにちは、書きこみありがとうございます。

イスラム教徒=多産と言うのは、まあそうなのかも
知れませんが、ヒンドゥー教徒=多産、ブラック・
アフリカ=多産と言うのと同じで、日本人=ついこ
の間まで多産であったわけで、ちょっと???です。
カソリックも教義では、多産になる内容ですよね?

おっしゃるように、人口の問題は政府がコントロール
しにくく、中長期的に政情の不安につながる可能性を
はらんでいますね。ブータン政府が取った手法は、
そういった問題の解決にはならないように私は考えま
す。地域の不安定化もありますが、9万人を約10年
にわたり難民キャンプに収容せざるをえない状況を生み
出しているのですから。


ブータンも 投稿者:tairat 投稿日:06月28日(水)02時32分56秒
ブータンもこういう問題が起きていたんですね。
数の恐怖というのがどこでも根底にありますね。
イスラムが今や世界の人口の4分の1になりましたが
イスラムは正に数の力を自然に取り入れたところがすごいところです。
イスラム教徒は子供をたくさんつくるので
少ない子供に高い教育を与えようとするキリスト教徒とは人口増加率が違います。
それによってレバノンでは50年前には少ししか居なかったイスラム教徒が
いつの間にか過半数になってしまう。
キリスト教徒にとってそれは多数決によるイスラム法の採択、
そして弾圧という恐怖がよぎったわけです。
人口というのは本人には何の罪もないことです。
しかし増加しているのにマジョリティーではなくなる恐怖は大きいです。

だからといってそれで戦争に成ると言うわけではありません。
そこで得体の知れない一部の人間が事件を起こすんですね。
大抵は武器商人ですね。それによって恐怖が一気に現実化して大事になります。
レバノンが安定してくると今度はその武器は旧ユーゴに流れたようですね。
で、そこでも同じ事が起こる。

ボスニアに関してはまさにレバノンと同じです。
もともと少なかったイスラム教徒がついには国を1つ持とうというくらいになったわけです。
そしてそれはボスニアだけに止まらず、50年後にはセルビアも他の国もそうなりかねないという恐怖。
セルビアの指導者は当然殺戮が悪だとは分かっていても数を減らさなくてはならないと思いました。
だから無条件撤退しても彼らには十分な勝利でした。
どうしたらいい?自然に任せて文化も思想も時代の大きなものに飲まれて行くべきなのか?

ブータンの場合もレバノンと同じく昔に戻してほしいということでしょう。
でも生まれてきてしまっている人には困りますね。
宗教と教育の問題ですね。子供をたくさんつくる宗教というのは必然的に貧しくなります。
貧しい人が増えると貧しさから抜け出したいというエネルギーが生まれ、そうではない集団に恐怖を与えます。
中国の人口政策ではないですが、少ない子供をちゃんと育てるという教育が長い時間をかけて
人口変化による紛争を無くして行くのだと思います。

下の書込によれば、やはり怪しい集団が動いているようですね。
まだレバノンや旧ユーゴのようになっていないのが救いです。
数の恐怖はレバノンに居るときに初めて知った真実です。
でもこのことは誰も語ろうとはしませんが、問題解決の糸口だと思います。
数の安定こそが問題解決につながると思います。
政府も外から来て定住した人もどちらも悪くはないのだから。

日本にも今イスラム教徒が10万人居ます。
100年後には間違いなくひと事ではない話しになります。
この問題の解決策を早く考えないと大変なことになるかも知れません。
ちなみに僕はイスラム教もイスラム教徒も嫌いじゃないですが
イスラム法があと10年で採択されるとなったら複雑です。

ブータンについては、よそ者の活動家に注意を払ったほうがいいのでしょうね。
旧ユーゴが落ちつくと、いらなくなった武器の行き場が心配です。

http://www.tairaatl.com


私信(グズザンポーさんへ) 投稿者:管理人 投稿日:06月24日(土)14時55分33秒
こんにちは。週末、いかがお過ごしですか?

私は、ちょっとブータン難民のことを考える際に
15年ほど前に読んだアーシュラ・K・ル・グィン
の短編がどうしても思い出されてしまいます。

ハヤカワ文庫の「風の十二方位」の中の「オメラス
から歩み去る人々」という10ページ程度のヒュー
ゴー賞受賞作。たわいのない作品と言えば、そうな
のですが、忘れられない印象を残します。

えっと、これは返事を期待していない私信です。い
つも(ときどき?)書き込みありがとうございます。
これからもよろしくおねがいしますね。


東部問題 投稿者:グズザンポー 投稿日:06月23日(金)21時39分25秒
>東のシャショッパに対する迫害など、冗談はやめて下さい。
う〜ん、困ちゃったな・・・
シャーチョップ系住民に対する弾圧問題については、比較的新しく
ローツァンパ系問題の影に隠れて、ほとんど表面化してませんものね。
おととし、札幌に2ヶ月ほどの短期研修でブータン人が来ていました。
彼はシャーチョップだったんですが、彼が言っていたのは、最近風当たりが
急に強くなって仕事がしずらくなった(在ティンプー)とか、シャーチョップ
の為出国に非常に手間取ったと嘆いてました。
管理人さんが訪れたネパールのブータン難民キャンプにも、ローツァンパ系
以外の人々が少なからず生活していたのでは?と推測しています。
また、ブータンの反政府組織のひとつ、ドゥルック国民会議(DNC)は
シャーチョップ系の組織と認識しているのですが・・・

雪中庵さん、こんにちは 投稿者:管理人 投稿日:06月20日(火)18時48分14秒
書きこみありがとうございます。Restaurant Tashi
Delek !の掲示板に書きこみをされていた雪中庵さん
ですね。こんにちは。

えっと、歴史に「もしも」は禁物なのですが、ブー
タン難民は現在の問題なので、よいかな?

もし、雪中庵さんがブータン南部に4−5世代前か
ら住んでいるネパール系の家に生まれついて、雪中
庵さん位にブータンを愛していて、10歳くらいの
時に政治的な混乱の中で、よくわからないまま、家
族と共にブータンを離れて、20歳になった今、難
民キャンプにいるとしたら、「ネパールや国際社会」
にどんな解決を求めますか?この質問はこの問題の
責任の所在云々の質問ではなくて、ちょっと個人的な
質問なのです。


はじめましてジェンカさん、 投稿者:管理人 投稿日:06月20日(火)18時36分19秒
書きこみありがとうございます。

ブータン難民についての世界の論評で、日本語になって
いるものはあまりないのではないでしょうか。時々雑誌
などに短い記事がでることは多いのですが、、、英語だと
アムネスティの94年の報告書(下にリンクしました)
などがあります。長いのですが、94年までの状況が記
載されています。

また、思ったことを書いてくださいね。

http://www.amnesty.org/ailib/aipub/1994/ASA/140494.ASA.txt


難民は難民でも・・・・ 投稿者:雪中庵 投稿日:06月20日(火)11時09分32秒
 はじめまして、当時ブータン(チュカ&ユンフラ)に住んでた者です。
この問題の本質は、「経緯」の所に書かれている「北部支配民族の総人
口比の低下が明らかになる」にあります。
「ブータン難民」とありますが、実質的には、それ以前にネパールから
ブータンへと流入(不法入国)してきた「ネパール難民」です。
民族衣装の問題は本質的ではありません。あれは元々、都市部での青年層の
ディスコ通いなど風俗の乱れを取り締まる規制だったし、南部で
問題が生じてひと月経つか経たないかぐらいに、国王自身が出向いて、
「ネパール系住民を対象にしたものではない」旨、説明しましたが
(言葉の件も学校での授業中の話であり、それ以外の時間は当然自由でした)、
その時には、既に前年ネパールで王政打倒に成功した“プロ”が入っていて、
銀行や学校の爆破、郡長の首を切ってさらし首にするなどのテロ活動
(こういった事実は書かれないんですね?有名な“焼きうち”よりこっちが
先なんですけどね)が頻発したため、それまで長くブータンに居て市民権の
あるネパール系住民まで居づらくなって、一緒に逃げたという状況です。
 一定期間の居住を証明できれば、ちゃんと市民権を与える手続きは
行われ、それでも僕の友人だった南部系の人は「居づらい」と言って、
あえて北部の果てのルンチへの転勤を希望して去りました。
(ちなみに東のシャショッパに対する迫害など、冗談はやめて下さい。
王家自身が東の出身なんですから。<ただシャショッパは農民で朴訥な
ので出世競争で劣りますが)
 最初にあるように、ネパールからの難民の流入に対し、法定の定住
期間を証明できない者を追い出すのは、法治国家として当然(日本だっ
て無一文で辿り着いたボートピープルを追い返している)であって、
その結果である難民村の悲惨さと、ブータン政府の対応の妥当性は
関係ありません。(ネパール、ないしは国際社会の問題であって)

http://member.nifty.ne.jp/psytex/


ショック!! 投稿者:ジェンカ 投稿日:06月19日(月)22時15分39秒
はじめまして。私は世界中の文化に興味があり、ブータンも
あこがれの国のひとつだったのですが、こんなことが起きて
いると知り、超ショックを受けました。(常識かしらん)
幸福な山国、極彩色の仏たち、緻密な手工芸品、なかなか美中年な王様、豊かな信仰。
ああさようなら私のおめでたいイメージ。(でも写真では本当に牧歌的ですね)
ブータン難民について書かれた世界の論評が読みたいです。
日本では外国のニュースは、報じられても変にロマンティックだったり
アメリカの色がついたり経済に偏ったりしてしまいますものね。

一種の宮廷政治かも、、、 投稿者:管理人@残業中 投稿日:06月05日(月)20時50分01秒
柳雄さん、いらっしゃい。なんか「旅行人」経由なのかアクセスが
いつもの数倍あります。来てくださった方、ありがとう。

柳雄さんが言われるように「ブータン難民」の構成はどうなっている
のかは、なかなか複雑なようです。国連難民高等弁務官事務所による
難民認定基準では、ほとんどが「難民」になっているために、ブータ
ン政府はUNHCRの認定基準を使いたくないようです。

いろいろ経過を調べていて、不思議なのは、そう「ブータン政府の真意」
なのです。国王が「国を去らないよう求める」勅令を出しながらも、国家
装置を使ったネパール系の住民の追い出しをしたり、シャルチョプカに
対しても弾圧を加えたり、、、

国王に近かった亡命中の人々は「国王は悪くない。側近が悪さをしている
のだ」(なんか天皇の戦争責任みたいですが)とか言うのですが、本当
の所は、ブータンの政治システムが宮廷政治みたいなので外からはわか
らないのです。開発援助金不正流用が明かになったことや、権力争いなどが
引き金になったとは言われているのですが、、、

いずれにしても、心やさしいブータンの人々は、ネパール系の人々を
抑圧している現状を(もし知ったのなら)よしとは思わないでしょう、、、

参考までに下に「のるぶ」さんのサイトを紹介します。「民族」の項に
この問題について彼の見解が述べられています。私のサイトとはかなり
切り方(考え方)が異なりますが、理解の助けになると思います。

http://members.tripod.com/druk/


ネパール系ブータン人とは 投稿者:柳雄 投稿日:06月04日(日)22時53分34秒
 旅行人を通じてまいりました。
 5年ほど前に家内と二人ブータンを旅行し、手配旅行とは言え常に運転手とガイドが同行する鬱陶しさと1日1人200$(でしたっけ?)と言う価格の高さには参りましたが、誰もが言うとおり時代劇の日本を見るようで印象深いユニークな国でした。
 誤解かもしれませんが、数年前のネパール系ブータン人排除は、ネパールからの移民労働者の増加に苦慮した政府が強攻策に出たと思っていました。つまり、違法合法含め、ネパールからの移民が過多になり規制に出た、と。今回もネパール政府が動くと言うことは、ブータンネイティブのネパール系人ではなく、迫害されているのは移民なのではないのでしょうか?
 スリランカでは、英国がプランテーション労働者として連れてきたタミール人が増えてきて危機感を持つシンハリ人と対立していると聞きます。真の原因は英国にあるわけです。ブータンも類似の状況なのではないのでしょうか。
 難しい問題と思います。もちろん非人道的対応は許せるものではありませんし、ゴを強制するのもどうかと思います。ただ、放置すればブータンはネパール化してしまうと言う危惧は理解できる気がするのです。今までうまくいっていたのにと言っても、これまではネパール系人口が少なかったのでしょう?多くの国が外国人の無秩序な流入を規制しています。
 もともとネイティブとしており、その人達が仮に一方的に増えているというならブータン政府の真意が分かりません。ネパール系ブータン人がなぜ増えているのでしょうか?あるいは増えているわけではなく、単なる政府の独善的な民族浄化なのでしょうか。

文脈(日本は単一民族?!) 投稿者:管理人@昼休み 投稿日:05月09日(火)12時28分46秒
うーん、HISAさんの文脈では「文化的に均質性が高い」と
いった意味なのでしょう。単語だけを取り上げると、言葉狩り
になる危険もありますし、、、でも、「日本は単一民族国家」と
言うとき、その人の「認識不足」より政治的立場性と理解され
るので注意は必要かも知れませんね。

ところで、ネパールの外務大臣がインドを訪問しているとのこと
です。緒方貞子氏の三国訪問の直後だけに、ブータン難民につい
ての協議がされると思われます。


日本人は単一民族国家? 投稿者:KU ZU ZANGPO 投稿日:05月08日(月)23時57分49秒
HISAさん、いまどきこんな事言ってちゃまずいっすよ。

インドの態度 投稿者:管理人 投稿日:05月06日(土)02時26分51秒
HISAさん、書き込みありがとうございます。おっしゃるように
この問題から、日本社会を考えさせられますね。

見当はずれのレスになるかも知れませんが、昔、すねた子どもだっ
たの頃、ジョン・レノンのイマジンを聞いて、なんて幼稚でセンチ
な曲なんだろうと笑っていたのですが、色々なことを実際に見聞き
して歳をとった今では逆に笑い飛ばせなくなりました。

さて、緒方貞子氏はインドを訪問してインドの協力を取り付けたと
プレスで発表しました。これが、インドのその場しのぎのリップ
サービスでないと良いのですが、、、


ブータン難民への認識を新たに 投稿者:HISA 投稿日:05月05日(金)14時16分04秒
YAHOOからたどって着ました。
ブータン難民については、話には聞いていましたが、結局は民族対立が根底に
あるのですね。そのことをあまり認識していませんでした。
個人的な感想ですが、日本人は単一民族国家なので、相容れない民族の対立に
敏感でないかもしれないと思いました。つまりは、抑圧側にも難民側にもそれ
なりの立場があることをあまり気に留めてませんでした。
もっとも、隣の人がどんな人かということに関心が無くなることと、深い民族
意識とが相反するような気もしますし、社会性を失うことと、民族の融和が似
ているとも感じています。

http://www.aichinet.ne.jp/~hisa/


緒方難民高等弁務官 投稿者:管理人 投稿日:05月02日(火)16時33分55秒
がブータン難民キャンプを訪問するために
5月1日、ブータンからネパール入りしました。
問題解決への圧力となると良いのですが。

こんにちは 投稿者:管理人 投稿日:05月01日(月)20時05分46秒
KU ZU ZANGPOさん、書きこみありがとう。

札幌はこれから桜でしょうか??

うん、DNCは今どんな主張をして、どんな活動をして
いるのかが良く伝わってきませんね。97年の弾圧以降
どうなっているんだろう、、、うーん、リングホー
ファーさんか、アフラの人などで、ご存知でしたら
教えてください。


文字化けごめんなさい 投稿者:KU ZU ZANGPO 投稿日:05月01日(月)11時38分46秒
下にカキコしたんですが、ハンドルネ-ム文字化けしちゃいました。
ところで、リングファ-ホ-氏とは、2度ほど飲んだ事があります。
オ-ストリア人なのにホップアレルギ-でビ-ルが飲めない・・・・・
タシデレから日本酒の冷でした(笑)

始めまして 投稿者:現淹渺累- 投稿日:05月01日(月)04時50分43秒
サ-フィンしていてたどり着きました。
ブ-タンフリ-ク歴30年の北海道在住の会社員です。
札幌には、現在二人のブ-タン人留学生が居り、非常に親しく懇親しています。
うち一人がロ-ツアンパ(ネパ-リ サムチ出身)でrefugeeの問題は一程理解してると思います。
全く解らないのがシャ-チョップ系のDNC(ドゥルック国民会議)
代表のロントン・クンレイ・ドルジは釈放されたと聞いてますが・・・・・

3月24日のAFPニュース 投稿者:管理人 投稿日:04月11日(火)23時07分29秒
AFP reports a newly-formed force of Bhutanese militants and
ex-Gurkha soldiers has demanded Bhutanese King allow the
repatriation of 100,000 ethnic-Nepalese refugees from Nepal
or face a phased war.
このニュース以降にフォローする内容の情報はまだありません。
どなたかご存知ですか?

次官級の会談が続く(予定) 投稿者:管理人 投稿日:03月09日(木)16時02分48秒
新華社によると、閣僚級の会談はブータンがごねて延期に。
次官級会談が引き続き行われる模様。例によって、難民
の定義(カテゴリー分け)とかでもめているんでしょう、、、

大国インドはさっぱり関心はなく、ネパールの度重なる
仲裁の要求も無視。自国の利害が絡まないことでインド
が動くとも思えませんよね、、、


で、会議の結果は? 投稿者:小熊のサーシャ 投稿日:03月05日(日)02時51分44秒
どうだったんですか?

地域の超大国、インドは介入するんですか?
インドはブータンとネパールのことにかまってるより、パキスタンが気になるのかなぁ?

うぅん、気になりますね…。


第10回閣僚級合同会議  投稿者:管理人 投稿日:02月21日(月)21時37分20秒
が今月に開かれるようです。昨年の9月より
比較的頻繁に開かれています。難民問題解決
にむけて、なんらかの前進があると良いの
ですが、、、

いらっしゃい、大根もちさん 投稿者:管理人 投稿日:01月27日(木)17時50分05秒
こんにちはー。いらっしゃい。

わたしも、ネパールでヒマラヤを越えてきたチベット難民を
見たときは、自分の親戚などと同じ顔をしているんで、涙腺
が緩みぱなしでした。やはり、同じアジアの人々への想いは
どうしたって違うものです。でも、それだけじゃ、やっぱり
いけませんよね。

ブータンにとって日本からのODAは国家予算の大きな比率
を占めています。うまく使われているといいのですが、、、


こんにちは 投稿者:大根もち 投稿日:01月26日(水)17時09分38秒
いままでブータンという国に対して興味はありましたが、きちんとした知識はありませんでした。
表面上からは見えにくい、たくさんの複雑な利害関係が絡んでいることを再認識させられました。
どこの国も同じですね。
僕ら日本人の間に起きている「アジアブーム」が単なるノスタルジックな回帰的なものにとどまらず、より理解の深いものになるよう願います。このホームページの運営、引き続き頑張ってくださいね。ブータンとその周辺諸国の関係とかについても教えてほしいです。

写真でも送ってねー 投稿者:管理人 投稿日:01月22日(土)18時38分19秒
 ひげ男さん、おひさしぶりー。そうだよー。
最近もいろいろブータン難民については動き
が出てきてるよー。
 ところで、キャンプ内の学校や赤十字の活動
についての写真が少ないのだけれど、良い写真
持ってないかなあー、皆さん?

ひげ男さんこんにちわ 投稿者:ドラえもん 投稿日:01月22日(土)13時09分46秒
ごぶさたしておりますが、ひげ男さん、お元気ですか?
最近どうしてますか?
おとなしく会社員してるんですか?それともなにか企んでるんですか??

ドラ


ひげそりました 投稿者:ひげ男 投稿日:01月21日(金)20時35分59秒
ドクターごぶさたです。
情報きちんとアップデートされてますね。
助かります。

写真があってちょっぴりうれしかったひげ男より。


ドラちゃん、ありがとう 投稿者:管理人 投稿日:01月18日(火)00時43分21秒
ドラちゃん、いろいろありがとねー。

確かにネタがネタだよねー。でも、地道に
お互い頑張りましょう!


100人目は私 投稿者:ドラえもん 投稿日:01月17日(月)21時03分02秒
私のサイトはヒットが少ないとお嘆きの貴兄へ。

ネタがネタなので一週間で100だったらいいじゃないですか!

がんばって宣伝してくださいね。私もお手伝いします。


ふくいさん、いらっしゃい。 投稿者:管理人 投稿日:01月13日(木)18時12分06秒
 ふくいさん、桜の便り、ありがとうございます。

 あの本は、あの形式で出版してもらって本当に
良かったです。普通の単行本であったら、とうに
裁断されてますよねー。

 ところで、昨年末、ブータンの金大中、テク・
ナット・リザル氏が釈放され、ブータン国王との
話し合いを求めています。今後、どのように動く
かわかりませんが、現在の難民をまとめきれるの
は彼しかおらず、彼の動向から目が離せません。

 また、彼と共に多くの政治犯も釈放されていま
す。これは、「民主化」のポーズなのか?それと
も本当になにか変わりつつあるのでしょうか??


皆様おかわりありませんか? 投稿者:ふくい 投稿日:01月13日(木)13時07分03秒
かわまたさんお久しぶりです。キャンプ・サダコ参加者のみなさま
にも,おかわりありませんか?
ペブル選書「難民と出会って」を編集させていただいた福井です。
この本は,この手の編集作業ははじめてだったこともあり,
非常に思い出深いものがあります。
売上数では自慢できるものではありませんが,
とても意味のある本を編集したんだ,という思いは今もかわりません。
とても多くのことを学ばせてもらった気がします。
多くの人にこの本を読んでもらいたいんですけど,売り場が変なところ
(学習参考書コーナー)にしかなくてごめんなさい。
今後は改善するかもという希望はありますが,断言はできません・・・
取り急ぎご挨拶まで。

http://www.zkai.co.jp/


こんにちは、ドラえもんさん 投稿者:管理人 投稿日:01月11日(火)18時45分10秒
 一緒にキャンプに行ったドラえもんさんから桜の
メッセージ、ありがとう。
 
 そうですよね。あれがお互い人生の転機(転落?)
の始まりだったのかも知れませんねー。

 それと下のリンクをクリックするとUNHCRが編集
したブータン難民の最新ニュースが見ることが出来
ます。

http://www.unhcr.ch/refworld/cgi-bin/newscountry.pl?country=Bhutan


拝見しました 投稿者:ドラえもん 投稿日:01月11日(火)13時14分58秒
HP拝見しました。
当時バリバリ(?)のサラリーマンだった私は「難民キャンプ訪問」という名目の
一ヶ月の休暇を取りました。
その後年月は流れ、私は日本を脱出し現在国際人道援助団体で仕事をしております。
あの経験がなければ、私はまだ(&定年まで?)東京でサラリーマンをしていたことでしょう。
私にとっては短期間のキャンプ訪問でしたが、人生の転機(のきっかけ)だったわけです。
ただ、私はこんなに自由なのに、そのきっかけをくれた難民のみなさん(ヘンな言い方?)は
相変わらずあのキャンプで生活してるのかと思うと、複雑な心境です。

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 ネパールのブータン難民