中東遺跡の旅
今回のルート
レバノン編
シリア編
ヨルダン編
2000.8.15-27
トルコ
イスタンブール
航空券がトルコ航空でイスタンブール経由のベイルートイン、ダマスカスアウトであったが、
乗り継ぎの問題で前後にトルコでトランジットの待ち時間があった。そのため行きにはイスタンブール、
帰りはカッパドキアとトルコのメインの観光地に行くことができた。
イスタンブールには夜7時についた。空港からHavasに乗って、Aksarayへ行き(200000TL)そこからトラムでスルタンアハメッドへ。
ホテルはKervar Guesthouse (15US$)。宿は旧市街のスルタンアハメッドの中心であり立地は良かった。
基本的にトランジットだったので、一日しかなかったが、旧市街にほとんどの見所がかたまっているので、
容易に見てまわることができた。

まず、イスタンブールの中心とも言えるブルーモスク、アヤソフィアと回った。
ここからトプカプ宮殿までは歩いていける距離である。これら一連の建物が旧市街のメインとも言える。
特に印象深いのは、トプカプ宮殿からみえるボスポラス海峡の眺めである。ここはアジアとヨーロッパの境界であり、
宮殿内から見渡すことができる。いままでアジア、ヨーロッパと旅をしてきたものにとっては特別な感情が湧いてくる。
宮殿内の美しい宝石や装飾品も悪くはないが、私にとってはこのボスポラス海峡の景色は忘れることができないものとなった。
旧市街の観光を一通りすませ、次に新市街に行くことにした。トラムでガラタ橋の付近まで行き橋を歩いてわたる。
そこからは地下鉄とトラムでいけるが、とりあえず行きは歩いてみた。少し迷ったのと、暑いなかで坂を登るのは骨が折れたが、
なんとか新市街に到着。
ここは予想はしていたがまさに新市街。
現代風の街でありビジネスの中心でもある。行き交う人々も今風のファッションをしており、町並みもヨーロッパの街と変わらない。
そもそも新市街に来たのは、日本領事館があったので、パスポートのビザ欄の増補をしようとしたのだが、
領事館では増補をするだけで二日かかると言われ断念した。(そう、あくまで首都はアンカラであるので、大使館はアンカラにある。)
タクスィム広場でインターネットカフェを見つけメールを出し、イスラティーク通りを逆に戻る。ここもトラムが走っているが、
のんびり歩いて戻った。
帰りはほんの一キロくらいの距離を走るだけの地下鉄に乗って下った。
再度ガラタ橋を歩いて渡り、イエニジャミーを見て、トラムで今度はグランバザールに行く。
ここはアラブに良くありがちな屋根つきで迷路のようなマーケットである。別に何を買う予定もなかったが、
こういうところは街の熱気を感じることができ、楽しめる。ここは金の装飾品で有名らしいが、買う予定はないので、
冷やかしで眺めていた。
その後またスルタンアハメッドに戻り、イェレバタンサルヌジュと呼ばれる地下宮殿にいった。
地下宮殿はローマ風の列柱が立っている地価の貯水池である。列柱はライトアップされ、
中にはステージがあり伝統音楽のコンサートをやっていた。
以上イスタンブール旧市街、新市街とも見所は集中しており、観光しやすい。主なところは一日出回ることができる。
生活レベルも高く、日本人観光客も多いが、逆にいえばヨーロッパナイズされ犯罪も多い。
今回まわった中東と比べ治安はかえって悪いと思われる。インフレもひどく10000000トルコリラ札まである。
物価とレートの対比がすぐにはできないので、ぼられ安いのも気をつけなくてはならない。
因みにトルコでよくおきる犯罪は睡眠薬強盗だそうだ。気をつけよう。
カッパドキア
中東からの帰り、イスタンブールからすぐさまアンカラに飛び、アンカラのオトガル(バスターミナル)から即座にバスに4時間のってギョレメについた。
もちろん目的は奇岩地帯であるカッパドキア観光である
ギョレメはカッパドキアの中にある観光のベースタウンであり
、各見どころに行くのに一番都合がよく、安宿もたくさんあり、過ごしやすい町である。着いた当日ギョレメの野外博物館をみた。
ここは一つのメインの観光場所で、博物館といいながら中に壁画の書いてある奇岩があるだけで、人工的な建物を建てているわけではない。
フレスコ画は宗教画であるが、キリストの目がつぶされていたりして、難しい宗教対立の歴史を感じさせた。その日はここだけで終了。
宿はkose pensionにした。一泊ドミトリーで2500000TL。(IUS$=600000TL) しかし、ここのドミトリーは豪快で、私の泊まった最上階のドミは20人部屋であり体育館のようである。
また、ここはプールがあったりして、白人好みに造っており、欧米のバックパッカーでいっぱいである。
街中にあるZemi toursと同経営ということで、Zemi toursで貸しバイクを借りる。スクーターを8時間かりて13000000TLであった。
ちなみにバイクを借りるのに国際免許も何もいらず、乗るのにヘルメットも要らない。二人乗りをしている連中もいるので何でもありありと言う感じである。
翌日はアンカラに帰らなければならなかったので、借りたバイクで早朝からガンガン回った。
まず、パシャバーにある有名な3つのキノコ岩を見て、ゼルヴェ屋外博物館に行った。
ゼルヴェはギョレメの博物館と同様奇岩が並んでるエリアを区切っているだけであるが、
また奇岩の形が違っていて見える景色も微妙に違う。その後、アヴァノスに行って朝食。
ここは陶芸の街であり、陶芸体験もできるとのことだったが、時間がないので今回は見送った。
その後、ローズバレー、レッドバレーとともに、ややピンクの色調の奇岩帯をみてウルギュップに行った。
ここから再びギョレメ方向に戻り、サンセットポイントに行く。残念ながら、真昼間だったが、
ここからローズバレーの奇岩帯がみえて日没には美しい光景が展開されるらしい.。因みにここは入場料をとられる。
その後、オルタヒサルに行き、ギョレメパノラマを経てウチヒサルへ。
オルタヒサルとウチヒサルはどちらも巨大な岩であり、その中に城砦が作られている。
それぞれ街の中心にあり、シンボル的存在である。
ギョレメパノラマはギョレメからウチヒサルに行く途中に広がる広大な景色であるが、
ここからの景色はカッパドキアでも最高と思われる壮大さである。丁度グランドキャニオンをみて言葉がなく、
たたずんだときと同様の感動があった。
そこから10数キロ離れているカイマクルの地下都市に行った。
この地下都市は迷路のようになっている洞窟であり、中には生活に必要なスペースが全てある。
実際、大規模な共同生活がなされていたらしい。部屋の一つがハードロックカフェという名の喫茶になっており、
ここでは洞窟内でお茶が飲める。なんとも言えない風流さがありお勧めである。
帰りはまたギョレメパノラマを経由してギョレメに帰った。スクーターでの疾走も広大なカッパドキアでは爽快であり、
バスのツアーより私には合っていると思った。
できればオフロードバイクの方が、道を外れて奇岩の地帯に入れるのでより面白いと思われる。
ギョレメを出たのは4時頃だったが、シャトルバスでネヴシェヒルに行き、アンカラ行きのバスに乗り換えることになる。
この乗り換え待ちの駐車場で、なにやら太鼓や笛が始まり人々が集まっている。
初めは観光客用のパフォーマンスかと思ったが、どうも回りには観光客らしい人たちはいない。
そうこうするうちに派手なデコレーションをした車が乗り付けてきて、さらに人々が集まってきた。
バスに乗って待っていると、20歳前後の若者が数人乗ってきた。
そして窓の外を見ると彼らに向かって村人を思われる人たちが手を振っている。
中には母親らしき女性が涙を流している。聞いてみると彼らはこれから兵役に向かうのだそうだ。
バスが走り出し、次の停留所でも同様の光景が展開された。
そう、これはまさに日本の太平洋戦争のときの出征兵士の見送りそのものであった。
平和な日本では忘れてしまった光景なのだろうが、現実に戦争はなくなっていない。
カッパドキアの景色よりなにより、この日最も印象深かった光景であた。
アンカラ
アンカラはトルコの首都であるが、イスタンブールと比べると見所は少ない。はっきり行って長期滞在する意味はないだろう。
ただし、主要都市ではあるから、出入国や交通手段の関係で立ち寄ることもあるかもしれない。
私はカッパドキアに行くために日本で手配してアンカラアウトにしたが、快適な夜行バスが使えるトルコでは、
後になってみればイスタンブールに移動するのは簡単で、余計な航空券を手配する必要は全くなかった。
アンカラはウルス地区に安宿が集まっている。オトガルから地下鉄が出ており、ウルスまで地下鉄でいけるので、
夜中に着いても宿探しは可能である。
宿はウルス地区にある安宿に一泊7000000TLで泊まった。
翌朝、アンカラ城、ローマ浴場跡に行ってアンカラ観光は終わり。2時間もあれば十分である。
空港にはアンカラの鉄道駅の近くからシャトルバスが出ている。
トルコ航空はアンカラ―イスタンブールを同じ飛行機で乗るにもかかわらず、国内線扱いで乗る客と国際線扱いで乗る客をわけている。
私はアンカラからイスタンブール経由で日本に帰るためにアンカラで乗るときに国際線扱いとなった。
これが非常に分かりにくく、アンカラーイスタンブールを国際線扱いで乗る客は極端に少ないため、
ゲートにも数人しか待っていないし、最後に搭乗することになるので、時間を過ぎても呼ばれなかったりして、
トラブルになる可能性がある。
アンカラから出入国する人は、こういったこともあるので、気をつけたほうが良い。