シリア

レバノン編
ヨルダン編
トルコ編



ダマスカス



バールベックからセルビスでストゥーラに戻り(3000Libre)ここで、乗り換えて5US$でダマスカスに着いた。 シリアの入国は結構待たされたが、手続き自体には問題はなかった。しかし、社会主義国特有の役人の怠惰な仕事ぶりはいずこも同じであった。
ダマスカスはマルジェ広場の回りに安宿が集まっている。 ダマスカスは夕方着いたこともあり、バックパッカ―の集まる宿はすでにフルになっていた。 結局Rama Hotelという中級ホテルに泊まった。(15US$) 一旦ヨルダンに行って再び戻ったときは、ホテルアルハラメインというバックパッカー宿に泊まった。(235S£、1US$=40S£)

旧市街は、アラブ特有の迷路になっているスークとなっている。スーク自体は服、装飾品、雑貨、食品など何でも売っている。 お勧めは、路上で売っている菓子パンである。一個5-10S£であるが、非常にうまい。水売りの人の近くによくいる。

スークのなかの見所はウマイヤッドモスク(写真左)とアゼム宮殿(写真右)である。
ウマイヤッドモスクは715年に建てられた世界最古のモスクである。 建物自体もそうであるが、ダマスカスという聖地にあるということがこのモスクの価値なのであろう。 入り口から入るとすぐにサラディーン廟があり、オリジナルとドイツから送られたという二つの棺が並んでいる。
モスクの中は各地からきたと思われる人々が祈りをささげている。建物内はさほどきれいではないが、ムスリム達の熱気を感じることができる。 彼らにとっても宗教的意味だけでなく、観光的な意味もあるようだが、聖地としての神秘的な雰囲気を持つ場所である。

アゼム宮殿はウマイヤッドモスクのすぐ近くにある。1794年に建てられた宮殿なので、建物としてそれほど古いわけではない。 (本来一般的には十分古いが、他の遺跡に比べればという意味である。)
中は民族博物館となっている。美しい装飾品や衣裳などを見ることができる。
ダマスカスという歴史のある町で、聖書の時代からある道をのんびり歩く。結構贅沢なものであった。

ダマスカスでは日本大使館に行き、パスポートのビザのページの増補をした。 イスタンブールでは2日かかるといわれたが、ダマスカスではわずか30分で終了した。(1095S£)

シリアではメールをするのが結構難しい。 ダマスカスでは、ホテルアルハラメインの近くにインターネットカフェが一軒(1分=2S£)また、ヒジャーズ駅の近くにあるインターコムでもホットメールは使える。 (1時間700S£)いずれにせよ、シリアではネット環境が悪く、お金も高くつく。

ダマスカスも昼間は暑くエアコンがないと、とても過ごせないのだが、夜は比較的涼しい。というのはやはり湿度が低いためなのだと思う。
あるとき、夜にポテトチップを食べていた。そして、半分くらい食べたものを袋そのままにして寝てしまった。当然翌日になるとしけってしまうのが日本の常識である。 しかし、ここシリアでは翌日になっても、なんとパリパリのものが食べれた。それ程湿度が低いのである。逆に言えば日本の湿度が高すぎるのかもしれない。




パルミラ


パルミラはダマスカスのバスターミナルからバスで110S£。 200kmの距離を3時間ほどかけて行くにもかかわらず、わずか400円ほどであるのは、信じられない安さである。
パルミラの博物館などの入場料は学割が効く。それも、100S£が5S£になるというような割引である。 ただし、バンコクで作ったようないかさま学生証を使えないように、印刷してない手書きの国際学生証のカードは使用不可である。

パルミラは並ではない暑さで、気温は40度をゆうに越え、炎天下では、ほんの20m歩いただけで休みを取らなければならないほど。 大量の水分を用意して歩き始めた。
まず、ベル神殿に行く。保存状態の悪いパルミラの遺跡の中で、唯一ある程度まともな形で残っている神殿である。 1-2世紀に造られたものとのことであるが、いわゆるローマ風の神殿で、よくその時代につくれたものだと感心する。

ベル神殿を出て、記念門から列柱道路を歩いていく。しかし、非常に暑い。ちょっとの距離をなかなか休まず歩いていけない。
円形劇場、四面門、と通り、ディオクレティアヌス城塞まで歩いた。午後1-2時の炎天下であり、もはやこれで限界。とてもアラブ城まで歩く余裕はなかった。
記念門まで戻ってきてから、民族文化博物館に入る。展示物はさほどではなかったが、中で飲んだチャーイとエアコンのきいた部屋が最高であった。

パルミラからダマスカス行きのバスはいくつかあるが、カルナックのバスは早々に予約がいっぱいになってしまい、 あとはデリゾールかパルミラを経由してダマスカスに行くバスが、パルミラで下りた人間の分だけ空席ができるので、そこに乗るしかないという。
仕方ないので、バスターミナルでデリゾールからのバスを待ってすかさず乗り込む。

パルミラは十分一日で回れる遺跡であるが、私のように昼間に到着して日帰りしようとすると、炎天下に観光することになり、結構大変である。 日程に余裕のある場合、早朝、もしくは夕方に遺跡めぐりをするように計画することを勧める。


アレッポ




アレッポはシリアの北にあるシリア第二の街である。ここには世界遺産のアレッポ城がある。 ダマスカスからは、バスで5時間(150S£)。しかし、シリアのバスはエアコンも効いていて結構快適であるので、暑い昼間はバスで移動をするのもいいと思う。 ただ、たまにエアコンの効きが悪いものもあるのでその辺は運次第である。

アレッポにはバロンホテルという古いが有名なホテルがある。アラビアのロレンスやリンドバークも泊まったという。
一泊30US$はシリアでは高いが、話のネタに泊まることにした。やや古くなってはいるが、天井は高く往年の高級ホテルという感じは伝わってくる。 内装もアンティークな感じで落ち着く。ただし、フロントの人間が両替を持ちかけてきたりして、うっとうしいこともある。

アレッポ城は周囲2.5km、アレッポのシンボルである城で世界遺産にもなっている。 天然の丘を利用したこの城は紀元前10世紀からあり、十字軍、モンゴル軍、ティムール朝の侵略に耐え、16世紀に現在の形になったそうである。
残念ながらこの日は火曜日であり、中に入れなかったが、小高い丘にそびえたつ様は、外からみただけでも迫力があった。
アレッポ城の近くには大モスクとキャラバンサライと呼ばれる近世のヨーロッパの隊商宿がある。今は倉庫として利用されている。 写真は17世紀に作られたアルワジールである。

アレッポ城の正面からスークに入れる。 スーク自体はダマスカスと同様だが、アレッポ独自のものとして、アレッポ石鹸がある。土色の石鹸の中にうぐいす色のオリーブ石鹸が入っている。 お土産用のパッキングもあるが、多くはそのまま山積みになっている。アレッポ石鹸は日本でも有名だとのことだが、私はよく知らない。

アレッポはダマスカスと違ってやはり少し田舎の町なのか、ダマスカスのようにジーパンをはいているような若者は少なく、町の人々の服装も伝統的である。 町の雰囲気も少し汚い。ただ、その分、素朴なアラブの雰囲気を味わえるともいえる。







ハマ



ハマはダマスカスとアレッポの中間にある小さな町だが、まさに砂漠のオアシスであり、水車で有名である。 アレッポからは、カルナックなどの大きな長距離バスでなく、ローカルのバスに乗って行ったので、30S£で行くことができた。
石つくりの遺跡に慣れた目には、このハマの水車と川の緑のコントラストは新鮮で印象的である。
水車は市内の中心に二つ、アンノウリモスクの近くに一つ、さらに城塞の奥に直径20mと最大のアルモハンメディーエという水車がある。
城塞の上は公園になっており上から市内を見渡すことができる。まさに砂漠のオアシスだけあって緑が美しい。









ボスラ


ボスラはダマスカスから南に行ったヨルダンとの国境付近にあり、小さな遺跡であるが、ほぼ完全な形で残っているローマ劇場があり、世界遺産の一つとなっている。 ダマスカスからは、ガラージュバラムケからカルナックバスで50S£、1時間30分で着く。
ボスラの中心はローマ遺跡である。ほぼ完全に残っており、今なお劇場として使っているようで、音響機器など完備されている。 周囲の遺跡は、かなり痛んでいるが、もともとの遺跡の規模は結構大きい。ボスラの町自体は小さい田舎町であり、まだまだ素朴である。 滞在してみるのも良いかもしれない。(ただし町自体には何もないが)
ダマスカスーボスラ間の直通バスは数が限られるので、帰りはボスラからダラーにセルビスで行き(15S£)ダラーからダマスカス行きのバスに乗り帰った。(25S£)