ラオス


2000.10.27-30
週末の3日間の休みをフルに使って、バンコク経由でラオス旅行に行ってきました。 本来時間があればもっとのんびりするところなのですが、いつものことながら、そんなことを言う余裕はなく、駆け足の旅行となりました。

ビエンチャン 1

成田を11時過ぎに出発。TGでバンコクに15時過ぎ到着する。 バンコクで両替。現在のレートは1US$=42.8B。
そこからラオ航空に乗り換えて、ビエンチャンに到着。空港からタクシ―に乗り(200B)、ホテルラオという中級ホテルに行った。 一泊20US$で、メチャメチャ豪華な部屋だった。ホットシャワーは出る、テレビにCNNはうつる。部屋の大きさはでかくきれいであった。 安宿は2‐3US$からあることを考えると、うなずけるのだが、これには大満足。因みに現地通貨はKip(K)であり、1B=195Kである。 物価は、缶コーラが4000K、絵葉書は1000K、トゥクトゥクの市内の移動は5000K、一食食べて5000‐10000K位である。
翌日。朝6:30に起きて食事。その後、7:30頃から市内観光を始めた。 というのは、この日にすぐルアンプラバンという町に移動する予定にしたので、時間のあるうちにビエンチャンの市内観光を済ませておこうと思ったからである。
まず、町の南にあるメコン川に向かう。町は首都というには小さい。 誰かが、ビエンチャンは世界一貧相な首都だといたらしいが、うなずける。 私の今までの経験から言うと、マリのバマコが一番貧相な首都だったのだが、ビエンチャンはこれをしのいだかもしれない。 しかし、人々は結構いい生活をしていたりするし、いい車が走っていたりもする。
メコン川からトゥクトゥクでビエンチャンのシンボルであるタートルアンに行った。 タートルアンは丁度ミャンマーのパゴダのようなピラミッド型の寺であり、16世紀半ばに作られたらしく、高さは45m。大きさ自体はさほどでは無い。 表面は金ぴかであるのもミャンマーのパゴダと同様である。 こういったパゴダの写真のとり方はすでにマスターしており、朝か夕方で、日が差し込んでくる方向と90度ずれた方向の対角線方向から撮るのが基本である。 そういった、基本にのっとった写真が上にある写真である。
中に入るのに1000K。中は、周囲を囲む塀の中に、多くの仏像が並んでいる。一周してみたが、やはり小さい。

その後、パトゥーサイという凱旋門に行った。 これは内戦で戦死した兵士の霊を慰めるために建てられたものであるが、1960年代から作られていて、いまだに未完成だそうである。 ラオスはもとフランス領であることもあり、凱旋門と呼ばれるようになたらしい。しかし、その規模は本家に比べかなり小さい。 内部の天井には西洋風の模様が刻まれているが、さほどのものでもない。 パトゥーサイの上には1000Kで登れるようになっており、階段を上っていくと、上の階には売店があるが、内部は殺風景である。 屋上からはビエンチャンの町が見渡せる。そして、いかにこの町が田舎であるかがわかる。周囲は緑だらけで、大きなビルは見当たらない。 どこが町の中心かが分らないほど、建物が無い。
その後、ワットホーパケオとワットシーサケットに行った。 ワットホーパケオは1563年に建立され、タイで言うワットプラケオであるが、見た目はたいしたことはない。 ワットシーサケートは1824年に建立、現在も当時の原型をとどめていることに価値があるらしい。 いずれも、古いラオスの典型的な寺であり、三角屋根が特徴的である。
これらが、ビエンチャンの主な観光地であるので、その気になれば観光は1時間で終わってしまう。それ程小さな町なともいえる。

ホテルに帰って、まず、飛行機のアレンジをした。 初め、ルアンプラバン行きの午前中の便があると思っていたのだが、結局13:30発しかなく、それに乗る事とした。(片道55US$) しかし、帰りの便は現地14:40発でビエンチャンに15:30着とのこと。同日16:20発のバンコク行きで帰国するので、ちょっと危険である。 そこで、ルアンプラバンからの帰りはバスにするということにした。
ルアンプラバンからの帰りは航空会社の人は6時間といい、朝一番で出れば昼には帰り着くと言う。 しかし、ガイドブック的には10時間くらいかかるとのことで、ちょっとあやしい。 朝5時にでれば10時間かかっても15時には帰りつく計算なので、これでOKということにした。

飛行機の時間の関係で、しばらく時間があいたので、その間に郊外のブッダパークというところに行く事にした。



ホテルの従業員の運転のバイクタクシーでブッダパークに行った。片道40分。 ブッダパークは写真の様な、寝釈迦像を中心に、中には月を食べるカエルの形をした像や、ヒンドゥのシバ神のような像など、種々様々の仏像が所狭しと並んでいる。 残念ながら保存状態がよくないが、見ごたえはある。地球の歩き方の写真では、ここの寝釈迦像は、顔が半分なかったようだが、今は復元されている。 しかし、なぜか顔が細くなっている。
入場料は1500K。
そこから、帰りがけにタイとラオスの国境であるメコン川にかかる友好橋を見るために、民族文化公園の中に入ってみた。 この公園自体も見所ではあるのだが、時間がないので、友好橋を眺めるだけで早々にたち去った。 因みに、橋自体は1994年に出来たもので、とくに見ごたえがあるわけでもない。
再びビエンチャンに帰ってきて、そのまま空港まで送ってもらう。結局、これだけの移動をして、24000Kということにした。 いささか、値切りすぎたかもしれないが、もともとホテルの従業員だからいいだろう。
国内線ながら荷物チェックが結構厳しく、時間より15分くらい送れて出発するも、着いたのは定刻どおりだった。


ルアンプラバン


空港からトゥクトゥクで市内に向かう。 空港から市内は結構遠いとの言葉を信じたが、実はそれ程でもなく、ここは40000Kと完全にボられた。
ルアンプラバンの町自体が世界遺産だそうだが、ラオスの北部山岳地帯にあるこの町は、ビエンチャンとはやはり雰囲気が違う。
周囲はジャングルであり、よく言えば自然が豊富、平たく言うと山の中の町であり、生活レベルはビエンチャンよりも低い。 市内観光は、まず、ワットシェントーンに行った。入場料5000K。 写真のようなラオス風の寺であり、1560年に建立。ルアンプラバンで中心的な寺でラオスでも最高の美しさだそうである。 入り口にはホーラッサロットがあり、金色の三首の龍で飾られた霊柩車が美しい。 本堂はルアンプラバン様式という幾重にも重なる傾斜の急な屋根が特徴的である。なかに収められている仏像も、派手ながら品がある。
この寺はメコン川に面していて、境内からは眼下にメコンの流れが見え、そこがボート乗り場になっている。

ワットシェントーンから次に、トゥクトゥク(3000Kip)で王宮博物館に行く。 実はたいした距離ではないのだが、やはり暑く、しかも荷物を持っていたため、ちょっとの距離も乗りたくなったのだ。
しかし、すでに閉まっていて断念。すぐ裏手にあるプーシーという小高い山の頂上に登った。
入山量は8000Kip。328段の石段は結構ハードである。 チケット売り場に水も2000Kipで売っていて、あわせて10000Kipとは、商売上手である。

プーシーの頂上にはタートチョムシーという祠があり、そこからはルアンプラバンの町全体が良く見渡せる。
改めてみるとやはり周囲はジャングルであり、町自体は小さい。しかし、そんなジャングルの中に、金色に光る寺が見える。 メコンの流れはにごっているが、それがまたインドシナの典型的な雰囲気をかもし出している。
しばし、プーシーで休んだ後、下に降りて、すぐ近くにあるワットマイに行った。1821年建立の寺院で、屋根の形もワットシェントーン同様美しい。

その後、まずビエンチャン、バンビエンまでのバスを確認するためバスターミナルに行く。
というのは、明日はバスでビエンチャンに帰るのなら早朝に出なければならなく、ルアンプラバンでは観光できないので、このまま宿をとるか、 それともバンビエンまで行ってしまうかを検討するためである。バスターミナルは町の中心からは離れており、トゥクトゥクで移動。 聞くとバンビエン行きの最終が5時に出るという。
どうせなら、このままバンビエンまで行き、泊まって、わずかの間でも観光してからビエンチャンに帰ろうと考え、 そのままルアンプラバンを後にしてバンビエン行きのバスに乗ることにした。(40000Kip)

初めは山岳コースであり、ワインディングロードをやや旧式のバスで走っていく。後ろにいた女の子が早々に気分が悪くなっている。 そう言えばルアンプラバンに来るときの飛行機でも隣りの女の人がゲーゲーやっていた。どうもラオス人は乗り物に弱いのかもしれない。
初めは景色が見えて、ジャングルの眺めを楽しんでいたが、そのうち日が暮れて真っ暗になり、グーグー寝てしまった。 ルアンプラバンからバンビエンは通常6時間ほど。しかし、いつまでたっても、一向につく気配がない。 おかしいなと思いつつ、まあ、ラオスだからそういったこともあるだろうとたかをくくってガーガー寝ていた。

結局、バスが着いたのは夜中の2:30、9時間30分の長旅であった。とんでもない遅れだと思っていたが、ここで大変なことが判明。 事実はここはバンビエンではなく、ビエンチャンだったのである。
バンビエン行きのバスはバンビエン経由でビエンチャンに行くものとバンビエン止まりのものがある。 ルアンプラバンで確認したとき、ビエンチャン行きは隣りのバスで、こちらはバンビエン行きであると教えてもらったので、 よもや途中で降りるのだとは思っていなかったのである。しかし、来てしまったものは仕方がない。 追加お金を取られたわけでもない。
しかし、やはり9時間半かかったと言うことは、朝の6時にルアンプラバンを出た場合、飛行機の時間に間に合うかどうかは微妙である。 したがって、今日のうちに帰ったのは正解だったとも言える。
夜も遅いので、とりあえず近くのHaysake Guesthouseでチェックインし、とりあえず寝た。トイレ付き、ホットシャワー共同の部屋が一泊13ドルであった。

ビエンチャン 2


翌日、起きたのは9時過ぎ。いまさらバンビエンにまた戻るのは馬鹿らしいし、ビエンチャンの町でのんびりすることにした。
まず食事をして、ホテルをチェックアウト。町歩きに出かけた。まず、ナンプ広場という噴水広場に行った。 ナンプは町の中心だが、噴水自体はちゃちく、たいしたことはない。
ナンプの近くにインターネットカフェがあったが、残念ながら日曜なので休み。 近くにあるエイジアンパビリオン、ラーオパリの二つの高級ホテルにもインターネットができるサービスはなかったので、ラオスからの通信は断念した。
ナンプからすぐ近くにタートダムというロータリーの中央にある塔があった。 これまた、規模も小さくたいしたことはないのだが、かなり歴史のあるもので、町のシンボルでもあるらしい。
そこから、ラオスで有名なマーケット、タラートサオ(写真左)に行った。 タラートサオはコの字型になっている大きな建物があり、その中に多くの小さな店が並んでいる。 日用雑貨や電化製品、衣類、装飾品などの他に、ラオスのメインのみやげ物である、シンというラオスのスカート用の生地を売っている店が多い。
奥の方には、装飾品の修理屋と時計の修理屋が並んでいる一角があり、丁度腕時計のベルトが切れていたので、修理してもらう。 5分ほどで出来て、20000Kip。なかなかの出来栄えだった。
トゥクトゥクでもう一つのマーケットである、タラートトンカンカムに行った。 というのはここには生鮮食料品があるからである。 時間が遅かったためもあり、残念ながらいくつかの店は店じまいをしていたが、おばちゃんたちが店番をしている薄汚れた小さな店が沢山あり、 生々しい塊のままの肉や、生きてるカエル、ナマズ、魚介類もあった。ここは、まさに現地の人達のためのもので、みやげ物などは全くなく。 日常生活品のみのマーケットである。そのためか建物もタラートサオとは比べ物にならない粗末なものである。 一般にラオスは物価が安く、生活レベルが低い様に見えるが、実は日本車の新車が走っていたりして、良く分らない部分もある。 そういう意味で、インドのスラムやら、アフリカの貧しい国とは様子が違う。全体にタイの影響が強く、多くの物資もタイから入ってきているようである。
昼食を食べて、再びタラートサオに戻り、ぶらぶらした。 ラオスの電化製品で印象的だったのはミシンで、いまや日本ではお目にかかれないような古いタイプの中国製のミシンが売っていた。(写真右) また、日本製の炊飯器の脇には、タイ製の炊飯器が売っており、これまた日本でいえば2-30年前の代物ではないかと思われるタイプのものが売っていた。 やはり日本製はこの分野ではかなり進んでいるのが実感された。
バンコク行きの飛行機は16:20発なので、空港には14:00に行った。 みやげ物などを買い、出国手続きをして、出国ロビーで待っていると、 急に出発が20:20に変更になったとのこと。航空会社で夕食サービスをするという。 しかし、すでに出国手続きをしてしまったので、外には出られない。最悪な状況であった。 事実はバンコクでの時間を当てこんで、買い物でもしようかと思っていたし、もし、 これが分っていたら、ルアンプラバンから飛行機で余裕で戻ってこれたのである。 しかし、全ては後の祭り。しかたないので、4時間の間、ひたすら待った。 そして、予定通り20:20発でバンコク21:30着。23時40発の成田行きに乗るまでは、 バンコクの空港内でインターネットをしていた。因みに100Bでつなぎ放題であった。
今回は、時間のない中駆け足のラオス旅行だったが、まあまあ満足した。 そして、その気になれば3日でラオスは観光できるということが立証されたことが 今回の最大の収穫といえる。バンビエンやジャール平原などまだまだ見所はあるので、 そのあたりは次回に期待したい。