私のような全くの他人は冷静に見ることが出来る。例えば親の職業を継がせたい、等ということはよくあるのだが、実際は向いていないということもよくある。全く勉強ができない、でもお店を継いで欲しい、という依頼を受けたことがある。しかし、その子は店をつぐよりも動物と触れ合うことの方が向いていた。我が家に来て目を輝かせて小鳥を見ていたのだ。話を聞くと、動物が大好きで言えにもいっぱいいるとか。ウサギがいる、ハムスターはいる、いろいろ聞くと私の知らないハムスターの種類を次から次へと話していく。びっくりした。と同時にこの子にはこれが向いていると思った。以来、高校は簡単なところで良い、好きなことをしなさい、といっていった。それが今は功を奏していて、大好きな動物の仕事をしている。それでいいと思う。他にもこういう経験は多い。いろんな子がいろんな向き、不向きを持っており、不向きなことを一生懸命やっても仕方ないのも事実。でも、親はそういうことに気付かない、というか、自分たちの期待がそういうことに気付くのを遅らせてしまうのだ。親のその気持ちは良くわかるし、逆に親はそうでないといけないのかもしれない。そこをカバーするのが我々の仕事で、しっかりとカバーできるのが良い教育者なのであろう。大学での教育を見ていても、ほんとに医学部に向いているの??と思う子もいる。自分の意志ではなくて親の意志で来ているのではないか、と思う子もいる。それだったあら不幸である。もっとやりたいことがあったのではないか??そうだったらそれは可哀想ではないか??そう思うのだ。私自身、人に教えるのは大好きだ。なのでこういう職は向いているらしい。学生によく言われる、先生は教えるのに向いていると。分かりやすいらしい。私はそんなことを意識したことが無いのだが、どうも、講義をすると分かりやすいと言われるのだ。それはそれで嬉しいことであり、だったらもっと自分に向いていることを突き詰めてやってみようか??とも思う。教える、これは非常に難しいことだ。その子に向いているかどうかを見極めてあげることはもっと難しい。大学まで来てしまうと見極めてもどうしようもないが、少なくとも小学生、中学生、高校生には向き不向きを見極めてしっかりと導いてあげたいものだ。 |