曲はどんどんでき上がってきているようである。うれしいことだ。曲ができる状況であるのだと思うが、作詞作曲をするうえではそういう状態であることは好ましいことだろう。これから世に出ていこうとするSDTとしては曲数をこなしておく必要も感じているのだった。いろんな曲を、といってもカバーではなくオリジナルを作り上げていくうちにだんだんオリジナルを編曲していくことがうまくなるのであり、体に染みついていくのであろう。これは音楽に限られたことではないと思う。勉強にしても仕事にしても、失敗を繰り返しながら知らないうちにいろんなことが身に付いていくものであり、そうやって身に付いたものは不思議と体から抜けていかないものでもある。私自身も最近になって何となくかもしれないが、オリジナルの曲をさらに作り上げる方法を少しずつではあるが身に付けてきていると思う。エレクトーンの即興とはまた違うものであることに気づいた。エレクトーンの即興はやはりこうやるとカッコよくなるという流れがある。それは身に付けてしまっているため、その流れでやっていくとそれなりに聞こえてしまう。しかし歌伴は違う。思いっきり違うところがある。それは気持ちの表現である。もちろん、即興も気持ちを表現する、でも違う。ある時、自分が落ち込んでいたからであろうか、曲を弾きながら涙が出てきたことがあった。落ち込んでいたのはある方が若くして亡くなってしまったからだが、その時に“生きる”とは何だろう、私がこうやって生きているのは何だろう、といろいろ考えたその気持ちに何か共通するものを感じたのかもしれない。その時はなんか悲しくてやめてしまったが、次の日にふと、これだ、と思った。以来、その曲には思い入れが出てしまった。
そうやってSDTの曲に思い入れができるって幸せ?? |