そして幕開け、おぉ!!“ドラ”の前に彼が。さすがに大きく見えた。こんなに凄い人だったっけ??と改めて感心。寺内さんは名前を知っているがはじめてギタープレイをみた。ビックリしたのは、若干5歳で、世界で始めてエレキギターを作ったということ。やっぱり天才である。なんだか、電話線??を使って作ったとか。おかあさんの三味線の方が音が大きくて、それが悔しくて
大きい音のギターを作ったとか。5歳で??えぇ!!??凄いことだ。いや、MCを聞くと天才と言われることに抵抗があるのかもしれない。それくらい努力をしているのだ、と改めて知らされた。世界で活躍する人はやはり努力の塊である。古い歌謡曲からテネシーワルツなどのワルツ、クラシック、古くからの寺内さんのヒット曲、いっぱい聞いた。ヒット曲メドレーは知っている曲ばかりだった。これもなんだ、あれもなんだ、そっかぁ・・・改めて思った。テレビのドラマでちょこっと使われている曲で彼の曲が多いのに気付いた。それにしても、古い歌謡曲からワルツ、クラシック、そして同期の桜などの戦争関係の曲、こういう様々なジャンルの曲を叩きこなし、しかもリズムの土台を作っている“ドラム君”に感心。いや、上手いのは知っていたが、改めて見直しちゃったよん。バックバンドとしては、キーボードが二台、ギターベース、ドラム、それに寺内さんという構成だったが、みんな寺内さんにしっかりと合わせていて、聞いていて心地よかった。いまやもう昔から日本にある当たり前の曲であろう、と思っていた曲が実は彼の曲だったのだ、というのにちょっとビックリ、そして感心。周りを見回すと、結構お歳の男性、女性が多い。同期の桜を“世界ではじめて作ったギターを再現した楽器”で弾いたとき、涙を流している人が多かった。やはり戦争体験などを思い出すのだろうか??そういえば、母は昔戦争の話をしたっけな・・・靴は配給でなかなかもらえなくて、くじで当たった母だけが履いていたこと、母の弟(叔父)をはじめ、ほとんどが草履だったこと。そして母が小学校時代、真冬の学校帰り、雪の日に草履の鼻緒が切れて足が冷たくて泣いている弟に自分の靴を履かせて、自分ははだしで家に帰ったこと、家に着いた途端、祖母(母の母)の顔を見て涙が止まらなくなったこと、足がかじかんで動かなかったのに走っていて家についた途端涙があふれたんだということ・・・・そんな話をいっぱい聞いたっけ。そういう世代には、寺内さんが弾く“ギターの同期の桜”が涙を誘うのかもしれない。また違った、とっても良い体験をした。今度は母でもつれていってあげようかな??なんて思ってしまった。ありがとう!!聞かせてもらって良い体験が出来た。 |