聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2002.10

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★は借りた新着、☆は新規購入。

今回論評したディスクなど:
Celso Fonseca e Ronaldo Bastos: Juventude/Slow Motion Bossa Nova /
原田真二の世界 / 宮沢和史: MIYAZAWA / Pizzicato Five: さ・え・ら ジャポン /
YMO GO HOME! / 坂本龍一の音楽 - Early Best Songs / The Remix of Sing Like Talking /
Sing Like Talking: Round About / 佐藤竹善: Fact of Life / Sing Like Talking: Metabolism /
Steely Dan: Two Against Nature / Toninho Horta(1980)

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Celso Fonseca e Ronaldo Bastos: "Juventude/Slow Motion Bossa Nova" (Dubas Musica, 2001)☆

FonsecaはDaudeとかのプロデュースをしたことがあるらしいけど、本人のリーダー作ではそんなことを微塵も感じさせない酔い心地のボサノヴァを聴かせるというのが驚き。Caetano Velosoが少し枯れたような味わい深い声で、たゆたうような柔らかなバチーダにのせて唄う。バックを固めるミュージシャンは豪華だしストリングスも流麗だが、見事に唄に溶け込んでなめらかな表面を仕上げている。もう一つ驚きなのが(驚いては失礼なのかも知れないが)、Bastosが英語で書く詞が響きといい内容といい何とも言えず艶っぽいこと。響きのことがあるので多分英語圏の人にはこういうふうには書けないだろうという気がする。

原田真二の世界 (For Life, 1998)☆

キリンジからの連想もあり、また初期作品が今考えてみても素晴らしいので購入してみたが、やはり初期(1977-78)の数曲のクォリティは特筆すべき。以前から好きだったのは「シャドー・ボクサー」だったが、今聴いて驚くのは「タイム・トラベル」の完成度の高さだ。しかも本人のアレンジとある。歌詞の内容に合わせてギターの擬音のマシンガンやホンキートンク・ピアノが織りなすスペクタクル、そしてエンディングの見事さ、どれを取っても20歳そこそこでこれは早熟というしかない。このクォリティの高さは続く'Our Song'や'March'でも維持されるのだが、セールス的にはこの辺から低迷していった記憶がある。そしてこのベスト盤で時を下るにつれて表立ってくる「迷い」、流行に流されてる感じや、自分を見失ってるような所在なさ、それは「理解されなかった早熟」ゆえに辿った道なのかも知れないと思うと、ちょっと哀しくなる。

宮沢和史: "MIYAZAWA" (東芝EMI, 2001)★

ここへ来て沖縄色が少し戻って来ているのは、ひょっとすると制作側のマーケ的な要望が通ってる面があるのかも、とも思ったが、そんなことは吹っ飛ぶくらいに「沖縄に降る雪」「ちむぐり唄者(うたっしゃー) 」の両トラックは文句ない出来。沖縄かどうかなど聴く側にはもう関係ないと思う。そのくらい渾然一体として宮沢そのものという気がする。他のトラックも同様。ただ1つ、「ゲバラとエビータのためのタンゴ」で朗読される詩については諸説あろうと思う。個人的には、細部に違和感を覚えつつも、こういう表出をする、というか、せざるを得ない彼の気分を共有したいと思うのだが。

Pizzicato Five『さ・え・ら ジャポン』(*********, 2001)★

今頃何を言ってもしょうがない気がする集大成的ラスト・アルバム。個別の楽曲といい構成といい、更にはブックレットの細部に至るまで、ここまで遊んでしまうと、よく巷間言われる「批評精神」とか何とかもうどうでもいい気がする。「君が代」? 確かに大傑作だけど、時折彼らが垣間見せた矢野顕子へのオマージュ(cf. 「東京は夜の7時」)の一つだと素直に捉えたほうがいいんじゃないか。矢野の「君が代」が批評精神の発露だなんて考えた人が一人でも居るだろうか? Pizzicatoのそれも同じことだ。彼らはただ音楽を愛していたい、それだけ。そんなことの前に、音楽に対するあらゆる意味付けの欲望は無力だ。

YMO GO HOME! (東芝EMI, 1999)★
坂本龍一の音楽 - Early Best Songs (Columbia, 1999)★

YMOって何だったんだろうと思うと、当時の自分にとっては「和声理論の学習教材」という意識が強かった気がする。つまりそれは、特に坂本龍一を聴いていたということなのだが、今改めて振り返ってみると、好きだった曲は必ずしも坂本作品ばかりではなく、'Pure Jam'とか'Cue'とかいった高橋幸宏関連の曲がかなりあったりする。そうした作品に共通の要素としては、当時としては突出してドライな感覚、禁欲的な和声に装飾を切り詰めた音を乗せたタイトな音作りがある。最近試聴した、細野+幸宏の新ユニットSketch Showの音がまさにそうなのだが、それが実はYMOをYMOたらしめていた響きだったのだと今になって思う。それに対して坂本龍一はあくまでも外様なのだ。外様だからいい悪いではなく、彼は彼なりの世界でやっていた訳だけど。

で坂本の初期作品を聴くと、"Thousand Knives"収録の各曲は今でも好きなんだけど、この異様なテンションの高さにはある意味強迫観念的というか、そういうものがあって、それはYMO的な過敏さとは全然別のものだったんだなあという気がする。まあどちらもそれぞれ好きではあるんだけど。にしても何で中原仁さんがライナー書いてるの?

The Remix of Sing Like Talking (ファンハウス、2000)★

冒頭いきなりGipsy Kings登場(嘘)で意表を突かれる、なかなか聴きどころ満載のリミックス集。ただ基調としては、ボーナストラックのIncognitoのミックス(曲は'Rise')に見られるようなスムーズなUKジャズファンクや、Jam & Lewis的な方向性でまとめたい欲望が支配的。実際SLTの曲はそう聴かれているということの現れだろうと思う。個人的にはそんなにキレイにまとめるよりも、若干泥臭いファンク、あるいはストレートにダンス・クラシックであった方が彼らの持ち味を生かせると思うので、そこはちょっと不満だが。

なので自分としては70年代後半のミディアムテンポなダンスナンバーみたいにまとめた「心の扉(Dance Like Walking Mix)」が一番好き。原曲よりもテンポをかなり落としてこんな風に作り直せるなんて、テクノロジーの進歩だよなあ、と(DAMとかでとっくにお馴染みだけど)しみじみ思う。

Sing Like Talking: "Round About" (ファンハウス、2001)★

裏ベスト的2枚組。Second Reunionが基本的に'Hits'だったのに対し、メンバーのこだわり選曲がウリだが、こういう企画の常なのか、「ありたい自分」と「のぞましい自分」の差異みたいなものがどうしても鮮明になりがちと言うか。「ありたい」のは、やはり70年代西海岸フュージョン/ポップス/フォークロックの真ん中あたりらしいのだが、そのテイストでの作品ばかりが並ぶと、妙に堅い感じと平板な感じがしてしまうのは何故なんだろう。やはりこの人たちがやるべきは、David FosterやらDavid Paichやらという、当時の西海岸シーンで裏方稼業をしてた連中が寄ってたかって(多分面白がって)作り上げてたフュージョン・ソウルとでも言うべきもの、例えばCheryl Lynnとか、Boz Scaggsのある一群の作品みたいな方向性なんじゃないかと思うのだ。それはひょっとすると、思い入れが強すぎず、適度な距離感で臨めることがもたらす効果なのかも知れない。ことほど左様に、ただ音楽を愛するってことは難しい。のかな。

そうそう、冒頭Queen風の'Close To You'はアイディアの勝利。一聴の価値あり。

佐藤竹善: "Fact of Life" (Universal/Victor, 1999)★

このほぼ全曲自作のソロも、ある意味SLT名義の"Round About"と同じことが言えて、彼自身はあくまで自身のルーツに忠実に、ということはファンクな方向には寄りすぎず、少々マニアックなAORといった路線で一貫しているのだが、それが確立した個性を打ち出せているかというとあまりそうではなく、むしろ全体として引っ掛かりがない印象になってしまっいる。その一方で、ボーナストラックのCat Grayらによるリミックス2曲は、それらの曲をきっちりとファンクに作り直していて、やはり周囲の人はそういうふうに見ているのかと思わされると同時に、そういう絞り込み方のほうが彼の個性にふさわしいと思えてしまうのだ。ことほど左様に、ただ音楽を(以下略)

Sing Like Talking: "Metabolism" (ファンハウス、2001)★

にしても、そうだとするとこの方向転換はどういう考えなんだろう。オープニングはいつぞやのCorneliusみたいなデジロックだし、それ以外にも結構サイケなテイスト、あるいはクラプトンやジミヘンな感じ。案外悪くはないし、彼らのルーツを考えれば納得も行くんだけど、市場性はあまりなさそうだし、旧来のファンがついて来そうな路線ではないし、この路線でずっと行けそうでもないし...かと言って迷ってるようにも思えないのが妙。思わず何度か聴き込んでしまったが、そうしたくなる怪盤、かも知れない。

Steely Dan: "Two Against Nature" (Giant/BMG, 2000)★

彼らのアルバムで"Aja"(1977)が一番、と思ってしまうと、その後の"Gaucho"(1980)のあまりにダンディな佇まいが時に物足りなく思えたりもする。実はよく聴くと、"Gaucho"にせよ"Two Against Nature"にせよ、はたまたDonald Fagenのソロ"Kamakiriad"(1993)にせよ、歌のヴァース部分をよりR&Bの基本に近い、初期のスタイルに一種「回帰」させたという点では、一貫しているのだ。初期のSteely DanはR&B、あるいはブルースそのものの進行を、コードを転回させたり構成をこねくり回したりして異化させて作った曲が結構ある('Chain Lightning', 'Pretzel Logic')。だが、それらと近年のものとで何が違うのかと考えると、その理由は節回しにあるんじゃないだろうか。確かに近年のはシックだが旋律としての色気に今一つ欠ける気がするのだ。例えば"Gaucho"の'Time Out Of Mind'、"Kamakiriad"の'Springtime'、"Two Against Nature"の'Janie Runaway'など。これらに比べると、ミニマルコードの'Showbiz Kids'(1973)のほうが、コードや構成は単純なのに、ずっと艶っぽいように思える。

もっとも、近年の方向性はそれとしてビシッと一貫しているので、今のSteely Danが確信犯的な美学としてそうしてるだろうことはほぼ疑いない。単に私が聴く者の趣味として 「'Peg'や'Deacon Blues'を口ずさめる」ということの方を好む、ということなんだろう、これは。

Toninho Horta (EMI-Odeon, 1980/2002)☆

Pat Methenyの参加ということで、再発前はプラチナ価格だったという盤だが、そういうことは全くどうでもいいくらいToninhoのソングライティング、アレンジ、ギターワークの個性が色濃く、熟した形で現れていて、ほぼ時期を同じくしてリリースされたという1st "Terra Dos Passaros"と並べて聴きたい1枚。冒頭'Aqui Oh!'の見事なサンバっぷりが、Toninhoらしい癖のあるコードチェンジや跳躍するメロディラインと渾然一体となって素晴らしい。Methenyの参加トラックも実は良くて、特に'Prato Feito'におけるプレイはあまりに曲に溶け込んでいて一瞬Toninho自身かと思うほど。



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