●水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪 / 佐藤友哉
叙述トリックは最初から「身構えて」いたので、〔※1〕ことが明かされた瞬間に、残る2つをつなげようとして、あ、〔※2〕のか、ということに思い至ってしまったので、ラストはどんでん返しというよりピースがハマった気分になりましたです。しかしこのカタルシスは気持ち悪いな。カタルシスなんだけど、すっきりしない。そういう作風なんだけど。
この話の場合、重要な人物についての描写を極力避けて通る、という叙述トリックがうまいのかも知れない(〔※3〕とか〔※4〕とか)。綺麗に決まってますねえ。途中まで、なんていうか、ちょっと無駄な描写が多過ぎるんじゃないかと思ってたんですが……多分、意図的なんですね。核心以外の情報で埋め尽くしておくというのが。
それにしても、この話の中でも謎らしい謎はあるにはあれど、実は何も解けてないじゃん。作者が用意した叙述トリックが解けただけで。
ああ、だから気持ち悪いのか……。ただ、解く気あるのかな。あるようには見えないな。読者、というかユヤタンファンもそんなことは求めていないような気もする……(偏見?)。
==================== ネタバレ結界スタート ====================
※1 広明が苗字である
※2 時間軸がズレてる
※3 iBookの彼が名乗らない
※4 朋郎が兄・瞬介のことはたくさん書いているのに弟についてあまり触れていない
●ひぐらしがなくですの
まあこのエントリーもいつまで残ってるかは怪しいですけど。
やっ……………とDEATH NOTE全巻を制覇したので、ようやく全部読めたというか理解したというか。
アホらしくて楽しい。長いけど。
DEATH NOTEって結局、なんていうか、ネタにされる運命の物語のような気がして来ました。本体を見る前からマンガのページスキャンされてヘンなアテレコされてる(という表現が正しいのかどうかワカランけど)のが時々目に入って、本体知らないのにヘンに受けてたことがありました。ので、なんといいますか、ハイ、原作であるはずのデスノ読んでもマジメにのめり込むより笑い出したくなる変なテンションが抜けなかった。
大体にして主役の名前からしてネタになる運命って感じだ……ライト……。
どうとでも料理出来そう。しかもミステリーものは。ひぐらしはどんなネタとでも基本的に相性がいい世界なのですが(作者がifを肯定しているから)。
●鏡姉妹の飛ぶ教室 / 佐藤友哉
諸事情によりクリスマス・テロルがまだ読めてない。しょぼん。浩之・唯香姉弟はクリスマス・テロルに出て来ているみたいだし、牛関係の伏線はそっちで回収なのかな。まあ、その辺はいずれまた。
で、読めてないうちは比べられないかも知れないんだけど、西尾維新化しているという某所のレビューがツボにはまった。ウケた。確かにそうだ。西尾センセは空の高い所で部品をがちゃがちゃぶち壊してカケラ降らせる、みたいな感じがするのですが、ユヤタンって地中でガスンガスンぶっ壊して部品を土にメリ込ませてるイメージなのでやんす。だから、西尾維新化、って言葉は使えどそれは、なんというか、物語の表現手段のごくごく表面的な所だけ、ですね。内部の手触りは違う。第一類語辞典してないし。
しかし無駄が多過ぎる。この話に至っては本当に無駄が多過ぎる。水没ピアノの時は、終わってみれば必然性を理解したのはさっき書いた通りなんだけど。
ただ、うーん、なんだろ、時刻打刻しながら書いてるから、24(←20世紀フォックス制作の連続ドラマの、ですよ)的な表現をしたかったのかなと。リアルタイム遷移というか。それでも、やっぱり邪魔なものは邪魔なんだけど。
人物1人1人の書き方が、心理描写のダークさがまた一段と濃くなってますねえ。全くミステリーになってないのは、むしろ私としては可。無問題。
しかしこの西尾維新化、本人の望みなのか、メフィスト的ニーズによるものなのか。うーん。なんかこう、ぎゅいっと捻じ曲げたいんだけどなあ。もうちょっと。
しかし佐奈っちはそういう運命なのか、結局。この彼女の存在の芯の部分もクリスマス・テロル後に考えた方がいいかな。……保留しよう。
●クリスマス・テロル / 佐藤友哉
これを最後に読むハメになったのは何の運命なんだ。笑っちゃったじゃないか。
で、それを乗り越えて出て来たのが「飛ぶ教室」?
自分が子供だっちゅー自覚がなかっただけやん、ねえ。これを商業出版に載せた段階で編集さんも同罪なのだけれど。
物語自体は。
フリッカー、エナメル、ピアノ、そしてテロル、と4作並べた純粋な感想は、ちゃんとステップアップしてるー、という印象。私は自分でも趣味で物を書くから余計に思うんだけど、多分、小説として一般的に必要だと思われているパーツ(でも作家本人としては書く気になれないパーツ)について、突っ込んで、書こうとする、そういう方向にちゃんとシフトしているように見えた……んだけどなあ。
趣味作家として気軽に言い放ちますが、でも実際、そういうのって、本質じゃないのになんで描写しなきゃなんねぇんだよ、ちくしょー、みたいに思いませんか? ユヤタン。私は「テロル」については特に、読みながら、なんでこんなことをこの人は書かされてんだろ、ちくしょー、と思う部分が多かったんだけど。的ハズレだったらごめんなさいですよ? 変にエネルギーあるからそう見えるだけかなー。
……なんていうか。一読者としての私は、作家であるというより、甥っ子の成長過程を垣間見る気分になっちゃったのは否めないんだけど、でも、そういうのが作品を通して見えちゃうってのも面白い気がする。ファッション誌で言う読者モデル的な。変に「近過ぎる」作家だと、思うんですけど、ユヤタン。
まあそれはいい。
とりあえず、もう聞き慣れただろうから私も言っとく。とにかく、ミステリー「みたいなふり」やめないかなー。やめようよやめようよ。やめて欲しい、ホントに。オチつけようとなんかせんでいいて。どうしてそういう方向で物語を作らせられちゃったんだろ? 違うんじゃないかな? ……まあ、しょせんは一読者の誤解かも知れないけど。
密室トリックのオチの付け方がそこなら、もっとファンタジアでも良かったと思うのだが。もっと世界構築そのものからしてバカげていてもいいと思うのだけれど。そういう意味では、描写の地に足がつき過ぎているのが、失態、なような気がする。コンクリフト。
●永久帰還装置 / 神林長平
物語を読んでしまうと、知ってしまうと、それを知らなかった頃の自分には、もう戻れない。
神林せんせは元々、世界観を形創るのがすごくうまい作家なのだなあと。SFという庭、その区切られた小さな区域で、自分が生み出し得る最大の世界を創り上げている、そんな感じ。今まで読んで来た物語たちは、割と世界のつくりがかっちりしていた、ような気がするけど、蓮角が「やって来た」世界は、言葉で再構築出来ないからたとえ話で翻案するしかない、と彼自身に語らせているように、どうも地球の言葉では言語化出来ない世界であるらしい、ですね。
……そのせいか、些か踏み込みが浅く感じちゃったのは私だけなんでしょうか。
というか、うーん。なんてんだろ。物語全体的に、お釈迦様的立場の何者かがいて、基本的に蓮角はその手のひらで踊る孫悟空的立場に置かれているように見える、けど、世界の創造者たる側の視点が全く出て来ないので、背後関係が全然見えないのですよね。それでも世界の中で溺れることを楽しんだら良かったのかも知れないけど、読み進んでいるうちにその世界創造にきゅんと来てしまったからちょっとさみしかった。
結局、ケイ・ミンはどう「創られて」いたのか、とか。「なんのために」創ったのか、とか。
ケイ・ミンと蓮角のラヴストーリーは、主軸でありながら唐突過ぎる(と私は感じた)ので、その恋もまた「創られた」に過ぎないのだろうなと解釈しているんだけど、その理由とか。「神様」にとっては、むしろあんなものは必要なかったんじゃないかと。それこそ、人類の可能性を試すために試練を与えてみました、でもない限り。
なんかこう。もっと、説明されていない何かがある感じ?
クリームパンの袋とか、ディテールはいちいち美しくてきゅんきゅん来るんだけど、なんというか……それこそ、その上の「もっと高次元の」領域で、形になっていない何かが、あるのに、重要なのに、見せられないまま幕下ろされた、そんな気分になった。ちょっとだけ。
●八月の博物館 / 瀬名秀明
なんでメタに走るんですか瀬名先生。……………がっくり。
もちろん、そう読めば読めるってだけで、そう読まなきゃいいのは判っているのですが、なんか微妙だなあ。その部分だけ、気持ち悪い。
かと言って、亨くんのエジプト大冒険部分だけ取り出すと、なんというか……ええと、別に瀬名さんが書かなくてもいい分野だったりしませんか? という意地悪い読者になってしまいます。ヤな読者で本当にスミマセン。
別に理系作家であることを求めていたつもりはないんだけど、作中の彼の言う「理論に感動する」タイプの読者って実はいるわけで(ほら、ここに、と自分の鼻をつつく)、理論感動屋の全員が全員、理系であるわけはないので(超文系、と自分の鼻をつつく)、感動しながら理論おかしいとか突っ込んだりしないで(笑)、本当にただ感動するだけのヤツもいるんですけれども、ねえ。
何が面白くて、何が「物語」で、何が「文学」なのか、それを最後に決めるのは読者でしかないわけで。
なんて言っていいのだろうなあ。書き手が書き手だけで物語を完成させているというのは思い上がりやろ、というか。
フィクションとして書いていてはいても、あまりにも手の内さらし過ぎだろ(と少なくとも読めてしまう書き方をし過ぎだろ)、と。
とにかく、普通に物語としての判定が難しい話だった。せめて、文中作家の『私』のアイデンティティが、ここまで瀬名さん本人のスタンスを皮肉ったような立ち位置にいなければ(ただのそこら辺のミステリー作家とか)、ここまでメタくさくならなかったと思うのだけれどねえ。
※
ここから下は超余談。
地元だっていうせいもあるけど、最近、妙に仙台(or宮城県)在住、とか、縁のある作家の方々の名前が目につき過ぎる。かつては瀬名さんくらいしか意識してなかったんですが、熊谷達也、伊坂幸太郎、三浦明博、伊集院静、辺りが有名どころでしょうか。
瀬名さんは特に。なんと言いますか。描写されているあちこちが実際の仙台の風景に重なっちゃうのが地元特権というか。パラサイト・イヴのこの坂道絶対あそこだろ私毎日バイクで走ってたよ昔うわああああとかそういう楽しみ方をしてしまったりなんかしたのが遠い思い出。
……考えてみたらライトノベル業界ってあんまり出て来ないですね仙台。というかただでさえライトノベル世界って微妙に西高東低じゃないかしらん……東の人ってユヤタン(北海道)くらいしか思いつかない。
固定リンク / 2006.10.20 / [コメントはこちらから]