■碧海猿渡駅第1c展示室

EF58の活躍(3)

●ゴーサントウ(昭和53年:1978年10月)ダイヤ改正に伴うブルートレイン転属回送

昭和53年(1978年)10月のダイヤ改正は規模の大きなものでした。しかし、碧海エリアにいると、それを感じさせることもありませんでした。それでも、関西〜九州の寝台車が2段寝台化され、押し出される3段寝台の14系は「北陸」、「北星」に転用されることは事前に掴んでいて、ダイヤ改正前日の78.10.1(日)には転属回送が通過するのではないかと予想していました。
 当日は残念ながら一眼レフのカメラを父が持ち出していたため、モノクロフィルムが入っていたコンパクトカメラでの撮影です。朝9時台の予定臨7112レから沿線で待ちました。
 早速予想は当り、14系寝台車が来ましたが、機関車がEF65PFで、「さくら」や「みずほ」(PF型に置き換えられたばかりの頃)などからヘッドマークを外しただけのような編成は少しがっかりしました。

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。


日頃見られないゴハチのブルトレ
テールマークが「あかつき」のままの転属回送列車

一旦帰宅して11時過ぎに来る8102レの時間に再び沿線へ。この列車も14系で、牽引はEF5846(宮)。日頃見られないゴハチのブルトレが撮れたのは嬉しく思いました。
 鉄道ファン誌1979年1月号ではブルトレ関係の転属を扱った記事が掲載されました。その記事によると、この列車は44レ「明星3号・あかつき2号」(上り偶数、下り奇数の区別はこの改正以降)が機関車の付替えをせずにそのまま品川まで回送。翌日、回1940レで尾久に到着。当日発の「北星」に使用されたとなっています。

刈谷に「あかつき」?
テールマークが「あかつき」のままの転属回送列車

スハネフ14のテールマークは「あかつき」のままでした。九州所属の客車を営業運転での終着当日に関東へ送り込み、翌日には新列車でデビューという無駄のない計画は国鉄時代ならではのものです。

宮原へ転属する20系
「北陸」→「だいせん」に転用される20系

この日は全くの当てずっぽうで日中の予定臨時を片っ端から撮る考えでした。14時台の上り8104レは何も来ずでハズレ。下りの8103レはいったん帰宅するほど合間がないので、そのまま待ちます。すると、来ました!EF58140+20系です。
 参考にした鉄道ファン誌の記事によれば、9/30に「北陸」で到着した編成を尾久で一部組み換えを行い、オク→シナ回を経て10/1の回8103にて宮原へ転属させたものとなっています。この改正で夜行急行「だいせん」が20系となり、それに転用されたのでした。

2013.9、サロンカーなにわが本格デビュー30周年を迎えました。改造車のジョイフルトレインでは例外的とも言える長寿です。この機会に、同車がデビュー間もない頃、EF58が牽いたものを紹介します。他の写真も含め、1983年の夏から秋にかけての撮影です。
 翌1984.2には東海道線のEF58が激減し、さらに1985.3にはEF58は61号機を除けば東北線、阪和、紀勢線に残るのみとなったため、青いEF58と塗装を変えたジョイフル客車との組み合わせが期待できたのは短期間であったことになります。(民営化後、東海会社の122、157の実績はあり。)

61号機リバイバル特急「平和」
リバイバル特急「平和」を牽くEF5861(東)

1981年に大好評を博した9001〜9002レ「リバイバルつばめ」は翌1982年夏には往路「はと」、復路「つばめ」で運転。1983年春には再び「つばめ」が運転され、同年夏の「平和」でいったん打ち止めとなりました。3年連続しての運転で話題性に乏しくなったことや、1984.2ダイヤ改正で静岡地区の普通列車が大増発され、「つばめ」のダイヤを忠実に再現することが難しくなったのがその理由とされます。
 1983年はリバイバル以外の9001、9002レが何度も走りましたが、翌年にはぱったりなくなっています。
 (1986年にEF65PFの「つばめ」が走っていますが、こちらは機会を改めます。)

148号機+高崎局「くつろぎ」
高崎局の「くつろぎ」を牽く148号機

「くつろぎ」は関東圏では初めてオリジナルの12系とは異なる帯が巻かれ、当時はこれだけでも目新しく感じました。夏休みには碧海エリアを通過する列車があり、地元で迎えました。

サロンエクスプレスデビューツアー
サロンエクスプレス初来碧。61号機を充当。

 8/16に報道試乗会を行ったサロンエクスプレスは8/20〜8/21にかけて「ナイスツアー京都の旅」でデビューしました。同好の方から聞いた話では、61号機はお召整備が近いため、充当されないのではないかとのことでした。それを信じていた私は茶色の車体が見えてきたときには驚きました。
 ダイヤは前月に運転されたリバイバル特急「平和」と同じ9001〜9002レです。ただし、下り列車は京都着が遅く、往年の「つばめ」のダイヤが引けなかったようです。

●欧風客車「サロンエクスプレス東京」と「サロンカーなにわ」デビュー

外装は変化なしが基本であったお座敷列車ですが、1983年からは大胆に塗装変更を行ったものが出始めます。そして、国鉄初の欧風列車が登場したのもこの年です。
 東京南局の「サロンエクスプレス東京」(SET)と大阪局の「サロンカーなにわ」は東西両局が競うように製作され、SETが一足早く、暫定の5両編成で運用を開始しました。そして、1983.9.24には「なにわ」も東京往復の運用で本格的なデビューを果たしました。
 当日は「なにわ」のデビューを祝うかのように、SETも大阪往復の運用に就きました。SET、「なにわ」がそれぞれ24日の9001、9002レで東京、大阪を発ちます。翌25日は逆のパターンで運転されました。1981年に初めて運転されたリバイバル「つばめ」のスジを踏襲したもので、「つばめ」が現役だった頃と同様に浜名湖付近で両者がすれ違うシーンが見られました。片道運転のリバイバル列車では不可能なことで、すれ違いを狙った方も少なからずいらしたようです。
 この年は前期試験が早々に終わり、同学科の友人たちと北陸方面へ旅行へ出掛けていました。復路、私は刈谷の実家に滞在して撮ることができたものです。

初上京の「なにわ」を牽く12号機
「サロンカーなにわ」が初上京。

「なにわ」は「サロンカーなにわと東京ディズニーランドの旅」というツアーで、「記念」と冠する列車ではなかったためでしょうか。期待のヘッドマークはありませんでした。宮原区の機関車かと思いましたが、東京区の12号機が牽いて来たのは意外でした。臨時急行「銀河」を絡めた運用だった模様です。当時東京区最若番の12号機が特急「つばめ」のスジに充当され、健脚ぶりを示しました。

客車を後打ち
デビュー当時の「なにわ」は濃緑に金帯であった。

初物のため、後打ちもします。曇天では金帯が冴えません。
 サロンエクスプレスが暫定の5両編成のままだったのに対して、「なにわ」はフル編成7連が完成していました。

148号機+サロンエクスプレス
SETはテレビ東京の団臨で大阪へ。

「なにわ」を撮影後は一旦帰宅し、SETの時間に出直したものと思われます。テレビ東京の団臨で、東京駅停車中はヘッドマークが取り付いていたようですが、なぜか外されてしまいました。

88号機+「なにわ」
88号機が「なにわ」を牽くのはこの時限りであった。

9/25の「なにわ」9001レはやはり東京区のEF58の担当で、88号機が充当されました。なお、88号機は前々日に鉄道ジャーナル誌のミステリー列車でSETを牽いています。
 両日の9001、9002で東京区のEF58が3両使用されましたが、せっかくの機会にもかかわらず、61号機の充当はありませんでした。同機は高崎線における「あかぎ国体」お召の運用が迫り、整備後は一般運用に充当されなかったためです。しかし、人気の88号機が牽いたのはこの時限りで、貴重なものです。

129号機+「なにわ」日本一周ツアー
日本1周ツアーの「なにわ」

東京へ戻ってからもすぐに「なにわ」を撮るチャンスがありました。
 10/1からSET、「なにわ」の双方が日本一周ツアーに出ました。「なにわ」は日本海回りで青森へ向かい、東北本線〜山手貨物線経由で10/5に品川へ入って停泊。翌、10/6に東京駅始発で8107レとして下って行きました。またしても東京区のEF58が担当で、とうとう地元宮原区のゴハチが牽く「なにわ」は撮ったことがありません。
 危うく京浜東北線の103系に被られるところでした。

「なにわ」日本一周ツアー(後打ち)
日本1周ツアーの「なにわ」

8107レは東京を15:45に発車します。10月の16時頃には太陽がだいぶ西へ傾きます。前掲の初上京時は曇天で冴えない色だったのに対して、夕陽が当たって違う色のように見えます。
 開放露出でピントを合わせる自信がなくてカラーポジの使用を差し控えたものですが、金帯時代に晴天下で撮った「なにわ」が少ないだけに、今となっては少々悔やまれます。
 このまま夜行で下ってしまうのではなく、沼津で一泊して碧海エリアは10/7の8103レで通過したようです。

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