名鉄西尾線
24.7.14(04.6.18 開業)
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西尾線の西尾口駅のすぐ近くに母の実家があります。私が幼い頃はいつも西尾線を利用して訪問していました。叔父曰く、私が泣き止まないときは電車を見せることが特効薬だったそうです。西尾線は私と名鉄の接点であったと言っても過言ではありません。
●八ツ面について
西尾口駅近くには八ツ面山という小さな山があります。頂上には昔から展望台があり、幼少の私は叔父に展望台を指差しては「あそこへ行きたい。」とせがんでいました。
なお、戦前に西尾と岡崎(岡崎新)を結んでいた西尾鉄道には八ツ面駅が実在していました。
始発駅総合路線図へお越しの方はご利用下さい。
(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
暫定掲載【西尾線を走ったリバイバル色の5513F/同色をまとった6013F】(2024.7.14)
6000系にリバイバル塗装を施した4編成目となる6013Fが24.7.6に舞木検査場から西尾へ回送。蒲郡まで2往復の団臨に使用されました。以下、24.7.7付「構内放送」の記事を再構成のうえ、当ページに暫定掲載します。
リバイバル色の5513F(往路)
2003年からの5500系リバイバル色は通常、西尾線での定期運用はありませんでした。それでも、2004.9.25にはファングループによる団臨として、蒲郡まで運行されています。
滅多にない機会です。当時住んでいた大阪から訪れました。
20年の時を経て同色となった6013F
6013Fの西尾への回送列車は5513Fの写真と並べてみたいという考えから、同じ場所を選びました。樹木が伸びて来ていますが、約20年の月日を経ても、目立った変化はないようでした。「早切り」の反省もあって、今回は短めのレンズ(ズーム)を使用しました。
西尾・蒲郡線、御嵩ワンマン用6000系に順次塗られたリバイバル塗装。今回はクリーム色に赤帯の塗装です。新聞社などの報道では、5500系の塗装を再現したものと伝えられました。確かに5500系がこの塗装をまとっていた時期はありましたが、短期間でスカーレット(+白帯の時期もあり)に改装されています。2005年の5500系廃車前の塗装はリバイバルであるため、リバイバル色のリバイバルとなると、違和感を感じないでもありません。
むしろ、この塗装は3700系などのHL車や、3600系、3800系などのクロスシート車を主体としたAL車のものという印象が強いです。これらについては、1975年からスカーレット単色への塗り替えが始まり、同じ塗色を採用していた豊橋鉄道に残るのみとなりました。
これで蒲郡、御嵩ワンマン車の5本は全て塗装が異なることになりました。考えてみれば、日替わりで違う塗装の電車が来るとは、いまどき凄いことですね。(24.07.07の原稿に手を入れました。)
●1800系の団体臨時列車運転(2020.2.16)
2020.2.16の午後、新安城から蒲郡まで1800系2両編成の団体臨時列車が運転されました。周囲の人は1800系はリニューアル前を含め、西尾、蒲郡線に入ったという話を聞いたことがないと口を揃えます。「実は・・・」ということがしばしばありますので、断定的なことは言えませんが、珍しい出来事には違いありません。
このときの臨時列車の運転にあたっては、団体さんを蒲郡で降ろし、西尾まで回送されたあと、西尾−新安城の普通列車に4往復半充当されたことが特筆されます。鉄友から聞いた話や、SNSに投稿された目撃情報を整理してみると、緻密で興味深い計画がなされていたことが見えてきます。本ページに記すとボリュームが大きくなってしまうため、別ページを作成しました。縮小写真から入ることができます。
生まれて初めて乗った電車
ダークグリーン塗装の800系
この日はお祭りで親戚が集まりました。私は料理を食べるのもそこそこに、叔父や叔母たちの笑顔に見送られて沿線へと出ました。快晴の下、当時800系では最も原型に近い旧塗装車であったモ804+ク2314が線内折り返しの運用に就いていました。
当時は最新鋭の6000系
804と同日に撮影した6000系です。前年末にデビューしたばかりの頃で、字幕が青文字になっています。まだ本数は少なく、支線である西尾線でキャッチできたのを嬉しく思いました。
しかし、6000系の大量増備によって慣れ親しんだ旧形のAL車、HL車がしだいに勢力を弱めていきました。
従兄弟たちと3850系
高校1年のお盆休みのとき、カメラを持って外へ出る私に従弟たちがついてきました。西尾へ来るたびに電車の写真を撮りに行く私の行動に興味を持ったのでしょう。
電車が写っているのはこの1枚だけで、つぎのコマはキャッチボール。暑いさなかに数本待ったものの気に入った車は来ず。従弟たちも飽き始めて早々に引き上げたようです。
座席特急「三河湾」
実質上無名称のものが多い名鉄の特急ですが、西尾線には「三河湾」と命名されたものがありました。まだ特急=指定席ではない頃で、名称の上に小さく「座席指定」と書かれています。2009.8.9、7011Fが入線するまではローアングルを試そうとして撮ったこの写真が西尾線内では唯一のものになっていました。
7700系4連
1977年3月改正まであった座席指定でない特急には旧型のAL車、SR車、パノラマカーと幅広い車種が充当されました。7700系は特急専用車(白帯車)時代はもちろんのこと、それ以前にも座席指定特急として姿を見せていました。
3400系団臨(1)
2001.10のダイヤ改正で定期運用を失った3400系が約1月後、鉄道友の会の団臨として西尾、蒲郡線に入線しました。出迎える場所は1977年頃、何度か撮影したポイントにこだわってみました。高架の関係でどんぴしゃの場所は無理ですが、左の写真で言えば、4両目のあたりでしょうか。
3400系団臨(2)
冷房化、登場時の塗装への復元によって末長い動態保存が期待された3400系でしたが、既にク2401が解体されています。結果的にこの団臨が西尾線への最後の入線となりました。日の入りが早いこの時期、復路は夕方らしい光線状態になりました。
この列車を撮った前後に甥が誕生。大阪へ帰る前に初対面を果たしました。
黄色の5513F団臨
5500系では最後に残った2連の3本がリバイバル色に塗り替えられたのは2003年夏のこと。定期列車としての乗り入れは原則的にありませんでしたが、団臨としての入線が実現しています。(団臨がらみで定期列車への充当もあった模様です。)この日は蒲郡までの団臨でしたが、使用編成の事前情報はなく、当日列車が来るまで何色かはわかりませんでした。
ミュースカイ代走
1600系の故障による車両不足のため、8.17夕方から2000系2009Fが代走を務めました。この列車で名古屋に到着後は1600系に差し替えられ、故障した編成も復帰したため、太陽の下を走ったのはこの1本だけだったようです。
1600系一部特別車化の過渡期にどんな動きがあるのか注目していましたが、単純に全車特別車特急が廃止されたのみで、移行措置はありませんでした。
7011F復活三河湾
白帯車による特急運用が1600系に置き換えられた後、西尾線では通常時には7000系パノラマカーの運用はありませんでした。パノラマカー全廃が見えてきた2008.8.9、運用変更によって定期の快速急行に7011Fが充当されました。しかし、展望車を中心に大混雑となり、一般利用客に迷惑となることからか、その後は専用団体列車の運転へと変わっていきました。
1384Fが急行で入線
08.12.27名鉄ダイヤ改正では、前回改正時の3R復活に続き、5000系のほか、1編成のみの異端車、1384Fも姿を見せるようになりました。1384Fは改正初日に続き、翌日も同じダイヤで乗り入れてきました。しかし、この日の夜、栄生駅で脱線事故を起こしてしまいました。
幸い大事には至らず、1週間ほどで修理を終えて復帰しました。せっかくのハイグレード車が普通列車だけではもったいないところでしたが、急行運用ができたことは嬉しく思いました。
7700系最後の入線
岡崎城西高校鉄道研究部OB会の団臨に7700系白帯車が充当され、快晴の下を駆け抜けました。運転も卒業生の運転士さんが務め、各所でミュージックホーンが鳴り響きました。
白帯車2連で西尾行特急に使用されていたころの写真がなかったのですが、それを彷彿とさせる列車の運転はありがたいものでした。
3400系団臨(3)
3400系団臨(2)の次のスパンを渡る時、車体がぎらりと輝きました。3400系がここで見せてくれたラストシーンにふさわしい美しさでした。
朝、唯一残った特急列車
2008年6月29日のダイヤ改正によって、西尾線では日中の特急が全廃。夜の西尾着、朝の名古屋行が一部特別車1000、1200系で運転されるようになりました。
日中の全車特別車特急はガラガラで、350円を払うか、次の急行を待つかの選択を強いられる理不尽が解消されたことは、利用者の立場に立てば改善と言えます。しかし、かつては数多くの特急列車が走っていた西尾線に1往復のみとは寂しいところです。列車番号は285レ。長年にわたって変わっていないようです。→2023.3.18ダイヤ改正によって特急列車は平日ダイヤのみ、全車一般車4連での運行になりました。
エコムーブトレイン
省エネ性に優れた電車の利用を促進するキャンペーンとして毎年運転される”エコムーブトレイン”。西尾線へ入るという情報が入った時はここへ何度か足を運びました。吉良吉田での折り返し時間がそこそこあるため、往路の目撃情報を聞いてから出掛けても間に合います。
系列は3300系ですが、先頭車は「いもむし」と同じモ3401を名乗ります。
2012年版はよりキャラクターが大きくなり、電車としてのデザインが損なわれてしまったため、カメラが向きません。
●温もりがあった西尾口駅
1980年頃だったと思いますが、1時間に2本ある普通電車のうち、1本が通過していました。今でこそ人口が増え、利用客も増加していますが、当時は西尾線で最も冷遇されていた駅と言えるでしょう。高架工事の話が持ち上がったとき、地元ではこれを機会に廃止されるのではないかという噂が立ったくらいです。
しかし、かつては売店があり、きっぷも売っていました。発券、集札業務が駅に隣接する商店に委託されていたのです。祖母の家からはお菓子やジュースを買える最も近いお店で、暑いときなどは「駅で買っといな。」(買っておいで)と、祖母からお小遣いをもらったものです。
お店はいつの間にか閉店し、正真正銘の無人駅になってしまいましたが、夕方になると白熱灯が灯り、母と電車を降りると「駅のおばさん」がいつも笑顔で迎えて下さったのは暖かい思い出です。
矢作川を渡る1000系
7000系白帯車が1600系に役目を譲った頃、一部の特急には1000系も使用されていました。同系は車体長の関係で急カーブの吉良吉田駅への入線に支障があるとのことで、西尾止まりの列車にしか使用できないせいか、いつの間にか見られなくなってしまいました。(2005.1.29ダイヤ改正により1000系4連の特急が復活しましたが、2008.6.29改正で全車特別車編成は撤退しました。)
西尾線一の長大編成
西尾線は基本的には最大4両編成ですが、6両編成も運転されています。8800系パノラマデラックスが健在の頃(2005.1.29ダイヤ改正で引退)は2本併結した285列車津島行きで、一部の駅ではホームからはみ出して停車していました。
なお、8800系導入以前にも6連の実績はあるようで、碧海桜井駅近くに住んでいた従兄弟からパノラマカーの6連を見たことがあると聞いたことがあります。(7500系であったと読者から情報をいただきました。)また、8800系6連になる前の285レは7700x2+7000x4だったそうです。(当時の列車番号不明)
1600系快走
1600系は支線区直通特急のグレードアップに貢献しました。木製架線柱の単線区間をシングルアーム式のパンタグラフをかざして快走する姿もすっかり板に付いた感じです。
長い直線区間があり、旧型車の頃から最もスピードが乗るところです。
(1600系は2008.6.28限りで特急としての運用を終了。この区間の木製ポールはコンクリート化されました。)
●すっかり変わった顔ぶれ
最近の西尾線は6Rと呼ばれる広義の6000系(6500系、6800系を含む)の天下という印象があります。特急からは8800系、1600系が引退(1600系は改造)、朝晩の1000(1030),1200(1230)系のみとなっています。08.6.29改正によって3R(3000番台形式)が復活し、ステンレス車も時々姿を現すようになりました。
私が西尾線を撮り始めた1977年には数多く見られたAL車はおろか、5500系(全廃)、7000系パノラマカー、7700系も全て引退しており、初期タイプの6000系を除けばすっかり顔ぶれが変ってしまいました。(10.3.21修正)
端午の節句の頃
近年、ゴールデンウイークには遠方へ出掛けることはほとんどなく、この日もぶらりと米津橋を訪れました。1両目の奥に鯉のぼりが見えています。
1977年西尾線で初めて6000系を見たときはとても新鮮な印象でしたが、今では半分以上の列車を担うようになりました。広義の6000系には大きく分けて3種類の顔がありますが、「初期型だ!」、「鉄仮面だ!」とファンに追い掛けられる日が来るのでしょうか。
夕日を浴びて
5500系4連固定編成の廃車が近いと言われた頃、西尾線直通運用を何度も狙いましたが、4回に1回くらいは当たってもよさそうなところが、来るのは5300系や5700系ばかりでした。3400系の団臨が入った日は絶好の撮影日和でしたが、この日も残念ながら5300系でした。
この時期は見る見るうちに日が暮れてしまいます。
5507F西尾線ラストラン
2002年3月下旬から5月初めにかけて5500系4両固定編成が相次いで引退しました。西尾線での撮影がなかなか叶いませんでしたが、この日はネット情報のお陰で落ち着いて撮ることができました。
この編成は5.1には廃車待ちで布袋に回送されてしまったため、おそらく西尾線を走るのは最後だったものと思われます。
2204F(オリジナル塗装)が入線
2015年、2200系(2210F、2211F)が増備され、西尾線唯一の特急が2200系や1700系に置き換えられないかと心配になりました。この日、撮りに行ったら来たのは2204Fでした。この頃、特急の増結車1800系、1850系が複数の事故で不足しているほか、1200系にも入場中の編成があり、基本編成のほうまで運用変更が及んでいたようです。翌日からは所定の1000、1200系に戻りました。
1000、1200系新塗装車
1200系のリニューアルに伴う新塗装は構内放送で取り上げたのみで安定的に常設展示室に掲載したことがありません。既に既存の全編成がリニューアルを終えており、これが日常の姿になっています。
しかしながら、左の写真を撮って3年後、ここも木がずいぶん伸びてしまいました。鉄橋での撮影はできれば川の水が写ってほしいものですが、ここまで木が存在を強く主張すると近寄りがたさすら感じます。
9500系営業デビュー初日に入線
19.7.10の未明に舞木検査場に到着した9500系の第1編成が12.1に営業運転に投入されました。その一方では、残っていた5700系、5300系の4本が運用離脱、廃車になっています。12.23には最後の5305Fが解体場となる名電築港へ搬入されました。
クロスシート車が銀色のロングシート車に置き換えられることが繰り返され、旧5000系以降のSR車(2ドア転換クロスシート)という区分がついに消滅してしまったのは寂しいものです。
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