北海道のリゾートトレイン第3弾として、キハ80系を改造したものです。種車のイメージは払拭され、キハ80系の面影は感じられません。5両という短い編成の中間に連結されてるのは食堂車です。今では考えられないような構成ですが、バブル全盛という時代を映し出しているのでしょうか。
本特集ではなるべく多くの走行路線を選定するという方針を度々申し上げていますが、四国がどうしても少なくなってしまいます。そんな中、救世主的な存在が今回の「トマサホ」です。同車はJR北海道の車両ながら、四国を走った実績があるのです。
1989.11の3連休、JR四国へ各地のジョイフルトレインが集まるイベントが行われました。南から「サザンクロス」(九州)、「あすか」(西日本)、「ユーロライナー」(東海)、「レインボー」(東日本)。そして、最も遠い北海道も例外ではなく、「トマムサホロエクスプレス」が電気機関車に牽かれてやってきました。
JR四国の担当者が各社と交渉したものと思われますが、旅客会社全社が漏れなく参加したのは立派でした。この頃のJR四国は話題作りや高速化に熱心で、頑張らなくては会社が維持できないという危機感、先見性は、決してバブルに浮かれてはいない堅実な経営であったということになるのでしょう。
私は3週連続の県外遠征に多少の後ろめたさを感じ、迷っていましたが、取れなければ諦めようと思った「ムーンライト高知」やホテルの予約ができ、決行となりました。
地元の「アイランドエクスプレス」を含めれば、6本のジョイフルトレインが四国各地を巡ります。停車駅の少ない特急列車を使い、どう移動するかが撮影計画の鍵でした。実際には雑誌の情報とはダイヤが大幅に変わっていることをたまたま会った方から教えていただいたり、JR四国の運転士さんという方が撮影地から車で送って下さったりと、ご厚意にも支えられての成果でした。
「トマムサホロエクスプレス」は撮影最終日の11月5日、自力で予讃本線をゆくシーンを狙います。あてもなく伊予西条で下車し、同じ列車から降りた同好の方、現地で同行したYさんと3人でタクシー相乗りで石槌山駅の手前まで行きました。この頃の予讃本線は未電化で、四国色の181系や185系と同じ線路を走る「トマサホ」を記録することができました。
キハ84101(札ナホ) 1989.11.5 予讃本線 石槌山−伊予西条