碧電12周年企画各地を走った ジョイフル気動車

第19回 ふれあいSUN-IN  13.3.24UP

大阪−米子間の臨時帰省列車「お座敷楽々ふるさと号」

●国鉄時代に山陰地方に登場したお座敷気動車

1980年代前半、各地にお座敷列車や欧風列車が登場していましたが、山陰地方は未整備でした。国鉄時代末期の1986年にやっとデビューすることとなり、「ふれあいSUN-IN」と命名されました。需要規模や機動性を考えると客車の6両では長すぎるため、気動車の3両編成となりました。
 本州のお座敷、洋風気動車はキロ59、29501〜が付番されていますが、当車は秋田局の和式、洋風の2本に続く3本目としてキロ59505、506、キロ29503が与えられました。
 当車は第1回の「セイシェル」の後ろに併結されて登場していますが、本編では反対側の文字が青い側をご紹介します。ネガからは車番が読めませんでしたが、青い文字が運転席向かって右側になっているのがキロ59505と特定することができます。

●撮影行は散々だったけれど

1991年、この頃は東京都内に勤務していました。前後を土日に挟まれて9連休となる年末年始休暇はまっすぐ愛知へ帰省するのではなく、一度素通りして大阪から臨時快速「ふるさとライナー山陰」で岡山〜伯備線経由で91.12.29の早朝、米子に着きました。
 主目的はDD51重連の特急「出雲」です。1号は概ね定時のようでしたが、3号が待てど暮らせど来ません。ものすごい風に耐えながらひたすら待ちます。どうやら余部鉄橋が強風で抑止になっているようです。しびれを切らせて赤碕駅へ聞きに行くと、あと5分で通過とのこと。慌てて駅のはずれへ行ったものの、すぐに来てしまい撮れず。悪い夢でも見ているようでした。
 結局翌30日着の下り出雲は伯備線迂回となり、ヘッドマークなしの列車を架線の下で撮るという不本意な結果に。2日間で「出雲」は1本もまともに撮れませんでした。
 午後は帰省の多客臨として運転されている「ふれあいSUN-IN」や181系の特急などを撮って「エーデル鳥取」で帰りました。
 つきに見放された撮影行になりましたが、気動車の車窓から見える冬の日本海は何か心に訴えるものがあり、なぜか来たことを後悔させなかったと撮影日記に記されています。

キロ59505(米ヨナ)9825D快速「お座敷楽々ふるさと号」 1991.12.30 山陰本線 松崎−泊


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