あらためまして、こんにちは。
このページを開いた人は、このページによって、私が同性愛者だということを初めて知った人が多いと思いますが、びっくりしたでしょうか? それとも、なんとなくそうじゃないかな、と思ったこともありました?
これまで、あんまり話す機会がなかったので、話してなかったわけですが。
普段の生活の中で、私のまわりの人も、いかに同性愛についての正確な知識を持っていないか(つまり、いかに同性愛に対して偏見や差別感を含んだ捉え方をしているか)を感じることがひんぱんにあるので、私は、ゆっくり時間があって少人数でいるときじゃないと、自分が同性愛者であるということを、まわりの人に話さないことにしています。
私は、自分の周囲の身近な人たちが、(先入観のために)同性愛について否定的な捉え方をしている場合には、同性愛を擁護する発言をしようと思うのですが、それは(今のところ)ちゃんと時間があって、相手がわかってくれると思うときだけに限っています。
「カミングアウト」をするのに多少まわりくどい方法をとっているような気もするのですが、同性愛に対する先入観を一気にとっぱらってもらうには、ある程度まとまった分量の「インプット」が必要だと思うので、このように、ホームページを利用して「カミングアウト」をするやり方は、けっこういいかもしれない、と最近は思ってきてます(一人一人に「同性愛についてのレクチャー」するのも面倒だし、毎度毎度「自分史」語る気にもならないし)。
私が、このホームページのアドレスをお知らせした方は、お付き合いする中で、「話した方が楽に付き合えそう」、そして、「話してもいいかな」と思った方だと思います。私は、自分の自由になる時間の多くを、ゲイの友人たちとのつき合いや同性愛者関連の活動(私は、同性愛者のための「心理臨床・教育・福祉・医療の専門家の団体」の代表をしています)に使っているので、自然、そのへんのことについてふれないと、おしゃべりの内容が限定されたり、会話の流れが不自然になったりして、私の方で、もどかしさを感じることがしばしばです。
さて、あなたには、同性愛者の(同性愛者だとあなたが知っている)友人・知人がいますか?(いたことがありますか?)
「同性愛者に会ったことがない」と言う人が、日本の場合、とても多いですが、同性愛者は、少なく見積もっても50人に一人ぐらいは必ずいます。あなたが知らないだけで、これまでの知り合いの中にも必ず同性愛者はいたと思います。
例えば、私が医学生のときには、自分と同じ学年に一人、一つ下の学年にも一人、同性愛者の学生がいました(これは、私が、けっこうアクティブに活動しているから出会うわけであって、同性愛者同士でも、日常生活で顔見知りであっても、互いにそうだと知らずに過ごしている場合がほとんどです)。
なぜ、同性愛者が、自分が同性愛者であることを隠すかというと、自分が子どもの頃から育ってきた日常生活の中に、同性愛に対する否定的なメッセージが五万と含まれていて、それを擦り込まれてきているからです。「自分が同性愛者である」ことが、「あ、そう」というふうに周囲の人たちから当たり前のこととして受けとられないだろうと感じるからです。
相手から否定的だと捉えられ得る部分を、自分が抱えていると感じながら日々生きていくことは、相当ストレスフルになり得ることです。
私も、小学生の高学年ぐらいから、同級生の男子に恋愛感情のようなものを持っていましたが、それに名づけることもできずに、思春期と呼ばれる時期を過ごしました。今になって思えば、何度も(中学や高校のときに)「恋愛感情」という感情を持ったことがあったのですが、それを、ちゃんと自覚することさえままならずに、10代の時期を終了してしまいました。
その頃の私は、今現在の「世の中の一般の人々」と同じで、同性愛者というのは、自分とはまったく無関係の世界に生息している(どこかおぞましい別種の)人種だと思っていたのです。それは、やはり、私が育ってきた環境の中で、同性愛者がそのように言及されていたからでしょう。
自分の内面生活において非常に大切な、強い感情を、抑圧していたこの頃の私は、精神的にかなり不健康だったと思います。
※昔から、しばしば報道される中・高生の自殺は、(周囲が知らないだけで)同性愛が要因となっている例も少なからずあるのではないかと私は思っています。
欧米のメンタルヘルスの専門家の間では、10代の同性愛者の自殺念慮・自殺企図の高さが、しばしば報告されています。
同性愛者というラベルを、私が、自分の身に引き受けざるを得なくなったのは、大学生のときに、ある親友に、本当に真剣に恋愛感情を抱いたからです。(内からどうしようもなく湧いてくる)自分にとってどうしても大切だと思える感情が、世の中からは「同性愛」としてキワモノ扱いされるというギャップが、自分の中で消化し切れずに、この頃私は、ひどいうつ状態に陥りました。精神科医となった今思い返しても、よくあの状態を一人で乗り切ったと思うくらいです。
※同性愛者が、異性愛者と比べ、気分障害や不安障害になる割合が高いという報告も、欧米では、いくつかの全国的な調査において、なされています。
これは、同性愛と、そういった障害との間に「内的な結びつき」があると考えるよりは、偏見のある社会に適応しつつ生きていくことから生じてくる、適応障害的な反応のあらわれだと考えた方がよいのではないかと私は思います。
このページを読んでいる方は、おそらく精神科の仕事関係で知り合った人が多いのではないかと思うのですが、日本の場合、精神科や心理のプロの人でも、セクシュアルマイノリティに対する姿勢・知識が、素人と同様であることが多いような印象を受けます(そのような知識を得る場が、教育の中に配備されていないことが非常に問題なわけですが)。
私がメンタルヘルスの分野に携ろうと思ったのは、私が同性愛者であるからというわけではありませんが(関係はしてますが)、今の日本の精神医療・心理臨床の、セクシュアルマイノリティに対する知識・対応の仕方の不十分さを思うとき、「当事者」が活動していかないと、この状況は一向に変わっていかないのかもしれない、と思ったりもします。
当事者としての自分の問題に直結する事柄に、(当事者でもある)メンタルヘルスの専門家が、専門家として携ることは、様々に微妙な問題を含んでいるとも思うのですが、「啓発的」な活動等は、やはり、やっていかねばならないではないかと、このところ思ったりしています。
少しずつ、心理臨床・精神医学の学会等で、セクシュアルマイノリティに関するテーマで、発表する機会を(我々は)つくろうとしています。
(このようなホームページをつくったことも、「啓発的」な意味合いもあると、自分で思っています。)
数年前、性同一性障害が、一人の当事者の声をきっかけにして、精神医学の中で(それ以上に「世間一般」の間で)、大きく取り上げられました(それは、多分に性別再指定手術が医療行為として実施されるという「世間」の興味をひくトピックだったからでしょうが)。それ以後、それまで行き場のなかったトランスセクシュアルの人たちが、精神医療の現場に行きやすくなったというメリットがあったのだろうと(そのメリットは大きかっただろうと)思います。しかし、一般の精神医療・心理臨床の専門家の、セクシュアルマイノリティ一般に対する理解と対応の仕方が、どれほど深まりどれほど変わったかというと、それは決して充分だとはいえないでしょう。
ここまで読んでも、いまひとつピンとこないと感じられる方は、以下の文章も参考になるかもしれません。
よければ、お時間のある時に、どうぞご覧下さい。
(過去、私があちこちに書き散らかしてきた文章です。)
1.「同性愛になじみのない方のために〜同性愛についての基礎知識〜」
2.「中学生・高校生とかかわりを持つ人たちに同性愛について知っておいてほしいこと」
この文章の論調には、かなり、私自身の中・高生の頃の体験や思いが反映されています。
3.「人を愛する権利について」
2の文章とかなり重複していますが、地方自治体の出版物に載った文章です。
4.AGPのホームページおよびAGP関西のホームページ
私は、同性愛者のための「心理臨床・教育・福祉・医療の専門家の団体」の代表をしています。
"AGP: Association of Gay Professionals"という団体です。
私が医学部の学生だった頃(1994年頃)につくりました。
関東のAGPと関西のAGPが、それぞれ、ホームページをもっています。
関心があれば、どうぞこちらもご覧下さい。
というわけで、長い文章にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
また、お会いすることがある方は、会ったときにでもお話する機会があれば、と思います。
なかなかお会いできない方は、よければ、お時間のあるときに、メールででも、感想など聞かせていただければ幸いです。
(別に強制してるわけじゃありません。(^^; )
それでは、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。