※1998年の夏休みに『公募ガイド』をパラパラとめくっていたら、「人権作文募集」という欄が目に留まりました。
 北九州市の保健福祉局・同和対策部というところが募集していたものです。
 同性愛ネタで、このような地方自治体(行政)が募集しているものに応募しても、相手にされないだろうと思いつつも、送ってみたら、佳作の賞をもらいました。
 こういうところにいる人たちの意識も、変わってきているのかなあ、と思った次第です。


人を愛する権利について


       
 同性愛が、人権の問題として取り上げられることは、日本では稀である。
 一方、欧米の多くの国々では、同性愛者の権利を保障しようという努力が継続して行われており、国連人権委員会の宣言や、南アフリカ共和国の憲法の中には、人は、異性あるいは同性のどちらを恋愛の対象とするかにより(性的指向の違いにより)差別されてはならない旨が謳われている。

 同性愛者は、常に人口の2〜3%を占めている。 100人に2〜3人の割合である。
 しかし、日本の同性愛者の多くは、異性愛者の社会に自らの生き方を迎合させ、自分の感情や自分らしく生きる権利を放棄して生活している。
 そのため、異性愛者が、普段日常生活で顔を合わせているはずの同性愛者と「出会う」ことは、まずない。

 自分が同性愛者であると気づき始める十代の若者たちは、ひどい孤立感に苛まれる。
 何の情報もなく、このような性質を持つ人間は、世界に自分一人きりだと思ってしまう。
 日常生活で、常に否定的な文脈で語られる同性愛に、そして自分自身、否定的に語ってきた同性愛に、実は自分が当てはまるのだという自覚は、ありとあらゆる抵抗を伴って、十代の頃に否応なしに意識されてくる。中には、強い抑圧のため『同性愛』という言葉を、そのどうしようもなく湧き出る感情に与えることもなく、半ば無自覚のまま中学・高校時代を過ごす者もいる。恋愛という感情を抑圧したまま思春期を終了することになる。

 私が、自分の感情に『同性愛』という名称を与えたのは、ようやく二十一歳になってからだった。それほどまでに、私は同性愛を否定的にとらえていた。
 しかし、無二の親友とも言える友人に、どうしようもない程の強い感情を抱き始め、それはもはや友情などと呼んでごまかせるものではなく、それこそが、恋愛感情なのだと理解したとき、私はひどく混乱した。
 私は、非常に苦しんだ。
 友人として真摯に接してくれる彼に、恋愛感情や性欲を感じている自分が、汚らわしく思えて仕方がなかった。友人に対して申し訳ないという思いに苛まれ続け、ある日私は、彼に自分の気持ちを打ち明けた。
 その時の友人の態度には、本当に今でも感謝している。
「僕は、君のその気持ちに応えることはできないが、別に、君が同性愛者でも、君自体が変わるわけではない。別に何も変わらない。君の方でよければ、これからもよい友人でいてもらいたいと思う。」
 そして、彼は、抑うつ状態に陥っている私に、辛抱強くかかわり続けてくれた。
 

 自らの経験をふまえ、私が、是が非でも、社会の中で行われなければならないと考える事がある。
 教育の場で、中・高生にものを教える立場にある者たちは、十代の同性愛者たちに「君たちは一人ぼっちではない」ということ、そして「君たちが同性愛であることは決して悪いことではない」ということを絶対に伝えていかなくてはならない。
 それは、彼らの同性愛を「固定」することになるのではなく、彼らに、本当の自分でいてもいいのだ、というメッセージを伝えることである。
 それによって、どれほど多くの「健康」な若者たちが、精神的に「不健康」になるのを防げることだろう。

 私は、本当に苦しんでいる最中には、これほどまでに自分にとって大切だと思える感情を(人を愛するという感情を)否定しようとする世の中には、存在することはできないとさえ考えた。
 日本で、中・高生の自殺が時折報道されるが、その中には、同性愛が要因となっている例もあるのではないか、と私は考えている。

 相手が異性であれ同性であれ、他の人を愛し、共に生きようとすることは、人間にとって根源的な欲求であり、そうする権利は、全ての人間に保障されて然るべきものだと私は思う。
 
 
 


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