△ 「背中のイジン」シーン22


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仁志家。周作、考え事をしている。ため息をつき、しゃがみこむ。
そこへ美香子、入ってくる。

美香子 「コーヒーでも煎れましょうか?」
周作 「あ、いえ。」
美香子 「あまり根をつめるとお体に障りますよ。」舞台写真
周作 「はい。ありがとうございます。」

美香子、しばらく考え込んで周作を背中から見ている。

美香子 「周人くんを助けるには自分が死ぬしかない。きっとそれが一番正しい。でも…恐い。」
周作 「…あなた…」
美香子 「生きたい。まだまだこの世でやりたい事は尽きない…」
周作 「…その通りです。いくらきれい事言っても、自分の命は惜しい。…内心、ホッとしてるんです。ほっておいても死ぬのは周人で、私は生きられる…」
美香子 「ごめんなさい。心を読むつもりはなかったんですけど、あなたの方からどんどん私の中に…」
周作 「私はひどい人間だ。医学を志し、何万人もの命を救うワクチンを作り出した私の心の中は、本当は人を犠牲にしてでも自分が生き残りたいという欲が巣くっている…私は名医でも何でもない。ただのひどい人間だ。」
美香子 「ひどくなんかありません、それが普通の人間です。私の両親も同じでした。人を救いたいという善意は人一倍大きい人達でしたが、その重さを支える強さがなかった。」
周作 「私にもその強さが欲しい。」
美香子 「あなたは強いはずです。その強さを忘れているだけ。でも、間違えないで下さい。人の犠牲の上に生きることが悪とは限らないし、また、自分を犠牲にして人を救うことが必ずしも善とは限らない。」
周作 「…あなたは強い人だ。」
美香子 「いえ、私もやっと思い出したところです。自分の強さを。」

周作、美香子の言葉を噛み締める。

花音 「周作さん。」

花音、入ってくる。

周作 「花音さん…みなさんは?」
花音 「頑張るって。二人とも死なせないように。」
周作 「そうですか…」
花音 「(ポケットからロケットを取り出し)はい、これ。」
周作 「これは?」
花音 「私が持っているより、周作さんが持っているほうが…」
周作 「…はい。(ロケットを受け取る)」
花音 「毎晩、夢をみたんです。ハナさんの。」
周作 「え?」
花音 「『私はハナと申します。あなたのおばあさんのおばあさんです』って。」
周作 「で、ハナはなんと?」
花音 「『あの人が来たら助けなければなりません』って。」
周作 「私を助ける?ハナがそんなことを?」
花音 「教えて下さい。ハナさんのことを。」
周作 「ハナのこと?…なにから話していいものか。」
花音 「じゃぁ…最初から。」
周作 「最初からですか…そう、忘れもしません、明治天皇ご崩御の数日前です。七月の終わりの暑い日でした。その日は隅田川の川開きの日だったのですが、陛下のご病状を理由に中止になってしまいました。仕方なく川べりを散歩していると、橋から川面を見ている少女に出会いました。それが、ハナとの出会いです。ハナは川に落ちた帽子を追いかけて、千住から一里半も歩いて来たのだと言っていました。事情を聞くとその帽子はハナのものではなく…」舞台写真
花音 「母の大事にしていた帽子でした。」
周作 「…え?」
花音 「こっそり持ち出して友達に見せようとしたのだけれど、きっとバチが当たったのでしょう。つむじ風に飛ばされた帽子はまっすぐに川へと飛ばされて…」
周作 「…ハナ?」

花音、ゆっくりと周作に振り向き

花音 「あの時は子供ながらに生きた心地がしませんでしたわ。」
周作 「ハナなんだね?」
花音 「はい。…懐かしいですね、今でも思い出しますわ。あなたが帽子を取ろうとして川に飛び込んだ時のことを。すぐに警官がやってきてこっぴどく説教されて…」
周作 「あぁ。その脇で君は泣いていました。」
花音 「きっと母に知れると思って恐ろしさのあまり。」
周作 「一緒に謝ろうと君の家まで歩きましたね。」
花音 「うちに帰り『あなたのようないたずらの過ぎる娘は嫁の貰い手も見つかりませんよ!』と大声で叱る母にあなたは『僕が貰います。諦めずに一里半も帽子を追ったハナさんの根性は見上げたものだ。』と。貴方は十八、私は十四ですよ。無茶苦茶です。」
周作 「たしかに無茶苦茶だ。」
花音 「でも、それを聞いた母の驚いた顔、あれも忘れられません。」
周作 「えぇ。」
花音 「この子…花音はとても良い子です。私は彼女をいつも守っています。背中から。」
周作 「じゃあ…」
花音 「えぇ…」
周作 「そうだったんですか。」
花音 「あなたも…まだ守れます。」
周作 「…はい。」
花音 「…あら?…私いつから寝てました?」
周作 「…さあ、いつからでしょう。」
花音 「でも、なんか寝言を言っていたような…」
周作 「花音さん。」
花音 「え?」
周作 「私もみんなと頑張りますよ。」
花音 「周作さん。」
周作 「私が生き返ることを、あの世で予測出来なかったように、二人とも生き残る方法がまだ見つかるかもしれない。」
花音 「えぇ…みんなのところに。」
周作 「はい。」

花音、先に部屋を出る。周作、美香子に

周作 「あなたですね。呼んでくださったのは」
美香子 「私にはこんな事ぐらいしか…」
周作 「ありがとうございます。」

ハケから声がする。

花音 「ちょっと待ってください。」舞台写真
浜崎 「失礼するよ。」

浜崎、後藤、入ってくる。

周作 「あなたは…」
浜崎 「昨日はどうも。あなたですよね、自称瀬名周作というのは。」
周作 「はい。」
浜崎 「逮捕した貝塚があなたも共犯者だと言い張っていましてね。」
美香子 「嘘です!この人はあの時初めてあそこに。」
浜崎 「第一、瀬名周作の名をかたっているが、身元は不明だそうじゃないですか。」
花音 「だから、この人は本物の…」
周作 「同行いたします。」
美香子 「周作さん。」
周作 「ただし、重病の家族がおります。その治療の後にして頂きたい。」
浜崎 「それは出来かねます。」
周作 「は?」
浜崎 「天星会の件は一刻も早く片付けねばならんのです。今すぐご同行願います。後藤。」
後藤 「はい…すいませんがお願いします。」
周作 「待って下さい。一刻を争うのはこちらも一緒です。離して下さい!」

周作の腕が浜崎の胸にあたる。

浜崎 「公務執行妨害の現行犯だ。」
後藤 「え?いや、でも今の…」
浜崎 「後藤、手錠。」
後藤 「…はい。」

後藤、周作に手錠をかける。

花音 「ちょっとなにするの!」
美香子 「警察の横暴です!」
周作 「大丈夫。すぐに戻ります。」
花音 「周作さん。」
浜崎 「いくぞ!」

周作、浜崎と後藤に連れられてハケる。

美香子 「なんてことを。」
花音 「みんなに知らせなきゃ!」

花音、美香子ハケる。

(作:松本仁也/写真:広安正敬)

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