ショパン全作品を斬る
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この1839年はショパンの生涯中傑作を最も大量に生んだ年と言える。 解説する方にとっても難儀な年である。 前年からショパンの肺病が始まったこととジョルジュ・サンドとのマジョルカ島行が健康を一層悪化させたことを考えると、 この年こんなに生産的だったのは不思議である。 しかし1839年6月フランスのノアンにあるサンドの邸宅に移ってからの体調回復後、 何ものにも邪魔されることなく、 貯めていたふんだんな素材を余すところなく利用し、 ショパンは生き返ったように創作に打ち込むことが出来たのだろう。 既に波乱の人生を経験した後の安寧の時期だけに、 以下のような多様な雰囲気を併せ持つ世界を生みだしたのかも知れない。
[152] ピアノソナタ第2番 変ロ短調「葬送」 作品35
1837年作曲の
葬送行進曲
とともに1840年出版された。献呈はなし。
第3楽章に「葬送行進曲」を持つことで有名なソナタ。 シューマンが「問題児を4人集めたようなこの曲集をソナタと呼ぶのは冗談ではないにしても大胆である」と幾分皮肉めいた評をくだしたことでもわかるように、 大変斬新な作品。 ショパンのソナタ作品はどれも力作揃いだが、 特にこの第2番と後年の第3番のピアノソナタは現代でもピアノソナタの最高峰に数えられる。
その問題児を一人ずつ見ていくと、 まず第1楽章。 冒頭のGrave、 変ロ短調の第3音である変ニ音が左手ユニゾンで銅鑼のように強く打たれたあと、 いきなり全ての音符に嬰記号や本位記号が付く嬰ハ短調の和音。 続いてまた前ぶれ無く変ロ短調属和音。 この意表を突く短い導入で変ロ短調への準備を完了し、 ただちに変ロ短調のリズミックな主題が疾風のように駆け出す。 続いてコラールのような変二長調の第2主題が奏され、 徐々に躍動感を増して盛り上がりを見せた後、 鋭い感性に満ちた和声による和音連打の終結句で主題提示を華々しく終わる。 展開部は第1主題に基づく重音指向の激しいパッセージで、 めまぐるしい転調を経て変ロ属和音に至って再現部への準備。 しかし既に展開部でいやというほど第1主題を使ったので、 再現はショパン得意の第2主題から。 あとは定石通り主題提示部とほぼ同じことを変ロ長調で行い、 最後に短いコーダで高らかに終わる。 その最後の部分では久しぶりにピアノの音域の問題に言及しよう。 ここは旧Peters版(したがって全音や音楽之友社も)やコルトー版などでは最低音がB1♭になっている(譜例1の矢印):
譜例1
これはショパン時代のピアノには無い音なので、 ショパン自身はここだけ左手を1オクターブ上にしている。 パデレフスキー版やヘンレ版ではショパンの書いた通りになっている。 音楽的には譜例1のように下る方が自然である。 しかしこの違いは曲全体の素晴らしさからみればささいなことである。
力強い躍動的な第1楽章のあと、 さぞ静かな緩徐楽章かと思いきや、 第2楽章はさらに爆発力を秘めた変ホ短調の素晴らしいスケルツォ。 臨時記号満載の分厚い和音が急速連打で続く。 真っ黒で複雑な譜面にたがわず演奏至難の楽章だ。 変ト長調 のトリオは打って変わって瞑想的な美しい歌。 トリオ途中の左手中低音の音階旋律も心にくい。
第3楽章「葬送行進曲」。 荘厳で悲愴的な楽章。 変二長調の中間部の天国的美しさ。 それ以上詳しくは
1837年
の項で書いたのでここでは触れまい。
第4楽章は極めて斬新な、 物議を醸す音楽。 全編を通して(一番最後の和音一つを除き)両手ユニゾンの急速な3連8分音符のみでできている。 各瞬間は機能和声の範疇だが、 その推移が定石通りでないのと人間の感覚を超える速さで次々と転調することもあって、 調性感がかなり希薄になっている。 よく「墓場を吹きすさぶ風のような音楽」といわれるが、 まさにそれがピッタリの、うらぶれた感じの不思議なフィナーレ。 最後に一発変ロ短調主和音が打たれて終わるが、 後世のスクリャービンのピアノソナタ第2番嬰ト短調がそれに似た感じを出している。
[153] バラード第2番 ヘ長調 作品38
1840年出版。ロベルト・シューマンに献呈。
4曲のバラードの中では最もソナタ形式から遠いこともあり、 独特な構成の曲である。 まず牧歌的なヘ長調の主部が暖かく奏される。 他の3つのバラードは第1主題から第2主題へ違和感なく繋がるが、 このバラードでは第1主題のあと突如狂乱のPresto con fuocoが雷鳴のように始まる。 それを第2主題と言うのが適当かどうかわからないほど、 まるで全然別の曲が始まったかのような鮮烈な対比だ。 その部分に入るとき椅子の位置を少し後ろにずらす演奏者さえ見たことがある。 そこまで極端でなくとも、 一息体勢を整えてからその部分の演奏に望むのは十分同情できる。 曲は段々おさまって行き、 自然に冒頭の主部が繋がって再現される。 再度Presto con fuocoが現れるときはさすがにショパン、 同じ手口を繰り返さない。 そして今度は静まり行くのでなくそのままAgitatoのイ短調のコーダへ。 それが絶頂に達したとき突如緊迫和音(B7-5:ドッペルドミナントと下属和音の混合のような和音。譜例1参照)でぶつ切れ、 最後は冒頭と同じ静かな曲想で、 しかしイ短調で、 諦めたかのような寂しさを湛えて終わる。
この曲はシューマンに献呈されたが、 シューマンはバラード第1番の方を高く評価した。 しかし私はこの第2番も至高の音楽の部類に入れたい気がする。特にPresto con fuocoに入ってしばらくしておさまったあたりから始まるデリケートな和声の連続がくすんだ印象を与え、 大変惹かれる。 全体として、 どこか懐かしさを感じさせる、 心に沁み入る音楽である。
ところでこの曲はヘ長調に始まりイ短調で終わっている。 始まりと終わりで調が異なる曲というのは珍しい。 短調の最後で同主長調和音で終わるなら、 バッハのほとんどの短調曲がそうなので珍しくない。 スケルツォ第2番のように平行長調で終わるのもまだうなずける。 ノクターン第9番のように長調が同主短調で終わるのもまだあり得る(ドン・ファンも)。 マズルカ第19番はロ短調に始まり嬰ヘ短調に終わっているが、 これは延々と繰り返し演奏が可能なマズルカをたまたま嬰ヘ短調のところで楽譜をうち切ったという感がある。 このバラードのようにヘ長調で始まった大曲がまともにイ短調で終わるというのは珍しい。 事実シューマンがこの曲を1836年ショパンの演奏で聞いたとき、 「ヘ長調で終わった」と書いている。 これは興味ある発言である。 なぜなら普通わざわざそんなことは言わないので、 献呈された曲が最終的にイ短調で終わっているので「あれ?」と思ったのではないだろうか。 それにしても最初の案がどのようにヘ長調で終わったのか興味あるところだ。 最も単純に推測すると次のようなものではなかったろうか。
譜例1
もちろんこれは推測に過ぎず、 この終わり方では長いことイ短調のコーダが続いた後とってつけたようにヘ長調に戻って終わる感じがするが。
[154] スケルツォ第3番 嬰ハ短調 作品39
1840年出版。 アドルフ・グートマン(ショパンの弟子、ドイツ生まれのピアニスト作曲家)に献呈。
4曲のスケルツォの中では特異な点がいくつか見られる曲である。 まず24小節もの導入部を持つ。 第1番の導入が二つの和音だけで、 第2番と第4番が導入なしであることを考えると、 これは特徴的といってよいだろう。 しかもこの導入部は多少無調的で斬新な緊迫感に溢れている。 次に主題が変わっている。 両手ユニゾンで奏される主題は美しいというよりは決然的といった感じの主題である。 この点練習曲作品25-10のようであるが、 このスケルツォではスタッカートでより鋭さを強調している。 いずれにせよ他の3つのスケルツォとは大分性格の異なる主題である。 そして最後に三部形式でなくソナタ形式もどき(ほとんど無いに等しいくらい展開部が短い点で「もどき」)であることが挙げられる。 つまり第2主題が存在し、 主テーマが一回目と同じ調で再現されたあと、 第2主題は異なる調で再現される。 ABAを拡大した「序奏-A-B-(短い繋ぎ)-A-B'-コーダ」の変形三部形式とする分析もある。
その第2主題はコラール風あるいはオルガン風の和音旋律で、 それに星くずが降りてくるような輝く装飾(木枯らしのエチュードと類似音型)が付いてまわる大変美しいものである。 この点、 和声的裏付けを排除して緊迫感だけ強調した無色の第1主題と対比される。 しかしこの第2主題も色彩豊かというわけではなく、 むしろ宗教的合唱のような荘厳さに満ちているといえる。 したがって私の感覚ではこの曲は他のスケルツォ −特に第2番− のようなめくるめく色彩感とは異なり、 ギリシア神殿のような白黒世界における感動をもたらしてくれるものである。 特にコラール風第2主題がコーダの直前で大波のように盛り上がるところがあるが、 ここはまるで沈める神殿が海上に堂々とした姿を現す場面のようで、 雄大なことこの上ない。
この曲でもピアノの音域が問題となる箇所がある。 それは「星くずが降りてくる音型」が現れる第315小節である。 まず音楽的に明らかにそうあるべき譜面は、 他の同様の場面に倣うと次のようになり、 旧Peters、日本国内譜、コルトー版などがこれを採用している:
譜例1:第312小節から
しかしこの部分の赤丸で示した音はショパン当時のピアノにない音なので、 ショパンのオリジナル譜は次のようになっている。
譜例2
作曲者のオリジナルを尊重するヘンレ版とパデレフスキー版はこうなっているが、 これはどう考えても楽器の制約のため仕方なくショパンが意に反して譜例2に変えたと考えざるを得なく、 現代では譜例1のように弾くのが適当である。
[155] 即興曲第2番 嬰ヘ長調 作品36
1840年出版。献呈はなし。
ショパンはこの曲を書き終えたとき 「時が経たないとこの曲がいい曲なのかどうか今はわからない」 と言った。 確かにショパンの即興曲の中で知名度は一番低いかも知れない。 しかし私は大変好きな曲である。 知名度の順はおそらく4→1→3→2であろうが、 私の好きな順はまさにこの逆である。
この曲は落ち着いた鐘の音のような瞑想的主題で始まる。 他の三つの即興曲がABAコーダの構成をとっているのに対し、 この曲の構成は行き当たりばったりに曲想が切り替わって行くようなところがあり、 その意味で即興曲の名に最もふさわしい。 主題提示のあと連続属和音による美しいレシタティーヴォを経て、 曲想は行進曲のようなニ長調に突如変わる。 それからまた主題が戻るが、 その直前の二小節、 木管による助走のような繋ぎはまるで現代音楽のような斬新さだ:
譜例1
主題再現は主調の半音下のヘ長調で行われる。 このときの左手伴奏は分散和音気味の三連符に変形されているが、 これには版によっては長いスラーが付いている。 しかしこれは軽いスタッカートでファゴットのように演奏される方が好みである。 そのあと続く両手三連符の柔和なパッセージは夢を見ているようだ。 ここはベートーベンピアノソナタ第24番嬰ヘ長調作品78第1楽章第28-31小節,第89-92小節を想起させる(それほど似ているというわけでもないが雰囲気的に)。 上段(譜例2)はショパン、下段(譜例3)はベートーベン:
譜例2
譜例3
そして最後に上下にうねる急速な音階パッセージ。 ここの左手伴奏下声部の旋律は仄かにジャズ調の趣があって面白い。 コーダでは連続属和音によるレシタティーヴォを回想して終わる。
[156] ノクターン第12番 ト長調 作品37-2
1838
年作曲の作品37-1ト短調とともに1840年出版。 献呈はなし。
舟歌のように流れる8分の6拍子のリズムに乗る優美なノクターン。 全く自然な、 優しい雰囲気の音楽だが、 楽譜を見ればわかる通り三度や六度の演奏の難しい音型の上に臨時記号満載の複雑怪奇な様相を呈している。譜面づらと曲の表情が異なる音楽の例である。 中間部のコラール風の部分はバラード第4番の第2主題と雰囲気が似ている。
[157] 新練習曲 ヘ短調
モシェレスは複数の作曲家にエチュードの作曲を依頼し、 新練習曲集としてまとめて出版した。 この曲から続く3曲はモシェレスの依頼に対するショパンのコントリビューションである。 ショパンの自筆譜ではこの次の変イ長調とさらにその次の変二長調の順番が逆であった。 それを反映してパデレフスキー版では逆順で出版されているが、 他の版では初版の順番を踏襲している(この解説通りの順番)。
続く二曲を含む三曲とも、 作品10や25の練習曲集のような高度な演奏技巧と崇高さはない。 自分のエチュードとモシェレスの編纂への貢献とでは作曲の意気込みがおのずから異なるのであろう。 しかしこの三曲ともやはりさすがにショパン、 あってもなくてもいいようなただの曲ではない。 この第一曲ヘ短調は内に秘めた情熱を解放することなく、 移りゆく和声に乗るうねるような旋律に託している。 シューマン「幻想小曲集」の「夜に」(1837年作曲)に雰囲気が似ている。
[158] 新練習曲 変イ長調
出版等については前曲参照。
レガートな和音連打の練習で一見ありきたりの音型に見えるが、 前拍の和音をそのまま一発打ってからその拍の和音に移る音型は実は他にあまりない面白い曲想だと思う。 次のようにした場合のつまらなさを想像すれば一目瞭然であろう。
譜例1
原曲リズムの面白さは後半の展開する場面で和声が古典的推移を超えて跳躍的に次々と移り変わるところで最高に発揮される。 この和声の味は絶妙で、 ゴドフスキーもこの曲をとりあげさらにソフィスティケートな味を出している。
[159] 新練習曲 変ニ長調
出版等については前々曲参照。
ワルツの形を借りて右手でレガートとスタッカートの二声部の同時演奏を練習する曲。 作品25-9「蝶々」のような軽快な曲。
[160] 前奏曲 ハ長調 作品28-1
作品28の「24のプレリュード」は大部分は1839年に作曲、同年出版、 フランス版とイギリス版ではカミーユ・プレイエル(ピアノ会社社長、ショパンの後援者)に、 ドイツ版ではヨゼフ・クリストフ・ケスラー(「15の練習曲」で知られるピアノ教育者)に献呈。
練習曲集と同様、 この前奏曲集も前々から貯めていた小曲を素材にまとまった曲集として完成したものである。 だから他にこの作品28に組み入れられていたとしてもおかしくない候補(たとえばカンタービレ変ロ長調や練習曲作品10-6、25-7や25-9など)もあるし、 考えようによっては28-8、28-16や28-24のプレリュードは練習曲集に入れられていたとしてもおかしくない曲群である。 しかし最終的にショパンは現行の組み合わせと配列に決定し、 それを我々は手にしているわけである。
24の調全てを使う曲集の原点はもちろんバッハの「ほどよく調律された鍵盤楽器のためのプレリュードとフーガ第1集、第2集」 だが、 バッハはハ長調から始まって半音ずつ上げて行く配列(ハ長調→ハ短調→嬰ハ長調→・・・→ロ長調→ロ短調)をとっている。 これに対しショパンは♯を一つずつ増やす配列(ハ長調→イ短調→ト長調→・・・→ヘ長調→ニ短調)で、 和声的に自然に次の曲に移っている。 実はこの配列はフンメル「24の前奏曲集」作品67で既に使われていて、 ショパンはこの配列を採用したと考えられる。 フンメルの前奏曲集はごく短いカデンツァを集めたような曲集になっていて、 いわば創作ノートに書きつけたいろいろな音型のメモといった感じであるが、 ショパンのはコンサートでとりあげることが可能なレベルにまで手を入れた曲集になっている。 というどころか、 音楽的にはショパンの「24のプレリュード」は古今のピアノ曲の中でも最も傑出したピアノ曲の部類に数えられる。
ところで少し思いをいたせば、 24の調の配列にはもう一つの方法(半音ずつ下げて行くのは考えないことにする)があることに気付くだろう。 それは♭を一つずつ増やす配列(ハ長調→イ短調→ヘ長調→・・・→ト長調→ホ短調)である。 これも和声的に自然に次の曲に繋がる。 これまでそういう曲集を書いた人はいなかったのだろうか?・・・前奏曲ではないが、 私はリスト「12の超絶技巧練習曲」はそれを目指したのではないかと思う。 少なくとも12曲はそういう順になっている。 (第1曲ハ長調などはまさに前奏曲といった趣だ。) そう思うと、 続く12曲をリストが完成してくれたらよかったのに、 と夢が膨らむ。 第13曲として「エステ荘の噴水」 を入れたりして勝手に完成させて行くのも面白いかも知れないが。 (尤も、リストの配列では変ト長調の曲を入れるべきか。)
閑話休題。 さてショパンのハ長調の前奏曲に話を戻すと、 ダブルアルペジオの舟歌のようなリズムに乗り、 楽天的な、 それでいて厳かでもありせき込むような面もあるモチーフが繰り返されるこの曲は、 まさに第1曲にふさわしい。 後半strettoのところで右手6連符を一つ減らして5連符にしているところは大変効果的で、 そうでなくても素晴らしいこの曲に独創性のダメ押しを与えている。
次の第2番イ短調については
1838年のページ
参照。
[161] 前奏曲 ト長調 作品28-3
出版と献呈は前曲参照。
ト長調はなぜ軽快なのだろう? そもそも調性による曲想の違いはおおかたバッハに遡ると思われる。 24のプレリュードとフーガやフランス組曲など、 ト長調の諧謔性と牧歌性が現れている。 この曲もまさに左手が諧謔的で右手が牧歌的である。 最後、 小節冒頭だけ十度でそれ以外の16分音符がユニゾンになっているところが玉を転がすようで洒落たエンディングだ。
次の第4番ホ短調については
1838年のページ
参照。
[162] 前奏曲 ニ長調 作品28-5
出版と献呈は[160]の項参照。
両手とも一貫して16分音符で通され、 広い音域や狭い音域を自由にくしゃくしゃと急速に動く。 せわしないが面白い曲。 モシェレス24の練習曲第17番嬰ヘ短調も似たような感じであるが、 このショパンの前奏曲の方がずっと聞ける作品である。
[163] 前奏曲 ロ短調 作品28-6
出版と献呈は[160]の項参照。
ショパン自身好んで弾いたという。 第二の「雨だれ」ともいうべき静かな和音連打に左手の切ない旋律が乗る。 練習曲作品25-7から高音旋律を除いたようなつくりになっている。 左手旋律はまさにチェロのイメージだ。
[164] 前奏曲 イ長調 作品28-7
出版と献呈は[160]の項参照。
ここまで長調の速い曲と短調の遅い曲が交互に並んで来たが、 前曲に続きこの曲も遅い曲で、 ここから順序が逆転する。 このまま最後までゆったりした長調と急速な短調が交互する(変ホ長調の例外もあるが)。 この曲は太田胃散のコマーシャル音楽に使われたので多くの日本人が耳にしたことがあるだろう。 ゆっくりしたクヤヴィヤク風。 非常に短いが心に沁みる逸品。
[165] 前奏曲 嬰ヘ短調 作品28-8
出版と献呈は[160]の項参照。
情熱的な素晴らしい前奏曲。 右手32分音符の動きは一見非常に複雑だが、 次のように分析するとその簡単な構成規則がわかる。
譜例1
全編この調子で明確に分析できるが、 まず1段目のような具合に全曲を書き出すのはたやすい。 あとは譜例の規則にしたがえば自動的に4段目まで行くので、 基本的にショパンが我々にくれたのは1段目の骨組みだけであり、 後は我々の手でも最終的な4段目まで持っていける。 なお、 もちろん左手の分散和音が醸し出す旋律的伴奏も味わいたい。 最後29〜31小節で一瞬長調に転ずるところはシューベルト風だ。
[166] 前奏曲 ホ長調 作品28-9
出版と献呈は[160]の項参照。
ショパンにはめずらしくフォルテでゆっくり刻まれる単純長和音の列。 短和音なら同じ前奏曲第20番ハ短調のような葬送行進曲風が考えられるが、 あるいは弱音ならノクターン第11番ト短調中間部のようなコラール風が考えられるが。 単調に弾くだけではつまらなくなってしまうので、 この曲の演奏にあたっては、 タンホイザー序曲のような管楽の荘厳さを念頭に置くのがよいと思われる。
なお付点旋律と三連符伴奏のタイミングが問題である。 譜面上は次のように書かれているが、
譜例1
実際の演奏は次のようなタイミングで弾かれる。
譜例2
[167] 前奏曲 嬰ハ短調 作品28-10
出版と献呈は[160]の項参照。
玉を転がすように急降下するパッセージと森の神秘を表すようなコラールが繰り返す間奏曲的前奏曲。 どこか「動物の謝肉祭」に出てきそうな感じの短い曲である。 急降下の音型は軽やかで、 同じく動物の謝肉祭の「水族館」や「野鳥園」のようにすがすがしい。
[168] 前奏曲 ロ長調 作品28-11
出版と献呈は[160]の項参照。
速くも遅くもなく気楽な感じの短い曲なので、 気がつかないうちに通り過ぎそうな曲だが、 よく聴くと実にきれいだ。 中声部(右手下声部)や左手伴奏にそれとなく現れる対位的楽句が自然で、 ときどき8分の6拍子と交代する4分の3拍子のウィットとともに旋律に花を添えている。 クラリネットを中心とする木管アンサンブルの雰囲気。
[169] 前奏曲 嬰ト短調 作品28-12
出版と献呈は[160]の項参照。
Agitatoの指示そのものの緊迫感溢れる舞踏的3拍子の曲。 ソナタ第2番第2楽章のような内から溢れそうな迫力とサンサーンス「死の舞踏」のような躍動性を併せ持つ。 特に「死の舞踏」のコーダは似た雰囲気となっている。 第23小節目右手最高音(3回現れる)がCナチュラルかC#かが問題であるが、 普通Cナチュラルで弾かれる(アルゲリッチ、アシュケナージなど)。 チェルカスキーははじめの2つはC#、 3つ目をCナチュラルという変わった弾き方(音楽的には悪くない)をしている。 最後の数小節、版による大きな違いがある。 上段はヘンレ、パデレフスキーを含む多くの版、 下段は旧Peters(日本国内譜)等:
譜例1
これは消え入るようにしつこく終結句を繰り返し最後の二音で決然と終わる効果を出す点で、 上段の方がよい。
[170] 前奏曲 嬰へ長調 作品28-13
出版と献呈は[160]の項参照。
瞑想的なノクターンのような曲。 もともとレントであるのに中間部はさらに遅くなるところが意表を突く。 しかもその部分の旋律は弱音なのに遠くまで届くソプラノかメゾソプラノの透明な声のようである。 そして元のテンポに戻るところは夢から覚めるようで印象的だ。 もしこの中間部がなく前半と後半が繋がっていたらこれほど印象的ではなく、 なんとなく終わってしまうゆったりした曲になってしまっていただろう。
[171] 前奏曲 変ホ短調 作品28-14
出版と献呈は[160]の項参照。
中低音域で陰鬱に奏されるオクターブユニゾンはソナタ第2番フィナーレとの類似性がよく引き合いに出されるが、 この前奏曲はソナタのフィナーレほど急速に弾かれるよりは引きずるように重々しく奏される方が好きである。 原譜は旋律を浮き立たせるような書き方をしていないのでいろいろ想像できるが、 たとえば
譜例1
のような解釈も考えられる。 もちろん冒頭からこのような想像を強調した演奏をしない方がよいが、 agitatoにせき込んで行くときにこの解釈は一つの便法である。 あるいは全く別に下に示す譜例2のような解釈もできる。 いろいろ想像できるのが面白い。
ところでテーマ再現のところ(第12小節)で急に長音階第三音(Gナチュラル)が現れるところは独創的で、 これは機能和声的に説明しにくい箇所だが、 大変賞賛できる音の選択である。 ここは私の解釈としては、 一瞬変ホ長調になったというよりは
譜例2
を変形して
譜例3
のようになったと考えたいので、 GナチュラルよりA♭♭の方がしっくり来るが。 もちろん別の解釈として一瞬変イ短調の属和音にしたとも考えられる。 これも魅力的で、 この場合はショパンが書いた通りGナチュラルとなる。
[172] 前奏曲 変二長調「雨だれ」作品28-15
出版と献呈は[160]の項参照。
大変有名な曲。前奏曲中で最も長い。 全曲を通してずっと続く変イの8分音符(中間部は嬰ハ短調で嬰ト音になるが同じ音)が雨だれを連想させる。 主旋律はまずミドソと下がる音型で、 これを使った美しい旋律はいろいろあるが、 大抵はそのあと同じ分散和音で上昇してもっと高い音に至ることが多い。 たとえばタイスの瞑想曲、 ブラームスバイオリン協奏曲第2楽章主旋律、 チャイコフスキーバイオリン協奏曲第2楽章途中変ホ長調になる所などである。 「雨だれ」も上昇に転ずるのは共通しているが、 音階でゆっくり上昇して行くところが他と異なっている。 その意味でも少し珍しい音型の主旋律だ。 また嬰ハ短調の中間部、 ここでショパンは「月光」第1楽章を意識しなかっただろうか。 この古典的厳格さが変二長調のロマンチックな主部の間に入っていて対比が功を奏している。
[173] 前奏曲 変ロ短調 作品28-16
出版と献呈は[160]の項参照。
目の覚めるような疾風怒濤。 前曲が静かに終わったあとではなおのこと強烈な印象を与える。 左手伴奏がリズミックでモダンだ。 このリズムはソナタ第2番第1楽章に通ずる。
右手16分音符出だしは版による違いがある。 下(2)が旧Peters・全音・音楽之友社、 上(1)がそれ以外:
譜例1
第18小節目同じパッセージが現れるところでは全ての版が上記右の音型で一致している。
終結前のパッセージはチャイコフスキー交響曲第4番第2楽章を連想させる。 上段がショパン、 下段がチャイコフスキー
譜例2
[174] 前奏曲 変イ長調 作品28-17
出版と献呈は[160]の項参照。
中庸な速度の無言歌。 比較的長い前奏曲で、 繰り返す明るい定型旋律をたっぷり楽しめる。 伴奏の音が厚いので右手上声部旋律に比べてつい音量が増しがちで、 バランスが難しい。
[175] 前奏曲 ヘ短調 作品28-18
出版と献呈は[160]の項参照。
練習曲作品10-9に勝るとも劣らない熱情。 ピアノ協奏曲第2番第2楽章中間部のオクターブのパッセージと似た雰囲気だが、 この曲ではさらに即興的狂乱の様相を呈していて凄まじい。 最後は満身の力を込めて終わる。
[176] 前奏曲 変ホ長調 作品28-19
出版と献呈は[160]の項参照。
速い曲が続くが前のヘ短調とは感じが全く異なるすがすがしい曲で、 対比が見事。 アルペジオ練習曲の作品10-11と感じが似ている。 聞いた感じのさわやかさとは裏腹に、 音域が作品10-11のアルペジオより広い跳躍を含む急速な分散和音が連続するため、 大変な難曲となっている。
[177] 前奏曲 ハ短調 作品28-20
出版と献呈は[160]の項参照。
葬送行進曲風だが、 最初の4小節は大音響でずっしり進む。 第3小節右手上声部二番目の四分音符がE♭かEナチュラルか議論がある。 これはどちらも捨てがたいがEナチュラルで演奏されることが多いのではないだろうか。 続く4小節は弱音で噛みしめるような応答句。 これをさらにもう一回、 最弱音で繰り返す。 その最後の小節で急にクレシェンドし、 強いハ短調主和音で終わる。
[178] 前奏曲 変ロ長調 作品28-21
出版と献呈は[160]の項参照。
ロ長調前奏曲や変イ長調前奏曲のような陽気な旋律。 これも楽器で言えばクラリネットか。 左手伴奏音型が一音から始まり上下に分かれて行く音階になっていて、 珍しい。 第33小節からは例のチャイコフスキー和声(
練習曲作品25-1
参照)が現れ、 曲の終わりが近いことが示される。
[179] 前奏曲 ト短調 作品28-22
出版と献呈は[160]の項参照。
左手低音オクターブの強い旋律が右手の和音伴奏で縁取られる。 その点、 ポロネーズ第5番ハ短調冒頭のようなあり方であるが、 この曲の方がずっと強烈な旋律で、 練習曲作品25-10のような激しさである。
[180] 前奏曲 ヘ長調 作品28-23
出版と献呈は[160]の項参照。
柔らかな雨を思わせるハープのような右手分散和音のもとで左手がのどかな旋律を奏する。 その旋律は段々刻みが細かくなって行って右手分散和音に溶け合う。 曲の雰囲気はドビュッシーの「夢」を思わせる。 最後左手分散和音が上昇して最高音がE♭が打たれるが、 これは属七和音の響きのまま曲を終わらせ、 不思議な余韻を残す。 どこかで「これはニ短調のナポリ六の効果を持つ、 上から二短調主音に落ちる導音である」と読んだ記憶がある。 これは少々こじつけがましいが、 この不思議な余韻を打ち破るフィナーレへの布石の効果を確かに持つ。
[181] 前奏曲 ニ短調 作品28-24
出版と献呈は[160]の項参照。
前奏曲の最後を飾るにふさわしい力作。 躍動的左手分散和音に熱情的で強烈な旋律が右手単音で奏される。 この旋律は梁田貞「城ヶ島の雨」(北原白秋詩)を思い起こさせる。 左手分散和音の跳躍が広いため、 手の小さい人向けに次のような変形の提案をどこかで見たことがある:
譜例1
しかしこれは伴奏の雰囲気を根本からつまらなくしてしまうので、 是非避けたい。 一貫した伴奏音型に熱情感溢れるテーマが変化しつつ繰り返され、 最後は深々とした鐘の音を思わせる三つの最低D音でとどめを刺す。 こうしてこの大傑作前奏曲集は、 最後を飾るにふさわしいこの曲で締めくくられる。
この前奏曲集、 アルゲリッチのCDが素晴らしいが、 彼女の東京公演をナマで聴いたときは一層鬼気迫る炎のような演奏だった。 (話がショパンでなくなるが、 大きな感動のあとアンコールでスカルラッティのニ短調ソナタを電動タイプライターのように繰り出したときは、 釘付けになってしまった。)
[182] ポロネーズ第4番 ハ短調 作品40-2
作品40-1「
軍隊ポロネーズ
」とともに1840年出版され、 フォンタナに献呈された。
演奏の難易度からすればショパンのポロネーズとしては容易な方であろう。 しかし他のポロネーズと異なる特徴があり、 内容的にも深い優れたポロネーズだと思う。 まず左手伴奏に乗る右手旋律というのが他の全てのポロネーズのパターンだが、 それをくつがえしている。 ポロネーズらしからぬ右手弱音和音連打に超低音域で幅広の旋律が奏される。 最初はpで、二回目の繰り返しはfで。 一見特徴のない柔和な変イ長調の中間部の旋律も実は変わっている。 思わせぶりな上昇旋律は区切りらしい区切りもなくしきりにイ長調に行きたがり、 結局何となく変イ長調で終止する。 最後は主テーマが最強音で奏され、 悲劇的な感じで曲を終わる。
[183] マズルカ第26番(ヘンレ版29番)嬰ハ短調 作品41-1(ヘンレ版作品41-4)
作品41の四つのマズルカは1840年に出版され、 ショパンが歌曲をよく作曲した詞の詩人ステファン・ヴィトフィツキに献呈された。 自筆譜に忠実なのはヘンレ版の曲順で、 それも大変納得の行く曲順だが、 ここでは他の多くの版の順に従って配列する。
フリギア旋法に基づく不思議な主旋律が前半無伴奏で、 次いで和声伴奏付きで奏される。 リズム的にはマズルだが曲想は一抹の哀愁がある。 といってセンチメンタルということもなく、 即興曲のように16小節ごとに次々と移りゆく。 16小節ごとにA(嬰ハ短調、ホ長調)→B(嬰ハ長調)→C(嬰ヘ長調)→D(嬰ヘ長調)→つなぎ(8小節)→A'(嬰ハ長調、ホ長調)→B(嬰ハ長調)→つなぎ(14小節)→A(嬰ハ短調8小節)→コーダ(嬰ハ短調13小節)となっている。 作品41の四曲の中では一番長く聞きごたえがある。
[184] マズルカ第27番(ヘンレ版26番)イ短調 作品41-2(ヘンレ版作品41-1)
出版・献呈等は前項参照。
歌曲「
ドゥムカ
」や「
なくてはならぬもののなき
」に通ずる寂しさが漂う8小節のクヤヴィヤク旋律。 小終止はまたしてもフィリギア的だ。 これが2回繰り返されABAのAが終わったあと40小節ものロ長調中間部Bとなる。 指示はないがここはやはり速度を上げるのだろう。 40小節のBの中身はまたそれぞれ8小節のaabaaを含むが、 特にaで鐘の音のように鳴り続ける嬰ニ音が印象的。 最後にAがffで奏されたあと小終止を繰り返すような短いコーダ。
[185] マズルカ第28番(ヘンレ版27番)ロ長調 作品41-3(ヘンレ版作品41-2)
出版・献呈等は[183]参照。
一陣の風のように通り過ぎる短いオベレク。 冒頭同音型を4小節繰り返す導入は少しユーモア味があり、 曲中ところどころ四回も顔を出す。 それを除いても曲は成り立つのに、 お邪魔虫のように挿入されていて面白い。 短い中間部はカスタネットか足踏みを思わせる三連符が特徴。 最後はまたお邪魔虫が現れしめくくる。
[186] マズルカ第29番(ヘンレ版28番)変イ長調 作品41-4(ヘンレ版作品41-3)
出版・献呈等は[183]参照。
ワルツのようなオベレク。 リズムは社交的マズルカである第23番を思わせ、 のびやかな冒頭旋律は前奏曲作品28-17(このページ)を思わせる。
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