ショパン全作品を斬る
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- [120] ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35 第3楽章「葬送行進曲」
1839年作曲された他の楽章とともに1840年出版。献呈なし。
音楽愛好家に限らず一般に最も広く知られているショパンの曲といえばやはりこの曲だろうか。
ゲーム音楽を通じて大抵の子供が知っているはずである。
冒頭16小節の長きにわたって一音も変化せず続く伴奏に悲愴的でいながら感情に溺れない厳かな旋律が乗る。
中間部のこの上なく透明な美しさはフォーレ「レクイエム」の最終楽章「天国にて」を思わせる。
葬送行進曲としてこれ以上ふさわしい曲があるだろうか。
この曲の主部の伴奏(相対音階でラードーラードー)はムソルグスキー「展覧会の絵」の中の「牛車」でも効果的に使われている。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番冒頭の低音音型(相対音階でラーミーラーミー)にも通ずるものがある。
実際この音型はいろいろ使え、
ここに載せるようなマーラー的遊びもできる。
ところでラフマニノフが弾くショパンのピアノソナタ第2番の録音(モノラル)があるが、
この演奏は圧倒的である。
その中で特にこの第3楽章「葬送行進曲」はダイナミズムをラフマニノフが独自に改変していて面白い。
それは「牛車」と同様、
ppの遠くからやってきてffに至り、
中間部はもちろんppであるが、
再現部はffに始まり遠くへ去って行くようにppへ向かうという演出である。
ラフマニノフならではの演出である。
- [121] スケルツォ第2番 変ロ短調 作品31
1837年出版。アデーレ・フュールステンシュタイン伯爵夫人に献呈。
この1837年は非常に実り多い年であるが、
このスケルツォはショパンの作品の中でもめくるめく色彩感随一の曲ではないだろうか。
懐疑的動機に続くたくましい肯定的和音。
諧謔的パッセージを経て幸福感溢れる変二長調の旋律美。
弾むような力強い変二長調小終結のあと同じ主部がもう一回繰り返され、
瞑想的なイ長調のトリオに入る。
そして心揺れるレシタティーヴォのあと嬰ハ短調の繊細なパッセージを経てホ長調の流麗なパッセージ。
ダイナミズムを少し変えてトリオを繰り返したあと、
華々しい展開部を経て徐々にドミナント和音におさまり、
また懐疑が頭をもたげる。
そして主部が再現された後、
コーダでは懐疑の動機が納得の爆発的歓喜となって狂乱する。
これほどあらゆる要素を1曲に含む曲も珍しい。
最後の和音は左手D2♭右手F7という、
当時のピアノのほとんど両極端の音の同時打鍵で終わる。
まるで全ての要素を最後に包みこむかのように。
ところで、
また私事で恐縮だが、
この曲では「音楽鑑賞と楽曲知識の関係」について大いに考えさせられるのである。
というのは、
私がこの曲を初めて聞いたのは中学に入る直前の頃であったが、
もちろん大いに感動し、
「ショパンの曲」という情報だけを頼りに大きな楽譜屋に行って探し回ったのだ。
ところがいくら探しても見つからなかったのである(まさか!)。
それもそのはず、
小学生の私はスケルツォという楽曲形式を全く知らなかったため、
頭の中で何の疑問もなく次のような楽譜を思い浮かべていた。
譜例1

これでは見つかるわけがない。
後日実際の楽譜を見て愕然とした記憶がある。
スケルツォ第4番を知ったのは「スケルツォ」を知ってからだが、
もし当時第4番を聞いていたら、次のような楽譜を想像していたかも知れない。
譜例2

譜例3

- [122] 即興曲第1番 変イ長調 作品29
1837年出版。カロリーヌ・ド・ロボー夫人に献呈。
明るく気楽な曲想であるが、
その中にも洗練されたウィットを感じさせる。
ABAのAの部分は練習曲のような早い3連符が続く。
どこか練習曲作品10-10を思わせる。
一方右手に合わせて左手もオクターブ下のユニゾンでくっつけるとソナタ第2番終楽章の雰囲気にも多少なる。
中間部のヘ短調もどんどん転調して行く即興味のあるメロディーである。
ここでは幻想即興曲の中間部のような旋律が現れる:
上段がこの曲、下段が幻想即興曲である。

最後の終わり方はちょっとおもしろく、
定型音を繰り返すうちに音符が徐々に省略されて行く。
この手法は>ノクターン第19番のところでも触れたが、
省略された部分の休符のところで聞く者が自動的にリズムを刻む効果があり、
一層洗練味を感じさせる。
ところで話は逸れるが、ホンダの首脳にはショパン好きがいるのではないだろうか。
車の名前の付け方を見ても、プレリュード、バラード、コンチェルトといった具合である。
少し前まで日本車は時速100キロを越えるとアラームが鳴ったものだ。これは法律で定められていたからなのであるが、
私が昔乗っていたホンダの車のアラームはなんとこの「即興曲第1番」だったのだ。
しかも左手伴奏も付いて。
ずっと100キロを越えていると最初の8小節を延々と繰り返す。
速度は2/3ほど遅めだったが、
それでも耳にタコができそうであった。
それ以来家族にこの曲の本物を聞かせても「車の曲」ということになってしまった。
- [123] ノクターン第9番 ロ長調 作品32-1
作品32の二つのノクターンはカミーユ・ド・ビルリング男爵夫人に献呈され、
作曲年出版された。
ロマンスのような曲想で、
ピアノ協奏曲第1番第2楽章の雰囲気がある。
この曲で特異なのは、
最後ロ短調のカデンツァになり、
そのままロ短調で多少悲劇的に終わってしまう点である。
明るく始まり短調で悲しく終わるのは他にバラード第2番があるが、
このノクターンはずっと優美な長調で来て最後だけ急に短調で終わるので、
どことなく「ドン・ファン」に似た物語性を感じさせる。
- [124] ノクターン第10番 変イ長調 作品32-2
作品32の二つのノクターンはカミーユ・ド・ビルリング男爵夫人に献呈され、
作曲年出版された。
「さあ始まりますよ」と言わんばかりの2小節のイントロはフォーレ「ペレアスとメリザンド」の冒頭のような幸福感がある。
続く主部の旋律は覚えやすいアリア的なものである。
中間部は激しくはないがヘ短調で胸騒ぎを起こす。
これが嬰ヘ短調で繰り返されるという、
少し珍しい構成の後、
主部がffで再現される。
ここはffといっても提示部と全く同じ音符であり厚みを増すような変奏でないため、
「fよりは強く」程度である。
最後のコーダは冒頭2小節のイントロと全く同じものを配している。
この効果もあって全体として劇伴音楽的な曲に仕上がっている。
バレエ音楽「レ・シルフィード」に含まれる一曲。
- [125] 練習曲 ヘ長調 作品25-3
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
この第3番はシューマンはあまり高く評価しなかったようだが、
珍しい音型に加えて軽快なリズムと明るい和声はこの曲をチャーミングな一曲にしていると思う。
確かに構成は単純であり、
ヘ長調の主部が経過句を経てロ長調でfで繰り返される。
雰囲気的にここがABAのBに相当するが、
実は移調しただけでAの繰り返しになっているので新しい楽想ではない。
さて、
ヘ音とロ音はちょうど増四度(=減五度)の音程だから、
このヘ長調→ロ長調へ移行した経過句をそのままロ長調から始めればヘ長調に戻るはずである。
そしてショパンはその通りのことをしてヘ長調のAに戻している。
この意味で構成は大変単純だが、
それが欠点には見えない。
むしろこういう構造の曲は他には無い(荒井由美の「きっと言える」が短三度の転調を四回繰り返して元に戻るのが似ているが)ので面白い。
コーダは小さな鐘が鳴り重なるような半音下降を経て美しいトリルで終わる。
- [126] 練習曲 イ短調 作品25-4
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
メロディーを構成する音がすべて拍の裏の音という点でモダンな感じがする(そのようなメロディーは幻想曲ヘ短調の主部にも見られる)。
そのリズムを捨象すればメロディー自体は歌曲「春」と同種。
チャイコフスキー交響曲第1番第2楽章も少し雰囲気が似ている。
(上段:作品25-4、中段:歌曲「春」、下段:交響曲第1番)

これらに共通する雰囲気はスラブ的メランコリーであるが、
作品25-4は寂しいメロディーなのにせわしなさも漂う、
不思議な雰囲気を持つ曲である。
ところでいろいろな種類があるピアノの技巧にも人によって得意不得意があるであろうが、
中でも広い音程の跳躍は基本的に難しい技巧と言わざるを得ない。
その意味でこの曲は、
ヴィルトゥオーソ的効果をねらった曲ではないにもかかわらず、
技巧的には非常な難曲である。
遅く弾くと野暮ったいし、
速く弾きすぎてもガチャガチャと味気ない。
速度設定も難しい。
- [127] 練習曲 ホ短調 作品25-5
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
珍しい音型という点では第3番のエチュード以上である。
基本的にはピアノ協奏曲第1番第1楽章終わりで使われた音型

を付点リズムにした練習といえる。
中間部のテノールの旋律は甘く美しい。
練習曲としては大変個性のある逸品。
- [128] 練習曲 嬰ト短調 作品25-6
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
三度和音のトリルや音階の練習として常に引き合いに出される練習曲。
もちろん大変難しい。
第7小節右手トリルの上の音がAかA#かが議論のあるところのようだが、
ほとんどAナチュラルで演奏される。
シューラ・チェルカスキー(録音嫌いのため屈指の実力にもかかわらず知名度はいまいちの一昔前のピアニスト)のCDがA#で演奏されている。
また私事になるが、
筆者はウラジミール・アシュケナージの息子のヴォフカ・アシュケナージに3ヶ月間ピアノのレッスンを受けたことがあり、
そのとき父君のテクニックの秘密を多少は垣間見たような気もする。このエチュードに関してヴォフカは思いがけない指使いを採用していたので、
それを次に紹介しよう。

特に↑のところが黒鍵に親指をあてている点が変わっている。
しかし意外とこれはイケる。
もともとここは大変に弾きにくいところなので、
常識はずれの意外な指使いがかえってやりやすかったりするのかも知れない。
- [129] 練習曲 嬰ハ短調 作品25-7
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
歌う旋律表現の練習曲。
もはや練習曲という範疇を超え、
充実した独立曲の構えを見せている。
前奏曲作品28のロ短調のように中声部で静かな和音連打の伴奏が奏され、
上声部は女声(かフルートかバイオリン)、
下声部は男声(かチェロ)のような歌われるので、
「恋の二重唱」というあだ名がある。
実はチェロとピアノのための編曲もある。
そう聞いただけで、
何調に編曲されたかわかる人もいるであろう。
原曲は嬰ハ短調で最低音はAの音、
チェロの最低音はCである。
したがってチェロの音域をめいっぱい使おうとすれば、
必然的にホ短調となる。
これは音楽を元より若干軽めにしてしまう。
ホ短調だしピアノ伴奏が静かな和音連打なので、
どことなく感じがチェロ版の「ヴォカリーズ」的である。
それにしても最低音のところは重要な旋律線というよりむしろ装飾音階的パッセージなので、
私だったらそのパッセージを適当にいじることによって原調の嬰ハ短調を変えないつもりだ。
しかし実際に編曲をやってもいない前にそんなことを言うのはおこがましいかも知れない。
その編曲をしたのはグラズノフだから。
- [130] 練習曲 変二長調 作品25-8
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
第6番の三度の練習に対し、
これは六度の練習。
曲想は第6番と全く異なり、
楽しさに溢れている。
ゆっくり練習するだけでも、
細部に優美さが盛り込まれていることが味わえ、
さわやかな気分になる音楽だ。
実際の楽曲には三度のスケールはよく現れるが、
六度は比較的少ない。
ショパンでもバラード第4番や舟歌に断片的に現れるぐらいだ。
むしろ四度がよく現れる。
ソナタ第2番第3楽章や第3番第1楽章、英雄ポロネーズなど。
しかしさすがにショパンは四度の練習曲は書かなかった。
(四度だけで練習曲を成すにはドビュッシーを待たなければならない。
さらにスクリャービンになると七度や九度の情感素晴らしい練習曲が現れる。)
- [131] 練習曲 変ト長調 作品25-9
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
聴いた感じは軽快そのもので「蝶々」のあだ名にふさわしい練習曲だが、
スラーとスタッカートが混じった軽快なオクターブ音型なので、
これは演奏がかなり難しい。
聴くだけなら大変愛らしい音楽だ。
冒頭の和声や音型はベートーベンソナタ第25番ト長調作品79第3楽章に酷似している:

これも指摘された例を知らないが、
ベートーベンのソナタに似ているからといってショパンの曲の価値を下げるものでも何でもない。
- [132] 練習曲 ロ短調 作品25-10
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
作品25の練習曲は詩的だと前に書いたが、
この曲以降最後の3曲は凄まじい曲が続く。
この両手オクターブの半音階レガートの練習曲は手の小さい人泣かせで、
ショパンとしては珍しく美しさを無視して暴風雨のような音楽になっている。
この後続く最後の二つの練習曲も嵐のようであるが、
それはあくまでも美しい。この曲では凄まじさだけが前面に出されている。
中間部がまた対比的に甘く詩的だ。
この中間部はまた別の意味で手の小さい人泣かせだ。
左手に長十度が頻繁に出てくるが、
曲想としてはオルガン伴奏のようになるべくアルペジオにしたくないところだが、
それはなかなか無理である。
最後にまた主部に戻って荘重に曲を終わる。
- [133] 練習曲 イ短調 作品25-11
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
「木枯らしのエチュード」として有名だが、
その有名さにふさわしい崇高な大練習曲である。
ショパン自身は副題を付けないので「木枯らし」も後から付けられたのだろうが、
ドイツでも「Winterwind」と言うらしい。
そのようなあだ名はともかく、
ショパンらしく細部までよく考えられた右手分散和音と力強い左手和声の織りなす斬新な響きは素晴らしいとしか言いようがない。
最後第89、90小節左手バスの音に版による違いが目立つが、
最も単純なバスの音は四分音符ごとにラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ミ、ラー
というもので、
Peters版や日本国内版はそうなっている。
これを最も作為的にテーマを織り込もうと思えば次のようになるであろう:
譜例1

パデレフスキー版はこれとPeters版の中間くらいでラ、ラ、ラ、シ、ラ、ミ、ラーとなっている。
これで演奏されることが多いようである。
- [134] 練習曲 ハ短調 作品25-12
作品25の12の練習曲集は1832年から作曲され始め、
1837年に出版、
リストの恋人マリー・ダグー伯夫人に献呈された。
これも凄い曲である。
上下にうねる急速なアルペジオの音型の背後に壮大なコラールが聞こえるようにできている。
ショパンの練習曲が作品10-1のハ長調アルペジオの曲で始まりこのハ短調アルペジオの曲で終わるのは全くふさわしい。
この曲のあだ名は「大洋のエチュード」。
確かに大海原の波涛を連想させる。
この曲は冒頭から壮大に弾く必要があるが、
終わりに向かってさらにクライマックスへ持って行かなければならないので、
その加減が難しい。
初めからめいっぱい頑張ってしまうと後が盛り上げられないが、
かといって初めのうちは手を抜いておこうというわけにもいかない。
そこで一つの提案だが、
最初の提示部では旋律(冒頭でいえば小節の頭ごとの音)を際立たせることにより情熱を演出し、
再現部から先はさらにアルペジオの16分音符たちも力をこめて最後に向かって盛り上げて行くというのはどうだろう。
これなら初め手を抜いたという印象を与えずに余力を残し、
後半譜面通りcresc il piu forte possibileを実現できるのではないだろうか。
- [135] マズルカ第18番 ハ短調 作品30-1
作品30の4つのマズルカは作曲年の1837年に出版され、
ドゥ・ヴェルテンベルク公爵夫人(旧姓チャルトルスカ)に献呈。
短い感傷的なクヤヴィヤク。
二小節の似たような動機が繰り返され、
感傷性を一層助長している。
途中con animaの変ホ長調ドミナントで始まるマズルはリズムに面白い特徴がある。
- [136] マズルカ第19番 ロ短調 作品30-2
作品30の4つのマズルカは作曲年の1837年に出版され、
ドゥ・ヴェルテンベルク公爵夫人(旧姓チャルトルスカ)に献呈。
これも感傷的なクヤヴィヤク。
途中徐々に上昇する嬰ヘ短調のところはシャンソン的。
最後はそのまま嬰ヘ短調で終わるので、
なんとなく尻切れトンボのような不思議な効果のある終わり方である。
- [137] マズルカ第20番 変ニ長調 作品30-3
作品30の4つのマズルカは作曲年の1837年に出版され、
ドゥ・ヴェルテンベルク公爵夫人(旧姓チャルトルスカ)に献呈。
これも特徴的なマズル。
力強く始まるが、
フォルテの長調とピアノの短調が交互に繰り返す。
それも二小節ごとだったり一小節ごとだったり四小節ごとだったりするので、
こだまが短調で返ってくるような不思議な効果がある。
作品30のマズルカは特徴のある曲が多い。
- [138] マズルカ第21番 嬰ハ短調 作品30-4
作品30の4つのマズルカは作曲年の1837年に出版され、
ドゥ・ヴェルテンベルク公爵夫人(旧姓チャルトルスカ)に献呈。
リズム的にはマズルで弾んでいるのだが、
嬰ハ短調という青白い短調の旋律がスペイン的なアルペジオとともにほの暗い響きを醸し出している。
しつこいナポリ六の和音が出るなど、
特異な雰囲気を持つ曲。
最後(第129〜132小節)の半音下降はショパンの数ある半音下降の中でも効果的なもの。
それまではっきりした調性感を安定に保って来たのに急に飛行機が急降下するような半音下降が(しかもpoco strettoで)挿入されているので、
突然支点を失われめまいに襲われそうな気分である。
- [139] ヘクサメロン変奏曲第6変奏 ホ長調
これは当時の名だたるピアニスト作曲家が一つのテーマにそれぞれ変奏曲を書いたもので、
リストがとりまとめ1839年出版、
この企画の立案者であるベルジョジョーゾ皇女に献呈された。
楽譜やCDでは通常リストのコーナーに置いてある。
このような変わった経緯を持つ曲なので、
その事情を述べる必要があるだろう。
当時パリに亡命していたこのベルジョジョーゾというイタリア皇女はなかなかのアイデアウーマンだったようで、
難民救済のためのチャリティイベントをいろいろ企画している。
かのリストとタールベルクのピアノ競演もその一つであるが、
このヘクサメロン変奏曲もそうである。
彼女が主題として選んだテーマはベルリーニの歌劇「清教徒」第二幕、
清教徒軍司令官の弟が歌う「ラッパの響きが聞こえ」という歌で、
リスト向きの行軍的な旋律である。
これに当時錚々たる6人のピアニスト=作曲家が変奏を書いたのだから、
企画としては非常に「うまい!」と言いたくなる。
ボッカチオの「デカメロン」が「十日物語」だからこの「ヘクサメロン」は6人の作曲家による「六日物語」といったところだろうか。
しかし結果として全部集まるのが間に合わず、
6人の競演は実現しなかった。
(ショパンの作曲が一番遅くなったという話だが、
個人的にはこの辺にも親近感を覚える。)
曲はまずリストによる調性が変遷して行く荘厳な序奏と変イ長調による力強い主題提示に始まる。
第1変奏はタールベルク作曲で、
三連符と六連符を基調とする重音を多用する技巧的な変奏になっている。
第2変奏はリスト作曲で、
葬送行進曲のような荘重さと感傷的な気分を併せ持つ変奏である。
この後第3変奏を入手してからリストが挿入したと思われる繋ぎのパッセージが入り、
そのままピクシス作曲の第3変奏に入る。
これは16分音符を基調とし、
リズム的には「交響的練習曲」の第8変奏(第10練習曲)のような曲。
第4変奏はヘルツ作曲で、
速い六連符による優美な変奏である。
第5変奏はチェルニー作曲で、
彼の練習曲の特徴である超急速な音階や分散和音は現れなく、
リスト的な重音技法や和音連打が混じる速い音型が使われている。
この後ショパンの第6変奏に繋げるためのパッセージがリストによって挿入されている。
この第6変奏だけはホ長調のノクターンといった風情である。
最後に各変奏を回想するかのように始まるリストによる大フィナーレが置かれ、
全体で20分を越す大曲に仕上がっている。
技巧的にも大曲であるが、
曲としての魅力については、
今日それほどの名声を勝ち得ていないことが十分それを物語っている。
というわけで私の個人評としてもあまり言うことはないのだが、
他の作曲家が全て原調の変イ長調で技巧を凝らしただけの変奏であるのに対し、
ショパンのだけがしっとりと歌い上げるホ長調のロマンスで明らかな独創性を見せていることを指摘できる程度である。
私の中では、
この曲でショパンの一面を見るというのではなく、
むしろ歴史的意義(6人の比較や当時の社会背景)とかリストの(このようなチャリティー的仕事をとりまとめるという)人柄の良さを認識するといった意味合いを持つ曲である。
- [140] ラルゴ 変ホ長調(遺作)
1938年出版。献呈なし。本当にこの1837に作曲されたかは定かでない。
厳かな4拍子で、
短く、
国歌のような風情である。
前奏曲集作品28に入れるためだったという説もあるらしいが、
それではハ短調と曲想が似てしまうし、
そもそもショパンが他に絶対に使わないオクターブトレモロが使われていて、
作品28にはあまりにもふさわしくない。
「自分が国家のような感じの曲を作るとしたらこういう習作から始める」というぐらいの気持ちで作曲されたのではないだろうか。
- [141] 歌曲「私のいとしき娘」変ト長調 作品74-12(遺作)
ミキェヴィツ詩。1859年フォンタナ出版。
「乙女の願い」と似た明るい感じの曲。
素朴な恋の歌。
次は1838年(28才) ♪
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