ショパン全作品を斬る
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ジョルジュ・サンドの子供達も大きくなり、 いろいろな家庭問題が浮上するにつれ、 サンド家におけるショパンの立場もなくなって来た。 この1845年にはサンドとの愛は破局を迎え、 ショパンは途方にくれた。 この年創作数はかなり少なく、 できた楽譜より故郷への手紙の方が多かったと言われる。
[217] マズルカ第36番 イ短調 作品59-1
作品59の3つのマズルカは同1845年に出版された。 献呈はなし。
苦境にあっても決して作品の質は落ちない。 作品59の3つのマズルカはそれぞれ個性豊かな逸品である。 最初のこの曲はワルツ3番路線のクヤヴィヤクで、 5小節目で旋律がハ長調に移行する。
譜例1
しかし8小節目で急にホ長調の属和音の一種であるF#7-5の和音になり、 ホ長調に解決するかと思えばすぐイ短調の下属和音からイ短調小終止するところの処理は独創的である。 中間部はイ長調となるがこれもワルツ3番路線の特徴。
[218] マズルカ第37番 変イ長調 作品59-2
作品59の3つのマズルカは同1845年に出版された。 献呈はなし。
スケールの大きな旋律が印象的な明るいマズルである。 動機は楽式セオリー通り2小節でリズムを繰り返しているのだが、 4小節が一つながりの単位になっている主題なので、 波に乗っているように気持ちのいい旋律だ。 111小節なので長い曲ではないが、 規模の大きな曲のように聞こえる主題だ。
譜例1
45小節から69小節までが中間部であるが、 変イ長調から離れず、 主部の応答パッセージともとれる。 70小節で主題が左手に再現する。 ここは装飾音が加わって民族的な活気が感じられる。 81〜88小節のめまぐるしい半音的転調を経て89小節目からコーダ。 加速して消え入るように終わる。
[219] マズルカ第38番 嬰ヘ短調 作品59-3
作品59の3つのマズルカは同1845年に出版された。 献呈はなし。
躍動的なクヤヴィヤクである。 短調なのになぜか自信に満ちた爽快さも併せ持つ曲である。 冒頭のフォルテはヘンレ版にはないが、 もちろんここはかなりのcon forzaで奏する。 個人的には3小節目あたりで一旦音量を落としてクルクルと木の葉が舞い落ちるようにクレシェンドし、 8小節目にデクレシェンドがあるが逆にcon forzaで次に繋げる、というようなダイナミズムが好みである。
譜例1
同じ嬰ヘ短調のポロネーズ5番ほど大きなスケールではないが、 やはり力がこもっている。 45小節から嬰ヘ長調の優美な中間部。 最後主題が左手で現れ慟哭するのはショパン得意の手法。 中間で現れた嬰ヘ長調のオベレクがコーダ的に現れたと思ったら突然打ち切られ、 たゆたうような荘厳さをもって嬰ヘ長調で終止する。 傑作マズルカの一つである。
ところでこの曲冒頭旋律の6音を取り出すと次のようになるが、 もちろんこれはラベル和音の走りと言える。 7音目のEまで入れてもラベル的だ。
譜例2
[220] カノン ヘ短調(未完成)
作曲年は確実でないが1845頃。 出版は1955年。
日本で入手困難なものはとりあげないつもりであったが、 チェロソナタとの関連が興味深いのでとりあげることとした。 付点を基調とする旋律はバロックのフランス序曲のような厳かな感じがする。 三連符がところどころ使われていることもあり、 次の年の「チェロソナタ」フィナーレとよく似ている。 もとはヘ短調だがチェロソナタとの比較のため一音上げト短調で記譜してみよう:
譜例1
これを次のチェロソナタ第4楽章主題と比較すれば、 これはもう完全にチェロソナタのためのスケッチの役割だったと言ってよいだろう。
譜例2:チェロソナタ第4楽章冒頭
不思議なのは、 これほど似た旋律なのに、 チェロソナタの方は威厳味がとれて躍動的な曲想になっていることだ。 出だしの1小節で冒頭の休符をやめたことと付点から三連符 主導にしただけでこんなに印象が変わるのは面白い。 ショパンの創作の試行錯誤を目の当たりにするようで興味深い。
[221] 歌曲「なくてはならぬもののなき」イ短調 作品74-13(遺作)
ザレスキ詩。1859年フォンタナ出版。
しばらく歌曲から遠ざかっていたショパンが久々に歌曲を作った。 ショパンの歌曲は公表を目的としたものでなく自分のためもしくはごく身近な人に聞かせるためのものである。 ジョルジュ・サンドとの破局を迎えたショパンはまだ35才なのにまさに 「金もない。地位もない。健康もない。異郷にて身内もいない」 という状態になってしまった。 パリに来たころ時代の寵児としてもてはやされたのと何という違いだろう。 歌曲「ドゥムカ」イ短調(遺作)[190] と同じ歌詞に再度曲を付けたのがこの曲である。 この曲の方が胸に迫る寂しさが溢れるが、 これはそのときの自分のことを歌ったのだ。
譜例1:歌詞(ポーランド語)は省略
8小節目のハ長調旋律とそれがイ短調に戻るところは胸を打つ。
[222] 歌曲「二つの死」ニ短調 作品74-11(遺作)
ザレスキ詩。1859年フォンタナ出版。
「愛し合った二人は別々の死を迎える。女は小さな部屋のベッドで、男は戦場で。強い愛の絆もなすすべもない」
これも自分とサンドのことが脳裏にあったのではないだろうか。 ショパンからすれば、 まだ互いに愛している筈なのになぜ破局が避けられなかったのだろう、 という気持ちがあったのではないか。
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