藤井寺市の教育・保育施設があるところ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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※ 市立こども園(道明寺こども園) は令和5年4月より幼保連携型認定こども園に移行。 ※ 藤井寺カトリック幼稚園は幼稚園型認定こども園。 |
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種別 | 名 称 | 郵便番号 | 所 在 地 | 電話番号 | FAX番号 |
市 立 小 ・ 中 学 校 |
藤井寺市立藤井寺小学校 | 583-0035 | 藤井寺市北岡 1-2-29 | 072-939-7105 | 072-939-7106 |
藤井寺市立藤井寺南小学校 | 583-0024 | 藤井寺市藤井寺 3-8-1 | 072-939-7115 | 072-939-7116 | |
藤井寺市立藤井寺西小学校 | 583-0024 | 藤井寺市藤井寺 4-1-57 | 072-939-7125 | 072-939-7126 | |
藤井寺市立藤井寺北小学校 | 583-0033 | 藤井寺市小山 3-284-1 | 072-938-0791 | 072-938-0781 | |
藤井寺市立道明寺小学校 | 583-0011 | 藤井寺市沢田 3-6-37 | 072-939-7135 | 072-939-7136 | |
藤井寺市立道明寺東小学校 | 583-0006 | 藤井寺市国府 2-5-21 | 072-939-7145 | 072-939-7146 | |
藤井寺市立道明寺南小学校 | 583-0012 | 藤井寺市道明寺 4-9-18 | 072-939-7155 | 072-939-7156 | |
藤井寺市立藤井寺中学校 | 583-0021 | 藤井寺市御舟町 2-9 | 072-939-7100 | 072-939-8775 | |
藤井寺市立道明寺中学校 | 583-0007 | 藤井寺市林 6-2-21 | 072-939-7110 | 072-938-6985 | |
藤井寺市立第三中学校 | 583-0007 | 藤井寺市林 1-2-1 | 072-938-0040 | 072-938-0596 | |
府 立 学 校 |
大阪府立藤井寺高等学校 | 583-0037 | 藤井寺市津堂 3-516 | 072-939-7750 | 072-939-0513 |
大阪府立藤井寺工科高等学校 | 583-0021 | 藤井寺市御舟町 10−1 | 072-955-0281 | 072-939-0098 | |
大阪府立藤井寺支援学校 | 583-0001 | 藤井寺市川北 2-5-23 | 072-973-1313 | 072-973-2853 | |
市 立 幼 稚 園 ・ こ ど も 園 |
藤井寺市立藤井寺幼稚園 | 583-0033 | 藤井寺市小山 1-7-29 | 072-939-7103 | |
藤井寺市立藤井寺南幼稚園 | 583-0024 | 藤井寺市藤井寺 3-2-19 | 072-939-7113 | ||
〃 藤井寺南幼稚園野中分園 | 583-0014 | 藤井寺市野中 2-5-49 | 2020.3.31閉園 | ||
藤井寺市立藤井寺西幼稚園 | 583-0024 | 藤井寺市藤井寺 4-3-34 | 2020.3.31閉園 | ||
藤井寺市立藤井寺北幼稚園 | 583-0033 | 藤井寺市小山 3-299 | 2021.3.31閉園 | ||
藤井寺市立道明寺幼稚園 | 583-0007 | 藤井寺市林 3-1-25 | 道明寺こども園へ移行 | ||
〃 道明寺幼稚園川北分園 | 583-0001 | 藤井寺市川北3-4-37 | 1999(平成11)年より休園 2019.4.1廃止 | ||
藤井寺市立道明寺東幼稚園 | 583-0006 | 藤井寺市国府 2-5-21 | 2020.3.31閉園 | ||
藤井寺市立道明寺南幼稚園 | 583-0012 | 藤井寺市道明寺 4-2-18 | 072-939-7163 | ||
藤井寺市立道明寺こども園 | 583-0007 | 藤井寺市林 3-1-25 | 072-939-7118 | 幼保連携型認定こども園 | |
市 立 保 育 所 |
藤井寺市立第1保育所 | 583-0035 | 藤井寺市北岡 1-4-17 | 072-939-7108 | |
藤井寺市立第2保育所 | 583-0007 | 藤井寺市林 3-1-25 | 道明寺こども園へ移行 | ||
藤井寺市立第3保育所 | 583-0024 | 藤井寺市藤井寺 1-19-58 | 072-939-7128 | ||
藤井寺市立第4保育所 | 583-0012 | 藤井寺市道明寺 6-15-34 | 072-939-7138 | ||
藤井寺市立第5保育所 | 583-0006 | 藤井寺市国府 1-3-28 | 072-939-7148 | ||
藤井寺市立第6保育所 | 583-0033 | 藤井寺市小山 1-16-18 | 072-938-0909 | ||
藤井寺市立第7保育所 | 583-0017 | 藤井寺市藤ヶ丘 4-1-15 | 民営化により「ななこども園」に移行 |
種別 | 名 称 | 郵便番号 | 所 在 地 | 電話番号 | FAX番号 | |
私 立 学 校 ・ 大 学 |
学校法人 四天王寺学園・四天王寺小学校 | 583-0026 | 藤井寺市春日丘 3-1-78 | 072-937-4811 | 072-937-4813 | |
〃 ・四天王寺東中学校 | 583-0026 | 藤井寺市春日丘 3-1-78 | 072-937-2855 | 072-937-2877 | ||
〃 ・四天王寺東高等学校 | 583-0026 | 藤井寺市春日丘 3-1-78 | 072-937-2855 | 072-937-2877 | ||
学校法人 谷岡学園・大阪緑涼高等学校 | 583-8558 | 藤井寺市春日丘 3-8-1 | 072-955-0718 | 072-955-0748 | ||
〃 ・大阪女子短期大学 | 583-8558 | 藤井寺市春日丘 3-8-1 | 2018(平成30)年3月 閉学 | |||
私 立 幼 稚 園 ・ 保 育 園 ・ こ ど も 園 ・ 保 育 施 設 |
学校法人 大阪聖マリア学園・藤井寺カトリック幼稚園 | 認 定 こ ど も 園 |
583-0021 | 藤井寺市御舟町 11-1 | 072-938-8878 | 072-931-1212 |
社会福祉法人 種の会・ななこども園(元第7保育所) | 583-0017 | 藤井寺市藤ヶ丘 4-1-15 | 072-953-4295 | 072-953-4355 | ||
社会福祉法人 南大阪福祉協会・ひかりこども園 | 583-0008 | 藤井寺市大井 5-5-12 | 072-939-6081 | 072-939-5023 | ||
社会福祉法人 そうび会・惣社こども園(2022.4改称) | 583-0005 | 藤井寺市惣社 1-3-28 | 072-931-7333 | 072-931-7330 | ||
〃 ・ふじみ保育園 | 583-0032 | 藤井寺市小山藤美町10-3 | 072-978-8668 | |||
社会福祉法人 神愛福祉会・ラミー保育園 | 583-0033 | 藤井寺市小山 9-4-8 | 072-952 -4115 | |||
社会福祉法人 窓・ふじの子保育園 | 583-0027 | 藤井寺市岡 2-11-57 | 072-953-2405 | 072-953-2400 | ||
〃 ・ふじの子第二保育園 | 583-0024 | 藤井寺市藤井寺 1-19-7 | 072-938-2402 | 072-938-2401 | ||
キングダム・キッズ 藤井寺(小規模認可保育園) | 583-0027 | 藤井寺市岡 2-12-4 | 072-976-5005 | |||
ピヨピヨ共同保育所 | 583-0012 | 藤井寺市道明寺 1-8-33 | 072-939-5492 | |||
社会福祉法人 神愛福祉会・こひつじ園(簡易保育施設) | 583-0033 | 藤井寺市小山 9-1-16 | 072-952-5766 |
公立小中学校−2つのブロック 現在、藤井寺市には小学校7校と中学校3校の市立小中学校があります。人口規模や現在の児童・生徒数からすると多い方かも知れませ ん。始まりは、1873(明治6)年に開校した二つの小学校でした。「河内二四番小学(現道明寺小学校)」と「河内二七番小学(現藤井寺小学校)」 です。どちらも寺の施設を利用して開設されました。以後、時を経るとともに校舎の場所が移ったり名称が変わったりしましたが、それら の変遷は村や町の合併の歴史と密接に関わっていました。 現在の藤井寺市域は、一つの自治体となる前は二つのブロックで構成されていました。。西側の約半分が「藤井寺町」、東側の約半分が 「道明寺町」です。その前には「藤井寺村」「道明寺村」の時代がありました。それぞれの町村に1校ずつ存在した小学校が、現在の「藤 |
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井寺小学校」と「道明寺小学校」です。 藤井寺市域では、この2校体制が長く続きました。1873年〜1960 年の87年間、基本的には2校体制が続きました。途中15年間だ け「野中尋常小学校(現藤井寺南小学校の校区内)」という3校目 の存在した期間がありましたが、大きな流れとしては2校体制が 続いてきたと言ってよいでしょう。その間、大きな人口増加が無 かったということでもあります。 河内二四番小学 → 現道明寺小学校、河内二七番小学 → 現藤 井寺小学校、という校名の変化の間には、何度も校名が改称され た歴史がありました。 明治6年に発足した二つの小学校が、初めて同じ自治体に属す る学校となり、現在の校名「道明寺小学校」「藤井寺小学校」と なったのは1959(昭和34)年のことでした。その1年後の昭和35年、 第3の小学校として藤井寺南小学校が開校し、87年続いた2校体 |
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昭和30年頃の道明寺小学校周辺(南西より) 1958(昭和33)年1月18日 当時の自治体は「道明寺町」で、校名は「道明寺町立小学校」であった。 『日本の古墳』(末永雅雄著 朝日新聞社 1961年)「図版第61・允恭天皇陵」より 部分切り出しの上、文字入れ等一部加工。 |
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制は終わりました。それから15年後には、小学校は7校となっていました。その間の人口の急増ぶりがわかります。詳しい変遷の様子は別 ページで紹介しています。 ![]() ![]() 中学校については小学校とは少し事情が異なります。戦前の教育制度のもとでは、義務教育の小学校6年間(明治40年から)修了後の学校 教育としては、尋常小学校高等科(尋常高等小学校)が中心でした。藤井寺市域では、明治の中頃に小山小学校・沢田小学校に高等科が設置 されましたが、わずか1年で廃止されて「古市高等小学校(現羽曳野市内)」に併合されました。40数年後の昭和7年になって、旧藤井寺町 の小学校に高等科が再設置されましたが、旧道明寺村(当時)には設置されませんでした。 戦後の新教育制度による中学校は、1947年(昭和22年)に旧藤井寺町での「藤井寺町立中学校」開校が最初です。旧道明寺村は「四ヵ村組合 立誉田(こんだ)中学校(現羽曳野市)」の校区となり、村独自の中学校はありませんでした。昭和34年に旧藤井寺町と旧道明寺町(昭和26年1月町 制)が合併して、「藤井寺道明寺町」が発足し、現在の藤井寺市域が初めて一つの自治体となりました。そして、中学校も一つの町の中学校 として再出発し、旧道明寺町域の中学生も町立中学校の在籍になりました。その後、相次ぐ小学校の新設を受けて1970(昭和45)年には2校 目の中学校「道明寺中学校」が開校します。さらに10年後の昭和55年には、3校目の「第三中学校」が開校し、今日の体制に至ります。 |
藤井寺教材園跡地で始まった高等学校の歴史 藤井寺市域における高等学校の歴史は、戦前に開設された高等女学校や商業学校に 始まります。昭和初期に大阪鉄道が開設して昭和8年に経営休止した「藤井寺教材園」 の跡地の一部が学校用地として利用されることになり、大阪市内からいくつもの学校 が進出し、郊外学舎を開設しました。まずは、四天王寺設立の財団法人「天王寺高等 女学校藤井寺分校(昭和12年4月)」、「大阪市立天王寺商業学校郊外学舎」などが開設 されます。やがて、1941(昭和16)年4月には、藤井寺学園「相愛第二高等女学校」が 開校しました(翌年「藤井寺高等女学校」に改称)。 これらの学校のうち戦後の学制改革を経て現在まで引き継がれているのは相愛第二 高等女学校だけで、その後身が「大阪女子短期大学高等学校(現大阪緑涼高等学校)」 です。藤井寺高等女学校は戦後の昭和23年、「藤井寺高等学校」に改称し、さらに、 昭和27年には「相愛第二高等学校」という初期にかえった名称になりました。 藤井寺学園は昭和29年に学校法人谷岡学園に吸収合併されて校名も「大阪商業大学 附属女子高等学校」と改称しました。翌昭和30年、隣接して「大阪女子短期大学」が 開校すると、高校の名称も「大阪女子短期大学附属高等学校」と変わりました。 |
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天王寺高等女学校藤井寺分校の校舎 昭和12年頃か 『四天王寺誌』 〔四天王寺事務局発行 1940(昭和15)年12月〕より |
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そして、1991(平成3)年に「大阪女子短期大学高等学校」と改称し、2017(平成29)年4月には、翌年の大阪女子短期大学閉学予定を受け て「大阪緑涼高等学校」に再改称しました。 ![]() |
なお、大阪女子短期大学と同高等学校の登 録上の所在地は藤井寺市春日丘3丁目地内で すが、学校敷地の2/3ほどは、隣接する羽曳 野市の区域内にあります。登録所在地は、学 長室や校長室のある管理棟の位置だと思われ ます。短期大学も高等学校も、敷地が藤井寺 市と羽曳野市に複雑にまたがっていて、地図 上では校内のあちこちに市域の境界線が通っ ています。ここまで敷地内で境界が入り組ん でいる学校も珍しいでしょう。 なお、下の写真上では短大・高校の位置を 便宜的に分けて表示していますが、校舎施設 |
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大阪女子短大・高校キャンパスの様子(東南東より) 下の写真でわかるように、体育館の西方にある松などの樹木 は、藤井寺教材園の頃から残っていたものと思われる。右下の 建物は、隣接のUR都市機構・サンバリエ春日丘に1棟だけ残 されている、公団住宅時代の「スターハウス」という建物。 2012(平成24)年6月 (合成パノラマ) |
育館と横の松林(東より) 体育館の向こう側(西側)の松林 は、戦前から林があった部分。大 きな松の木はその頃からあった木 と思われる。 2012(平成24)年6月 |
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等については共用施設もあり、実際にはそれぞれの範囲を明確に区切ることは困難です。下の写真は、短大・高校併設の時期の様子です。 現在は、枠線で囲んだ敷地の全体が緑涼高等学校の敷地となっています。 |
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大阪女子短大・高校の敷地 市域境界が入り組んでいる所にまたがって学校の敷地がある。 ![]() 〔(GoogleEarth 2020(令和2)年5月〕より |
同じ場所の昔の様子 藤井寺教材園の西側部分が、 戦前から何校かの学校用地に利用されてきた。当時の樹 木の一部が残る。 文字入れ等一部加工 〔米軍撮影 1946(昭和21)年6月6日 国土地理院〕より |
もう1校、戦時中に開校した私立の旧制中学校(現在の高等学校に相当)がありました。太平洋戦争が敗戦で終わる5ヵ月前の 1945(昭和 20)年3月に開校した、財団法人菊水学園「菊水中学校」です。場所は、現在の藤井寺駅南側、銀行が並んでいる所からブクンダ公園の北側 までの範囲でした。もともとのブクンダ池の北側半分を昭和11年に埋め立ててできた土地です。今では駅前の商業用一等地ですが、ここが 学校だったのです。 ![]() |
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菊水中学校のあった場所 文字入れ等一部加工 〔1946(昭和21)年6月6日米軍撮影 国土地理院〕より 菊水中学校は戦後の学制改革で菊水高等学校 となり、1952年に閉校となった。写真の当時は まだ旧制の「菊水中学校」だった。 |
菊水中学校野球チームの記念写真 1947(昭和22)年6月 出典書では「昭和22年6月校門前にて校長先生(後列右端) 菊矢監督と選手たち」と説明。 『昭和21年夏大阪の球児たち 戦後復活大阪大会50周年 記念』(大阪戦後野球懇親会 1996年7月30日発行)より |
菊水中学校が開校して半年も経たないうちに敗戦となりましたが、戦 後再開された全国中等学校優勝野球大会(後に全国高等学校野球選手権大 会)の大阪府予選には、昭和21年から26年まで出場しています。 「菊水」の名は、戦前・戦中時代に忠君愛国のシンボルとして扱われ た楠木正成が用いた「菊水紋」に由来するものです。藤井寺市域を含む 南河内地方は、楠木氏一族の根拠地とされており、各地のゆかりの場所 が「楠公史蹟」や「南朝史蹟」になりました。藤井寺市域でも葛井寺が 南朝史蹟となっています。 菊水中学校は戦後の学制改革により、学校法人菊水学園「菊水高等学 校」となりましたが、昭和27年に閉校となりました。跡地はしばらくの 間、公民館や保育所などに利用されていましたが、その後、商業用地に 転換されて現在のような姿に変わりました。 右上の写真は、いろいろな資料に当たってやっと見つけた、菊水中学 校を写した唯一の写真です。撮影場所となった校舎玄関は、現在の三菱 UFJ銀行藤井寺支店と関西みらい銀行藤井寺支店の境目付近で、駅前 |
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菊水高校の校舎と周辺の様子(南西より) 『日本の古墳』(末永雅雄著 朝日新聞社 1961年)「図版第51・仲哀天皇陵」より 1954(昭和29)年11月11日撮影 文字入れ等一部加工 |
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通りの府道に面してありました。写真は、ユニフォームが汚れていないので、試合に臨む前に記念撮影したものと思われます。玄関入り口 の上に掲げられた「Kikusui High School」の看板が、連合軍の占領下であった時代を感じさせます。当時は藤井寺球場も連合軍に接収され ていました。その下の写真は、菊水高校が廃校となった後の1954(昭和29)年に撮影された様子です。まだ校舎がそのまま残っており、学校 全体の様子がわかります。南側の辛國神社の南どなりには、昭和24年9月完成の藤井寺町立中学校が見えます。後に中学校は現在地に移転し ていて、現在この場所には藤井寺西小学校があります。写真の出典は『日本の古墳』という古墳の写真集のような書物です。藤井寺市域は 世界文化遺産にもなった古市古墳群の中にあり、古墳を撮影した航空写真に市内の各地が写り込んでいます。そのような古墳の航空写真が 昔の様子を知る上でけっこう役に立っているのです。下の大阪府立河南工業高等学校が写った写真もその一例です。 |
府立高等学校・府立支援学校の歩み 大阪府立の高校や支援学校の始まりはもう少し後のことでした。1963(昭和 38)年に開校した「大阪府立河南工業高等学校」が最初でしたが、4年後の昭 和42年には「大阪府立藤井寺工業高等学校」と改称しました。さらに、2005(平 成17)年には「大阪府立藤井寺工科高等学校」という現在の名称になりました。 この学校が、藤井寺市域で初めて誕生した公立高校でした。 それから10年ほど経った1974(昭和49)年、普通科高校の「大阪府立藤井寺 高等学校」が開校しました。急増する中学校卒業者の数に対応して、大阪府 内の各地に府立の普通科高校が次々と新設されていきましたが、その中でも藤 井寺高等学校は早い方でした。それ以前から大阪府内を7学区に分ける体制も 取られ、藤井寺高校は多くの地元の生徒が通う学校となりました。その後、 周辺の市にも次々と府立高校が新設されていきましたが、後には、子ども人 |
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建設中の河南工業高等学校(南西より) 1962(昭和37)年12月3日 『古墳の航空大観』(末永雅雄著 学生社 1975年)「仲哀天皇陵」より 文字入れ等一部加工 |
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口の減少が始まり、新設された府立高校の中には廃校となったり統合で新校名に変わったりした学校もあります。 1980(昭和55)年4月に「大阪府立藤井寺養護学校」が新設され、翌年4月から川北地区の新校舎の使用が開始されました。養護学校もま た府内の各地に何校か新設されたのです。藤井寺養護学校は肢体不自由の児童・生徒が対象で、中河内地区の一部と南河内地区を通学区と して開校しました。昭和62年3月のプール建設竣工をもって校舎設備の整備が完了し、学校施設全体が整いました。2008(平成20)年4月よ り、他の府立養護学校と共に校名が変更され、「大阪府立藤井寺支援学校」となりました。 |
短期大学と私立の小学校・中学校・高等学校 高等教育機関として藤井寺市内に初めて開設されたのは、上記にあるように1955(翌昭和30)年にできた「大阪女子短期大学」でした。そ れまでに藤井寺市内で大阪商業大学附属女子高等学校を運営していた学校法人・谷岡学園が、高校に併設するかたちで新たに開設したもの です。敗戦からちょうど10年経った時点でしたが、高校卒業後に進学を目指す女子も少しずつ増加してきた頃でした。そんな時代のニーズ にも応え、高校卒業女子の受け皿づくりにもなるものとして創設されたと思われます。それまで大都市・大阪市が存在する大阪府内では、 大学や短大の多くが大阪市内や周辺に集中していましたが、昭和30年代頃から郊外地域への新設や移転が相次いで進められました。大阪女 子短期大学の藤井寺町(当時)進出は、それらの例の先がけでもあったと思います。駅に近い場所で学校用地として適切な広さと環境が確保 できるという、良い条件のもとでの開校でした。その後の藤井寺駅周辺の変貌ぶりを見ると、この時の藤井寺進出という判断は実にタイミ ングの良いものだったと言えるのではないでしょうか。この後、羽曳野市・富田林市・松原市・河内長野市・河南町・狭山町(当時)と、南 河内地区の市町に次々と大学や短大が開設・移転されていきました。 2009(平成21)年4月、学校法人・四天王寺学園によって藤井寺駅の西側、近鉄藤井寺球場の跡地に「四天王寺学園小学校」が開校しまし た。藤井寺市内では初の私立義務教育学校でした。四天王寺学園としても初の小学校創設で、これによって小学校から大学までのすべての 校種が揃うことになりました。同時に、この場所には「四天王寺大学藤井寺駅前キャンパス」も開設されました(2017年3月閉館)。四天王寺 大学は隣の羽曳野市内にありますが、大学に行く近鉄バスの多くが藤井寺駅前から出ています。藤井寺市は四天王寺大学の学生・教職員の 人たちにもなじみの場所でもあります。2014(平成26)年4月には、同じ場所に四天王寺学園小学校に隣接して「四天王寺学園中学校」が開 校しました。四天王寺学園としては、四天王寺中学校(女子校 大阪市・四天王寺隣接)、四天王寺羽曳丘中学校(共学 羽曳野市 2016年3月末 閉校)に次いで3校目となる中学校の創設でした。2017年4月には、四天王寺学園小学校は「四天王寺小学校」に改称し、新たに「四天王寺 学園高等学校」が開校しました。なお、四天王寺羽曳丘高等学校(大学に隣接)は2019年3月末に閉校しました。 2020(令和2)年4月、四天王寺学園中学校と四天王寺学園高等学校は、それぞれ「四天王寺東中学校」「四天王寺東高等学校」と校名を 変更しています。 藤井寺市と四天王寺学園の関わりは、上記で紹介したように、戦前に天王寺高等女学校藤井寺分校が藤井寺教材園地に進出したことに始 まります。「天王寺高等女学校」は四天王寺が学校経営に着手して、1922(大正11)年4月、最初に設立した学校でした。学校は戦後「四天 王寺高等学校(女子校)」という現在名に変わりました。学校法人・四天王寺学園は、現在では大学と小学校を各1校、高等学校2校、中 学校2校を運営する大きな学校法人となっています。大阪鉄道(後に近畿日本鉄道)―四天王寺学園―藤井寺町(市)というトライアングル関係 は、意外と古くから地域の歴史の底流に存在していたことがわかります。 |
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少子化で変わってきた大学・短大のあり方 昭和50年代を過ぎる頃から進行し始めた少子化の流れは、やがて大学 ・短大のあり方にも変化をもたらしてきました。いち早く4年制化・共 学化を進めた四天王寺大学(旧四天王寺女子短期大学)をはじめ、大阪千 代田短期大学、大阪大谷大学(旧大谷女子大学)など、南河内地区でも共 学化や4年制化を図る大学・短大が続きました。四天王寺学園のように、 下部学校として高校・中学校や小学校を開設する学校法人は、大阪府全 域でも増えていきました。そんな中にあって、谷岡学園は大阪女子短期 大学の共学化や4年制化という道は採りませんでした。ほかに大阪商業 大学などの4年制大学を運営していることがあるからでしょうか。 2016年5月17日、学校法人谷岡学園が「大阪女子短期大学が平成29年 度の学生募集を停止し、在校生の卒業後に閉学する。」と発表した旨の 報道がありました。入学希望者の減少など経営状況の悪化が理由である と報道されています。進む少子化の中で予想されたことではありました |
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大阪緑涼高等学校周辺の最近の様子(南東より) 〔藤井寺西小学校創立50周年記念撮影写真 2019(令和元)年5月〕より 文字入れ等一部加工 |
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が、藤井寺市にとっては大変残念なことです。市内に登録されている唯一の高等教育機関でしたから。 併設の大阪女子短期大学高等学校はその後も存続の方針で、2017年4月より「大阪緑涼高等学校」と改称しました。母体となった相愛第 二高等女学校は、中等学校や高等女学校の本校が1校も無かった戦前の藤井寺市域で、初めて開校した高等女学校でした。その記念の学校 が存続していくことがせめてもの救いです。短大よりもずっと早くに藤井寺の地に誕生した学校だったのです。 2018年3月16日には最後の卒業式が行われ、244名の最後の大阪女子短期大学学生が卒業して行きました。これで、同短大からは今までに 16,743名の卒業生が巣立って行ったことになります。3月18日には閉学式が行われました。(日付・人数は、大阪女子短期大学公式サイト 掲載の「大阪女子短期大学 閉学のことば−星野智子学長」より。) 幼稚園の歩み 公立の幼児教育機関として、藤井寺市史等の資料で確認できた最初の開設は、1949(昭和24)年4月開園の「藤井寺幼稚園」です。現在の 藤井寺市域で、当時の藤井寺町が設立した公立幼稚園の第1号です。翌昭和25年4月には、道明寺村に「道明寺幼稚園」が開園しました。 これで小学校と同じように、2園体制ができたことになります。この体制は10年間続きました。1960(昭和35)年4月に3校目の小学校とし て藤井寺南小学校が開校し、併設幼稚園として藤井寺南幼稚園が開園しました。以後、小学校が新設される度に幼稚園も併設されました。 いずれも、小学校長が幼稚園長を兼務する体制でした(現在は専任園長制)。最後の7園目の藤井寺北幼稚園が開園したのは、藤井寺北小学 校と同時の1976(昭和51)年4月でした。この7園体制で今日まで続いてきましたが、道明寺幼稚園は平成28年4月から市立第2保育所との 複合施設に再編されて「藤井寺市立道明寺こども園」となり、場所も第2保育所の位置に統合移転しました。そして、2023(令和 5)年4月 より幼保連携型認定こども園「藤井寺市立道明寺こども園」として、新たな運営形態が始まりました。 近年の少子化の流れの一方で、幼稚園よりも保育所への需要が急増してきました。加えて、専用バスでの送迎がある私立幼稚園への流出 もあり、市立幼稚園の入園児は減少の一途をたどりました。ついに2020(令和2)年3月末、藤井寺西幼稚園・道明寺東幼稚園・藤井寺南幼 稚園野中分園の3ヵ所が閉園となり、他の幼稚園区に統合されました。 藤井寺西幼稚園区と野中分園区は藤井寺南幼稚園区に統合されました。道明寺小学校区と道明寺東小学校区の地区は、現在、道明寺南幼 稚園区に編入されていますが、道明寺こども園に入園希望の場合は優先されることになっています。 さらに、翌2021(令和3)年3月末には藤井寺北幼稚園も閉園となり、藤井寺幼稚園に統合されました。かつての7園2分園の体制は、つい に4園体制にまで縮小されました。(道明寺幼稚園川北分園は1999(平成11)年3月から休園しており、2019(平成31)年4月1日に廃止された。) 私立の幼稚園としては、1ヵ所だけ「藤井寺カトリック幼稚園」があります。宗教法人・大阪カトリック大司教区によって、1964(昭和39) 年に設立されました。現在は学校法人・大阪聖マリア学園による運営です。名称でわかる通り宗教団体が母体の学校法人ですが、宗教に関 係なく市内唯一の私立幼稚園として広く通園児が集まっています。市内では1園のみですが、柏原市・羽曳野市・松原市などの周辺市に私 立幼稚園があり、通園バスによってこれらの市外幼稚園を利用する園児も多数います。 保育所・保育園の歩み 現在の藤井寺域内で最初にできた公立保育園は、1955(昭和30)年4月に開所した「藤井寺町立保育所」でした。現在の市立第1保育所で す。次いで、1963(昭和38)年4月に「美陵町立第2保育所(現市立第2保育所)」が開所しました。昭和34年4月に旧藤井寺町と旧道明寺町 が合併し、翌昭和35年1月に「美陵町(みささぎちょう)」の名称になっていました。第2保育所は旧道明寺町地域に開設されたので、幼稚園と同じ ように2所体制ができました。 8年間この体制が続きましたが、昭和46年には同時に2つの保育所が開設されました。「藤井寺市立第3保育所」と「藤井寺市立第4保 育所」です。昭和41年11月に美陵町は市制移行で「藤井寺市」となっていました。この時期は経済高度成長期のピークを迎える頃で、藤井 寺市でも人口増加が最も激しい時期でした。加えて、日本全体が第2次ベビーブームで子ども人口が急増している状況でした。都市圏では 保育所の増設が切実な課題となっていたのです。藤井寺市では保育所需要への対応は比較的早く取り組まれ、保育所増設のほか、0歳児保 育も早く拡大した方でした。その頃には藤井寺市の0歳児保育を頼りにして、藤井寺市に引っ越す家庭があったくらいです。この後、藤井 寺市では保育所が次々増設されていき、10年後の1981(昭和56)年4月には最後の「藤井寺市立第7保育所」が開所しました。目指していた 各小学校区1ヵ所の保育所という体制ができ上がりました。 この後、市立第7保育所は2010(平成22)年4月に民営移管されて、社会福祉法人・種の会「なな保育園」となりました。市の財政窮迫を 受けての対応施策の一つでした。なな保育園は平成28年4月から幼保連携型の認定こども園「ななこども園」に移行しました。そして、前 述の通り、市立第2保育所も平成28年度より道明寺幼稚園と複合の「藤井寺市立道明寺こども園」となり、2023(令和 5)年4月より幼保連 携型認定こども園「藤井寺市立道明寺こども園」として再出発しています。今後も市立保育所・幼稚園については、児童数減少に対応して 新しい施策による体制に変わることが予想されます。 私立の保育園・こども園は、社会福祉法人によって現在8園の認可保育園が運営されています。最初の設立は、社会福祉法人・南大阪福 祉協会による「ひかり保育園」で、1970(昭和45)年12月の開園でした(2018年4月より幼保連携型認定こども園「ひかりこども園」)。ちょう ど公立保育所が次々と増設され始める頃でした。しかし、その後私立保育園はしばらく設立がありませんでした。次の設立は17年後の1987 (昭和62)年4月の社会福祉法人・神愛福祉会の「ラミー保育園」でした。その後、上の表にあるように他の4園(1園は市立からの移管)が 設立されていきました。 最も新しくは、2020(令和2)年4月に開園した「ふじみ保育園」です。待機児童の解消を目指して市が公募で民営保育園を誘致して実現 したもので、すでに惣社保育園(2022年4月より認定子ども園)を運営している社会福祉法人・そうび会が運営します。「ふじみ」の名は、 所在地の「小山藤美町」から付けられています。小山藤美町はもともと全域が「府営藤井寺小山藤美住宅」でしたが、近年の改築高層化事 業によって敷地の4割ほどが余剰地となり、「ふじみ緑地」として利用されていました。その一部を保育施設に転用したものです。 現在、藤井寺市立と私立合わせて、14園の保育所・保育園・保育施設・認定こども園が運営されています。なお、これらのほかにも、藤 井寺市内では数ヵ所の認可外保育施設が運営されています。 ![]() ![]() |