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  幼稚園・保育所    小学校    中学校(高等小学校)    高等学校(旧制中学校)・支援学校    大学   その他のできごと
  年・月・日                    で  き  ご  と 国内一般・世界 
( 明 治 ) 
1871( 4).10.18  古市郡古市村(現羽曳野市)の西琳寺で「雛学園」が開校。廻状が回され募集がかけられた村は、古市郡のほか志紀
 郡・丹南郡、石川郡の一部と、広い範囲に渡っている。現藤井寺市域では、野中村・道明寺村・古室村・船橋村・
 北條村・大井村・林村・沢田村・国府村・津堂村・小山村・岡村・藤井寺村の13ヶ村。現羽曳野市域では、古市
 村・誉田村・碓井村・軽墓村・駒ヶ谷村・飛鳥村・大黒村・壷井村・通法寺村・広瀬村・坂田村・西浦村・蔵之内
 村・野々上村・伊賀村・郡戸村・河原城村・埴生野新田村であり、その他、さらに南部の石川郡の一部などの村も
 あった。
1872( 5). 7.29  河内国第廿一区丹南郡25ヶ村の郷学校が藤井寺村剛琳寺(現葛井寺)に開校。8月3日には、平尾村(現堺市美原区
 平尾)
専明寺、郡戸村(現羽曳野市郡戸)光明寺、北宮村(現羽曳野市高鷲など)旧神官居宅、丹南村(現現堺市美原区
 内)
習字場に出張所が開校。同月に出された「郷学校仕法届」によれば、開校時の児童数は、郷学校66人、平尾出張
 所68人、郡戸出張所82人、北宮村出張所51人、丹南村出張所51人、となっている。総数では
、男246人、
 女72人。
(翌明治6年4月、郷学校は小学開校に合わせて廃止。) 
1872( 5). 8.13
             
             
        . 9
河内国第十八区志紀郡之内9ヶ村の郷学校が柏原村(現柏原市)下町に開校。8月13日には東老原村(現八尾市)養照
 寺、14日太田村
(八尾市)願立寺、15日沢田村(現藤井寺市)極楽寺、16日大井村(藤井寺市)誓願寺、17日南
 木の本村
(八尾市)光蓮寺に出張所が開校。(翌明治6年4月、郷学校は小学開校に合わせて廃止。) 
河内国丹北郡小山村妙楽寺に郷学校が開校。(翌明治6年4月、剛琳寺の郷学校と共に廃止。)
1873( 6). 4. 2
             
          6. 6
 
河内第二四番小学(現道明寺小学校)が志紀郡沢田村極楽寺で開校(後に沢田小学→沢田小学校)
 学区の村は、大井村・北條村・船橋村・林村・国府村・沢田村・古室村・道明寺村。
河内第二七番小学(現藤井寺小学校)が丹南郡藤井寺村剛琳寺(現葛井寺)で開校(後に移転→小山小学校)
 学区の村は藤井寺村・野中村・岡村・小山村・丹北小山村・津堂村
(それぞれ現藤井寺市)と、野々上村・伊賀村・
 埴生野新田村
(それぞれ現羽曳野市) 
1874( 7). 9
        .10
        .11. 6
第二四番小学の支校が大井村の元郷倉家屋で開校。大井村・北條村・船橋の3村が校区となる。(後に大井支校)
第二七番小学の校舎が、丹南郡岡村光乗寺本堂と丹北郡小山村妙楽寺本堂に分置される。
第二七番小学の支校が野中村に開校。(後に野中尋常小学校) 
1875( 8). 3
        . 5
第二七番小学が丹北小山村に新築移転して、丹北郡小山小学となる。(後に丹北郡小山小学校)
第二四番小学が沢田小学となり、支校は大井支校となる。(後に志紀郡沢田小学校 学校所在の村名を校名にする
 ように布達される。)
 
1877(10). 2
1879(12). 2
        .10
1880(13). 1
        . 5
 
沢田小学大井支校が廃止され、大井・北條の2村は沢田小学の本校へ、船橋村は柏原村の学校への通学に変更される。
沢田小学大井支校が大井村に再設置される。
沢田小学が現在地(道明寺小学校)に新築移転。開校式の10月21日が学校創立記念日となった。
沢田小学が志紀郡沢田小学校と改称。
丹北郡小山小学校が志紀郡小山小学校と改称。古市郡役所の管轄とするため。(明治22年に丹北小山村は志紀郡に
 移管される。)
 
1887(20). 4. 1
1888(21). 3.17
        . 3.31

        . 4. 1
        . 4.14
 
小学校に高等科が併設され小山尋常小学校小山高等小学校、沢田尋常小学校沢田高等小学校に分離・改称。
沢田尋常小学校の簡易科教場が沢田簡易小学校となる。(翌明治22年3月に廃止。)
小山高等小学校が廃止となり、古市郡古市村にできる六郡十六ヶ村組合の古市高等小学校(現羽曳野市立誉田中学
 校)
に併合。
小山尋常小学校に簡易科が併設され、小山簡易小学校ができる。(翌明治22年3月31日に廃止。)
沢田高等小学校が廃止となり、古市高等小学校に併合。   1889.4.1合併で長野村・小山村・沢田村・道明寺村成立。 
1890(23). 4. 1

        . 4. 1
        . 4. 1
        . 7
町村制施行により、小山尋常小学校は長野村小山村学校組合立小山尋常小学校となる。(明治22年4月1日、長野
 村・小山村が成立。)
                 1890.3.31沢田村・道明寺村が合併、新「道明寺村」が成立。
小山尋常小学校が志紀郡小山村に新築移転。
野中支校が独立し、組合立野中尋常小学校として長野村大字野中に新築開校。(後に小山尋常小学校に統合)
古市高等小学校から分離して、沢田高等小学校を再設置。           1896.5.4長野村が藤井寺村に改称。 
1896(29). 4. 1
1900(33).   

        . 8.31
1908(41). 4. 1
 
沢田高等小学校が再び古市高等小学校と合併して、誉田高等小学校(現羽曳野市立誉田中学校)となる。
沢田尋常小学校の児童数増加により、道明寺村大字国府の蓮休寺内に分教場を設置。(翌34年11月、校舎増築によ
 り廃止。)
長野村小山村学校組合が藤井寺村小山村学校組合に改称。(明治29年5月4日、長野村は藤井寺村に改称された。)
小山尋常小学校と野中尋常小学校が合併して、小山尋常小学校本校と同校野中分教場となる。(この年から義務
 教育が6年制に延長。)
 
1868 9 「明治」に改元
    五箇条の御誓文
1868 神仏分離令
1869 東京遷都、版籍奉還
1869 スエズ運河開通
1871 廃藩置県、文部省設置
1871 パリ・コミューン
1872 鉄道開通(新橋−横浜)
1872 「学制」公布
1872 富岡製糸場開業
1872 太陽暦採用


  
明治初年、現在の藤井寺市域には
 3郡にまたがった14ヵ村があった。
  後に合併をくり返して、現在市域の
 一つの自治体となった。
1873 徴兵令公布
1873 地租改正条例布告
1874 佐賀の乱、台湾出兵
1875 樺太・千島交換条約
1875 江華島事件
1876 日朝修好条規
1876 廃刀令
1876 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱
1877 西南戦争神風連
1877 東京大学設立
1879 琉球処分、沖縄県設置
1879 エジソン電灯発明
1879 教育令公布、義務教育法令化
1880 教育令改正、教育の中央集権化

1885 内閣制度創設
1886 帝国大学令、師範学校令、小学
    校令、中学校令公布

1888 市制・町村制施行・町村制公布
1889 大日本帝国憲法発布
1889 東海道線全通
1890 府県制・郡制公布
1890 第1回帝国議会、教育勅語発布

1894 8〜95.3 日清戦争

1895 日清講和条約(下関条約)
1896 日清通商航海条約
1896 第1回近代オリンピック大会
1899 清国・義和団事件
1900 治安警察法公布、北清事変(清)
1903 ライト兄弟初の動力飛行に成功

1904 2〜05.9日露戦争
1905 日露講和条約(ポーツマス条約)
1907 小学校令改正、義務教育6年に
1910 韓国併合、大逆事件
 
( 大 正 )                            1915.11.10藤井寺村・小山村が合併、新「藤井寺村」が成立。
1915( 4).11.10
1916( 5). 2  

1926(15). 7. 1
 
藤井寺村と小山村が合併して藤井寺村となり、組合立小山尋常小学校が、藤井寺村立小山尋常小学校と改称。
古市村外五ヶ村高等小学校組合ができる。(南河内郡内の古市村・西浦村・駒ヶ谷村・道明寺村・藤井寺村・埴生
 村で構成。)
藤井寺青年訓練所(義務教育修了者を対象)を小山尋常小学校に併設。正式名称は「大阪府南河内郡藤井寺村立小山
 青年訓練所
」 
1911 辛亥革命(中国)
1912 7.「大正」に改元、
中華民国成立
1914 パナマ運河開通
、桜島大噴火
1914 7〜18.11 第1次世界大戦
1917
ロシア革命・ソヴィエト政権樹立
1918 シベリア出兵、米騒動
1920 国際連盟設立
1923 9 関東大震災
( 昭 和 )                               1928.10.15藤井寺村が町制施行して藤井寺町が成立。
1928( 3).10.15

1932( 7). 4
1935(10).   

1936(11). 4. 1
1937(12). 4. 1
 
小山尋常小学校が岡地区(現藤井寺小学校所在地)に移転し、藤井寺町立昭和尋常小学校と改称。(同日、藤井寺村
 は町制移行。)
藤井寺町立昭和尋常小学校に高等科が併設され、昭和尋常高等小学校と改称。(後に藤井寺尋常高等小学校)
藤井寺青年学校(男子部・女子部)を藤井寺尋常高等小学校に併設。正式名称は「大阪府南河内郡藤井寺町立藤井寺
 青年学校」
昭和尋常高等小学校が藤井寺尋常高等小学校と改称。
藤井寺実践女学校を藤井寺尋常高等小学校に併設。正式名称は「公立青年学校大阪府南河内郡藤井寺実践女学校」
四天王寺が設立した財団法人・天王寺高等女学校藤井寺分校が大阪鉄道・藤井寺教材園跡地に開校。
 
1941(16). 4. 1
        . 4
1944(19). 9  

        . 9.18

1945(20). 3
        .10. 5
 
学制改革により、小学校名称を藤井寺国民学校・道明寺国民学校に改称。
藤井寺学園相愛第二高等女学校が開校。(翌昭和17年 藤井寺高等女学校に改称)
藤井寺町で学童集団疎開を受け入れ。(大阪市東田辺国民学校児童335名、12月にさらに40名。昭和20年5月に
 島根県に再疎開。)
道明寺村でも学童集団疎開を受け入れ。(大阪市平野西国民学校児童249名。極楽寺(沢田)誓願寺(大井)真光寺
 (道明寺))
財団法人菊水学園・菊水中学校(旧制 後菊水高等学校)が藤井寺駅南(仏供田池一部埋め立て地)に開校。
大阪市の学童集団疎開の引き揚げが始まり、12月12日に引き揚げが完了。 
1946(21).   

1947(22). 4. 1
        . 4.20

1948(23). 4
 
藤井寺実業学校が開校し、男子教育が行われた。(昭和23年3月31日に藤井寺実践女学校と共に閉校し、新制中学校
 に編入。)
学制改革により、小学校の名称が藤井寺町立小学校・道明寺村立小学校に改称。
中学校の新制度が発足し、藤井寺町立中学校が藤井寺小学校内に開校。道明寺村の新中学生は、村内に中学校がな
 く古市町外四ヶ村組合立誉田中学校に通学
(誉田高等小学校時代から通学していた)
藤井寺高等女学校が藤井寺高等学校に改称。(昭和27年に相愛第二高等学校に校名変更) 
1949(24). 4
        . 9.22
1951(26). 1. 1
1954(29). 6
1955(30). 4
        . 4  
        . 4
 
最初の公立幼稚園として藤井寺幼稚園(藤井寺町)が開園。翌年4月には道明寺幼稚園(道明寺村)が開園。
藤井寺中学校の新校舎完成。(現藤井寺西小学校の場所)      1951.1.1道明寺村が町制施行して道明寺町が成立。
道明寺村が町制を施行し、道明寺村立小学校が道明寺町立小学校と改称。
藤井寺学園を谷岡学園が吸収合併し、相愛第二高等学校が大阪商業大学附属女子高等学校に改称。
最初の公立保育所として町立藤井寺保育所(現市立第1保育所)が藤井寺町に開所。
短期大学の開学に合わせて、大阪商業大学附属女子高等学校が大阪女子短期大学附属高等学校に改称。
附属高等学校に併設されて大阪女子短期大学が開学。     1959.4.20藤井寺・道明寺両町合併で藤井寺道明寺町が成立。
1959(34). 4.20
        . 4.20

 
藤井寺町と道明寺町が合併し、小学校は藤井寺道明寺町立藤井寺小学校・藤井寺道明寺町立道明寺小学校と改称。
藤井寺中学校も藤井寺道明寺町立中学校と改称されて、旧道明寺町内の中学生も町立中学校の在籍となり、同地区
 生徒は町立中学校誉田分教場
(誉田中学校内)に通学した。          1960.1.1藤井寺道明寺町が美陵町に町名変更。
1960(35). 1. 1
        . 3.11
          4. 1

        . 4. 1
        . 9.10
 
藤井寺道明寺町が美陵町に町名変更し、各小中学校は「美陵町立」の名称に変更。
美陵町立中学校の新校舎が完成(現藤井寺中学校の場所)。4月より誉田分教場の生徒を全て引き揚げ。
藤井寺南小学校が3番目の小学校として開校。藤井寺小学校から分離。町立中学校が移転した後の校舎(現藤井寺
 西小学校の場所)
で開校したが、藤井寺小学校と野中分校にも一部児童が分散通学した。
藤井寺南幼稚園が開園。(藤井寺南小学校に併設。小学校と同じ校地内。昭和45年3月までこの場所)
美陵町立中学校の校舎増築が完成し、藤井寺小学校内分教場の1年生と藤井寺南小学校内分教場の3年生を本校に
 引き揚げ。
 
1963(38). 4. 1
        . 4. 1
1964(39). 3.31
        .10.20
1966(41).11. 1
 
府立河南工業高等学校が開校。(昭和42年藤井寺工業高等学校に改称。平成17年から藤井寺工科高等学校に改称。)
美陵町立第2保育所(現市立第2保育所 林3丁目)が開所。
宗教法人大阪カトリック大司教区が藤井寺カトリック幼稚園を創設。(現学校法人大阪聖マリア学園)
藤井寺南小学校の新校舎の使用を開始。(現在の場所 昭和41年3月に全面移転完了)
美陵町が市制に移行
したことにより、各小中学校は「藤井寺市立」の名称に改称。     1966.11.1美陵町が市制施行。
1967(42). 4. 1
1968(43). 4. 1
1969(44). 3
 
道明寺東小学校が4番目の小学校として開校。(道明寺小学校から分離 国府2丁目)
道明寺東幼稚園が開園。(道明寺東小学校に併設 小学校に隣接 2020年3月31日閉園)
藤井寺幼稚園の新園舎が完成、移転。(現在地) 
1970(45). 4. 1
        . 4. 1

        . 4. 1
        . 4
        .10. 1
        .12
 
藤井寺西小学校が5番目の小学校として開校(藤井寺南小学校から分離)
道明寺中学校が2番目の中学校として開校(藤井寺中学校から分離)これに伴い、藤井寺市立中学校は藤井寺市立
 藤井寺中学校に改称。
藤井寺西幼稚園が開園。(藤井寺西小学校に併設 小学校内に仮設 2020年3月31日閉園)
藤井寺南幼稚園が藤井寺南小学校内に移転。(翌昭和46年11月に新園舎が小学校前に完成し移転)
社会福祉法人南大阪福祉協会がひかり保育園(大井5丁目)を創設。12月開園。
藤井寺西幼稚園の新園舎が完成し、移転。(現在地〈鉢塚古墳周濠跡地〉 それまでは小学校内に仮設) 
1971(46). 4. 1
        .11
1973(48). 4. 1
        . 4. 1
        . 7
        . 9
 
市立第3保育所(藤井寺1丁目)・市立第4保育所(道明寺6丁目)が開所。
藤井寺南幼稚園の園舎が完成し、移転。(現在地 それまでは藤井寺南小学校内に仮設)
道明寺南小学校が6番目の小学校として開校。(道明寺小学校道明寺東小学校から分離)
道明寺南幼稚園が開園。(道明寺南小学校に併設 小学校に隣接)
藤井寺南小学校と道明寺東小学校で、市内初の学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
市内の各小学校にVTRと全教室のテレビ放送システムを設置。(ソニー・校内親子放送システム) 
1974(49). 4. 1
        . 7
1976(51). 4. 1
        . 4. 1
1977(52). 4. 1
 
府立藤井寺高等学校が開校。(津堂3丁目)
市立第5保育所が開所。(国府1丁目)
藤井寺北小学校が7番目の小学校として開校。(藤井寺小学校から分離 小山3丁目)
藤井寺北幼稚園が開園。(藤井寺北小学校に併設 小学校に隣接 2021年3月31日閉園)
市立第6保育所が開所。(小山1丁目) 
1978(53). 4. 1
        . 4. 1
1980(55). 4. 1
        . 4. 1
 
各中学校に語学学習システムのLL教室を設置。
藤井寺小学校に学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
第三中学校が3番目の中学校として開校。(藤井寺中学校道明寺中学校から分離 林1丁目)
府立藤井寺養護学校が開校。(翌昭和56年4月から川北で新校舎の使用開始 現藤井寺支援学校) 
1981(56). 4. 1
1982(57). 9
1983(58). 9
1987(62). 4
 
市立第7保育所が開所。(藤ケ丘4丁目 2010年4月に民営移管され「なな保育園」となった)
道明寺小学校と藤井寺北小学校に学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
道明寺南小学校と藤井寺西小学校に学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
社会福祉法人神愛福祉会のラミー保育園が開園。(小山9丁目) 
1925 治安維持法・普通選挙法公布
1926 12 「昭和」に改元
1929 10 世界恐慌始まる
1931 9 満州事変(柳条湖事件)
1932 満州国建国、五・一五事件
1933 日本・国際連盟脱退
1933 独・ヒトラー内閣成立、国連脱退
1934 室戸台風、東北冷害、西日本旱
    害、関西風水害で大凶作
1935 芥川賞・直木賞創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争始まる(盧溝橋事件)、
    日独伊三国防共協定
1937 文化勲章制定
1939 9 独・ポーランド侵攻、第二次世
    界大戦始まる(45.5 独・降伏)

1940 日独伊三国同盟
1941 12 アジア太平洋戦争始まる
1945 8 日本・無条件降伏(9 降伏調印)
1945 10 国際連合成立

1946 4 新選挙法による第22回総選挙、
       11 日本国憲法公布
1946 第1回国民体育大会
1947 5 日本国憲法施行
1947 教育基本法・学校教育法制定
1948 極東国際軍事裁判判決
1948 教育委員会法制定
1949 法隆寺金堂炎上
1950 文化財保護法制定、金閣寺焼失
1950 6 朝鮮戦争始まる(53.7休戦協定)
1951 サンフランシスコ平和条約・日米
    安全保障条約調印
1951 民間放送開始
1953 奄美諸島返還、テレビ放送開始
1954 陸海空自衛隊発足
1955 左右社会党統一、自由民主党結
    成、55年体制成立
1956 新教育委員会法制定
1956 日本・国際連合加盟
1957 日本・南極に昭和基地設営
1957 ソ連・初の人工衛星打ち上げ
1959 メートル法施行、9 伊勢湾台風
1960 日米新安全保障条約・行政協定
    調印、安保改定阻止闘争激化
1960 カラーテレビ本放送開始
1962 キューバ危機
1962 初の国産旅客機YS−11初飛行
1963 義務教育教科書無償配布法制定
1963 11 日米間テレビ宇宙中継実験成
    功、
ケネディ米大統領暗殺
1964 10 東海道新幹線開通、第18回オ
    リンピック東京大会開催
1965 米・北ベトナム爆撃開始、ベトナ
    ム 戦争激化(〜73)

1965 日韓基本条約調印
1965 名神高速道路開通
1966 日本の人口1億人を突破
1966 中国・文化大革命始まる(〜76)
1968 小笠原返還協定
1968 東大・日大等大学紛争激化
1969 東名高速道路開通
1969 米宇宙船アポロ11号・人類初の
    月面着陸成功

1970 日本万国博覧会開催(大阪府)
1970 日米安保条約自動延長
1970 日航機よど号ハイジャック事件
1971 沖縄返還協定
1971 NHK総合テレビ・全放送カラー化
1972 2 札幌冬季オリンピック開催
1972 沖縄・日本に復帰、沖縄県復活
1972 日中共同声明、日中国交正常化
1972 米中共同声明
1972 円が変動相場制に移行
1973 ベトナム和平協定
1973 10 第4次中東戦争、石油危機

1973 石油ショック発生、異常インフレ
1974 日中貿易協定
1975 ベトナム 戦争終結
1976 ベトナム社会主義共和国成立
1978 新東京国際空港開港
1978 日中平和友好条約
1979 国立大学・初の共通1次試験
1979 米中国交正常化
1982 東北新幹線・上越新幹線開通
1987 国鉄分割民営化、JR発足
1988 青函トンネル・瀬戸大橋開通
1989 1 「平成」に改元
1989 東西冷戦終結宣言
1989 4 消費税(3%)が始まる
 
( 平 成 )
1992(4). 4
2003(15). 4. 1
2009(21). 4
        . 4
2010(22). 4. 1
2012(24). 4
2014(26). 4
2015(27). 4
 
大阪女子短期大学附属高等学校が大阪女子短期大学高等学校に改称。
社会福祉法人そうび会惣社保育園が開園。(惣社1丁目)
藤井寺球場跡地に学校法人四天王寺学園の四天王寺学園小学校が開校。
小学校に併設されて四天王寺大学藤井寺駅前キャンパスが開校。
社会福祉法人種の会のなな保育園が開園。(藤ケ丘4丁目 市立第7保育所を民営移管)
社会福祉法人窓ふじの子保育園が開園。(岡1丁目)
小学校に併設されて四天王寺学園中学校が開校。
社会福祉法人窓のふじの子第二保育園が開園。(藤井寺1丁目)
2016(28). 3
2016(28). 4. 1

           4. 1
2017(29). 3
2017(29). 4. 1
          4. 1
          4. 1

2018(30). 3.31
          4. 1
2019(31). 3
     4. 1
四天王寺羽曳丘中学校(羽曳野市)が閉校。
道明寺幼稚園第2保育所を統合した複合型の藤井寺市立道明寺こども園が開園。
(林3丁目)
社会福祉法人種の会のなな保育園が幼保連携型認定こども園のななこども園に変わる。
(藤ケ丘4丁目)
四天王寺大学藤井寺駅前キャンパスが閉館。
四天王寺学園小学校が四天王寺小学校に改称。
四天王寺学園中学校に併せて四天王寺学園高等学校が開校。
大阪女子短期大学高等学校が大阪緑涼高等学校に改称。
大阪女子短期大学が閉学。
63年の歴史を閉じる。(同大学校地には大阪緑涼高等学校が存続)
社会福祉法人南大阪福祉協会のひかり保育園が幼保連携型認定こども園のひかりこども園に変わる。(大井5丁目)
四天王寺羽曳丘高等学校(羽曳野市)が閉校。
道明寺幼稚園川北分園が廃止される。(1999年3月から休園しており、園児は本園に通園していた。)


1991 1 湾岸戦争、12 ソ連解体

1991 4 雲仙賢岳大火砕流、バブル経
    済崩壊
1994 9 関西国際空港開港
1995 1 阪神・淡路大震災発生、3 東京
    地下鉄サリン事件
1997 4 消費税が5%に上がる
1998 長野冬季オリンピック開催
2002 学校週5日制開始
2005 郵政民営化法成立、中部国際空
    港開港
2011 東日本大震災発生、原発災害
2014 4 消費税が8%に上がる
2016 4熊本地震発生(熊本・大分県)
( 令 和 )
2019( 1). 8.
2020( 2). 3. 2
     3.31
          4. 1
          4. 1
2021( 3). 3.31
2023( 5). 4. 1
市立小・中学校の教室へのエアコン設置が完了。9月より使用開始。
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、全市立小・中学校及び幼稚園の臨時休業を開始。
藤井寺西幼稚園・道明寺東幼稚園・藤井寺南幼稚園野中分園が閉園し、他の幼稚園区に統合・再編。
四天王寺学園中学校・四天王寺学園高等学校が改称され、四天王寺東中学校・四天王寺東高等学校となる。
社会福祉法人そうび会のふじみ保育園が開園。(小山藤美町)
藤井寺北稚園が閉園し
藤井寺幼稚園に統合。市立幼稚園は4園体制となる。(道明寺幼稚園は幼保連携型認定こども園へ移行)
道明寺こども園が幼保連携型認定こども園・藤井寺市立道明寺こども園となり、新たな運営形態が発足。
2019 5 「令和」に改元
2019 7 百舌鳥・古市古墳群のユネスコ
      世界文化遺産登録が決定
2019 10 消費税が10%に上がる
2020 3 新型肺炎流行により、政府要請
     で小中高校の全国一斉臨時休
     業が実施される。
藤井寺市の教育・保育」年表について
 この年表は、現在の藤井寺市や合併前の過去の市町村における教育・保育に関するできごとを取り上げたものです。藤井寺市史、「広
報ふじいでら
、同縮刷版、学校沿革史(一部学校)、各学校法人・社会福祉法人等のWebサイト等の史資料を基に、できるだけ多くの事
象を取り上げるように構成しました。年月日や固有名称については留意しているつもりですが、限られた史資料の範囲でしたので、もし
確認間違いがあった場合は、何とぞご容赦いただきたいと思います。今後、新しい確認ができ次第、順次修正を加えていく予定です。
時代が表す傾向
 年表には全ての事象が取り上げられているわけではありませんが、大まかな傾向をつかむことはできます。学校や施設の種類別にリスト
マークの色を変えてあるので、この色の並び方の中に一定の傾向を読み取ることができます。
 まず明治時代の前半に目を向けると、最初に学校制度を定めた「学制」が公布された直後から、小学校の創設と拡大に次々と力の注がれ
てきたことがわかります。「学校令」が公布された後の明治後半期になると、小学校に加えて高等小学校
(高等科)に関する事項が増えてき
ます。そして、「小学校」に「尋常」の文字が付けられました。この時期は、江戸期からあった村々が合併して新しい村が誕生しています
が、高等小学校
(高等科)の創設には新たな財政負担が必要で、周辺の村々と学校組合を設立することで高等小学校(高等科)の教育を保障す
る努力のあったことがわかります。一般の村々にあっては、明治期全体を通して初等教育機関の創設・拡充に努力のなされていたことが読
み取れます。国家全体が「富国強兵」「殖産興業」に邁進している時代、まずは義務教育の普及が急務であり、それが一定実現すると、次
は義務教育修了者の教育が時代の要請となりました。年表では、その情況を反映していた学校教育制度の流れがわかります。この傾向は大
正年間にも継続しており、昭和初期の時期まで続いていたと見てよいでしょう。
 昭和16〜20年の時期には、「国民学校」への名称変更や「学童集団疎開」などが並び、太平洋戦時期の時代が映し出されています。注目
すべきは、この時期に旧藤井寺町に中等教育機関が初めて誕生していることです。私立の高等女学校と旧制中学校の2校が創設されていま
す。この頃までの大阪府内の中等教育機関は公私立ともに大阪市に集中しており、大阪市以外の府下ではブロック地区内に1〜2校の府立
の中学校
(旧制)や高等女学校が設置されていました。そのほか、少数の実業学校が設置されている地区もありました。そんな状況の中、当
時の藤井寺町に短期間のうちに2校の中等教育機関ができました。2校とも駅に近いという立地が大きく影響したと思われます。戦後に1
校は廃校となりましたが、もう1校は現在に引き継がれています。
 戦後の昭和
20年代〜30年代初めには、新教育制度が発足して新制中学校の設置や新築が進められています。また、幼児教育や保育の公
立施設として、初めて旧藤井寺町に幼稚園と保育所が創設されています。さらに、女子の高等教育機関への進学の高まりを受けて、女子短
期大学が開校しました。いずれも、戦後の新しい教育制度と社会の変化の中で登場してきた教育・保育の流れの現れと言ってよい
でしょう。
高度成長期からの相次ぐ新設−そして少子化の時代へ

 昭和
30年代中頃には、現在の藤井寺市域が初めて一つの自治体となり、藤井寺道明寺町(後美陵町)が誕生します。そして、その後に始ま
まる経済高度成長下における人口急増に対応して、教育
保育機関の相次ぐ新設の時代を迎えます。昭和30年代後半から小中学校の新設
の項目が並びますが、より多くの数で目を引くのが黄色のマーク、つまり幼稚園・保育所の項目です。特に昭和
40年代からの人口急増期
には、市立幼稚園
保育所の相次ぐ新設の様子が如実に表れています。さらには、児童数が減少してきた昭和50年代後半以降にも、保育所
の新規開設が続いています。それらはすべて私立保育園です。市立保育所の民営化も行われています。保育行政のあり方に転換のあったこ
とが読み取れます。ハコものとしての保育所の新設をやめて、認可保育所への補助金支出に変わってきたということでしょう。
 共働きの家庭がどんどん増えてくる中で、保育所の需要は高まるばかりです。それに応えて次々と開設されている流れは、まさに時代の
状況を反映しているものです。昭和40年代終わり頃から学童保育
(現放課後児童会)が各小学校に次々と開設されてきたのも、この流れと同
じ軌跡をたどるものです。
 学校に関する近年の様子としては、私学志向の広がりの中で、藤井寺市内にも私立の小学校・中学校が誕生したことでしょう。市立では
ない義務教育学校が登場したという、大きな変化であったと言ってもよいでしょう。
 さらに、ここ数年の傾向として、市立幼稚園への入園児が急速に減少してきたことがあります。保育所への入所を希望する家庭の急増に
反比例する変化ですが、根底には日本全体で進行する少子化もあります。進むこの状況に対応して、藤井寺市は市立幼稚園の再編に取り組
みました。2020(令和2)年3月末には、藤井寺西幼稚園・道明寺東幼稚園・藤井寺南幼稚園野中分園が閉園し、他の幼稚園区への統合
再編
が行われました。さらに翌2021年3月末には藤井寺北幼稚園が閉園し、藤井寺幼稚園に統合されました。これにより、かつて7園2分園あ
った市立幼稚園は、ついに4園体制
(1園は幼保連携型認定こども園へ移行)となってしまいました。
 行政による施策の変化だけではなく、社会や生活のあり方も変化する中で、教育・保育をめぐる様子はその時々の時代の状況を反映して
いることが、年表のような形に並べて見ることでわかりやすくなります。参考にしていただければと思います。
 
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