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学校」の誕生
 現在の藤井寺市域周辺で学校とみなされるものが最初に誕生したのは、学制発布前年、明治4(1871)年10月18日に古市郡古市村
(現
羽曳野市)
の西琳寺で開校した「雛学園」でした。同年4月に野中村(現藤井寺市野中)の庄屋によって学校開設の廻状が野中村と古市
郡内の
10ヶ村に出され、10月にはさらに5村を加えて堺県(現大阪府)庶務局に開校の届書が出されました。その後、さらに広範囲の
村々にも開校を知らせる廻状が回されました。古市郡のほか志紀郡・丹南郡、石川郡の一部と、広い範囲に渡っており、現在の羽曳野
市域・藤井寺市域のほぼ全域が含まれる範囲でした。
 現藤井寺市域では、野中村・道明寺村・古室村・船橋村・北條村・大井村・林村・沢田村・国府村・津堂村・小山村・岡村・藤井寺
村の
13ヶ村でした現羽曳野市域では古市村・誉田村・碓井村・軽墓村・駒ヶ谷村・飛鳥村・大黒村・壷井村・通法寺村・広瀬村
坂田村・西浦村・蔵之内村・野々上村・伊賀村・郡戸村・河原城村・埴生野新田村の
18ヶ村でした。
学制発布の時期
 明治5年、現藤井寺市域が属していた堺県では、学制発布以前に公立小学校として約
350校の郷学校」が開設されていました。最
初の公的な初等教育体制の始まりです。その後、明治5年に学制が公布されて、堺県でも同6年4月に中学区・小学区が編成されまし
た。そして、番号制の「小学」が次々と開設されていきました。
 旧河内国では、第一番小学から第七十三番小学までが設置され、藤井寺市域では、沢田村・極楽寺に第二十四番小学が、藤井寺村・
剛琳寺
(葛井寺)に第二十七番小学が開設されました。明治8年5月には番号制が廃止されて地名を用いることになり、沢田小学と小山
小学
(小山村に移転)に改称されました。
長く続いた2校体制
 その後、沢田小学 → 沢田小学校 → 沢田尋常小学校 → 道明寺尋常小学校 → 道明寺国民小学校 → 道明寺村(町)立小学校 → 道
明寺小学校、小山小学 → 小山小学校 → 小山尋常小学校 → 昭和尋常小学校 → 藤井寺尋常小学校 → 藤井寺国民学校 → 藤井寺町
立小学校 → 藤井寺小学校と、町村合併や学制改革を契機として目まぐるしく名称が変わってきました。しかし、藤井寺市域における
基本的な体制は、旧藤井寺町(村)と旧道明寺町(村)に1校ずつの小学校、というものでした。支校や分校が置かれたり、一時的に3校
となったりもしましたが、基本的には90年近くに渡ってこの2校体制が続いてきたのです。
相次いだ新設校開設
 昭和
35(1960)年に第3校となる藤井寺南小学校が開校しましたが、この時期は、日本全体が高度経済成長に向かって走り出した時で
もありました。大阪市郊外に次々と衛星都市が誕生し、人口のドーナツ化現象が始まっていました。前年の昭和
34年4月20日、旧藤井
寺町と旧道明寺町が合併して藤井寺道明寺町
(翌35年1月1日美陵町と改称)が誕生しています。現在の藤井寺市域が初めて一つの行政区
域となった瞬間でした。この直前の頃から、二つの住宅公団団地をはじめ、市営・府営の住宅地の建設が続き、さらには、近畿日本鉄
道などによる民間の住宅地開発も数ヶ所で進められました。子育て世代の流入により、町内の児童・生徒数は急激に増加を始めます。
町立中学校もより大きな施設を必要として移転新築され、小学校はついに3校目の設置が必要となりました。
 
90年近く続いてきた2小学校体制でしたが3校目ができてから7校に増えるまで、たいした時間はかかりませんでした。その後の
人口増加も激しく、昭和
42年の道明寺東小学校、45年の藤井寺西小学校、48年の道明寺南小学校、51年の藤井寺北小学校と、きれ
いに3年毎の新設校開設が続きました。藤井寺南小学校開設からわずか
16年で7小学校となったのです。
 日本全体の少子化の流れにより、藤井寺市でも昭和
55年度をピークに児童数は減少を続けており、現在では小規模になった小学校
統合について取り沙汰されるような状態です。あの新設校開設が続いた当時とは、隔世の感があります。

表で見る小学校の変遷
旧河内国内の所属郡 丹 北 郡 丹 南 郡 志 紀 郡 志 紀 郡
当初の校区対象の旧村   津堂村
 
丹北小山村
  岡村 藤井寺村
  野中村
志紀小山村       大井村  北條村  船橋村  国府村
    林村   沢田村  古室村  道明寺村
  @〜Gは同じ時期の下の地図番号    
@ 1872(明治 5)年         河内国丹南郡郷学校・丹北郡郷学校
  (7月29日藤井寺村・葛井寺 9月丹北小山村・妙楽寺) 
         河内国志紀郡郷学校出張所
    (8月15日 沢田村・極楽寺  8月16日 大井村・誓願寺)
           
A 1873(明治 6)年    6月 6日   河内第二十七番小学
        (藤井寺村・葛井寺)
   4月 2日      河内第二十四番小学
          
(沢田村・極楽寺) 
     
  1874(明治 7)年     11月 6日  河内第二十七番小学 同 支校
(野中)
   9月   河内第二十四番小学  同 支校
(大井)
     
B 1875(明治 8)年 5月      3月 丹北小山に移転
      小 山 小 学

野中支校
   沢 田 小 学 同 大井支校 
       
  1877(明治10)年 2月    小 山 小 学 
野中支校
   大井支校廃止     沢 田 小 学
          (明治12 現在地に移転)
         
  1880(明治13)年     5月 丹北郡小山小学校から改称
          志紀郡小山小学校 

野中支校
   1月  志紀郡沢田小学校  同 大井支校
(12年2月再設置)
                              
  1887(明治20)年 4月 1日    小山尋常小学校 小山高等小学校
野中支校
  沢田尋常小学校 沢田高等小学校
           
  1888(明治21)年     3月31日 小山高等小学校廃止 
     小山尋常小学校(丹北小山村)

野中支校
   4月14日 沢田高等小学校廃止 
                沢田尋常小学校(沢田村)  
                                       
C 1893(明治26)年 4月 1日  志紀郡小山村に移転
     小山尋常小学校(小山村)
   野中支校が独立
     野中尋常小学校(長野村)
沢田尋常小学校(道明寺村)
(明治29年4月 南河内郡管内に 小山小・野中小も)
         
  1908(明治41)年 4月 1日     野中尋常小学校と合併
   小山尋常小学校(藤井寺村・小山村)
同 
野中分教場
  沢田尋常小学校(道明寺村) 
       
  1915(大正 4)年11月10日     藤井寺村・小山村が合併 藤井寺村となる
    藤井寺村立 
小山尋常小学校
同 
野中分教場
  道明寺村立 沢田尋常小学校 
       
  1928(昭和 3)年10月15日     岡地区に移転  藤井寺村が藤井寺町となる
    藤井寺町立 昭和尋常小学校 
同 
野中分教場
  道明寺村立 沢田尋常小学校 
       
  1932(昭和 7)年 4月     高等科が併設された
       藤井寺町立 昭和尋常高等小学校
同 
野中分教場
  道明寺村立 沢田尋常小学校 
       
  1941(昭和16)年 4月 1日    藤井寺国民学校  同 
野中分教場
  道明寺国民学校 
       
D 1947(昭和22)年 4月 1日    藤井寺町立小学校  同 
野中分校
  道明寺村立小学校 
(昭和26年1月1日 道明寺町立小学校に改称)
         
  1959(昭和34)年 4月20日     藤井寺町・道明寺町が合併
    藤井寺道明寺町立 藤井寺小学校
同 
野中分校
  藤井寺道明寺町立 道明寺小学校 
       
  1960(昭和35)年 1月 1日     藤井寺道明寺町が美陵町となる
     美陵町立 藤井寺市小学校 
同 
野中分校
  美陵町立 道明寺小学校 
                
E 1960(昭和35)年 4月 1日    藤井寺小学校   藤井寺小学校より分離
    藤井寺南小学校
同 
野中分校
  道明寺小学校
           
1966(昭和41)年11月 1日     11月1日 市制施行
    藤井寺市立 藤井寺小学校
   昭和41年3月 分校廃止
    藤井寺市立 藤井寺南小学校
   藤井寺市立 道明寺小学校
                               
  1967(昭和42)年 4月 1日 藤井寺小学校 藤井寺南小学校 道明寺小学校 道明寺小学校より分離
道明寺東小学校
                                               
F 1970(昭和45)年 4月 1日 藤井寺小学校 藤井寺南小学校 藤井寺南小学校より分離
藤井寺西小学校
道明寺小学校 道明寺東小学校
                          
1973(昭和48)年 4月 1日 藤井寺
小学校
藤井寺南
小学校
藤井寺西
小学校
道明寺
小学校
道明寺・道明寺東より分離
道明寺南小学校
道明寺東
小学校
                           
G 1976(昭和51)年 4月 1日 藤井寺
小学校
藤井寺小学校より分離
藤井寺北
小学校
藤井寺南
小学校
藤井寺西
小学校
道明寺
小学校
道明寺南
小学校
道明寺東
小学校

 地図で見る小学校の変遷
  @ 明治5 (1872)年 郷学校と出張所が4ヵ所にできた   A 明治6 (1873)年 二つの小学が誕生した 
小学校変遷図1・明治5年 小学校変遷図2・明治6年
   明治5年8月2日、太政官布告によって「学制」が公布されたが、それと
前後して、藤井寺市域の村々には郷学校や出張所が開校した。7月に河内国
第廿一区丹南郡(25ヶ村)の郷学校が藤井寺村剛琳寺(現葛井寺)に開校した。
8月には、河内国第十八区志紀郡(9ヶ村)の郷学校が柏原村(現柏原市)に開
校し、直後に沢田村極楽寺と大井村誓願寺に出張所が開校した。さらに9月
には丹北郡小山村妙楽寺に郷学校が開校した。この時代、村々の中で大勢が
集まることのできる建物はお寺ぐらいしかなかった。そこで、最初の学校は
お寺で始まる例が多かった。江戸時代の寺子屋の流れでもあった。
   前年にできた郷学校は1年も経たずして廃止され、4月には志紀郡内の7
ヵ村により志紀郡沢田村の極楽寺で河内第二十四番小学が開校した。この時
期の学校名は地名ではなく番号だった。6月、丹南郡の9ヵ村により、丹南
郡藤井寺村の剛琳寺(葛井寺)で河内第二十七番小学が開校した。9ヵ村の内
3村は現羽曳野市域の野々上村・伊賀村・埴生野新田で、藤井寺村などと同
じ丹南郡であった。現在の藤井寺市域は、当時14の村があり、@の地図の
通り3つの別々の郡に属していた。第二十七番小学は3郡にまたがって校区
を構成していたことになる。これらは学制に基づく最初の小学校であった。
 
  B 明治8 (1875)年 前年に二つの支校ができた    C 明治26 (1873)年 尋常小学校が3校になった
  小学校変遷図3・明治8年   小学校変遷図4・明治26年
   明治7年9月、第二四番小学の支校が大井村志疑神社横に開校。10月、第
二七番小学の校舎が、丹南郡岡村光乗寺本堂と丹北郡小山村妙楽寺本堂に分
置され、11月6日には支校が野中村に開校した。明治8年3月、第二七番小
学が丹北小山村に新築移転、小山小学となった。第二四番小学も沢田小学と
なり、この時初めて地名の付いた学校名となり、大字(村)名が付けられた。
 明治10年2月、沢田小学大井支校は廃止され(同12年2月再設置)、大井

條の2村は沢田小学本校へ、船橋村は柏原村の学校への通学に変更された。
野中支校はこの後も存続し、一時期は独立した小学校にもなった。
   明治12年2月、沢田小学が現在地(道明寺小学校)に新築移転し、翌13年1
月に志紀郡沢田小学校と改称された。小山小学も丹北郡小山小学校となった
が、同年5月に志紀郡小山小学校と改称された。理由は古市郡役所の管轄と
するため。明治22年、丹北小山村は志紀小山村・津堂村と合併して小山村と
なり、志紀郡に移管された。明治20年、小学校に高等小学校が併設されたの
で、小学校がそれぞれ小山尋常小学校・沢田尋常小学校と改称された。
 明治26年4月、小山尋常小学校が志紀郡小山村に新築移転し、野中支校は
独立して野中尋常小学校となった。
  D 昭和22 (1947)年 戦後の学制改革で「小学校」となった   E 昭和35 (1960)年 藤井寺南小学校が開校した 
  小学校変遷図5・昭和22年    小学校変遷図6・昭和35年
   明治29年4月、沢田尋常小学校が道明寺尋常小学校に改称された。明治41
年4月には小山尋常小学校と野中尋常小学校が合併して、小山尋常小学校本
校と同校野中分教場となった。昭和3年10月15日、藤井寺村は町制に移行し
た。この日、小山尋常小学校が岡地区(現藤井寺小学校所在地)に移転し、藤
井寺町立昭和尋常小学校と改称されたが、11年4月には藤井寺尋常高等小学
校と改称された。昭和16年4月、学制改革により、小学校が藤井寺国民学校
・道明寺国民学校に改称された。戦後の学制改革により、藤井寺町立小学校
・道明寺村立小学校に改称された。
   昭和26年1月1日、道明寺村が町制を施行し、道明寺村立小学校が道明寺
町立小学校と改称された。昭和34年4月に藤井寺町と道明寺町が合併し、翌
35年1月1日に美陵町となった。同年4月1日、藤井寺小学校から分離して
藤井寺南小学校が開校した。旧藤井寺小学校区の近鉄南大阪線以南を校区と
し、本校は旧町立中学校(現藤井寺西小学校の場所)の施設を使用した。藤井
寺小学校野中分教場は藤井寺南小学校野中分校となった。藤井寺小学校内に
も一部学年が通学しており、当初は3ヵ所に分散しての開校だった。校舎建
設が完了して全学年が現在地で揃うのは6年後のことであった。
  F 昭和45 (1970)年 藤井寺西小学校が開校した   G 昭和51 (1976)年 藤井寺北小学校ができ7小学校となった 
  小学校変遷図7・昭和45年    小学校変遷図8・昭和51年
   昭和39年10月に藤井寺南小学校の新校舎(現在地)使用が開始され、全学年
が現在地の新校舎に移転完了したのは、昭和41年3月であった。
 昭和41年11月1日、美陵町が市制に移行して藤井寺市が誕生した。翌42年
4月1日には、道明寺小学校から分離して、道明寺東小学校が開校した。国
道旧170号以東を校区とした。これで、旧藤井寺町地域・旧道明寺町地域とも
2校ずつの小学校が存在する体制となった。市となった藤井寺は、急激な人
口増によるベッドタウン化が始まっていた。
 3年後の昭和45年4月1日には、藤井寺南小学校から分離して、5校目の
藤井寺西小学校が開校した。元藤井寺南小学校本校だった場所に新校舎が建
てられた。校区は住宅集中地域で、最も範囲の狭い校区となった。
 
   昭和48年4月1日、道明寺南小学校が開校した。道明寺小学校と道明寺東
小学校の校区をそれぞれ分割して合わせ、新しい校区が誕生した。当初の計
画では近鉄南大阪線で南北に区切る予定だったが、地元地域との協議がこじ
れた結果、同じ丁目区域の中で校区境界ができるという、変則的なものとな
った。
 昭和51年4月1日、藤井寺小学校から分離して藤井寺北小学校が7校目の
小学校として開校した。ここでも同一丁目内での校区境界ができたが、これ
は、通学経路などを考慮した計画によって、それぞれ道路で区切られた。
 明治以来、2校体制が長く続き、3校目の藤井寺南小学校ができるまでに
90年近く経っている。そこから7校になるまではわずか16年であった。 

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