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◆ 藤井寺市立にぎわい・まなび交流館
(愛称:アイセルシュラホール)
  (にぎわい・まなびこうりゅうかん)  〒583-0024 藤井寺市藤井寺3-1-20
  《藤井寺市立観光・歴史文化交流センター》所管:市民生活部産業創造室観光課 TEL:072-952-7801 FAX:072-952-7806
  〈世界遺産ガイダンス・歴史展示コーナー・ふじいでら再発見コーナー〉  「藤井寺市立にぎわい・まなび交流館」
                  所管:教育委員会事務局教育部文化財保護課 TEL:072-939-1419 FAX:072-952-7806
  《藤井寺市立生涯学習センター・藤井寺市立公民館》
                  所管:教育委員会事務局教育部生涯学習課  TEL:072-952-7800 FAX:072-952-7806
  近畿日本鉄道南大阪線・藤井寺駅南口より南へ約
700m徒歩約10
  府道186号・藤ヶ丘バス停北側交差点を西へ約
400m → 北へ約180
   府道31号・野中配水場Ⅰ南側交差点を北へ約400m → 西へ約140m → 北へ約
190m  駐車場(17台)西側入口より
   敷地面積:
5,413.0㎡  延床面積:4,554.19(本館ほか3施設)
  全施設開設:1994(平成6)年7月 《 藤井寺市立生涯学習センター 愛称:アイセルシュラホール 》
  名称変更 :2025(令和7)年4月 《 藤井寺市立にぎわい・まなび交流館 愛称:アイセルシュラホール 》
① にぎわい・まなび交流館東側(南東より) ② にぎわい・まなび交流館全景(北より)
① にぎわい・まなび交流館東側(南東より)
    まるで陸上にそびえる大型船のようである。
   北・東側はため池の新池がクランクのような
   形で残っている。     2019(令和元)年5月
② にぎわい・まなび交流館全景(北より)
   手前の池は「新池」。センターの敷地も元は新池
  の一部あった。建物全体は北側からの方がよく見え
  る。右側に正面入口がある。  2019(令和元)年5月
「アイセルシュラホール-藤井寺市の桜名所」
奇抜なデザインの建物
 市の施設としての正式名称は「藤井寺市立にぎわい・まなび交流館」で、「アイセ
ルシュラホール
」という愛称が付けられています。市民の間では「シュラホールで通
っています。以前の施設正式名称は「藤井寺市立生涯学習センター」でした。
 写真でわかるように、とにかく奇抜なデザインの建物です。知らないで近くに来て
この建物を目にした人の多くは「何? この建物は
。」と、その異様な姿に驚きます。
まるで陸上にそびえ立つ大型船のような形です。そうです、この建物のデザインは、
半分以上は船を表しているのです。デザインにも、愛称の「シュラホール」にも、藤
井寺市ならではの要素が詰め込まれています。地上4階・地下1階の建物の外観は、
市内から出土した古代の木ぞり「修羅
(しゅら)」と、古代船の埴輪の形を組み合わせた姿を
モチーフとしています。          「修羅-古代の木ぞり」
 愛称の「シュラホール」も、修羅にちなんでいますが、「アイセル」について市のサ
イトでは、
AICEL」の各文字が表す意味として次の単語を掲げててます。
  ③ にぎわい・まなび交流館と新池(南東より)
   ③ にぎわい・まなび交流館と新池(南東より)
   ②の向きで上空から見たシュラホール全景と新池。
  南側は藤井寺南小学校、東側は藤井寺南幼稚園。
   〔GoogleEarth 3D画像 2023(令和5)年5月10日
〕より 
  A:Activity(活動) I:Information(情報) C:Consultation(相談) E:Exchange(交流) L:Learning(学習)
 写真①は、古代船の前方部に模した特徴あるデザインですが、初めて見る人には驚
かれ、不思議がられます。遠くから見ると、まるで船が街の上に浮かんでいるように
さえ見えます。写真②は、北側から見た全景です。手前が池なので視界を邪魔するも
のが無く、全体の様子がよくわかります。右側の船尾に当たる部分の1階に交流館の
正面入口があります。屋上部で突き出ている2本の部分は、「修羅」の後方部の形を
モチーフとしています。
 写真③は、南東側の上空から見た様子です。交流館の東側と北側には新池というた
め池が接しています。真上から見るとクランク状の形をした、変わった形の池です。
交流館や新池の南側には、道路をはさんで藤井寺南小学校があります。また、新池の
東隣りには藤井寺南幼稚園があります。藤井寺南小学校の場所も昔はため池でした。
三つのため池があったことから、総称して「三ツ池
(みついけ)」と呼ばれていました。
 写真④は、ずっと離れた南の羽曳野丘陵にある高層建物から撮影したものですが、
まさに街に“浮かぶ古代船”です。望遠レンズ効果のために、後方のビル群がすぐ後
ろに在るように見えますが、実際はかなり離れています。
④にぎわい・まなび交流館遠景(南南西より)
 ④にぎわい・まなび交流館遠景(南南西より)
    左手後方の茶色いマンションとセンターの間には
   近鉄南大阪線が通っている。最上部の高層建物群は
   八尾・柏原の市域である。  2019(令和元)年5月
 周囲の住宅街の景観にはなじみにくいその独特のデザインから、完成直後にはかなり不評も聞かれましたが、年を経るにつれて市民も慣
れてしまったようで、今はさして不評も聞かれません。むしろ、地域のランドマークとして語られることも多く、道案内の時に利用されや
すい目印でもあります。若い世代の市民にとっては、生まれた時には存在していた施設であり、違和感なく受け入れられているようです。
敷地はため池の一部

 シュラホールは、1994(平成6)年7月24日にオープンしました。それまで「社会教育」と呼ばれていた分野が、より幅広い「生涯学習」と
いう概念に置き換えられ、それに合わせた生涯学習施設が各地に造られていきました。藤井寺市でも同様な施設の新設が求められ、藤井寺
駅に比較的近いこの場所が選ばれました。元は「新池」というため池で、その半分近くを埋め立てて建設されました。同時に、残った池の
部分は降雨時の調整池として活用するために、護岸整備と水深を深くする工事が行われました。
 新池のように、ため池を埋め立てて公共施設用地に利用したという例は、藤井寺市内の各地で見られます。三ツ池の場合も、新池の南側
にあった米口池
(こめぐちいけ)は丸ごと藤井寺南小学校になり、その西側の升池(ますいけ)は住宅地となりました。もともと市域面積の小さい藤井寺
市では、高度経済成長下の急速な市街化によって新たな公共施設用地の確保が難しくなってきました。そんな中、農地が次々と住宅地や商
業地に変わったことで農業用水の需要も減り、一部のため池の転用が可能となってきました。昔から地区の共有であったため池は、公有地
として転用しやすいこともあり、学校・幼稚園・保育所・公園・野球場・公営住宅・市営駐車場・消防本部・駅前ロータリーなどの公共施
設用地に利用されてきました。民間の商業用地や住宅地に転用されたため池もあります。    「新池-藤井寺市の川と池」
複合機能を持つ施設-2025年4月リニューアル
 一方、独立した歴史資料館のような施設を持たない藤井寺市は、代替機能としてこの施設の中に歴史資料の展示室やコーナーも設けまし
た。いろいろな工夫を凝らして、子供から老人までが利用できる幅広い生涯学習活動に利用できる施設として設計されました。また、生涯
学習担当部署には、公民館活動を運営する藤井寺市立公民館の機能も併設されていました。
 開設から
30年を経た2024(令和6)年度、生涯学習センターの機能構成を再編し施設の一部を改変するリニーアル整備が行われました。そ
うして
2025(令和7)年4月から「藤井寺市立にぎわい・まなび交流館」としてリニューアルオープンしました。
 2019(令和元)年に「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録が決定しましたが、その構成資産の古墳を多くかかえる藤井寺市では、そ
れらの世界遺産をまとまって案内する施設が無く、観光案内施設の必要性が挙げられていました。今回のリニューアルでは、世界遺産をは
じめとする観光案内の機能が新設されました。従来の生涯学習の機能と併存する形の新しい施設となったのです。施設名称にある「にぎわ
い・まなび」は「観光と生涯学習」を象徴するものであり、
観光と生涯学習」に共通するキーワードが「交流」ということなのでしょう。
 リニューアルによって併存する機能が増え、この施設の機能構成や行政組織との関係など、いささか複雑なものになっています。文だけ
ではわかりにくいので、表形式にしてみました。
  施 設 総 体  藤井寺市立にぎわい・まなび交流館 (アイセルシュラホール) 藤井寺市立にぎわいまなび交流
館条例(藤井寺市条例第28号)
 
館 内 施 設 配 置 内    容 所 管 部 署 関 係 条 例 
藤井寺市立
生涯学習センター
藤井寺市立公民館
4 階 屋内多目的広場 教育委員会事務局
教育部 生涯学習課
藤井寺市立生涯学習センター
条例(平成6年藤井寺市条例第5号)
藤井寺市立公民館条例
(昭和59年藤井寺市条例第4号)
3 階 視聴覚室、クラフト室、アトリエ、音楽教室、
研修室 等
 
藤井寺市立
観光・歴史文化
交流センター
2 階 歴史展示コーナー・ふじいでら再発見コーナー、
世界遺産百舌鳥・古市古墳群ガイダンス、
テラス、休憩エリア
教育委員会事務局
教育部 文化財保護課
藤井寺市立観光・歴史文化交流
センター条例
(令和6年藤井寺市条例第29号)
1 階 ウエルカムロビー・ラウンジ、図書コーナー、
カフェ・マルシェ、ワークショップルーム、
休憩エリア、ピロティ 等
 
市民生活部
産業創造室 観光課
 
 一つのハコ物施設としては、全体が「にぎわい・まなび交流館(アイセルシュラホール)」です。市の条例では、「藤井寺市立にぎわい・
まなび交流館条例」でその内容が示されており、「藤井寺市立観光・歴史文化交流センター」「藤井寺市立生涯学習センター」「藤井寺市
立公民館」の三つの施設の併存する構成が規定されています。それぞれ、「藤井寺市立観光・歴史文化交流センター条例」「藤井寺市立生
涯学習センター条例」「藤井寺市立公民館条例」によって、その内容が個別に規定されています。 以前の「生涯学習センター」に「公民
館」が併存する形態だったところに、新たに「観光・歴史文化交流センター」が加えられたと言えるでしょう。それに伴って内部の配置や
設備のリニューアルが行われています。

〓〓〓   観光・歴史文化交流センター   〓〓〓
1階-観光案内・交流の施設
 1階には市役所部署の観光課が入居しており、この施設の運営を担当しています。観光案内のウエルカムラウンジやウエルカムロビーのほ
か、カフェ・マルシェ、ワークショップルーム、ギャラリー(展示エリア)、レストスペース(休憩エリア)があります。以前からあったライブ
ラリー(図書エリア)も1階に設置されています。また、正面入り口である玄関とエレベーターホールの間はピロティになっています。
2階-展示コーナー・ガイダンス
 2階は条例で定める施設の内、歴史展示コーナーと世界遺産百舌鳥・古市古墳群ガイダンスになっており、市教育委員会の文化財保護課が
入居しています。歴史展示コーナーの出土遺物や遺跡の展示は従来もありましたが、リニューアルを機に新設されたのが「世界遺産ガイダン
ス」と「ふじいでら再発見コーナー」です。また、2階にもレストスペース(休憩エリア)が設けられています。ガイダンスの南側には出入口
があり、外はガーデンテラスになっています。
《 2階の各施設配置図 》  
 2階の各施設配置図
歴史展示コーナー
 歴史展示コーナーの通路式展示エリアでは、市内の遺跡から見つかった遺物の実物やレプリカが展示されており、旧石器時代から奈良時代
までの古代の簡単な変遷を学ぶことができます。古墳時代についての歴史展示室もあり、大型の円筒埴輪・形象埴輪や古墳遺跡からそのまま
掘り取ってきた鉄器類の埋納施設の実物など、なかなかの見ごたえのある展示です。中でも、津堂城山古墳の周濠跡から出土した大型の水鳥
形埴輪は、他にほとんど出土例の無い貴重なもので、国の重要文化財に指定されています。また、浄元寺山古墳の南側で発掘調査によって発
見された埋没古墳の「西墓山古墳」からは大量の鉄器が出土しましたが、さび付いたかたまりになっているため個別に取り出して保存するこ
とは困難で、まるごと掘り出してこの展示室に移設・保存されました。 藤井寺市サイト「城山古墳物語」  同「西墓山古墳のこと」

ナゾの遣唐留学生-井真成
 2階では歴史展示コーナーに付随するものとして、「ようこそ おかえり 故郷へ 井真成墓誌特別展」を見ることができます。井真成
(いのま
なり・いしんせい)
とは、奈良時代に遣唐使と共に唐に渡り36歳の若さで現地で亡くなった日本人留学生です。2004(平成16)年中国陝西省西安市内の
工事現場から日本人遣唐留学生の墓誌が発見されたと西北大学が発表しました。井真成について、日本国内でも様々な分析や推定が展開され
ましたが、「井」という姓から、日本での元の姓は現在の藤井寺市域や周辺一帯を根拠としていた井上氏か葛井氏ではないか、という説が有
力視されました。            藤井寺市サイト「遣唐留学生『井真成』について」    同「これまでの経過」
 藤井寺市では、専門家による井真成についての公開シンポジウムが開催されたり、「まなりくん」というキャラクターが造られたりしまし
た。2005(平成17)年には『遣唐留学生「井真成」墓誌里帰り実行委員会』が結成され、井真成墓誌里帰り展の実現を目指しました。中国側の
協力が得られて12月にはシュラホールにて「井真成墓誌特別展」が開催されました。藤井寺市側の熱量に応えるように、中国側から井真成墓
誌のレプリカが贈
られ、それが歴史展示コーナーの一角で常設展示されるようになりました。 藤井寺市サイト「井真成」(レプリカ写真)
 井真成の藤井寺周辺出身説は、もともとは、著名な古代史専門家が井上氏や葛井氏の可能性を挙げたもので、それに地元が飛びついたとい
う感じがあります。残念ながら、学説としての定説らしきものを成立させるだけの材料は未だ揃っていません。そもそも、井真成という人物
に関する史料が中国で出土した墓誌のほかには無く、日本国内では井真成を記述した史料が見られません。つまり、墓誌の記録内容に符合す
る人物について書かれたものが見当たらないのです。朝廷の高位職を務めた人ではなく、記録にその名が残ることは無かったのかも知れませ
ん。藤井寺周辺出身説も、その可能性を示した推測の域を出るものではないのが実情です。
 一方で、一留学生であった井真成の埋葬に当たって立派な墓誌が製作され副葬されていた事実を知ると、その背景や経過には大きな興味を
掻き立てられます。どんな人物だったのか、唐でどんな仕事を務めたのか、一つの墓誌に秘められた歴史のロマンを感じざるを得ません。
⑤ 歴史展示コーナー(弥生時代の展示部分) ⑥ 古墳時代についての展示室
⑤ 歴史展示コーナー(弥生時代の展示部分)
   旧石器時代から順に展示が見られるようになっている。
                  2012(平成24)年2月
⑥ 古墳時代についての歴史展示室
  ケース内の展示は、西墓山古墳の鉄器埋納施設をそのまま
 移設したもの。           2021(令和3)年3月
⑦ 水鳥形埴輪(重要文化財)と蓋形埴輪(後方左) ⑧ 西墓山古墳で発掘された巨大な鉄器埋納施設
⑦ 水鳥形埴輪(重要文化財)と蓋(きぬがさ)形埴輪(後方左)
       これら2種類の埴輪は津堂城山古墳から出土した。
                  2020(令和2)年10月
⑧ 西墓山古墳で発掘された巨大な鉄器埋納施設  
   発掘された状態でそのまま地中から掘り取り、展示室に
  移設して再現された。      2020(令和2)年10月
ふじいでら再発見コーナー
 リニューアルされた歴史展示コーナーの一角
には、新たに「ふじいでら再発見コーナー」が
設けられました。主に近代以降の藤井寺市域の
移り変わりが写真や地図などのパネル展示で紹
介されています。高齢の市民にとっては懐かし
い様子を見る写真であり、若い世代の市民には
「へえー、こんなだったんだ!」と驚かれる珍
しい写真でもあります。
 近畿日本鉄道の協力もあり、かつて近鉄南大
阪線や道明寺線を走っていた懐かしい電車車両
の写真も多く展示されています。また、昭和初
 
  ⑨ 「ふじいでら再発見コーナー」   ⑩ バファローズコーナー
⑨ 「ふじいでら再発見コーナー」
     手前側の壁面にも展示が続いている。
               2025(令和7)年5月
  ⑩ バファローズコーナー
   藤井寺球場や近鉄球団に関する品々が
  展示されている。 2025(令和7)年5月
期に藤井寺駅南側で大阪鉄道(近鉄の前々身)が開発・開設した「藤井寺経営地」や、その中にあった「藤井寺教材園」についても紹介され
ています。経営地の中に造られたのが「藤井寺球場」でした。     「藤井寺経営地と教材園」
      「近鉄藤井寺球場」
近鉄バファローズコーナー
 「ふじいでら再発見コーナー」に続く隣室には、かつて藤井寺球場を根拠地としたプロ野球球団・近鉄バファローズや藤井寺球場に関す
る資料や記念品などが展示されています。かつての近鉄ファンにとっては懐かしさいっぱいの品々です。この中には、かつて近鉄バファロ
ーズで主軸バッターとして活躍した栗橋茂氏が所蔵していた記念の品々も展示されています。    「近鉄バファローズ」
 近鉄バファローズは根拠地を新設の大阪ドームに移してから「大阪近鉄バファローズ」とチーム名を変えました。数年後には藤井寺球場
も姿を消しましたが、藤井寺時代にバファローズを応援していたオールドファンにとっては、今でも「近鉄バファローズ」です。
世界遺産百舌鳥・古市古墳群ガイダンス
 施設のリニューアルで誕生した名称「観光・歴史文化交流」の柱の一つが観光です。世界文化遺
産となった「百舌鳥・古市古墳群」を紹介・案内する機能を具体化したものとして、新たに「世界
遺産百舌鳥・古市古墳群ガイダンス」が観光・歴史文化交流センター内2階に設けられました。
 まず目に飛び込んでくるのが大きな前方後円墳の模型です。藤井寺市内には4基の大型前方後円
墳がありますが、それらの古墳の築造時の姿を典型例として再現したものです。後方の壁面には、
古市古墳群の大小様々な古墳の分布の様子がイラストで示されており、「群」としての古墳の存在
の様子がよくわかります。修羅や埴輪、石棺などの出土物も描かれています。別の壁面には「古墳
まめちしき」という説明パネルがあり、古墳についての基本的な事柄が説明されています。説明が
難しい印象にならないよう、イラストを多用してうまく、また楽しく展開されています。
 別の展示ケースでは、中世に城郭として利用された古墳の例として、「小山城」だった「津堂城
山古墳」と「藤井寺城」だった「岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)」の模型が展示されています。古
墳が“小さな山”としてその地形が利用された歴史の例ですが、地域内が戦場になった古市古墳群
⑪ 世界遺産百舌鳥・古市古墳群ガイダンスの展示
⑪ 「世界遺産百舌鳥・古市古墳群
  ガイダンス」の展示

          2025(令和7)年5月
ならではの珍しい展示だと思います。もう一つの珍しい展示もあります。古墳の墳丘が築造時の姿からどのようにして現在のような樹林の
姿に変化してきたのかを、4種の模型と壁面パネルで示してくれています。墳丘の樹林の変化については、当サイト
「Web風土記ふじいで
ら」の「古市古墳群」でも以前から取り上げてきましたが、新旧の写真を見ると、この5,60年の間でも樹相がはっきりと変わっている
ことがわかります。                       「津堂城山古墳」      「岡ミサンザイ古墳」
 限られたスペースでの展示なので、取り上げるテーマには限りがありますが、個人的な感想としては、もう少し取り上げてほしい古墳の
様子があると思いました。古墳の珍しい保存の姿として、「赤面山古墳」や「蕃所山古墳」なども写真ででも展示があればよかったと思い
ました。赤面山古墳はたいへん小さな古墳ですが、その保存・保護の様子が特別で、古墳ファンの間ではかなり有名な存在になってきてい
ます。大型の陵墓古墳の存在感とは違う、ユニークな小古墳の姿があることも来訪者には知ってほしいと思うのです。また、藤井寺市内に
は、墳丘に自由に出入りできる津堂城山古墳・古室山古墳・野中宮山古墳など大型・中型前方後円墳がありますが、そのことも写真などで
もっとアピールしても良いのでは、と思いました。“観光”の側面を意図したガイダンスであるならば、来訪者に「行ってみたい。見てみ
たい。」と思ってもらえるような展示を工夫する余地がまだあるように思います。見終わった来訪者が「すぐ行ってみたい。」と、シュラ
ホールからレンタサイクルで古墳に向けて出発していく、などということになれば‥‥と空想してみたりする私がいました。

〓〓〓   生涯学習センター・公民館   〓〓〓
3・4階-各種活動室・研修室
 藤井寺市サイトの「藤井寺市立生涯学習センター」ページではこの施設について
、『藤井寺市立生涯学習センターは世代を問わず学び
集い、遊び、交流しあえる、個性豊かな生涯学習活動を支援する施設で、アイセルシュラホールの3・4Fに位置します。
』とあります
 この施設の運営を担う行政部署として、市役所の生涯学習課が3階に入居しています。ここには「藤井寺市立公民館」も併存しています
が、「公民館」という施設や部屋が存在しているわけではありません。存在しているのは「公民館活動」の機能で、その運営も生涯学習セ
ンターが担っています。
 生涯学習センターの事業で大きな柱となっているのは貸室事業で、生涯学習に取り組む自主的活動グループや団体に活動の場所を提供す
るものです。貸室を利用するには、事前にグループ登録が必要となっています。これは、施設の目的が生涯学習での利用であり、自主的活
動グループの継続的な活動を前提としているからです。この点が、単なるイベント用の貸しホールとは異なる位置付けです。貸室料金は活
動室の種類や時間帯によって定められています。また、市民等の利用とそれ以外の利用とでは料金が異なります。「市民等」とは、「グル
ープ構成員の半数以上が市内に在住・在学または在勤するものを指します。」となっています。これは、この施設が「市民の生涯学習活動
を支援する施設」であるという設立趣旨を示しているものです。市サイトの生涯学習ページによれば、2025(令和7)年5月時点では、
18
分の活動に
36グループが登録されています。体操系やグランドゴルフ、美術系、音楽系などの活動が多いようです。
 3階にある各種の貸室は、視聴覚室・クラフト室・アトリエ・音楽教室・研修室で、生涯学習ページでは次のように紹介されています。
   視聴覚室‥‥‥定員120名 多目的利用に対応できるよう、電動昇降ステージ、映像、音響設備があります。
   
クラフト室‥‥定員 25名 生花、クラフトなどの活動に利用できます。
   
アトリエ‥‥‥定員 21名 絵画、習字などの活動に利用できます。
   
音楽教室‥‥‥定員 21名 様々な学習活動のほか、ピアノなどの設備があり、小グループのコーラス練習などができます。
   
研修室‥‥‥‥定員 46名 語学などの学習活動に利用できます。
 4階には屋内多目的広場があります。市サイトでは次のように紹介されています。
   
屋内多目的広場‥‥‥‥‥ グラウンドゴルフやヨガなどの軽スポーツを行えます。
                 一面に人工芝を張りつめ、雨天のときも利用できるよう電動開閉式ドームになっています。
公民館活動
 既述の通り、生涯学習センターに併存する「公民館」は、特に専用の施設や部屋があるわけではなく、生涯学習センターとして「公民館
活動」を提供する、という構造です。
 生涯学習ページには、講座・イベントの参加について、『
生涯学習センターでは、公民館教室や各種講座を通じて、社会情勢や各世代の
ニーズに合った多様な学習機会を企画実施し、様々な世代が集い、学び合うことで、仲間づくり・生きがいづくりができる機会を提供して
おります。
』とあります。

移築された古墳石室
 2019(平成31)年3月、シュラホール敷地内の前庭に、小古墳の中に築造されていた石
室が展示のために移築されました。その古墳は「藤の森古墳」と言いますが、現在は消
滅していて存在しません。いわゆる消滅古墳の一つです。
 藤の森古墳は直径22mの円墳で、誉田御廟山古墳
(応神天皇陵)北西部の西側にありま
したが、大阪府営水道
(当時)の「美陵ポンプ場」建設のために、1965(昭和40)年に発掘
調査の上解体されました
同時に解体された「蕃上山(ばんじょうやま)古墳」とともに府営水道
が調査報告書を作成しています。両古墳の出土遺物の一部は、「大阪府立近つ飛鳥博物
館」で常設展示されています。
 藤の森古墳の石室は古墳の場所からは撤去されましたが、ポンプ場の敷地内で移築・
保存されました。しかし、一般市民が出入りすることのできない施設であるため、自由
に見学できる対象ではありませんでした。一般公開を求める声が以前からあり、平成30
⑫ 移築された藤の森古墳の石室
 ⑫ 移築された藤の森古墳の石室
             2019(令和元)年5月
年度の朝日新聞文化財団助成金などを活用した移築事業が行われて、シュラホールの敷地内にそっくり移築されました。
 移築されたことで、藤の森古墳の石室はいつでも自由に見学できる存在となりました。移築後の2019年7月には「百舌鳥・古市古墳群」
の世界文化遺産への登録が決定しました。現在のところ古市古墳群の中では数少ない、見学できる石室である藤の森古墳の石室です。
    「古市古墳群の分布と一覧」
      「大阪広域水道企業団藤井寺ポンプ場・同美陵ポンプ場-藤井寺市の施設案内」

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