日日雑記 April 2002

09 三島由紀夫の『幸福号出帆』
11 三島由紀夫のエンタテインメントを追いかけろ
14 更新メモ(リンク)、星川清司さんの仕事、小村雪岱について
16 間然するところのない一冊:星川清司の『小村雪岱』
18 福原麟太郎の『春のてまり』、観世能楽堂で『杜若』を観た
22 三月書房の小型本、歌舞伎座夜の部見物のこと/
23 映画と小説、ルビッチと久生十蘭
30 横浜晩春散歩のこと、神奈川近代文学館のおみやげ/

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4月9日火曜日/三島由紀夫の『幸福号出帆』

三島由紀夫の『幸福号出帆』(ちくま文庫)を一気に読んだ。
ああ、面白かった! ちくま文庫の三島由紀夫はなかなか素敵なラインナップ。

『幸福号出帆』にも箱根の富士屋ホテルが登場していたのを思い出し、
本棚の奥から、三島由紀夫の『裸体と衣裳』(新潮文庫)を取り出した。
『鏡子の家』執筆当時で結婚前後の頃の昭和33年の日記で、
新婚旅行で富士屋ホテルを訪れ、そのあと京都で歌右衛門の八重垣姫を観ている。

『裸体と衣裳』をめくってみると、

《毎日、書下し長篇「鏡子の家」を書き出そうと思いながら、
なかなか怖くて書き出せない。千枚となると脳裡の模索は何にもならぬ。
月島のさきの晴海町あたりの景色をプロローグに使いたいので、
タクシーに乗って行ってみる。丁度午後三時、勝鬨橋の上る時刻である。
これは使える、という直感があって、車を下りて、橋の上るさまをメモをとる。
いよいよ晴海町へ行くと、数年前「幸福号出帆」(完全に失敗した新聞小説であるが、
自分ではどうしても悪い作品とは思えない)を書くために
ここへメモをとりに来た時と比べて、完全に一変した景色に一驚を喫する。
あんまりメモをとる感興が起らない。
さらに晴海埠頭の対岸の東雲の突端まで行く。
海に向って数人の男が相談している。
密輸の相談にしては、声は高く、海はうららかで、それらしくない。……》

さっそくこんな一節が出てきて、まあ、『幸福号出帆』、失敗しただなんて!
むちゃくちゃ面白いのに! と、ちょっとだけ興奮してしまった。



このところ、『お嬢さん』『夜会服』『永すぎた春』と立続けに読んで、
三島由紀夫のエンターテインメントは、素敵でおしゃれでかわいくて
品性とおかしみにあふれていて、隅々までソフィストケートされている、
それにしても三島のエンターテインメントってばッ、と浮き浮きしっぱなしだった。

そんなこんなで、三島のエンターテインメントを追いかけようと、
『永すぎた春』の次に読んだのが、ちくま文庫の『幸福号出帆』。

『幸福号出帆』を買ったのは、ある日の神保町、東京堂にて。
二階の売場で、鹿島茂著『解説屋稼業』(晶文社)を立ち読みした日のこと。
好きな書評の書き手を選ぶとすればまっさきに鹿島茂が思い浮かぶくらい、
日頃から鹿島茂の書評を愛読していて、書評をたのしむだけでなく、
実際にその本を読んでしまいたくなるのが鹿島茂の書評のよいところ、
……なので、発売を心待ちにしていたはずの『解説屋稼業』だったのだが、
なんやかんやで買い損ねていて、その日も所持金不足で購入は断念、
その代わりといってはナンなのだけど、『解説屋稼業』の目次で、
三島由紀夫著『幸福号出帆』(ちくま文庫)の文字を見た瞬間、
鹿島茂の解説付きで三島の未読本を! と、急に思いたって、
その日の立ち読みをさっと切り上げて一階へ行って、ちくま文庫を買った。

思いがけなく三島の風俗小説を立続けに読んだことで、
突如『幸福号出帆』のことを思い出したわけで、
読書のタイミングとしては、言うことなし、という感じだった。

本文を読んだあとにあらためて読んでみると、
鹿島茂の解説は、しみじみ素晴らしい。
バルザック、スタンダール、フロベール、プルーストといった
フランス小説をさかんに研究していた時期に書かれたせいで、
(事実、『裸体と衣裳』でもさかんに文学論議が登場して面白い)
三島は『幸福号出帆』の随所にフランス小説の技法を施している、とのこと。
『幸福号出帆』の余韻にひたりつつ、かつて読んだフランス小説のことを
いろいろ頭に思い浮かべてはまた『幸福号出帆』の細部をいろいろ思い出し、
ということを繰り返して、しばし心を躍らせる解説再読の時間となった。

心が躍るといえば、鹿島茂は、『幸福号出帆』と『鏡子の家』との関係を
プルーストの『楽しみと日々』と『失われたときを求めて』との関係になぞって、

《『楽しみと日々』がプルーストの愛読者にとって
捨てるには惜しい小傑作であるのとおなじように、
『幸福号出帆』は三島ファンにとって
見逃すことのできない佳品であることは確かだ。
……『幸福号出帆』は気軽に読めて、
しかもおもしろい。これは新しい発見である。》

というふうに、文庫解説を結んでいる。まあ! 『楽しみと日々』!

というわけで、ちくま文庫の『幸福号出帆』は、
本文・解説両方ともすばらしい、なんとも見事な一冊である。

『幸福号出帆』は、月島に住む仲むつまじい兄妹がまず登場して、
兄はイタリア人のハーフ、妹はオペラ歌手志望の銀座のデパートガール、
かつてオペラ歌手だったその母は松濤の昔の仲間の家に家族そろって移住、
その家は女主人とともに一風変わった下宿人たちがいて
(彼らは全てオペラ歌手、各パート一通り揃っていて笑える)、
鹿島茂の指摘だと、その原型は『ゴリオ爺さん』の下宿屋ヴォケール館に見出せる、とのこと、
兄はもともと密輸の手先だったのが、妹も仲間に加わって、
……というふうに展開していくストーリー、新聞小説ならではのスピーディーな展開。

その進行はいつのまにか、オペラそのもの、もしくはオペラとシンクロ、
現実とオペラが絶妙に交錯していて、その舞台装置としての隅田川河口などの東京風景、
それになんといっても、登場する人物が皆、それぞれ違った魅力を持っていて、
『カルメン』のジプシーたちのダンスしている音楽を頭に思い浮かべつつ
『幸福号出帆』のページは、ズンズンと先に進んだ。ラストもナイス。

『幸福号出帆』が面白かったのは、登場する人物や配置が、多分に芝居がかっていること。
どこまでも人工的な小説世界、そこを描写する三島の文章が冴えまくり。

《三津子は、夢に夢見る心地だった。房子のこんな子供じみた提案から、
彼女は何だか不吉な予感がした。すべての登場人物が、陽気に歌ったり、
さわいだり、呑んだり、食べたりしながら、オペラの終幕のように、
さけがたい破局に向ってゆくのを、三津子はまざまざと見るような気がした。
しかしこのスベリ台に乗っているのは快かった。そしてこう思った。
『芸術家であるより、登場人物であるほうが、やっぱり私の性に合っていたんだわ』》

三島由紀夫の風俗小説が面白いのは、その魅力的な人物造型にもあって、
『幸福号出帆』では、三津子の兄・敏夫の情婦、房子さんが思いがけなくよかった。

《私、今、はじめてわかった。ここにいる人たちと私とはちがうんだわ。
三津子さんはオペラに、敏夫さんはトバクに酔える。
私は恋に酔えるかしら? 私って、何事にでも、酔えない女じゃないのかしら?》

というふうに独白したあと、だるそうに長椅子の上で猫のようになっている房子さんは、
渋谷実の映画『現代人』における、池部良と対峙する山田五十鈴を彷彿させる。

「何か絶望的なもの」がつきまとう房子さんとの情事をおもい、

《それでいて、あの女はすごいや。明日ってことを考えないんだから。
俺は今でも、情の深い女や、のべつ幕なしに情熱的な女や、
しつこい女にはたくさん会っている。しかしどの女も未来に希望をかけ、
結局のところ、永遠を夢見ていた。房子のような女は見たことがない。》

というふうに、敏夫は回想する。

イタリア人とのハーフでかなり美男子の敏夫、
「性格に深みのない小悪党」なキャラクターもなんだか微笑ましくて、
『フィガロの結婚』のケルビーノ、『検察官』のフレスタコーフ、
はたまた『パルムの僧院』のファブリス、といった感じの不思議な愛嬌がある。

脇役の高橋ゆめ子さんもなかなか味わい深い。

房子さんが、「青春をすぎてしまうと、青春って絵になるんだわ。
もし又、その中に飛び込もうとすれば、カンヴァスにおでこをぶつけるだけだわ」
というふうに発言するのだが、そのあと三島は、高橋ゆめ子さんをこんなふうに描写する。

《ゆめ子は、指さきで調子をとっていた。彼女にとっては、
青春ばかりでなく、人生ははじめから絵だった。
しかし一度として、カンヴァスにおでこをぶつけるような愚は犯さなかった。
今のゆめ子は、大それた悪事をはたらいているわけだが、
人生に縁がないように、社会道徳にも縁のないこの老嬢にとっては、
それはただ、みいりのいい、多少秘密を要する一つの事務に過ぎなかった。》

『幸福号出帆』を読んでいて、不思議と、かねてからの愛読書、
福田恆存の『人間・この劇的なるもの』を思い出したりもした。

福田恆存が語っていたシェイクスピア劇の魅力に関して、
第一に筋の面白さ、第二に登場人物の行動の積極性、
第三に「登場人物がみな芝居をしている」
「主人公は死とか運命といったものを相手にたわむれている」というふうに、
挙げていた福田恆存の文章がまざまざと胸のなかによみがえったりして、
三島の語りとともに、思いがけなく福田恆存のことを思い出したのも楽しかったこと。




  

4月11日木曜日/三島由紀夫のエンタテインメントを追いかけろ

去年の秋、半日だけ思いがけなく京都散歩を堪能していて(>> click)
川端康成の『女であること』を読んだまなしだったこともあってか、
はじめて行った念願の恵文社一乗寺店にて、三島由紀夫の『お嬢さん』に一目惚れだった。
今おぼえば、他にも三島由紀夫のエンタテインメント系と
思われる本が何冊かあって、その並びがとてもよかった。

購入から読み始めまで間があくのがわたしの悪い癖で、
実際に『お嬢さん』を読んだのは、先月の下旬のこと。
『夜会服』が数百円で売っているのを古本屋で衝動買いした直後のことで、
『夜会服』の前に、ぜひとも『お嬢さん』を! と思ったのだった。

『夜会服』は、それまで何度かたとえば神保町の小宮山書店とかで見たことがあって、
宇野亜喜良の装幀がある種の雰囲気を醸し出していて、
『夜会服』というタイトルも素敵だしとそこはかとなく心惹かれていた。

いざ読んでみると、『お嬢さん』、他愛ないストーリーながらもなんだかよかった。
プロット的には『夜会服』の方が面白かったけれども、どっちも大好きだ。

なにか雰囲気のよい、そこはかとなくユーモラスで趣味のよい日本映画を観ている感覚。

まず、かわいくておしゃれで魅力あふれるヒロインがいて、
(たとえば、増村保造の『青空娘』における若尾文子みたいな)
銀幕の東京風景に胸が躍りまくって、カット割りが冴えまくりで、
それから、登場まなしの頃は凡庸な人物に見えていたのに、
実はその人が終わりの方でキラリと光るセリフや行動を示したり、などなど、
趣味がよいなあとほんわかとよい気分になる映画館での時間によく似ていた。

図書館で三島由紀夫全集をチェックしてみたところ、
『お嬢さん』に関して三島は、「数年前に書いた『永すぎた春』という小説の、
その先の人生を書きたいと思っている」というふうに、
「黒いあこがれ」と題して書いているので、まあ! と、
その帰りにさっそく新潮文庫の『永すぎた春』を買って、すぐに読みふけった。

そのあまりに有名なタイトルにひるんでいたのか、今まで未読だったのだけど、
婚約期間の男女の1月から12月までの物語、これもまた他愛ないながらもとても面白い。
『お嬢さん』『夜会服』と比べると、ところどころにいかにも三島な、
思わずクスクス笑ってしまうような捏ねた文章が出てきて、それがまたよかった。
ヒロインのお兄さんが突然登場して、彼は小説を書いていて、
そこをとりまく描写がうーむとうなってしまう感じ。
お兄さんだけに限らず、傍役がなかなかの曲者揃いで、
そして読後感の悪くなるような人物が一人もいないところは、『お嬢さん』『夜会服』と同様。

『永すぎた春』のヒロインの百子さんは本郷の古本屋の娘で、
古本屋好きとしては、それだけで胸が躍りまくりだった。
その古本屋には柱時計があって、それは《古本屋らしく、しょっちゅう遅れても、
決して進み過ぎるということがなかった》とのことで、クスクス。

気分転換をはかろうと、ある日、「神田支部の一般書の振り市」に顔を出す百子さん。
真紅の丸襟のスウェーターとアコーディオンプリーツのスカートを着ている彼女は、
古本とすすけた男ばかりの室内で思いッきり異彩を放っている。
「中世芸術論!」、どうしても落とさねばと百子さん「二百ッ!」、その甲高い声に場内注目、
すると、値をつりあげようとする輩がいて、それは百子の従兄だった。

といった、このへんの描写についニヤニヤ。

そのあと、百子さんとその従兄は、そこらでお茶でもということになって、
従兄は「ランボオがいいや」と言い、

《ランボオは裏通り面した昼も暗い喫茶店で、窓の上辺には
ビルごしに洩れてくる光りがくっきりと短冊形に映っているのに、
室内ではストーヴの火口の赤さが鮮明に見えた。
煉瓦のデコボコの床の上には、ときどき水を撒くので、
雨後の街路のように、小さな水たまりが昼間のあかりに影をうかべていた。》

というわけで、突然、ランボオが登場し、大感激だった。

三島とランボオといえば、『私の遍歴時代』のなかの一節が鮮烈。
林哲夫著『喫茶店の時代』でも引用されていた箇所なのだが、

《戦後文学とこの店とは切っても切れない因縁があり、
デコボコの煉瓦の床のところどころに植木鉢があり、
昼なお暗い店内に、評判の美少女がいた。
そのころジャン・コクトオが台本を書いた「悲恋」という映画が封切られ、
マドレエヌ・ソロオニュという神秘的なその主演女優の感じが、
金髪と黒髪の差こそあれ、この美少女によく似ていた。》

『永すぎた春』を読みながら、思いがけなく、
百合子さんのことが頭に浮ぶことにもなり、そこかしこでよい気分なのだった。

それにしても、『お嬢さん』『夜会服』『永すぎた春』という展開は幸福だった。
そして、そのあとの『幸福号出帆』の至福といったら!



ちょっと三島由紀夫のエンタテインメントを追いかけてみたいなと、
胸にうずまくパッションを押さえることができず、と、いつもこんなときは
神保町の東京堂へ、という展開になるところなのだが、あいにく現在節約中なので、
今日のところは、とりあえず、図書館で三島由紀夫全集のチェックをしてみた。

「エンターテイメント」と明記されている長篇小説を初出誌とともに列記してみると、

侍童(オール読物・昭和24年)→『女神』新潮文庫
天国に結ぶ恋(オール読物・昭和24年)
退屈な旅(別冊小説新潮・昭和24年)
修学旅行(週刊朝日・昭和25年)
孤閨悶々(オール読物・昭和25年)
日食(朝日新聞・昭和25年)
食道楽(サンデー毎日・昭和25年)
家庭裁判(文藝春秋・昭和26年)
夏子の冒険(週刊朝日・昭和26年)
にっぽん製(朝日新聞・昭和27年)
雛の宿(オール読物・昭和28年)→『女神』新潮文庫
女神(婦人朝日・昭和29-30年)→新潮文庫
恋の都(主婦の友・昭和28-29年)
陽気な恋人(サンデー毎日・昭和28年)
芸術狐(オール読物・昭和29年)
S・O・S(小説新潮・昭和29年)
屋根を歩む(オール読物・昭和30年)
幸福号出帆(読売新聞・昭和30年)→ちくま文庫
永すぎた春(婦人倶楽部・昭和31年)→新潮文庫
足の星座(オール読物・昭和31年)
色好みの宮(オール読物・昭和32年)
影(オール読物・昭和34年)
お嬢さん(若い女性・昭和35年)
愛の疾走(婦人倶楽部・昭和37年)→ちくま文庫
自動車(オール読物・昭和38年)
肉体の学校(マドモアゼル・昭和38年)→ちくま文庫
可哀そうなパパ(小説新潮・昭和38年)
複雑な彼(女性セブン・昭和41年)
三島由紀夫レター教室(女性自身・昭和41年)→ちくま文庫
夜会服(マドモアゼル・昭和41-42年)
命売ります(プレイボーイ・昭和43年)→ちくま文庫

……と、こんな感じの字面となり、タイトルを追うだけでもなんだかとても楽しい。

三島の風俗小説を初めて意識するきっかけとなった『お嬢さん』、
そのあと『夜会服』『永すぎた春』というふうに続いていった経緯を思うと、
これらと同じように、女性誌に連載されたものにどうしても関心がいってしまう。
三島由紀夫の女性小説! ちくま文庫のラインナップは、あらためて実に素敵。
ちくま文庫の三島由紀夫は評論の方ばかり読んでいたので、おたのしみはまだまだこれからだ。

それから、全集をみてみると、三島由紀夫の短篇小説にもとても心惹かれる。
三島の短篇は未読のものがわんさとあるので、またまた、おたのしみはこれからだ。
新潮文庫だけでも、未読の短篇集が何冊かあるし、さらに、古書店の棚でよく見かける
『三島由紀夫短篇全集』のことを思うと心ときめく。買ってしまいそう!

というようなことを思いつつ、全集のなかの短篇タイトルを眺めていると、
『学生歌舞伎気質』というのがあって、さっそく読んでしまった。

歌舞伎研究会に所属する学生たちの上演会にまつわる他愛ない物語なのだけど、
歌舞伎にとりつかれている青年たちを描写する三島の文章は、
深沢七郎の『東京のプリンスたち』と似た切なさがあった。苦痛に似た快感。
主人公の、十九歳のくせに妙に老成した照男くんが微笑ましい。

歌舞伎座通いがやめられずにいる身からすると、
随所に登場する、芝居の魅力を描写した文章が甘酸っぱく心地よくもあり。

《……幕あき前の場内の、何か華やかで不穏な賑わい。二丁の柝。
幕あきの鳴物が、場内のざわめきとまじって、おぼろげにきこえてくると、
やがてさわやかなきぬずれの音をたてて、幕は空気をはらんで抵抗しながら引かれている。
そのとき前幕でたくさん降って掃除されのこした雪が幾片か、
引かれてゆく幕のあとを追うように舞い上る。……
彼らはこの瞬間がなによりも好きだった。》

1998年夏から急に歌舞伎座に通うようになってしまったのだけれども、
歌舞伎を見始めたばかりの頃、嬉しかったのことはなんといっても
三島由紀夫の歌舞伎に関する文章を実感を持って読めるようになったことだった。
歌右衛門へのオマージュを読んだり、『女形』という短篇を読んだり、
『芝居日記』を思わず古本屋で買ってしまったり(高いのに)、
富十郎のことを「ブリリアント」と一言で言っているのを知って嬉しかったり。
と、そんなことを思い出してしまった『学生歌舞伎気質』だった。

三島由紀夫を読むようになってかれこれ10年になるけれども、
三島はいろいろな局面で本読みのたのしみを提供してくれている。

ここしばらくは、エンタテインメントと短篇小説を追いかけてみたい。
三島はなによりも天性の「小説家」なのだと思う。
「小説のたのしみ」とはこういうものだと三島を読むといつもクッキリ思う。





  

4月14日日曜日/更新メモ(リンク)、星川清司さんの仕事、小村雪岱について

Linksさなえさんのページを追加しました。



このところ、星川清司さんの本に夢中だった。
夢中といっても、三冊読んだだけなのだけれども。

先月、小村雪岱の『日本橋檜物町』(中公文庫)を至福の思いで読んだ。
その文庫解説をしていたのが星川清司さん。
その「雪岱礼讃」の文章を堪能したあとで、「あっ」と思い出した。
この人、『櫓の正夢』(ちくま文庫)を書いていた人ではないか。
『櫓の正夢』は鶴屋南北の登場する時代小説、歌舞伎と時代小説との融合。
この本を買ったのは、解説が渡辺保さんだったから。買っただけで未読だった。
読みはじめると一気読み、渡辺保さんの言葉とおりに、「イキな小説」だった。
『櫓の正夢』があまりに面白かったため、次は『小伝抄』(文春文庫)を読んだ。
『小伝抄』は南北没後の江戸を舞台にしているので、読む順序としてぴったりだった。
『小伝抄』の表紙の絵が大好き、山本武夫によるもの。

星川清司さんの文章にすっかり惚れ込んでしまったところで、
古本屋で発見して、手に取って、即購入したのが、『小村雪岱』(平凡社)。
菊地信義の装幀がとにかく美しい。中身の文章も実にすばらしい。一気に読んだ。
間然するところのない、という言葉は、きっとこういう本のためにあるのだろう。
このところ久保田万太郎に夢中になっていた、そのタイミングで読んだので、
雪岱その人と雪岱をとりまく各界の人物誌、雪岱の生きた時代の東京について、
それら諸々のことが、現在の自分自身の興味と完全に一致していて、
その興味関心は、この本を読む前よりも、さらに拡がりを増した。

星川清司著『小村雪岱』(平凡社)については、また後日に書こうと思う。(たぶん)

ここから先は、これまでの、小村雪岱についての
個人的な体験についてちょっと書きとめておこうと思う。



小村雪岱にじっくりと関心を抱くきっかけになったのは、演芸画報だった。
学生時代の戸板康二の投稿が掲載されている号(昭和9年8月)を、
奥村書店に買いに行ったときに、店員さんが教えてくれたことには、
小村雪岱の表紙の号はとっても人気がある、とのこと。
後生おそるべしの戸板康二、おそらく初活字の瞬間に大感激すると同時に、
雪岱による表紙画をしみじみと眺めて、とにかく眼福だった。
>>> 当時の日日雑記

前々から挿絵画家からスタートした鏑木清方が大好きだったこともあって、
挿絵と古本、というくくりになんとはなしに心惹かれていた。
たとえば、『大東京繁昌記』における文章と挿絵の幸福な瞬間の数々。
それから、『墨東綺譚』の木村荘八と『蓼喰ふ虫』の小出楢重は、
まったくもって見事な並びだと思う。文章も挿絵もその融合もまさに東西の横綱。

奥村書店で昭和初期の演芸画報を買ってからわりとすぐに、
実家で数年前に母が買ったらしいとある女性誌を眺めていたら、
菊地信義さんによる銀座紹介の記事があって、
そのなかで奥村書店の店頭での雪岱の表紙の演芸画報について、
密やかなたのしみというふうに書いていて、「おっ」となんだかとても嬉しかった。
菊地信義さんも雪岱表紙の演芸画報の大ファンで、表紙を額縁にいれて飾ると
それだけで一幅の画になるというふうに書いていたかと思う。
戸板康二の投稿掲載の号を買ったときに店員さんが教えてくれたこと、
雪岱の表紙のファンの人がとても多いという、そのひとりが菊地信義さんだったというわけだ。

それから程なくして、荻窪の古本屋で、小村雪岱著『日本橋檜物町』(中公文庫)を買った。
上記のような経緯があったので、小村雪岱の本を見つけたときは、これは見逃せないと思ったのだ。

なんといっても戸板康二がきっかけだったというのが嬉しいし、値段も安かった。
あとでスムース第2号の「画家の装幀本」特集で紹介されているのを見て、
またまた、なんだかとても嬉しかった。お買得だったかもしれない(せこい)。

……などと、軽い気持ちで買った、小村雪岱の『日本橋檜物町』だったのだが、
あとで、きちんと確認してみると、なんということなのだろう、
『日本橋檜物町』の初版は昭和17年、この本の編集をしたのはほかならぬ戸板康二だったのだ。

戸板康二は大学卒業後、明治製菓の PR 誌「スヰート」の編集の仕事をしていたのだが、
「スヰート」の題字をもらったり、上司だった内田誠の随筆集の装幀をお願いしたり、
といった仕事を通して、小村雪岱と縁があって、昭和15年10月に雪岱が急逝し、
昭和17年11月に高見沢木版社が小村雪岱の遺文集をこしらえたとき、
その編集にたずさわったのが、戸板康二と雪岱の唯一の門人である山本武夫だった。

戸板康二を知ってからというもの、そもそも歌舞伎がそうなのだけど、
戸板康二がきっかけで戸板康二の導きで知ったことがたくさんある。
戸板康二を中心に生活がまわっている、といってもいいかもしれない。
小村雪岱著『日本橋檜物町』も、知られざる戸板康二の仕事なのであった。



人一倍ぞろっぺえなので、購入から読み始めまで間が開くのがしょっちゅう。
小村雪岱の『日本橋檜物町』を読んだのは先月のこと。
噂に違わぬ名著で、文章がとてもよかった。
日本橋檜物町をはじめとする昔の東京の風情をしるす文章、
短篇小説を読んでいる瞬間のような宝石のような短文、
久保田万太郎の「蓮咲くや桶屋の路地の行き止り」という句ともに
語られる竜泉寺町のところでは、樋口一葉のことを思って胸がいっぱいになり、
舞台装置に関する文章もあって、今後の芝居見物への刺激も受けた。
実際、古川緑波の『劇書ノート』(>> click) でも紹介されている。
絵画に挿絵に舞台装置、昔の東京風景といったように多角的な読み方のできる本で、
そのまえに、小村雪岱の文章がとても魅力的、ふんだんに画が収録されている。
本当の意味でのぜいたくな一冊だった。きっと何度も読み返すと思う。
持っているだけで今後の生活がうるおったような気分になる、幸せな本。

先月になってやっと、『日本橋檜物町』を読んだのは、
久保田万太郎に夢中なので、背景に実感をもてたのでというのもあったけれども、
実は、歌舞伎座で『一本刀土俵入』が上演されていて、ぜひとも見ようと決めていたから。
『一本刀土俵入』の初演は昭和6年、六代目菊五郎の当り役、
その装置を担当したのがほかならぬ小村雪岱である。

戸板康二の『女形余情』[*] 所収の「小村雪岱」に以下のような一節がある。

《『一本刀土俵入』という長谷川伸の名作の舞台、序幕の取手の宿の娼家だが、
その二階の戸袋がしっくい細工になっている装置で、これは小村雪岱の代表作である。
現在、べつの美術家が担当する場合でも、この独特の趣向は踏襲されている。
この初演の六代目菊五郎、五代目福助の姿も忘れがたいが、
東京劇場の幕が開いた時、客席がどよめくような新鮮な印象を与えたのを記憶する。》

『一本刀土俵入』は1999年7月に一度、猿之助の舞台を見ているけれども、
そのときは、舞台装置にはまったく目がいっていなかった。芝翫のお蔦が絶品だった。
『演劇走馬燈』[*] の「脇役の名舞台」で取り上げられていた、
『一本刀土俵入』の掘下げ根吉のことがとても印象的だったこともあって、
なにかと見所の多い、先月の歌舞伎座、『一本刀土俵入』だった。
同じ演目を時間をおいて観ることで、新しい切り口を得ることができるのが楽しい。

というわけで、先月のとある日曜日、意気揚々と、歌舞伎座の幕見席へ行って、
富十郎の『文屋』を思いッきり堪能したあと、『一本刀土俵入』を見て舞台装置に大注目。
人物の配置などテンポよく、花道など空間を活用した長谷川伸の脚本の細部に目がいって、
それから雪岱の舞台装置を見ていて思うのは、昭和初期の劇壇のこと。
六代目菊五郎や五代目歌右衛門をはじめとする、
書物でしかしらない過去の歌舞伎のことをいろいろ思う時間となった。
歌舞伎を見るということは、過去の舞台を見ているということでもある。
現在見ている舞台で、過去の芝居と現在の芝居とが共存している。
うまくいえないけれども、歌舞伎のよろこびを違った方向から噛みしめた。
歌舞伎座の幕見席に行った日は五月並みの天気のよい日で、
勝鬨橋まで散歩して隅田川の水面を眺めて、それから大江戸線にのって、
深川の清澄庭園を散歩したのも楽しかったこと。
池はお昼寝中の鴨がたくさん、どこまでものどかだった。

……というようなことがあったあと、立続けに星川清司さんの書物を読んだのだった。





  

4月16日火曜日/間然するところのない一冊:星川清司の『小村雪岱』

星川清司著『小村雪岱』(平凡社、1996年)は、A5 変型の正方形っぽい版型で、
縞をあしらった函に、雪岱の美人画が帯に寝そべっていて、
本体は「青柳」「雪の朝」と題された画、家屋の美しいフォルムが全面に。
菊地信義の装幀、ここにきわまれりという感じで、
手に取っただけで惚れ惚れしてしまう書物なのだが、
中でもところどころで雪岱による画を見ることができて、
まずページを開くと、まっさきにカラーで「深見草」という
美人画を見ることになる。印刷の発色も美しい。
牡丹の花の前にしゃがむ女の人のきものと帯と草履の見事な色彩にうっとり。
ページをめくると、まずタイトルなど活字のレイアウトがとてももいい感じで、
そして、本文を読み進めていくと、星川清司さんの文章がとにかく素晴らしい。

雪岱の表紙画の演芸画報の大ファンという菊地信義の雪岱へのオマージュ、
江戸言葉を駆使したとびっきりイキな時代小説の書き手、
星川清司の雪岱へのオマージュ、文章・装幀双方の見事な融合。

山本夏彦が久保田万太郎の戯曲『大寺学校』について、
「間然するところのない」というふうに言い表わしていたのを思い出した。
間然するところのない、いい言葉だ。この言葉はまさしく、こういう書物のためにある言葉だ。

星川清司さんによるあとがきに、この書物の意図を、

《此書は雪岱伝でもないし、雪岱評伝でもない。雪岱と、雪岱をめぐる人びとと、
そうしたひとたちが生きている時代の相のはかなさを垣間見ようとした書である。》

《雪岱とその周辺をめぐる文人やら世相風俗やらを寸描点描しつつ、
やがて過ぎ去った東京および東京人の日日の暮らしの面影が、
ひとときなつかしくうかびあがってくれたらと、それを冀っている。》

というふうに書いていたけれども、その意図は間然するところなく見事に実現している。

小村雪岱は明治20年生まれ、昭和15年没、日本画家。挿絵、舞台装置の仕事が多い。
泉鏡花を敬愛し、『日本橋』を始めとする多くの著書の装幀を担当している。
泉鏡花の天分と小村雪岱の天分は、そのままパラレルしていて、
泉鏡花の小説の特色を語ろうとすると、それはそのまま雪岱の画を語ることとなる。

小村雪岱を語る上ではずせないことは、九九九会のこと。

水上瀧太郎の提案で昭和3年より、毎月23日「九九九会」と称した会合が催されていて、
泉鏡花を中心にして、小村雪岱、久保田万太郎、里見とん、鏑木清方といったメンバーだった。

ここ数カ月、久保田万太郎に耽溺していたところで、よく思っていたことが、
1915年生れの戸板康二の、いわば親の世代の人びとの人物誌を作れないかということだった。

明治22年(1889年)生れの久保田万太郎が、戸板康二のお父さんと
同級生だったという事実に注目してみると、その同世代の人びとに、
谷崎潤一郎、里見とんといった、もともと興味津々な少なくないような気がする。
明治の東京を知っていて、大正ベルエポックをそのまま生きている世代。
言い換えれば、震災前の東京を生きて知っていた世代ということになろうか。

星川清司さんの『小村雪岱』には、そんな戸板康二道がらみの気まぐれな興味関心に
ぴったりと答えてくれていたという面がまずあった。雪岱と、雪岱をめぐる人びとと、
そうしたひとたちが生きている東京のこと、その時代のあれこれについて、
星川清司による流麗な筆致、粋な文体でめぐっていく快楽、至福といったら!



見事な一冊といえば、小村雪岱自身の遺文集『日本橋檜物町』そのものが見事な一冊だった。

《それは日本橋檜物町からはじまったようである。》

星川清司著『小村雪岱』はこの一節によってはじまる。
「檜物町」と題された文章で描写される日本橋檜物町の風情がしみじみ胸にしみこんでくる。
雪岱自身の文章で味わった情趣の再現となって、絶妙な導入部となっている。
明治の東京について語りながら、文章はいつのまにか雪岱伝となっているのだけど、
星川清司の流麗な筆致ゆえ、本当にいつのまにかという感じで、ただただ文章にひたる快楽。

明治から大正に世は変わり、雪岱に決定的な転機が訪れる。
大正3年、鏡花自身の名指しで、泉鏡花作『日本橋』の装幀の仕事をする。
雪岱28歳、小説作家と装幀画家のあまりに見事な出会いだった。
以後、雪岱は多くの鏡花本の装幀を担当することとなる。

《「日本橋」の出会い以来、雪岱えがく絵は、鏡花えがく小説同様に、
すべて羅曼主義の色彩を深く帯びて、いうにいわれぬ哀愁のはかなさが底に流れ、
見るひとの心をうち、他面、けんらんとして華やぎ、美しさは比類もなかった。》

明治末から大正にかけて浮世絵再評価の時期だったという時代背景も興味深い。

小村雪岱の経歴で「まあ!」と感激してしまうのが、
大正6年から12年まで、設立当初の資生堂意匠部に勤務していたというところ。
いろいろなところで見かけた昔の資生堂の
モダーンなパッケージデザインのことを思い浮かべてウキウキ。
これに限らず、雪岱をとりまく事柄にはもともとの関心事だったことがとても多い。

それから、雪岱と夫人のつつましい家庭生活に関するくだり、
雪岱の人となりを描写した文章など、心がスーッと浄化される心地になる。
『日本橋檜物町』に収録されている雪岱の文章の心地よさは、
雪岱自身の人柄のよさが多分に垣間見られる点にある。つつましくて、おだやかで。

星川清司著『小村雪岱』は、雪岱を語りながら、雪岱をとりまく人びと、
雪岱の生きた東京のこと、雪岱の生きた時代のことを取り混ぜている。
導入部とおんなじように、文章がいつのまにかいろいろな方向に行っていても、
星川さんの流麗な筆致ゆえ、本当にいつのまにかという感じ、
それはそれは、雪岱を中心にした万華鏡のようで、幻惑感たっぷり。



「大正」「昭和初期」といった時代をダイジェスト式に綴っていたり、
いろいろな人による雪岱評が登場したり。いろいろな人が登場したり。
そのいろいろな人というのが前々から興味津々な人ばかりなので、楽しみは尽きない。

その代表的な人物のひとりが、久保田万太郎。
万太郎の文章の引用のあとに登場する、星川さんによる万太郎評が絶品で、
久保田万太郎に耽溺している身としては、しばらく本から顔をあげてしまったくらい。

《詩人の常として、久保田万太郎は夢を追うひとである。
同時にまた、ものわかりの早い東京人の弱さから、
執着に淡い、憧憬も夢想もはかなく、
見る間に破れ去ってしまうことをよくしっているひとである。
泉鏡花のように声を張り上げて威勢よく、現代の野暮と不粋を嫌ったり、
永井荷風のように徹底して社会の虚偽と偽善を
刺したりすることは思いもおよばぬことである。
過去の讃美に熱狂したりはしない。ただ、あきらめの抒情に浸るばかりである。
その胸の底には、世の中は悪くなるいっぽうで、かといって、
どうにもならぬことだというおもいが根強くわだかまっている。
激しく呪詛したりすることもなければ、抗いもしない。
ひとり寂しくつぶやくだけである。
夢とともに押し流されていくつぶやきの美しさ、
――それが傘雨亭宗匠久保田万太郎の文学である。》

《俳句という詩によって万太郎は、傘雨亭万太郎でなければつくれない
独特の詩韻の高さにたどりつく。
その完成度の高さには、誰も異論のさしはさむ余地はないだろう。
 た か だ か と 哀 れ は 三 の 酉 の 月
おそらく浅草観音堂の堂宇のはるか彼方につめたい風が吹き、
夜空に漂うその三の酉の月こそが、万太郎そのひとなのだろう。》



雪岱の生きた東京、雪岱の生きた時代といったことを語りつつも、
ディテールにも楽しみが尽きない。全体と細部とが絶妙なバランスなのだ。

大震災にまつわる章では、西條八十が登場したり、十五代目羽左衛門が登場したり、
里見とんの『安城家の兄弟』や荷風の『断腸亭日乗』を引いていたり。
西條八十と聞くと、どうしても戸板康二の『ぜいたく列伝』[*] のことが頭に浮かぶ。
それから、大震災にまつわる羽左衛門のエピソードにニンマリ、
戸板康二の文章でもさまざまな羽左衛門伝説を知っていたが、
あらためて、羽左ッてばブラボー! だった。

万華鏡のようにめぐっている、星川清司著『小村雪岱』。
大震災のあとは、東京復興、昭和モダニズムの誕生である。
明治の東京、大正ベルエポック、モダン都市東京。

日頃からさまざまな書物で追いかけていることを、
あらてめて雪岱を通して見直すことにもなった。
それは、もちろん戸板康二の多くの書物を通して親しんでいることでもある。
舞台装置・舞台美術という仕事を通して、雪岱は演劇界とも深い関わりがあった。
ので、戸板康二の書物を通して興味津々だった演劇史的なことを
雪岱を通してあらためて見つめ直すことにもなって、ますます興味津々だった。

六代目菊五郎が登場し、小村雪岱による舞台装置に関することが語られていて、
ここで、戸板康二の「小村さんの舞台装置」という文章が全文引用されている。
星川さんは、《数多い小村雪岱の舞台美術の麗妙さは、
ほとんど間然するところのないこの文章で盡きている。》としていて、
戸板さんによると、雪岱による舞台装置の三絶は
『春日局』『桐一葉』『一本刀土俵入』とのこと、これに限らず、
いろいろこの時代の演劇史的なことを追いかけてみようと思った。
とりあえず、週末の歌舞伎座では、『沓手鳥孤城落月』で五代目歌右衛門に思いを馳せたい。

それから、芝居だけでなく、映画のセットにもワオ! と興奮。
観たい映画がどんどん増えてゆく。お楽しみはこれからだ。

■ 映画界の小村雪岱日本映画データベースより)

映画といえば、先月に観たばかりの、成瀬巳喜男の『歌行燈』が記憶に新しいが、
花柳章太郎に関することにわりと多くの文章がさかれていて、さらに興味津々になった。

《岩田専太郎、川口松太郎、久保田万太郎、泉鏡花、小村雪岱、里見とんと、
その系譜を手繰っていくと、やがて新派の芝居役者、喜多村緑郎、
花柳章太郎という存在にたどりつく、そこには遠く縁があったように。》

『ぜいたく列伝』[*] にも「花柳章太郎の衣裳」という文章があるのだけど、
後年『舞台の衣裳』という本を出版したくらい色彩感覚の鋭かった花柳は、
「色には苦労しているよ」と恋多き身の上を自嘲してみせていたとのこと、
そんな花柳は山田五十鈴と恋愛していたことがあって、
『歌行燈』のスクリーンを眺めつつ、見事なカップルだなあとしみじみだった。
山田五十鈴に関しては、『物語近代日本女優史』[*] で戸板さんが手放しの大絶賛で、
花柳章太郎云々についてもその文章で知ったのだけども、
演博に所蔵されている花柳の衣裳は、山田五十鈴によって寄贈されたものだそうだ。
先月見学したばかりの衣裳のことを思い出して、ちょっと嬉しかった。
花柳は新派の役者でも戸板康二と最も深い交流があったのだそうで、
戸板さんによる追悼文が『女優のいる食卓』[*] 所収の「すずしろ」で、とてもよかった。
花柳章太郎のお墓は池上本行寺で溝口健二と並んでいるというのも、どこまでも見事。
花柳章太郎の本は古本屋でもちょくちょく見かけるので、
その衣裳に関すること、きものや色彩に関する文章を読んでみたいと思う。



と、思わず長々と書いてしまったけれども、
小村雪岱の絵とその美意識が最大の関心事であることは言うまでもない。

《雪岱好みの女の絵といえば、浮世絵でいうなら五渡亭時代の國貞えがく風姿であって、
英泉でもなければ國芳でも歌磨でもなかった。
さかのぼれば、明和期の鈴木春信というところに行き当る。
春信と國貞では大ちがいだが、目を移しかえれば能楽の面である。仏像も好きだった。》

明和期の鈴木春信の名前を知ったのは数年前、荷風の『日和下駄』がきっかけだったけれども、
初めて永井荷風の書物を知ったばかりの頃はもう、むやみやたらに嬉しかった。
荷風を索引にして「えせ江戸趣味」にひたる快楽に夢中で、
さらに、荷風を索引にして東京散歩したり読書したり、
あめりかやふらんすにお出かけしたり etc、荷風を媒介にいろいろ生活の設計をする愉しみ。
星川清司さんの『小村雪岱』という書物は、そのときとおんなじ感覚で、
むやみやたらに嬉しくなってしまう書物であった。雪岱を媒介に眺めるいろいろなこと、
それは、荷風の江戸趣味とはまた違ったものでもある。

《情緒に高まろうとする気分のひとは現実の人生を解剖しない。批判しない。
ときには味覚さえしない。懐疑はない。ただ、信じようとする。
この感情の美しさが情緒を織る縦糸である。
そして、古い日本の美しい伝統がその横糸である。》

この文章は、泉鏡花について述べたものだけれども、小村雪岱にもそのまま当てはまると思う。

それから、小村雪岱にそもそもの関心をいだくきっかけになった挿絵に関することも、
いろいろ知ることができて、今後の本読みの予定をいろいろ練ってはたのしい。
溝口健二と同級だった岩田専太郎あれこれ、もちろん雪岱の挿絵がついた小説いろいろ、
なかでも、邦枝完二のぺらんめえ口調の「江戸世話物」小説を読んでみたい。
邦枝完二が小村雪岱と組んだのは双方の幸運だったという。
いつかじっくりと見てみたい、小村雪岱の挿絵をすべて。
それから、三上於菟吉の『雪之丞変化』についた岩田専太郎の挿絵も!
……大衆文芸の系譜をいろいろ追いかけてみたいなと思った。

挿絵といえば、戸板康二の中村雅楽シリーズで、
小村雪岱の唯一の門人である山本武夫が挿絵を書いた小説もあるのだそうで、
まあ! ぜひとも見たい! 小説作者と挿絵画家の幸福な関係はここにもある!
山本武夫は、『團蔵入水』[*] の装幀をしている。
(表紙よりも、中のタイトルページのデザインがわたしは好き)。
そのことについて戸板さんは、『思い出す顔』[*] で、
昭和17年に小村雪岱の遺文集『日本橋檜物町』の編集をした際の
仕事仲間だった山本武夫に後年、自分の小説の挿絵を書いてもらうことになった
まわりあわせについて書いている。

将来の本読みのたのしみといえば、もちろん九九九会にまつわる人物誌である。

そして、なんといっても、雪岱の作品そのものを追いかけたいし、
とどのつまりは、雪岱の追求した「美」そのものを追いかけたいなと思った。





  

4月18日木曜日/福原麟太郎の『春のてまり』、観世能楽堂で『杜若』を観た

前からちょっと気になっていたのが福原麟太郎の随筆、
三月書房の小型本の『春のてまり』(昭和41年発行)を古書店の棚で見つけて、
手にとってみると、いつもながら版型がとても愛らしくて頬が緩むのだった。
紺の函にあしらってある図版は「15世紀末《バラ物語》フランドル光彩本から」とのこと。
本体をめくってみると、お能に関する文章、読書に関する文章、
シェイクスピアを中心にした演劇に関する文章という構成になっている。
まあ! 福原麟太郎によるお能の文章をまとめて読めるなんて!
というわけで、これはもう迷わず買ってしまった。

そして、いったん読みはじめると、次から次へと読みふけってしまうくらいに、
その文章にひたっている時間がとても心地よい。
ほんわかとした、それでいて誰にも真似できないこの人ならではの品格。

なんとなく小沼丹の随筆をはじめて読んだ日のことを思い出した。
なにか、英文学者の系譜のようなものを感じた。そこで思い出すのが戸川秋骨のこと。

戸板康二が慶應予科の文科に入学したのが昭和7年、
その教室で、英文学史を教わったのが、戸川秋骨だったという。
戸川秋骨は教室で、常に喜多六平太を大絶賛していて、
「能にゆきなさい」と特に言ったわけではなかったのだけれども、
戸川秋骨の話に刺激を受けて、能をみはじめた学生が少なくなかったとのこと。
わたしがこのエピソードがとても好き、戸川秋骨という人物にも心惹かれる。

戸川秋骨のことが気になったそもそものきっかけは、小沼丹の随筆で、
それから、福原麟太郎も戸川秋骨と深い交流があったそうで、
お能という趣味でも共通していた。

そんなこんなで、喜多六平太にもとても興味津々。
戸板康二の『見た芝居・読んだ本』[*] と『ハンカチの鼠』[*] とに収められている、
「忘れ得ぬ断章」という文章は、喜多六平太の芸談のことを書いている。
《歯切れのいい江戸っ子の口調で、大変な話を、サラリと言ってのける。
ある意味では、おそろしいような本ともいえる》「六平太芸談」のこと。

《能の世界で、喜多六平太といえば、わざも位も最高の頂に達した名人である。
それだけの人が、くつろいで、うれしそうに、いろいろな話をして、
その一言一句が、耳をこらせば珠玉の響と、得難い教訓を蔵しているのは当然だろうが、
これは、いつまでも、ぼくの愛読書となるにちがいない。
ぼくは、能のよさを、確かに、この本で知った。》

というふうに結ばれている、戸板康二の「忘れ得ぬ断章」、
「耳をこらせば」というところが特に重要だと思うのだが、
わたしもいつの日か「六平太芸談」を手に取ってみたいと思う。
(この文章は、日本の名随筆『読(井伏鱒二編)』にも収録されている。)

……などと、福原麟太郎の『春のてまり』のことを書くつもりが、
福原麟太郎→戸川秋骨→喜多六平太というふうになってしまった。

『春のてまり』には、お能への思いがさらにつのってしまうような文章がたくさんあって、
それから、特に心惹かれたのが、先に書こうとして脱線してしまった、英文学者の系譜のこと、
そして、シェイクスピア劇のこと、書評集に挙がっている本のこと、
などなど、いろいろ刺激的だったのだけれども、とどのつまりは、
やっぱり、福原麟太郎の文章そのものがとてもよかった。
前からちょっと気になっていた福原麟太郎、さらに気になる。

福原麟太郎のお能に関する文章は、専門家とは違った、一文学者の視点で綴られていて、
こういう文章とともにお能を見物するのも格別だなあと、未来のたのしみがどんどん拡がる。
ちょうど、去年の秋頃に、大岡昇平の『わが美的洗脳』所収の数々の
クラシック音楽に関する文章を目にしたときの感激とよく似ていた。
あのときも、あらためて音楽のよろこびを味わうことができて、
大岡昇平とともにクラシックを聴く快楽ッ、と、ひとりではしゃいでいたのだ。

福原麟太郎の「能の成長」という文章に、

《今日の能楽堂に、ただ謡を稽古している人たちばかりでなく、
能の演劇的表現や思想の深さ、演出の厳正な秩序、舞の美しさ、
声楽や器楽の典雅などを好んで、謡の稽古とは縁のない人々、
全く新しい若い世代の人々が集まるというのは、また別の能楽論の基礎になるのではないか。
汲めども尽きせぬ能の魅力を改めて考えたくなる。》

という一節はあるだけれども、うんうん、これから先も、
こんな感じに能楽堂に足を運んでしまうんだろうなと思った。
なにしろ、お能は三日たつとまた見たくなってしまうから。



……といった感じに、福原麟太郎の『春のてまり』を読み終えたところで、
奇しくも、今日は、観世能楽堂へお能を見に行ったのだった。

本日の催しは、「梅若研能会4月例会」。番組は以下の通り。
● 能『杜若』
ワキ(旅僧):工藤和哉、シテ(杜若の精):梅若万三郎
● 狂言『岡太夫』
大蔵良次郎、大蔵弥太郎、大蔵基誠、大蔵教義
● 能『俊成忠度』
シテヅレ(藤原俊成):梅若万佐晴、トモ(従者):岩崎海
ワキ(岡部六弥太):村瀬提、シテ(平忠度):古室知也

本当はこの前に仕舞が三番ほどあったのだけど、
わたしが能楽堂にたどりついたのは、
仕舞が終わって、『杜若』がはじまる直前。
どこからともなく笛の音が鳴り響いていて、独特の空気を形成していて、
やがて、囃方や地謡の人びとが座して、ワキの登場となる。

今回も、事前に『杜若』と『俊成忠度』の謡曲を図書館でコピーしていたのだが、
その謡曲を読む時間がまずはとても格別なのだ。
『杜若』は『伊勢物語』を中心にしつつも様々な古典が散りばめられていて、
謡曲を読んでいるだけで、うっとりだった。

はじめ唐織のオレンジ色っぽい装束だったシテは、途中、
序破急の「破」の中段、場面が女の庵に変わるところで、
物着があって、唐織の上に、長絹をかぶせて光り輝くような装束となって、
頭には、冠をかぶせて、ここで在原業平を彷彿とさせて、
身体の方では女の姿、業平とその后高子、杜若の精の三者一体となっている。

そして、曲が進んで、「破」の終りの部分の序の舞のところが、
『西行桜』のときと同じように、もっとも堪能した部分だった。
謡はなく、鼓と笛の音だけの静かな空間で、シテが静かに舞う。
その前では、「花前に蝶舞う、紛紛たる雪」とシテが謡い、
地謡が「柳上に鶯飛ぶ、片片たる金」というふうに続いていて、
その対句的な文句とあいまって、情景が目に浮かぶよう。
そのときのシテの右手をパッとあげたときの袖の動きと左の扇の動き、
そのときの面の様子など、后の高子の面影がまざまざと見えてくる。

そして、パーッといつのまにか「急」の部分に入る展開が鮮やかで、
ここのシテと地謡が交互に謡うところにゾクゾクで、最後の最後は全て消え、
残ったのは、紫色の杜若の花のみ、ということになる、そこでハッと我に帰った。

それにしても、濃密な時間だった。また『杜若』にじっくりとひたってみたい。

『杜若』は、小津安二郎の『晩春』で原節子が見ていた曲で、
ロケは染井能楽堂で、演者は梅若万三郎とのこと。今日見た万三郎の先代か先々代か。

それから、今回も狂言の時間がとても気持ちよかった。
能のあとに見ることで、五臓六腑にしみわたるこの爽やかさ。

最後の『俊成忠度』は、謡曲を読んだ時点ではあまり面白くないかもと思ったのだが、
実際に見てみると、これは修羅能ならではなのか、その派手な武者の動きがとてもよかった。

まずシテヅレ、トモが脇座に着いて、それからワキが登場する。
キリリとした発声で、武者ならではの凛々しさがあって、
シテが登場すると、地謡の途中でいつのまにかワキが退場していて、
シテとツレの掛け合いふうの、楽の部分があって、そのあとの地謡のときの、
シテの舞いがとても派手で、その派手さに見とれてしまった。
黒とオレンジと白っぽい装束で、茶色い腰帯をしている。
先日、演博で腰帯の展示に見とれていたところだったので、釘付けだった。
最後の部分では、戦の再現のような舞いを見せたあと、
もとの心に戻っていって、穏やかになっていく展開などなど、
謡と舞いのたのしさを満喫した演目だった。

というわけで、今回もあっという間に終わってしまったお能見物だった。

観世能楽堂の帰りの夜道、松濤の住宅街を通って、東急の裏手にでる道筋、
冷たい風が頬に触れて、お能の余韻にひたって歩く時間がしみじみよかった。
途中、タリーズに寄り道、お能帰りのエスプレッソがとてもおいしい。





  

4月22日月曜日/三月書房の小型本、歌舞伎座夜の部見物のこと

雨の日曜日の午後、教文館の棚で見つけて「まあ!」と手にとったのが、
三月書房の小型本シリーズの新刊、萩原朔美著『毎日が冒険』だった。

戸板康二の本を蒐集している過程で知ったのが、三月書房の小型本だった。
文庫本サイズの函入りのハードカバーのシリーズ。
手にとってみてみると、実にかわいらしい版型で、とにかく頬が緩む。
戸板さんのほかにも、刊行目録を眺めているとそこはかとなくいい感じ。

古本屋でしか見かけないと思ってた三月書房の小型本なのだが、
今でも刊行は続いていて、たいてい目につくのが、東京堂か教文館。

はるか昔の10代のころ、萩原朔太郎に夢中になっていたものの、
萩原葉子の本は二、三読んだことがあれども、萩原朔美はまったくの未読だった。

でもまあ、三月書房の小型本の新刊だなんて! と、
思わず手にとってしまって、帯を見てみると、

《母萩原葉子の『望遠鏡』がこの小型本シリーズに加わったのは、
私が24歳の時である。装幀は私が担当した。こんな本が出せたらいいなあと思った。
シリーズ62冊目のこの本は31年後に実現した私の夢の一冊なのだ。》

というふうに書いてあって、なんだかもう、一気に大感激。
ここにも三月書房の小型本のファンの人がいた!

で、中をめくって、あとがきを見てみると、

《母親から装幀を頼まれたので、下手な線書きの望遠鏡の中に
文字を嵌め込んだデザインを考えた。出来上った本を手にとると、何とも愛くるしい。
まるで、文章を掌の温もりで大切に孵化させようとするような編集意図が伝わってくる。
いつか自分も文章を書いて、こんな本を出版したい。そう思った。》

というふうに、「文章を掌の温もりで大切に孵化させようとするような編集意図」と、
三月書房の小型本の魅力を率直に語ってくれていて、さらに感激。
そして、萩原朔美の『毎日が冒険』も何とも愛くるしい。
こちらは望遠鏡ではなくて、エンピツのなかにタイトルを嵌め込んだデザイン。
なんと、これは萩原朔美の息子さんの装幀だと言う。おおっ、親子三代にわたっている!

……と、三月書房の小型本への熱烈な賛辞の言葉に感激したのと、
手に取った何とも愛くるしいデザイン、中の随筆もそこはかとなくいい感じ、
そして、新刊の三月書房の小型本を買うことのできるよろこび、
などなど、さまざまな感情が交錯して、萩原朔美著『毎日が冒険』を衝動買い。

これから、ベッドサイドの本棚において、少しずつ読み進めていく予定。

萩原朔美著『毎日が冒険』の巻末には、これまでの三月書房の小型本シリーズの
刊行リストが載っているので、今後の本読みの予定をいろいろ練ってはたのしい。

わたしが持っているのは、戸板康二の書物二冊と、福原麟太郎『春のてまり』、
大岡昇平『スコットランドの鴎』、池田弥三郎『わたしのいるわたし』。
今後、読みたいのは、なんといっても福原麟太郎二冊、
それから『あの人この人』[*] がらみで、安藤鶴夫や奥野信太郎などなど。
木山捷平の『角帯兵児帯』というのもとても欲しいッ。稀覯本だろうか。
講談社文芸文庫で読んだエッセイとダブっている可能性大だけど、この版型でもう一度!
木山捷平の「角帯兵児帯」という文章、大好きで、いつも大笑いしてしまう。
わたしの愛読書、日本の名随筆『着物(鶴見和子編)』にも収録されている名篇。

……などなど、古本屋めぐりのたのしみがひろがる三月書房の小型本。
新刊購入記念に、刊行リストを書き写して、別ファイルを作ってしまいました。

★ 本日の別ファイル: 三月書房の小型本リスト >> click

三月書房は、吉川志都子さんが一人で切り盛りしていた出版社で、
吉川さんは戸板康二と古くからの知り合いだったのだそう。
三月書房からは戸板康二のエッセイ集が10数冊出ていて、大感謝なのだ。
京都の本屋さんの三月書房とはおそらく無関係なのだろうが、
でもでも、京都の素敵な本屋さんと同じ名前なのも素敵な偶然という気がする。

三月書房の小型本のファンは多いらしくて、
5月には志賀直哉の『随筆衣食住』が刊行とのこと。



さて、ここから先は昨夜の、四月大歌舞伎夜の部の見物記。

歌右衛門一周忌追善と魁春襲名披露興行となっている今月の歌舞伎座。

夜の部、もう目が覚めるくらいに面白かったのが、『本朝廿四孝』の「十種香」だった。
松江改め魁春が八重垣姫、濡衣が雀右衛門、勝頼が梅玉というふうになっていて、
謙信が富十郎、勘九郎と吉右衛門が御注進で華を添えている。

「十種香」を初めて見たのは、一世一代と銘打った雀右衛門の八重垣姫で、
勝頼が菊五郎で、濡衣が今はなき宗十郎さん、近松半二ならではのシンメトリー構図に、
どこかグロテスクな恋する八重垣姫、そして、黒いきものの濡衣、
朗々とつづく義太夫に、そこに彩られた歌舞伎のさまざまな型、一気に大好きになった演目だった。
それから、二年前の團菊祭にて、菊之助の八重垣姫、玉三郎の濡衣でも見ていて、
そのときは、雀右衛門とは違った、若手ならではの一生懸命な動きを見るにつけ、
丁寧に型をなぞっているのを一緒に見ることで、こちらもその型を噛み締める、
という感じで、これもまた違った意味でとても面白かった。
そして、去年の9月、文楽で『本朝廿四孝』の通し上演を見たわけで、
「十種香」はわりとおなじみの演目であった。

歌舞伎は同じ演目だからこそ、見れば見るほど面白いなあと、
いつも思うことを今回も痛感した。

今回の魁春の八重垣姫で、特に嬉しかったのが、
とりわけ華やかな歌右衛門型を、じっくりと目の当たりにできたことだった。
歌右衛門のヴィデオを何回も見ていたので、おなじみだった。

始めから振り返ってみると、まず、「十種香」の幕が開くと、
白木造りのまん中の襖(のようなところ)は花模様になっていたりと思いっきり華やかだ。
あとの、三人の動きや衣裳とかが引き立つような舞台装置だと思う。

葵太夫の朗々と響く義太夫の語りに浮き浮きしていたところで、
梅玉の勝頼の出となる。赤の着付の上に紫色の上下を着ていて、
まず、まん中の階段に片足を落として、裾を流して刀をついてきまる型。
この型のまま、勝頼はしばらく静止して、スルスルッと上手側の八重垣姫の御簾が上がり、
八重垣姫は向こう側にむかって回向していて、下手側の濡衣の障子が開いて、
濡衣がこちらを向いて、うつむいて回向している。
死んだことになっている勝頼とその身替わりで死んだ蓑作をそれぞれ回向している二人、
チーンという鈴の音と三味線の音とが絡んで、ここでは義太夫も沈黙、
まん中には型のまま静止している勝頼がいて、そのシンメトリー構図の見事さ。
歌舞伎ならではの濃密な空間となっていて、いつも心ときめく瞬間なのだった。

それから、濡衣がセリフを言い、まん中で憂える勝頼がセリフを言い、
そしていよいよ、上手の八重垣姫の障子が完全に開く、
というふうに、濡衣→勝頼→八重垣姫、と焦点がうつっていく空間処理の見事さ。

障子が開くと、勝頼の絵姿に向って、観客に背を向け回向している八重垣姫がいて、
やがて正面を向く、そのときの型がなんとも愛らしい。
両手で数珠を持って、斜め上をうっとりを見上げて、脇脚を動かして……。
このあたりの派手な動きは歌右衛門型ならではのもので、
魁春はとても愛らしくて、娘っぷりがとてもよかった。
ちょっと、去年9月に文楽で見た、蓑助さんの人形を思い出した。
蓑助さんの八重垣姫が実に愛らしくて、この娘はただ単純に恋する娘なのだと、
しみじみ思ったのだけれども、魁春の八重垣姫を見みていると、
蓑助さんの八重垣姫のときの感動がまざまざとよみがえったのだった。

そのあと、濡衣が舞台の中央に出てきて、懐から血汐のついた布を出して、
それをふところに抱えて、キッと静止する、そして泣いて、もとの下手に戻る。
雀右衛門の濡衣は、黒の地味きものがとてもよく似合っていて、美しい。
去年9月の文楽見物でもしみじみ濡衣に心惹かれたのだったけれども、
その美しさは、自分の運命から逃れずあるがままに受け入れる人物の美しさ。
それは運命とたわむれているのでもなければ運命にもてあそばれているわけでもない。
ただ運命を受容として受け入れて、そのなかで懸命に立ちふるまおうとしている。
「十種香」でも策士らしい振る舞いをしつつもところどころで哀しみをただよわす、
その混じり具合が、雀右衛門の濡衣でよく出ていたように思った。

障子の間から勝頼の姿を垣間みて、それまで回向していた絵姿と見比べるときの、
八重垣姫の型もただひたすらかわいらしくて、柱の前での型のあと、
これは不要ッとばかりに、パシっと数珠を捨てるところがよかった。
その直後、キャーッと正面の勝頼のところに走り出て、
それから「濡衣こちへ」と二人で上手に入って恋の仲立ちを頼む八重垣姫、
ここは歌舞伎の入れ事なのか義太夫が無しで、下座から胡弓が響いて、
濡衣の複雑な心中が思いやられるような感じで、八重垣姫の方では、
濡衣に仲立ちを頼むと、恥ずかしそうに指を揺らしたりなんかして、どこまでも無邪気。
濡衣に本気なのかと念を押されると、扇を出して恥ずかしそうに顔をかくして、
三味線のリズミカルな音型に合わせるような舞踊風の動き、
そのあと、兜を盗み出すように濡衣に頼まれると、やっぱり本物の勝頼様と、
八重垣姫が駆け寄って、ここから先の八重垣姫のクドキ。
濡衣の方では、柱を向いてそれまで八重垣姫が見ていた勝頼の絵姿を見てうつむいて、
そして、下手の方へ戻っていく。対照的な二人の女の姿なのだが、
濡衣の性根をのぞかせる雀右衛門の姿が、無邪気な娘っぷりの魁春と両極的で、
そして、どちらもとてもよかった。「十種香」の好きな部分を、
二人の女形が素晴らしく演じていて、その間に挟まる梅玉も柄にあった役でよかった。

そのあとが八重垣姫の本領という感じの勝頼の向ってのクドキ、
つい立ての鳥の夫婦の絵を見ての動きとか、それから、
先ほどまで回向していた絵姿を確認するため上手の方に戻って
そして「待ってましたッ!」という感じの、柱に手をまきつける型の美しさ!
クドキの最後の方では、「あらあら」と扇を開く濡衣の所作にクスクス。
八重垣姫を取り巻く数々の型、特に今回じっくりと見た歌右衛門型の華かな、
見事な娘っぷりに陶然となりつつも、ところどころで濡衣も見逃せないのだった。

それにしても、魁春の八重垣姫、とてもよかった。
数々の型を見るにつけ、「おっ」とつい何度もメモをとってしまうくらいに、
とびっきり魅力的な演技で、娘っぷりが実に愛らしかった。
去年九月の『廿四孝』通し上演見物で、圧倒されたのが蓑助の八重垣姫で、
その八重垣姫は、狐火のところよりむしろ、十種香のクドキの人形の動きに
とにかくうっとりで、舞踊を見て陶然となっている時間によく似ていた。
今回の歌舞伎での、魁春の八重垣姫は、あのときの蓑助の人形の感動を彷彿させていた。
それは、魁春の八重垣姫の始めから終りまで、一貫して思ったことだった。

八重垣姫のクドキにうっとりとなっているうちに、
濡衣が扇を開いて仰ぐ動作をした直後に、パーッと空気が変わって、
突然という感じに、謙信が登場する、その鮮やかな場面転換が気持ちよかった。
勝頼の花道での引っ込みが気持ちよくて、下座音楽にも浮き浮き、
それから、勘九郎、吉右衛門と討手が登場して、ワクワクは続く。
勝頼を心配そうに見守る濡衣と八重垣姫が再び登場して、
「今日はいかなる」と八重垣姫のクドキがあって、
実はその正体を見破っている謙信に睨まれる濡衣、
その三人のパッときまる見得で終わるところも、実に見事な幕切れ、
今回の「十種香」は始めから終りまでの隅々まで堪能した時間だった。

……などと、「十種香」の感激を書こうとして、ついだらだらと書き連ねてしまったけれども、
一言で言うと、今回とてもよかったのは、歌右衛門型をじっくりと確認することで、
あらたに堪能する「十種香」の世界、そして、襲名披露にいかにもふさわしい
素晴らしい八重垣姫をみせてくれた魁春に拍手、脇を添えた雀右衛門、梅玉たちもよかった。

口上では、去年3月31日、桜と淡雪がちらつくさながら「関の扉」のような日に、
亡くなった歌右衛門のことと魁春襲名のこととが述べられていて、
芝翫さんが、歌右衛門は初代吉右衛門に、芝翫さんは六代目に預けられて、
はなればなれになってしまったのだけど、歌右衛門は第二の師匠ともいうべき存在、
というふうにおっしゃっていて、うーむと、このあたりの演劇史の勉強を誓うのだった。
歌右衛門の二人の息子として、梅玉と新魁春、芝翫のあとに口上を述べる梅玉の
ちょいと早口な口跡がとても気持ちよくて、この人の口跡好きだなあと思った。
そして、富十郎の口上、五代目富十郎襲名の際に、富十郎家の裃の色がわからず
歌右衛門に相談してこの色に決まったというお話がとても面白かった。
しみじみ、富十郎の着ている裃を眺める。茶色っぽい色、正確な色名は何だろう。
……などなど、またもや収集がつかなくなってしまうのだけれども、
最後にひとつだけ、團十郎の口上で、歌右衛門にいろいろ指導を受けたというところ、
思い出すのは、去年11月の国立劇場の『義経千本桜』の通し上演、
團十郎の知盛がとてもよかったのだけれども、それも20年くらい前に上演した際に、
共演した歌右衛門に厳しく鍛えられた賜物なのだそうで、現在見ている
歌舞伎のいたるところに、歌右衛門の残してくれたものがあるのだなあと、
わたしは歌右衛門の舞台を見ることは出来なかったけれども、
歌右衛門の残してくれたものに目をこらすことはできるかもと、なにかと胸がいっぱいになった

『沓手鳥孤城落月』では成駒屋の家の芸の淀君を豪華な配役で見ることができて、
芝翫演じる淀君を見て、遠い昔の、五代目歌右衛門に思いを馳せ、
『ぢいさんばあさん』は端正な舞台装置と緻密な脚本を堪能し、
勘九郎と玉三郎という共演では今までずいぶんよいものを
見せてもらっているなあと、しみじみだった。
ちょっと終盤、冗長かなあという気もしたけれども、
舞台で進行するストーリーにそのまま身をまかせるひととき、
「十種香」で思わず一人ヒートアップしてしまったあと、ほんわかと楽しんだ。





  

4月23日火曜日/映画と小説、ルビッチと久生十蘭

今月、渋谷の映画館で開催されていた増村保造と若尾文子の特集上映に足を運んで、
前から見たかった『青空娘』とか『最高殊勲夫人』をはじめとして、
それから、柳原良平のタイトルバックが洒落っけたっぷりの、
増村保造と市川崑と吉村公三郎のオムニバス『女経』が、それぞれがとてもよかった。

……と、映画のチラシを眺めながら、スクリーンの追憶にひたっていたところ、
『お嬢さん』を文字を見つけて、びっくり。
三島由紀夫の『お嬢さん』映画化されていたのだ!
しかも若尾文子主演だなんて、まあ! うっかり見逃してしまったけれども。

三島由紀夫の『お嬢さん』『永すぎた春』『夜会服』を立続けに読んでいたのは、
増村保造の『青空娘』を観たのとちょうど同じ時期だったということもあって、
三島由紀夫の一連の少女小説のヒロインを、『青空娘』の若尾文子のイメージに当てはめて
ブラウスとロングスカートが似合う美しい女の子を頭に思い浮かべて読んでいた。

小説、特にこういう風俗小説を読んでいると、ついキャスティングを試みてしまう。
いかにもぴったりな配役が思い浮かぶときの歓びといったら!

それが、『お嬢さん』は、本当に若尾文子が演じていたなんて、見逃してしまって残念。
でも、本を読んでいるときの想像だけでとどめておくのもよかったかも。

というふうに、自分をなぐさめていたところで、
三島由紀夫の映画化作品のことがとても気になる。さっそく調べてみたところ、

■ 映画界の三島由紀夫日本映画データベースより)

ああ、なんということだろう、『永すぎた春』も若尾文子がヒロインだったのだ。
それから、『幸福号出帆』まで映画化されていたとは!
こちらの方はあまりピンとこない配役、と思ったのが、
よくよく見ると、岸田今日子の高橋ゆめこさんは似合い過ぎではないかッ。
高峰三枝子の歌子さん、房子さんの江波杏子というのもなかなかいい線いってる。

……というわけで、しばし日本映画データベースで遊んでしまった。

映画化作品というと、獅子文六の映画化作品が多いので、
獅子文六を読むたびに、実際の配役を眺めては、ふむふむとうなずいたり、
「違う−ッ」と思ったりするのが、わたしのひそかなたのしみなのだ。

■ 映画界の獅子文六日本映画データベースより)

獅子文六原作の映画は今まで結構みているのだけれども、というか、
実は、獅子文六の名前を知った、そもそものきっかけは映画を通してだった。

前々から小林信彦の文章で知ってとても気になっていたのが、『自由学校』。
それがフィルムセンターで上演されているのを見つけて意気揚々と
見に行ったのが1998年の夏のこと、並木座が閉館する直前のことだった。
渋谷実監督の松竹映画で、主演の佐分利信と高峰三枝子がとにかくよかった。
脇にいる、淡島千景、杉村春子、笠智衆といった役者も光っていた。
そして、一番胸を打たれたのが、程よい後味のちょっと渇いた上質のユーモア。
それから、銀幕の東京風景、あとで川本三郎さんの本で知ったのだが、
屑拾いの仕事についた佐分利信がその道の先輩の東野英治郎に教えを請うシーンは、
アネテフランセから水道橋に降りる坂の途中で、
東京で特に好きな場所のかつての姿をスクリーンで見るよろこびは格別、
お茶の水といえば、小津安二郎の『麦秋』に登場のニコライ堂の裏の喫茶店が大好き。

思いがけなく、『自由学校』が気に入ってしまったところ、
それまで小津や黒澤、成瀬巳喜男とかの監督特集中心に日本映画を見ていたのを、
今後は監督特集と並行させて、映画史的にはわりと無名だけど
そこはかとなくいい感じの佳品、という系譜を見つけてみるのもよいかもと思った。

と言っても、思っただけで、ただ単にフィルムセンターに何回か足を運んだ程度で、
獅子文六の原作は欠かさずに見ていたが、『自由学校』以上のものはなく、
『大番』がわりかし面白かったかな、という程度だった。

それから程なくして、荻窪のささま書店の均一棚で、
『自由学校』の裸本(装幀は小穴隆一)を見つけて、それが初めての獅子文六で、
これがまた宮田重雄の挿絵ともども映画に匹敵、いやそれ以上のお気に入りとなり、
それから、古本屋さんでたまに獅子文六を見つけると買うようになった。
特に好きだったのが『青春怪談』、ぜひとも市川崑の映画を観たい!
そんな感じに、緩慢にわたしの獅子道は始まった。それがヒートアップしたのが去年のこと。

実は、あとになって、そもそものきっかけの『自由学校』、映画は二種類あって、
小林信彦が論及していたのは渋谷実監督のものではなく、吉村公三郎の方で、
殿山泰司も『あなあきい伝』で吉村公三郎の方を高く買っていたと記憶する。
(わたしは吉村公三郎の方はまだ観たことがない。)

獅子文六の原作の映画では、ぜひとも川島雄三の『箱根山』を観たい!
獅子文六の小説は講談社の大衆文学館で文庫化されていて、
それを買ったのは阿佐ヶ谷で、去年9月、成瀬巳喜男のサイレント映画、
『夜ごとの夢』を観た日のこと。一気読みしてしまうくらい面白かった。

……とまあ、なにはともあれ、映画と小説というと、
獅子文六を読むようになったのは、映画がきっかけなのだった。
そして、映画がきっかけだったというのが、自分でも「いいな、いいな」と思っている。



わたしの、映画がきっかけで書物を読んだ経験、その白眉はルビッチと久生十蘭だ。

一番好きな作家の名前を挙げるとすると、久生十蘭の名前は絶対にはずせないのだが、
わたしが久生十蘭を読んだのは、わりかし最近で、今でもよく覚えている、2000年10月のこと。

きっかけは、芝山幹郎著『映画は待ってくれる』(中央公論社、1998年)だった。

ルビッチファンであれば誰でもきっと、
「まあ!」と思わず手にとってしまうに違いないタイトルだけど、
新刊で見たときは、パラパラと店頭でめくったのは覚えているけれども、
そのまま棚に戻してしまっていて、それからしばらくたって、
古本屋さんの棚で再び手にとって、そのとき突然欲しくなって買った。
芝山幹郎さんは朝日新聞の書評欄の短評コーナーのセレクションが
いい感じだったので名前を知っていて、それから週刊文春の映画評も
この人のだけはチェックする、という程度の知識だったのだが、
「キネマ旬報」でのわりと長めの映画評をまとめたこの本は、
見たことのない映画(の方がずっと多かった)でもグイグイと読んでしまう感じで、
でも、やっぱり見たことのある映画、好きな映画の文章に心ときめくのは当然のこと。

というわけで、ルビッチの『極楽特急』のページが一番ワクワクだった。

その文章は「横顔の似たふたりの男」というタイトルで、その書き出しは、

《アナロジーの快楽。
それに尽きる、などと決めつけるつもりはないが、
映画を見る楽しみの何割かはここへ戻ってくるような気がしてならない。
すくなくとも私の場合はそうだ。》

というふうになっていて、やがて、久生十蘭の名前が登場する。

《ルビッチの全体像と十蘭の全体像はけっして似ていない。
……にもかかわらず、ある種の嗅覚にめぐまれた同時代人にありがちなことだけれど、
二枚の影絵が交錯するように、ふたりの横顔はふしぎなクロスの仕方をすることがある。》

ルビッチの映画に久生十蘭を類推、あるは十蘭にルビッチを類推。
その例として、何項目が挙がっているのとを抜き書きしてみると、

《物語の大枠を思いっきり単純に省略する一方で
細部の描写を念入りにかさね、「優雅なシニシズム」をあぶりだす方法》

《どちらへころぶのか最後の最後までわからない「悪辣できわどい人間関係」の設定》

《嘘を何枚も何枚も上塗りし、その糊しろから苦い真実をたちのぼらせる効果》

《そして、いうまでもなく、読者や観客に作品の余白をゆだね、
それを思うままに埋めさせる「タッチ」》

そして、久生十蘭の小説、『湖畔』『復活祭』『巴里の雨』『春の雪』を挙げていて、
「ひとりの女とふたりの男しか出てこない」終戦直後の横浜が舞台の
『復活祭』の一節が登場して、そして、ルビッチの『極楽特急』へと向っていく。

この芝山幹郎さんの文章をじっくりと読んで、
なんとしても、久生十蘭の小説を読まねばならぬ! と思った。
当時、久生十蘭の本を読んだことは一度もなく、
その名前も字面だけ知っている、という程度だった。
本を買ってはじめて「ひさお・じゅうらん」と読むことを知ったくらい。

「これは大変、久生十蘭を読みたいッ」と、神保町の東京堂に走って、
とりあえず文庫本を二冊買って、喫茶店に入って、コーヒーを読みながら
『湖畔』のページをじっくりとめくっていった、それがわたしの十蘭体験の最初。
またたくまに久生十蘭に夢中になってしまって、
読み始めのころは、教養文庫の『昆虫図』所収の諸短篇にクラクラしっぱなしだった。

その数日後、ふらりと鎌倉散歩をしたとき、
小町通りの木犀堂で見つけたのが、コレクションジュラネスクの『黄金遁走曲』。
この本に収まっている一連の短篇、巴里、もしくはモダン都市東京が舞台の、
昭和10年代の諸々の小説、ここでもうトドメを刺された感じ。十蘭にもう夢中。

と、そんな感じで、久生十蘭の小説を読みふけっているうちに、
先のルビッチとのアナロジーのことは遠い記憶の彼方へと行ってしまったけれど、
『心理の谷』を読んだとき、このヒロインはミリアム・ホプキンスそのもの! と思った。

それから、昭和10年の「新青年」に連載の『黄金遁走曲』にゾクゾク、
クラクラしながら思ったことは、この構図、線の形は、
高野文子の漫画『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』そっくり! だということ。
今思うと、かなり無理矢理だけど、でも幻惑感はよく似ている、と思う。

本当にもう、なんて幸福な出会いだったことだろうと思う。芝山幹郎さんには感謝しないと。
とにかく、久生十蘭は、ルビッチがきっかけというのにふさわしい、素晴らしさだ。

……と、今日突然、久生十蘭のことを書いたのは、ちょうど
『久生十蘭全集第七巻』、『金狼』と『キャラコさん』を読み終えて興奮していたから。
ひさびさに、どっぷりと久生十蘭の小説に身をしずめて、ただもう快楽のひとときだった。

映画がきっかけで、読み始めたふたりの書き手、獅子文六と久生十蘭、
フランス帰りのふたりの男、演劇がらみのふたりの男、
昭和10年代の「新青年」で競い合うようにモダーンな小説を書いていたふたりの男、
わたしのなかでも、特別な位置にいるふたりだ。

いま、芝山幹郎さんの『映画は待ってくれる』をめくっていたら、
清水宏の『按摩と女』のくだりに大感激してしまった。
『按摩と女』は、二月に阿佐ヶ谷で観た。なんでもないようでいて心が震える映画。
芝山幹郎さんの文章を読んで、いつの日か『簪』を観たいと切に思っているところ。





  

4月30日火曜日/横浜晩春散歩のこと、神奈川近代文学館のおみやげ

三連休の、ある晴れた日、横浜へ観光に出かけた。

先週見学した、国立公文書館の《花と行楽》という展覧会がとても面白く、
江戸の名所と名花を紹介した古文書に見られる、
花とともに歌や句を詠む静かな花見の様子に「いいな、いいな」と、
個人的な今後の生活の設計への刺激を受けたりした(つもり)。
諸国名所図会の挿絵が一番のお気に入りで、とりわけ関西の名所図会がよかった。
京都の花と名所を紹介した『都名所図会』は女の人のくつろぐ姿の
柔らかい線が、花の絵と同様にイキイキしていて、眺めては和み、
大阪の年中行事を紹介した『難波鑑』は、絵が少しキッチュな感じもしてクスクス、
『吉野山独案内』を通して吉野の満開の桜を見ると、
どうしても、『義経千本桜』の四ノ切や『妹背山』の吉野川、気分は一気に歌舞伎。
なにはともあれ、書物を眺める時間は、それだけで楽しいのだった。

……などと、思わず展覧会の追憶にひたってしまったけれども、
晩春の横浜散歩、石川町で下車して、元町の商店街をぶらぶら歩いて、
外人墓地への坂道を上って、公園に入る道筋、いたるところで花が咲いていて、
休日に横浜に出かけただけで、思いっきり「花と行楽」気分を満喫した。
そこはかとなく、先週の展覧会の余韻が残っていて、気分はさらに上々だった。

横浜にたまに行くようになったのは、ここ二、三年のことで、
神奈川県民ホールへウィーン国立歌劇場来日公演を聴きにいった日の、
駅からホールまでの道筋に散見されるアールデコ建築がとてもよくて、
この頃からなんとなく横浜が好きになった。
なんといっても、近場なのに旅行記分を味わえるところがよい。

それから、横浜がさらに楽しくなったのが、去年の秋、
黄金町のシネマジャックで吉村公三郎特集が開催されていたとき、
毎回通いたいッと思ったものの、結局一度しか行けず、
『眠れる美女』と『越前竹人形』の二本立てを観るにとどまった。
11月のある土曜日に、行きは京浜急行に乗って黄金町で下車、
帰りは、関内駅に向って、だらだらと歩いて行った。
その関内までの道すがら、何軒か古本屋さんがあって、なんとなく見物して、
特に買い物をしたわけではなかったのだけど、そこはかとなく独特な感じで、
横浜の古本屋さんって楽しいなあと上機嫌だった。一緒に歩いた友人が、
植草甚一の文章にも横浜の古本屋さんめぐりがあったよねえと言い出し、
それを聞いて、そうそう、覚えてる覚えてると、ますますよい気分になっていたのだった。
黄金町あたりは「裏道人生論」的雰囲気なのだけど、
関内に近づくと賑やかになってくる、その変化も面白かった。

というわけで、古い日本映画が見られるだけでも嬉しいのに、
横浜に行くということで観光気分を味わえて、
さらに古本屋めぐりもできるシネマジャックに注目しようと決めた。
1月中旬の連休で、時代劇映画を観に行ったきりなのだけど、
またちょくちょくシネマジャックに行きたいと思ったりと、
今のところほとんど土地カンのない横浜なのだが、なんといっても獅子文六を生んだ土地だし、
これから折に触れて、観光に出かけて、少しずつ横浜を知っていきたいところ。



さてさて、今回の横浜散歩の一番の目的は、神奈川近代文学館だった。
となりの、大佛次郎記念館にも行ってみたいッ、とかねてから思っていて、やっと悲願達成。

元町に来るのは、去年の12月に続いて今回が二度目。
あのときは、人工の雪が舞っていたりして、ちょっとびっくりだった。
元町の老若男女で賑わっている商店街はとてもいい感じで、ウキウキだった。
今回も、石川町で下車して、わーいわーいと商店街に入って、
ハンカチ好きとしては近沢レース店にはどうしても興奮してしまうのだった。
パン屋でパンを買って、丘の上の公園で昼食、近くを猫が歩いていった。
いたるところで花が咲き乱れていて、青い青い空のした、海の風が吹いていた。

大佛次郎記念館、とても楽しくて、書斎を再現した部屋が素敵、
図書室と閲覧室があって、神奈川文献が揃っているので、
ここで今後の鎌倉散歩の予定をたてるのもよさそうだなあと、ゆっくり滞在するのもいいかも。
展示物も、芝居のこととか雑誌「苦楽」のこととか鎌倉文士のこととか、
もともとの興味関心と程よくマッチしていて、とてもよかった。
この日に備えて、『霧笛』と『花火の街』を読んだばかりだったので、臨場感たっぷり。
お土産に、前から気になっていた『スイッチョねこ』の絵本と、
鏑木清方による「苦楽」表紙絵の絵葉書セットを購入。

いそいそと、霧笛橋を渡って、本日の最終目的地、神奈川近代文学館へ。

神奈川近代文学館では現在、夏目漱石展が開催中なので、
それをもとに、今回横浜散歩計画を練り上げた次第。

わたしも人並みに漱石体験をしていて、はじめて読んだのは中学生のとき、『こころ』。
それ以来、三年周期ぐらいで、どっぷりと漱石にひたる時期があって、
一番最近は、おととしの晩秋、新書サイズの旧全集を何冊も読んだ。

漱石展はとても混雑していて、あまりゆっくり見られたとはとてもいえないのだけれども、
それなりに楽しんだ。いつも思うのだけど、春陽堂の漱石の初版本はどれも装幀が素敵。
特に嬉しかったのが、漱石の着ていたきもの。なかなかのお洒落さん。
胃痛持ちの神経質な漱石とは対照的にわりかし大雑把と思われる奥さんの鏡子さんがいい感じ、
謡の先生だった宝生新は、たびたび遅刻や無断欠勤をして漱石を怒らせたらしくて、
ここでも、漱石の苦虫つぶした顔が目に浮かぶようでついクスクス。
日記や随筆でよく見る、テンションの低い漱石が実は大好きで、
そんな漱石読みのことを、ちょくちょく思い出した時間だった。
『硝子戸の中』の大ファンとしては、これがあの硝子戸かと、家の写真に胸がいっぱい。

それから、漱石門下の人たちで野上豊一郎の名前を見て「おっ」と、嬉しい。
このところ、、能楽堂に行く度にお世話になっているのが野上豊一郎で、
岩波文庫の『謡曲選集』だけでなく、図書館の棚にあるいかにも古い謡曲全集をコピーしていて、
今までのお能見物に堪能していたのは(といっても3回)、この人の仕事に負うところが多い。
戸川秋骨といい、福原麟太郎といい、野上豊一郎といい、
そもそも漱石がそうなのだが、英文学者と能愛好家、という系譜を感じるのだった。
野上弥生子の旦那さんだったというのは、実は、今回初めて知った。



漱石展をそこそこ楽しんだところで、さて出口、そこで思わぬ大興奮が待っていた。

絵葉書売場で、小村雪岱の絵葉書を見つけて「キャー」と感激していて、
他にも見逃せない絵葉書が多々あって、吟味に吟味を重ねて、本日のおみやげを選出、
それにしても、文学館のポストカードって、なんて楽しいのでしょう!
と、感激していたところで、大岡昇平の講演を収録したカセットテープが売っていて、
猛烈に聴いてみたいッ、とさらに興奮してしまった。
やっと平常心を取り戻し、ポストカードの会計を済ませて、
今度は、過去の展覧会図録のバックナンバーコーナーで大興奮。

今まで、神奈川近代文学館、なんと魅惑的な展覧会が催されていたことだろう。

まず、《獅子文六展》の図録を発見して「キャーッ」と大騒ぎして、
《大岡昇平展》の図録もあるではないか、先ほどの講演テープの未練が吹っ飛び、
《文学の挿絵と装幀展》だなんて! まあ! 前々からの関心事のストライクゾーン。
他にもいろいろあったのだが、まあ、今回のところは、
《神奈川文学散歩展 横浜―文学の港》で、今後の横浜散歩の計画を練ってみたい。

というふうに、吟味に吟味に重ねて、やっと選びだし、図録を四冊購入した。大散財。

神奈川近代文学館、漱石展もたのしかったけれども、おみやげも素晴らしかった。満足満足。
というわけで、お土産のポストカードより三枚選出して、別ファイルを作成しました。

★ 本日の別ファイル: 神奈川近代文学館のお土産ポストカードより >> click



神奈川近代文学館を出たときはちょうど閉館時間で、そのあとは、坂道を下って、
元町商店街に戻って、もうちょっと横浜散歩を楽しみたいところだったのだが、
なにしろ土地不案内なので、今回はこのあたりで切り上げることにして、
東横線に揺られてとろとろと家路に向かい、途中下車して、夕食を食べた。
朝から晩まで浮かれまくっていた一日で、まさしく「糸の切れた凧」状態だった。

今日は、《神奈川文学散歩展 横浜―文学の港》の図録に刺激を受けて、
三島由紀夫の『午後の曳航』を10年ぶりぐらいで再読した。

横浜文学散歩といえば、忘れてはならぬのが、鶴見の総持寺、戸板康二のお墓参り





  

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