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(1) 小村雪岱画 邦枝完二『お伝地獄』 1935年頃 木版画

小村雪岱 先日、目をランランとさせながら読みふけっていた、星川清司著『小村雪岱』(平凡社)で、大衆文学と挿絵画家の系譜が気になるッ、と思ったなかで、もっとも興味津々だった未知の作家が、邦枝完二。その名前をきちんと知ったのは今回が最初で、星川さんの言葉によると、邦枝完二の小説は「江戸世話物風時代小説」。師とあおぐ永井荷風と同様、たいへんなお洒落だったが、荷風のような毒はなくまったくの善意のひと。ああいう江戸のいなせな文章を書く人には見えない人だった、というところがまたよい。昭和15年の雪岱の死によって、『おせん』や『お伝地獄』で見られたような勢いは急激に衰える。雪岱が死んだとき、「これから先、どうやったて小説を書いたらいいのかわからなくなった」とつぶやいたという。

今回、神奈川近代文学館のミュージアムショップで大喜びで購入した、1997年開催の《文学と挿絵と装幀展》図録で、数々の小説作者と挿絵画家の幸福な組み合わせが多数紹介、そのなかのひとつが小村雪岱と邦枝完二。図録の説明書きを参照すると、雪岱の画風について「鮮烈な線描、卓越したデザイン感覚と斬新な構図、五感の隅々まで訴えかけてくるような詩情と品格あふれる画風」というふうに、まさしく間然するところのない説明書き。この絵葉書は、図録のカラー図版で紹介されてあるうちの一枚で、この絵は、読売新聞連載終了後に邦枝完二の求めに応じて制作された木版画、とのこと。高橋お伝といえば、山田風太郎の明治小説集の一冊でナイスな登場のしかたを見たのみなのだけれども、この『お伝地獄』、いったいどんな小説なのだろう。いつか、この「江戸世話物風時代小説」を読んでみたいなと思う。講談社の大衆文学館で上下で出ていたそう。

……などといろいろ思いつつ、まずは、雪岱の絵葉書は初めてで、とにかく嬉しいッ。


(2) 岩田豊雄(獅子文六)画 「マルセル・マルソーの舞台裏」(1953年パリで)

獅子文六 今回、神奈川近代文学館のミュージアムショップで大喜びで購入したものの最たるものが、昭和59年開催の《没後15年獅子文六展》の図録、まだ売っているなんて! 即購入。そもそも、横浜がそこはかとなく気になりだしたきっかけのひとつに、獅子文六を生んだ町だったということがあった。河盛好蔵が《私たちの世代の人間は、獅子文六よりも先きに、岩田豊雄の熱心なファンであった》と記す、文学座の幹事としての本名岩田豊雄での活動、《フランス現代劇についての深い造型をフルに活かして、わが国の新劇を熱心に指導し、劇壇に新風を吹き込んだ》については、以前から興味津々だったもののまだあまり詳しくないので、いろいろ刺激的だった。

この絵が描かれた1953年は、獅子文六にとって三度目の外遊、イギリス女王戴冠式参列のため派遣されたときに訪れたフランス、約25年ぶりのパリだった。この外遊に関しては、とても印象的な文章があって、「流浪の夢」というエッセイ。『モーニング物語』(木鶏社、1996年)という獅子文六随筆集の書評で鹿島茂も書いているので(『暇がないから読書ができる』所収)、その文章を借りてしまうと、《晩年は小説で稼いだ金でフランスの田舎に暮らそうと目論んでいた。ところが、戦後25年ぶりにパリを訪れ、渡仏40年の日本人の友人たちに再会すると、彼らが社会との接触を失ってすっかり耄碌しているのを見て愕然とし、フランスへの夢も一気に冷めてしまう。フランス屋としては大いに考えさせられる話である》、わたしも大いに考えさせられる話である。旦那さんが亡くなるという事態があったとはいえ、イタリアから帰国した須賀敦子さんのことも思い出す。久生十蘭がパリ再訪を夢みていたが病魔におそわれ果されなかったというエピソードがある。パリを再び見ていたとしたら、十蘭はどう思ったことだろう。なにはともあれ、きわめてすぐれた人間観察者であった獅子文六の面目躍如たるものがある文章で、思えば獅子文六の小説の一番の魅力は、登場人物の人物造型なのだ。

……などといろいろ思いつつも、演劇者としての岩田豊雄、その原点だったフランス演劇への憧れを刺激してくれる、なかなか素敵なポストカード。嬉しいッ。


(3) 岡鹿之助画 中里恒子『わが庵』 1974年12月 文藝春秋

神奈川近代文学館のミュージアムショップには、中里恒子展の図録もあった。中里恒子はまったくの未読なのだが、表紙がとてもきれいでうっとりだった。さて、この絵葉書は、岡鹿之助の装画。岡鹿之助は、なにげなく見ていた展覧会でふと見つけるとその度にふつふつと嬉しくなる画家のひとりである。たとえば、先月に目黒区美術館での《昼下がりの所蔵作品展》でも一枚あって、去年秋に訪れた長谷川町子美術館でも見ることができた。しみじみキャンバスと絵の具の混じり具合や色の感じが面白くて、画面の全体にただよう静寂さや典雅な音楽を聴いているかのような響き、見る度に心に静けさが漂う、あの時間が好きだ。長谷川町子美術館は案外とてもよくて、ここ所蔵の岸田劉生の麗子像、大好きだ。それから、洲之内徹の『絵のなかの散歩』の「岡さんとの話」は大のお気に入りの一編。(実は、戸板康二好きとしては、劇評史に燦々と輝く岡鬼太郎の息子、というだけでも興奮)。

というわけで、今回も絵葉書を見つけて、嬉しかった。岡鹿之助の装幀本といえば、久保田万太郎の『オスロ』(中央公論社、1951年)がある。白夜と花の咲き乱れるオスロでの万太郎、不機嫌なような上機嫌のような、両者が渾沌と混じり合っていて、その融合の旅行記の味わいは格別だった。そう、戸板康二が羽左衛門の『高時』を評していた一節を思い出したのだ。不機嫌のような上機嫌のような、天狗との踊りの際の高時の姿のこと。そして、いつでもどこでも美しい万太郎の文章。久保田万太郎著『オスロ』は、とある古書展の安価コーナーでカバーなしで売っているのを買ったので、正確にはどんな装幀だかは知らない。本体には、この中里恒子のポストカードとよく似た花の絵が書いてあった。