日日雑記  July 2001

01 都立中央図書館にて
03 更新メモ、森鴎外の『羽鳥千尋』、朽葉色
05 『魔都』読了、「彷書月刊」を買う、神保町のフォリオ
06 野崎歓と金井美恵子のトークショウ
07 日本橋の三越、武田花の写真集
10 早稲田演博の《六代目歌右衛門展》、古今俳優似顔大全
11 平野書店お買い物メモ:圓生と獅子文六
12 久生十蘭の『真説・鉄仮面』
16 アール・デコ展、Pen のキッチン道具特集、羽左衛門のこと
17 文庫本買いのよろこび、井伏鱒二の『仕事部屋』
18 色川武大の『なつかしい芸人たち』から向田邦子の脚本へ
19 菊五郎展の追憶、「演芸画報」昭和9年8月号の戸板康二
20 向田邦子の『阿修羅のごとく』、教文館と歌舞伎座行き
21 東京都現代美術館の《水辺のモダン》、バスにのって月島
24 渡辺保の選ぶ戸板康二の三冊
25 向田邦子の『あ・うん』
26 堀江敏幸の翻訳:ミシェル・リオの『踏みはずし』
28 五反田遊古会、原美術館、フィルムセンター

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7月1日日曜日/都立中央図書館にて

早起きして、いざ広尾へ。何の因果か、
今日は、開館から閉館まで都立中央図書館にいた。

終日の都立中央図書館というのは、わりとひさしぶりだ。
つい、窓のそとの木の葉の揺れ具合と、
そこから漏れる太陽光線の反射具合をぼーっと眺めたりも。
それにしても、外はとても暑そうだ。

さてさて、図書館ごもりの一番の楽しみは昼休み。
わたしは昼休みの時間は一時間と厳密に決めていて、
一時間まではのんびりしてもよい、しかし一時間までと心に決めている。

と、そんなわけで、最上階の食堂で、
行きがけに駅前のサンドイッチ屋で購入した、
本日の昼食をペロリと食べた。
窓の向こう側に東京タワーが見えるのだけど、
今日の席の横はうっそうと茂った木の枝。

しかーし、のんびりと昼食をとっていただけでは、ここまで来た甲斐がない。

数分で食事はおしまいにして、残りの昼休みの時間は、第二の研究課題、
すなわち、戸板康二研究(というほどのものでもないが)にいそしむのだ。



今日の閲覧資料は、「オール読物」の戸板康二追悼号。
雑誌の追悼特集では、たぶんこれで全部目を通したことになるかと思う。

もともと、追悼文マニアのわたくしなので、
興味のある人物の追悼記事は文句なしにたのしい。

今まで緩慢に、戸板康二の追悼特集を追いかけてきたのだけど、
追悼文そのもののよろこびもさることながら、
雑誌によって微妙に追悼する人が違っているので、
そこからそのまま雑誌のカラーが伺えて、
同時に戸板康二をいろいろな側面から見直すことができるので、
追悼特集めぐりは格別の時間である。

それから、当時はどんなことがあったのかなとか、
あらこんな記事があるわ、とか、目当ての追悼記事以外の箇所も面白い。
なので、「オール読物」が最後の雑誌だと思うと、少し寂しい気すらする。

今日閲覧した「オール読物」には戸板康二追悼特集のほかに、
園山俊二の追悼特集もあって、そこの東海林さだおの文章がとてもよかった。
それから、長部日出雄による《世阿弥とルビッチの関係》という文章が面白かった。
ルビッチ生誕100年記念連続上映を受けて書かれたもので、
わたしがルビッチの映画を初めて観たのは、その3年後、
生誕100年上映のリヴァイヴァルをしていた1996年の池袋。

「オール読物」の戸板康二追悼特集は、1993年3月号。「オール読物」は、
のちに『あの人この人』[*] の一冊となる、「昭和人物誌」という連載が、
戸板康二の死で中断するまで続いていたという因縁のある雑誌なのだ。

追悼特集のページは《戸板康二さん、「ちょっといい話」》
と銘打ってあって、1ページ目は、自宅のソファで
蒐集したウサギグッズを前に微笑む戸板さんの図、となっている。

見開きで9枚、計18ページにわたる特集で、
追悼文の書き手は、矢野誠一、江國滋、小田島雅志、三田純一、
小沢昭一、吉行和子、金子信雄、山川静夫、富士真奈美。

それぞれに戸板さんの人柄が偲ばれる文章で、戸板ファン大喜びだった。

まさにそれぞれ「ちょっといい話」的な空気を醸し出していて、
戸板康二という人物の大きさのようなものが、各人の文章の空気を形成していて、
その空気がとても心地よくて、幸せな時間だった。

どれもよい文章で、一気に読んでは何度もニンマリしていたのだけれども、
獅子文六こと岩田豊雄の登場する、金子信雄の文章が、
獅子文六ブームの渦中にある今、一番嬉しかった。

戸板康二が戯曲を書くことになって、
金子信雄のいた劇団マールイで上演されたのだが、
そのまえに戸板さんの意志を聞いた金子信雄が、
「芝居は観る者と観られるものとでは立場が全然違う」と、
「これは容易ならざることだと思っ」て、
二人の共通の師とも言うべき、岩田豊雄(獅子文六)に相談に行く。

そのとき、文六氏は、

《お前、戸板ほどの男が新しい仕事をするということは勇気のいることで、
いままで批評して来た者が批評される立場も立つということは、
容易さらざる決心である。俺も側面から面倒を見るから、
お前も戸板に乗せられた気でやれ!》

というふうに怒鳴ったとのことで、

チャキチャキしていてどこかユーモラスでもある
文六氏の物言いが、いいなあ……。

文六氏の人となりがよく出ていて、『あの人この人』[*]
「岩田豊雄の食味」とセットで味わいたい言葉だなあと、胸がジンとなる。

その後、戸板康二は『マリー・アントワネット』という、
丹阿弥谷津子がヒロインの戯曲をこしらえるのだが、
金子信雄は「戸板さんの戯曲はどうしても観客の立場から書く」ので、
その度に書き直しをさせて、とうとう七度目に、
「金子君、もうこれ以上は直さないからね」と怒鳴られ、
そのときが最初で最後の、戸板康二に怒られた経験だったとのこと。

獅子文六に戸板康二と、立続けに怒鳴られている、金子信雄である。



本日の閲覧資料はあともう一点、「文藝春秋」昭和27年5月号。

久生十蘭の著作年表で知ったところによると、この号には、
久生十蘭による《歌舞伎教室―その形式と演劇精神》という文章が載っているというのだ。

えー! 久生十蘭による歌舞伎に関する文章だなんて、ぜひ読んでみたいッ、
読みたいったら読みたいッ、と非常に楽しみにしていた。

いざページを開いてみると、なんと!
『白浪五人男』で赤星十三に扮する、久生十蘭の姿が。
なかなかキマっている、ような気がする……。

《歌舞伎教室》の本文は、フランス演劇に精通している筆者が、
エトランジェの視線から歌舞伎に関する雑感を述べた、という感じの体裁。

よくよく思い出してみると、久生十蘭のフィクション以外の文章を今日が初めてだ。

《「勧進帳」の四天王がつけている大口の色感も、
斬新性において、超現代的とでもいうようなものであった。
揚幕から出てきて花道でとまると、附際のほうから、
こういう順序で並ぶことになる。
エメロォド
ジョーヌ・ド・クローム No. 1
ラック・ド・ギャランヌ
テール・ド・シェンヌ・ナチュレル
偶然なことに、これはユトリロのパレットにある有名な十二色のうちの
四色にあたるものなのだが、そんなことはともかく、
それらの色の調和がつくりだす階調の美しさは、
ほどんど信じられない程度のものであった。 》

という文章に代表されるように、
仏蘭西風を吹かしているくだりがたくさんあって、
こちらも、一気に読んでは、つい何度もニンマリしてしまった。

……とかなんとかしている間に、厳密に一時間と設定してあったはずの、
昼休み、一時間をゆうに越してしまっていたのは、言うまでもない。




  

7月3日火曜日/更新メモ、森鴎外の『羽鳥千尋』、朽葉色

The Joy of Music を更新。夏になると、毎年「えせ江戸趣味」に染まる。

月が変わってしまったので、走れ!映画にタイトルだけ付け足す。
このところ、阿佐ヶ谷の成瀬巳喜男特集に通っている。
『晩菊』とか『流れる』とか何度でも観たい成瀬映画はたくさんあれども、
今回は観たことのない映画だけに足を運ぶことに。
それにしても、成瀬巳喜男、それぞれなんて素晴らしかったことだろう。
いずれも夜8時の上映に平日寄り道していて、
昭和の遺物という感じの、阿佐ヶ谷の裏町を薄暗い街頭の下、
ひょいと横切っていく時間がたのしく、
小沼丹と井伏鱒二が飲んだ時代の町並みの雰囲気が
容易に体感できて、胸が躍ったりもしている。
喫茶店プチとかストロベリーフィールズとかいう
ビートルズの音楽が聞こえてくるお店とか、あのあたりの横丁が好き。
お店そのものには足を踏みいれることはなく、
今後も通り過ぎていくだけだと思うけれども。
さてさて、成瀬巳喜男、あと何本観られるのかしら。

こちらも月が変わってしまったので、劇場の椅子にお出かけ記録を付け足し。
せめて気分を変えようと、絵を貼りかえる。かっこいい五郎蔵。



先日、都立中央図書館で、気分転換を図ろうと、
文学全集のある棚をめぐっていたりもしていて、
女学生の頃、図書館に来る度にめくっていた
筑摩書房の萩原朔太郎全集とか、
東京堂に行く度に立ち読みしている
新潮社の吉田健一集成を眺めたりしていたのだったが、
その折、なぜか急に、森鴎外の『羽鳥千尋』のことを思い出して、
鴎外全集の棚に行き、所収の巻を取り出し、
机に持ちかえり、しばし読みふけった。

これも女学生の頃、国語の教科書に載っていたのを目にして、
いたく気に入り、図書室で鴎外全集を借りたのがきっかけだった。

あの頃、つまりかなり昔だが、
なぜだか『羽鳥千尋』がとても好きだった。
ほんのり漂う退廃的な空気が懐かしいなあと、
『羽鳥千尋』を読みふけり、一気に気分転換終了と相成ったのだったが、
さてさて、話は急に今日の帰り道へと飛ぶ。

帰り道に、家の近所の古本屋に寄り道して、いろいろ本を見た。
今日はあまり買う気はなく、眺めるだけのつもりだったのだけれども、
ふと文庫本の棚に、ちくま文庫の『森鴎外全集』があって、
その中の一冊を何気なくめくってみると、またもや『羽鳥千尋』に再会してしまった。

ほかの文庫本に入っているような気もするのだけど、
勢いで、ちくま文庫の鴎外全集第三巻『灰燼/かのように』を買った。
なんとなく嬉しくて、家の近くのコーヒーショップに寄り道して、ページを繰った。

眺めてみると、『羽鳥千尋』以外はすべて、読んだことのないものばかり。
これを機に、夏の日々、鴎外を読むのもいいかもなあと思った。



羽鳥千尋は早世した実在の人物で、『羽鳥千尋』は鴎外宛の書簡で構成される短編。
国語の教科書に使われていたのは、羽鳥千尋が好きな言葉について綴った箇所で、

《私は好きな詞がある。廃虚、暮春、春鳥、埃及(エジプト)、
壁画、芸術、故郷、刀、革、かめ、踏青、種を蒔く、
その外イタリア、スパニアの地名、梵語、僧の名などである。……》

という一節があって、「踏青」という言葉を知ったのはこの文章がきっかけだったかと思う。
歳時記に載っている言葉で、春の野原で青々とした草を踏みしめること。いい言葉だ。
「踏青」に限らず、歳時記は素敵な言葉であふれている。

羽鳥千尋の真似をすると、最近、わたしの好きな言葉は「朽葉色」。
好きな理由など特になく、例によって、ただの気分なのだけれども。

またまた鴎外絡みだが、小堀杏奴の『朽葉色のショオル』という本があって、
先日、古本屋で買ったばかり。同じお店に旺文社文庫版も売っていたけれども、
今回は単行本(春秋社、昭和52年新装)を買った。装幀がとても美しくて。

美しいのは装幀ばかりではなく、中身の随筆も、
荷風をはじめとする文学者に関する文章もとてもうつくしい一冊。

表題の「朽葉色のショオル」はごく短いエッセイで、
「待つ」ことに潜む幸福について、家族との散歩、
そのときの母の朽葉色のショオルのことが書かれて、
木々の、秋風に吹かれた葉のざわめきが聞こえてくるかのような文章だった。

ちなみに、日本染織工芸愛好会のサイトによると、

朽葉色は という感じの色で(これではなんだか不明だが)、
わが愛読書『日本の色辞典』(吉岡幸雄著/紫紅社)を参照すると、
朽葉色のページに、『源氏物語』の「野分」の章の一節が紹介してあった。

冬の衣裳の準備をする女房たち、
「いときよらなる朽葉の羅、今様色の二さくうちたるなど、
ひき散らしたまへ」るのは源氏の息子の夕霧の下襲、

《若い夕霧のためであることを考えあわせると、
そこへ「今様」つまり紅花染の赤を合わせるとあるので、
地味な淡茶色だけではなく、黄色い葉がやや赤みをおびてきたようになる》

とのこと。

それから、いよいよ佳境に入ってしまった、久生十蘭の『魔都』なのだが、
事件がおこる赤坂山王台の有明荘、
《当時流行のコルビィジェという窓を大きく開ける式》の瀟洒なアパアトは、
《どの部屋にも足首の埋まりそうな朽葉色の厚い絨毯》が敷き詰めてあるのだそうだ。




  

7月5日木曜日/『魔都』読了、「彷書月刊」を買う、神保町のフォリオ

昨日、久生十蘭の『魔都』(朝日文芸文庫)を読み終える。

去年の秋に久生十蘭に夢中になって以来、
読まずに大切にとっておいた『魔都』なのだが、
ああ、とうとう読んじゃったなあ、と読んでしまったのが少し残念な気も。

久生十蘭の文体が醸し出すグルーヴ感にクラクラしっぱなしだった。
読んでいる間ずっとクラクラし、小津安二郎の映画のときにいつも思う
「終わってほしくない」という気持ちをずっと味わう、至福の時間だった。

あとで思い返すと、ミステリ的には「おや?」という箇所もあるのだけれども、
『魔都』の主人公はまぎれもなく、1935年の東京の都市そのもの、
荷風をはじめとする色々な本で垣間みてきた昭和10年付近の、
いわゆる「モダン都市東京」がヴィヴィッドに迫ってくる。

『十字街』が1930年代のパリの都市小説だとしたら、
『魔都』は1930年代の東京の都市小説で、そして両者も、
近代の闇のようなものがしっかり根底にあって、構図がとにかく見事。

登場人物もそれぞれ魅力的で、ついニンマリ。真名古が好きだなあ。
変幻自在に映画のカット割りのように次々にあらわれる人物と
そこからあらわれる空気感は、『黄金遁走曲』を読んだときも思ったことなのだけど、
高野文子の『ラッキー嬢ちゃん』の絵柄・線・構図、
あの世界がパッと頭に思い浮かぶ。わたしの勝手な思い込みだけど、
雰囲気がとても似ていて、とにかくもう好きな世界なのだ。

久生十蘭の「モダーン!」な小説を読むと、
いつも何かかっこいい映画のようだなあと思うのだけど、
久生十蘭のグルーヴ感の所以はまさにそこにある、と常々思っている。
それから、ディテール描写もこれでもかと急所直撃で、
キッチュでとびきりかっこよく、洒落ッ気たっぷりで
隅々までソフィストケートされた『魔都』の世界、
もうなんといってらいいのか、すべてが愛おしい。

巻末の、川崎賢子氏による解説で知ったところによると、
『魔都』には当世の様々な人物がカリカチュアされているとのこと。
たとえば、唄う噴水を解説する兼清博士は兼常清佐なのだそうで、
兼常清佐といえば岩波文庫の『音楽と生活』で初めてその名を知ったのだけど、
なんだかもう変でおかしいなあ、とニヤニヤしっぱなしだった。
それから奥村書店で数百円で兼常清佐の変な本を買っていたのだが
(奥村書店ではよくこんなふうに数百円の古本で「おっ」というのが多い)、
やはり! 兼常博士ってばお茶目だったのねッ、といろいろ楽しい。

……というふうに、過去の読書と対照させて、
あらためてモダン都市文学を捉える愉しみがどこまでも尽きない『魔都』!

その一方、またまた川崎賢子氏による解説で知ったところによると、
久生十蘭こと阿部正雄は1923年の関東大震災当時、函館新聞の記者で、
震災の日、古河から徒歩にて戒厳令下の東京に潜入した6人のグループの一人で、
そのグループには、先日、石神井書林の目録で初めてその名を知った、
1920年代の「アヴァンギャルド美術雑誌」の『MAVO』、
柳瀬正夢と村山知義が創刊した1920代のマヴォへ寄稿していた坂本勝もいたという。

……というふうに、石神井書林のカタログがきっかけで、
ふつふつと興味深かったマヴォなのだが、
こうして未来の読書とも緩やかにつながっていく『魔都』!

ちょっと、ドキドキしている。



というわけで、本日、日暮れ時の神保町に寄り道した。

さる方に教えていただいたところによると、
先月号の彷書月刊が村山知義の特集で、なにかと面白そう。
彷書月刊の1990年5月号の特集記事、
「大正モダニズム・ブック・レヴュウ」もお勧めいただき、
彷書月刊のバックナンバーが一通り揃っているという、
書肆アクセスまで張り切って買いに来た次第なのだ。

実は、彷書月刊を買うのも書肆アクセスに潜入するのも初めて。
いろいろ世界が拡がって楽しい。

書肆アクセスで過去の彷書月刊を眺めていると、
無視できない特集名が非常に多くて、しばし迷ってしまう。
今日のところは、目当ての上記の2冊と、
1994年3月号の杉浦茂特集と最新号の文庫本特集を買った。

フォリオに行って、閉店の8時までペラペラめくっては、ドキドキ。

フォリオでは、いつも「ウィーン風ミルクティ」というのを注文してしまう。

初めて、フォリオで「ウィーン風ミルクティ」を見つけたときは、
ハテ、いったい何がどのようにウィーンなのだろう? と非常に不思議で、
思わず注文したのだったが、現物がテーブルに届いたとき、
「そうかッ、そう来たか!」となんだか楽しかった。
東海林さだおの文章に、「いたちそば」とは何か、というのがあって、
それととてもよく似た気分だった。(←『ナマズの丸かじり』所収)
それ以来、フォリオでは「ウィーン風ミルクティ」なのだ。

フォリオは、フォークナー全集で有名な冨山房の経営の喫茶店で、
東京堂の向かいのドラッグストアの地下にある。
そのドラッグストアの場所は何年か前までは、冨山房の本屋だった。

大昔、『野生の棕櫚』にいたく感激して、
フォークナー全集のなかの1冊がどうしても欲しくて、
今はなき冨山房の経営の本屋さんに買いに来たことがある。
すでに絶版で、版元の冨山房でも買うことはできなかったのだけど、
そのときの店員さんの応対がとても親切で、感激のあまり、
それ以来、神保町で本を買うときは冨山房と東京堂の二本立てとなった。

冨山房の本屋さんには、ひっつめ髪の店長風のかっこいい女性がいらして、
彼女のチャキチャキした仕事ぶりの大ファンだった。懐かしいなあ。

いつのまにか冨山房の本屋さんは消えてしまったのだけど、
地下のフォリオは今でも健在。

フォリオに来るといつも、かつての本屋さんを思い出す。
今日のフォリオには、冨山房の叢書がテーブルに並べてあって、
それを眺めるのも楽しかった。タイトルの字面がとてもいい感じでうっとり。




  

7月6日金曜日/野崎歓と金井美恵子のトークショウ

青山ブックセンターの本店へ、野崎歓と金井美恵子のトークショウを聴きに行った。

『ジャン・ルノワール越境する映画』(青土社)を受けての講演会で、
この書物は、野崎歓が、雑誌「ふらんす」で連載していた
ジャン・ルノワールの書簡集にまつわる文章が元になっている。

もともとルノワールの映画は大好きで、結構観ていて、
素晴らしき哉ルノワール! と常々思っていたのだけど、
この書簡集の文章は、映画を抜きにしても、
ルノワールの文章そのものがまずは非常に魅力的だった。
ジャン・ルノワールという人物にますます興味が湧くし、
ますます大好きになるという、幸福な文章で、
ルノワールのすべてにすっかり夢中になってしまった。

ルノワールの文章は、いずれの野崎歓氏の手で、

と、いずれも青土社から刊行されている。

わたしは、雑誌「ふらんす」のルノワール書簡集がきっかけで、
次々とこれらの書物を手にすることになったのだけれども、
それにしても、野崎氏の仕事ぶりのなんと素晴らしいこと。
そして、ルノワールの映画、文章、人間、その全てがなんと素晴らしいこと!
いろいろなことに、感謝してしまう、幸福な出会いだった。

さらに、金井美恵子の文章でも、各所でルノワールのことを読めて、
あと『柔らかい土をふんで、』執筆のきっかけもルノワール、というわけで、
今回、野崎氏と金井美恵子さんのお話を直に聴けるなんて、
んまあ、それは大変! と、この日をとてもたのしみにしていた。

……と言いつつ、ギリギリまで所用があって、息も絶え絶えに
蒸し暑い宮益坂をのぼって、青山ブックセンターにたどりついた。

無事に聴けて、よかったよかった。



まず、野崎氏のお話があって、そのあと金井美恵子との対談という構成。

野崎氏の姿を見たのは今日が初めてだったのだけれども、
とても40代とは思えない「青年」という感じ、
非常に若々しく、語り口がソフトで颯爽とした方で、
洋服もバシッときまっていた。(と思う)

ルノワールに関する雑談的なおしゃべりには、つい何度もニンマリで、
映像を見る時間も少しあって、『女優ナナ』と『ピクニック』の冒頭を見ることで、
ルノワールの第一と第二の夫人の姿が見られる。

『ジャン・ルノワール越境する映画』の本文は、
戦争の混乱とかでフランスを脱出してからのルノワールに照明を当てた書物だ。

こうしてルノワールの書簡集が現在読めるのは、
すべて三番目の奥さんのディドの事務処理能力の賜物なので、
フィルムの時間は、この書物の前史を追う時間ともいえる。

と、同時に、舞台と舞台裏とか、画面の中で戸が開くところとか、
両者ともルノワール的構図の典型を目の当たりにすることが出来て、
書物の成立をつかめるだけでなく、ルノワール映画への愛も燃え上がる。

視聴覚資料はあともう一つ、サン=テクジュペリのルノワール宛の音声書簡。

サン=テクジュペリは、アメリカ行きの船上で同室だったという縁があって、
ルノワールと意気投合、ニューヨークからハリウッドのルノワールまで、
何度もカセットテープに声を吹き込んでお手紙を送っていて、
今日聴いたカセットでは、サン=テクジュペリは歌を歌ったり、
見えないのに手品をしたり、非常に御機嫌。天真爛漫だった。

そのあとで、ルノワールがサン=テクジュペリについて語った音声も再生してくれて、
サン=テクジュペリのことをルノワールは 、「子供だった」が第一声で、
子供の素晴らしさを全て持っていて、花・木・女性が大好きだったと言っていて、
不思議とルノワール自身のことや彼の映画にも当てはまることなのが面白かった。

……というふうに、ルノワールの魅力をふんだんに味わう時間だった。

野崎さんは、ルノワールの文章を訳すときは、
なによりもルノワールの言葉と戯れるのが歓びが大きくて、
つい一緒にこちらも笑ったり泣いたりしてしまう感じの、
嬉しい作業だった、というようなことをおっしゃっていて、
今日の講演会での野崎さんのお話や視聴覚資料でも、
聞いているわたしの方も、訳者の野崎さんの追体験ができたように思う。

なので、上記の4冊のルノワールの書物、これから何度も読み返そうと、
ふつふつと意欲が湧いてきて、こちらも嬉しくなってしまうくらい。



野崎氏のお話のあとは、金井美恵子が登場して、二人のおしゃべりを聴く時間。

やはりここではどうしても、金井美恵子の話を野崎さんが聞き出すという感じで、

『ジョルジュ大尉の手帳』と『イギリス人の犯罪』のこととか、
女優と監督の関係、ルノワールの映画では他とまったく違う女優の姿、
たとえば、バーグマンとかアンナ・マニャーニ、アルヌールのこと
トリュフォーの『突然炎のごとく』をめぐること、
ルノワール映画を類推させる、数々の素晴らしい映画のこと、

といった感じの内容で、ルノワールはもちろんのこと、
いろいろな素晴らしい映画をどんどん観たくなってくる、
これまた幸福な時間だった。

あと、金井美恵子といえば、文章と同じように、
その悪態についクスクス笑ってしまうのだけど、
今回も出た−ッ、という感じに登場した悪態は、
川本三郎による書評(この文章)を見て、
まず思い浮かんだのが「馬齢を重ねる」という言葉だった、
というもの。笑ってはいけないが笑ってしまった。
まあ、その「おや?」というところも川本さんの魅力なのだけど。

金井美恵子の新しい小説、『噂の娘』はあと2回で連載終了とのこと。
いつ本になるのかな、成瀬巳喜男の映画タイトルのその小説、今から待ち遠しい。




  

7月7日土曜日/日本橋の三越、武田花の写真集

お昼過ぎ、母と待ち合わせて、日本橋の三越へ行った。

わたしは日本橋の三越が大好き、何を買うでもなくただ行くのが好きで、
ここばかりはやはり母と一緒だと、気分はさらに盛り上がる。
そんなわけで、わーいわーいと久々の三越本店行きに上機嫌。

大正の東京の気分を鮮やかに示す「今日は帝劇 明日は三越」という標語がある。
そんな気分の詳しいこととか歌舞伎との関連における時代感覚が、
去年秋の早稲田演劇博物館での《五代目歌右衛門展》で最も印象に残ったことだったり、
『百貨店の誕生』(初田亨著/ちくま学芸文庫)という本が面白かったり、
都市空間としてのデパートといったいろいろ理論的なたのしみも多々あるのだが
そんな理屈は抜きでも、日本橋の三越は何を買うでもなく楽しい。

さて、まずは、お昼ご飯なのだが、三越のお昼ご飯というと、
わたしは、長らく四階の大食堂に憧れている。

きっかけは、東海林さだおの希有の大傑作「なんとなくクラシテル」という文章。

《三越デパート四階の大食堂で、
良江が「松花堂弁当」(1500円)、さやかが「洋風ランチ」(1500円)、
孫の健太が「お子様ランチ」(800円)を食べるのを常としている。
「松花堂弁当」は、さしみ、天ぷら、大きな豚の角煮に
野菜の煮物に玉子豆腐がついて1500円。
新聞半分ほどの大きなお盆一杯に展開するたくさんの料理を目の前にするたびに、
「こぉーんなについていて1500円!」
と、良江はいつも同じことを言ってニッコリする。
洋風ランチはフライ物が中心で、エビフライ、ホタテフライ、コロッケに
かなり大きな豚肉のソテーがついき、さらにマカロニグラタンの皿、
ババロアの小皿がつく。これまた長女さやかの大のお気に入りだ。
……「いつか、この上の六階の『特別食堂』で三人でお食事しようね」
というのが三人の夢だ。》

という一節を目にして以来、三越の大食堂でわたしも母と、
「こぉーんなについていて1500円!」と言ってみたい、
そして、食後は「いつか、六階の『特別食堂』でお食事しようね」で締めたい
と、ずっと思っているのだけれども、いまだに実行にうつせていない。

いざ当日になると、食欲がいまいちなかったり、
ウィンドウの見本やその付近の長蛇の列を見て怯んだり、とそんな感じで、
ついいつも三越のランチというと、3階のフォオトナム・メイソンになってしまう。

今日も結局、フォオトナム・メイソンだった。大食堂への道は遠い。

今日の三越では、新しい日傘にハンカチ、各種スキンケア商品などなど、
当座の真夏に備えた買い物が中心となった。去年みたいに夏バテなどにならぬように。

それから、一保堂の煎茶を買った。前から欲しかったので、嬉しい。
最近、お茶を飲みながら音楽を聴く時間がさりげなく幸福だ。
獅子文六の文章でも、煎茶の時間に関する一節があったかと思う。
そんなこんなで、真夏の今こそ、熱いお茶で一服、などと思っている。



日本橋丸善は少し前にダイナミックに改装したとのこと。
三越を満喫したあと、それはぜひとも見ておかないとッ、
というわけで、新しい日傘片手にゆっくりと丸善まで歩いた。

3階だけ衣料品売場で、4階が絵本と洋書、2階が専門書や洋書アート本、
といった謎の構造は相変わらずなのだが、新しい丸善、
かなりいい感じになりつつも、前の良さもきちんと残っているのが嬉しかった。

4階で絵本類を見て、2階で洋書のアート本などなど、とかなり長居。
武田花の新刊をわーいわーいと、買ってもらった。嬉しい。

武田花さんの新刊は、『シーサイド・バウンド』という、わりと大きな写真集。
版元は中央公論。5年前に出た、大好きな写真集『猫 TOKYO WILD CATS』と
同じ版元で、なんだかそんなことすらとても嬉しい。

今回の『シーサイド・バウンド』は花さんの写真でお馴染みの廃虚っぽい風景写真、
そこに散見されるのが、犬の登場する写真、という構成で、
いつかどこかで見たような景色が愛おしくて、
なんといっても、花さんの新しい写真集、それだけでとても嬉しい。

巻末には短かめの文章が収めてあって、少しずつ読んでいく愉しみも。
これからの夏の夜、お茶を飲みながら好きな音楽を聴いて、
そして、この写真集を眺めよう、などと思っている。
去年みたいに夏バテなどにならぬように。




  

7月10日火曜日/早稲田演博の《六代目歌右衛門展》、古今俳優似顔大全

午後は早稲田大学に所用があったのだが、今日は火曜日なのでラッキーだった。
なぜなら火曜日は演劇博物館の開場時間が、いつもより少し長いから。

演劇博物館では、現在《追悼・六世中村歌右衛門展》が開催中なので、
ぜひ見に行ってみようと思っていたところだったのだ。

4月に見学した《島田正吾展》と同じように、一室のみの小さな展覧会。

内容的には大変充実していて、思っていた以上に長居してしまった。
その間ずっと入場者はわたしひとり、静かな室内で思う存分堪能した。

ヴィデオテープのコーナーがあって、そこでは、
忠臣蔵の七段目と九段目、助六の舞台の映像が流れていた。
もちろん全編ではなくてダイジェストなのだけれど、
ベンチに座って、しばしうっとりと眺めてしまう。

たかだか3年の歌舞伎歴なので、もちろん歌右衛門の舞台は観たことがなくて、
わたしのなかでは、渡辺保の『女形の運命』と『歌右衛門伝説』での印象が濃厚である。

『歌右衛門伝説』に載っていた揚巻の舞台写真、その笑い顔は見ただけで、
なんだかゾクゾクしてしまうところがあって、
こうしてたまにヴィデオ映像を見ると、歌右衛門は、
歌舞伎の持つグロテスクさとか悪魔的なところをそのまま体現するような、
一度引き込まれたらもう忘れられない、
言葉では説明できない魔力みたいのを持った人だなあと思う。

今日のヴィデオで一番印象的だったのが、揚巻のときの手の動き。
なにかが憑いているかのような人間離れした動きで、
ちょっと垣間見ただけでも、なにやらスゴい感じだった。
あと、揚巻の打掛がとても美しくて、身体の動きと相まって、眺めてうっとり。

展覧会の構成は、代々の歌右衛門の錦絵、
六代目歌右衛門のブロマイドや舞台写真、
それから歌右衛門の趣味だったぬいぐるみの展示もあって、
そこの犬のぬいぐるみは飼犬のハナ子にそっくりなのだそうで、
そうそう、歌右衛門の犬の名は花子だと、
以前、文楽見物のときのロビーで、
初対面のご婦人に教えてもらったことがあった。

興味深いのが、アメリカ滞在中の三島由紀夫による、歌右衛門宛の絵葉書。
日付けは昭和32年5月で、歌右衛門へのプレゼントにオパールの宝石を買った、
ポケットのなかにずっと大事にしまっておくから、帰国の暁には持ってゆくよと、
なんだかもう、熱烈なラヴレターとも言えそうな文面で、
10月初めにニューヨークに帰るのでオペラとバレエが楽しみだとも書いてあった。

それから、歌右衛門襲名のときの諸々の資料も面白かった。
襲名興行は昭和26年の4月と5月で、そのときのポスターが飾ってあって、
鳥居忠雅の筆による肖像もあって、そこには初代吉右衛門による
「襲名の芝居も今は花ざかり」という句が添えられている。

去年10月に見学した、同じく演劇博物館での《五代目歌右衛門展》と、
その関連講座の二つの講演会は、目が醒めるくらいに面白くて、
歌舞伎を考える上でも個人的な戸板康二道という観点でも、
非常に得るものが大きく、わたしのなかでも大充実のイヴェントだった。

そのときの、「山の手の歌舞伎」と題された講演が非常に面白かったのだけれども、
昭和15年の五代目歌右衛門の死に際して、遺児の六代目歌右衛門と孫の芝翫は、
当初は六代目菊五郎に預けられるところだったのだが、
そこにはのちの七代目梅幸がすでにいたので無理で、
二人は結局、初代吉右衛門のもとに預けられることになったということを知った。

後の歌舞伎を変えるような経緯で、歌右衛門と梅幸というライヴァル同士がそれぞれ、
あらゆる意味で対照的だった菊五郎と吉右衛門の元にいたという事実が面白かった。

歌右衛門は初代吉右衛門の薫陶を受けていたという事実が、
今日あらためて、襲名時の資料で目の当たりにできたわけで、
それから、襲名興行の折の口上は、歌右衛門と吉右衛門と芝翫の三人が舞台に並び、
吉右衛門ひとりが口上を述べるという古風なスタイル、
という当時の写真も見ることが出来て、
5月に戸板康二の『六代目菊五郎』[*] を読んで以来ずっと心に残っている、
菊五郎の時代と昭和歌舞伎への道筋のことがいろいろ頭に思い浮かんだ。

歌右衛門襲名時には、谷崎潤一郎からも言葉が贈られ、その全文と巻紙の展示もあり、
三島といい谷崎といい、歌右衛門の周囲はいつも豪華絢爛。

今日の展覧会でも本文が何度か抜き書きして展示してあったのだが、
岩波新書の『歌右衛門の六十年』という、
山川静夫による歌右衛門へのインタヴュウを中心にした本があって、
そこでは、芸うんぬんはもちろんのこと、
こう言っては語弊がありそうだけど、昭和の歌舞伎界の頂点に
君臨した歌右衛門の「政治力」のようなものに、うーむ、と唸ったりもしていた。

今日の展覧会も、わたしにとっては書物や想像でしか知らない
歌右衛門の芸に思いを馳せる時間であったと同時に、
歌右衛門の生きた時代そのもの、歌右衛門の君臨した歌舞伎界そのものが迫ってくる感じ。

そしてもちろん、わたしの知らない歌右衛門の舞台への憧れが第一。
小さな展覧会だけど、大充実の時間だった。



《追悼・六代目歌右衛門展》の一角に、代々の歌右衛門の芝居絵の展示があって、
先日、永井荷風の『江戸芸術論』を読みふけっていたこともあって、
このところ、浮世絵、特に江戸の芝居絵への思いがふつふつと煮えたぎっていて、
服部幸雄著『江戸の芝居絵を読む』(講談社、1993年)を取り寄せたりもしている。

代々の歌右衛門の芝居絵が非常に楽しくて、とりわけ三代目歌右衛門に興味津々だった。
そこでは「兼ル」役者だと紹介されていて、渡辺保の『芸の秘密』では、
三代目歌右衛門は二章、取り上げられていて、「落葉の下草」という文章がとても面白かった。
今日の展覧会では、初代豊国の画、三代目歌右衛門演じる松王丸の絵が好きだ。

というようなことを思いつつ、眺めていると、
「あっ」と思ったのが、三代目豊国の《古今俳優似顔大全》というシリーズを目にしたとき。

そこでの三代目歌右衛門は熊谷なのだが、「あっ」と思ったのは、
3月の新橋演舞場における「仮名手本忠臣蔵通し狂言」での筋書きの表紙で、
《古今俳優似顔大全》の一部が使われていて、それを見て以来、
ふつふつと《古今俳優似顔大全》をまとめて見てみたいと思っていたところだったから。

そんなこんなで、江戸の芝居絵と歌舞伎役者にまつわるあれこれ研究を心に誓いつつ、
《六代目歌右衛門展》の部屋を出て、ふと図書室に足を踏み入れてみると、
なんと! 《古今俳優似顔大全》の図録が売っているではありませんか。
演劇博物館編集の資料集とのこと。このようなものが出版されていたなんて、
こんなに嬉しいことはないッ。これはもう即購入。

というわけで、いま、江戸の芝居絵が熱い。

展覧会のあとは、演劇博物館潜入の度にいつも楽しみに見に行く、
3階の歌舞伎と文楽の展示室に足を踏み入れて、
今日も、昭和初期の大阪の文楽公演のポスターを見て、
すっかり谷崎気分。それから、文楽人形の展示コーナーの、
『一谷嫩軍記』の相模の人形に見とれる。
5月の国立劇場のときと同じように、相模のきものにうっとりなのだった。

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演劇博物館のあとは、古本屋街を通り抜けていったのだったが、
そこで、思わぬ大散財をしてしまった。
長くなりそうなので、詳しいことは明日以降に。




  

7月11日水曜日/平野書店お買い物メモ:圓生と獅子文六

さて、昨日の続きを。

演劇博物館を辞したあと、高田馬場方面へズンズンと前進した。

今日の目的はただひとつ、平野書店で戸板康二を買うこと。

ちょうど一年前、去年の7月、同じく演劇博物館で
《三遊亭圓朝とその時代展》を見学したのだけれど、
その帰り道、例によって、古本屋の棚をつれづれに眺めていた。
その折、立ち寄った平野書店で、戸板康二の本を見た。
特に珍しい本ではなく、奥村書店でいつも売っている、三月書房のエッセイ集だ。

それから、去年の秋の《五代目歌右衛門展》のときも、
4月の《島田正吾展》の帰り道でも、平野書店で同じ本を立ち読みした。
戸板康二のその本、『目の前の彼女』(昭和57年)はいつも同じ棚にあった。
数カ月のときが経ても季節がめぐっても、その本は動いていないのだった。

戸板康二の著書の中でも、わたしは三月書房発行のエッセイ集が大好きで、
少しずつ古本屋で買い揃えている。刊行順でたどってみると、
奇しくも次の1冊は、『目の前の彼女』で決まりだと気付いたこともあって、
今日こそは、平野書店で『目の前の彼女』を買おうと思っていた。
長い年月、ひっそりと平野書店の片隅にたたずんでいるその本、
わたしが引き取らなければいったい誰が引き取るのだろう、とまで思っていた。

そんなわけで、今日は他の古本屋の棚を見ることもなく、平野書店まっしぐらだった。
平野書店に到着して、いざ足を踏み入れても、『目の前の彼女』まっしぐらだった。
すると! なんということなのだろう、『目の前の彼女』が棚から消えているのだ。
4月まではあった戸板康二のその本、ここ三ヶ月の間に誰かが引き取っていたらしい。

うーむ、『目の前の彼女』まっしぐらでここまで競歩してきた身としては、
肩透かしをを食った感じなのだけれども、平野書店でその本を初めて見たのは
去年の7月なので、ちょうど1年前のことになる。さすがに1年もたつと、
いくら緩やかでも棚は変遷してゆくのだなあと、しみじみ。
『目の前の彼女』が後日のお楽しみにとっておくとして、
今日のところは、蒸し暑い店内で気紛れに棚を眺めていることに。

……と、そんな穏やかな気持ちになったのとほぼ同時に、
かつて『目の前の彼女』が並んでいた棚のごく近くに、
三遊亭圓生著『圓生江戸散歩(上・下)』があるのを発見した。

この本は、先月に雑誌フィガロの東京本特集で紹介してあるのを目にして、
ぜひ手中に収めて、少しずつ読みふけりたいなどと思っていた本だ。
実はさりげなく奥村書店で探してもいたのだ。
戸板康二の導きで出会ったともいえそうな『圓生江戸散歩』、
これはもうよい機会なので、今日購入することに決めた。ふつふつと嬉しい。
フィガロの特集で気になった他の本、たとえば竜胆寺雄の文庫本と合わせて読もうと思う。

と、そんなわけで、『目の前の彼女』消失で生じた心の隙間は見事に埋まり、
今日のところはさっさと帰ろうと、レジに向かった。

その途中、探偵小説や時代小説など昭和の大衆小説が並んでいる一角があって、
宝石系のミステリや、久生十蘭全集の1冊などもあった。
そこで見かけた大佛次郎の猫エッセイの本がとても愛らしくてニンマリ。
ちょっと迷ったけど、今日は棚に戻すことにして、ふと視線を転じてみると、なんと!
「獅子文六コーナー」と呼んでも差し支えないような一角を発見してしまった。

今まで古書店でこんなにたくさんの獅子文六を見たことは一度もなかった。
(あまり真面目に探していなかったという説もあるけど……)
かろうじて獅子文六が揃っているなあと思っていたのは、
神保町の小宮山書店だったのだけど、お値段高めな上に、
ピシッとビニールでコーティングしてあって、中身を覗けないのが難だった。
しかも、このところ小宮山書店に行く度に見ていたところ、
獅子文六の本は減る一方で、増えるということはなかった。

今日の平野書店の獅子文六コーナーは、幅にすると30センチ以上はある。
しかもどの本も良心的な価格設定で、んまあ、どうしましょう、
今日はどの本にしようかしらと、困ってしまうくらい。

あんまり買い過ぎるのは美しくないので、なるべくなら避けたいところ。
しかし、いや待てよ、来月の歌舞伎座行きは見送りになった上に、
9月の新橋演舞場も結局行かないことにしたので、
当面の出費は当初の予定より減っていることだし、
そもそも早稲田界隈にはそんなに頻繁に来る機会はないのだから、
今度来るときは、獅子文六少なくなっているかもしれないのだし、
あれも一生、これも一生、こいつア宗旨を変えざアならねえ。

……というわけで、今がチャンス、欲しい本はすべて購入することにして、
平野書店の獅子文六コーナーでのお買い物は、結局計5冊となった。(買い過ぎ)

これで年内いっぱいは、獅子文六には困らなそうな勢いである。
これから、宝物のように少しずつ読み進めようと思う。ふつふつと嬉しい。

先ほどの圓生といい、今回の獅子文六といい、
ひさびさに古本屋で思う存分の買い物が出来て、満足満足。

演劇博物館の《六代目歌右衛門展》と「古今俳優似顔大全」の図録と
平野書店でのお買い物、ここまでの一連の約90分、
一ヶ月分くらいの満足がギュッと凝縮された時間だった。


【平野書店・獅子文六お買い物メモ】

● 『獅子文六作品集 第1巻』(角川書店、昭和34年)
朝日新聞社の獅子文六全集全16巻に至るまで、計4回刊行されている獅子文六の選集。
この角川書店版は2度目の選集。『金色青春譚』『達磨町七番地』『浮世酒場』
『楽天公子』『青春売場日記』『それは毒だ』の計6篇。
いずれも昭和12年の『悦ちゃん』のあたりに執筆されたもので、
このあたりのモダーンなユーモアは大好きで、最も興味深い。
念願の諸作品をやっと読めることになったのが、とても嬉しい。

● 『達磨町七番地』(白水社、昭和12年)
上記の作品集と内容はかぶっているのだけれども、装幀が非常に愛らしいので、つい。
ソフトカバーで高岡徳太郎の挿絵が素晴らしい! 頬擦りしたくなってしまいそうなくらい。
昭和初期の獅子文六のムードと見事に一致している装幀で、とにかく素敵な1冊。

● 『やっさもっさ』(新潮社、昭和27年)
終戦直後から立続けに新聞小説を書いている獅子文六、
『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』『青春怪談』と続いているのだけど、
このなかで『やっさもっさ』のみ未読だったので、購入を決意。
『自由学校』と同じく小穴隆一による装幀。
『やっさもっさ』は渋谷実監督の松竹映画を観たことがある。
ハズレ映画ギリギリのところでほんわかと面白いという感じの映画で、
主演の淡島千景がむちゃくちゃ綺麗だった。

● 『娘と私』(新潮社、昭和37年)
『娘と私』の初版は昭和30年の主婦の友社版。
この新潮社版は NHK でドラマ化されたのを受けて発行されたもののようだ。
というわけで、数百円とお買得な上、装幀も上品でいい感じ。
小説では徹底的に自己を排しているように見える獅子文六の、珍しい私小説的な一冊。
3回結婚していて2度も奥さんと死別している文六氏、
一番最初のフランス人の間に生まれた娘とのことを書いた小説で、
ハーフのお嬢さんは悦ちゃんと同じようにかわいい女の子だったに違いない。
そういえば、『悦ちゃん』の中のお父さんと悦ちゃんの姿も、
獅子文六とお嬢さんの分身なのかも。

● 『ある美人の一生』(講談社、昭和39年)
鶴見俊輔は、獅子文六を「伝記文学」として読んできた、と書いていて、
上記の『自由学校』などの新聞小説も好きだけど、一番心に残っているのは、
薩摩次郎八やアンデルさんや明治美人のことを書いた作品なのだそうだ。
それは獅子文六がモラリストの文学の系譜にいるからだと鶴見俊輔は書いていて、
彼は「モラリスト」の特色を、《他人の作品、あるいは古典からの借物ではなく、
自分自身の観察にうらづけられた短い批評であるところ》に見出している。
この鶴見俊輔の指摘は、『但馬太郎治伝』を読んだあとに目にすると、
うーむ、なるほどッ、と心にズシリと響くものがあった。
というわけで、獅子文六の伝記文学の系譜を探ろうと、
明治美人のことを書いた『ある美人の一生』を手にとった次第。

まとめてみると、平野書店でこのたび衝動買いした計5冊の獅子文六の書物、
見通してみると、いつのまにか、獅子文六の様々なジャンル、
昭和初期のモダーン文学、戦後の新聞小説の黄金時代、そして伝記文学の系譜、
それから獅子文六の渇いたユーモアを考える上で欠かせない、
奥さんを亡くした文六氏のこと、といった感じに、
獅子文六を多角的に捉えるのに、ぴったりなセレクションとなっていたのだった。

というわけで、いま、獅子文六がさらに熱い。




  

7月12日木曜日/久生十蘭の『真説・鉄仮面』

久生十蘭の『真説・鉄仮面』(講談社文庫大衆文学館)を読み終えた。

この本は久生十蘭に夢中になったばかりの頃、
自由が丘の古本屋で購入したものなのだが、未読だった。

このところ、『十字街』、『魔都』と立続けに久生十蘭の長篇を読みふけっていた。
戦後の時代短篇小説を収めた『無月物語』(教養文庫)所収の解説において、
中井英夫は、『真説・鉄仮面』を「唯一の完璧を極めた長篇」と明言している。
そうなれば、一連の久生十蘭の長編小説の締めくくりに、
今こそ『真説・鉄仮面』という感じだったので、満を持してページを繰った次第。

デュマの小説でお馴染みの、ルイ14世にまつわる鉄仮面伝説を、
久生十蘭独自の解釈でもって、一遍の小説に仕立てたという体裁の作品で、
昭和29年の1月から10月まで「オール読物」で連載されていた。

『真説・鉄仮面』は、『魔都』と同じように、
十蘭の生前には単行本としての刊行はなかったこともあって、
『魔都』のときと同じように、雑誌連載時の頃に思いを馳せて読んだ。

1章ずつ含みをもたせて幕を閉じて、
章の初めは前回までのおさらいが少し付くというスタイル。
全10章を10回分の連載小説として、各章を雑誌連載の気分で
読み進めることができたので、そんな気分がまた格別なのだ。

全体の印象は、『無月物語』(教養文庫)所収の諸短篇に共通する文体、
すなわち、じわりじわりと抑えた筆致がとても印象的だった。
物語を追うというよりは、久生十蘭の文体や描写にじわりとひたる時間だった。

横井司の解説によると、『真説・鉄仮面』は、
「迫り来る運命を、それがどんなに悲惨なものであろうとも、
受容として受け入れようというモチーフ、
『十字街』や『紀ノ上一族』などによく現れていたモチーフを
扱った作品としても読める」とのこと。なるほどなあ、と唸る指摘だった。

『無月物語』(教養文庫)所収の諸短篇の空気を類推したのは、
まさにそのモチーフという点にあったことに気付かされたのだった。

迫り来る運命を受容として受け入れるというモチーフといえば、
『魔都』の古市加十も、むちゃくちゃかっこよかったなあと懐かしい。

『真説・鉄仮面』の解説によると、『魔都』は終盤になると
口述で語り下ろされたのだそうで、筆記した土岐雄三によると、

《彼は部屋の端にねそべり、肩肱を枕に、朱羅宇の長煙管を刻み
タバコをくゆさせ乍ら、一章一句を口にする。
私はそれを原稿に書くのだが、十蘭のさまは、
なにか歌舞伎の舞台のようにカタがきまっている。
気取っているといえばいえようが、それが十蘭生得の演技であった。》

とのことで、んまあ、久生十蘭そのものが、むちゃくちゃかっこいい!

久生十蘭に夢中になったきっかけは、なんといっても
昭和10年代の「モダーン!」でとびきりかっこよくて
洗練された世界にメロメロになったからなのだけれど、
このところ、戦前とはガラリと変わったかにみえる、
昭和20年代の久生十蘭の文体にとみに引き込まれていた。
なかなか一筋縄ではいかない十蘭、尽きない愉しみがある。

捕物帳をはじめとして、まだまだ久生十蘭の本は大事にとってあるので、
巴里生活や演劇との関わりや同時期の「新青年」というふうに、
さりげなく共通点の多い獅子文六と合わせて、
これからまた、ゆっくりと十蘭の文体や作風を追ってみよう。

講談社文庫の「大衆文学館」は、活字のレイアウトが洒落ている
菊地信義の装幀が素敵で、巻末の解説もとても行き届いていて、
既刊リストを垣間みても、日本の大衆小説の豪華なラインナップで、
実にすばらしいシリーズだなあと、ため息。
既刊リストによると、獅子文六の『箱根山』も刊行されている。

岡本綺堂の『半七捕物帳』と大佛次郎が部屋の本棚にあるのだけれど、
「大衆文学館」、他にも川口松太郎とか狙っていた本が多々あって、
東京堂に在庫があったので、気が向いたときに買おうと思っているうちに
時が過ぎゆき、気がつくと、東京堂の店頭からも完全に姿を消していた。

うつくしき「大衆文学館」の遺産に感謝しつつ、
近いうちに大佛次郎を読んでみようと思っている。
鏑木清方の表紙がうるわしい戦後の文芸雑誌「苦楽」のこととか、
久生十蘭全集全七巻の編者だったことととか、
周縁からは大いに関心はあったのだけど、作品そのものはまだ未読なのだ。




  

7月16日月曜日/アール・デコ展、Pen のキッチン道具特集、羽左衛門のこと

日曜日の午後、新宿伊勢丹の美術館で《アール・デコ展》を見物。

今回の展覧会は、ソナベンド 夫妻のコレクションの紹介で、
そのコレクションはアール・デコのなかでも初期、
すなわちクラシック・アール・デコのものが中心となっている。
クラシック・アール・デコはアール・ヌーヴォー様式の装飾性を保っているのが特徴。

さまざまな家具に花瓶などの工芸品、
ルネ・ラリックをはじめとするガラス工芸に装身具、などなど
展示点数はそんなに多くはないのだけれど、
ゆったりとスペースをとって展示してあるうえ、
あまり混んでいなくて、ゆっくりじっくりと見学するこができた。満足満足。

花瓶の曲線と直線を交えたフォルムと絶妙な色具合は、
歌舞伎の衣裳を見ているかのような幸福感だった。
機能美と直線美が同居していて、素材の美しさが際立っている諸々の家具も、
ひとつひとつが眺めて幸せという感じで、数々のガラス工芸も素晴らしかった。
去年の年末に庭園美術館で見た《ルネ・ラリック展》での至福を胸のなかで再現したりも。

1925年のパリでの博覧会が生んだデザイン様式のアール・デコ、
1919年のワイマールでのバウハウスの誕生、
これら二十世紀の「モダーン!」なデザインは、いつ見ても愛おしい。

その愛おしさの所以はなんといっても、
洗練されたデザイン感覚と日常生活の機能美とが
融合している点にあるように思っている。
なので、今日の展覧会のように、これらに触れてみただけで、
日頃の日常のきらめきへの思いがモクモクと胸に沸き上がってきて、
感覚が研ぎすまされていくような錯覚を覚えたりもする。それがとても楽しい。



そうそう、日常のデザインというと、Pen の「男のキッチン道具」特集がとても面白かった。

先週末に購入して以来、お気に入りの写真集のように、
何度も何度も同じページを繰っては、しみじみ眺めている。しあわせ。

ここでも、日常のきらめきへの思いがモクモクと胸に沸き上がっくる感じ。

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……という日記を昨日書く予定だったのだが、
羽左衛門追悼番組をおしまいまで見入ってしまい、一日遅れに。

歌舞伎を見始めたばかりのおととしの9月、
『二条城の清正』における家康の威風堂々ぶり、
『高時』での風格あるれる動きを目の当たりにして、
初めて羽左衛門の名前がくっきりと心に刻まれた。
その9月の次に見たのは、11月の顔見世興行。
そのときはなんだか元気がないなあと思ったら、ほどなくして休演してしまい、
そして、1999年の幕開けの歌舞伎座では『楼門五三桐』では威風堂々ぶりが復活していて、
年明け早々とても嬉しかったのをよく覚えている。
(というふうに、ほんの少し前の舞台でもすぐに忘れてしまういい加減なわたしでも、
不思議と羽左衛門の記憶は鮮明なのだ。)

それ以来、毎回舞台に登場する度に、脇にビシッと羽左衛門がいるだけで、
不思議とそれだけで舞台が引き締まって、風格がうまれる、
あの存在感がとても好きだった。

わたしが最後に見た羽左衛門は3月の忠臣蔵、四段目の二人の上使のうちの石堂。

3月の忠臣蔵のときは、わたしにしては珍しく事前にみっちりと予習していて、
戸板康二の『忠臣蔵』[*] を至福の思いで読みふけっていた。
四段目の石堂に関して、戸板さんは、

《石堂は儲け役である。申し渡しは終ってから、判官の前に進み、
石堂個人としての同情を表すところでも、切腹を見届けてから花道まで行き、
見送ろうとする人々と制して「そのまま」といって入るところでも、
さぞかし演ている当人は、いい心持ちだろうと思う。》

というふうに書いていて、これを目にしたとき、
石堂の配役を確認してみると、あら羽左衛門、あのときの嬉しさといったら!

そんなこんなで、ほんの3年間の歌舞伎歴のなかで、
羽左衛門にはずいぶんよいものを見せていただいなあとしみじみ。

戸板康二の文章といえば、『わが人物手帖』[*] と『百人の舞台俳優』[*] で、
羽左衛門に関してまとめて読むことができて、いつもながら戸板さんの語り口がとてもいい感じなのだ。

『百人の舞台俳優』では、羽左衛門の『高時』に関して、
《天狗におどりを教わっている時の、上機嫌のような、不機嫌のような、
わがままな執権の生活態度が、おもしろく出ていた》という一節があって、
3年前の9月に観た羽左衛門の高時の記憶が鮮明に甦る。

『わが人物手帖』の文章では、三越劇場での弁慶のことが印象的。
それから、戸板康二が小学生時代、暁星の同級生と
菊五郎チームとの野球の試合を応援にいったときに、
同級生の梅幸に写真を届けようとして行き違いで、
羽左衛門に遭遇するくだりがあって、そのときが初対面だったとのこと、
そのくだりもとても面白かった。戸板康二と羽左衛門は同じ世代なのだ。

『わが人物手帖』の羽左衛門の項は、
たびたび戸板さんの書いたものに羽左衛門から意見や反論などをもらったこと、
そして最後、羽左衛門は、「気がついたことを黙っていわずにいるほど、
お互い、仲が悪いわけじゃないんだからね」とニコニコ笑いながら言ったのだそうだ。
なんだかもういかにもだなあ、と、あの丸っこい顔が目に浮かび、
戸板さんの語り口と相まって、ほんわかとよい気分。




  

7月17日火曜日/文庫本買いのよろこび、井伏鱒二の『仕事部屋』

先月に見た、雑誌「フィガロ」の《本で旅する東京》特集で
その名を知った本、『圓生江戸散歩』の購入をきっかけに、
同じく「フィガロ」の記事を目にしてその名前が気になっていたはずの竜胆寺雄、
『放浪時代・アパアトの女たちと僕と』(講談社文芸文庫)
のことを急に思い出して、こうしてはいられない、と本屋に寄り道した。

予定通り、竜胆寺雄を手中に収めて、
それから前々から読みたいと思っていた、
ミシェル・リオの『踏みはずし』(堀江敏幸訳)と
ミルハウザーの『三つの小さな王国』(柴田元幸訳)が
白水社のuブックスで発売になっているのを店頭で見つけて、
ワオ! と大喜びで、手中に収めた。
白水uブックスの新刊はたまにしか出ないけど、
そのたびに必ず、ワオ! と大喜びしているような気がする。
前から読みたかった本の記憶が甦ってくるのみならず、
さらにそれを廉価普及版で手に入れることができる、なんて素晴らしいのでしょう!

それから、ずっと買い損ねていたハヤカワ epi 文庫、
今日はお金がないので見送りだなあと店頭で懊悩していたそのとき、
ふと『猫はブラームスを演奏する』という名のミステリ(リリアン・J・ブラウン)を発見。
わたしは何ごとにつけても「ブラームス」と聞くとそれだけで無視できない。
こ、これはちょいと読んでみよう、と思いがけない本を手にとることにもなった。

というふうに、ひさびさに文庫本買いのよろこびを噛みしめていたのは、先週末のこと。

文芸文庫の『放浪時代・アパアトの女たちと僕と』は竜胆寺雄の唯一の文庫本。

巻末の刊行リストによると、竜胆寺雄の文庫本では、
かつて岩浪写真文庫で『シャボテン』が出ていて、
サボテン研究家としての顔をのぞかせたりもしている。
岩波写真文庫といえば! 小宮豊隆・戸板康二監修『歌舞伎』[*] で、
わたしのなかではお馴染みのシリーズ。(って、これ1冊だけだけど)
こうなってくると、岩波写真文庫つながりということで、
ぜひとも『シャボテン』も見てみたいッ、と思ってしまう。

……とまあ、そんなことはどうでもよいのだが、
講談社文芸文庫の竜胆寺雄を手にしてふと思い出したのが、
同じく文芸文庫の、井伏鱒二の『仕事部屋』のことだった。

『放浪時代・アパアトの女たちと僕と』を説明する「昭和初期モダニズム」という言葉、
この言葉はそのまま、井伏鱒二の『仕事部屋』にも当てはまる。

『仕事部屋』を購入したのはもう何年も前のこと。
きっかけは、坪内祐三の書評集『シブい本』(文藝春秋)の文章を目にして。
今、手元に『シブい本』がないので参照できないのだけれども、
『仕事部屋』を読みたいッ、と一気に思ってしまうような書評だったかと思う。

読まれることなく何年も本棚に放置されていた『仕事部屋』だったのだが、
とりあえず買っておくのもあながち悪いことではない、
なぜなら、今回のように、急にその本のことを思い出すことが多々あるから。
そんなこんなで、竜胆寺雄を読む前に、ぜひとも『仕事部屋』をと、ページを繰ったのだった。



前置きが異常に長くなってしまったのだけれども、さて、井伏鱒二の『仕事部屋』(講談社文芸文庫)。

先週末からのんびりと読みふけっていて、ときおり、
前から大好きな『夜ふけと梅の花』や小沼丹の『清水町先生』を読み返したりもして、
少し寄り道しながら、『仕事部屋』をランダムに読んでいて、今日、全部読み終えた。

井伏鱒二の『仕事部屋』の初版は、昭和6年の春陽堂。
その後、全集に収録されることもなく幻の小説と化していたのを、講談社文芸文庫が復刊した。
目次は初版の春陽堂をそのまま踏襲していて、

と、思わず目次を書き写したくなってしまうくらい、あっと驚くくらいの素晴らしき設計。
「淑女のハンドバッグ」とか「背の高い椅子の誘惑」、「隣りの簡単服」などなど、
タイトルの字面がいい感じなのと、それからここに載っている雑誌名、
(新青年や三田文学、それに都新聞)にも、ワクワクした。

作品そのものに触れる本読みのよろこびだけでなく、
昭和6年の初版がそのまま文庫になっていることで、
その時代の気分を初版を手にしている感覚で味わうことができること、
それから、当時の文芸雑誌に思いを馳せながら読めるたのしさが格別なのだ。
文芸文庫を開くと、カラー口絵が1枚あって、
春陽堂の初版のハイカラな装幀を目の当たりにしているので、気分はさらに上々。

そんなわけで、『仕事部屋』を繰る時間がとても心地よくて、
その心地よさが気持よいばかりに、前から好きだった『夜ふけと梅の花』に寄り道したり、
小沼丹の『清水町先生』(ちくま文庫)で文字通り緩頬したりと、
井伏鱒二の風韻を感じながら、『仕事部屋』の世界にひたった。

一番先に読んだのが、タイトルにもなっている中篇の『仕事部屋』。
下宿屋の娘と、下宿人とその友人わたしの緩やかな三角関係。
娘は結婚の夢が破れて、カフェーの女給になる。
そこに別の男が現れたり、「自働電話室」へ行って
カフェーにその男になりすまして電話をかけたり、
デパアトの屋上で口論したり、シーソーに乗ったり。
なんと説明すればよいのかわからないのだけども、そこにあらわれる空気がとてもよかった。

昭和初期は不況の時代。娘は女給になるしか道がなく、
下宿人二人は麻雀を打ったりお金持ちの家へ家庭教師に行ったりと、
おおむねふらふらしている。そこになんとなく鬱屈した空気も流れているのだけど、
いたずらに鬱屈することもなく終始のほほんとしていたりもする。
その物語の根底には、昭和初期の都市風俗があるわけで、
井伏鱒二の小説に出てくる男は独特ののほほんさがあって、
小説全体にあらわれる気分にひたる愉しさが第一だった。

他の短篇でも、自働電話室で女の人に割り込みされる、
すきま風が入り込む喫茶店のマダムと好きな女の子の尾行するお話、
中央線を乗り過ごして立川まで行ってしまって、そこの自働電話室で女給さんに遭遇、
旅館の隣室の簡単服(ワンピース)の女がいる、
獣医さんのところに下宿している元女中のカフェーの女給、
などなど、独特の雰囲気を醸し出す語り手である男と町の女との交錯と
井伏鱒二の小説によくあらわれる、夜ふけの町並みというモチーフ、
ここでも小説を覆う雰囲気がとにかくもう好きな世界。

それから、これらの諸短篇を覆う空気は、
『大学は出たけれど』とか『東京の合唱』とか、
小津安二郎のサイレント映画の雰囲気になんとなく似ているなあと思った。
うっすらと流れる昭和初期モダニズムの空気としがない日常のさりげないドラマ、
思えば、井伏鱒二の『仕事部屋』と小津サイレントは同時代、
これらには日頃から好きな空気がギュッと詰まっている。
と、思いつつ井伏鱒二の文庫本を繰っていたのだったが、
なんと! 『先生の広告隊』の物語は、小津安二郎の『東京の合唱』の一部と
プロットとがったく同じなので、ワオ! とびっくり。
『仕事部屋』の初版と『東京の合唱』の封切りは同じ昭和6年の出来事、
大好きな『東京の合唱』と思いがけなく再会してしまって、
日頃から大好きな昭和モダニズムの諸々の連関がとても嬉しかった。




  

7月18日水曜日/色川武大の『なつかしい芸人たち』から向田邦子の脚本へ

帰り道の通りがかり、駅の古本市の文庫本コーナーをなにげなく見ていたところ、
色川武大の『なつかしい芸人たち』(新潮文庫)が目に入った。
色川武大といえば、小林信彦の『日本の喜劇人』(新潮文庫)の文庫解説が記憶に新しい。
いままでこの本の存在を知らなかったのだけど、これはもうなんて幸福なつながり、
迷わず180円のお買い物をした次第。ちなみに『なつかしい芸人たち』の解説は矢野誠一さん。

電車のなかでさっそくパラパラとめくってみたところ、
「いい顔、佐分利信」という章があって、しょっぱなから嬉しい。
佐分利信といえば、渋谷実の『自由学校』で素敵な演技を見せており、
小津安二郎の『戸田家の兄妹』とか吉村公三郎の『暖流』とか、とても好きだ。
色川武大の『なつかしい芸人たち』によると、

《ただ喰うためで、まったく情熱的でないスタートだった、というが、
ボソッとカメラの前に立つだけで、演技もなにもない存在だったらしい。
しかしその芝居臭くない動きが、かえって映画のリアリズムに合った。
だからそのころからガツガツしていなかったらしい》

とのこと。佐分利信はテンションの低い人物を演じると、
これでもかとハマっているのだが、やはりそれは彼の地だったのだ。
そしてそれはデビュウ以来ずっと一貫していたようだ。
あの素敵なまでのテンションの低さに、色川武大の言葉だと「いい顔」、
佐分利信、好きだなあ。

そんな折も折、つい先日、母となんとなく佐分利信の話をしてみると、
NHK の昔のドラマの再放送の向田邦子ドラマの話になった。
お父さん役の佐分利信に愛人がいるという設定で、
テンションが低いくせにどこか色気もある、
その役が佐分利信の柄によく合っていたという。

んまあ、なんということなのでしょう。
とてつもなくそのドラマが見たくなってしまった。
さらに聞くところによると、そのドラマは四姉妹が出てきて、
それぞれ違う性格で、長女は加藤治子で不倫中、などなど、
んまあ、四姉妹だなんて、谷崎の『細雪』、もしくは
金井美恵子の『恋愛太平記』がすぐに頭に思い浮かぶ。(って、これ2つだけだけど)
なので、四姉妹と聞いただけで、さらに胸は高まる。

さて、そのドラマのタイトルは『阿修羅のごとく』。
あら、『阿修羅のごとく』といえば、たしか新潮文庫で脚本が出ていたはずッ、
と、いてもたってもいられず、向田邦子の『阿修羅のごとく』(新潮文庫)を買って、 大いに盛り上がってしまった。
店頭でチェックしてみると、たしかに『阿修羅のごとく』は四姉妹の物語で、
そして、新潮文庫は向田邦子の脚本そのままが収められているので、
ドラマを見ている気分で読むことができる上に、
向田邦子の書く「話しことば」に触れるたのしみもあるというわけだ。

それにしても、こんなきっかけで新しい本を手にするのはとても嬉しいことだ。
先日、森田誠吾の『魚河岸ものがたり』を教えてもらったばかり、
NHK ドラマ、なかなかあなどれない。



帰りの電車でさっそく『阿修羅のごとく』のページを繰った。
『阿修羅のごとく』の構成はパート1とパート2、全7回で、
部屋に帰ってからも、夜ふけのお茶を飲みながら、第一回の「花正月」を読みふけった。

ああ、もうゾクゾクするくらい、面白い。
なかなか一筋縄ではいかない四姉妹と穏やかそうに見えてなんでも知っている母。
会話のテンポとかちょっとした描写のひとつひとつが、とてもいい。

四姉妹とお母さんとで文楽を観に行く場面がある。

《ならんで見ている五人の女。
舞台はクライマックス。
美女の人形が、突然パッと二つに割れ、鬼面になる。
アッと驚く綱子。
じっと見ている巻子。
おやまあ、という感じでおだやかなふじ。
凝視している滝子。少し笑ってしまう咲子。》

ト書きはこんな感じになっていて、
ドラマではごく短い時間だと思われる文楽見物の場面だけど、
五人の女の人となりが凝縮されているような描写で、しみじみ上手いなあと思った。




  

7月19日木曜日/菊五郎展の追憶、「演芸画報」昭和9年8月号の戸板康二

先週、早稲田大学演劇博物館の《追悼・六代目歌右衛門展》を見物した。
展示会そのものはもちろんのこと、他にもいろいろ収穫があって、大充実の時間だった。
その数々の収穫のうち、実は、先週の日記に書き損ねていたことがある。

図書室のカウンターで古今俳優似顔大全の図録を購入したおり、
あつかましいことに、カウンターの人にお願いして、
1999年の初夏に催されていた《六代目菊五郎展》の図録を見せてもらった。

歌右衛門展を見物していたとき、戸板康二の『六代目菊五郎』[*]
読後感のことが胸に甦ったりもして、ふと2年前に見学した菊五郎展のことを思い出し、
図録を買い損ねていたので、あわよくばまだ売っているかもと思っていたのだが、
もう在庫はないみたいで、少し残念だった。

1999年初夏の菊五郎展は、渡辺保による講演を聴いたり、
念願の、小津安二郎による『鏡獅子』の記録フィルムを観ることができたり、
大充実のイヴェントだったのだが、当時は歌舞伎歴が浅かったので、
展覧会で目にした演劇史的なことはよくわからないことも多かった。
その後は、戸板康二に尋常ではないハマり具合をみせ、
歌舞伎に対する知識は少なくとも当時よりは格段に増えている。
なので、あのときの菊五郎展のことを鮮やかに思い出し、
いろいろなことに思いを馳せることも多々あった。

ところで、そのときの菊五郎展のことを思い出すたびに、
非常に気になっていたことがあった。

戸板康二による《歌舞伎を滅ぼす勿れ》というタイトルの
文章を載せた雑誌の展示があったのが鮮明に記憶に残っていたのだけれど、
何という雑誌だったかな、三田文学? と、雑誌のことは全く覚えていなかった。
《六代目菊五郎展》を思うたびに、戸板康二のことが気にかかり、
あのときの雑誌名はハテ何だったかなと、なんとなく気になっていたのだ。

さて、あれから2年の月日、戸板康二道まっしぐらとなってしまった今、
演劇博物館の来訪の記念に、ぜひとも正確な雑誌名を把握しとかなくてはならぬ。
なので、図録の入手は無理でも、せめてその雑誌名の確認だけでも済まそうと、
ほんの軽い気持で、図録の閲覧を申し込んだ次第だった。

1999年の《六代目菊五郎展》の図録は、単に展示品の記録という感じ。
菊五郎の歴史とか、当時の文化人(谷崎など)との関わり、
明治大正昭和の演劇史的なあれこれ、展示品の字面を追うだけでも胸が躍った。

さてさて、目当ての、戸板康二による《歌舞伎を滅ぼす勿れ》なのだが、
終わりの方のページでその名を発見したのだけれども、見つけてびっくり。
戸板康二のその文章はなんと、慶応予科時代に
「演芸画報」の公募論文に見事選ばれて掲載されたものだったのだ。

『演芸画報・人物誌』[*] の前書きでその経緯について初めて知って以来、
んまあ、おそらく戸板康二の初めての雑誌掲載、
ぜひとも本誌を見てみたいッ、と常々思っていて図書館で閲覧を試みたのだが、
どうしたものか、見つけることができなかった懸案の記事だったのだ。
思いがけなく、かねてからの懸案、一気に解決。

展示品の説明書きによると、その記事は、昭和9年8月号の「演芸画報」。

展示品解説の項には、戸板康二は当時その稿料で、
『春琴抄』の漆塗りの表紙の本を買ったとのこと、
というふうに、『演芸画報・人物誌』掲載のエピソードが紹介してあって、
展示会担当者の心遣いにニンマリ。《歌舞伎を滅ぼす勿れ》の内容は、
菊五郎の新演出に対する批判で、その後の著書にみられる
戸板康二の態度の源泉がここにあるとも書いてあった。

そんなこんなで、いろいろなことに胸がいっぱいになった演劇博物館行きだった。



ところで、演芸画報は奥村書店にかなり在庫があって、
大正のは1冊1000円、昭和のは600円で売っている。
たまに、奥村書店の店頭で古い演芸画報を眺めていた。
この時分の雑誌をよむと、生命が延るような気がするね、
という感じに、チラリと見るだけでも愉しい。

大正と昭和初期の芝居の空気を直に感じることができる演芸画報。
芝居好きのお父さんが購読していたおかげで、
戸板康二は少年の頃から演芸画報を読みふけっていたという。
渡辺保は、去年の《五代目歌右衛門展》の講演会のとき、
実際の舞台と並行して自分は演芸画報と新演芸に育てられたのだと語っていて、
演芸画報と新演芸を見ることで、そこに描かれている明治大正の
名優への幻想が出来上がったとも言っていた。
なんだか、当時の観客層のことを思うと胸が躍る。
大正昭和の東京の都市生活者の趣味としての観劇、
家族ぐるみの趣味としての歌舞伎、戸板康二、三島由紀夫、渡辺保と、
「山の手のお坊っちゃん」という感じの系譜。



戸板康二による数々の文章をきっかけに、
演芸画報のあれこれがふつふつと気になっていたのだけど、
さすがに実際の本誌を購入するところまではいかなかった。
しかーし、戸板康二道まっしぐらの今となっては(←こればっかし)、
ぜひとも戸板康二の初活字の瞬間を手中に収めたい、
などと思って、あつかましいことに奥村書店へ在庫を問い合わせてみたところ、
嬉しいことに、昭和9年8月号の演芸画報、在庫ありますとのことで、
さらにあつかましいことに、お取り置きをお願いしていた。

と、そんなこんなで、本日の日暮れ時、東銀座に降り立った。
奥村書店まっしぐらで、当の演芸画報を受け取りに行った。
お取り置きをお願いした手前、申しわけない思いでいっぱいで、
小さくなって、店員さんに受け取りを申し出たのだが、
店員のお兄さんは終始にこやか、この号の表紙はほら小村雪岱で、
小村雪岱の表紙絵は夏の号によく出ていて、
表紙が小村雪岱のものを収集なさる方も多いんですよ、
この号、在庫は1冊だけだったんですよ、とのこと。

小村雪岱に関して、戸板康二は『演芸画報・人物誌』[*] に、

《鏡花に愛され、師事するごときに、晩年まで仕えた。
大正元年に千章堂から刊行された「日本橋」をはじめ、
その選集、全集、数冊の著書の装幀をしているが、
真実作者を敬愛する精神と、典雅細緻の作風が、その本にも示されている。
……
雪岱という筆名は鏡花が名付けたという。小村の下に雪の山、
鏡花好みの趣向といわずして何であろう。
……
土佐絵の系統から、独自の色と線による画風をつくった。
雪岱は丹念に描き、克明に彩り、すこしもゆるがせにはしなかった。
ことに、春信とどこか共通する、雪岱描く女性には、
現世と超越した美しさと哀れさがあったが、そのイメージには、
崇拝した作者泉鏡花のロマンがひそんでいるにちがいない。》

というふうに記している。

家にかえって、夜ふけのお茶を飲みながら、
昭和9年8月号の演芸画報をまさに至福の思いで眺めた。

木挽町の歌舞伎座の広告に「暑中御伺申上候」とあって、
今現在と季節感がまったく同じなのが単純に嬉しかったり、
何枚も載っている当時の舞台写真、
白絣の福岡貢の七代目宗十郎、その立ち姿のなんとまあ美しいこと、
新橋演舞場では新国劇『巨人街』、若い島田正吾と辰巳柳太郎、
歌舞伎座は二代目左團次の河内山、明治座は新派で小杉天外の『初すがた』、
それからもちろん、初代吉右衛門に六代目菊五郎に十五代目羽左衛門、
などなど、眺めてたのしい。

写真のページの次は、岡本綺堂の、弥次喜多見物の思い出に関する文章が載っている。
その書き出しは、《暑中であるから肩の凝らない物をかけとの御註門、まことの御尤もである》。
それから、最近その名を知った村山知義もいる。松竹レビュー『ばらの騎士』に関すること。
なんと森茉莉の文章もあって、六代目の鏡獅子の雑感という内容。
連載記事の五代目歌右衛門の芸談『魁玉夜話』は合邦の型についてで、
合邦、5月の歌舞伎座で一気に大好きになった演目なので、ラッキーだった。
鏑木清方の「見物席から」という文章も面白く、
古今俳優相関性という記事は今後の芝居絵の研究(予定)に役立ちそう。

……などなど、小村雪岱の表紙絵が美しい、昭和9年8月号の演芸画報、
どこまでも愉しみが尽きないのだが、やはり一番嬉しいのは、
《歌舞伎を滅ぼす勿れ》、19歳の戸板康二、後生おそるべし。




  

7月20日金曜日/向田邦子の『阿修羅のごとく』、教文館と歌舞伎座行き

結局、向田邦子の『阿修羅のごとく』(新潮文庫)、一気に読み通してしまった。

いったん読みはじめると、物語のテンポとか会話のテンポが気持よすぎて、
ページをめくる指を止めることができなくて、
ちょっと深刻になりそうなところの一歩手前で押し留める引き具合と
そこはかといない色香とユーモア、それから、なんといっても、
ト書きの描写のひとつひとつにゾクゾクしっばなしだった。

和田勉の解説によると、佐分利信は一度は台本を投げ捨てて帰ろうとしたという。
生身の人間として演じようとするとどうしていいか困ってしまうようなト書きとして、
和田勉が挙げていた箇所は例外なく、文章を読んでいるときに
すごいものだなあ、としみじみ胸にしみいった箇所。
そのまま書き写すと、《おだやかな顔が、一瞬、阿修羅になる》、
《火を叩き消す二人の影は、求愛のダンスを躍っている雌雄の鳥のように見える》
《勝又「い、いいですか」滝子「え?」滝子「あ」などというセリフの連続》
《体全体で受話器とベッド・シーンをしているように見える》
《自分の影が大きくうつる、その影に向って、ボクシングをする》
などなど、ゾクゾクする描写が目白押しのト書きと
チャキチャキとした会話文のたのしみとのコンビネーション、
そこから生まれる、独特のテンポとか四姉妹の人となりのこととか、
実家の国立、次女の阿佐ヶ谷、愛人宅の代官山、三女の職場近くの芝公園、
という感じの、東京の各エリアを直線で結んでみたりとか、
向田邦子の『阿修羅のごとく』、尽きない愉しみがギュッと詰まっていた。

中毒みたいにして、一気に読み通してしまったので、読み終わったときは、しばらく腑抜けに。

向田邦子は、女学生の頃、国語の教科書に「眠る盃」が載っていて、
一気に大好きになって、友だちみんなで文庫本を貸し借りしていた。
お洒落してテキパキお仕事という感じの利発な都会のお嬢さん、
みんなの憧れ、向田邦子という感じだった。
わたしはエッセイはもちろんだけど、
直木賞受賞作の『思い出トランプ』所収の13の短篇が大好きだった。
そこはかとない色ッぽさが実に素敵なのだ。

しかし、本業ともいうべき、テレビドラマの仕事に触れたのは、今回が初めて。
『阿修羅のごとく』、思いかげなく手に入った、本読みのよろこびだった。
読み通して、向田邦子、むちゃくちゃかっこいいと、ひたすら眩しい思い。



今日はかねてより待ち遠しくてたまらなかった、歌舞伎座行きの日。

その前に、ふらふらと洋服屋をめぐっていると、
早くも秋冬ものが出ているところもあって、
一気に興奮、破竹の勢いでいろいろめぐり歩き、疲労困憊。
今日も、激しい日射しが照りつけている。

同行の母と喫茶店でコーヒーを飲んでひとやすみ。

母が言うことには、『阿修羅のごとく』もいいけど、
『あ・うん』が好きだったなあ、とのこと。
あと、岸恵子が出ていた、『蛇蝎のごとく』だったかしら、
あれもよかったわあ、とのこと。

母が言うことには、向田邦子ドラマに関しては断然 NHK 派で、
TBS の久世演出はあまり好きではないのだそうだ。
わたしは両方とも見たことがないので、よくわからない。

さて、『あ・うん』について。

『あ・うん』は。男の友情ものがたりなのだけど、
そこに一方の奥さんが絡んで、露骨な描写があるわけではないけれども、
全体になんともいえない色香が漂っているという。
……と、母の話で一気にそそられ、脚本は出ているのだろうかと、
手元の『阿修羅のごとく』のなかの広告をチェック、
『あ・うん』も新潮文庫で出ていて、その説明書きのところには、
《昭和10年代の愛しい日本人像を浮彫りに著者最後の TV ドラマ》
なんて書いてある。ここの「昭和10年代」というところにまたもや興奮。

と、そんなこんなで、こうしてはいられぬ、大急ぎで教文館へ。

『阿修羅のごとく』と同じように、
新潮文庫の『あ・うん』は脚本がそのまま収められている。
向田邦子の脚本を読むよろこびをまたもや味わえるなんて、なんて素晴らしいのでしょう!

中のキャスト一覧によると、主役はフランキー堺がでていて、
脇には殿山泰司の名前もある。キャー! と、さらなる興奮。

『あ・うん』片手に文庫棚を適当に練り歩いた。
文春文庫の向田邦子コーナーを見ていると、ここにも『あ・うん』があって、
文春版は脚本ではなく、小説ヴァージョン。
文庫解説が山口瞳ということもあり、そちらも購入することにした。

そんなことをしているうちに、歌舞伎座に行く時間になった。
蒸し暑いなかを劇場に向かって歩いた。

七月の猿之助歌舞伎のときは、毎年とてつもない猛暑で、
いつも照り輝く日射しの下、劇場に向かっていたなあと、
毎年7月の季節感のようなものを肌で感じる。
おととしの『伊達の十役』、去年の『宇和島騒動』、
劇場にたどりつく頃には直射日光で疲労困憊なのだけど、
いったん芝居がはじまると、もう面白くて面白くて、疲れは一気に吹っとんだ。

今年の『楼門五三桐』の通しも、ブリリアントだった。
スピーディーにピシッと前後のつながりを結んでいくことで
さらに際立つ物語全体の面白さもさることながら、ディテールがこれでもかと楽しかった。

序幕から有名な南禅寺の「絶景かな絶景かな」にいたる展開、
段四郎が琴を弾いて、ポロポロッと音楽に酔いしれていると白鷹が登場、
序幕の幕切れ、荒事のよろこび全開という感じの大薩摩にのった南禅寺山門の場。
歌舞伎美ここに極まるという感じの猿之助の石川五右衛門に芝翫の真柴久吉。
それから二幕では一転して、世話物の場、猿之助の元傾城の粋な姿、
ここでの猿之助は抑えた感じで、しみじみと情緒を出していて、そこがとてもよかった。

猿之助だけでなく、一門の役者たちも皆いい味を出していて、
いい役者が揃っているなあと思った。
去年の『宇和島騒動』の初舞台から早1年、歌六の長男・米吉くん、
教わったことを丁寧に丁寧にお行儀よく演じてるなあとちょっと感動。
二幕目の幕切れの船のだんまり、石川五右衛門の花道の引っ込み、最高にかっこいい。
そして、大詰め、お滝と石川五右衛門の二役の猿之助の、絶好の見せ場という感じ。
ここに限らず、そこかしこに散りばめられている、
古今の歌舞伎のパロディの数々に、日頃の歌舞伎の大好きなところをいろいろ類推して、
さらに歌舞伎が愉しくなってしまう仕掛けとなっていて、
『楼門五三桐』全体を見通すことで、歌舞伎そのものの小宇宙を肌で感じる。





  

7月21日土曜日/東京都現代美術館の《水辺のモダン》、バスにのって月島

今日は早起きしてお出かけしようと思っていたのだけど、
諸般の事情で昼過ぎまで足留めをくってしまい、
しょうがないので、朝っぱらから部屋の大掃除にいそしんだ。

そんなこんなで昼下がり、さて今日はどうしようかと思ったのだけど、
せっかくの休日、やっぱりえいっと出かけることに決めた。
今日は、前々から気になっていた展覧会、東京都現代美術館
《水辺のモダン》と題された展覧会に行く予定だったのだ。

東西線に揺られてとろとろと、木場にたどりついて、初めての東京都現代美術館、
無事にたどりつけるように粗相がないよう、念のため駅設置の案内版を確認、
するとまあ、なん嬉しいことに、東京都現代美術館、金曜日と土曜日に限って、
夜九時まで開いているのだそうで、同行の友人と狂喜乱舞。
このときのよろこびを何にたとえよう、まさに棚からぼた餅、
やっぱり、展覧会は閉館時間を気にせずゆっくりと見物したい。
その「ゆっくり見物」の時間が天から降ってきたような気分だった。

当初の予定では木場から美術館までバスに乗ろうと思っていたのだが、
なーに、急ぐ旅でもなし、と急に気が大きくなって、ゆっくりと歩いていくことにした。
空気は生暖かくて、空は少し雲が多くて、雲と空の色の交じり具合が面白くて、
それからやっぱり海の近くの空気は独特で、なんとなく空が低いような気がする。



そして、目当ての《水辺のモダン》展、まさしく至福の時間で、
開館時間が夜九時までという心の余裕と相まって、じっくりじっくりと練り歩いた。
東京都現代美術館は誰の建築なのだろう、全然知識はないのだけど、
中庭とか吹き抜けなど、空間を贅沢に活かしきった計算され尽くされたデザインが、
じっくりじっくり練り歩いている折々に、パシャパシャッと目に楽しくて、
展覧会そのものを楽しむのみならず、その空間にいることを堪能させてくれる。

展覧会の入り口には、さっそく木村伊兵衛の深川・木場の写真、
広重の江戸名所図絵でよく見るような、水辺の構図の妙、
井上安治の『版画・東京百景』に、彼の師・小林清親の『武蔵百景』は青が印象的、
……というふうに、いずれも水の都東京を描いた作品を目の当たりにし、
ここを見ただけで、この展覧会来訪は大成功だったと予感できる導入部だった。

《水辺のモダン》は「江東・墨田の美術」というサブタイトルがついているのだけど、
この展覧会は美術のみに留まらない、隅田川以東に関する
全方位的なあれこれにまつわる展示で、明治から現代を時系列に追っている。
それはそのまま、日頃から自分自身の好きな対象と見事に重なるものだから、
至福はどこまでも尽きない。ストライクゾーン、「ハートに直撃」状態。

たとえば、冒頭の「明治のおもかげ」と題されたスペースでは、
小林清親を始めとする美術作品を見ることができるだけだなく、
その間に、幸田露伴や田山花袋の『東京の三十年』や荷風の『日和下駄』、
それにタイトルにもなっている鶯亭金升の『明治のおもかげ』などなど、
日頃からの愛読書から抜き書きしてあったりもするのだ。

時系列になっているので、日頃から好きな文学や美術と
それをとりまく時代背景と同時代の他との関連をヴィヴィッドに感じることができて、
最近だと、井伏鱒二の『仕事部屋』で味わった昭和初期モダニズムの空気。
同時代の諸々のかっこいいデザインを目の当たりにしたり、
柳瀬正夢のポワーンとした独特のタッチやある種の空気を味わって、
そこから、先日の石神井書林の目録のことを思い出したりと、アナロジーの快楽に酔いしれる。

映画のカットのような迫力ある構図の土門拳と、
街かどの日常の一瞬のきらめきを捉えた桑原甲子雄との鮮やかな対照、
そこに絡まる、川端康成の『浅草紅団』や幸田文の文章の抜き書きなどを目にして、
ここに挙がっていた文章は未読なので近いうちに読んでみようッ、
というふうにモクモクと刺激され、本読みの意欲が沸き上がるのも、またたのし。

「生活を彩るもの―産業のデザイン」という項では、
花王とライオンのパッケージデザインが眺めてたのしい。
武井武雄によるライオンの歯磨きのポスター、キッチュでかわいい!
花王せっけんでは、村山知義のかっこいいデザインを見ることもできて、ここでも MAVO!

そして、「生活を彩るもの」その2として、小津安二郎のコーナーもあって、
かつて、雑誌「東京人」で見た小津安二郎のかっこいい写真が見られて、狂喜乱舞だった。
昭和38年のお正月、卯年にちなんでジャンプ! の北鎌倉の小津の姿についクスクス。
深川生まれの小津安二郎のことを「水辺のモダニスト」という言葉で、
表現してあったのだけど、そうそう、小津、どこまでもダンディでかっこいいのだ。

滝田ゆうの原画を目の当たりにすることで、近いうちにぜひ、
と、ここでも本読みの意欲がふつふつと沸きあがり、
他者の目としての展示で挙がっていた、永井荷風は
おととしの江戸東京博物館の荷風展のよろこびの再現という感じで、
鏑木清方の屏風絵は眺めてうっとりで、墨東に生きた人々しての展示の、
淡島親子のコーナーも「キャッ」と大興奮で、添えられている魯庵の文章、
ここであらためて読んでみると、楽しさはさらにつのる。

……とかなんとか、《水辺のモダン》のこと、
とてもじゃないけど書ききれないくらい楽しかった。
数々の素晴らしい写真や建築のことなど、愉しみはどこまでも尽きない。
ここまで「ハートに直撃」の展覧会は、わたしにとっては
おととしの江戸東京博物館の《永井荷風と東京》以来だ。



それから、常設展の方も見物したのだけど、他に見物人はおらず、
そこかしこに監視人が座っているのみで、われわれの足音のみが響き渡り、
多大な緊張を強いられた時間であった。とりあえず、おすまし顔で練り歩く。
《日本の美術、世界の美術―ここ50年の歩み》と銘打った展覧会で、
第8室の「人の気配」と第9室の「色彩のはざまに」というコーナーがよかった。

窓の外は木場公園の風景で、日没間近の空の色がとても美しく、
歩き疲れて椅子にこしかけ、しばし、のんびり。

美術館を出たあと、バスにのって月島へ。

新橋行きのバスは、江東界隈を縫うように走り抜け、
晴海に差しかかった瞬間の感激が格別だった。
月島第一小学校前で下車して、もんじゃ焼きを食べに行った。
土曜日の夜の月島の表通りは、もんじゃ目当ての人々で大混雑。

暴飲暴食の疲れを癒そうと、しばらく月島を散歩して、
第一小学校の裏手を行った川沿いで、まやもや、しばしのんびり。
《水辺のモダン》帰り、つい水辺へ行ってしまうのだった。




  

7月24日火曜日/渡辺保の選ぶ戸板康二の三冊

今月15日付の毎日新聞の書評欄「この人・この3冊」コーナーで、
渡辺保が戸板康二の本を挙げていると知り、図書館の新聞コーナーへ行った。

現代日本の新聞記事で、戸板康二の名前を見ることができる機会は
そうあるものではない上に、戸板康二に関するひどく胸をうつ文章を
随所に書いていた渡辺保による新たなコラムだなんて、こんなに嬉しいことはない。
和田誠の挿絵が目に入った瞬間、思わず目頭が熱くなってしまった。
和田誠の挿絵は、歌舞伎座前に立つ戸板康二とその横に
敬うようにして戸板さんを見つめる渡辺保の図という感じ、とてもいい。

渡辺保が挙げている3冊は、
『俳優論』と『歌舞伎への招待(正続)』、『ちょっといい話』。
以下、渡辺保の文章をこっそり書き写しつつ、記事の余韻にふけってみたい。

● 俳優論(冬至書林、昭和17年)[*]

《『俳優論』はその処女作。若き日の緊張感溢れる本である。
なかに「羽左衛門の手」という名文がある。
ある時放送局を見学した。ちょうど十五代目羽左衛門が
「桐一葉」黒書院の木村長門守をラジオに録音している最中だった。
豊臣秀頼に使者を命じられた長門守が「ハッ御免」というところで
実際にテーブルを両手で叩いて立ち上がった。舞台そのまま。
「儼たる決意を眉宇に示し、颯々たる秋風、その手と共に捲き起って」
その手は「正しく長門守の手であった」。羽左衛門の姿が目に浮かぶようである。》

串田孫一の尽力で出版にこぎつけたという、戸板康二のデビュウ本。
学生時代からの文章を集めたこの本、若書きならではの硬質の文体、
キラキラッと輝く文学的表現などなど、いろいろと胸がいっぱいになる書物だ。
渡辺保が挙げている「羽左衛門の手」は、日本の名随筆の
『艶(駒田信二・編)』に収録されていて、そのセレクションの妙にうなる。

● 歌舞伎への招待(暮しの手帖社、昭和25年)[*]
● 続歌舞伎への招待(暮しの手帖社、昭和26年)[*]

《戦後の歌舞伎は戸板康二の示した新しい美学にリードされたといってもいい。
その美学は『歌舞伎への招待』二巻に結晶している。
生前、私は再三この本の再版を勧めたが、「あれは若書きだから」といって固辞された。
どこが若書きなのか私にはわからなかったが、たとえば「八重垣姫」の章には
「寂寂春将晩 欣欣物自私――杜甫」というサブ・タイトルがついている。
こういうところが若書きなのか。私にはそのハイカラさがたまらない魅力だったが。》

わたしにとっても、戸板康二に夢中になるきっかけになった書物。
何度読んでも、何度も読むごとくに、どんどん深みが増してくる。まるで宝石のよう。
歌舞伎という、えてして江戸趣味への埋没になりかねない対象を扱っていながら、
どこか西洋的な匂いがプ−ンと香ってきて、その匂いと戸板康二の文体が心地よく、
そのパッケージとしての花森安治の装幀が素敵で、どこまでも風雅。

奥村書店で『歌舞伎への招待』を買ったとき、店員のお兄さんに、
「この本、続もあるんですけど、正だけで(不揃いでも)よいですか」と
確認を受けたのだが、当時は大して深い考えもなく購入したのもほんの気まぐれだった。
が、その後、怒濤のように、戸板康二に夢中になり、続の方も早く読みたい、
読みたいったら読みたいと、思いはつのる一方だったのだが、
その後は奥村書店でもどこでも正続揃いでしか売っていなくて、
購入当時の店員さんの確認のひとことが骨身にしみる結果となった。
続を購入したのは、忘れもしない、神保町の巌松堂。
芝居本コーナーの片隅で発見し、続のみで不揃いのせいか、
値段も600円と非常にお買得で、ハンターのよろこびここに極まる、だった。
そのあと、フォリオでウィーン風ミルクティを飲みながら、至福の思いで読みふけった。

『続歌舞伎への招待』[*] の内容は、歌舞伎のいろいろな役の、
様々な芸談を戸板康二一流の切り口で綴った、どこまでも文学の香り高い、風格ある書物。
渡辺保が書いているように、サブタイトルがハイカラな空気を醸し出していて、
たとえば、「梅王丸」の章は《寒紅をまづ團十郎に参らせる(蕪村)》、
「白拍子花子」の章は《うすぎりのまがきのはなのあさじめりあきはゆふべとたれかいひけむ》、
「武蔵坊弁慶」は《突然私が出る。煌々とひかる星。(ゲーテ「憧憬」より)》という感じ、
さながら、劇場の椅子で舞台を見ている感覚の章立てとなっていて、どこまでも洒落ている。

● ちょっといい話(文春文庫)[*]

《もう一冊ということになれば、私はエッセー集『劇場の椅子』[*] を選ぶが、
そうなるとあいにく三冊とも絶版になる。今では古本屋か図書館に行くしかない。
三冊ともあれだけの名著、どこか再版してくれないものか。
しかしそんなことをいってもはじまらない。そこでやむなく三冊目は『ちょっといい話』を。
先生は駄洒落や粋な小話が好きだった。いろんな人に同じ話をして細部を練り直す。
それが無上の楽しみであった。私もよく実験台になった。
二度目三度目には違うところで笑わなければならないから実験台も苦しい。
「ちょっといい話」には、そうして出来上がった戸板康二得意の名編が収められている。》

わたしが戸板康二に夢中になったのは昭和20年代の諸々の著書がきっかけで、
実は、「ちょっといい話」を読むようになるまではしばらく時間がかかった。
しかしひとたび読むようになると、その後は、たまに気まぐれに手に取ると、
「ちょっといい話」、たいていそのまま読むふける至福の時間を持つことになった。
諸々の人物や文学やもちろん芝居に関するマメ知識的なたのしみもさることながら、
わたしにとっての「ちょっといい話」のよろこびは、上記の渡辺保の文章にあるように、
社交の達人、都会の紳士としての戸板康二との雑談に居合わせている気分を味えること。
たまに「出た−!」という感じに登場する、おやじギャグ的くだりも、それはそれで愛おしいのだ。

ところで、「ちょっといい話」というと、『最後のちょっといい話』[*] 所収の、
渡辺保による解説が絶品で、この文章も何度読みかえしたかわからないくらい。
渡辺保はここで、《一つできた話を、すぐノートするというのは、
歌舞伎の型のノートをとったための体験からだと、同じ体験をもつ人間にはすぐわかる。
しかしそれだけではなくて、これには川尻清潭と折口信夫の話をノートするという体験が
大きかったようである。》と記していて、なんだか目の覚める思いだった。
わたしのこよなく愛する昭和20年代の戸板康二の書物にダイレクトに反映されている
大学で折口信夫に学び、その後も折に触れ通いつめたり、
それと同時に演劇雑誌の編集者として川尻清潭の芸談を聞いたりするという体験が、
何十年後かの「ちょっといい話」の根底に歴然と存在するという事実、
戸板康二の文章を貫く一本の線を感じて、めまいに似た感覚だった。
その一本の線は、中村雅楽シリーズの語り手、竹野記者にも存在すると常々思っている。
そういえば、雅楽のモデルとして、戸板さんは川尻清潭の名前を挙げていた記憶も。

全然、関係ないのだけど、今ペラペラッと『最後のちょっといい話』を繰っていたら、
《甲州の下部温泉の通りに、「ここが酒場だ」という酒場があるそうだ。
井伏鱒二と小沼丹がその店にはいると、着ているもので宿屋の名前がわかったらしく、
「あの旅館には偉い小説家が泊っているそうだが、何をしているのかと訊ねた。
すると井伏がこういった。「ああ、あのひとは昨日帰ったそうだ。オレたちは将棋指しだよ」》
というのがあって、あらあら、小沼丹の『清水町先生』ではありませんか。
戸板康二も小沼丹の文章を愛読していたのかな。




  

7月25日水曜日/向田邦子の『あ・うん』

結局、『あ・うん』も一気に読んでしまった。
新潮文庫のシナリオ版のあとに、文春文庫の小説版を読むという順序。

文春文庫の巻末解説で、山口瞳は、《人間関係を描くときの
向田邦子の凄まじいまでのリアリティ》について書いていて、
以前の文章でも、向田邦子のことを「向田邦子には、悪戯っぽい少女と、
快活な少年と、人生の達人であるところの中年女性とが同居しているのであって、
一粒で三度おいしいという趣がある。」と記していたのだそうで、
《苦渋に満ちた熟年男性も同居しているとつけ加えたい》と結んでいる。

『あ・うん』は、弥次郎兵衛のような均衡の上に立つ、
二人の男の友情のなかに片方の奥さんが絡むという設定で、
TV ドラマの方では、その娘の視点から語られていて、
《父といる時の母は暮しにくたびれた三十九歳の女です。
門倉のおじさんと二人のときは、学校の先生みたいです。
父と門倉のおじさんと二人の間にいるときは、
くだものみたいに瑞々しく見えます》というふうに、描写されている。

そんな均衡のうえの、三人の人となりといったディテール描写がとても面白くて、
三人に絡む人間、門倉の妻と子供を生む二号さん、そして、相変わらずト書きがとてもよかった。

たとえば、門倉の恋人の女給が、水田仙吉宅に乗り込んで、
その奥さんと話をしてから、意気投合みたいになって、帰っていくシーン、
《帰ってゆく禮子。機嫌を直している。
水田仙吉の表札をキツネの襟巻の尻尾で、掃くようにする。
また、メンコの男の子たちが、「キツネ、キツネ」とからかう。
その子たちの頭をキツネのしっぽではらうようにする禮子。》
といったト書き、女給の禮子さんのツンと気取っている感じが目に浮かんでくる。
ここではキツネの襟巻を使っているけど、随所の小道具遣いがとてもうまい。
お芝居といえば小道具、その描写がとてもいい。禮子さんの人物造型もよかった。

それから、二人の男とその妻の人物造型がそれぞれとてもよいのだけど、
そこに絡むいろいろな人物、水田仙吉の父・初太郎に門倉の妻などの描写もとても面白い。

三人にまつわるいろいろな描写、たとえば二人がヴァイオリンを習うシーンなど、
移りゆく場面場面のセリフやト書きに音楽のように身を任せるのがとても気持よく、
一筋縄でいかない人間模様をえがく向田邦子の視点に魅了されっぱなしだった。

とりわけ、水田仙吉の父・初太郎がとてもよかった。
TV ドラマでは志村喬が演じていたのだそうで、
日頃から志村喬をスクリーンでみると嬉しいわたしなので、
映像ではどんな感じになっているのだろう、考えただけでワクワクする。

一流会社の勤め人だったのを、山師になってしまって、
家の財産を食いつぶして、息子の水田仙吉に疎まれるという役どころで、
今でも山への思いがメラメラ、相場という魔物にとりつかれているという設定がいい。
水田仙吉と門倉の姿を離れて眺める初太郎によって、「あれは狛犬だな」と
タイトルの「あ・うん」という言葉が読者の前に提示される展開も素敵で、
初太郎を訊ねてくる昔の相場仲間の一人に殿山泰司がキャスティングされていて、
あとで登場する、初太郎の義理の弟は笠智衆で、その曲者ぶりもとてもよいのだ。

わたしはシナリオの方を先に読んでしまったけれども、
実際には、小説の方が先に書かれて、そのあとすぐ脚本に書きかえられたとのこと。

小説版の方の文春文庫の解説で、山口瞳は、
《『あ・うん』は、反戦文学として、恋愛小説として、友情小説として、
ほとんど完璧だと思うのだけれど、同時に、脚本家と小説家とは違うなあというのも、
偽らざるところの感慨のひとつである。……向田さんの頭のなかには、
TV ドラマの場面の方が先に見えていたのではないかという気がしてくるのである。》
というふうにも書いていたりもする。

二つのヴァ−ジョンを一気に読み通してみると、
小説の方を読むときはすでに読んでいるドラマの方が頭のなかにあって、
それをなぞるようにして読むようになってしまって、それが自分では少し残念だった。
この作品は、書かれた順序、すなわち小説から先に読むべきだったのかもと思う。

向田邦子は小説のあとがきで、中川一政に装幀をしてもらったよろこびを書いていて、
《夢は見るものだなと、五十過ぎた今、思っている。叶わぬ夢も多いが、
叶う夢もあるのである。》というふうに結んでいて、その日付けは、1981年初夏。
その年の8月に飛行機事故にあうので、まさに亡くなる直前。

『あ・うん』の小説版、スパイスのきいた短文でパッと場面を処理するところとか、
小説ならではの描写が冴えていたりもして、それが今後どのように深化したのかと思うと、
やはり早すぎる死が残念だ。まさにこれからが新境地というところだったのに。

山口瞳は、向田邦子の筆が何か急き込むような調子になっていると書き、
《私は、向田邦子が自分の死期を知っていたように思われてならないのである。
そんな謎めいた言い方よりも、彼女の人生の結末は実に見事だったと
言ったほうがいいかもしれない。》というふうにも書いていたりするのだが、
向田邦子を読むときはいつもどうしても、その見事な幕切れがつきまとう。

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色川武大の『なつかしい芸人たち』を読んで佐分利信を思い出し、
それがきっかけで『阿修羅のごとく』を買ったのがちょうと一週間前のこと。
思わぬきっかけで、向田邦子の脚本を読む機会を持てたわけで、
偶然という感じで、思ってもいなかった素敵な本に出会えるのはとても嬉しいことだ。
今日の帰り道、性懲りもなく、向田邦子のシナリオ『幸福』(新潮文庫)を買った。
岸恵子が登場する『幸福』はどんな感じなのだろう。
この本は、しばらく読まずにとっておこうと思う。




  

7月26日木曜日/堀江敏幸の翻訳:ミシェル・リオの『踏みはずし』

去年の夏、白水uブックスの『郊外へ』を読んで、
読んだとたんに堀江敏幸に夢中になった。
んまあ、これは大変、他の堀江敏幸も読まねばならぬ、
ほかにはどんな本が出ているのだろうと、大急ぎで東京堂に行った。
わたしは何か新しい書き手の本を読もうとするとき、
なぜかいつも儀式みたいに東京堂に買いに行くという変な癖があるのだ。
当時は、散文集に『おぱらばん』『子午線を求めて』、
書評集に『書かれる手』というふうに、堀江敏幸は計4点刊行されていて、
こうしてはいられない、とすぐさま全て購入することなった。

それからも堀江敏幸の文章そのものはもちろんのこと、
それがきっかけで、わたしのひそかな趣味のフランス語熱が急騰したりもして
なにかと大変なことになっていて、芥川賞受賞のときも、
著書全部を読んでいる人が芥川賞をとったという経験はわたしにとって初めてで、
その受賞は、他人事ながらとても嬉しいニュウスだった。

が、芥川賞受賞後、受賞作を含む何冊かの新刊が出ているというのに、
すべてまだ未読で、購入すらしていない。なんとなくタイミングを逸してしまったのだ。
しかし、これからもまた折に触れ、堀江敏幸を読む機会はめぐってくると確信している。

さてさて、ミシェル・リオの『踏みはずし』(白水uブックス)。
前々から堀江敏幸による翻訳のフランス文学を読んでみたいなどと思っていて、
それっきりになっていたところだったので、今回のuブックス発売はとても嬉しかった。

小さな本なので、映画館に出かけるような感覚でもって、読み終える。

殺し屋である「男」(原文では "l'inconne" なのだそうだ)の
さながらフィルムノワールを見ているかのような様式美的な描写と
妙に論理的な会話や折々に登場する読書シーンなど、ある種の雰囲気にひたる時間。
心の底から興奮してしまうような感じではなく、本のなかにただよう
雰囲気にひたるのがなんとなくよい気分、という種類の読書だった。

タイトルの「踏みはずし(Faux pas)」という言葉が、
マルク・ブロックの歴史書からの引用を通して提示される瞬間がとてもよかった。
アラン・ドロンの『サムライ』を観ているかのような男の姿や、
原文のフランス語の様子が鮮やかに浮かんでくるかのような、
句点なしに文章が綿々と流れゆくさま、その文章による自然描写も好きなところ。

しかし、実のところは、巻末の堀江敏幸の文章とともに、
堀江敏幸の導きのもとで現代フランス小説の世界に触れること、
『踏みはずし』の楽しみは、それが第一だった。

「メランコリー」について語る、リオの言葉が印象的。

《リオはなぜ「メランコリー」という単語に固執するのか、
その理由を語ってくれている。それによると、
いちばん重要なのは、この言葉の文学史的、絵画史的な背景だという。
悪魔は悪の化身ではなく、周囲に理解されない
孤独な魂の持ち主だとするロマン派の「メランコリー」。
もしくはデューラーからゴヤにいたるまでの「メランコリー」の系譜。
ことにデューラーの《メランコリア》は、リオにとって
抜き差しならない位置を占めている。いつかは死すべき肉体の世界を
科学的に解明し、消滅するとわかっているものを理論でつきとめ、
乗り越えようとする姿勢。これはまぎれもない背理であって、
この背理こそが「メランコリー」を生んでいるというのである。》

思わず長々と抜き書きしてしまったけれども、
『踏みはずし』のモチーフはまぎれもなく、この「メランコリー」なのだ。

デューラーの《メランコリア》と聞くと、去年読みふけっていた、
須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』のことを思い出す。
uブックスに挟まっていた白水社のチラシによると、
「ユルスナール・セレクション」が刊行されていて、
堀江敏幸の解説が全巻に付いているのだそうで、非常にそそられる。

去年に初めて知った、須賀敦子さんから堀江敏幸に至る系譜は、
わたしのなかに古くからある海外文学の愉楽を呼び覚ます体験だった。
とりあえず、『ユルスナールの靴』を読み返そうかなと思っている。




  

7月28日土曜日/五反田遊古会、原美術館、フィルムセンター

古書会館に足を運んだことは今まで一度もなかったのだけれど、
五反田で定期的に開かれている「五反田遊古会」という名の古書展は、
かの月の輪書林が出品していたりもするので、前から少し気になっていた。

で、先日さる方より、今週末に五反田遊古会が開催されるらしいと聞き、
そして今朝、思いがけなく早起きできたこともあって、
涼しい空気の下、ほんの気まぐれにふらりと出かけることにした。

日本の古本屋で確認していた、会場の南部古書会館のおおまかな場所目指して、
五反田駅からゆるりと歩いていった。駅周辺は猥雑な感じなのだけれど、
少し歩いただけで閑静な住宅街の趣きに変わり、蝉がミーンミーンと鳴いていて、
涼しい空気と相まって、歩いているうちに、なんとなく夏の終わりのような
幽愁な気分にもなる。そんな今日は7月末、まだ真夏たけなわだけれども。

入り組んだ道を歩いているうちに、この方角でよかったのかしらと
少し不安になりもしたのだが、間もなくよどんだ空気が漂う一群が目に入り、
あの空気は間違いない、きっと古書展だろうと思わず早足になりつつ、
その方向へ向かうと、果たしてそこが五反田遊古会の会場なのだった。

入り口付近の雑誌コーナーで、
さっそく B5 サイズの頃の暮しの手帖を2冊見つける。
月の輪書林の出品で1冊200円。
1969年の100号までは B5 サイズの暮しの手帖、
B5 サイズをたまに古本屋で見かけると、いつも無条件で購入している。
なので、しょっぱなからワオ! と大喜びだった。

実は事前に教えていただいたところによると、
戸板康二の本がかなり出品されていて、
しかもわたしのなかでは幻の中村雅楽シリーズが
わりと安値だったりもしたのだけど、うっかり事前の予約をし損ねてしまった。
しかしまあ、それも縁これも縁というわけで、
予約をし損ねたことで、無欲の境地というか、
ほんの物見遊山気分で、初めての五反田遊古会をチラリのぞく時間。

……のはずが、2冊の暮しの手帖を手中に収めてから、
会場を適当に練り歩きつつ、かなりの長居をしてしまった。

獅子文六の随筆で200円のものを見つけ、
森田たまのきものエッセイは前から読みたいと思っていてこれは300円、
文芸雑誌がかなり売っていて、その目次を眺めるだけでも楽しく、
昭和20年代の演劇界のバックナンバーも何冊もあって
戸板康二の名前があちこちにあったりその他の連載群も楽しくて、
ほかにも里見とんの本とか三田文学系のシブい本など、
そんなに広くはない会場なのだが、かなり充実した時間だった。
本はどれもかなりの安価で、古書会館のよろこびを噛みしめる。

最終的には、計8点合計1500円のお買い物、
当初の予定の観覧気分を少し裏切る格好にもなったけれども、
「こぉーんなに買っても1500円!」ということで、
まあいいじゃないか、映画館にでも行ったと思えば、
と、自分に言い聞かせつつ、五反田遊古会をあとにした。

そのあとは、通りがかりのフレッシュネスバーガーで、
ハーブティーを飲みつつ、ひと休み。例によって買ったばかりの本を眺める。

……と、そんなわけで、五反田遊古会のお買い物メモを。


【五反田遊古会・お買い物メモ】

● 暮しの手帖第97号(1968年秋)
● 暮しの手帖第100号(1969年春)
30年以上前の発行だというのに、現在の暮しの手帖との
違和感のなさにはいつもながら驚かされる。綿々と続く花森イズム。
笑っちゃうような洋服ページやあっと驚く商品テストに混じって、
燦然と輝くお料理のページはいつ見ても素晴らしくて、美術ページも充実している。
97号に掲載の幸田文の長めの文章にキリリとした心持ちになって、
そうそう、こういう文章のように背筋を少し伸ばしてみること、
こういう静かな刺激が、暮しの手帖の持ち味なのだと再確認。
「すきな家きらいな家」というタイトルの清水一の建築エッセイが面白い。
第100号の表紙は、100冊の暮しの手帖の表紙を全部掲載していて、
一堂に会する花森安治によるデザインを眺めるのが楽しい。
でも100号だからといって、いたずらに騒ぐことなく、
普段とほとんど変わらない誌面構成なのが、いかにも暮しの手帖なのだ。

● 季刊アルスグラフ第3集 日本の舞踊(昭和27年)
古い演劇雑誌が100円で売っている一角があって、
そのほとんどで戸板康二の名前を見ることができたりもするので、
ついいろいろと、立ち読み。
この「日本の舞踊」の表紙は、六代目菊五郎の『鏡獅子』で、
木村伊兵衛の撮影によるもので、実に美しい。
戸板康二による「日本舞踊小史」という文章が載っていて、
戸板さんの文章でおなじみの渥美清太郎による「舞踊用語の解説」など
勉強になる記事が多々あって、今後の舞踊見物強化月間を決意。

● 演劇界(昭和27年4月号)
昭和20年代の演劇界が100円で何冊か売っていて、いろいろ眺める。
この号は、戸板康二による『天一坊』通しの劇評が載っていたので、
先月6月の舞台の余韻とともに購入を決意。
明治座の「黙阿弥六十年祭記念」と銘打った興行で、
天一坊は海老蔵、伊賀之亮は松緑、大岡越前は男女蔵、その妻は梅幸。
表紙は鳥居忠雅によるもので、先日の《歌右衛門展》でも
彼の筆による歌右衛門の肖像を見たばかりだった。
グラビアページに「楽し我が家」という役者宅訪問のページがあって、
この号は、麹町の段四郎の新居を訪問している。
長男団子君、すなわち現在の猿之助の中学校入学祝いのまっ最中で、
猿之助、すでになかなか不敵な面構え。まだ幼い段四郎がかわいい。

● 獅子文六『夫婦百景』(新潮社、昭和32年)
獅子文六まっしぐらの身としては、200円の安価なので無視はできないのだ。
結婚や夫婦に関するエッセイ集で、一部読んだことのある文章もあった。
全体を通してみると、さて、どんな感じなのかしら。

● 森田たま『きもの随筆』(文藝春秋、昭和29年)
● 森田たま『きもの歳時記』(読売新聞社、昭和44年)
森田たまのきものに関する文章は前から読みたいと思っていて、
月の輪書林の目録でも注文しようかどうしようかしばし迷っていたので、
今回2冊も読めることになって、嬉しい。『きもの随筆』の方は、
縞のきもの地をあしらった函入りの本で、なかなか美しい1冊。
『きもの歳時記』の10月の項の「織物の美しさ」と題された文章は、
《歌舞伎を見る時、われわれが心惹かれる要素の一つに、
舞台の上に描き出される色彩の美があることには、
誰しも否めないであろう。たとえば、「菅原伝授手習鑑」の、
悪役時平公は絢爛たる衣裳を来て起ちはだかるに対し、
菅原道真はあくまで簡素な黒一色で通している。
「妹背山」のお三輪はいかにも田舎娘らしい萌黄地の着物であらわれ、
求女は殿様らしく黒紋付、露芝の模様に水色の下着を重ねている。……》
という書き出しになっていて、わたしが着物に急激に夢中になったきっかけは、
なんといっても歌舞伎の舞台を通してだったので、共感と同時に懐かしい気持になった。

● 戸板康二『芸能めがねふき』(三月書房、昭和55年)[*]
この本は以前もよく古本屋で立ち読みをしていた本なのだが、
200円で売っているのを古書展の片隅で発見、状態も非常によく、
これはもう迷わず購入。前半が演劇人の紹介で、
後半が歌舞伎役者に関する文章を集めていて、人物誌の系譜の1冊。
戸板康二の諸々の演劇人の紹介の文章では、映画を観たあとで、
印象的だった俳優の名前を探したりするのが楽しくて、
歌舞伎役者の文章では、あの人はどんな役者なのだろうというときに非常に重宝。
という感じで、人物辞典としても、愛用しているのだけれど、
そんな人物誌シリーズに新たな1冊が加えられることとなった。



と、そんなわけで、しばし買ったばかりの本をいろいろ眺めて、
くつろいでいたのだけれど、しかし、よくよく思いをめぐらせてみると、
土曜日の朝っぱらから古書展で古本を漁っている自らの行動、いかにも美しくない。

うーむ、これはなんとかならないものだろうかと思い悩んだそのとき、
ふとひらめいたことは、五反田にいる今、原美術館まではすぐ近くだということ。

原美術館では現在、森村泰昌の展覧会が催されていて、
友だちから、先週行われた森村泰昌のトークショウに誘われたのだけど、
わたしは歌舞伎見物があったので行けなかったなあ、
というようなことを思い出して、そうだ原美術館へ行こうと、突如決意。
そうすると、今回の古書展行きは、原美術館に行く途中立ち寄った、
という位置付けに仕立てあげることも可能となるわけだ。

いよいよ心機一転、原美術館に向かってゆっくりと歩いた。
ずっとミーンミーンと蝉の鳴き声が耳に響いていたのだけど、
御殿山に入って美術館が近づいてくると、
今度はチュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえるのだった。
そして、原美術館、何度来ても、門から入り口に至る瞬間は胸が躍る。

森村泰昌の展覧会は《私の中のフリーダ》と題されていて、
彼のセルフポートレイト作品を眼前で見たのは今日が初めてだったのだけど、
フリーダ・カーロの作品と一体化する森村泰昌の諸々の作品、
なんだかよくわからないけれども、眺めていて妙に陽気になってしまった。
「美はざわめきである」という言葉を受けての「ざわめきのオブジェ」が
何体か窓際に展示してあって、窓のフォルムと外観の角度と合わさって
オブジェと対面した瞬間がなんだかとてもよかった。

しばし、カフェでコーヒーを飲みながら、のんびり外の空気を眺めた。
この至福は、外国へ一人旅に出かけたときとまったく同じような感覚。
休日に一人で美術館に来るのはずいぶんひさしぶりだなあと、よい気分。

カフェにかなり長居をし、ちくま文庫の、
幸田文のアンソロジー『ふるさと隅田川』を読み終える。
その余韻がとても気持よくて、さらによい気分。

さて、そんなことをしているうちに、
これからどうしようかとぼんやりと手帳を繰ってみると、
今日はフィルムセンターで、市川崑の『雪之丞変化』の上映があるとのこと。
見たい映画が上映されていたりすると、時間があったら行こうと、
手帳に一応はメモしておくのだけど、このところなんだかんだで、
目当ての映画を観に行けた試しがなかった。
もうちょっとここでゆっくりしたい気もしたのだけど、
せっかくなので、『雪之丞変化』を観に行くことに決めて、
カフェの緩やかな時間を切り上げ、もう一度展覧会をひと回りして、
美術館を出て、もと来た道を戻って、五反田に向かった。



五反田から都営浅草線に乗って、宝町で下車。

映画まで少し時間があったので、フィルムセンター併設の展示室の、
《写真再発見2》と題された、展覧会を見学。
ほんの気まぐれに立ち寄った展覧会だったのだけど、思いがけなく堪能した時間だった。

写真の誕生から現代に至るまでの、様々な写真を見ることで、
写真独自の表現の変遷を追うことができたり、
人物に物質、場所といった被写体別に見ることで、
写真表現の持ついろいろな可能性を探ることができたり。

植田正治の「平行、並列、平面構成」と評された家族写真が、
リアリズムから離れた独特のユーモアを醸し出していてとてもよかった。
ウジェーヌ・アジェによるパリの写真は、
日常それ自体をスパッと写真一枚に切断することで、
日常の文脈から超越した世界がパッと眼前に提示されてゾクゾク、
眺めているうちに、いつもこういう写真に最も心惹かれる
その所以をうっすらとわかってくる感じだった。

《写真再発見》は「ヒト」「モノ」「場所とできごと」というふうに、
被写体別に分けた三部構成なのだが、そこに小特集が付く。
今回の小特集は、須田一政の『風姿花伝』というシリーズ。
それまでに観てきた「ヒト」「モノ」「場所とできごと」という切り口を、
『風姿花伝』全体を通して、再確認できる仕掛けだ。

須田一政は、かつて寺山修司の天井桟敷の専属カメラマンをしていた人で、
『風姿花伝』はその初期の作品。街角や猫や子供に人々の姿、
東京に地方や山間部など色々な場所を写していて、
とりわけ、祭りの場面が印象的。『風姿花伝』全体から
うっすらと浮び上がる、日常に潜む祭祀的瞬間がとてもいい。

写真家本人は《私にとって、日常は非日常と呼ばれるものが並列するからこそ
魅力を持っている。私にとって緊張感のある光景は、なんの変哲もない
日々の中に転がっている》というふうに語っているのだそうで、
その発言をそのままヴィヴィッドに表現しているのが、『風姿花伝』。

フィルムセンター展示室の、《写真再発見2》と題された展覧会。
わたしにとっては文字通り、写真の持つ色々なことを再発見できたように思う。
今後の写真見物の意欲がフツフツと煮えたぎってきて、
思いがけなく楽しいひとときだった。

そんなこんなで、ギリギリの時間に、フィルムセンターに駆け込んで、
市川崑の『雪之丞変化』を観る。才気がみなぎるかっこいい映画で、とても面白かった。

映画のあとは、日本橋に向かって、裏通りを歩く。
初めて通った道だったのだけど、画廊がたくさんあって、
通り過ぎるだけでもなかなかいい感じ。途中、広重の終焉の地、住居跡の札を発見。
丸善の文房具売場で、丸善特製ノートを購入。このノートの十年来のファンなのだ。




  

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