日日雑記 March 2002

05 更新メモ(音楽的生活)
08 お能は三日経つとまた見たくなる
25 東京堂のリニュウアル、久保田万太郎の戯曲
26 更新メモ、早稲田演博の《能に見る日本の女性像》展
28 月の下の葉桜、大岡昇平の『文学的ソヴィエト紀行』

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3月5日火曜日/更新メモ(音楽的生活)

The Joy of Music を少しだけリニュウアル。
性懲りもなく、音楽的生活の再開を画策中です。



洲之内徹の『セザンヌの塗り残し』の余波がいつまでも続き、
昨日は、堀江敏幸の『いつか王子駅で』を再読。

今日は、久保田万太郎の『市井人』を読み終える。
明日は、小村雪岱の『日本橋檜物町』を読もうかと思う。





  

3月8日金曜日/お能は三日経つとまた見たくなる

1月に国立能楽堂で『邯鄲』を観てからというもの、
ますますお能への憧れがつのり、それからしばらく、
夜寝る前は、戸板康二のエッセイ集を何冊か取り出して、
お能に関する文章を探しては悦に入り、それから他のエッセイも読み、
ということを繰り返したりなんていうことをしていた。

『忘れじの美女』[*] 所収の「むかし見たお能」に、福原麟太郎の
《お能は三日経つとまた見たくなるものです》という文章が紹介されていて、
いいな、いいなと思った。まさしくその通り。三日経つとまた見たくなる。
福原麟太郎の本は未読なのだが、これまで何度も、読んでいた本のなかで
いろいろな人が福原麟太郎の文章をひいているのを見て、そのたびにいいないいなと思っていた。
福原麟太郎の随筆は暮しの手帖社からも出ていて、三月書房の小型本でも出ている。
それだけで、なにやら見逃せない気配。近々探してみるつもり。

などと、思わぬところで探求本リストの項目が増えてしまったのだけれども、
そうそう、とにかく、お能は三日たつとまた見たくなる。

日曜日の午後、国立能楽堂で粟谷能の会の公演を観覧したところで、
それからずっと、なんとはなしに、日曜日の午後見たお能のことを
うっとりと思い出して、そして、またお能が見たいとふつふつと思っている。

そんなこんなで、ここから先は、日曜日の午後のお能のことを。



「粟谷能の会」3月3日日曜日(於:国立能楽堂)は正午開演。

● 能『頼政』
シテ(老翁・頼政の霊):粟谷菊生
ワキ(旅僧):宝生閑、アイ(宇治の里人):石田幸雄
● 能『西行桜』
シテ(老桜の精):粟谷能夫、ワキ(西行法師):森常好、
アイ(西行庵の能力):野村萬斎、ワキツレ(花見の人々4人)
● 狂言『孫聟』
祖父:野村万作、舅:野村万之介、太郎冠者:竹山悠樹、聟:高野和憲
● 能『殺生石』
シテ(里女・妖狐の精):粟谷明生、
ワキ(玄翁和尚):殿田謙吉、アイ(能力):深田博治

前回の能楽堂では『邯鄲』だけだったけれども、今回はたっぷりと
ぜいたくにお能にひたる時間で、午後の間ずっと能楽堂の椅子にいた。
能楽堂に来るのは今回が二回目、たった二回目だというのに、
独特の、たぶんお能でしか味わえないような恍惚感になんだかもう夢中だ。
お能を見ているときの、独特のフワーッと時間と空間とが一緒くたに
重層的に浮遊している感覚というか、なんといったらいいのか、とにかく夢中だ。

またもや戸板康二の言葉を借りることにしよう。
『ハンカチの鼠』[*] 所収の「能のよさ」より。

《たいていの能は、目の焦点をどこに定めていいか
判らないような、不思議な感じを持っている。
舞台の中央で、女面がかすかに照ったりくもったりしている。
それをワキ僧と同じような気持で見ているうちに、
現実は見る見る遠ざかり、全く別な世界に自分がいるような気がして来る。
快い陶酔である。》

白洲正子が紹介していた、世阿弥の言葉、

「でき場を忘れて能を見よ。
能を忘れてシテを見よ。
シテを忘れて心を見よ。
心を忘れて能を知れ」

というのも、感覚的にではあるけれども、今回とてもよくわかってきた気がしている。
白洲正子は、この言葉に関連して、

《舞台にあるものはシテではなくて、それは自分自身が踊っているのです。
それは心のなかで自分もおどる気持ちになるのともまたちがいます。
そのようにシテをみながら自分がおどるのではなく、
シテの踊りもみえなくなるほど没入することです。》

……というふうに述べていて、たぶん、これに尽きるのだろう。
と言っても、わたしはまさしく「シテをみながら自分がおど」っているのだけど、
それでも、一瞬、何か、シテを見ながら違うもの、
もっと深いところにある何かを見ていると確信する瞬間が何度もあって、
シテの舞いの美しさに見とれて、謡曲の言葉に酔いしれて、
それだけでお能のよろこびッ、という感じなのだが、
酔いしれつつも、何かが見えてくる瞬間が何度もあって、不思議な気分だった。

いったい、何を見ているのだろう? お能は三日経つとまた見たくなる。



能の解説書を参照すると、江戸時代の正式の演能では、
『翁』に続いて演じられる五番立ての分類というのがあって、
「脇能」の一番目ものから「切能」の五番目まであって、
1月に見た『邯鄲』は四番目物「雑能」に分類されている。
今回の粟谷能の会の上演では、『頼政』が二番目物「修羅能」、
『西行桜』が三番目物「鬘物、女能」、このあと狂言が入り、
最後はもちろん五番目物「切能、鬼能」の『殺生石』という構成で、
今回の公演全体を見通すことで、違う分類の演目を一通り見ることができ、
そんなわけで、日曜日の午後は、絶好の「能楽入門」という趣きだった。

『頼政』と『西行桜』は京都が舞台で、なんだかそれだけで京都への旅情がそそられた。
『頼政』は前半の、老人とワキの旅僧が宇治あたりの名所についての問答がとてもよくて、
その伴奏の太鼓の音とが合わさってしみじみとよい気分だった。
詳しいことはよくわからないけど、日本の伝統色の色見本のような、
薄茶色と薄い群青色のシンプルな装束が美しく、五感でうっとりしてしまう。
前半とのコントラストで、後半の装束の視覚効果が目覚ましくて、
『頼政』の面は、この演目にしか用いない独特な面なのだそうで、
その面のうえの頭巾も、この曲にしか用いないのだそうで、なんとなく独特な感じだ。
あと、後半は、戦場のさまが重層的に見えてくるような、座ったままの舞いが興味深かった。

前回『邯鄲』を見たときは、音楽と舞いにひたすら酔いしれてしまって、
装束や面にはあまり関心がいかなかったのだけど、
今回は装束や面などのディテールにもゾクゾクしてしまった。
文楽人形のかしらみたいに、能面についていろいろ知ってみるのもとても楽しそう。

そして、今回とみに酔いしれたのが、『西行桜』だった。
ここでもまず、装束と面にみとれてしまって、シテの桜の精は老桜のおじいさんで、
パッと見た感じでは華やかさはなくどこかくすんだ渋さがあって、その渋みが実に美しい。
前半の装束は、上着が薄茶色っぽい色でその下にチラリとオレンジ色が見えて、
下の袴の色が萌黄色で、ここでも色の組み合わせがまずとてもいい感じ。
あと、面もしみじみと味わい深くて、ついいろいろな角度から眺めたくなってしまう。
てっぺんに桜の花を咲かせた台(のようなもの)の道具があって、
その花の薄い桜色と葉っぱの緑色と、袴の萌黄色とが絶妙なハーモニー。絶妙な色彩感覚。
後半のシテの動きが老木の味わいなのか、悠然とゆっくりとしていて、
静かな舞いで、地謡とシテの謡が続いたあと、しばらくわりと長めの沈黙がある。
笛と太鼓の音だけが響いて、シテはゆっくりとゆっくりと動いている。
この時間がもうたまらないッ、という感じで、思いっきり酔いしれた時間だった。
何年か前の、桜の季節に、夜の青山墓地を歩いているときに、
夜空の下で見上げた夜桜の風情のことがまざまざと記憶によみがえってきた。
そんな個人的な体験が、なぜかふいによみがえってきた時間でもあった。

事前に、図書館で今回見た3つの謡曲をコピーしていたのだが、
能楽堂に行く前に、そのコピーを読みふける時間というのが実に楽しかった。
特に、ゾクゾクだったのが、『西行桜』の後半の、洛中洛外の桜の名所づくしの箇所で、
前回の『邯鄲』のときと同じように、地謡とシテの言葉を耳で追うだけでも快楽だった。

人一倍ぞろっぺえなので、歌舞伎に行く前に脚本をチェックすることは、
思ってはみても実際に実行したことは非常に数少ないけれども、
お能の場合は、絶対に謡曲の本文読みは欠かせないなと思う。
能は見る前も楽しい。まず、テクストの快楽がある。
お能には多分に衒学的なところがあって、そこもとても魅力的なところ。
衒学的なことが実は結構好きなのかも。なので、今回気になった、
装束や面のことも折に触れ研究(の真似事)してきたいなとちょっとワクワクしている。
それから、平家物語など、曲の素材となっている古典にもっと接したいとも思う。

それから、今回は狂言も面白かった。
前回昏々と寝入ってしまったので、もしや鬼門か、と心配だったのだけど、
万作の言葉と杖のリズムやほんわかとおかしみ漂うルーティンな行動に、
つい何度もクスクスしてしまって、他の登場人物の幾分とぼけたところにもクスクス。
今回、狂言がおもしろかったのは、前回と違って、
狂言が、能と能の間に挿入されていたせいかもしれない。
絶好の、間奏曲という趣で、身体全体でいい気分だった。
客席を見回すと、狂言の時間はロビーで休んでいるひとも多いらしい。
そんな客席の空気の変化すらも、なんだかいい感じなのだ。

そして、最後は『殺生石』。
装束といい、地謡といい、全体の印象が前作と大きく変わっていて、
その変化がまず面白かった。地謡は低音で重量感があり、
装束は黒と白で、歌舞伎で見た『土蜘蛛』の妖しさとよく似ていた。
動きもはじめはゆっくりしていたかと思うと、後半に急に速度が早まり、
橋懸へ移動して舞台に戻ってくるところがよかった。

……などなど、感覚的なことだけをタラタラと書き連ねてしまったけれども、
一言でまとめると、お能は三日たつとまた見たくなるので、また行きたい。

去年の12月に急激にお能への思いが煮えたぎって、
能の本を集中的に読みふけって、2002年がやってきて、
そんな折に、浅草公会堂で黙阿弥作の松羽目もの『船弁慶』を観て
能のことで頭がいっぱいだったものだから、
いつも歌舞伎を見るときと違った気分で『船弁慶』を見ることになって、
もともと松羽目もの大好きだったのだけど、いつもとは違った気分で、
さながら「お能への招待」という心持ちになってしまった。
そんな感じに、逆に歌舞伎を媒介に、能を知っていくという面もあるかもしれない。

最後にしつこく戸板康二の文章の挙げてみると、『六段の子守唄』[*]
「能と歌舞伎の接点」というのがあるのだけど、この文章を目にして、
歌舞伎を通して能を知る、もしくは能を通して歌舞伎を知る、
そんな視点で、歌舞伎に接していくという視野も新たに得たわけで、
毎月のように歌舞伎座に行くようになって今年で四年目で、
そろそろ煮詰まってきたというか惰性になってきたきらいがあったのが、
能のおかげで、歌舞伎にも新しいアプローチができそうな気がしている。




  

3月25日月曜日/東京堂のリニュウアル、久保田万太郎の戯曲

日没後、神保町へ。

東京堂がリニュウアルのため先週から仮店舗で営業をしていて、
その仮店舗がどんな感じなのかちょっと気になって見に行った。

長らく神保町の一番のたのしみは東京堂に行くことで、
何か本読みに興奮するととりあえず駆け込んでいたのが東京堂で、
そこで思ってもいなかった散財をするのもたのしかったし、
何も買わなくても見るだけで楽しいのが東京堂だった。
というわけなので、12月まで本店鋪での営業がないのはとても寂しい。
いつもしていたような東京堂の棚めぐりが
しばらくおあずけになるのはとても残念だ。
(と言いつつ、ここ1ヵ月、閉店に伴う洋書半額セールに何回か通って、
前々から気になっていた本を何冊か手に入れて
「イヒヒ、しめしめ」なんていうこともしていたのだけれども。)

東京堂は洋書コーナーもたのしかった。
最上階と二階がもっとも滞在時間が長かった。
さてさて、リニュウアル後はどんな感じになるのかな、
前のよさがちゃんと残っているとよいなと思うけれども、
東京堂のことだから、まったく心配は無用であろう。
とにもかくにも、年末の新装開店が待ち遠しい!

東京堂の仮店舗は二階建てで、新しい建物特有の匂いがプンプンただよっていた。
四階建ての本店鋪を思うと、やっぱり手狭なのが残念なのだけれども、
でもでも、東京堂に入るとすぐに目に入ってくる新刊コーナー、
決して二面以上にはならずにいろいろな本が一面ずつ積んである、
美しい新刊コーナーのフォルムはそのまんまなのがとても嬉しい。
仮店舗でも、神保町に来ればとりあえず東京堂で新刊をチェック、
という習慣を変わらず続けられそうなので、よかったよかった。

年末の新装開店を待ちわびつつも、
やっぱり神保町来訪の際は東京堂は欠かせないなと思う。
今日の東京堂では、藤原書店の新刊『言語都市パリ』という本に釘付け。

今日は喫茶店に寄り道などということはせず、
冷たい風に吹かれながらただ本屋沿いを少しだけぶらぶらと歩いて、
それだけでもほんわかとよい気分であった。



家に帰ると、先週ウェブで注文した、
『久保田万太郎戯曲集』(角川文庫、昭和28年)が届いていた。

戸板康二の著書だと、角川の新書から、『歌舞伎の話』[*] と『新劇史の人々』[*] が出ている。
いずれも大のお気に入りの本なので、昭和20年代の戸板康二と角川書店、
というくくりをしてみたいという誘惑にかられる。
戸板康二と角川書店とのかかわりというと、折口信夫の鳥船の会で、
国学院の制服を着た角川源義と顔見知りだったということに端を発するようだ。

久保田万太郎の書物は、初期の角川文庫から五冊出ていて、

● 『久保田万太郎戯曲集』
● 『市井人・うしろかげ』
● 『久保田万太郎句集』
● 『浅草ばなし』
● 『浅草風土記』

去年の年末、国立で買った角川の日本近代文学大系の
『久保田万太郎 山本有三集』所収の参考文献によると、
上記の文庫本、『戯曲集』と『市井人』は戸板康二の解説となっている。

というわけで、戸板康二の解説とともに万太郎の未読作品が読めるなんて!
なんとすばらしいことだろう、と、ちょっと注目のシリーズであった。

念願の戸板康二の解説付きの角川文庫の万太郎が1冊届いてとても嬉しくて、
さっそく巻末の解説を読み耽って、それから当時の刊行目録を眺めるたのしみ。
古い文庫本を手にすると、巻末にある当時の刊行目録を眺めるのがとても楽しい。
思いがけない本がかつてその文庫から出ていたのを知るという巡り合わせが好きだ。
むかしの角川文庫はなかなかいいい感じだ。

《先生の俳句と先生の戯曲とが、精神に於て一体であり、
文学上のジャンルを超越したものである……》

《江戸趣味というような言葉を、その内容と共に好まれない先生は、
欧文脈を自然に駆使し、東京の主として下町の、特殊な環境をとりあげて、
近代的な骨格をもつドラマを書かれている。
ものごとを皮相的にのみ見ずに、先生の文学の底まで徹して、
作品の機微を認識すべきであろう。》

《ト書に多く曇り日を選ぶ作者には、チエホフの作品を思わせる、
現代人の深い詠嘆が、あるのだと思う。》

この戯曲集は、『雪』『雨空』『不幸』『短夜』『燈下』
『冬ざれ』『螢』『月』『萩すすき』を収録している。

先週の火曜日、北品川の六行会ホールで、
《久保田万太郎その12》と冠した、みつわ会の舞台上演を観覧した。
『水のおもて』と『螢』という二つの戯曲が上演されて、
『水のおもて』の方は初めて芝居にのったのだそう。
直前にあわてて図書館でコピーした戯曲を読んだのだけど、
読んだとたんに大好きになってしまう万太郎の文章で、
そして、それが芝居にのることで、本で読むのとはまた別の感触を得ることができて、
久保田万太郎に耽溺している身としては、なにかと胸がいっぱいになった。

それから、昨日の日曜日、成瀬巳喜男の『歌行燈』を観た。
新派の役者総出演の映画で、脚本は久保田万太郎。
映画を観ているというよりは劇場で芝居を見ているという感覚で、
唯一、花柳章太郎が山田五十鈴に舞いを伝授するシーンが、
木々からの木漏れ日をとらえるカメラがとてつもなく美しく、
映画的に最高潮の瞬間であった。

と言いつつも、実は『歌行燈』を見て一番嬉しかったことは、
久保田万太郎の文章でおなじみの新派の役者の面々を見ることができたこと。
久保田万太郎に夢中になるきっかけになった小説『春泥』に出てくる役者は、
実際の新派の役者をモデルにしていて、その姿をスクリーンで見ることで、
『春泥』のことをいろいろ思い出して、またもやなにかと胸がいっぱいだった。

《先生の文学は、小説も戯曲も随筆も俳句も、
みんな同じものだとぼくはしきりに思うのだが、
先生の独自の発想、類のない感覚は、戯曲において、
ことに強く表現されているようである。》

と、これも戸板さんが久保田万太郎の戯曲について書いていたことで、
特に、久保田万太郎は「小説も戯曲も随筆も俳句もみんな同じもの」とくだりにしみじみ同感。

去年の年末から、急に久保田万太郎に夢中になってしまって、
いろいろなジャンルの書物をめくっても、それはとどまるところを知らない、
久保田万太郎の筆が生んだ作品はまったくもってどれも素晴らしい。
最初に万太郎の名前を心に刻むきっかけになった俳句はもちろんのこと、
小説も戯曲もエッセイも劇評もどれもこれもに夢中なのだった。





  

3月26日火曜日/早稲田演博の《能に見る日本の女性像》展

更新メモ:私の食物誌を更新。先月の歌舞伎座、《手習鑑》通し見物の日のこと。



所用を済ませたあと、神楽坂方面からてくてく歩いた。
今日は念願の夏目坂を通ることができたのが、ちょっと嬉しかった。

雨上がりのひんやりする坂の途中、半分ほど葉っぱになっている
白い桜の花が咲いている大きな木があって、曇り空と相まって、とてもきれいだった。
今月初めに能楽堂で観た、『西行桜』のことをしみじみと思い出した。
シテの萌葱色と薄茶色の装束、舞台装置の桜の花と葉とが入り交じった色彩のこと。

などと、お能のことを思い出してしまったのは、早稲田大学構内の演劇博物館
《能に見る日本の女性像》展を見物に行く道すがらだったせいもあるかも。

去年7月に六代目歌右衛門追悼の展覧会を見物に行って以来、
ひさしぶりに演劇博物館に行った。

目当ては、目下開催中の《能に見る日本の女性像》展なのだが、
常設展示も演博に足を踏み入れる度に見に行ってしまい、
さりげなく展示替えが行われていたりもするので、いつも大満足の時間となっている。

今日も、ひさびさに演博を思いッきり堪能した。

まず、三階にあがって、いつも眺めるだけで楽しい、文楽コーナーへ。
ここに来るといつも、昭和初期の文楽公演のポスターや筋書のデザインを見る合間、
谷崎の『蓼喰ふ虫』の気分にひたることができて、これが実にたのしい時間。
昭和29年の山城少掾と文五郎の名を冠した四ツ橋文楽座のポスターに胸が躍る。
それから、やはり山城少掾のレコードにも心がときめく。山城少掾のオーラ。
そして、文楽人形も何度見ても面白い。八重垣姫、熊谷直実と相模。
何度見ても、相模の地味な花柄着物がとても好きだ。
去年5月の文雀さんの相模、素晴らしかったなあと過去の舞台の追憶にもひたる。

歌舞伎コーナーでは、五代目歌右衛門使用の振袖が展示してあって、
一昨年の秋に大堪能した《五代目歌右衛門展》の記憶がまざまざとよみがえってきた。
「部分的に絞りがあり、梅花模様と裾の笹模様はすべて刺繍」の豪華なきものは、
三越との密接な関係を如実に示していて、大正の都市の空気、
百貨店と劇場の気分を鮮やかに感じさせてくれる。それに、梅好きとしては文様も興味深い。

近代劇コーナーでは、花柳章太郎使用の衣裳が展示されていて、
それは谷崎潤一郎原作久保田万太郎脚色の『お遊さま』、
昭和20年の明治座で使用した衣裳なのだそうだ。
まあ! 日曜日に映画でその姿を見たばかりの花柳章太郎の名前を
ここでも見ることができるなんて。
昨日は『久保田万太郎戯曲集』が届いたばかりで今日は当時の衣裳を目の当たり、
というわけで、先週に引き続いて今週も万太郎ウィークなのかも。
それから、戸板康二の本を通して知った新劇史に興味津々の身としては、
築地小劇場のポスターをちょっと見ただけでもなんだかとても嬉しい。
昭和初期のモダン都市東京でチェーホフやイプセンを見物する観客。

それからそれから、一階のシェークスピアの展示室もいつも楽しみな部屋だ。
今回は『マクベス』特集となっていて、マクベスをとりまくいろいろなこと、
特に嬉しかったのが、演博所蔵資料の『マクベス』の図書を収めたウィンドウで、
本をかたちとして愉しむのはいつもながらそれだけで楽しいのだった。
ロンドンやパリでかつて出版されていた『マクベス』の古書。挿絵が素敵。
そして、ここでも築地小劇場のポスターがあって、マクベスは鴎外訳だ。

……などと、年に一度は訪れている早稲田大学演劇博物館、
常設展示のいつも見ている部屋だけでもいろいろ刺激的なのだが、
今日もっとも胸を躍らせたのは、お能関連の部屋だった。

お能に魅了され、これから先も少しずつ観たいなと思っているところで、
体系的に面や装束やお能の歴史についての展示してあるのを目の当たりにし、
面や装束はもちろんのこと、ちょっとした小道具の展示がハートに直撃だった。

まず、渋沢秀雄の寄贈だという《能・狂言模造小面》。
能面40、狂言面10、合わせて50の小さな面が箱に収納されていて、
その木箱には、明治19年2月の日付けで山岡鉄舟の筆があり、
それによると、能面が散逸するのを憂えて六分の一に縮小した面を作って、
合計100の面を二箱に収めたとのこと。
小さな面のなんと愛らしいこと! ウィンドウ越しに
面の名称を参照しながら眺めることができるので、次々に眺めてたのしむ。
山岡鉄舟の名前を聞くと、三遊亭円朝のことをなんとなく思い出してしまって、
それもまたたのし、だった。それにしても、なんて眼福なことだろう!

それから、お能歌留多というのがあって、
戸板康二を通して歌留多好きになってしまった身としてはついニヤニヤ、
これもまたなんて愛らしいのでしょう! という感じだった。
シテとワキを組にした歌留多で、その絵柄と相まって、なんとも愛嬌たっぷりな歌留多だった。

そして、やはり圧巻は、本日のそもそもの来館目的、
《能に見る日本の女性像》と題された展覧会だった。

「女性役で用いられる唐織は、金箔銀箔を折り込んだ豊かな色彩と、
美しい文様があいまって、見る人に感銘をあたえます」という序文とともに、
近世の能装束を復元している山口能装束研究所の復元作品と、
江戸時代の装束と面などを展示している展覧会で、
能の装束をたくさん目の当たりにすることができる、とてもぜいたくな展示会だった。

それぞれの装束の独特の色合いに、細部まで緻密に設計されている文様を
次から次へと凝視して、本当にもう眼福としか他にいいようがない感じ。
たくさんの装束を展示している中で、あちらこちらに演目を紹介しているパネルがあって、
「能楽入門」という側面もあって、とてもありがたい。将来のお能見物の夢が広がる。

数々の能装束、その文様の名前を見て、デザインや色にうっとりとみとれると同時に、
この模様・色合いが好きだなあとかいろいろ自分自身の好みをさぐったりもした。

腰帯と鬘帯のウィンドウがあって、これらも実に愛らしい。とにかくハートに直撃だった。

今月初め、粟谷能の会を観覧して、舞や謡だけでなく、
面や装束に興味津々になったのだけれども、それが今回の展覧会でさらに増強、
むやみやたらに刺激を受けてしまった。

最後に、今日も戸板康二の文章を読むことにして、
『芝居国・風土記』[*] に「歌舞伎の衣裳・能の装束」という文章がある。

《袴の大口の量感、武将の着る法被の形のおもしろさ、腰巻の縫箔の文様など、
能を見に行ったとき、その装束の何ともいえない形と色に見とれることがしばしばある。
能の場合は、歌舞伎よりも一層舞台の服飾がつよく発言しているようである。》

歌舞伎座に行く度に、舞台で見る歌舞伎のデザイン感覚に見とれて、
衣裳の文様や色合いなど、ついいつもメモをとってしまうくらい、
歌舞伎を見始めたばかりの頃もそれから何年かたった今でも、夢中になっている。

しかし、能の装束は、歌舞伎とはまったく別の法則があるみたいで、興味は尽きない。

上記の戸板さんの文章は、《少なくとも日本古来の色の名前くらいは、
若い世代におぼえてもらいたいものである》というふうに結んであって、ハイ! と思った。

ところで今、日本の伝統色で好きな色は、土器茶(かわらけちゃ)。

久保田万太郎が、六代目菊五郎の勘平にあてた一句が、

し ぐ る る や し め た る 帯 の 土 器 茶

戸板康二が雑誌「日本演劇」の編集者だった頃に、
社長だった久保田万太郎が社のデスクで作った句なのだそうで、
「勘平のあの帯の色は、何と言うんだい」と尋ねられ「さア……」と答えていると、
脇から渥美清太郎が「あれは、かわらけ茶ですよ」と即座に教えてくれて、
上の句ができたのだそうだ。このエピソード、大好き。

六段目の勘平の浅葱色の紋服に土器茶の帯、あの色彩感覚、実に見事だ。





  

3月28日木曜日/月の下の葉桜、大岡昇平の『文学的ソヴィエト紀行』

夜間開館を活用して東京国立近代美術館を見たあと、
千鳥ヵ淵まで桜を見ながら歩きましょう、
ということになっていたのだが、なんやかんやで時間がなくなり、
美術館の方はまたの機会ということになって、
でもまあ、せっかくなので、竹橋から半蔵門までという道のりで散歩した。

美術館のとなりの、国立公文書館で来週から、
《花と行楽》と題した展示会があるのだそうで、大いにそそられる。
工芸館の展覧会とセットで、見学に行きたいなと思う。

ここから先の、半蔵門までの散歩もちょっとした「花と行楽」気分だった。

空を見上げると、黄金の月、ほぼ満月。
桜の木は葉桜、綿々と続く桜の木を見ると、
やっぱり今日もお能の『西行桜』のことを思い出してしまった。

千鳥ヵ淵の隅っこに吹きだまりのようにして密集した桜の花びらが白く輝いていた。
前にこのあたりを歩いたのは夏休みのときのこと。
夏が過ぎ、秋が過ぎ去り、冬が来て、
あの日遅い昼食を食べたフェアーモントホテルはその歴史に幕を閉じ、
いつのまにか春になり、季節だけはめぐっているなあとしみじみする。



一昨日、早稲田の演劇博物館を見学したあと、
早稲田通りをズンズンと競歩モードで直進した。目的は平野書店。
せっかく早稲田界隈に来たのだから、ゆっくり古本屋めぐりをしたいところなのだが、
もうとっぷりと日が暮れていて、きっとどのお店も閉店間際に違いない、
せめて平野書店だけでも見ておきたいなと、大急ぎで歩いて行った次第だった。
前に、演博見物をしたときとまったく同じ行動パターンになってしまった。

そして、ひさしぶりの平野書店にて、
大岡昇平の『文学的ソヴィエト紀行』(講談社、昭和38年)を買った。

大岡昇平のソヴィエト紀行の存在を知ったのは、
戸板康二の『女優のいる食卓』[*] がきっかけだった。

戸板康二は昭和38年の秋に、日本演劇視察団の一員に加って、
ソビエト、ポーランド、チェコを訪れ、芝居や関連施設を訪問し、
視察団がウィーンで解散したあと、パリ、ロンドン、ミラノ、アテネを訪れ、
生まれてはじめての大がかりなヨーロッパ旅行を体験した。
そのときの旅行記が、『女優のいる食卓』の第一章に収録されている。
ちなみに、「女優のいる食卓」から「アテネの夜露」までの8篇は、
かの食味雑誌「あまカラ」に、昭和39年5月から12月まで連載していたもの。
「あまカラ」に連載していただけあって、いずれも食がテーマになっていて、
大岡昇平のソヴィエト紀行の名前は、「女優のいる食卓」のなかで、
ソヴィエトでの食卓に関した記述の中で、ちらりと登場している。

戸板さんが、ヨーロッパ旅行から帰った直後に読んだという
大岡昇平の『文学的ソヴィエト紀行』は昭和38年10月の発行で、
大岡昇平がソヴィエトを訪れたのは、その前年の6月から7月にかけてで、
たった1年の違いでも、ソヴィエトは刻一刻と変化していたようだ。

……というわけで、大岡昇平のロシア旅行記の存在はなんとなく知っていたものの、
実際に目にしたのは、一昨日の平野書店がはじめて、パッと手にとって迷わず買ってしまった。

大岡昇平による旅行記だなんて、それだけで胸が躍ってしまう。
胸が躍ってしまうのは、『ザルツブルクの小枝』を読んだときの至福を思ってのこと。

大岡昇平のアメリカ・ヨーロッパ紀行、『ザルツブルクの小枝』のことを知ったのは、
junne さんの日記がきっかけで、そのあまりにたのしそうな読後の文章を拝見して、
「いいな、いいな」とたんにうらやましくなってしまって、以来、古本屋にて、
中公文庫コーナーに行くたびにまっさきに探す本となっていた。

念願の『ザルツブルクの小枝』(中公文庫)を入手し読んだのは去年の秋のこと。
この日記にはすっかり書き損ねてしまっていたけれども、
ある日の神保町で『ザルツブルクの小枝』を見つけて、ワオ! と手にとって、
すっかり気が大きくなって、同じお店で『わが美的洗脳』(番町書房)と
『文学の運命』(講談社文芸文庫)を見て、大岡昇平の本を三冊一気に買った。

まず『ザルツブルクの小枝』を読んで、
そのあと『わが美的洗脳』『文学の運命』という順序で読んだのだが、
1953年から54年のアメリカ・ヨーロッパ紀行を軸にすると、
大岡昇平を内面を形成する過程において、
『文学の運命』の紀行の前史を見ることができて、
『わが美的洗脳』はその後編というふうに読むこともできる。
というわけで、以上の三冊を立続けに読んだのはとても味なことであった。

以上の三冊を読んだ重層的読後感のことはうまく書けないのでここでは省略して、
まあ、一言でまとめてしまうと、去年の秋『ザルツブルクの小枝』を読んだことは、
いろいろな意味で、わたしのなかではエポックメイキングな出来事で、
大岡昇平の旅行記と聞くと、それだけで胸が躍ってしまうし、
それに、戸板さんも読んだというのだもの! というわけなのだった。

さて、『文学的ソヴィエト紀行』。

薄い本なので一気に読んでしまって、大岡昇平の随筆の類を読んでいつも思うこと、
「なんて、かっこいいのだろう!」ということを今回も痛感した。
深い教養に裏打ちされた、鋭い視点と確かな批評眼と旺盛な好奇心。
まったくもって、大岡昇平はいつでもどこでもどこまでも、大岡昇平なのだ。

ディテールで、個人的に興味深かったところは、モスクワでの朝食シーン、

《銀の台つきのカップで呑む紅茶。
ガラスがじかに口に当って熱く、飲みにくけれど、
わえわれの世代には昔なつかしいコップなり。
十七歳の頃はわざと陶器の茶碗を避け、
このコップから飲んだものである。
多分築地小劇場のチェホフ劇の舞台から広まった習慣なり。》

それから、オストロフスキイ博物館のくだりがとてもよかった。
大岡昇平とオストロフスキイは、兵士の経験を持ち
それを小説のかたちで語ったという点で共通している。

《旅先で神経が弱っているところへ、こういう遺物を見るのは辛い。
十年前外国旅行をした時、ワシントンでリンカーンの遺物を見た時、
オランダでゴッホの絵が一堂に集められているのを見た時、
ザルツブルクで少年モツァルトの弾いたという小さなヴァイオリンを見た時も、
私は同じように涙ぐんだ。》

というくだりを読んだときは、『ザルツブルクの小枝』を読んだときのことを思い出して、
本の中の大岡昇平の感動と、それを読んだ自分自身の経験とが一体化したような気分になった。

ゴーリキイの助言で作品を書き直したことを知って、
オストロフスキイの初稿をもとめて、さっそくモスクワの古書店を訪れる大岡昇平。
《初稿は残っていないか、かりにあったとしても、
こういう種類の本について本文比較の習慣はソ連にはないらしかった》とのことだった。

全体的には、大岡昇平の筆とともに、フルシチョフ時代の60年代の
ソヴィエトの諸々のことを追体験するたのしみが第一にあって、なにかと臨場感たっぷり。
大岡昇平が文学者として特に見学を希望したというのが精神病院と裁判所だそうで、
ときおり登場する、ルビッチの『ニノチカ』的な描写にクスクスしたりもした。
特殊な体制下のソヴィエト連邦の諸々を通して、文学的考察をするくだりを通して、
大岡昇平の文学世界全体への関心がさらに高まったりもして、
そして、最終的には、大岡昇平はいつでもどこでもどこまでも大岡昇平、
その姿を見て、生きる歓びがふつふつと沸き上がり、それと同時に、
大岡昇平そのものに対する思いがさらに燃え上がるという仕掛けだった。

本当にもう、なんてかっこいいのだろう、大岡昇平。これに尽きる。





  

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