サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経


二  感覚 のサティパッターナ  [ENGLISH]

では、どうすれば、 感覚は感覚にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない といつも感じて生きることができるでしょう。

心地よい 感覚を体験 している時、「心地よい感覚を体験している」 と自覚するのです。心地悪い感覚を体験している時、「心地悪い感覚を体験している」 と自覚するのです。 心地よくも悪くもない感覚 を体験している時、「心地よくも悪くもない感覚を体験している」 と自覚するのです。

肉体的快楽と関係する心地よい感覚を体験している時、 「肉体的快楽と関係する心地よい感覚を体験している」 と自覚するのです。肉体的快楽と無関係の心地よい感覚を体験している時 「肉体的快楽と無関係の心地よい感覚を体験している」 と自覚するのです。

肉体的快楽と関係する心地悪い感覚を体験している時、「肉体的快楽と関係する心地悪い感覚を体験している」 と自覚するのです。肉体的快楽と無関係の心地悪い感覚を体験している時、 「肉体的快楽と無関係の心地悪い感覚を体験している」 と自覚するのです。

肉体的快楽と関係する心地よくも悪くもない感覚を体験している時、「肉体的快楽と関係する心地よくも悪くもない感覚を体験している」 と自覚するのです。肉体的快楽と無関係の心地よくも悪くもない感覚を体験している時、「肉体的快楽と無関係の心地よくも悪くもない感覚を体験している」 と自覚するのです。

このように、自分にとって感覚は感覚にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。 他人にとっても 感覚は感覚にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、感覚は感覚にすぎない、といつも感じて生きるのです。

感覚が存在する原因と、感覚が実際に存在しているのを、いつも感じて生きるのです。感覚が存在する原因と、感覚が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。感覚が実際に存在し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、感覚のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。 * (注 )

これが感覚は感覚にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。

(感覚のサティパッターナ 了)



次項の 三  心のサティパッターナ はこちらからでも入れます。





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