感覚
感覚の英文原語は feelings。パーリー語では Vedana。 嬉しい、悲しい、などの感情ではなく、心地よい、心地よくない、心地よくも悪くもない、という主に三種類の感覚のことを意味しています。その感覚は、感覚器官が外の世界と接触して現れますが、現れる感覚は、一度に一つだけです。この感覚が渇望の原因だと知ることが重要だとされています。 修行者が、感覚は感覚にすぎないと理解できなければ、感覚を経験している主体 (自我) があると考えることになるので、感覚は感覚にすぎないと感じることがとても重要になります。 感覚 (feeling) と 知覚 (perception) を理解しておくことは 「サティパッターナ・スッタ」 を読むためにとても大切です。
・感覚 (feeling) 身体的プロセス : 感覚器官を通して受け取る情報
ブッダは、心が「意識」「感覚」「知覚」「反応」という四つのプロセスから成り立っていることを発見しました。 感覚器官 は心のアンテナです。このアンテナが正常に作動するためには、 意識 が正常に働いていなければいけません。何かを見るのに熱中している時には、音がしていても聞こえないことがあります。これはすべての意識が目に集まっていて、聴覚意識が働いていないからです。眼をつむると景色が見えません。これは視覚意識が働いていないからです。意識は心のアンテナである感覚器官を作動させる電源のようなものなのです。 感覚器官を働かせる電源としての意識がパワーアップされると、感覚器官のアンテナは精度を増します。その結果、より多くの情報が集められ、より多くの感覚が生じるのを感じます。意識を働かせると感覚が増すために、意識が感覚を生み出したのだと感じがちですが、これは意識によってアンテナの精度が増したことで起きた現象で、感覚が新たに生じたわけではありません。それまではアンテナが働いていなかっただけで、感覚はもともとあったものです。 このアンテナが受け取った外からの情報は、次のようなプロセスで情報処理されます。
外からの刺激 このスピードがあまりにも速いために、人はそのことに気づかず、反応が長時間繰り返されて強化されたとき、はじめて意識の中に現れて気づきます。 私たちは、誰もが、「意識」「感覚」「知覚」「反応」という心のプロセスの流れの中にあります。それは身体の変化よりもさらに高速で変化しています。これこそが「自分」というものの現実です。単なる流れに過ぎない現象のプロセスであるこの「自分」という現実を体験し、正しく理解することができたら、「自分」という実体は存在しないという理解が生まれ、苦から抜け出す糸口を見つけることができる、とブッダは悟りました。 サティパッターナ・スッタは、プロセスにすぎないこの「自分」という現実を体験するための手引書のようなものです。 |