第三章 第二の幽霊
スクルージは、けたたましいいびきをかいている最中に目覚めた。ベッド
に起き上がり、考えをまとめようとした。いわれなくても、鐘がふたたび
1時を告げるところだと分かっていた。ジャエコブ・マーレイを通じて遣
わされる第二の使者と会う特別な目的に合わせて、申し分のないタイミン
グで目覚めたと、彼は思った。
だが、今度来る幽霊はどのカーテンを引いて入ってくるだろうかと考え始めたら、ぞっとしてきたので、自らの手でカーテンをかたっぱしから開けてしまい、再び横になってベッドのまわりを鋭く見回した。というのは、幽霊が現れた時、ひるまず立ち向かいたいと思ったし、不意を打たれたくなかったし、びくびくしたくなかったからだ。
機敏で、常にそつがないことを自慢にしているノーテンキな紳士たちは、
コイン投げから殺人に至るまで、何でもござれといって自分たちの冒険能
力の幅の広さを吹聴する。このような両極端の間には、確かに、かなり広
範囲にわたって、さまざまなものがある。
スクルージに関しては、これほど大げさにはいわないが、妖怪変化に対しては、広範囲にわたり心構えができているし、赤ん坊からサイの範囲でなら、大して驚かないということは信じてもらいたい。
今や、いかなるものに対しても心構えができていたが、何も起きないことにはできていなかった。そして、鐘が1時を打っても何も現れなかった時、スクルージは発作を起こし、震え出した。5分、10分、15分とたっても、何も現れなかった。この間、彼はずっとベッドに横たわっていたが、そこは、時計が1時を告げた時、ベッドに射し込んだ炎のような赤い光のまん真ん中だった。ただの光だったが、それが何を意味し、何をしようとしているのか見当もつかなかったので、幽霊が次から次ぎに現れるよりもぞっとした。彼の身体が、知らないうちに、自然発火の特異な状態にこの時なったのではないかと、ふと不安になった。
しかし、ようやく彼は頭を働かせ始めた。みなさんや私なら最初に考えた
ことをだ。というのは、いつの時でも、何をするべきかを知っていて、それを間違いなく実行するのは、窮地にある当事者ではないのだ。彼はやっ
と、この幽霊のような光の源と秘密は、隣の部屋にあるのではないかと考
え始めた。光をずっとたどっていくと、そちらから射してくるらしかった。
そうとしか考えられなかったので、彼はゆっくりと起きあがって、スリッ
パを引きずりながらドアのところまで歩いた。
スクルージの手が錠にふれたとたん、聞きなれない声が彼の名を呼び、お入りといった。
彼はいわれたとおりにした。それは彼の部屋だった。そのことに間違いはなかった。だが、驚くほど変わっていた。壁や天井には、みずみずしい緑の木々が垂れ下がり、本物の森のようだった。そのどこにも、つやつやと光るベリーの実が輝いていた。ヒイラギやヤドリギやツタなどのパリパリの葉は、光を反射し、無数の小さな鏡が、辺りに散らばっているかのようだった。力強い炎が、ごうごうと煙突に燃え上がっていたが、その勢いは、くすんだ化石のようなこの暖炉には、スクルージの時代にも、マーレイの時代にも、幾年もの過ぎ去った冬の間にも、絶えてなかったことだった。
床には、七面鳥、ガチョウ、猟獣肉、家禽、ヘッドチーズ、大きな肉のか
たまり、子豚、長く連なったソーセージ、ミンス・パイ、プラム・プディ
ング、カキの樽、赤く焼けた栗、サクランボ色のリンゴ、ジューシーなオ
レンジ、甘いナシ、公現祭前夜祭を祝う大きなケーキ、波立つパンチなど
が、玉座のように積み上げられ、そこから立ち上るおいしそうな湯気で部
屋がかすんで見えた。長椅子には、陽気で、見るからに輝かしい巨人が、
気持ちよさそうに坐っていた。豊穣の角にも似た燃え上がるトーチを手に
持ち、それを高く掲げ、スクルージがドアから恐る恐る入って行くと、そ
の光を彼に注いだ。
「お入り!」幽霊は大きな声でいった。「入って、わたしをよく見るがい
い」
スクルージはおずおずと入り、幽霊の前で頭を下げた。彼はそれまでの頑
固なスクルージではなかった。幽霊の目は澄み、やさしさに満ちていたが、
目を合わせたくはなかった。
「わたしはクリスマスの現在の幽霊だ」幽霊はいった。
「わたしを見るのだ」
スクルージはうやうやしく見た。幽霊は、白い毛皮で縁取られた、緑色の
ローブか、あるいはマントかを一枚だけ身に着けていた。これをあまりに
も無造作にひっかけていたため、大きな胸はあらわになっていたが、わざ
わざ何かで守ったり隠したりするには及ばないとでもいうようだった。衣
服の広々したひだの下に見える足も、はだしだった。頭にはヒイラギの冠
だけをかぶっていた。冠にはあちこちにきらきら光るつららが下がってい
た。濃い茶色の巻毛は、長くゆったりとしていたが、にこやかな顔も、輝
いている目も、広げた手も、陽気な声も、くつろいだ態度も、朗らかな様
子も、同じようにゆったりしていた。腰のあたりに差していたのは、古風
な鞘だが、その中には刀剣はなく、鞘は古くて、錆だらけだった。
「今まで、わたしのようなものに出合ったことはないか」幽霊は大きな声でいった。
「ありません」スクルージは応えた。
「わたしの一族の若いものたちといっしょに出歩いたことはないか。若いものたちというのは(わたしはかなり若いんで)ここ数年に誕生したわたしの兄たちのことだが」幽霊は続けた。
「そんな覚えはありません」スクルージはいった。
「ないと思います。兄弟はたくさんいるのですか、幽霊さま」
「千八百人以上はいる」幽霊はいった。
「養うのが相当大変だな」スクルージはつぶやいた。
クリスマスの現在の幽霊は立ち上がった。
「幽霊さま」スクルージは従順だった。
「私をどこなりと連れていって下さい。昨夜は無理矢理出かけましたが、教わるところがありました。それが今分かってきました。今夜は、教えてくれることがあるのなら、私のためになるようにして下さい」
「わたしのローブにふれなさい」
スクルージはいわれた通りにし、ローブをしっかりつかんだ。
たちまち、ヒイラギ、ヤドリギ、赤いベリーの実、ツタ、七面鳥、ガチョウ、猟獣肉、家禽、ヘッドチーズ、肉のかたまり、子豚、ソーセージ、カキ、パイ、プディング、フルーツ、パンチなど、すべてが消え去った。部屋も、暖炉も、赤々と輝いていた炎も、夜の時間も消え去り、二人はクリスマスの朝の街角に立っていた。そこでは(天候が厳しかったため)人々が、荒々しいが元気のある、心地よい響きをさせながら、家の前の舗道や、屋根の上の雪をかいていた。雪がドシンと下の道路に落ちたり、ばらけて小さな吹雪ができあがるのを見て、少年たちは大喜びしていた。
屋根になだらかに積もった白一面の雪や、地面に積もってうす汚れた雪と
は対照的に、家々の正面はかなり黒く、窓はいっそう黒く見えた。地面
に積もった雪は、荷車や荷馬車の重たい車輪で掘り起こされ、深いわだち
ができていた。大通りの道が分かれるところでは、わだちは他のわだちと
幾度も交錯し、黄色の分厚い泥や、氷のような水が流れ、跡をたどること
ができない、複雑な水路のようになっていた。
空はどんよりして、小さな通りにも、半分解け、半分凍った、うす汚れた霧が立ち込めていた。霧の重い粒子は、すすけた微粒子となって降り注ぎ、まるで大英帝国のあらゆる煙突が、一斉に火を吹き、心ゆくまで炎を燃え上がらせているかのようだった。天候や街にはそう楽しいところはないのだが、この上なく晴れ渡った夏の陽気や、これ以上ないほど輝いている夏の太陽が、懸命にまき散らそうとしても無駄なほどの、楽しい雰囲気があちこちにみなぎっていた。
というのは、屋根の上で雪かきをしている人は、陽気で、喜びに満ち溢れてい
たからだ。手すりからお互い呼びかけたり、時々ふざけて雪のボールを投げ合
ったりした。冗談を数多く飛ばすよりも、この方が、はるかに効果的な飛び道
具だった。ボールが当たれば大笑いし、当たらなくても同じように大笑いした。
鳥肉屋はまだ半分開いていたし、果物屋は、この時とばかりに輝いていた。
陽気な老紳士のチョッキのような形をした、栗の入った丸く膨らんだ大きなかごは、ドアにたてかけてあるものもあれば、栗を入れすぎたために膨らみすぎて、通りに転がり出ているものもあった。赤らんだ、胴回りの広い茶色のスペイン種の玉ねぎは、スペインの修道士のように、丸々太って輝いていたが、女の子が通り過ぎると、浮気心を出して、棚からウィンクし、吊してあるヤドリギを取りすましてちらりと見た。
ナシやリンゴは、咲きほこるピラミッドのように高く積み上げられていた。ブドウの房は、店主の心あるはからいで、人目につくフックにぶら下げられ、無料で道行く人々によだれをもよおさせていた。苔のついた、茶色のハシバミの実の山は、その匂いをかぐと、森の中の昔ながらの道や、くるぶしを枯葉に深く埋め、足をとられながら楽しく歩いたことを思い出させた。ずんぐりした浅黒い、ノーフォーク産のリンゴは、黄色のオレンジやレモンを引き立てていたが、実はジューシーでひきしまっていて、今すぐ紙袋に入れて家に持って帰り、食事の後に食べてくれと、しきりに懇願していた。
このような極上のくだものにまじって、金色の魚や銀色の魚がボールに入れられていた。鈍感で、血のめぐりの悪い種ではあるが、何かが起きていることは知っているようで、一匹残らず、のろのろと、適当に興奮し、口をパクパクさせながら、その狭い世界をぐるぐる回っていた。
食料品店。そう!食料品店。よろい戸が一枚か二枚閉められ、ほとんど店
じまいをしていたが、すき間からは、さまざまな光景が垣間見えた。カウ
ンターの上に下りてきた天秤が、陽気な音を立てたり、より糸が糸巻きか
らくるくるっと離れたり、小さな缶が、お手玉のようにガタガタと跳ねた
り落ちたり、紅茶とコーヒーの混じった香りが鼻に心地よかったり、レー
ズンは豊富にあり、品種もめずらしく、アーモンドは真白で、シナモンの
スティックは長く、まっすぐだし、その他の香辛料もおいしそうな香りが
し、砂糖漬けにしたフルーツは、きちんと固まっていて、溶かした砂糖が
点々としていた。これらの光景を目にすれば、どんな冷静な人でも気が遠
くなり、心がかき乱されるだろう。
だが、それだけではなかった。イチジクは適度に水気があって柔らかく、フランス産プラムは程良い酸っぱさで、きれいに飾られた箱で顔を赤らめていたし、全てが食べ頃で、クリスマスの装いを凝らしていた。だが、どのお客も、この日を楽しく迎えようと、先を急いでいたし、我を忘れていたので、店先でぶつかり合ってよろけ、枝編みのかごを乱暴に押しつぶしたり、買ったものをカウンターの上に置き忘れ、走って取りに戻ったり、このような間違いを何度も犯したが、これ以上ないほど上機嫌だった。
食料品店の店主や店員は気さくで、威勢がよく、磨かれたハート型の金具が、エプロンを背中で締めていたが、彼らのハートといってもよかった。外に出してつけているのは、みんなに見てもらうためだし、クリスマスのカラスが望むなら、つついてもらうためだった。
だが、まもなく教会の尖塔が、善良な人々を残らず教会や礼拝堂に呼び寄
せたので、彼らは晴着を着て、この上なく晴れやかな顔で、群をなして通
りをやってきた。同時に、横町や、路地や、名もない曲がり角の至る所に、
調理してもらう夕食の材料をパン屋に運ぶ人々が、ぞろぞろと現れた。
飲み騒ごうとしているこれらの貧しい人々は、幽霊の心を引いたようだった。幽霊はスクルージと並んでパン屋の店先に立ち、食べ物を持った人々が通り過ぎるたびに、その覆いを取り、たいまつから香料を振り撒いた。普通とは違うたいまつで、一度か二度、食べ物を持った者同士が押し合い、罵り合うことがあったが、幽霊がたいまつから数滴の水を注ぐと、たちまち機嫌が直った。彼らは、クリスマスに喧嘩するなんて恥ずかしいことだね、といった。その通りだ。本当にそうだ。
やがて鐘が鳴り止み、パン屋は店を閉めた。だが、パン屋のかまどの上の、雪がとけ、濡れてシミになっているところには、持ち込まれたあらゆる夕食の材料や、それらが調理されていく様子が、ほんのりと映し出されていた。歩道からは、まるで敷石が焼かれているかのように、湯気が立ち上っていた。
「たいまつから振り撒いたものの中には、特殊な風味が入っているんですか」スクルージは訊ねた。
「入っている。わたしだけのが」
「この日のどんな料理にも合うのですか」スクルージは訊ねた。
「親切な気持ちで出された、どんな料理にもだ。粗末な料理には特に合う」
「どうして、粗末な料理に特に合うのですか」スクルージは訊ねた。
「一番必要としているからだ」
「幽霊さま」スクルージは少し考えた後でいった。
「人が関わるあまたある世界の、あらゆるものの中でも、あなたがこのような人々の無邪気な楽しみを制限しようとしているなんて」
「わたしが!?」幽霊は叫んだ。
「あなたは、この人たちからごちそうを食べる手段を、七日ごとに奪っています。この人たちがごちそうを食べられそうなのは、その日ぐらいだというのに」スクルージはいった。
「そうでしょう?」
「わたしが!?」幽霊は叫んだ。
「あなたはパン屋を、七日ごとに閉めさせています」スクルージはいった。
「それが同じことになるんです」
「わたしが、閉めさせている!?」幽霊は声高にいった。
「間違っていたらお許し下さい。あなたの名において、少なくともあなたの一族の名において行われていることです」スクルージはいった。
「おまえたちの世界には」幽霊は応えた。
「われわれのことを知っていると主張し、われわれの名で、自分たちの情欲、高慢、悪意、憎悪、嫉妬、偏見、我欲を満たしている者たちがいるのだ。われわれも、われわれのすべての一族も、その者たちは存在していないに等しく、無関係なのだ。いいかね、その者たちのしたことについては、その者たちを批判してもらいたい。われわれではなく」
スクルージはそうすると約束した。二人はそれまでと同じように、人には
見えない姿で、町外れへと歩いて行った。幽霊は(スクルージはパン屋で
気づいたのだが)身体が巨大だったが、どの場所にも簡単におさまった。
低い屋根の下でも、幽霊は天井の高いホールにいる時のように、優雅で神
秘的な存在として立っていた。これこそ幽霊の驚くべき特徴だった。
おそらく、自分の力を誇示する時の善良な幽霊の喜びからだろう、あるいは、親切で、もの惜しみしない、愛情深い性質と、あらゆる貧しき者に対する同情心からか、スクルージをまっすぐに彼の事務員の家に導いた。幽霊は、スクルージを衣につかまらせて、そこに連れて行った。入り口の敷居のところでほほ笑むと、立ち止まってボブ・クラチットの住まいを、たいまつを振って祝福した。考えてみよう。ボブは1週間にわずか15ボブを稼ぐだけだ。土曜日ごとに、自分の洗礼名と同じ名のほんの15枚をポケットに入れるだけなのだ。だが、クリスマスの現在の幽霊は、ボブの4部屋の住まいを祝福した。
その時、クラチットさんの奥さんが立ち上がった。着飾っていたが、ドレ
スは二度裏返した粗末なものだった。だが、安物のリボンは、6ペンスに
しては見栄えのいい派手なものだった。彼女は、同じように派手なリボン
を着けた、次女のベリンダ・クラチットに手伝ってもらい、テーブルクロ
スを掛けていた。一方で、ピーター・クラチット君は、フォークをポテト
の鍋に突っ込んでいた。ばかでかいシャツ(ボブのシャツだが、この日の
お祝いにと、跡継ぎの息子に与えたのだ)の襟の両端を口にくわえ、粋な
服装で着飾ったのが嬉しくて、流行に関心のある人が集まる公園で見せた
いと思っていた。
そこに、クラチット家の二人のちびっ子、男の子と女の子が駆け込んでき
て、パン屋の前でガチョウの焼ける匂いがしたけど、うちのガチョウだよ、
と大声で叫んだ。二人はセージの香味料やオニオンといった、贅沢なごち
そうを思い浮かべながら、テーブルの回りをはしゃぎ回り、ピーター・ク
ラチット君を有頂天にさせた。彼は(自慢じゃないが、襟で窒息しそうだ
った)火を吹き熾していたので、煮立つのが遅かったポテトが、取り出し
て皮を剥いてくれと鍋の蓋をゴトゴト鳴らした。
「いったい、あんたたちの大事なお父さんはどうしたんだろうね」クラチ
ット夫人はいった。
「それに、ティムのおちびさんも。マーサも去年のクリスマスには、30分
も遅くなることはなかったんだけどねえ」
「お母さん、マーサはいますよ」少女は入りながらそういった。
「マーサだ、お母さん」クラチット家の二人のちびっ子は叫んだ。
「バンザーイ。マーサ、すごいガチョウがあるんだよ」
「おやまあ、どうしたんだい、遅かったじゃないか」クラチット夫人はそ
ういうと、マーサに何度もキスをし、おせっかいなほど熱心に、ショール
や帽子を脱がせてやった。
「昨夜は仕上げなけりゃいけない仕事がたくさんあったのよ」少女は応え
た。
「それに、今朝は後片付けをしないといけなかったの、お母さん」
「まあ、帰ったんだから、もう気にしなくていいよ」クラチット夫人はい
った。
「さあさあ、暖炉の前に坐って温るんだよ」
「だめ、だめ、お父さんが帰ってきたぞ」どこにでもさっと現れる、クラ
チット家の二人のちびっ子は叫んだ。
「隠れるんだ、マーサ。隠れるんだってば」
そこで、マーサが隠れると、小柄な父親のボブが入ってきた。房を除いて
長さが少なくとも3フィートもある襟巻を前に垂らしていた。彼のすり切
れた衣服は繕われていたし、ブラシがかかっていて、この季節にふさわし
かった。彼はティムのおちびさんを肩に乗せていた。ティムのおちびさん
といえば、可哀想に、小さな松葉杖を持ち、脚には鉄のフレームがはめら
れていた。
「おや、マーサはどうしたんだ」ボブ・クラチットは見回しながら叫んだ。
「まだ来ていません」クラチット夫人はいった。
「来ていない」ボブは、上機嫌だったが、急にがっかりしてそういった。彼は、ティムの馬になって、教会からずっとパッパカパッパカと帰ってきたのだ。
「クリスマスに来ていないなんて」
マーサは、冗談にしろ父親ががっかりするのを見たくなかった。そこで、早すぎたが、クロゼットの扉の陰から出て、ボブの腕の中に飛び込んだ。
クラチット家の二人のちびっ子は、火にかかっているプリンのぐつぐついう音を聞かせてやろうと、ティムのおちびさんを急かし、台所へ連れて行った。
「ティムのおちびさんは、いい子にしていましたか」
クラチット夫人は、ボブのだまされやすいのをからかいながら、そう訊ねた。ボブはマーサを心ゆくまで抱きしめた。
「純金のようだったよ」ボブはいった。
「いや、それ以上だ。ひとりで坐っていることが多いから、思慮深くなってるところがあるんだね、聞いたこともない不思議なことを考えてるんだ。帰りながら、教会の中でみんながぼくを見てくれてたらいいのにな、だってぼくは足が悪いだろ、だから足が悪い乞食を歩けるようにしたり、目が悪い人を見えるようにしたりした人をのことをクリスマスの日に思い出すのは、みんなにとっては嬉しいことだよっていうんだから」
この話をしている時のボブの声は震えていたが、ティムのおちびさんが強く、たくましくなってきたといった時には、声の震えはさらに大きくなった。
小さな松葉杖の音が元気よくコツコツと床に響くと、次の言葉をいい出さないうちに、ティムのおちびさんが戻ってきた。ティムは、お兄さんとお姉さんに付き添われ、暖炉の前の自分のイスに坐った。ボブはそで口を、やれやれ、もっと汚れるかもしれないと思っているのか、まくり上げ、ジンとレモンをジョッキに入れて温かい飲み物を作り、よくかき回してから、煮立たせるために暖炉の中の台の上に置いた。ピーターと、どこにでも顔を出すクラチット家の二人のおちびさんはガチョウを取りに行き、それを持って、すぐに意気揚々と戻ってきた。
それから、あらゆる鳥の中で一番珍しいのがガチョウだと思わせるほどの、大変な騒ぎになった。羽の生えた不思議な生き物、これに比べれば、黒い白鳥などありふれていた。実際、この家では、ガチョウはその通りの鳥だった。
クラッチット夫人は、肉汁(あらかじめ小さな鍋に作っておいたもの)を
ぐつぐつ煮た。ピーターはすさまじい力でポテトをつぶした。ベリンダは
砂糖を加え、アップルソースを甘くした。マーサは温めた皿を拭いた。ボ
ブはティムのおちびさんを自分の隣、テーブルの端っこに坐らせた。クラ
チット家の二人のおちびさんは、みんなのイスを並べたが、自分たちのも
忘れてはいなかった。二人は席について、目を光らせながら、ガチョウを
よそってもらうのを待ちきれず、叫び声を上げまいとしてスプーンを口に
突っ込んだ。
いよいよ、皿が並べられ、お祈りが唱えられた。クラッチット夫人が、肉切りナイフを上から下までじっくりと見つめ、ガチョウの胸に突き刺そうとすると、みんなは息を止めたように静かになった。だが、実際に突き刺し、待ちに待った詰物がどっと溢れ出ると、喜びのささやき声が食卓全体に広がった。ティムのおちびさんでさえ、クラチット家の二人のおちびさんつられて、ナイフの柄でテーブルを叩き、弱々しく「ヤッター」と叫んだ。
またとないガチョウだった。ボブはこんなガチョウがあろうとは思ってもみなかったといった。肉はやわらかいし、風味もいいし、大きさや、値段の安さなど、みんなが褒め称えた。アップルソースやマッシュドポテトを添えると、家族全員にとって、十分なごちそうになった。実際、クラチット夫人が(皿の上の小さな骨のかけらをみながら)嬉しそうにいったように、とうとう食べきれなかった。
だが、誰もが満足していた。特におちびさんたちは、セージやオニオンまみれになっていた。ベリンダが皿を取り替えると、クラチット夫人は、ひとりで部屋を出て行った。プディングを取りに行くためだが、気が気でなかったので、誰にも見られたくなかったのだ。
もし、火が十分通っていなかったら。もし、取り出す時にこわれたら。もし、ガチョウで陽気に騒いでいる間に、裏庭の塀をのり越えて、誰かが盗んでいたとしたら。クラチット家の二人のおちびさんたちが青ざめるような、あらゆる恐ろしい思いをめぐらせた。
おや!すごい湯気だ。プディングが鍋から取り出された。洗濯をした日の
匂いだった。布の匂い。食べ物屋とお菓子屋が隣同士で、その隣に洗濯屋
が並んでいるような匂いだった。まさにプディングだった。それからすぐ
に、クラチット夫人は、顔を火照らせ、誇らしげにほほえみながら、プデ
ィングを持って入ってきた。プディングは、斑点のある砲弾のように、堅
くしっかりしていたし、4分の1パイントの半分の、そのまた半分のブラン
デーで燃え、クリスマスのヒイラギをてっぺんに立てて、飾られていた。
なんと!すばらしいプディングだ。結婚してから、クラチット夫人が作った最高のプディングだ。ボブ・クラチットは、静かにそういった。クラチット夫人は、肩の荷がおりたので白状するが、小麦粉の量に自信がなかったといった。誰もがプディングについて何かいったが、大家族にしては小さすぎるプディングだといったり、考えたりする者はいなかった。いたとしたら、まったくの異端児だった。クラチット家の者なら、そんなことをほのめかすことさえ、顔を赤らめただろう。
ようやく食事が終わり、テーブルクロスを片付けると、炉を掃除してから、火を大きくした。陶器製の容器に作った飲み物を味見すると、申し分なかった。リンゴとオレンジをテーブルに置き、シャベル一杯の栗を火にのせた。それからクラチット家の人たちは、みんな炉の回りに集まり、ボブのいう円形、実際は半円なのだが、になった。ボブの横には、この家のガラスの器、2個のコップと柄のないカスタードカップが並んでいた。
熱い飲み物は、これらのガラスの器に注がれたが、その器は黄金の杯にも等しかった。ボブは、喜びに充ちた顔で注いだ。火の上では、栗がぱちぱちと騒々しくはぜていた。ボブが口を開いた。
「みんな、クリスマスおめでとう。神さまがみんなを祝福してくださいますように」
家族みんなが同じことをいった。
「神さまがぼくたちみんなを祝福してくださいますように」
最後にティムのおちびさんがいった。
彼は小さなスツールに腰掛け、父親のそばにぴったり寄り添っていた。ボブは、ティムの弱々しい小さな手を握ったが、まるで、愛している息子をいつまでもそばにおいておきたいと願い、連れ去られるのを恐れているかのようだった。
「幽霊さま」スクルージはいった。
「ティムのおちびさんは助かるのでしょうか」今までは気にもしなかったことだった。
「わたしにはぽっかりと空いた席が」幽霊はこたえた。
「みすぼらしい炉の片隅に見える。それと、持ち主をなくした松葉杖が、大事にしまわれているのが。もし、未来がこれらの幻影をそのままにしておくのなら、あの子は死ぬだろう」
「いけません、いけません」スクルージはいった。
「お願いです、親切な幽霊さま、あの子は助かるといってください」
「もし、未来がこれらの幻影をそのままにしておくのなら」幽霊はこたえた。
「わたしの一族の誰ひとり、あの子をここで見つけることはないだろう。それがどうしたというのだ。あの子が死にそうだというのなら、死ねばいいではないか。そうして余計な人間を減らせば」
スクルージは、幽霊が引き合いに出した自分自身の言葉を聞いてうなだれ、後悔と悲しみでいっぱいになった。
「いいか」幽霊はいった。
「もし、おまえが木石ではなく、心を持った人間なら、何が余計で、それがどこにあるのかを見出すまで、こんなひどいことをいうものではない。どんな人間が生き、どんな人間が死ぬのか、それをおまえが決めるというのか。神の目からみれば、この貧乏な男の子供のような、何百万人の人間よりも、おまえの方が生きている価値もなければ、生きるにふさわしくないともいえるのだ。ああ、神よ、葉にとまった虫けらが、屈辱の中にある飢えた仲間のことを長く生きすぎるという、そんなことを聞こうとは」
スクルージは幽霊に厳しくとがめられ、うなだれ、震えながらうつむいた。だが、自分の名前が聞こえると、すぐに顔を上げた。
「スクルージさんに」ボブはいった。
「このごちそうをもたらしてくれた人に、メリークリスマス」
「まったく、ごちそうをもたらしてくれた人だわ」クラチット夫人は、顔を赤らめ、声を張り上げた。あの人がここにいれば、私のいいたいことをうんとごちそうしてあげるのに。おいしく食べてくれるといいんですけどね」
「おいおい」ボブはいった。「子供たちがいるんだよ。クリスマスだし」
「そうね、確かにクリスマスだわ」彼女はいった。
「スクルージさんのような、あんなケチで嫌な頑固者の情け知らずの健康を祝して乾杯するんですものね。あなたはご存じよね、ロバート。そのことはあなたが誰よりもよく知ってるんですものね、かわいそうに」
「やれやれ」ボブはやさしくいった。「クリスマスだよ」
「スクルージさんの健康を祝して乾杯しましょうか」クラチット夫人はいった。
「スクルージさんのためじゃないわよ、あなたとクリスマスのためによ。あの人が長生きしますように。メリークリスマス、それから、新年おめでとう。きっと、あの人も楽しくなって、幸せになることでしょう」
子供たちも彼女の後に続いて乾杯した。彼らが心のこもらないことをした
のは、これが初めてだった。ティムのおちびさんは、最後に乾杯したが、
そんなことは少しも気にしていなかった。スクルージはこの一家にとって
は、鬼にも等しかった。彼の名を口にすると、深い影が射した。それを振
り払うには、たっぷり5分はかかった。
影が消え去ると、みんなは有害なスクルージを振り払ってほっとしたとい
うだけで、以前にまして10倍も陽気になった。ボブ・クラチットは、ピー
ターのために就職先を考えていて、それが決まれば、1週間に5シリングと
6ペンスにもなると話した。
クラチット家の二人のおちびさんは、ピーターが実業家になると思うと、
笑いころげた。ピーターはといえば、途方もない収入を手にした時には、
いったい何に投資すべきか慎重に考えているかのように、襟の間から思慮
深く炉の火を見ていた。
それから、帽子屋で働いているマーサが、どんな仕事をさせられているか、
何時間続けて働いているかを話し、明日の朝はベッドでゆっくり休むつも
りだといった。明日一日は、彼女が家で過ごせる休日なのだ。
また、彼女は数日前に伯爵夫人や貴族を見たが、その貴族は、ピーターと身長がほとんど変わらなかったといった。それを聞いたピーターは、襟を高々と引っ張り上げたので、そこに居合わせたとしても、彼の頭は見えなかっただろう。こうしている間も、栗や飲み物の入った陶器製の容器を回し合った。それからみんなは、おちびさんのティムが歌う、雪の中をさまよう子供の歌を聞いた。ティムは、哀愁をおびたか細い声で、実際、とても上手に歌った。
この家族にはこれといって注目するところは何もない。容姿端麗でもければ、りっぱな服を着ているわけでもない。靴には水がしみこんでしまうし、服もあまり持っていなかった。ピーターは質屋通いをしたことがあるかもしれないし、その可能性は大いにあった。だが、誰もが幸福で、感謝していたし、家族を愛し、このひと時に満足していた。
彼らの姿がだんだん消えていった。消え去る時には、幽霊のたいまつがふりまく明かりで、彼らはいっそう幸福そうに見えた。スクルージは彼らを見ていたが、特におちびさんのティムには、最後まで目をはなさなかった。
もう暗くなりかけていた。雪もかなり激しく降っていた。スクルージと幽霊は、通りを歩き回っていた。台所や居間など、あらゆる部屋で燃えさかっている火は明るく、すばらしかった。こちらでは、ちらちら輝く炎から、おいしいごちそうが準備されていることが見て取れた。皿は火に十分かざされて温められ、深紅のカーテンは、寒さと闇を閉め出すために引かれるばかりだった。
あちらでは、家の子供たち全員が雪の中に走り出て、結婚して家を出た姉
や兄、いとこ、叔父、叔母を出迎えた。真っ先に挨拶するのは自分だとい
わんばかりだった。また、こちらでは、お客が集まっている様子が、ブラ
インドに映っていた。あちらの、誰もがフードをかぶり、毛皮のブーツを
はいた、美しい女性の一団は、皆がいっせいにぺちゃくちゃしゃべりなが
ら、足どりも軽く、近所の家に向かっていた。彼女らが、顔をほてらせな
がら入るのを見る独身男性の苦悩が、ここに始まる。彼女らは巧妙な魔女
であり、そのことをちゃんと自覚しているのだ。
だが、知人同士の集まりに行く人の数を見たならば、着いた時には、出迎えてくれる人は誰もいないし、どの家も客が来る予定はなく、煙突の中ほどまで炎を燃え上がらせてもいないのではないかと思えるほどだった。祝福あれと、幽霊は大喜びしていた。広い胸をさらけ出し、大きな手のひらを広げ、手の届くかぎり、明るく、たわいのない喜びを、すべてのものに惜しみなくふりまきながら、ふわふわ浮いて進んでいた。
薄暗い通りに明かりを点々と灯しながら、前を走っていた点灯夫は、今晩
のためにきちんとした服装をしていたが、幽霊が通り過ぎると、笑い出し
た。クリスマス以外にも連れがいることを、この点灯夫は知らなかったの
だが。
今度は、幽霊から何のまえぶれもなく、二人は吹きすさぶ、荒涼とした荒
れ野に立っていた。そこは、ごつごつした巨大な岩があちこちに散らばり、
巨人の墓場を思わせた。水はあらゆる方向に流れていたが、寒さで凍らな
ければ、至る所に流れていたことだろう。そこには苔やハリエニシダ、雑
然と生い茂る雑草以外、何も生えていなかった。西の空には、夕日が燃え
立つような赤い光を放ち、不機嫌な目のように、その荒廃とした光景を、
一瞬、にらみつけると、顔をしかめながら、低く、さらに低く、夜の深い
闇の中に沈んでいった。
「ここはどこですか」スクルージは訊ねた。
「地の底で働く坑夫が住んでいるところだ」幽霊はこたえた。
「彼らはわたしを知っているのだ。ほら」
明かりが一軒の小屋の窓に灯っていた。二人はすぐにそこに向かった。泥
と岩の壁を通り抜けると、陽気な人々が明々と燃える火を囲んでいた。年
を重ねた老人と老婆、その子供たち、その子供たちの子供たち、そらから
またその子供たち、みんなよそ行きの服装で、陽気に着飾っていた。
老人は、荒れ野に吹く風の音にかき消されそうな声で、クリスマスの歌を
みんなに歌って聞かせていた。老人が子供の頃のとても古い歌だった。時
々、みんなもいっしょになってリフレーンの部分を歌った。みんなが声を
上げると、老人も高らかに歌い、みんなが歌うのをやめると、老人の声も
再び張りを失った。
幽霊はそこに長くはとどまらなかった。スクルージにローブをつかむように命じると、荒れ野の上をさっと飛び越えた。どこへいくのか。海ではなかろう。いや、海だった。振り返った時、陸地の端である、恐ろしげな岩の連なりがそこに見え、スクルージはぞっとした。激しくとどろく波の音で、スクルージは何も聞こえなかった。波はうねり、とどろき、自らが穿った不気味な洞窟の間を荒れ狂っていた。何としてでも大地を削り取ろうとしていたのだ。
岸から数キロ離れたもの寂しい暗礁に、灯台がぽつんと立っていた。荒天
は一年じゅう続き、波は激しく打ちつけていた。その土台にはたくさんの
海草がからみついていた。ウミツバメは、海草が海から生まれるように、
風から生まれたのではないかと思わせた。灯台の周りを舞い上がったり舞
い降りたりして、かすめ飛んでいる波と見まがうほどだった。
だが、こんなところにも灯台を守る二人の男がいた。燃やしている火は、厚い石壁の小窓から、荒れ狂う海上に一条の明るい光を放っていた。二人は、粗末なテーブルに坐り、テーブル越しに、荒れてごつごつした手を握り合い、缶に入れたグロッグ酒でクリスマスを祝っていた。二人のうちの年長の男も、古い船の船首像のように、顔全体が厳しい天候のために荒れ果て、傷だらけになっていた。男は、たくましい歌を歌い始めたが、歌自体が、まるで疾風のようだった。
幽霊はふたたび、暗く、うねる海の上を、どこまでもどこまでも速度を速めて進んでいった。そして、どの岸からも遠く離れたとスクルージにいうと、一隻の船の上に降りた。二人は舵を操る舵手、船首にいる見張り、当直のオフィサーのそばに立った。それぞれの持ち場では、暗く、幽霊のような姿をしていたが、誰もがクリスマスの歌を口ずさんだり、クリスマスのことを考えたり、これまで過ごしたクリスマスのことを同僚に小さな声で語っていた。そこには家を思う気持ちが含まれていた。
起きている者も眠っている者も、善良な人もそうでない人も、船に乗っている者は誰もが、一年のどの日よりも、この日にはやさしい言葉をかけ合い、祭り気分をいくらか味わった。そして、遠く離れた愛する人たちのことを思い、その人たちも自分のことを思い出しては喜んでくれていることを知っていた。
スクルージはびっくりした。風のうなりに耳を傾け、死の深淵にも等しい神秘の深みをたたえた未知なる海の上、孤独な暗闇を突っ切って進んでいくのは何と厳かなことかと考えていた。そんな時に、朗らかな笑い声を聞いて、非常に驚いたのだ。その笑いが自分の甥のものであり、自分が明るく、からりとした、まばゆいばかりの部屋にいることを知った時には、もっと驚いた。幽霊はほほ笑みながらそばに立ち、その甥を満足そうににこにこしながら見ていた。
「はは、は、は」
スクルージの甥は笑った。
「はは、は、は、は」
あり得ないだろうが、みなさんが、もしスクルージの甥以上に笑いに恵まれた人を知っているなら、ぜひお近づきになりたい。その人を紹介して下さい。知遇を得たいと思っています。
病気や悲しみが他の人に伝染しても、この世では、笑いや陽気な気分もそれらに劣らず自然と人に伝染している。ものごとは公平、公正で、立派に調和がとれているのだ。スクルージの甥が、腹を抱え、頭を振りながら、顔をこの上なくくしゃくしゃにして笑った時、スクルージの義理の姪も、同じように心から笑った。集まった二人の友人も、すぐさま、朗らかに笑い転げた。
「は、は、は、は、は」
「あの人はクリスマスをたわごとだと、本当にいったんですよ」
スクルージの甥は声を上げた。
「しかも、そう信じてるんだから」
「なおさらひどいってことよ、フレッド」
スクルージの姪は腹を立てていった。
このような女性に恵みあれ。彼女たちは、ものごとを決して中途半端で終わらせたりはしない。いつも真剣なのだ。
彼女はとても可愛かった。とにかく可愛いのだ。えくぼがあり、びっくり
した表情をしていて、すばらしい顔立ちだった。熟れた小さなくちびるは、
キスするためにあるようだった。きっと誰もがそう思うだろう。あごのま
わりには、愛らしいさまざまな点々があり、笑うとそれぞれが寄り合った。
目はどんな少女にも見られないほど明るく輝いていた。人をじらすような
女性だと感じるかもしれないが、申し分のない女性だった。まったく、申
し分がなかった。
「あの人はおかしな年寄りだよ」スクルージの甥はいった。
「ほんとうにそうだ。愉快な人なのかもしれないけど。でもね、あの人が
人を不愉快にすれば、あの人自身にはねかえってくるんだから、あの人の
ことを悪くはいわないよ」
「あの人がお金持ちということは確かよ、フレッド」スクルージの姪はほ
のめかすようにいった。
「少なくとも、あなたはいつも私にそういってるわ」
「それがどうしたというんだい」スクルージの甥はいった。
「あの人の財産はあの人には何の役にも立ってないんだよ。それで何かい
いことをするわけではないし、楽しむわけでもない。あの人が、それでぼ
くたちに何かしてやろう、なんてことを考えて満足することはないな、は、
は、は」
「私はあの人には我慢できないわ」スクルージの姪はいった。彼女の姉妹
たちをはじめ、女性たちはみんな同感だといった。
「ぼくは違うな」スクルージの甥はいった。
「ぼくはあの人が気の毒だな。腹を立てようと思っても立てられないよ。
あの人の意地の悪さで、誰が損をしているんだい。あの人自身じゃないか。
いつもそうだろ。今回もそうだ。あの人は、ぼくたちを嫌いだと決めつけ
て、食事に来ない。その結果はというと、大したごちそうを食べ損なった
わけじゃないけどね」
「いいえ、すばらしいごちそうを食べ損なったと思うわ」
スクルージの姪が口をはさんだ。他の誰もが同じことをいった。判断を下
すには格好の人たちだった。なぜなら、その人たちは食事を終えたばかり
で、デザートをテーブルに置き、ランプの明かりに照らされて、暖炉のま
わりに集まっていたからだ。
「そう、だったらすごく嬉しいな」
スクルージの甥はいった。
「というのは、ぼくは若い主婦をあまりあてにしていないんでね。トッパ
ー、きみはどう思う」
トッパーがスクルージの姪の妹のひとりに目をつけているのは明らかだっ
た。というのは、彼は独身者はみじめなのけ者で、そのような話題に口を
はさむ権利はないと答えたのだ。
これを聞いて、スクルージの姪の妹は - ばらをつけた方ではなく、レー
スの襟布をつけた方だが - 顔を赤らめた。
「その先をおっしゃいよ、フレッド」スクルージの姪は手をたたきながら促した。
「この人はいい始めていつも途中でやめるのよ。おかしな人でしょう」
スクルージの甥は、また笑い転げた。つられて笑うまいとするのは不可能だった。ぽっちゃりした妹は、芳香ビネガーで何とか笑うまいとしたが、誰もがフレッドにつられて笑い転げた。
「こういおうとしていただけなんだ」スクルージの甥はいった。
「おじさんが僕らを嫌って、いっしょに楽しく過ごそうとしないことが、何の害にもならない楽しい時間を失うことになるんだ。僕はそう思うな。あのかび臭い古ぼけた事務所や、あの人のほこりっぽい部屋で、ひとりで考えていても得られないような愉快な仲間を、確実に失っているんだ。おじさんが嫌がっても、僕は毎年同じような機会を作るつもりだよ。だって、あの人が可哀想でしょうがないんだ。おじさんは死ぬまでクリスマスをののしるかもしれないけど、考え直さなければならなくなるさ。僕がそうしてみせるよ。毎年あの人のところに上機嫌で行き、スクルージおじさん元気ですかっていうんだ。それがお金に困っている事務員に、50ポンドでも残そうという気を起こさせたら、意義のあることじゃないか。それに昨日はあの人の気持ちを揺さぶったと思っているんだ」
スクルージの気持ちを揺さぶったと聞いて、今度はみんなが笑い出した。だが、スクルージの甥は、まったくの好人物だったので、みんなが何を笑っているのかそう気にしないで、とにかくみんなが笑ってくれるようにと、陽気になるように盛り上げ、酒の瓶を嬉しそうに回した。
お茶をすませると、みんなで音楽を楽しんだ。というのは、彼らは音楽一家で、合唱や輪唱など、確かにこつを心得ていた。特にトッパーは、歌手のようにみごとな低音を出すことができたが、額の血管を浮き上がらせることも、顔を真っ赤にすることもなかった。
スクルージの姪はハープを上手に弾いた。いろいろ弾いた中に、簡単な小
曲(取るに足りない、2分もあれば口笛で吹けるような曲)があった。そ
れはスクルージを寄宿学校からつれ戻しにやってきたあの女の子になじみ
の曲だった。スクルージも、クリスマスの過去の幽霊によって、思い出し
ている。
この曲が流れると、幽霊が見せてくれたあらゆることがスクルージの心によみがえってきた。心はますます和らぎ、もっと前からこの曲を何度も聞いていれば、日々親切な気持ちで過ごせたかもしれないし、ジェイコブ・マーレーを埋葬した寺男の踏みすきに頼らずとも、自分の手で自分の幸福を探せたかもしれないと思った。
だが、彼らは一晩中音楽だけで過ごしたわけではない。しばらくしてから、罰金ゲームを始めた。時には子供になるのはいいことだ。偉大な創造主自身子供だったクリスマスこそ、そのように過ごすのに適している。そう、まず目隠し遊びをした。もちろんだ。私はトッパーのブーツには目がついていたとも信じられないし、実際には見えていなかったとも信じられない。私の考えでは、トッパーとスクルージの甥との間で取り交わしがあり、クリスマスの現在の幽霊もそのことを知っていたということだ。トッパーがレースの襟布をつけたぽっちゃりしたあの妹の後を追う様子は、簡単に信じてしまう人をばかにしていた。炉辺用具を倒したり、椅子につまづいたり、ピアノにどすんとぶつかったり、カーテンにからまって息ができなくなったりしながら、彼女がどこへ行こうと、トッパーはついて行った。彼は、ぽっちゃりした彼女が行くところをいつも知っていたのだ。
トッパーは他の人をつかまえようとはしていなかった。わざとぶつかっていけば(中にはそうする人もいたが)、つかまえようというふりはしただろうが、これは相手をばかにしたようなもので、彼はすぐにぽっちゃりした妹の方へこそこそと行ってしまうのである。
彼女は何度も、そんなの公平じゃないわと叫んだ。実際、公平でなかった。だが、ついにトッパーは彼女をつかまえた。彼女は絹が擦れるさらさらという音をたて、すばやく身をひるがえして彼のそばから逃れたが、彼は逃げようのない隅に彼女を追いつめた。その時の彼の振る舞いは実にけしからんものだった。彼女だと分からないふりをしたり、彼女の頭飾りに触れ、さらに彼女の指輪やネックレスに触って彼女かどうか確かめる必要があるというふりをするなど、言語道断であり、まったくひどいものだった。別の人が目隠しをした鬼になると、カーテンの陰で二人っきりになって話していたが、きっと彼女も彼に何かいったにちがいない。
スクルージの姪は目隠し遊びには加わらなかった。居心地のいい隅で、大きな椅子に腰掛け、足台に足をのせてくつろいでいた。そのすぐ後ろには幽霊とスクルージがいた。彼女は罰金ゲームには加わり、アルファベットの文字全部を使って、私は私の恋人を愛しますという遊びを見事にやってのけた。同じように、「どのように、いつ、どこで」の遊びも抜群で、妹たちをさんざんに打ちまかし、スクルージの甥は内心ひそかに喜んだ。トッパーにいわせれば、彼女たちも頭がいいんだと答えるだろうが。
そこには年をとった人や若い人など、二十人くらいいたが、みんな遊びに加わっていた。そして、スクルージも加わっていた。スクルージは目の前で行われていることに夢中になり、自分の声は相手には聞こえていないのに、時々かなり大きな声で自分の推測を口に出し、かなり見事にいい当てていた。針孔(めど)で折れることはないという折紙付の、ホワイトチャペル特製の最上の鋭い針でさえ、スクルージよりも鋭くはなかっただろう。もっとも、スクルージは自分を鈍い人間だと思い込んでいたが。
幽霊はスクルージが夢中になっているのを見てとても喜んだ。彼をやさし
く見つめているので、スクルージは、お客が帰るまでここにいさせてと少
年のように頼んだ。だが、それは無理だと幽霊はいった。
「ほら、新しいゲームだ」スクルージはいった。
「30分、30だけ…」
イエス・ノーというゲームだった。スクルージの甥が何かを思い描き、他の者はそれが何かを当てるのだ。スクルージの甥は、場合に応じて、イエスかノーと答えるだけだ。彼に浴びせられたおびただしい質問から分かったことは、動物、しかも生きた動物であり、どちらかというと不快で、残忍な動物、時に吠えたりブーブ鳴いたり、時に言葉を話したりし、ロンドンに住み、通りを歩き回るが、見せ物になったり、誰かに引き回されたりすることはなく、動物園にはいないし、市場でと殺されることはない。馬でもないし、ろばでもない。牝牛でも、牡牛でも、トラでも、イヌでも、ブタでも、ネコでも、クマでもない。
新しい質問が出るたびに、スクルージの甥は笑い転げた。あまりおかしいので、たまらなくなってソファから立ち上がり、足を踏みならした。とうとう、ぽっちゃりした顔の妹が、同じように笑い出し、叫んだ。
「わかったわ。それが何かわかったわよ、フレッド。わかったのよ」
「何だね」フレッドは叫んだ。
「それはス、ク、ルージ、おじさんよ」
たしかにそのとおりだった。みんなが感心した。もっとも不平をいう者もいた。「それはクマですか」には、「イエス」と答えるべきで、たとえスクルージさんだと思っていても、ノーという答えで、考えがそれてしまったというのだ。
「あの人がこんなに楽しませてくれたんです」
フレッドはいった。
「あの人の健康を祝して乾杯しないのは恩知らずですよ。ちょうどてもとに香料の入った温めたワインがありますから、さあ、"スクルージおじさんのために"」
「では、スクルージおじさんのために」みんなは大声でそういった。
「どんな人であろうと、あの老人のためにメリークリスマス、それからハッピーニューイヤー」
スクルージの甥はいった。
「私がそういってもありがたがってくれないだろうけど、スクルージおじさんが、喜んでくれますように」
誰も気づかなかったが、スクルージはとても陽気で快活になっていたので、幽霊が時間を与えてくれたなら、返礼の乾杯をし、その場にいた人たちには聞こえなくとも、お礼のスピーチをしただろう。だが、スクルージの甥が話し終えるか終えないうちに、この光景はすっかり消え去り、スクルージと幽霊は、再び遠くに旅立っていた。
二人は多くのものを見、遠くまで行き、たくさんの家を訪問したが、いつも幸福がもたらされた。幽霊が病人のベッドの傍らに立つと、病人は陽気になった。異国の地に立つと、人々はくつろぎ、親しい関係になった。悪戦苦闘している人の側に立つと、その人たちはより大きな希望を持ち、忍耐強くなった。貧困は豊かさになった。はかないちっぽけな権力をひけらかす人間が、戸を固く閉ざし、幽霊を閉め出していないところ、救貧院や病院や監獄、また、みじめな者たちが潜んでいるあらゆる場所に、幽霊は祝福を残し、スクルージに教訓を授けた。
一夜だとすると、長い夜だったが、スクルージは一夜だとは思っていなか
った。なぜなら、幽霊と過ごした時間の中に、いくつものクリスマス休暇
が凝縮されているように思えたからだ。不思議なことは他にもあった。ス
クルージの外見は変わらないのに、幽霊は年をとり、明らかに老けていた。
スクルージはこの変化に気づいていたが、口には出さなかった。子供たち
の12日節前夜祭のパーティを後にし、二人が外に立った時、スクルージは
幽霊を見て、髪が白くなっているのに気づいた。
「幽霊の命はそんなに短いのですか」
スクルージは訊ねた。
「この地上では、たいへん短い」幽霊は応えた。
「今夜で終わる」
「今夜!」スクルージはいった。
「今宵、真夜中にだ。聞け、時間は迫っている」
鐘の音が、ちょうど11時45分を告げた。
「お尋ねしてはいけないことでしたらお許し下さい」
スクルージは幽霊の裾をじっと見つめながらいった。
「あなたの身体とは別な、何か変なものが裾から出ていますが、それは足
ですか、それとも爪ですか」
「肉の上についているのだから、爪かもしれない」
幽霊は悲しそうに応えた。
「これを見るのだ」
幽霊は裾の間から二人の子供を取り出した。汚らしく、おどおどしていた。
ぎょっとさせる、見たくないようなみじめな子供たちだった。二人の子供
は、幽霊の足下にひざまづき、その衣服に取りすがっていた。
「さあ、これを見るがよい。ここだ、ここをよく見るのだ」幽霊は叫んだ。
男の子と女の子だった。膚が黄色で、痩せこけ、ぼろぼろの衣服をまとい、にらみつけるような顔をし、貪欲そうだったが、卑屈にひれ伏してもいた。若々しさが美しくその表情に表れ、みずみずしく彩られるところを、生気のない、しなびた、老人のような手が、その表情をつねり、ねじ曲げ、ずたずたに引き裂いていた。天使の玉座に、悪魔が潜み、脅かすようににらみつけていた。偉大な創造のあらゆる神秘をもって、人間性をどのように変化させようとしても、どのように退廃させようとしても、どのような悪い方向に向かわせようとしても、どんな程度あれ、これほどおぞましく、ぞっとさせる怪物をその半分ほども生み出せないだろう。
スクルージはぞっとして後ろに飛び退いた。子供たちをこのようにして見
せられたので、かわいらしいお子さんたちですねといおうとしたが、その
ようなみえみえの大嘘をつく仲間に入るのを、言葉自体が拒否したのだ。
「幽霊さま、この子たちはあなたのお子さんですか。スクルージはそういうのがやっとだった」
「この子たちは、人間の子供だ」幽霊は二人の子供を見おろしながらいった。
「この子たちは、この子たちの父親のことでわたしにしがみついて懇願しているのだ。この男の子は[無知]だ。女の子は[貧困]だ。二人には用心するがいい。二人と同じ立場にいるすべての者には用心するがいい。とりわけ、この男の子には用心しろ。消えていなければ、そのひたいには見えるであろう、[破滅]という文字が。見えないといってみろ!」
幽霊は、片手を街の方に差し伸べながら叫んだ。
「その文字があると告げる者を非難してみろ。自分勝手な目的でその文字のあることを認め、その文字をさらにひどくしてみろ。その時は、その結果を待つがよい」
「その子たちには身を寄せる場所とか、何か救う方法はないのですか」
スクルージは叫んだ。
「監獄はないのかね?」
最後に、幽霊はきっと振り向きながら、スクルージ自身の言葉でいった。
「救貧院はないのかね?」
鐘が12時を告げた。
スクルージはあたりを見まわしたが、幽霊の姿はなかった。鐘の音が響き終わると、彼は老ジェイコブ・マーレーがいったことを思い出した。目を上げると、衣をゆったりとまとい、フードをかぶった荘厳な幻が、地面を霧がはうように近づいてくるのが見えた。
<第三章終了>