いいですか、ドアの釘と死がとりわけどう関係するのか、知識をひけらかし て、知っていると言っているのではありません。私としては、売りに出ている 金物では、棺桶の釘の方が死に最も近いと言いたいところですが、祖先 の知恵からこの比喩は生まれたので、私の不浄の手でこれを変えてはならな いのです。そんなことをすれば、この国は乱れてしまう。そういうわけだか ら、マーレイは鋲釘のように完全に死んだと、私が繰り返し強調するのを 許していただきたい。
スクルージはマーレイが死んだことを知っていたのだろうか?もちろん知っ ていた。どうして知らずにいられようか?スクルージとマーレイは、何年にな るか思い出せないくらい長い間、仕事仲間だったのだ。スクルージは、マーレ イのただひとりの遺言執行人であり、遺産管理人であり、財産譲受人であり、 相続人であり、友人であり、ただひとりの会葬者だったのだ。そのスクルージ でさえ、この悲しい出来事にあまり気を落としていなかった。それどころか、 葬式の当日にビジネスに辣腕をふるい、そして確実な取引でこの日を祝ったの だ。
マーレイの葬儀のことを話したら、この物語の出だしについて語りたくなった。 マーレイが死んだことについては、何の疑いもない。このことははっきりと了解してもらわなければならない。そうでなければ、これから語ろうとする物語が、何の変哲のないものになってしまう。もし我々が劇の始まる前に、ハムレットの父親は死んだのだときちんと認識していなければ、父親が東風に吹かれて、自分の城の城壁を夜な夜な散歩していたことが、そこらの中年の紳士が、臆病者の息子を驚かすために、暗くなってから、そよ風の吹く場所、例えばセント・ポール寺院の中とかに、ふらりと現れるのとそう大して変わりはなくなってしまう。
スクルージは老マーレイの名前を消そうとしなかった。その名前はその後何年も商店の入り口に、スクルージ・マーレイとして残っていた。この会社はスクルージ・マーレイ商店として通っていた。仕事で初めてここに来る人は、時にはスクルージをスクルージと呼んだり、時にはマーレイと呼んだりしていたが、スクルージはどちらで呼ばれても返事をしていた。彼にとってはどっちでもよかったのだ。
ああ、しかし彼は、石うすでも自分のものにしようとするケチな男だった。それがスクルージだ!搾り取る、ねじり取る、つかんで離さない、かき集める、ふんだくる、強欲で、罰当たりな爺さんだ。火打ち石のように堅くて鋭いが、どんな鋼鉄をもってしても火といえるようなものが熾せない火打ち石だ。秘密が多く、誰ともつき合おうとせず、カキのように孤独なのだ。彼の心の冷たさは、老いぼれた顔つきを硬化させ、尖ったを鼻はしぼませ、頬を皺だらけにさせ、足どりをぎこちないものにさせ、目を血走らせ、薄い唇を蒼ざめさせた。そして、耳障りな声で、抜け目なく大声を出した。凍った白霜が、頭の上にも、まゆ毛にも、針金のような顎にもかかっていた。彼は行く先々にこの冷たさをもたらした。真夏でも彼の事務所は冷え切っていた。そしてクリスマスになっても、温度は1度も上がらなかった。
暑かろうが寒かろうが、スクルージには何の影響も与えなかった。どんな温かい気候も彼を温めることはできず、どんな寒い冬も彼を凍えさせることはできなかった。どんなに吹きすさぶ風でも彼ほどに厳しくはなく、どんなに降りしきる雪でも、彼ほど一心に目的を達していることはなく、どんなに激しく降る雨でも、彼ほどに無慈悲ということはなかった。悪天候も彼にはかなわなかった。ただ、激しい雨、雪、あられ、みぞれが、一つの点で彼よりも優位に立っていた。雨や、雪や、あられや、みぞれはたいてい気前良く「降りそそぐ」のだが、スクルージには決してそんなことはなかった。
今まで通りで彼を呼び止め、嬉しそうに「スクルージさん、こんにちは?今度はいつ遊びに来てくれるのですか?」などという人はいなかった。彼に恵んでもらおうとした乞食は一人もいないし、今何時ですかと彼に時間を尋ねた子供もいないし、男性にしろ女性にしろ、スクルージの生涯であれこれ道を尋ねた者はいない。盲導犬でさえ、彼という人間を知ってるらしく、スクルージがやってくるのを見ると、飼い主を戸口や路地へ引っ張って行った。そして、「邪悪な目を持つくらいなら、最初から目がない方がましですね、盲目のご主人さま」とでもいうように、しっぽを振るのであった。
だが、スクルージがどうしてそんなことを気にかけよう。彼にはそれこそ願ってもないことだったのだ。人情などは一切拒否し、混雑している中、人をかきわけて進むのが、スクルージには、つまり「痛快」なのだ。
ある時、一年の中で特別の日、クリスマスイブのことだが、老スクルージは、会計室で机について忙しく働いていた。寒く、わびしい、身を切るような日だった。おまけに霧も深かった。路地では人々がぜいぜいと息を切らして、胸を叩いたり、敷石に足を踏みつけたりして身体を温めながら行き来している様子が、スクルージには聞こえていたことだろう。シティーの時計が3時を告げたのはつい先ほどだったのに、もうすっかり暗くなっていた。もっとも、それまでも明るくはなかったのだが。辺りの事務所の窓にはロウソクの明かりが揺れていたが、それらは手で触れそうな薄暗い帳についた、赤いシミのように見えた。霧はどんなすき間からも、鍵穴からも流れ込んできた。路地はこのうえないほど狭いのだが、向かいの家々が幻のようにしか見えないほど、外の霧はとても深かった。雲がどんよりと垂れ下がり、あらゆるものの輪郭があいまいになっているのを見ると、「大自然」が身近に存在し、大暴風雨が今にもやって来そうな気がしてくるのだった。
スクルージの会計事務室は開け放しになっていた。スクルージは、ドア越しに、水槽のような陰気な小部屋で手紙を書いている事務員を、いつも監視していた。スクルージの暖房用の火はとても小さかったのだが、事務員の火はそれよりも小さく、ひとかけらの石炭ぐらいにしか見えなかった。石炭をつぎ足そうにも、事務員にはできなかった。なぜなら、石炭箱はスクルージの部屋にあったからだ。事務員がシャベルを持って入って行こうものなら、お互い一緒にはやっていけそうもないなと、スクルージは間違いなくい ったことだろう。そのため、事務員は白い毛糸の襟巻を首に巻き付け、ロウソクの明かりで温まろうとするのだが、そんな努力をしてみても、もともと想像力には恵まれている方ではないので、大して役に立たなかった。
「伯父さん!メリークリスマス!伯父さんに、神さまのご加護がありますように!」快活な声がした。スクルージの甥の声だった。突然やってきたので、声がするまでスクルージは甥が来たことに気づかなかった。
「ふん!ばかばかしい」スクルージは言った。「たわごとか」
スクルージのこの甥は、霧と霜の中を一生懸命に駆けてきたので、全身をほてらせ、顔は赤らんで美しく見えた。彼は目を輝かせながら、はあはあと白い息を吐いていた。
「クリスマスがたわごとだなんて、おじさん!」スクルージの甥は言った。
「本気で言ったんじゃないってことは分かっているんだ」
「本気だとも」スクルージは言った。「メリークリスマスだって!何の権利
があってお前がクリスマスを祝うんだ?どんな理由からだ?ひどく貧乏なく
せに」
「さあさあ」甥は楽しそうにいい返した。「伯父さんは何の権利があって不
機嫌になっているんですか?どんな理由からですか?ひどく金持ちなのに」
スクルージはとっさにうまい返事を思いつかなかったので、「ばかばかしい」
と繰り返し、「たわごとだ」とつけ加えた。
「伯父さん、そうつんけんしないで」甥は言った。
「そうならないでいられるか」伯父はやり返した。
「こんなバカばっかりの世の中で、メリークリスマスか。クリスマスがめでたいなんて、やめてくれ。お前にとって、クリスマスとは何なんだ。お金がないのに支払いの勘定書がくる時だろ。歳はひとつとっても、1時間分でもお金がふえるわけじゃない。帳尻を合わせようとして、1年のどこをどうやりくりしても、損ばかりというのが分かる時じゃないか。もし思い通りになるんだったら」スクルージは苛立たしげに言った。「メリークリスマスなどといって浮かれているアホどもを、1人残らずそいつらの家でこしらえているプリ
ンの中で煮込んで、心臓にひいらぎの枝を突き刺して埋めてやるんだがな。絶対にそうしてやる」
「伯父さん!」甥は口をはさんだ。
「甥よ!」スクルージはつっけんどんにいい返した。「お前はお前の流儀で
クリスマスを祝えばいい。オレはオレの流儀を変える気はない」
「流儀を変える気はないですって!」スクルージの甥は問い返した。
「でも、それはいけません」
「それじゃな。オレにかまうのはやめてくれ」スクルージは言った。
「お前にゃクリスマスは役に立つことだろうよ。今までだってそうだったん
だから」
「いわせてもらいますが、お金儲けにはならなくても、役に立つことはたくさんありますよ」甥はいい返した。「クリスマスがそのひとつです。クリスマスがやってくると、その名前といわれのありがたさは別として、でも、クリスマスにまつわるものを別にして考えられるかどうか分かりませんが、クリスマスはすばらしい時だといつも必ず思っています。親切な気持ちで、人を赦してやりたくなり、善意が充ちてくる、心楽しい時期です。男性も女性もみんなが閉じた心を開いて、階級の低い人でも、いっしょに墓場へ行く仲間だと思って、行き先の違う別人種だとは思わないでいられるのは、1年の長い年月の中でも、クリスマスの時だけだと思いますよ。伯父さん、クリスマスで銀貨や金貨の1枚だって儲けたことはありませんが、私にはありがたかったし、これからもそうあり続けてくれると思っています。ですから、ぼくは神さまがクリスマスを祝福してくださいますようにというのです」
独房のような部屋にいた事務員は、思わず拍手をしたが、すぐにしまったと思い、火をかきたてたため、弱々しい火を消してしまった。
「もう一度そんな音をさせてみろ、職を失ってクリスマスを味わうことになるぞ」とスクルージはいい、甥の方を振り向いた。
「ごりっぱな演説をなさいますことで。なぜ政治家にならないのか不思議でしょうがないよ」
「伯父さん、怒らないで下さい。お願いですから、明日は食事に来て下さい」
スクルージは、会うことにしようと言った。そう、実際にそう言ったのだ。そのままの通りに言ってから、まずは臨終の際に会うことにしよう、と言った。
「でも、どうしてなんです?」スクルージの甥は、強い調子で訊ねた。
「どうしてなんですか?」
「お前は、どうして結婚したんだ?」スクルージは言った。
「愛していたからですよ」
「愛していたからだって!」スクルージはびっくりした。クリスマスがめでたいという以上にばかばかしいことは、これ以外にないとでもいうようだった。
「もう、帰ってくれ」
「でも、伯父さん、ぼくが結婚する前だって、来てくれたことはないでしょう。どうして、今更、それを来られない理由にするんですか?」
「帰ってくれ」スクルージは言った。
「伯父さんに何かしてくれなんて思っていません。お願いするつもりもありません。なのに、どうして親しくつき合えないのですか?」
「帰ってくれ」スクルージは言った。
「どうして、そんなに意固地なのか、本当に悲しくなりますよ。私と喧嘩をしたわけじゃないでしょう。でも、ぼくは最後までクリスマスの気分はなくさないようにするつもりです。だから、伯父さん、メリークリスマス!」
「帰ってくれ」とスクルージ。
「それから新年おめでとう!」
「帰ってくれ」スクルージは言った。
それでも、甥は腹を立てるでもなく、部屋を出て言った。出口のドアのとこ
ろで足をとめ、事務員にクリスマスの挨拶をした。寒さに凍えていたが、心
はスクルージよりは温かだった。なぜなら、事務員は心から挨拶を返してく
れたからだ。
「アホがもう1人いるのか」事務員が挨拶するのを聞いて、スクルージはつ
ぶやいた。
「週給15シリングで女房子供を養っている、オレの事務員が、クリスマスに
浮かれている。精神病院へでも引きこもりたくなるよ」
スクルージがアホと決めつけたこの事務員は、スクルージの甥を送り出すと、二人の客を迎えた。二人とも見た目のいい、堂々とした紳士で、スクルージの部屋では帽子を脱いだ。彼らは手に帳簿や書類を持ったまま、スクルージにおじぎをした。
「こちらはスクルージ・マーレイ商会でございますよね?」
手に持ったリストと照らし合わせながら、ひとりがそう言った。
「失礼ですが、スクルージさんでしょうか、マーレイさんでしょうか?」
「マーレイが死んでから7年になります」スクルージは答えた。
「彼はちょうど7年前の今夜死にました」
「マーレイさんの物惜しみのないご親切なお気持ちは、あとにお残りのあな
たにも十分引き継がれていると私どもは考えております」その紳士は、寄付金
募集委任状を差し出しながら言った。
確かにその通りだった。スクルージもマーレイも、考え方は全く同じだった。
「物惜しみのない親切心」というおぞましい言葉に、スクルージは顔をしか
め、頭を振って委任状を返した。
「一年の中でめでたいこの時期にですね、スクルージさん」
ペンを取りながらその紳士は言った。
「貧しい人たちや、困っている人たちに、ほんの少しでも何か手助けをする
ことは、いつにもまして望ましいことだと思っています。現在のところ、何
千もの人が日用品にも事欠いていますし、何十万もの人が、ごく普通の楽し
みさえもてないでいるんです」
「監獄はないのですか?」スクルージは訊ねた。
「たくさんあります」ペンを再び置きながらその紳士は答えた。
「それから、救貧院は…」スクルージは強い調子で訊いた。
「まだ運営されていますか?」
「今でも運営しています」その紳士は答えた。
「もう運営していませんと申し上げたいところなのですが」
「それでは、労役場も、救貧法も立派に活用されているわけですね?」スク
ルージは言った。
「どちらもさかんに活用されています」
「おお!あなたの最初のお話では、あんな役に立つものがなくなったのかと
心配しましたが」スクルージは言った。
「それで安心しました」
「それだけでは貧しい大勢の人たちにクリスマスを心から喜んでもらうこと
はできないと思いまして」その紳士は応じた。「我々が肉とか、飲み物とか、
燃料とかを購入する資金集めに奔走しているのです。我々がこの時期にこの
ようなことをしていますのは、裕福な人たちが楽しんでいる最中にあって、
とりわけ、貧しさが骨身にしみる時だからです。それで、ご献金はいかほど
にしておきましょうか?」
「私の名前は書かないで下さい」スクルージは答えた。
「すると、匿名をご希望なのですか?」
「できれば、ほっといてもらいたいんです」スクルージは言った。「何を
希望するのか聞きたいのでしたら、いいですか、これが私の答えです。私
にはクリスマスなど、ちっともめでたくありませんし、怠け者にめでたい
思いをさせてやる余裕もありません。さっき言った施設のために、税金を
出しています。それだって相当な額ですよ。生活できない連中は、そこへ
行けばいいでしょう」
「しかし、入れる人数も限られていますし、そんなところへ行くくらいなら
死んだ方がましだと思ってらっしゃる方もたくさんいますので」
「死んだ方がましだと思っている連中は」スクルージは言った。「死ね
ばいいんです。そうして余計な人間を減らせばいいんだ。それにです、ふ
む、どうも分からないな」
「分かって下さってもいいはずですが」その紳士は言った。
「私には関係ないことです」スクルージは言い返した。「誰でも自分のすることを知っていて、他人のすることには口出ししない、それで十分じゃありませんか。私はいつも自分のことで手一杯なんです。それでは、さようなら」
彼らはこれ以上話しても無駄だと知り、その場を去った。スクルージは自分を改めて見直し、いつになく上機嫌な気持ちで再び仕事に取りかかった。
その間にも、霧と闇は深まっていった。ゆらゆらと燃える松明(たいまつ)を手にしたたくさんの人が、馬車の前を照らす仕事にありつこうと走り回り、馬車の道案内をしていた。教会の古い塔には、いつもなら味もそっけもない古鐘があり、ゴシック式の窓からスクルージを狡そうにのぞき込んでいるのだが、それも霧で見えなくなっていた。その鐘は、霧の中で1時間おきと15分おきに鳴ったが、あたかもてっぺんにのっかっている凍えた頭が、歯をがちゃがちゃ鳴らしているかのように、ものすごい震動を後に残した。
寒さはつのっていった。路地を出た大通りには、数人の工夫がガス管の修理をしていた。彼らはブリキストーブに勢いよく火を燃やしていたので、その回りにはぼろをまとった男や少年が大勢寄って来て、炎の前で手をあぶり、目を瞬かせながら一息ついていた。水道栓はあけっぱなしになっていたので、流れ出た水はたちまち凍りつき、寒さをいっそうつのらせる氷になっていった。商店の中は、ランプの熱でヒイラギの小枝やベリーがぱちぱちになるほど明るく、通り過ぎる人の青白い顔を赤く照らしていた。
鳥肉屋や食料品店は、見事な笑劇へと変貌した。華麗なる野外劇と化し、特売とか値引きとか、そんな当たり前のことが、このようになるのかとにわかには信じられなかった。ロンドン市長は、壮麗な公邸にドンと構えて、50人のコックと執事に、クリスマスをロンドン市長家にふさわしいものにするようにと命じた。また、先週の月曜日に、酔っ払って通りで流血の騒ぎを起こし、5シリングの罰金を払うはめになった小柄な仕立屋でさえ、屋根裏の自宅で明日のためのプリンをかき回していたし、その痩せた女房は、赤ん坊を抱えて勇んで牛肉を買いに行った。
霧はますます深まっていき、寒さはつのるばかりだった。突き刺すような、身にしみる、噛みつかれるような寒さだった。もし、聖ダンスタンが、いつも使っている武器ではなく、このような寒さで悪魔の鼻をつまんだとしたら、それだけで悪魔も大声を張り上げてわめいたことだろう。あるのが分からないほど小さい鼻の子供が、犬に噛まれた骨のように、寒さと飢えに噛まれ、口をぶるぶる震わせながら、スクルージの事務所の鍵穴にかがんで、クリスマス・キャロルを歌おうとした。だが、
神の恵みがあなたに届きますように!
いつも心安らかでいられますように!
と歌いかけただけで、スクルージはすさまじい勢いで定規をつかんだため、歌っていた子供は恐ろしさのあまり逃げ出した。鍵穴からは霧や、スクルージにはお似合いの冷気が入り込むだけだった。
やっと事務所を閉める時刻になった。スクルージはしぶしぶと腰掛けから立ち上がり、小部屋で待ちかまえていた事務員に合図を送った。事務員は、すぐにろうそくを吹き消して帽子をかぶった。
「明日は一日休みたいんだろうね」スクルージは言った。
「もしご都合がつくようでしたら」
「都合なんかつかないよ」スクルージは言った。「冗談じゃない。休んだことで半クラウン給料から差し引いたら、君は酷い目に合ったと思うんだろうね、きっと」
事務員は弱々しくほほえんだ。
「だがな」スクルージは言った。「君はオレが酷い目に合っているとは思わないだろ、仕事をしてもらわずに、一日分の給料を支払うのに」
事務員は一年にたった一度のことだと言った。
「毎年12月25日になるたびに人のふところからかすめとっていくにしては、まずい言い訳だな」
スクルージは厚手の外套のボタンを顎までかけながら言った。
「だが、君は丸一日休まないと気がすまないんだろ。だったら、次の日の朝は、いつもよりずっと早く出て来るんだぞ」
事務員はそうすることを約束した。スクルージはがみがみ不平をいいながら出て言った。事務所はあっという間に閉められた。事務員は、白い襟巻の長い両端を腰の下でぶらぶらさせながら(彼は外套を持っていなかった)、クリスマスイヴを祝うつもりで、少年たちの列の後ろについて、コーンヒルの滑り台を20回も滑り、それから目隠し遊びをしようと、カムデン・タウンの我が家へ飛ぶようにして帰って行った。
スクルージは、いつものわびしい居酒屋で、いつものわびしい夕食をすませた。そしてあらゆる新聞に目を通し、時間が余ると通帳を見て気を紛らわした。それから家に帰ってベッドに入った。彼は死んだマーレイの部屋に住んでいた。そこは中庭に面した、低い大きな建物の中の、陰気な、ひと続きの部屋だった。その建物はその場所にはあまりにも不釣り合いなので、建物が子供だった頃、他の建物とかくれんぼをしてそこに入ったが、出口を忘れてしまったと想像する以外なかった。今ではすっかり古びてしまい、もの寂しい様子だった。というのは、そこはすべて貸し事務所になっていて、スクルージ以外、他に誰も住んでいなかったのだ。中庭はとても暗く、すべての石のある場所を知っているスクルージでさえ、手探りをしかねないほどだった。霧と霜が建物の黒い古びた玄関の辺りをおおっている様子は、天候の神がもの悲しい思索にふけりながら、敷居に座っているかのようだった。
さて、ドアのノッカーは、とても大きいというぐらいで、これといって特徴はない。これは確かなことだ。スクルージはそこに住んでいて、夜も昼もそれを見ている。これも確かなことだ。また、スクルージは、いわゆる空想というものをほとんど持ち合わせていない。このことは、ロンドン市のどんな人にも、大げさな言い方だが、企業人だろうが、市参事会員だろうが、従者だろうが、引けは取らない。スクルージがマーレイのことを話したのは、7年前に死んだ日の午後が最後で、以来一度も思い出していない。このことにも留意しておいてもらいたい。では、スクルージが、ドアの鍵を鍵穴に差し込むと、瞬時にしてノッカーがノッカーでなく、マーレイの顔に見えたのはどういうわけだろう。説明できる人がいたら説明していただきたい。
マーレイの顔。それは中庭にある他の物体のように、ぼんやりとしてはいなかった。それは暗い穴蔵の中の腐ったロブスターのように、まわりに不気味な光を放っていた。怒っているのでもなければ、凶暴でもない。幽霊のような額に、幽霊のような眼鏡をのせて、マーレイがかつてしていたように、スクルージを見つめていた。髪の毛は、微風か熱気にでもあたったかのように、奇妙に逆立ち、目は大きくみひらいてはいたが、全く動かなかった。そして、顔色は青黒く、ぞっとするような形相だった。表情は確かにぞっとしたが、ぞっとするのは、表情だけのせいではないようだった。
スクルージがこの不思議な現象に目を凝らしていると、それは元のノッカーに戻った。
彼はびっくりしなかったとか、恐ろしいことに鈍感な性質で、幼いとき
からそうだったというのは、正しくない。だが、彼は持ち直した鍵を手に
して、しっかりとした手つきでそれを回し、中に入って、ろうそくに火を
つけた。
彼はドアを閉める前に、少しためらい、手を止めた。そして、まずドア
の後ろを、ひょっとしたら、マーレイの長い髪が玄関に突き出ているのではな
いかと注意深く調べた。だが、ドアの後ろには、ノッカ
ーを留めてあるネジとネジ止めの他は、何もなかった。
「ふっ、ばかばかしい!」
彼はそういって、音を立ててドアを閉めた。
その音は、雷のように家中に響きわたった。階上のどの部屋も、下のワ
イン店の地下室のどの樽も、それ独自で鳴り響いているかのようだった。
スクルージは反響音に怯えるような男ではなかった。彼はドアを締め、玄
関を横切り、ゆっくりと階段を上った。上りながら、彼はろうそくの芯を
整えた。
六頭立ての馬車でかなり老朽化した階段を上るとでもいおうか、議会を通過したばかりの悪法をくぐり抜けるとでもいおうか、私がいいたいのは、
葬儀車でも階段を上れるだろうし、それを横にして、横棒を壁の方に、棺
の蓋を欄干に向け、それでも簡単に上れるということだ。そこはそれ程の
幅があり、十分な広さだった。スクルージが、棺を載せた機関車が、暗闇
の中、自分の前を通ったような気がしたのは、おそらくそのためだろう。
通りを照らしている六個のガス灯も、この家の入り口まではとどかなかっ
た。スクルージの持つろうそくでは、かなり暗いということが、誰にも想
像できるだろう。
スクルージは暗くても一向に構わず、上って行った。暗闇は安上がりだった。スクルージは安上がりなことが好きだった。だが、彼は重い扉を閉める前に、部屋から部屋へと歩き回り、いつもと変わらないことを確かめた。マーレイの顔が記憶に焼きついていたので、そうしなければ気がすまなかったのだ。居間、寝室、物置。どれもいつもと変わりようがなかった。テーブルの下には誰もいないし、ソファの下にも誰もいなかった。暖炉には小さな火があった。スプーンも深皿も用意ができていた。お粥の入った小さな鍋(スクルージは鼻風邪を引いていた)は、炉棚に載っていた。ベッドの下にも、クロゼットの中にも、誰もいなかった。怪しげな恰好で壁にかかっていたガウンの中にも誰もいなかった。物置もいつも通りだった。そこには古い火よけのついたて、古い靴、魚かごが二つ、三本脚の洗面台、それと火かき棒があった。
スクルージはすっかり安心し、ドアを閉め、中から鍵をかけた。いつに
なく、二重にかけた。このように用心してから、スクルージはネクタイを
外し、部屋着を身につけ、スリッパを履き、ナイトキャップをかぶった。
それから暖炉の前にすわって、オートミールの粥をすすった。
火はとても小さく、こんな寒さの厳しい夜には、何の役にも立たなかっ
た。そんなひとつまみの火で、少しでも温かい思いをしようとするなら、
火に近づき、抱きかかえるようにして火をおおうしかなかった。暖炉は古
く、ずいぶん昔にオランダの商人が作ったものだった。表面には、聖書
の物語が描かれた、珍しいオランダタイルが一面に張ってあった。カインやアベル、パロの娘、シバの女王、羽根布団のような雲に乗って空から降りてくる天使、アブラハム、ペルシャザル、舟形ソース入れのような舟で出帆する使徒など、スクルージの気を引く人物は何百とあった。だが、7年前に死んだマーレイの顔が大昔の預言者の杖のように現れて、それらすべてを呑み込んでしまった。なめらかなタイルのひとつひとつに、最初から何も描かれていなくても、彼のばらばらになった思考の断片で、その表面に何かを描く力が備わっていたとしたら、その全てに老マーレイの顔が現れたことだろう。
「ばかばかしい!」スクルージはそういって、部屋の中を歩きはじめた。
何度も行ったり来たりしてから、スクルージはまた腰を下ろした。椅子に 座り頭を後ろに反らした時、部屋の中にぶらさがっているベルに、ふと目 が止まった。使われていないベルで、今となっては何のためかは分からな いが、最上階の部屋との連絡に使われていた。見ていると、このベルが揺 れ始めたので、スクルージはこの上なく驚き、いいようのない不安に襲わ れた。最初はかすかに揺れていたので、ほとんど音がしなかったが、ベル はすぐにけたたましく鳴り響き、続いて家中のベルも鳴り始めた。
鳴っていたのは30秒か1分くらいだったが、1時間にも感じられた。それからベルは、一斉に鳴り始めたように、一斉に鳴り止んだ。すると今度は、カランカランという音が、階下のずっと下の方から聞こえてきた。誰かが重い鎖を、地下ワイン貯蔵室の中の大樽の上で引きずっているような音だった。スクルージは、幽霊屋敷の幽霊は、鎖を引きずっていると聞いたことがあるのを思い出した。
貯蔵室のドアが、ドーンという音とともにぱっと開いた。スクルージには、階下のもの音がさらに大きくなったのが、そのもの音が、階段を上って、自分のいる部屋めざしてまっすぐにやってきているのが聞こえた。
「ふん、まったくばかばかしい!」スクルージは言った。
「信じるものか」
だが、それが一直線に重い戸を通り抜けて部屋の中へ入り、目の前に現れ
た時、スクルージの顔からは血の気が引いた。消えかかったろうそくの炎
は、それが入ってくると、「彼だ、マーレイの幽霊だ!」とでも叫ぶかの
ように、ぱっと燃え上がり、再び小さくなった。
あの顔、まぎれもなくあの顔だった。後ろに長く編んだ髪、いつものチョッキ、
ズボンタイツ、ブーツ。マーレイだった。ブーツの房も、後ろに長く編んだ髪も、上着の裾も、頭髪も逆立っていた。引きずっている鎖は、胴のあた
りに巻きついていたが、長くて、しっぽのように身体をぐるぐる巻きにし
ていた。その鎖とは(スクルージはじっくりと観察したのだ)、現金箱、
鍵、南京錠、台帳、権利証書、鋼鉄製の重い財布などでできていた。マー
レイのその身体は透明だったので、スクルージがじっくり見ていると、チ
ョッキを通して、上着の後ろに着いている二つのボタンまでが見えた。
スクルージは、マーレイにははらわたがないということを聞いてはいた
が、今まではそんなことを信じたこともなかった。
いや、今でも信じてはいなかった。幽霊をよくよく見て、自分の前に立
っているということが分かっていても、死者の冷たいまなざしに身体がぞ
くぞくしていても、それまでは気づかなかったが、その頭から顎にかけて
すっぽりかぶっている、折り重ねたネッカチーフの織り目まで見分けられ
ても、スクルージは信じないで、自分の見間違いだと思おうとした。
「どうしたっていうんだね!」スクルージはいつも通りの皮肉っぽい冷た
い調子で言った。
「私に何か用事かな?」
「大ありなんだよ」まさしく、マーレイの声だった。
「お前は誰なんだね?」
「誰だったか、と聞いてもらいたいね」
「じゃあ、誰だったのかね?」スクルージは声を上げて言った。
「幽霊にしては、細かいんだな」
スクルージは「幽霊らしく」といおうとしたのだが、もっと適切な表現を選んだのだ。
「生きていた時、あんたの共同経営者だった、ジェイコブ・マーレイだよ」
「お前さんは…、お前さんは坐ることができるのかね?」スクルージは、困ったように相手を見ながら言った。
「坐れるとも」
「じゃあ、坐ったらどうだね」
スクルージがそんなことを聞いたのは、透き通った幽霊が椅子に坐れるのか分からなかったからだ。もし坐れなかったら、ばつの悪い弁解をする羽目になると心配したのだ。だが、幽霊は坐りなれているように、暖炉に面して坐った。
「あんたはわたしがここにいることを信じてないね」幽霊は言った。
「信じてないよ」スクルージは言った。
「わたしがここにいるかどうか、お前さんの感覚以外に、どんな証拠が必要なんだね」
「さあ」スクルージは言った。
「どうして自分が見ているものを、自分の感覚を信じないんだね?」
「それはだな」スクルージは言った。「感覚なんてものは、ほんのちょっとしたことでも狂うからさ。胃の具合が少し悪くなっても狂ってくるんだ。だから、お前さんは、消化しきれない牛肉の一切れかもしれないし、ちょっと付けたマスタードかもしれないし、チーズのかけらかもしれないし、なま煮えのジャガイモの一片かもしれない。いずれにしても、お前さんの場合は、グレイブ(墓)よりもグレイビー(肉汁)の方に関わりがありそうだ」
スクルージは冗談をいうようなタイプではないし、この時には冗談をいう
気分でもなかった。気をまぎらわし、恐怖を鎮めようと、何か気の利いた
ことをいおうとしたのだ。というのは、幽霊の声が、骨の髄までしみてい
たからだ。
あの貼り付いたようなどんよりした目を見ながら、ほんの少しでも黙って
坐っていたら、身の破滅という気がスクルージにはした。幽霊が独特の地
獄の雰囲気をただよわせているのも、ひどく恐ろしかった。スクルージ自
身は、幽霊に触れることはできなかったが、たしかにそこにいた。なぜな
ら、幽霊はまったく動かずに坐っていたが、髪や裾や房は、オーブンから
のぼる熱い蒸気にかき乱されているように、揺れ続けていたからだ。
「この爪楊枝が見えるかね?」スクルージはすぐさま攻撃的な態度に戻っ
ていった。というのは、さっきも述べたように、スクルージは恐ろしかっ
たのだ。たとえ1秒でも幽霊の石のような視線から逃れたかったのだ。
「見えるよ」幽霊は答えた。
「見ていないだろ」
「見ていなくても、見えるんだよ」
「それじゃあ」スクルージは言った。
「これを呑み込みさえすりゃいいわけだ。そうすりゃこれから先、たくさ
んの化け物に悩まされるってわけだ。自分の作った化け物どもにね。ばか
ばかしい、ほんとうにばかばかしい!」
これを聞くと、幽霊は恐ろしい叫び声をあげ、陰気でぞっとするような音を立てて鎖を揺さぶった。スクルージは気絶しても倒れないようにと、椅子にしっかりつかまった。だが、部屋の中では暑すぎるとでもいうように、幽霊が頭に巻いてあった包帯をはずし、その下顎が胸までぶら下がっているのを見た時、スクルージの恐怖は頂点に達した。
スクルージは跪き、顔の前で両手を握りしめた。
「お許し下さい!」スクルージは言った。「恐ろしい幽霊さま、なぜ私を
苦しめるのです」
「俗物め!」幽霊は答えた。「わたしを信じるのか、信じないのか?」
「信じます」スクルージは言った。「信じないわけにはいきません。でも、
どうして幽霊がこの世に出歩いているのですか。どうして私のところにや
ってくるのですか」
「人間は誰しも、そう定められているのだ」幽霊は答えた。「人間の内に
宿る霊魂は、仲間内を歩き回り、遠くどこまでも出かけなければならない
のだ。もし生きている時に出て行かなければ、死んだ後にそうしなければ
ならないのだ。この世をさまよう運命。ああ、悲しいことだ。生きていれ
ば何かしてやれる、幸福にしてやれたかもしれないのに、どうしてやるこ
ともできず、ただ見ているしかないとは」
幽霊はふたたび叫び声を上げ、鎖を揺さぶり、悲痛な気持ちで影のような両手を堅く握りしめた。
「おまえさんは鎖につながれているが」スクルージは震えながら言った。「どうしてなんだね」
「生きている時に自分でこしらえた鎖につながれているのだ」幽霊は答えた。
「わたしは鎖の輪を一つひとつふやし、1ヤード1ヤード長くしていったのだ。その鎖を自分から進んで締め、自らの意志で巻き付けたのだ。おまえは、この鎖の形に見覚えはないのか?」
スクルージの震えはいっそうひどくなった。
「おまえは知っているのか」幽霊は続けた。「自分に巻き付いている頑丈な鎖の重さや長さを。7年前のクリスマス・イヴの時には、わたしに巻き付いている鎖と同じくらい重く長かったよ。おまえはあれからもせっせと長くしているのだから、途方もない重さになっているんだ」
スクルージは、五十尋も六十尋もある鉄の鎖が、自分の身体に巻き付いて
いるのではないかという気がして、辺りの床を見回した。だが、何も見え
なかった。
「ジェイコブ」スクルージは哀願するように言った。「なあ、ジェイコブ
・マーレイさんよ、もっと話してくれないか。ジェイコブよ、慰めになる
ようなことを、話してくれよ」
「話すことは何もない」幽霊は答えた。「エベニーザ・スクルージよ、慰
めというものは、わたしのいるところとは違う世界からやってくるものな
んだよ。別の使者が、別の性質の人間のところに持ってくるものなんだ。
それにな、いいたいことがあっても、いうことはできないんだ。わたしに
残された時間は、あとほんの少しだ。わたしは休むことも、留まることも、
そこらでぶらぶらしていることもできないんだ。わたしの霊魂は、この会
計事務所から一歩も外には出なかった。いいかな!わたしが生きている時
に、わたしの霊魂は、あの狭っ苦しい両替の穴蔵から外へは、出ることが
なかったんだ。これからまだまだ、長く辛い旅が続くのだ」
スクルージには、考え込む時は両手をズボンのポケットへ入れる癖があった。今もうつむいたまま、立ち上がりもせず、幽霊が言ったことを考えながら、そうしていた。
「ずいぶんゆっくりした旅だったんですね、ジェイコブさん」スクルージは、謙虚に相手を気遣いながらも、事務的にそう言った。
「ゆっくりだと!」幽霊は言った。
「死んでから7年」スクルージはかみしめるように言った。「その間ずっと旅をしていたなんて」
「その間ずっとだ」幽霊は言った。「休むことも、安らぎもなく、絶えず後悔の念に苛まれながらだ」
「旅をしている時は、早く進むのですか?」スクルージは言った。
「風の翼に乗ってだ」幽霊は答えた。
「7年だったら、ずいぶん遠くまで行ったでしょう」スクルージは言った。
幽霊はこれを聞くと、また叫び声を上げ、寝静まった夜に、ぞっとするよ
うな音を出して鎖を揺さぶった。その騒々しさは、夜警が告発しても当然
と思えるほどだった。
「おお!囚われ、縛られ、2重に鎖をかけられた奴め」幽霊は叫んだ。
「おまえは知らないのか、不滅の偉人がこの世のために為した、絶え間の
ない努力の日々が、その成果は影響を受けやすく、十分に実を結ばないう
ちに、永遠の中へと去っていくことを。ささやかな場所であれ、親切であ
ろうとするキリスト教精神の持ち主が、人生を非常に有益にものにするに
は、限りある人生はあまりにも短いと感じていることを。人生を間違って送れば、どんなに後悔しても、取り返しはつかないということを。だが、
それがわたしだったのだ。ああ!それがわたしだったのだ。
「だけど、仕事じゃおまえさんは、いつもなかなかのやり手だっただろ、ジェイコブ」
スクルージは口ごもりながら言った。いいながら、自分もそうだと思い始めた。
「商売!」幽霊は再び両手を固く握りしめ、叫んだ。
「人類がわたしの仕事だったのだ。福祉事業がわたしの仕事だったのだ。慈善事業が、慈悲が、寛容が、博愛が、これらがみんなわたしの仕事だったのだ。商売の取引など、生涯事業という大海の中では、一滴の水にしか過ぎなかったのだ」
幽霊は、取り返しのつかない悲しみの原因が鎖だとでもいうように、腕いっぱいに鎖を持ち上げ、床にどすんとたたきつけた。
「過ぎ去ろうとする一年のこの時期に」幽霊は言った。
「わたしは一番辛い思いをする。なぜわたしは、人々の中を、目を伏せて通り過ぎたのだろう。なぜ、東方の賢者たちを導いた、あのすばらしい星を見上げなかったのだろう。その星に導かれて訪ねていく、貧しい家はなかったというのか!」
スクルージは、幽霊がこのような調子で延々と話すので、極端にうろたえ、ぶるぶる震え出した。
「よく聞くがよい!」幽霊は叫んだ。
「わたしにはもう時間がない」
「聞きます」スクルージは言った。「でも、私に辛くあたらないでくれ。派手はいい方はやめてくれ。お願いだ、ジェイコブ」
「なぜおまえに見える姿となってここに現れたのかは、話せない。目には見えなかったろうが、わたしは幾日も幾日も、おまえのそばに坐っていたのだ」
これは気持ちのいい話ではなかった。スクルージは、身震いし、額の汗を拭った。
「こうしているのも、決して楽なことではなのだ」幽霊は続けた。
「今夜ここに来たのは、おまえに、わたしのような運命から逃れるチャンスも希望も、まだあるということをいうためだ。チャンスと希望を、わたしが手に入れてやろうというのだ、エベニーザ」
「おまえはいつも私には親切な友人だった。スクルージは言った。
「ありがとう!」
「これからおまえのところに」幽霊は言った。「3人の霊がやって来るだろう」
スクルージの表情は、幽霊とほとんど同じくらい精気がなくなった。
「それが、おまえのいうチャンスと希望なのか、ジェイコブ?」
スクルージは口ごもりながら、強い調子で訊ねた。
「そうだ」
「わ、私としては、そんなの、いらないんだけど」スクルージは言った。
「3人の幽霊に出てきてもらわないと」幽霊は言った。「おまえはわたしと同じ道を歩むことになるのだ。まず、第一の幽霊は、明日午前1時の鐘が鳴った時に現れる」
「ジェイコブ、3人いっぺんにというわけにはいかないだろうか、それで終わりっていうことにして」スクルージは、それとなく聞いた。
「第二の幽霊は、次の夜、同じ時刻に現れる。第三の幽霊は、その次の夜、12時を告げる最後の鐘が鳴り終える時に現れる。わたしとはこれが最後だ。いいか、くれぐれもわたしが話したことを忘れないようにしてくれ。おまえのためなのだから」
言い終わると幽霊は、テーブルから包帯を取り、前と同じように頭に巻い
た。包帯で顎が合わさった時、歯が鋭い音を立てたので、スクルージはこ
のことに気づいた。スクルージが思い切って、もう一度顔を上げると、こ
の超自然の訪問者は、鎖を片方の腕に巻き付け、直立姿勢で面と向かって
いた。
幽霊は後ずさりしてスクルージから遠ざかった。幽霊が一歩さがるごと
に、窓は少しずつ開いていったが、行き着いた時には、すっかり開いてい
た。
幽霊が手招きしたので、スクルージは近づいていった。二人の間が、2
歩ぐらいの距離になると、マーレイの幽霊は手を上げてそれ以上近づくな
と合図をした。スクルージは立ち止まった。
幽霊に従って止まったわけではなかった。驚き恐れたからだった。幽霊が手を上げると、スクルージには辺りのさまざまな物音が聞こえた。悲嘆と後悔の入り乱れた声だった。もの悲しく、自分を責める声にならない声だった。幽霊は一瞬耳を傾け、その悲しみに沈んだ声のひとつとなって、寒く暗い夜の中へ漂っていった。
スクルージは好奇心を抑えきれず、後を追って窓辺に駆け寄り、外を見た。
辺りには幽霊がうようよいた。あちらこちらへとせわしなくさ迷い、さ迷いながらうめき声を上げていた。どの幽霊も、マーレイの幽霊のように、鎖に縛られていた。何人かは(罪を犯した政府の役人かもしれない)いっしょに繋がれていた。鎖に繋がれていない幽霊はいなかった。多くの幽霊が、生前にはスクルージと個人的な面識があった。その中の、白いチョッキを着た、足首にばかでかい鉄の金庫をくっつけた、年老いた幽霊のことは、スクルージはよく知っていた。その幽霊は、下の戸口で見かけた、幼い子供を抱いた可哀想な女性に何もしてやれないのが、とても辛いと嘆いていた。幽霊のすべてが悲しんでいるのは、明らかに、人間のために何かいいことをしてやろうと思っていても、永遠にその力を失ってしまったことだった。
スクルージには、幽霊が霧の中に消えたのか、霧が幽霊を包み込んでしまったのか分からなかった。だが、幽霊の姿や声は、だんだんと消えてしまい、スクルージが歩いて帰宅した時と同じ夜になっていた。
スクルージは、窓を閉め、幽霊が入ってきたドアを念入りに調べた。ドアは、自分で閉めた通りに、鍵が2重にかかり、掛け金はそのままだった。「ばかばかしい!」といおうとしたが、スクルージはいいかけてやめた。それから、感情を激しく揺り動かされたからか、1日の疲れからか、目に見えない世界を垣間みたからか、それとも、幽霊との重苦しい会話のためか、あるいは、夜遅いせいか、とくかく休息を必要として、着替えもせずに、そのままベッドに入り、すぐに眠り込んでしまった。
<第一章終了>
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