クリスマス・キャロル (第二章)



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本文テキスト第二章 (vol.58 〜 vol.118 )

第一の幽霊

 スクルージが目を覚ますと、とても暗かった。ベッドから顔を上げても、その部屋の透明な窓と不透明な壁との区別もつかなかいほどだった。彼がイタチのような目で暗闇の中を探っていると、近くの教会の鐘が、 15分の鐘を4回 鳴らした。スクルージは何時なのか知ろうと耳をすませた。

 驚いたことには、重々しい鐘の音は、6つから7つ、7つから8つと鳴り続き、きちんと12を鳴り終えてから止んだ。スクルージが寝たのは2時過ぎだった。時計がくるっている。中につららができたに違いない。12時とは!

スクルージは二度打ち時計のスプリングに手を触れ、教会のとんでもない時計を正 そうとした。スクルージの時計は、小さな音ですばやく12を打って、止ま った。
「なぜだ。そんなはずはない」スクルージはいった。「丸一日ぶっとおし 寝て、翌日の夜まで寝ているなんて。太陽に異変があって、今は昼の12時 ということも考えられないし」

 これは大変なことになったと、スクルージはベッドから這い出し、手探 りで窓の所へ行った。何も見えなかったので、ガウンの袖で霜をこすって 落とした。それでもほとんど見えなかった。はっきりしたことといえば、 まだ、霧は非常に深くかかっていて、とても寒く、もし、夜が明るい昼間 を打ち負かし、世界を支配しているのなら、当然あるべき人々の往来も、 喧噪もなかったことぐらいだった。スクルージはほっとした。なぜなら 「この第一号為替手形一覧後三日以内にエベニーザ・スクルージ、もしく はその指定人に支払われること」などということが、期日を過ぎてしまっ たら、 合衆国の公債 と同じことになってしまうからだ。

スクルージはベッドに戻り、何度も、何度も、考えに考えてみたが、ど ういうことなのかさっぱり分からなかった。考えれば考えるほど分から なくなった。考えまいとすると、余計に気になった。マーレイの幽霊には ひどく悩まされた。さんざん考えたあげく、あれはみんな夢だったのだと結論づけた。だが、そう結論づける度に、強いバネが元に戻るように、最初の考えに引き戻されてしまった。そこで「あれは夢だったのだろうか、それとも現実だったのだろうか」と、同じ問題を最初から考え直すのだった。

スクルージがあれこれ考えていると、15分の鐘が3度鳴った。彼は突然、 1時の鐘が鳴ると訪問者がやってくると幽霊がいっていたのを思い出した。 スクルージはその時間になるまで、眠らずにいようと決めた。眠ることは、 天国に行くことと同じくらい不可能だったので、彼としては、おそらく最 も賢明な方法だった。

それからの15分はとても長く感じた。スクルージは、うっかり寝入ってし まい、1時の鐘を聞き逃したに違いないと、一度ならず考え込んでしまっ たほどだった。ついに、鐘の音が聞き耳を立てているスクルージに響いた。 「キンコン!」
「15分だ」スクルージは数えながらつぶやいた。
「キンコン!」
「30分だ」とスクルージ。
「キンコン!」
「あと15分だ」スクルージはいった。
「キンコン!」
「さあ、時間になった」スクルージは、勝ち誇っていた。
「でも、何も出てこないぞ!」
彼がそういったのは、時鐘が鳴り出す前だった。それからすぐに、荘重で、鈍く、こもった、陰鬱な音を立てて、1時の時鐘が鳴った。すると、たちまち、部屋がぱっと明るくなり、ベッドのカーテンが、すうっと引かれた。

ベッドのカーテンが、つまり、手で引かれたのだ。足元のカーテンでもな ければ、背後のカーテンでもない、目の前のカーテンだ。ベッドのカーテ ンが引かれると、スクルージは半身を起こした。目の前にいたのは、カー テンを引いた、この世の者とは思えない訪問者だった。スクルージとの距 離は、これを語っている私と、読んでいる読者ほどだ。私は精神的には、 いつも読者の目の前にいるのだ。

幽霊は、子供のような、奇妙な姿をしていた。いや、子供というよりも、老人といった方がいい。何か超自然的な媒体を通して姿を現していたため、視界から遠ざかり、縮んで子供のように見えたのだ。髪は首のあたりにから背中にまで垂れ、老人のように白かった。だが、顔には皺ひとつなく、肌はほのかなばら色だった。腕はとても長く、筋骨隆々としていた。手も同じように、並々ならぬ握力を感じさせた。足部と脚部は、これ以上ないというほどきゃしゃで、手や腕と同じようにむき出しだった。

幽霊は、ひざまである純白の外衣をまとい、みごとに輝く、ぴかぴかのベルトを腰に締めていた。手にはみずみずしい緑色のヒイラギの枝をもっていたが、服には、奇妙なことに、この冬の象徴と矛盾する、夏の花々の縁飾りがしてあった。だが、奇妙なことといったら、何といっても、頭のてっぺんから出ている煌々と輝く明るい光だろう。そのおかげで、こうした一切のことが見えたのだが、こんな光を発しているのだから、必要のない時には、大きな明かり消しを帽子にして頭にかぶっているに違いない。今はそれを脇の下に抱えていた。

しかし、スクルージがいっそう目をこらして見ていると、このことでさえそう奇妙なことではなくなった。というのは、ベルトのある部分がぴかっと光ったら、別の部分がぴかっと光り、明るかった部分がたちまち暗くなったりした。そのため、幽霊の姿が変化して、はっきりと見極めがつかなかった。幽霊は、片腕になったり、片足になったり、20本足になったり、足は2本あっても、頭がなかったり、頭はあっても、身体がなかったりした。消えた部分は、深い闇の中にとけ込んでしまい、その輪郭をたどることもできなかった。こういったことに肝をつぶしていると、幽霊は、もとのような、はっきり見える姿になっていた。

「あなたは、私の前に現れると知らされていた、幽霊ですか?」スクルージは訊ねた。 「そうだ」
穏やかでやさしい声だった。並外れて低い声で、すぐ側にいるのではなく、まるで遠くにいるようだった。
「あなたは、どなたで、どういう方なのでしょうか?」スクルージは聞いた。
「わたしは過去のクリスマスの幽霊だ」
「遠い過去のクリスマスですか」スクルージは、小びとのように背の低い幽霊をじっと見ながらいった。
「違う。お前の過去だ」
スクルージは、なぜと訊ねられても、恐らく誰にも答えることはできなかっただろうが、明かり消しの帽子をかぶった幽霊の姿をぜひ見てみたくなった。そして、幽霊にかぶってくれと頼んだ。
「何だと」幽霊は叫んだ。「お前はもう、俗世間にまみれた手で、わたしが放つ光を消そうというのか。この帽子をつくったのは欲に駆られた連中だが、その帽子を私に何年間も目深にかぶらせておいたのもその連中だ。お前はそのひとりなのに、またかぶらせるのか」

スクルージは、かしこまって、決して悪気があったわけではないし、今までに一度だって、意図的に帽子をかぶせようとしたことはないといった。それから思い切って、何の用でここに来たのか幽霊に訊ねた。
「お前の幸せのためにだ」と幽霊はいった。
スクルージは感謝したが、一晩ぐっすり寝かせてもらえる方が、ずっと幸せだと思わずにはいられなかった。幽霊にはスクルージの考えていることが分かったに違いない。すぐにこういった。
「それでは、お前の矯正のためにといおう。よいかな」
幽霊は、話しながらがっしりした手を出し、スクルージの腕をそっと握った。
「立ち上がって、わたしといっしょに歩きなさい」

スクルージが、天候も時刻も散歩するにはふさわしくない、ベッドの中は 温かいが、寒暖計は氷点下はるか下の方をさしている、着ているものとい ったら、スリッパとガウンとナイトキャップだけだ、それに今は風邪をひ いている、などといったところで聞き入れてはもらえなかっただろう。幽 霊の手は、女性のようにやさしくかったが、あらがえなかった。スクルー ジは立ち上がった。だが、幽霊が窓の方へいくのが分かると、外衣をつか んで嘆願した。
「私は人間です」スクルージは訴えた。「落ちてしまいます」
「ここにあるわたしの手の感触だけを感じていなさい」幽霊は手をスクル ージの胸に当てながら「そうすれば、これからは落ちることはないだろう」 といった。

幽霊がそういうと、二人は壁を通り抜け、広々とした田舎道に立っていた。道のどちら側にも畑があった。街はすっかり消え、その痕跡さえなかった。闇や霧も街とともに消えていた。そこは、地面に雪が積もった、澄んだ寒い冬の日だった。
「なんてことだ!」スクルージは辺りを見回し、手を握りしめながらいった。
「ここは、私が育った所だ。少年時代を過ごした場所だ」

幽霊はスクルージをやさしく見つめた。ほんの一瞬、軽く触れただけだったが、幽霊の柔らかな感触は、まだ、年老いたスクルージの中に残っていた。スクルージは、さまざまな香りが空中に漂っているのに気づいた。その一つひとつから、長い間忘れていた、思いやり、希望、喜び、気配りなど、さまざまな感情が甦ってきた。
「くちびるが震えている」幽霊はいった。「それに、その頬にあるのは何だね」

スクルージは、それまでとはっきり違う声で、にきびだとつぶやき、幽霊に、どこか連れて行ってくれと頼んだ。
「この道を憶えているか」幽霊は聞いた。
「憶えているとも」スクルージは熱く答えた。「目隠しをされていても歩けます」
「こんなに長い間忘れていたとは、不思議なことだ」幽霊はいった。
「さあ、行こう」

二人は、その道を歩いていった。スクルージはどの門にも、柱にも、樹木にも見覚えがあった。やがて、小さな市場町が遠くに見えた。橋や教会があり、曲がりくねった川が流れていた。毛むくじゃらの小馬が数頭、背に男の子を乗せて、こちらに向かってやって来る。その男の子たちは、農夫の操る二輪馬車や荷馬車に乗った男の子らに呼びかけている。どの少年も溌剌として、お互い大声をかけ合っていたので、広々とした野が、たのしい声でいっぱいになり、それを聞いたすがすがしい空気が、笑い出すほどだった。
「これらは過ぎ去った昔の影に過ぎないのだよ」幽霊はいった。「彼らには、我々が見えないのだ」

陽気な一行はやって来た。彼らが近づくと、スクルージは、その一人一人を知っていて、名前をあげた。彼らを見て、スクルージはどうしてあんなにも喜んだのだろう。彼らが通り過ぎた時、どうしてその冷たかった目が輝き、心が躍ったのだろう。彼らは十字路や脇道でメリークリスマスといいながら家路についたが、それを聞いていたスクルージは、どうして喜びで充たされたのだろう。メリークリスマスなど、スクルージにとって何になろう。メリークリスマスなど、くたばってしまえ。それが今までスクルージにどんな利益をもたらしたというのだ。
「みんなが学校から帰ったわけではないよ」幽霊はいった。「誰からも相手にされない子供が、まだ学校に残っている」
スクルージは、知っているといった。そしてすすり泣いた。

彼らは大通りを曲がり、よく知っている小道へと入った。すぐに色あせた赤れんがの屋敷が見えてきた。屋根には小さな風見鶏の載ったキューポラがあり、中には鐘がぶら下がっていた。建物は大きかったが、落ちぶれた屋敷の類だった。広々とした家事室は、ほとんど使われておらず、壁はじめじめしていて苔が生え、窓は壊れ、出入口は朽ちていた。ニワトリが、馬小屋の中でコッコッと鳴きながら、反りかえって歩いていた。馬車置き場と納屋は、草でおおわれていた。建物の中にも昔の名残はなかった。もの寂しい玄関から中に入り、開け放しのドアから見ると、多くの部屋には、家具らしい家具はなく、寒々としてだだっ広いだけだった。土の匂いがし、冷え冷えとした殺風景な場所だった。朝いくら早く起きても、十分な食べ物がない、そんな暮らし向きを感じさせた。

幽霊とスクルージは、玄関を通って、家の奥のドアの前にやってきた。目の前のドアが開くと、そこは奥行きのある、殺風景で、陰気な部屋だった。樅材の粗末な椅子と机が並んでいたため、いっそう殺風景に見えた。その机のひとつに坐って、男の子がひとりぽっち、本を読んでいた。そばにあった火は今にも消えそうだった。スクルージは椅子に腰掛け、忘れていた可哀想な自分を前にして泣いた。あの時のスクルージだった。

家の中にひそむこだま、壁の向こうでチューチュー鳴きながら動き回るネズミ、薄暗い裏庭で雨どいの水が解けてぽたぽた落ちる音、葉が落ち、しょんぼりしたポプラの枝のため息、だらしなくばたんばたんと揺れる空っぽの倉庫の扉、また、火のぱちぱちという音など、スクルージの心に迫り、スクルージの気持ちを和らげないものはなかった。涙がとめどなく流れた。

幽霊はスクルージの腕にそっと触れ、読書に没頭している幼い頃の彼を指さした。突然、外国の服を着た男が窓の外に現れた。驚くほどリアルではっきりと見えた。ベルトには斧をさし、まきを載せたロバの手綱を引いていた。

「おや、アリ・ババだ」スクルージは大喜びで叫んだ。「たのもしいアリ・ババ爺さんだ。そうだ、そうだ、覚えている。あるクリスマスの日、あのひとりぼっちの子供がここに取り残されていた時、はじめて、あんな風に現れたんだ。可哀想な子。それと、バレンタイン」スクルージはいった。「森の中で育ったその弟のオルソン。ほら、彼らが行くぞ。眠っている時にズボン下をはいた恰好でダマスカスの門のところに捨てられた、あの男の名前は何だったっけ。見えるだろ、あの男。それから、霊魔に逆さまにされたスルタンの家来。ほら、あいつが逆さまになっている。ざまあみろ。せいせいする。お姫さまと結婚する資格なんてあるものか」

スクルージが、そんなことに夢中になって、泣いたり笑ったりしながら、 異常な声を出し、興奮しているのをロンドンの商売仲間が見たり聞いたり したら、どんなにびっくりしたことだろう。

「ほら、オウムだ。スクルージは叫んだ。緑色の体に黄色の尻尾。レタスのようなものを頭のてっぺんに生やしている。オウムがそこにいる。可哀想なロビンソン・クルーソー、オウムはロビンソン・クルーソーが島を一周して元の場所に戻った時 、そういったんだ、“可哀想なロビンソン・クルーソー、どこに行ってきたんだい”って」。ロビンソン・クルーソーは夢を見ていると思ったけど、夢じゃなかったんだ。実はオウムだったんだ。ほら、フライデーだ。小さな入り江めがけて一生懸命駈けていく。おおい、しっかり、おおい」

それから、いつものスクルージの性格からは考えられないことだが、突然、心境が変化し、かつての自分を哀れに思った。
「あの男の子には、可哀想なことをした」スクルージはこういうと、再び泣いた。
「できることなら」スクルージは、袖口で涙を拭い、ポケットに手を突っ込んで、辺りを見回しながらつぶやいた。
「だけど、今となっては遅すぎる」
「どうしたんだね」幽霊は訊ねた。
「何でもない」スクルージはいった。「何でもないんだ。昨夜、私のところでクリスマス・キャロルを歌っていた男の子がいたが、何か恵んでやるべきだった。それだけだ」
幽霊は思いやりに充ちた笑みを浮かべ、手を振った。手を振りながらこういった。
「さあ、もう一つのクリスマスを見に行こう」

幽霊がそういうと、昔のスクルージが、大きくなった。部屋は少し薄暗く なり、いっそう汚くなった。漆喰のかけらが天井からはげ落ち、そのため 木舞がむき出しになっていた。だが、どうしてこんなことになったのだろ う。読者同様、スクルージにも分からなかった。彼が分かっていたことは、 この通りだったということだ。すべてこの通りで起きた。スクルージがい た。他の男の子たちがみんな、楽しい休暇を家で過ごすために帰った後も、 彼は同じようにひとりぼっちだった。

その男の子はもう本を読んでいなかった。うちひしがれて、あっちに歩いて行ったり、こっちに来たりしていた。
スクルージは、幽霊を見た。悲しげに頭を振り、心配そうにドアの方に視線を移した。
ドアが開き、男の子よりもずっと小さい女の子が駆け込んできた。その女の子は、男の子の首に腕を回し、私の「大好きな、大好きなお兄ちゃん」といいながら、何度もキスをした。

「私、お兄ちゃんを迎えにきたの」女の子は、小さな手を叩き、体をよじらせて笑いながら、そういった。
「お家に帰るのよ、お家よ、お家」
「家だって、ファン」男の子はいった。
「そうよ」女の子はいった。はちきれそうな喜びに包まれていた。
「お家に、いつまでも、ずっといるのよ。いつまでもよ。お父さんは前よりもずっとやさしくなったわ。だから、お家は天国のようよ。ある夜なんか、ベッドへ行こうとしたら、私にとてもやさしく話しかけてくれたのよ。だから、お兄ちゃんが家に帰っていいか、もう一度お願いするのが恐くなくなったの。お父さんはいったわ、いいって、家に帰るべきだって。お父さんは、お兄ちゃんを迎えに行くために、私を馬車に乗せてくれたのよ。お兄ちゃんは、大人なんだからって」
少女は、目を見開きながらいった。
「ここへは、もう二度と戻ってこないのよ。でも、それより、クリスマスをずっといっしょに過ごせるのよ。どこよりも楽しいクリスマスを過ごすのよ」
「ファン、すっかり大人の女性になったんだね」
男の子は驚いたようにいった。

女の子は手を叩いて笑った。男の子の頭を撫でようとしたが、背が低すぎ て届かず、また笑った。女の子は、つま先で立って男の子を抱きしめ、そ れから、一途な子供心で男の子をドアの所まで引っ張って行った。男の子 は、大喜びで女の子に付いて行った。

玄関では、ものすごい声がした。
「スクルージ君の鞄をここへ持ってきなさい」
校長先生みずからが玄関に現れた。校長先生は、この上なく恩着せがましそうに、スクルージ少年を睨んだ。その握手に、彼は怯えた。 校長先生は、スクルージとその妹を、古井戸に似た、身震いするような最上の客間に連れていった。壁にかかった地図も、窓際に置かれた地球儀や天球儀も、寒さでロウのようになっていた。校長先生は、妙に水っぽいワインのデカンターと、妙に胃にもたれる大きなケーキを取り出し、二人に分け与えた。同時に、貧相な召使いに、駅馬車の御者にグラス一杯のワインを持って行かせたが、御者は、ありがたいが、以前と同じものならいらないといった。
スクルージ少年のトランクは、この時には馬車の屋根にくくりつけられていたので、二人は大喜びで校長先生に別れを告げ、馬車に乗り込み、庭をさっと通り過ぎていった。くるくる回る車輪は、黒っぽくなった常緑樹の葉を踏みつけ、しぶきのように、霜や雪をはね上げていた。

「あの娘は、そよ風にも堪えられないような、弱い体だったが」幽霊はいった。「気立てはやさしかった」
「その通りです」スクルージは叫んだ。
「その通りでした。反論できるわけがない、絶対にできない」
「彼女は、成人してから死んだんだね」幽霊はいった。
「子供がいたと思うが」
「ひとりいます」スクルージは答えた。
「そうだ」幽霊はいった。「お前の甥だ」
スクルージは落ちつかない様子で、短く答えた。
「そうです」

幽霊とスクルージは、ついさっき学校を後にしたばかりだったが、今は賑 やかな、街の大通りにいた。影のような通行人が、行ったり来たりしてい たし、影のような荷馬車や馬車が先を争っていた。実際の街に起きる、あ らゆる騒動や喧噪があった。商店の飾り付けからみて、ここもクリスマス ・シーズンということが、一目瞭然だった。ただ、夕方で、通りには街灯 が灯っていた。

幽霊はある商店の店先で立ち止まり、スクルージにこの店を知っている か聞いた。
「知っています」スクルージは応えた。「この店で見習いをしていまし たから」
二人は中に入った。スクルージは、ウェールズ・カツラをつけた老紳士 を見ると、びっくりして叫んだ。その老紳士は、もう5センチ背が高かっ たら、間違いなく頭が天井につかえるような高い机についていた。
「え!フェズウィッグさんだ。どうなってるんだ。生き返っている」

老フェズウィッグは、ペンを置き、柱時計を見上げた。7時を指していた。彼は手をすりあわせ、だぶだぶのチョッキを直し、靴の先から頭のてっぺんまで、全身で笑った。それから、心地よい、なめらかな、豊かで、喜びにあふれた声で呼んだ。
「ヤッホー、さあさあ、エベニーザ!ディック!」
かつてのスクルージは、その時には若者へと成長していて、見習い仲間を連れて、元気よく入ってきた。

「ディック・ウィルキンスだ。間違いない」スクルージは幽霊にいった。
「何ということだ、ディックがいる。彼は本当に私のことを慕ってくれたんだ。ディック、ああ、可哀想なディック」
「ヤッホー、おまえたち」フェズウィッグはいった。「今夜は仕事はなしだ。クリスマスだよ、ディック。クリスマスだ、エベニーザ。戸締まりをしようじゃないか」手をパンと叩きながら、老フェズウィッグはいった。「さっと、やっちまおう」
この二人の若者が、どれくらいすばやく取りかかったか、信じられないほどだった。一、二、三でよろい戸を持って勢いよく通りに出ると、四、五、六で戸をはめ、七、八、九でそれらに閂をさして固定し、競走馬のように息せき切って、十二を数えないうちに戻ってきた。

「よーし」老フェズウィッグは、驚くほど機敏に高い机から飛び降り、叫 んだ。
「おまえたち、片付けるんだ。ここに、広い場所をつくろう。いい か、ディック。さあさあ、エベニーザ」
 片付けること。フェズウィックさんが見ているところでは、彼らが片付 けようとしないものはなく、彼らに片付けられないものはなかった。作業 はすぐに終わった。動かせるものは、この世から永遠に捨て去られたかの ように、すべて片付けられた。床を掃いて水を撒き、ランプの芯を切り、 石炭を暖炉に山のようにくべた。店の中は温かく、心地よい、からりとし た、明るい社交ダンス場になった。冬の夜には申し分のない部屋だった。

楽譜を持ったバイオリン弾きが入ってきて、高い机に上り、そこを舞台に、五十人の胃痛病みがうめくような音を出して音合わせをした。フェズウィッグ夫人は、満面に笑みを浮かべてやって来た。陽気で可愛いフェズウィッグさんの3人の娘さんもやって来た。その娘さんたちに失恋した、6人の若者も続いてやって来た。それから、この店に雇われている若い男女が、全員やって来た。フェズウィッグさん宅のお手伝いさんは、パン屋をしているいとこを連れてやって来た。フェズウィッグさん宅の料理人は、牛乳屋をしている、彼女の弟の親友といっしょに入って来た。通りの向かいの少年もやって来た。彼の主人は、十分な食べ物を与えていないという噂だ。少年は、ひとつおいた隣に住んでいる少女の後ろに隠れようとしていた。少女は、その女主人から耳を引っ張られたことがあるということだ。次から次へと人がやって来た。恥ずかしそうに入ってくる人、堂々と入ってくる人、しとやかに入ってくる人、おどおどと入ってくる人、押す人、引っ張る人など、とにかくそんな風にして、みんながやって来た。

さっそく20組になって、みんなは踊り始めた。部屋を半分回り、向こう側 を通って元に戻ったり、まん中まで行って、戻ったりした。愛情に充ちた さまざまな間柄の人たちが、くるくる回り踊っていた。最初に先頭に立っ た組は、いつも間違った場所に移動し、次ぎの組がそこにくると、新たな 先頭になった。しまいには、すべての組が先頭になり、先頭に続く後ろの 組はなくなった。踊りがこんな具合になった時、フェズウィッグさんは、 手を叩いてやめさせ、「上出来、上出来」と叫んだ。バイオリン弾きは、 自分のために特別に用意された、黒ビールのかめの中に、火照った顔を突 っ込んだ。だが、顔を上げると、休んでいられるかとばかりに、誰も踊っ ていないのに、すぐさま弾き始めた。まるで、それまで弾いていたバイオ リン弾きが、くたくたになって戸板で運び出され、新前の自分が、相手を 打ち負かすほどの腕を見せなければ、破滅だといわんばかりだった。

踊りはさらに続いた。罰金ゲームをやって、また踊った。ケーキ、ニーガ ス酒、大きなコールド・ロースト肉、冷ました煮物、ミンスパイ、たっぷ りあるビール。だが、この夜の圧巻は、ロースト肉や煮物を食べた後の、 バイオリン弾き(巧みなやつで、いわれなくても、ちゃんと自分の仕事を 心得ていた)が、「サー・ロージャー・ド・カバリー」を弾き始めた時だ った。フェズウィッグさんは、立ち上がり、奥さんと踊り始めた。二人も 先頭をつとめたが、自分たちのために用意された、かなり難しい曲に合わ せて踊った。二十三、四組みが後に続いた。あなどれない人たちだった。 踊ることに目がなく、歩こうなど全く考えない人たちだった。

だが、踊っている人たちがその2倍、いや、4倍いようとも、フェズウィッグさんはひるまなかっただろう。奥さんにしてもだ。奥さんは、どんな意味からいっても、フェズウィッグさんにひけはとらなかった。これが十分な褒め言葉になっていないというなら、適切な言葉を教えてもらいた。私はそれを使おう。フェズウィッグさんのふくらはぎは、まばゆい光を発しているようだった。ふくらはぎは、フェズウィッグさんが踊るたびに、月のように輝いた。ある時には、次ぎはどうなるのか、予想もつかなかった。二人が、踊りをひと通り終えた時、前に進み、後ろにさがり、両手を取り合い、おじぎをし合い、螺旋状に回り、つないだ手の下をくぐり抜け、元の場所に戻った時、フェズウィッグさんは、空中で両脚をすばやく動かす「カット」をやって見せた。まことに見事なカットで、脚でウィンクしたように見えた。そして、両脚で着地した時には、よろめきもしなかった。

時計が11時を打つと、この家庭舞踏会は終わりとなった。フェズウィッグ 夫妻は、戸口の両側にそれぞれ立って、帰って行くひとり一人と握手をし、 メリークリスマスといった。二人の年季奉公人を残して、みんなが帰る と、フェズウィッグ夫妻は、二人にも同じように握手をして、メリー・ク リスマスといった。こうして人々の陽気な声は消え、店の奥にあるカウン ターの下のベッドには、二人の若者が残った。

この間ずっと、スクルージは、正気を失った人間のようにふるまっていた。彼の心も魂も、その光景にとけ込み、かつての自分と同化していた。彼はすべてがありのままだと思い、すべてを思い出し、この上なく興奮した。かつての自分とディックの晴々とした顔が消えると、スクルージはやっと幽霊のことを思い出し、自分をじっと見ているのに気づいた。幽霊の頭の上には、光が明るく輝いていた。

「たいしたことじゃない」幽霊はいった。「このようなおめでたい人間を心からありがたがらせるのは」
「たいしたことじゃない」スクルージは相槌を打った。
幽霊は、フェズウィッグを心から褒めたたえている二人の年季奉公人の話を聞くように促した。スクルージがそうすると、幽霊はいった。
「そら、違うか。彼はほんの数ポンドのお金を使っただけだ。たぶん、三ポンドか四ポンドだろう。こんなに褒められるほどの金額かね」
「そうじゃないんです」それを聞いて、スクルージは、興奮していった。知らず知らず、今の自分ではなく、かつての自分になって話していた。
「そうじゃないんですよ。フェズウィッグさんは、私たちを喜ばすこともできるし、悲しませることもできる力を持った人なんです。私たちの仕事を軽くすることもできるし、重くすることもできる。楽にすることもできるし、つらいものにすることもできる。その力が、言葉や態度だけだとしても、あまりにもちっぽけで些細なことなので、いちいち数えることができないとしても、それがどうしたというんです。あの人がもたらしてくれた幸福は、一財産を使ったほど大きなものなんです」

スクルージは、幽霊の視線を感じて、話すのを止めた。
「どうしたんだ?」幽霊は訊ねた。
「別になんでもありません」スクルージはいった。
「何かあるんだろ」幽霊はいった。
「いえ」スクルージは応えた。
「ただ、私のところの事務員に、今、ひとこと、ふたこと何かいえたらと思ったんです。それだけです」
スクルージがそういうと、かつての自分がランプの火を小さくした。スクルージと幽霊は、再び外に並んで立っていた。

「わたしの時間は残り少ない」幽霊はいった。「急ぐのだ」
幽霊はスクルージにいったのでもなければ、その場にいる誰かに向かっていったのでもなかった。だが、その効果はすぐに表れた。というのは、スクルージには、再び自分の姿が見えたのだ。今度は以前よりも歳をとった、青年時代の自分だった。顔の輪郭には、後年見られた、とげとげしい厳しさはなかったが、不安で、貪欲な兆しが芽生えていた。目は、何かを貪欲に得ようと、落ち着きなく動いていた。そこには、すでに根付いた情熱が見て取れた。また、そこが成長する樹木の影の行き着く場所だった。

スクルージはひとりではなかった。傍らには喪服を着た、若く美しい女性 が坐っていた。彼女の目は涙に濡れ、クリスマスの過去の幽霊の放つ光で きらきら輝いていた。
「何でもないことです」彼女は、穏やかにいった。
「あなたにとっては、取るに足りないことです。他に大切な人ができ、私 の代わりをしているんですもの。これから、その人が、私と同じように、 あなたを元気づけたり、慰めたりしてくれるのなら、悲しむことなんかな いんです」
「お前の代わりの大切な人とは、誰のことだ」スクルージは問い返した。
「金ぴかの人です」

「これが世間の公平なやり方か」スクルージはいった。
「貧乏ほど世間が辛くあたるものはないくせに、富を求めると、これほど の厳しい非難はないときてる」
「あなたは世間を恐れすぎています」彼女は優しくいった。
「あなたが持っていたあらゆる望みは、侮辱されないことだけになってし まいました。私はあなたの気高い情熱が、ひとつひとつ消えていくのを目 の当たりにしました。あなたは、お金を儲けること、この情熱の虜になっ ています。違います?」
「それがどうした」スクルージはいい返した。「私がそれほどの利口者に なったとして、どうだというんだ。お前に対しては変わっていないんだ」 彼女は頭を振った。
「変わったというのか?」

「私たちの約束はずいぶん前のことです。貧しかったけど、それに満足し、 がまんして一生懸命働いていれば、いつかは、世間並みの生活が送れると 思っていた頃のことです。あなたは変わりました。約束をした頃のあなた は、今とは別人でした」
「子供だったんだ」スクルージは、じれったそうにいった。
「ご自分でも、変わったとお気づきでしょう」彼女はいい返した。「私は 変わっていません。二人の気持ちがひとつだった頃、幸福を約束してくれ たものが、気持ちが離ればなれになってしまった今は、不幸をはらんでし まいました。私がこのことを何度考えたか、どれほど真剣に考えたか、申 し上げるつもりはありません。私はこのことを考え、あなたを束縛するの をやめようと思った、それだけを申し上げます」
「私が今まで束縛されたくないといったことがあるか」
「言葉ではありません。一度もありません」
「じゃ、どうして?」

「あなたは、性格が変わり、気質が変わり、雰囲気が変わり、人生の大きな目標に、今までとは違うことを望むようになりました。あなたに、私の愛を価値あるものだと思わせたあらゆるもの、もし、これが二人の間にはなかったのだとしたら」
少女は、穏やかだが、しっかりとスクルージを見ながらいった。
「ねえ、あなたは私のことを理解しようとしているの、私を失いたくないと、今、思ってるの。いいえ、思ってないわ」
スクルージは、思わず彼女のいったことに同意しそうになった。だが、その気持ちを抑え、彼はいった。
「あなたは考え違いをしている」

「できれば、間違っていると思いたい」彼女は答えた。「でも、神さまはご存じです。これが真実だと分かった時には、どうにもならないと思いました。あなたが、今日も、明日も、昨日も自由の身であって、持参金なしの娘を選ぶとは、私でさえ思えません。あなたは、この女性ならと自信を持つにしても、すべて得かどうかで判断するのです。女性を選ぶ時、ほんのちょっとの間、ご自分の主義に背いたとしても、間違いなくすぐに後悔し、悲嘆にくれるのです。私が分からないとお思いですか。私には分かっています。もう、束縛はしません。かつてあなたを愛したのですから、心を込めてそうします」

「スクルージが何かいおうとすると、彼女は顔をそむけ、再び話し始めた。
「あなたも辛いかもしれません。これまで過ごした日々を思えば、あなたも少しは辛いのだと思いたくなります。でも、ほんの少し経てば、そんなことがあったなど、思い出しもしなくなるでしょうし、その方がいいとお思いになるでしょう。儲けにならない夢なのですから、目が覚めてよかったとお思いになるんです。あなたが選んだ人生が、どうか、幸福なものでありますように」
彼女はスクルージから去っていき、二人は別れた。

「幽霊さま」スクルージはいった。「もう何も見せないでくれ。家に連れて帰ってくれ。私を苦しめて楽しんでるのは、なぜなんだ」
「まぼろしは、もうひとつあるのだ」幽霊は声高にいった。
「もうたくさんだ」スクルージは叫んだ。「もうたくさんだ、見たくない。もう見せないでくれ」
だが、幽霊は容赦しなかった。スクルージを両腕で羽交い締めにすると、次ぎに起きることを無理矢理見せた。

二人は、それまでの場面とは違う、別な場所にいた。大して広くもなければ、立派でもない部屋だったが、くつろぐにはうってつけだった。冬の暖炉の近くには、美しい少女が坐っていた。前の場面で見た少女ととてもよく似ていたので、スクルージは、今や美しい奥さんとなって、娘であるその少女と向かい合わせに坐っている彼女を見るまで、同一人物だと思っていた。部屋の中は、これ以上ないほど騒がしかった。というのは、そこには動揺したスクルージには数え切れないほどの子供がいたのだ。詩の中の有名な牛の群とは違い、40人の子供がひとりのように振る舞うことはなかったが、それぞれの子供が、40人分の振る舞いをしていた。そのため、信じがたいほど騒々しかった。だが、誰も気にしていなかった。それどころか、その母親と娘は、心から笑い、楽しんでいた。娘はそれからすぐに遊びに加わり、情け容赦なく若い山賊に身ぐるみ剥がされてしまった。

仲間に入れるんだったら、どんなものでも差し出すのだが。だけど、あんなに乱暴なことはできない。いやいや、できない。全世界の富をもらっても、あの編んだ髪をくしゃくしゃにしてほどいてしまうようなことはできない。それに、あの大切な小さな靴、あれを引っ張り取ることなど、できるわけがない。何ということだ!勘弁してくれ。あのひよっこどもがやってるように、あんな風に、ふざけて彼女の腰回りを測ることは、私には無理だ。罰として、腕が腰の回りで曲がったまま、二度とのばせなくなる覚悟がいる。でも、正直にいうと、唇に触れてみたいと心底思った。何か質問をして、唇を開かせてみたかった。顔を赤らめさせないで、うつむいた目のまつげを見てみたかった。髪の毛をほどいて、波打たせてみたかった。あの寸分の髪も、価値のつけられないほどの記念品だ。つまり、白状するが、子供が持つほんの少しの気ままさを持ち、これがどれくらい価値があるかを知っている人間だったらと思ったのだ。

だが、ドアをノックする音が聞こえると、興奮して大騒ぎしている子供たちの真ん中にいた、服を剥がされた、笑い顔の彼女は、すぐさま、ドアの方へ突進するように運ばれた。帰ってきた父親への挨拶を遅らすまいとしたからだが、父親は、クリスマスのおもちゃやプレゼント抱えた男といっしょにいた。すると、喚声があがり、先を争うように、無防備な運び人に襲いかかった。椅子を梯子代わりにして、その人の身体に登り、ポケットに手を突っ込んだり、茶色の紙包み奪ったり、うれしさのあまり、ネクタイにしがみついたり、首に抱きついたり、背中を叩いたり、脚を蹴ったりした。

包みをひとつひとつ開けるたびに、驚きや、喜びの喚声が上がった。赤ん坊がお人形さんのフライパンを口に入れようとし、やめさせたけど、木製の大皿にくっついていたおもちゃの七面鳥を呑み込んだかもしれないと、びっくりさせるような声が上がった。だが、間違いだと分かると、すぐに安心した。誰もが、喜び、感謝をし、有頂天になった。それは言葉には表せないほどだ。興奮した子供たちは客間から次第に出て行き、階段を一段ずつ上って最上階にたどり着くと、ベッドに入り、そうして静かになった。そう言うだけで十分だろう。

スクルージは、それまで以上に目を凝らして見た。この家の主は、娘がやさしくもたれかかるままに、娘と母といっしょに、暖炉のそばの自分の場所に坐った。スクルージは、しとやかで、将来が楽しみなあのような娘が自分を父と呼び、人生の晩年である冬を、春にしてくれたらと思うと、目の前が、実際、ぼんやりとかすんできた。
「ベル」夫は、妻の方を笑顔で振り向きながらいった。
「今日の午後、お前の昔の友人を見かけたよ」
「誰ですの」
「あててごらん」
「そんなの、分かりません。あら、分かったわ」彼女は、夫と同じように笑顔で、すぐさまいった。
「スクルージさんね」

「そう、スクルージさんだ。彼の事務所の窓のそばを通ったら、閉まってなくて、中にはろうそくが灯っていたから、スクルージさんが見えたんだ。彼の共同経営者は、もう先が長くないということだよ。事務所には、あの人ひとりが坐っていた。まったくのひとりぼっちじゃないのかな」
「幽霊さま」スクルージはいった。その声は打ちひしがれていた。「この場所から連れ出して下さい」
「いったはずだ。これらは昔起きたことの影だと」幽霊はいった。「見ているものは、ありのままの現実なのだから、わたしを責めないでくれ」
「連れ出してくれ」スクルージは叫んだ。「耐えられないんだ」

スクルージは、幽霊の方を向いた。自分を見ているその顔には、奇妙にも、それまで見せられた人々の顔の断片が、映し出されていた。それを見て、スクルージは、幽霊に食い下がった。
「どこかへ行ってくれ。私をもとの場所に戻してくれ。もう、取り憑かないでくれ」
 揉み合っている時、目に見える抵抗を何もしない、相手が何をしようと、まったく動じない幽霊とのことが揉み合いといえるのならだが、スクルージは、幽霊の放つ光が、高く、煌々と燃えているのに気がついた。その光が何らかの影響を及ぼしているいるのだとおぼろげに感じ、スクルージは、明かり消しの帽子をつかみ、いきなり幽霊の頭にしっかりとかぶせた。

幽霊が帽子の下に沈んだため、明かり消しの帽子は、幽霊をすっぽり包んでしまった。だが、スクルージが力のかぎり抑えても、光を隠すことはできなかった。光は、帽子の下から地面の上を、止めようのない洪水のように溢れ出ていた。
スクルージは、相当な疲れを感じていた。耐え難いほどの眠気が襲っているのも分かっていたし、自分の寝室にいることにも気づいていた。彼は帽子をもう一度押しつぶした。すると、手から力が抜けた。それからふらふらとベッドに入り、すぐさま深い眠りに落ちた。

<第二章終了>




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〜時を告げる教会の鐘〜

Big Ben(イギリス国会議事堂の大時鐘のある塔)を例にとると、教会の鐘は次のように時を告げる。

At quarter past any hour you hear(15分):
Mi Doh Re Soh.

At half past any hour you hear(30分):
Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh.

At three-quarters past any hour you hear(45分):
Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh, Mi Doh Re Soh.

Then at (say) five o'clock you hear(例として5時丁度):
Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh, Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh,
DOH, DOH, DOH, DOH, DOH.

スクルージは、15分刻みで鳴る Mi Doh Re Soh を4回聞いた後、DOH を 12回聞いて12時だと判断したのでしょう。



当時アメリカ合衆国の債券は信用がなかった。




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