クリスマス・キャロル  チャールズ・ディケンズ作


第一章 マーレイの幽霊

 マーレイはこの世にはいない。まずはこのことをはっきりさせておきたい。これについては少しの疑いもない。彼の埋葬登録簿には、牧師も、書記も、葬儀屋も、喪主も署名している。スクルージも署名した。スクルージの名前は、彼が署名すると、どんな書類でも、取引所では有効だった。老マーレイは、ドアの釘のように完全に死んでいるのだ。

 いいですか、ドアの釘が、とりわけ死んでいることとどう関係するのか、知識を持ち出して、知っていると言っているのではありません。私としては、売りに出ている金物では、棺桶の釘の方が死に最も近いと言いたいところです。だが、この比喩には祖先の知恵がつまっているのです。私ごときが変えてはいけない。そんなことをすれば、この国は乱れてしまう。そういうわけだから、マーレイはドアの釘ように完全に死んだのだと、私が繰り返し強調するのを許していただきたい。

 スクルージはマーレイが死んだことを知っていたのだろうか? もちろん知っていた。どうして知らずにいられよう。 スクルージとマーレイは、何年になるか思い出せないくらい長い間、仕事仲間だったのだ。スクルージは、マーレイのただひとりの遺言執行人であり、遺産管理人であり、財産譲受人であり、相続人であり、友人であり、ただひとりの会葬者だったのだ。そのスクルージでさえ、この悲しい出来事にあまり気を落としていなかった。それどころか、葬式の当日にビジネスに辣腕をふるい、確実な取引でこの日を祝ったのだ。

 マーレイの葬儀のことを話したので、この物語の出だしに戻ろう。マーレイが死んだことについては、何の疑いもない。このことは、はっきりと了解してもらわなければならない。でなければ、これから語ろうとする物語が、何の変哲のないものになってしまう。もし我々が劇の始まる前に、ハムレットの父親は死んだのだときちんと認識していなければ、父親が東風に吹かれて、自分の城の城壁を夜な夜な散歩していたことが、そこらの中年の紳士が、臆病者の息子を驚かすために、暗くなってからそよ風の吹く場所、例えばセント・ポール寺院の中とかに、ふらりと現れるのとそう大して変わらなくなってしまう。

 スクルージは老マーレイの名前を消そうとしなかった。その名前はその後何年も商店の入り口に、スクルージ・マーレイとして残っていた。この会社はスクルージ・マーレイ商店として通っていた。仕事で初めてここに来る人は、時にはスクルージをスクルージと呼んだり、時にはマーレイと呼んだりしていたが、スクルージはどちらで呼ばれても返事をしていた。彼にとっては、どっちでもよかったのだ。

 彼は石うすでも自分のものにしようとするほどの守銭奴だった。それがスクルージだった! 搾り取る、ねじり取る、つかんで離さない、かき集める、ふんだくる、強欲で、罰当たりな爺さんだった。火打ち石のように堅くて鋭いが、どんな鋼鉄をもってしても火といえるようなものが熾せない火打ち石だ。秘密が多く、誰ともつき合おうとせず、カキのように孤独なのだ。彼の心の冷たさは、老いぼれた顔つきを硬化させ、尖ったを鼻はしぼませ、頬を皺だらけにさせ、足どりをぎこちないものにさせ、目を血走らせ、薄い唇を蒼ざめさせた。そして、耳障りな声で、抜け目なく大声を出した。凍った白霜が、頭の上にも、まゆ毛にも、針金のような顎にもかかっていた。彼は行く先々にこの冷たさをもたらした。真夏でも彼の事務所は冷え切っていた。そしてクリスマスになっても、温度は1度も上がらなかった。

 暑かろうが寒かろうが、スクルージには何の影響も与えなかった。どんな温かい気候も彼を温めることはできず、どんな寒い冬も彼を凍えさせることはできなかった。どんなに吹きすさぶ風でも彼ほどに厳しくはなく、どんなに降りしきる雪でも、彼ほど一心に目的を達していることはなく、どんなに激しく降る雨でも、彼ほどに無慈悲ということはなかった。悪天候も彼にはかなわなかった。ただ、激しい雨、雪、あられ、みぞれが、一つの点で彼よりも優位に立っていた。雨や、雪や、あられや、みぞれは、たいてい気前良く「降りそそぐ」のだが、スクルージには決してそんなことはなかった。

 今まで通りで彼を呼び止め、嬉しそうに「スクルージさん、こんにちは? 今度はいつ遊びに来てくれるのですか?」などという人はいなかった。彼に恵んでもらおうとした乞食は一人もいないし、今何時ですかと彼に時間を尋ねた子供もいないし、男性にしろ女性にしろ、スクルージの生涯であれこれ道を尋ねた者はいない。盲導犬でさえ、彼という人間を知ってるらしく、スクルージがやってくるのを見ると、飼い主を戸口や路地へ引っ張って行った。そして、「邪悪な目を持つくらいなら、最初から目がない方がましですね、盲目のご主人さま」とでもいうように、しっぽを振るのであった。

 だが、スクルージがどうしてそんなことを気にかけよう。彼にはそれこそ願ってもないことだったのだ。人情などは一切拒否し、混雑している中、人をかきわけて進むのが、スクルージには、つまり「痛快」なのだ。

 とある日、一年の中で特別の日、クリスマスイブのことだが、老スクルージは、会計室で机について忙しく働いていた。寒く、わびしい、身を切るような日だった。おまけに霧も深かった。路地では人々がぜいぜいと息を切らして、胸を叩いたり、敷石に足を踏みつけたりして、身体を温めながら行き来している様子が、スクルージには聞こえていたことだろう。シティーの時計が 3 時を告げたのはつい先ほどだったのに、もうすっかり暗くなっていた。もっとも、それまでも明るくはなかったのだが。辺りの事務所の窓にはロウソクの明かりが揺れていたが、それらは手で触れそうな薄暗い帳についた、赤いシミのように見えた。霧はどんなすき間からも、鍵穴からも流れ込んできた。路地はこのうえないほど狭いのだが、向かいの家々が幻のようにしか見えないほど、外の霧はとても深かった。雲がどんよりと垂れ下がり、あらゆるものの輪郭があいまいになっているのを見ると、「大自然」が身近に存在し、大暴風雨が今にもやって来そうな気がしてくるのだった。

 スクルージの部屋になっている会計事務室は、開け放しになっていた。スクルージはドア越しに、水槽のような陰気な小部屋で手紙を書いている事務員を、いつも監視していた。スクルージの暖房用の火はとても小さかったのだが、事務員の火はそれよりも小さく、ひとかけらの石炭ぐらいにしか見えなかった。石炭をつぎ足そうにも、事務員にはできなかった。石炭箱がスクルージの部屋にあったからだ。事務員がシャベルを持って入って行こうものなら、お互い一緒にはやっていけそうもないなと、スクルージは間違いなく言っただろう。そのため、事務員は白い毛糸の襟巻を首に巻き付け、ロウソクの明かりで温まろうとするのだが、そんな努力をしてみても、もともと想像力には恵まれている方ではないので、大して役に立たなかった。

「伯父さん!メリークリスマス! 伯父さんに、神さまのご加護がありますように!」快活な声がした。スクルージの甥の声だった。突然やってきたので、声がするまでスクルージは、甥が来たことに気づかなかった。

「ふん! ばかばかしい、たわごとか」スクルージは言った。

 スクルージのこの甥は、霧と霜の中を一生懸命に駆けてきたので、全身をほてらせていた。顔は赤らみ、美しく見えた。彼は目を輝かせながら、白い息をはあはあと吐いていた。

「クリスマスがたわごとだなんて、おじさん! 本気で言ったんじゃないってことは分かっているんだ」スクルージの甥は言った。

「本気だとも」スクルージは言った。

「メリークリスマスだって!? 何の権利があってお前がクリスマスを祝うんだ? どんな理由からだ? ひどく貧乏なくせに」

「さあさあ」甥は楽しそうに言い返した。

「伯父さんは何の権利があって不機嫌になっているんですか? どんな理由からですか? ひどく金持ちなのに」

 スクルージはとっさにうまい返事を思いつかなかったので、「ばかばかしい」と繰り返し、「たわごとだ」とつけ加えた。

「伯父さん、そうつんけんしないで」甥は言った。

「そうならないでいられるか」伯父はやり返した。

「こんなバカばっかりの世の中で、メリークリスマスか。クリスマスがめでたいなんて、やめてくれ。お前にとって、クリスマスとは何なんだ。お金がないのに支払いの勘定書がくる時だろ。歳はひとつとっても、1 時間でもお金がふえるわけじゃない。帳尻を合わせようとして、1 年のどこをどうやりくりしても、損ばかりというのが分かる時じゃないか。もし思い通りになるんだったら」スクルージは苛立たしげに言った。

「メリークリスマスなどといって浮かれているアホどもを、1人残らずそいつらの家でこしらえているプリンの中で煮込んで、心臓にひいらぎの枝を突き刺して埋めてやるんだがな。絶対にそうしてやる」

「伯父さん!」甥は口をはさんだ。

「いいか、お前」スクルージはつっけんどんに言い返した。

「お前はお前の流儀でクリスマスを祝えばいい。オレはオレの流儀を変える気はない」

「流儀を変える気はないですって!」スクルージの甥は問い返した。

「でも、それはいけません」

「それじゃな。オレにかまうのはやめてくれ」スクルージは言った。

「お前にゃクリスマスは役に立つことだろうよ。今までだってそうだったんだから」

「言わせてもらいますが、お金儲けにはならなくても、役に立つことはたくさんありますよ」甥は言い返した。

「クリスマスがそのひとつです。クリスマスがやってくると、その名前といわれのありがたさは別として、でも、クリスマスにまつわるものを別にして考えられるかどうか分かりませんが、クリスマスはすばらしい時だといつも必ず思っています。親切な気持ちで、人を赦してやりたくなり、善意が充ちてくる、心楽しい時期です。男性も女性もみんなが閉じた心を開いて、階級の低い人でも、いっしょに墓場へ行く仲間だと思って、行き先の違う別人種だとは思わないでいられるのは、長く続く 1 年の日々の中でも、クリスマスの時だけだと思いますよ。伯父さん、クリスマスで銀貨や金貨の1枚だって儲けたことはありませんが、私にはありがたかったし、これからもそうあり続けてくれると思っています。ですから、ぼくは神さまがクリスマスを祝福してくださいますようにと言うのです」

 独房のような部屋にいた事務員は、思わず拍手をしたが、すぐにしまったと思い、火をかきたてたため、弱々しい火を消してしまった。

「もう一度そんな音をさせてみろ、職を失ってクリスマスを味わうことになるぞ」とスクルージは言い、甥の方を振り向いた。

「ごりっぱな演説をなさいますことで。なぜ政治家にならないのか不思議でしょうがないよ」

「伯父さん、怒らないで下さい。お願いですから、明日は食事に来て下さい」

 スクルージは、行くことにしようと言った。そう、実際、その通りに言ったのだ。そう言ってから、まずは臨終の時にそうしよう、と言った。

「でも、どうしてなんです?」スクルージの甥は、強い調子で訊ねた。

「お前は、どうして結婚したんだ?」スクルージは言った。

「愛していたからですよ」

「愛していたからだって!」スクルージはびっくりした。クリスマスがめでたいという以上にばかばかしいことは、これ以外にないとでも言うようだった。

「もう、帰ってくれ」

「でも、伯父さん、ぼくが結婚する前だって、来てくれたことはないでしょう。どうして、今更、それを来られない理由にするんですか?」

「帰ってくれ」スクルージは言った。

「伯父さんに何かしてくれなんて思っていません。お願いするつもりもありません。なのに、どうして親しくつき合えないのですか?」

「帰ってくれ」スクルージは言った。

「どうして、そんなに意固地なのか、本当に悲しくなりますよ。私と喧嘩をしたわけじゃないでしょう。でも、ぼくは最後までクリスマスの気分はなくさないようにするつもりです。だから、伯父さん、メリークリスマス!」

「帰ってくれ」とスクルージ。

「それから新年おめでとう!」

「帰ってくれ」スクルージは言った。

 それでも、甥は腹を立てるでもなく、部屋を出て行った。出口のドアのところで足を止め、事務員にクリスマスの挨拶をした。寒さに凍えていたが、心はスクルージよりは温かだった。なぜなら、事務員は心から挨拶を返してくれたからだ。

「アホがもう1人いるのか」事務員が挨拶するのを聞いて、スクルージはつぶやいた。

「週給15シリングで女房子供を養っている、オレの事務員が、クリスマスに浮かれている。精神病院へでも引きこもりたくなるよ」

 スクルージがアホと決めつけたこの事務員は、スクルージの甥を送り出すと、二人の客を迎えた。二人とも見た目の良い、堂々とした紳士で、スクルージの部屋では帽子を脱いだ。彼らは手に帳簿や書類を持ったまま、スクルージにおじぎをした。

「こちらはスクルージ・マーレイ商会でございますよね?」手に持ったリストと照らし合わせながら、ひとりがそう言った。

「失礼ですが、スクルージさんでしょうか、マーレイさんでしょうか?」

「マーレイが死んでから7 年になります」スクルージは答えた。

「彼はちょうど7 年前の今夜、死にました」

「マーレイさんの物惜しみのないご親切なお気持ちは、あとにお残りのあなたにも十分引き継がれていると私どもは考えております」その紳士は、寄付金募集委任状を差し出しながら言った。

 確かにその通りだった。スクルージもマーレイも、考え方は全く同じだった。「物惜しみのない親切心」というおぞましい言葉に、スクルージは顔をしかめ、頭を振って委任状を返した。

「一年の中でめでたいこの時期にですね、スクルージさん」ペンを取りながらその紳士は言った。

「貧しい人たちや、困っている人たちに、ほんの少しでも何か手助けをすることは、いつにもまして望ましいことだと思っています。現在のところ、何千もの人が日用品にも事欠いていますし、何十万もの人が、ごく普通の楽しみさえもてないでいるんです」

「監獄はないのですか?」スクルージは訊ねた。

「たくさんあります」ペンを再び置きながら、その紳士は答えた。

「それから、救貧院は…」スクルージは強い調子で訊いた。

「まだ運営されていますか?」

「今でも運営されています」その紳士は答えた。

「もう運営していませんと申し上げたいところなのですが」

「それでは、労役場も、救貧法も、立派に活用されているわけですね?」スクルージは言った。

「どちらもさかんに活用されています」

「おお!あなたの最初のお話では、あんなに役に立つものがなくなったのかと心配しましたが、それで安心しました」スクルージは言った。

「それだけでは貧しい大勢の人たちにクリスマスを心から喜んでもらうことはできないと思いまして」その紳士は応じた。

「我々が肉とか、飲み物とか、燃料とかを購入する資金集めに奔走しているのです。我々がこの時期にこのようなことをしていますのは、裕福な人たちが楽しんでいる最中にあって、とりわけ、貧しさが骨身にしみる時だからです。それで、ご献金はいかほどにしておきましょうか?」

「私の名前は書かないで下さい」スクルージは答えた。

「すると、匿名をご希望なのですか?」

「できれば、ほっといてもらいたいんです」スクルージは言った。

「何を希望するのか聞きたいのでしたら、いいですか、これが私の答えです。私にはクリスマスなど、ちっともめでたくありませんし、怠け者にめでたい思いをさせてやる余裕もありません。さっき言った施設のために、税金を出しています。それだって相当な額ですよ。生活できない連中は、そこへ行けばいいでしょう」

「しかし、入れる人数も限られていますし、そんなところへ行くくらいなら死んだ方がましだと思ってらっしゃる方もたくさんいますので」

「死んだ方がましだと思っている連中は」スクルージは言った。

「死ねばいいんです。そうして余計な人間を減らせばいいんだ。それにです、ふむ、どうも分からないな」

「分かって下さってもいいはずですが」その紳士は言った。

「私には関係ないことです」スクルージは言い返した。

「誰でも自分のすることを知っていて、他人のすることには口出ししない、それで十分じゃありませんか。私はいつも自分のことで手一杯なんです。それでは、さようなら」

 彼らはこれ以上話しても無駄だと知り、その場を去った。スクルージは自分を改めて見直し、いつになく上機嫌な気持ちで再び仕事に取りかかった。

 その間にも、霧と闇は深まっていった。ゆらゆらと燃える松明(たいまつ)を手にしたたくさんの人が、馬車の前を照らす仕事にありつこうと走り回り、馬車の道案内をしていた。教会の古い塔には、いつもなら味もそっけもない古鐘があり、ゴシック式の窓からスクルージを狡そうにのぞき込んでいるのだが、それも霧で見えなくなっていた。その鐘は、霧の中で 1 時間毎と 15 分毎に鳴ったが、あたかもてっぺんにのっかっている凍えた頭が、歯をがちゃがちゃ鳴らしているかのように、ものすごい震動を後に残した。

 寒さはつのっていった。路地を出た大通りには、数人の工夫がガス管の修理をしていた。彼らはブリキストーブに勢いよく火を燃やしていたので、その回りにはぼろをまとった男や少年が大勢寄って来て、炎の前で手をあぶり、目を瞬かせながら一息ついていた。水道栓はあけっぱなしになっていたので、流れ出た水はたちまち凍りつき、寒さをいっそうつのらせる氷になっていった。商店の明るさは、窓際に置かれたランプの熱でヒイラギの小枝やベリーがひび割れるほどで、通り過ぎる人の青白い顔を赤く照らしていた。

 鳥肉屋や食料品店は、見事な笑劇へと変貌した。華麗なる野外劇と化し、特売とか値引きとか、そんな当たり前のことが、このようになるのかと、にわかには信じられなかった。ロンドン市長は、壮麗な公邸にドンと構えて、50 人のコックと執事に、クリスマスをロンドン市長家にふさわしいものにするようにと命じた。また、先週の月曜日に、酔っ払って通りで流血の騒ぎを起こし、5 シリングの罰金を払うはめになった小柄な仕立屋でさえ、屋根裏の自宅で明日のためのプリンをかき回していたし、その痩せた女房は、赤ん坊を抱えて勇んで牛肉を買いに行った。

 霧はますます深まっていき、寒さはつのるばかりだった。突き刺すような、身にしみる、痛いほどの寒さだった。もし、聖ダンスタンが、いつも使っている武器ではなく、このような寒さで悪魔の鼻をつまんだとしたら、それだけで悪魔も大声を張り上げてわめいただろう。

 あるのが分からないほど小さい鼻の子供が、スクルージの事務所の鍵穴にかがんで、クリスマス・キャロルを歌って、スクルージを喜ばせようとした。その子供は、骨が犬にがりがりかじられるように、寒さと飢えにがりがりかじられ、口をぶるぶる震わせていた。だが、

神の恵みがあなたに届きますように!

いつも心安らかでいられますように!

と歌いかけただけで、スクルージはすさまじい勢いで定規をつかんだため、歌っていた子供は恐ろしさのあまり逃げ出した。鍵穴からは霧や、スクルージにはお似合いの冷気が入り込むだけだった。

 やっと事務所を閉める時刻になった。スクルージはしぶしぶと腰掛けから立ち上がり、小部屋で待ちかまえていた事務員に合図を送った。事務員は、すぐにろうそくを吹き消して帽子をかぶった。

「明日は一日休みたいんだろうね」スクルージは言った。

「もしご都合がつくようでしたら」

「都合なんかつかないよ」スクルージは言った。

「冗談じゃない。休んだことで半クラウン給料から差し引いたら、君は酷い目に合ったと思うんだろうね、きっと」事務員は弱々しくほほ笑んだ。

「だがな」スクルージは言った。

「君はオレが酷い目に合っているとは思わないだろ、仕事をしてもらわずに、一日分の給料を支払うのに」事務員は一年にたった一度のことだと言った。

「毎年 12 月 25 日になるたびに人のふところからかすめとっていくにしては、まずい言い訳だな」スクルージは厚手の外套のボタンを顎までかけながら言った。

「だが、君は丸一日休まないと気がすまないんだろ。だったら、次の日の朝は、いつもよりずっと早く出て来るんだぞ」

 事務員はそうすることを約束した。スクルージはがみがみ不平を言いながら出て行った。事務所はあっという間に閉められた。事務員は、白い襟巻の長い両端を腰の下でぶらぶらさせながら(彼は外套を持っていなかった)、クリスマス・イヴを祝うつもりで、少年たちの列の後ろについて、コーンヒルの滑り台を 20 回も滑り、それから目隠し遊びをしようと、カムデン・タウンの我が家へ飛ぶようにして帰って行った。

 スクルージは、いつものわびしい居酒屋で、いつものわびしい夕食をすませた。そしてあらゆる新聞に目を通し、時間が余ると通帳を見て気を紛らわした。それから家に帰ってベッドに入った。彼は死んだマーレイの部屋に住んでいた。そこは中庭に面した、低い大きな建物の中の、陰気な、ひと続きの部屋だった。その建物はその場所にはあまりにも不釣り合いなので、建物が子供だった頃、他の建物とかくれんぼをしてそこに入ったが、出口を忘れてしまったと想像する以外なかった。今ではすっかり古びてしまい、もの寂しい様子だった。というのは、そこはすべて貸し事務所になっていて、スクルージ以外、他に誰も住んでいなかったのだ。中庭はとても暗く、すべての石のある場所を知っているスクルージでさえ、手探りをしかねないほどだった。霧と霜が建物の黒い古びた玄関の辺りをおおっている様子は、天候の神がもの悲しい思索にふけりながら、敷居に座っているかのようだった。

 さて、ドアのノッカーは、とても大きいというぐらいで、これといって特徴はない。これは確かなことだ。スクルージはそこに住んでいて、夜も昼もそれを見ている。これも確かなことだ。また、スクルージは、いわゆる空想というものをほとんど持ち合わせていない。このことは、ロンドン市のどんな人にも、大げさな言い方だが、企業人だろうが、市参事会員だろうが、従者だろうが、引けは取らない。スクルージがマーレイのことを話したのは、7 年前に死んだ日の午後が最後で、以来一度も思い出していない。このことにも留意しておいてもらいたい。では、スクルージが、ドアの鍵を鍵穴に差し込むと、瞬時にしてノッカーがノッカーではなく、マーレイの顔に見えたのはどういうわけだろう。説明できる人がいたら説明していただきたい。

 マーレイの顔。それは中庭にある他の物体のように、ぼんやりとしてはいなかった。それは暗い穴蔵の中の腐ったロブスターのように、まわりに不気味な光を放っていた。怒っているのでもなければ、凶暴でもない。幽霊のような額に、幽霊のような眼鏡をのせて、マーレイがかつてしていたように、スクルージを見つめていた。髪の毛は、微風か熱気にでもあたったかのように、奇妙に逆立ち、目は大きくみひらいてはいたが、全く動かなかった。そして、顔色は青黒く、ぞっとするような形相だった。表情は確かにぞっとしたが、ぞっとするのは、表情だけのせいではないようだった。

 スクルージがこの不思議な現象に目を凝らしていると、それは元のノッカーに戻った。

 彼はびっくりしなかったとか、恐ろしいことに鈍感な性質で、幼いときからそうだったというのは、正しくない。だが、彼は持ち直した鍵を手にして、しっかりとした手つきでそれを回し、中に入って、ろうそくに火をつけた。

 彼はドアを閉める前に、少しためらい、手を止めた。そして、まずドアの後ろを、ひょっとしたら、マーレイの長い髪が玄関に突き出ているのではないかと注意深く調べた。だが、ドアの後ろには、ノッカーを留めてあるネジとネジ止めの他は、何もなかった。

「ふっ、ばかばかしい!」彼はそう言って、音を立ててドアを閉めた。

 その音は、雷のように家中に響きわたった。階上のどの部屋も、下のワイン店の地下室のどの樽も、それ独自で鳴り響いているかのようだった。スクルージは反響音に怯えるような男ではなかった。彼はドアを締め、玄関を横切り、ゆっくりと階段を上った。上りながら、彼はろうそくの芯を整えた。

 六頭立ての馬車でかなり老朽化した階段を上るとでも言おうか、議会を通過したばかりの悪法をくぐり抜けるとでも言おうか、私が言いたいのは、霊柩車でも階段を上れるだろうし、それを横にして、横棒を壁の方に、棺の蓋を欄干に向け、それでも簡単に上れるということだ。そこはそれ程の幅があり、十分な広さだった。スクルージが、棺を載せた機関車が、暗闇の中、自分の前を通ったような気がしたのは、おそらくそのためだろう。通りを照らしている六個のガス灯も、この家の入り口まではとどかなかった。スクルージの持つろうそくでは、かなり暗いということが、誰にも想 像できるだろう。

 スクルージは暗くても一向に気にせず、上って行った。暗闇は安上がりだった。スクルージは安上がりなことが好きだった。だが、彼は重い扉を閉める前に、部屋から部屋へと歩き回り、いつもと変わらないことを確かめた。マーレイの顔が記憶に焼きついていたので、そうしなければ気がすまなかったのだ。居間、寝室、物置。どれもいつもと変わりようがなかった。テーブルの下には誰もいないし、ソファの下にも誰もいなかった。暖炉には小さな火があった。スプーンも深皿も用意ができていた。お粥の入った小さな鍋(スクルージは鼻風邪を引いていた)は、炉棚に載っていた。ベッドの下にも、クロゼットの中にも、誰もいなかった。怪しげな恰好で壁にかかっていたガウンの中にも誰もいなかった。物置もいつも通りだった。そこには古い火よけのついたて、古い靴、魚かごが二つ、三本脚の洗面台、それと火かき棒があった。

 スクルージはすっかり安心し、ドアを閉め、中から鍵をかけた。いつになく、二重にかけた。このように用心してから、スクルージはネクタイを外し、部屋着を身につけ、スリッパを履き、ナイトキャップをかぶった。それから暖炉の前にすわって、オートミールの粥をすすった。

 火はとても小さく、こんな寒さの厳しい夜には、何の役にも立たなかった。そんなひとつまみの火で、少しでも温かい思いをしようとするなら、火に近づき、抱きかかえるようにして火をおおうしかなかった。暖炉は古く、ずいぶん昔にオランダの商人が作ったものだった。表面には、聖書の物語が描かれた、珍しいオランダタイルが一面に張ってあった。カインやアベル、パロの娘、シバの女王、羽根布団のような雲に乗って空から降りてくる天使、アブラハム、ペルシャザル、舟形ソース入れのような舟で出帆する使徒など、スクルージの気を引く人物は何百とあった。だが、7 年前に死んだマーレイの顔が大昔の預言者の杖のように現れて、それらすべてを呑み込んでしまった。なめらかなタイルのひとつひとつに、最初から何も描かれていなくても、彼のばらばらになった思考の断片で、その表面に何かを描く力が備わっていたとしたら、その全てに老マーレイの顔が現れたことだろう。

「ばかばかしい!」スクルージはそう言って、部屋の中を歩きはじめた。

 何度も行ったり来たりしてから、スクルージはまた腰を下ろした。椅子に座り頭を後ろに反らした時、部屋の中にぶらさがっているベルに、ふと目が止まった。使われていないベルで、今となっては何のためかは分からないが、最上階の部屋との連絡に使われていた。見ていると、このベルが揺れ始めたので、スクルージはこの上なく驚き、言いようのない不安に襲われた。最初はかすかに揺れていたので、ほとんど音がしなかったが、ベルはすぐにけたたましく鳴り響き、続いて家中のベルも鳴り始めた。

 鳴っていたのは 30 秒か 1 分くらいだったが、1 時間にも感じられた。それからベルは、一斉に鳴り始めたように、一斉に鳴り止んだ。すると今度は、カランカランという音が、階下のずっと下の方から聞こえてきた。誰かが重い鎖を、地下ワイン貯蔵室の中の大樽の上で引きずっているような音だった。スクルージは、幽霊屋敷の幽霊は、鎖を引きずっていると聞いたことがあるのを思い出した。

 貯蔵室のドアが、ドーンという音とともに、ぱっと開いた。スクルージには、階下のもの音がさらに大きくなったのが、そのもの音が、階段を上って、自分のいる部屋めざしてまっすぐにやってきているのが聞こえた。

「ふん、まったくばかばかしい!」スクルージは言った。

「信じるものか」

 だが、それが一直線に重い戸を通り抜けて部屋の中へ入り、目の前に現れた時、スクルージの顔からは血の気が引いた。消えかかったろうそくの炎は、それが入ってくると、「彼だ、マーレイの幽霊だ!」とでも叫ぶかのように、ぱっと燃え上がり、再び小さくなった。

 あの顔、まぎれもなくあの顔だった。後ろに長く編んだ髪、いつものチョッキ、ズボンタイツ、ブーツ。マーレイだった。ブーツの房も、後ろに長く編んだ髪も、上着の裾も、頭髪も逆立っていた。引きずっている鎖は、胴のあたりに巻きついていたが、長くて、しっぽのように身体をぐるぐる巻きにしていた。その鎖とは(スクルージはじっくりと観察したのだ)、現金箱、鍵、南京錠、台帳、権利証書、鋼鉄製の重い財布などでできていた。マーレイのその身体は透明だったので、スクルージがじっくり見ていると、チョッキを通して、上着の後ろに着いている二つのボタンまでが見えた。

 スクルージは、マーレイにははらわたがないということを聞いてはいたが、今まではそんなことを信じたこともなかった。いや、今でも信じてはいなかった。幽霊をよくよく見て、自分の前に立っているということが分かっていても、死者の冷たいまなざしに身体がぞくぞくしていても、それまでは気づかなかったが、その頭から顎にかけてすっぽりかぶっている、折り重ねたネッカチーフの織り目まで見分けられても、スクルージは信じないで、自分の見間違いだと思おうとした。

「どうしたっていうんだね!」スクルージはいつも通りの皮肉っぽい冷たい調子で言った。

「私に何か用事かな?」

「大ありなんだよ」まさしく、マーレイの声だった。

「お前は誰なんだね?」

「誰だったか、と聞いてもらいたいね」

「じゃあ、誰だったのかね?」スクルージは声を上げて言った。

「幽霊にしては、細かいんだな」

スクルージは「幽霊らしく」と言おうとしたのだが、もっと適切な表現を選んだのだ。

「生きていた時、あんたの共同経営者だった、ジェイコブ・マーレイだよ」

「お前さんは…、お前さんは坐ることができるのかね?」スクルージは、困ったように相手を見ながら言った。

「坐れるとも」

「じゃあ、坐ったらどうだね」

 スクルージがそんなことを聞いたのは、透き通った幽霊が椅子に坐れるのか分からなかったからだ。もし坐れなかったら、ばつの悪い弁解をする羽目になると心配したのだ。だが、幽霊は坐りなれているように、暖炉に面して坐った。

「あんたはわたしがここにいることを信じてないね」幽霊は言った。

「信じてない」スクルージは言った。

「わたしがここにいるかどうか、お前さんの感覚以外に、どんな証拠が必要なんだね」

「さあ」スクルージは言った。

「どうして自分が見ているものを、自分の感覚を信じないんだね?」

「それはだな」スクルージは言った。

「感覚なんてものは、ほんのちょっとしたことでも狂うからさ。胃の具合が少し悪くなっても狂ってくるんだ。だから、お前さんは、消化しきれない牛肉の一切れかもしれないし、ちょっと付けたマスタードかもしれないし、チーズのかけらかもしれないし、なま煮えのジャガイモの一片かもしれない。いずれにしても、お前さんの場合は、グレイブ(墓)よりもグレイビー(肉汁)の方に関わりがありそうだ」

 スクルージは冗談をいうようなタイプではないし、この時には冗談を言う気分でもなかった。気をまぎらわし、恐怖を鎮めようと、何か気の利いたことをいおうとしたのだ。というのは、幽霊の声が、骨の髄までしみていたからだ。

 あの貼り付いたような、どんよりした目を見ながら、ほんの少しでも黙って坐っていたら、身の破滅という気がスクルージにはした。幽霊が独特の地獄の雰囲気をただよわせているのも、ひどく恐ろしかった。スクルージ自身は、幽霊に触れることはできなかったが、たしかにそこにいた。なぜなら、幽霊はまったく動かずに坐っていたが、髪や裾や房は、オーブンからのぼる熱い蒸気にかき乱されるように、揺れ続けていたからだ。

「この爪楊枝が見えるかね?」

 スクルージはすぐさま攻撃的な態度に戻った。というのは、さっきも述べたように、スクルージは恐ろしかったのだ。たとえ 1 秒でも幽霊の石のような視線から逃れたかったのだ。

「見える」幽霊は答えた。

「見ていないだろ」

「見ていなくても、見える」

「それじゃ」スクルージは言った。

「これを呑み込みさえすりゃいいわけだ。そうすりゃこれから先、たくさんの化け物に悩まされるってわけだ。自分の作った化け物どもにね。ばかばかしい、ほんとうにばかばかしい!」

 これを聞くと、幽霊は恐ろしい叫び声をあげ、陰気でぞっとするような音を立てて鎖を揺さぶった。スクルージは気絶しても倒れないようにと、椅子にしっかりつかまった。だが、部屋の中では暑すぎるとでもいうように、幽霊が頭に巻いてあった包帯をはずし、その下顎が胸までぶら下がっているのを見た時、スクルージの恐怖は頂点に達した。

 スクルージはひざまずき、顔の前で両手を握りしめた。

「お許し下さい!」スクルージは言った。

「恐ろしい幽霊さま、なぜ私を苦しめるのです」

「俗物め!」幽霊は答えた。

「わたしを信じるのか、信じないのか」

「信じます」スクルージは言った。

「信じないわけにはいきません。でも、どうして幽霊がこの世に出歩いているのですか。どうして私のところにやってくるのですか」

「人間は誰しも、そう定められているのだ」幽霊は答えた。

「人間の内に宿る霊魂は、仲間内を歩き回り、遠くどこまでも出かけなければならないのだ。もし生きている時に出て行かなければ、死んだ後にそうしなければならないのだ。この世をさまよう運命。ああ、悲しいことだ。生きていれ ば何かしてやれる、幸福にしてやれるかもしれないのに、どうしてやることもできず、ただ見ているしかないとは」

 幽霊はふたたび叫び声を上げ、鎖を揺さぶり、悲痛な気持ちで影のような両手を堅く握りしめた。

「お前さんは鎖につながれているが、どうしてなんだね」スクルージは震えながら言った。

「生きている時に自分でこしらえた鎖につながれているのだ」幽霊は答えた。

「わたしは鎖の輪を一つひとつふやし、1 ヤード1 ヤード長くしていったのだ。その鎖を自分から進んで締め、自らの意志で巻き付けたのだ。おまえは、この鎖の形に見覚えはないのか?」

 スクルージの震えはいっそうひどくなった。

「おまえは知っているのか」幽霊は続けた。

「自分に巻き付いている頑丈な鎖の重さや長さを。7 年前のクリスマス・イヴの時には、わたしに巻き付いている鎖と同じくらい重く長かったよ。おまえはあれからもせっせと長くしているのだから、途方もない重さになっているんだ」

 スクルージは、五十尋も六十尋もある鉄の鎖が、自分の身体に巻き付いているのではないかという気がして、辺りの床を見回した。だが、何も見えなかった。

「ジェイコブ」スクルージは哀願するように言った。

「なあ、ジェイコブ・マーレイさんよ、もっと話してくれないか。ジェイコブよ、慰めになるようなことを、話してくれよ」

「話すことは何もない」幽霊は答えた。

「エベニーザ・スクルージよ、慰めというものは、わたしのいるところとは違う世界からやってくるものなのだ。別の使者が、別の性質の人間のところに持ってくるものなのだ。それにな、言いたいことがあっても、言うことはできないのだ。わたしに残された時間は、あとほんの少しだ。わたしは休むことも、留まることも、そこらでぶらぶらしていることもできないのだ。わたしの霊魂は、この会計事務所から一歩も外には出なかった。いいかな! わたしが生きている時に、わたしの霊魂は、あの狭っ苦しい両替の穴蔵から外へは、出ることがなかったのだ。これから、まだまだ、長く辛い旅が続くのだ」

 スクルージには、考え込む時、両手をズボンのポケットへ入れる癖があった。今もうつむいたまま、立ち上がりもせず、幽霊が言ったことを考えながら、そうしていた。

「ずいぶんゆっくりした旅だったんですね、ジェイコブさん」スクルージは、謙虚に相手を気遣いながらも、事務的にそう言った。

「ゆっくりだと!」幽霊は言った。

「死んでから 7 年」スクルージはかみしめるように言った。

「その間、ずっと旅をしていたなんて」

「その間、ずっとだ」幽霊は言った。

「休むことも、安らぎもなく、絶えず後悔の念に苛まれながらだ」

「旅をしている時は、早く進むのですか?」スクルージは言った。

「風の翼に乗ってだ」幽霊は答えた。

「7 年だったら、ずいぶん遠くまで行ったでしょう」スクルージは言った。

 幽霊はこれを聞くと、また叫び声を上げ、寝静まった夜に、ぞっとするような音を出して鎖を揺さぶった。その騒々しさは、夜警が告発しても当然と思えるほどだった。

「おお! 囚われ、縛られ、2重に鎖をかけられた奴め」幽霊は叫んだ。

「おまえは知らないのか、不滅の偉人がこの世のために為した、絶え間のない努力の日々が、その成果は影響を受けやすく、十分に実を結ばないうちに、永遠の中へと去っていくことを。ささやかな場所であれ、親切であろうとするキリスト教精神の持ち主が、人生を非常に有益なものにするには、限りある人生は、あまりにも短いと感じていることを。人生を間違って送れば、どんなに後悔しても、取り返しはつかないということを。だが、それがわたしだったのだ。ああ! それがわたしだったのだ」

「だけど、仕事じゃおまえさんは、いつもなかなかのやり手だっただろ、ジェイコブ」スクルージは口ごもりながら言った。言いながら、自分もそうだと思い始めた。

「仕事だと!」幽霊は再び両手を固く握りしめ、叫んだ。

「人間がわたしの仕事だったのだ。万人の幸福がわたしの仕事だったのだ。慈善事業が、慈悲が、寛容が、博愛が、これらがみんなわたしの仕事だったのだ。商売の取引など、わたしが生きている間になすべきことという大海の中では、一滴の水にしか過ぎなかったのだ」

 幽霊は、取り返しのつかない悲しみの原因が鎖だとでもいうように、腕いっぱいに鎖を持ち上げ、床にどすんとたたきつけた。

「過ぎ去ろうとする一年のこの時期に」幽霊は言った。

「わたしは一番辛い思いをする。なぜわたしは、人々の中を、目を伏せて通り過ぎたのだろう。なぜ、東方の賢者たちを導いた、あのすばらしい星を見上げなかったのだろう。その星に導かれて訪ねていく、貧しい家はなかったというのか!」

 スクルージは、幽霊がこのような調子で延々と話すので、極端にうろたえ、ぶるぶる震え出した。

「よく聞くがよい! わたしにはもう時間がない」幽霊は叫んだ。

「聞きます」スクルージは言った。

「でも、私に辛くあたらないでくれ。派手は言い方はやめてくれ。お願いだ、ジェイコブ」

「なぜおまえに見える姿となってここに現れたのかは、話せない。目には見えなかったろうが、わたしは幾日も幾日も、おまえのそばに坐っていたのだ」

 これは気持ちの良い話ではなかった。スクルージは、身震いし、額の汗を拭った。

「こうしているのも、決して楽なことではなのだ」幽霊は続けた。

「今夜ここに来たのは、おまえに、わたしのような運命から逃れるチャンスも希望も、まだあるということを言うためだ。チャンスと希望を、わたしが手に入れてやろうというのだ、エベニーザ」

「おまえはいつも私には親切な友人だった。ありがとう!」スクルージは言った。

「これからおまえのところに、3人の霊がやって来るだろう」幽霊は言った。

 スクルージの表情は、幽霊とほとんど同じくらい精気がなくなった。

「それが、おまえの言うチャンスと希望なのか、ジェイコブ?」スクルージは口ごもりながら、強い調子で訊ねた。

「そうだ」

「わ、私としては、そんなもの、必要ないんだが」スクルージは言った。

「3人の幽霊に出てきてもらわないと、おまえはわたしと同じ道を歩むことになるのだ。まず、第一の幽霊は、明日午前 1時 の鐘が鳴った時に現れる」幽霊は言った。

「ジェイコブ、3人いっぺんにというわけにはいかないだろうか、それで終わりっていうことにして」スクルージは、それとなく聞いた。

「第二の幽霊は、次の夜、同じ時刻に現れる。第三の幽霊は、その次の夜、12 時を告げる最後の鐘が鳴り終える時に現れる。わたしとはこれが最後だ。いいか、くれぐれもわたしが話したことを忘れないようにしてくれ。おまえのためなのだから」

 言い終わると幽霊は、テーブルから包帯を取り、前と同じように頭に巻いた。包帯で顎が合わさった時、歯が鋭い音を立てたので、スクルージはこのことに気づいた。スクルージが思い切って、もう一度顔を上げると、この超自然の訪問者は、鎖を片方の腕に巻き付け、直立姿勢で面と向かっていた。

 幽霊は後ずさりしてスクルージから遠ざかった。幽霊が一歩さがるごとに、窓は少しずつ開いていったが、行き着いた時には、すっかり開いていた。

 幽霊が手招きしたので、スクルージは近づいた。二人の間が、2 歩ぐらいの距離になると、マーレイの幽霊は手を上げてそれ以上近づくなと合図をした。スクルージは立ち止まった。

 幽霊に従って止まったわけではなかった。驚き、恐れたからだった。幽霊が手を上げると、スクルージには辺りのさまざまな物音が聞こえた。悲嘆と後悔の入り乱れた声だった。もの悲しく、自分を責める声にならない声だった。幽霊は一瞬、耳を傾け、その悲しみに沈んだ声のひとつとなって、寒く暗い夜の中へ漂っていった。

 スクルージは好奇心を抑えきれず、後を追って窓辺に駆け寄り、外を見た。

 辺りには幽霊がうようよいた。あちらこちらへとせわしなくさ迷い、さ迷いながらうめき声を上げていた。どの幽霊もマーレイの幽霊のように、鎖に縛られていた。何人かは(罪を犯した政府の役人かもしれない)いっしょに繋がれていた。鎖に繋がれていない幽霊はいなかった。多くの幽霊が、生前にはスクルージと面識があった。その中の白いチョッキを着た、足首にばかでかい鉄の金庫をくっつけた年老いた幽霊のことは、スクルージはよく知っていた。その幽霊は、下の戸口で見かけた幼い子供を抱いた可哀想な女性に、何もしてやれないのが辛いと嘆いていた。人間のために何かをしてやりたいが、永遠にその資格を失ってしまったと、幽霊のすべてが嘆き、悲しんでいるのが、はっきり分かった。

 スクルージには、幽霊が霧の中に消えたのか、霧が幽霊を包み込んでしまったのか、分からなかった。だが、幽霊の姿や声はだんだんと消えてしまい、スクルージが歩いて帰宅した時と同じ夜になっていた。

 スクルージは窓を閉め、幽霊が入ってきたドアを念入りに調べた。ドアは自分で閉めた通りに、鍵が 2 重にかかり、掛け金はそのままだった。「ばかばかしい!」と言おうとしたが、スクルージは言いかけてやめた。感情を激しく揺り動かされたからか、1日の疲れからか、目に見えない世界を垣間見たからか、幽霊との重苦しい会話のためか、あるいは夜遅いせいか、とくかく休息が必要だった。スクルージは着替えもせずに、そのままベッドに入り、すぐに眠り込んでしまった。



第二章 第一の幽霊

 スクルージが目を覚ますと、とても暗かった。ベッドから顔を上げても、その部屋の透明な窓と不透明な壁との区別がつかなかった。イタチのような目で暗闇の中を探っていると、近くの教会の鐘が、15分毎の鐘を4回鳴らした。スクルージは何時なのか知ろうと耳をすませた。

 驚いたことに、重々しい鐘の音は 6 回、 7 回、それから 8 回鳴り、きちんと 12 回鳴ってから止んだ。スクルージが寝たのは 2 時過ぎだった。時計が狂っている。中につららができたに違いない。12 時とは!

 スクルージは、教会の時計が狂っているのを確認するために、二度打ち時計のスプリングに手を触れた。時計は、小さな音ですばやく 12 を打って、止まった。

「なぜだ。そんなはずはない」スクルージは言った。

「丸一日ぶっ通し寝て、さらに夜まで寝ているなんて。太陽に異変があって、今が昼の 12 時ということも考えられないし」

 これは大変なことになった。スクルージはベッドから這い出し、手探りで窓辺へ行った。何も見えなかったので、ガウンの袖で霜をこすって落としたが、それでも、ほとんど何も見えなかった。まだ、霧は非常に濃くかかっていて、とても寒く、夜が明るい昼間を打ち負かし、世界を支配していたとしても、あるべきはずの人々の往来や喧噪は、そこにはなかった。分かったことといえば、それだけだった。スクルージはほっとした。なぜなら「この第一号為替手形一覧後三日以内にエベニーザ・スクルージ、もしくはその指定人に支払われること」などが、期日を過ぎてしまったら、合衆国の公債と同じになってしまうからだ。

 スクルージはベッドに戻り、何度も、何度も、考えに考えてみたが、どういうことなのか、さっぱり分からなかった。考えれば考えるほど分からなくなった。考えまいとすると、余計に気になった。マーレイの幽霊にはひどく悩まされた。さんざん考えたあげく、あれはみんな夢だったのだと結論づけた。だが、そう結論づける度に、強いバネが元に戻るように、最初の考えに引き戻されてしまった。そこで「あれは夢だったのだろうか、それとも現実だったのだろうか」と、同じ問題を最初から考え直すのだった。

 スクルージがあれこれ考えていると、15 分毎の鐘が 3 度鳴った。彼は、ふと、1 時の鐘が鳴ると訪問者がやってくると幽霊が言っていたのを思い出した。スクルージはその時間になるまで、眠らずにいようと決めた。眠ることは、天国に行くことと同じくらい不可能だったので、彼としては、おそらく、最も賢明な方法だった。

 それからの 15 分はとても長く感じた。スクルージは、うっかり寝入ってしまい、1 時の鐘を聞き逃したに違いないと、一度ならず考え込んでしまったほどだ。ついに、鐘の音が聞き耳を立てているスクルージに響いた。

「キンコン!」

「1回」スクルージは数えながらつぶやいた。

「キンコン!」

「2回」とスクルージ。

「キンコン!」

「3回、あと1回だ」スクルージは言った。

「キンコン!」

「さあ、1 時になった。何も出てこないぞ!」スクルージは、勝ち誇っていた。

 彼がそう言ったのは、時鐘が鳴り出す前だった。それからすぐに、荘重で、鈍く、こもった、陰鬱な音を立てて、1 時を告げる時鐘が鳴った。すると、たちまち、部屋がぱっと明るくなり、ベッドのカーテンが、すうっと引かれた。

 ベッドのカーテンが、つまり、手で引かれたのだ。足元のカーテンでもなければ、背後のカーテンでもない、目の前のカーテンだ。ベッドのカーテンが引かれると、スクルージは半身を起こした。目の前にいたのは、カーテンを引いた、この世の者とは思えない訪問者だった。スクルージとの距離は、これを語っている私と、読んでいる読者ほどだろう。私は精神的には、いつも読者の目の前にいるのだ。

 幽霊は、子供のような、奇妙な姿をしていた。いや、子供というよりも、老人と言った方がいい。何か超自然的な媒体を通して姿を現していたため、視界から遠ざかり、縮んで子供のように見えたのだ。髪は首のあたりにから背中まで垂れ、老人のように白かった。だが、顔には皺ひとつなく、肌はほのかなばら色だった。腕はとても長く、筋骨隆々としていた。手も同じように、並々ならぬ握力を感じさせた。足部と脚部は、これ以上ないというほどきゃしゃで、手や腕と同じようにむき出しだった。

 幽霊は、ひざまである純白の衣をまとい、みごとに輝く、ぴかぴかのベルトを腰に締めていた。手にはみずみずしい緑色のヒイラギの枝をもっていたが、服には、奇妙なことに、この冬の象徴と矛盾する、夏の花々の縁飾りがしてあった。だが、奇妙なことと言ったら、何といっても、頭のてっぺんから出ている煌々と輝く明るい光だろう。そのおかげで、こうした一切のことが見えたのだが、こんな光を発しているのだから、必要のない時には、大きな明かり消しを帽子にして、頭にかぶっているに違いない。今はそれを脇の下に抱えていた。

 しかし、スクルージがいっそう目をこらして見ていると、このことでさえそう奇妙なことではなくなった。というのは、ベルトのある部分がぴかっと光ったら、別の部分がぴかっと光り、明るかった部分がたちまち暗くなったりした。そのため、幽霊の姿が変化して、はっきりと見極めがつかなかった。幽霊は、片腕になったり、片足になったり、20本足になったり、足は2本あっても、頭がなかったり、頭はあっても、身体がなかったりした。消えた部分は、深い闇の中にとけ込んでしまい、その輪郭をたどることもできなかった。こういったことに肝をつぶしていると、幽霊は、もとのような、はっきり見える姿になっていた。

「あなたは、私の前に現れると知らされていた、幽霊ですか?」スクルージは訊ねた。

「そうだ」

 穏やかでやさしい声だった。並外れて低い声で、すぐ側にいるのではなく、まるで遠くにいるようだった。

「あなたは、どなたで、どういう方なのでしょうか?」スクルージは訊いた。

「わたしは過去のクリスマスの幽霊だ」

「遠い過去のクリスマスですか」スクルージは、小びとのように背の低い幽霊をじっと見ながら言った。

「違う。お前の過去だ」

 スクルージは、なぜと訊ねられても、恐らく誰にも答えることはできなかっただろうが、明かり消しの帽子をかぶった幽霊の姿をぜひ見てみたくなった。そして、幽霊にかぶってくれと頼んだ。

「何だと」幽霊は叫んだ。

「お前はもう、俗世間にまみれた手で、わたしが放つ光を消そうというのか。この帽子をつくったのは、欲に駆られた連中だが、その帽子を私に何年間も目深にかぶらせておいたのも、その連中だ。お前はそのひとりなのに、またかぶらせるのか」

 スクルージは、かしこまって、決して悪気があったわけではないし、今までに一度だって、意図的に帽子をかぶせようとしたことはないと言った。それから思い切って、何の用でここに来たのか幽霊に訊ねた。

「お前の幸せのためにだ」と幽霊は言った。

 スクルージは感謝したが、一晩ぐっすり寝かせてもらえる方が、ずっと幸せだと思わずにはいられなかった。幽霊には、スクルージの考えていることが分かったに違いない。すぐにこう言った。

「それでは、お前の矯正のためにと言おう。よいかな」

 幽霊は、話しながらがっしりした手を出し、スクルージの腕をそっと握った。

「立ち上がって、わたしといっしょに歩きなさい」

 スクルージが、天候も時刻も散歩するにはふさわしくない、ベッドの中は温かいが、寒暖計は氷点下のはるか下の方を指している、着ているものといったら、スリッパとガウンとナイトキャップだけだ、それに今は風邪をひいている、などと言ったところで聞き入れてはもらえなかっただろう。幽霊の手は、女性のようにやさしくかったが、あらがえなかった。スクルージは立ち上がった。だが、幽霊が窓の方へいくのが分かると、衣をつかんで嘆願した。

「私は人間です」スクルージは訴えた。

「落ちてしまいます」

「ここにあるわたしの手の感触だけを感じていなさい」幽霊は手をスクルージの胸に当てながら言った。

「そうすれば、これからは、落ちることはないだろう」

 幽霊がそう言うと、二人は壁を通り抜け、広々とした田舎道に立っていた。道のどちら側にも畑があった。街はすっかり消え、その痕跡さえなかった。闇や霧も、街とともに消え、地面に雪が積もった、晴れた寒い冬の日になっていた。

「なんてことだ!」スクルージは辺りを見回し、手を握りしめながら言った。

「ここは、私が育った所だ。少年時代を過ごした場所だ」

 幽霊はスクルージをやさしく見つめた。ほんの一瞬、軽く触れただけだったが、幽霊の柔らかな感触は、年老いたスクルージの中に残った。スクルージは、さまざまな香りが、空中に漂っているのに気づいた。その一つひとつから、長く忘れていた、思いやり、希望、喜び、気配りなど、さまざまな感情が甦ってきた。

「くちびるが震えている」幽霊は言った。

「それに、その頬にあるのは何だね」

 スクルージは、それまでとはっきり違う声で、にきびだとつぶやき、幽霊に、どこか連れて行ってくれと頼んだ。

「この道を憶えているか」幽霊は訊いた。

「憶えているとも」スクルージは熱く答えた。

「目隠しをされていても歩けます」

「こんなに長い間忘れていたとは、不思議なことだ。さあ、行こう」幽霊は言った。

 二人は、その道を歩いていった。スクルージはどの門にも、どの柱にも、どの樹木にも見覚えがあった。やがて、小さな市場町が遠くに見えた。橋や教会があり、曲がりくねった川が流れていた。毛むくじゃらの小馬が数頭、背に男の子を乗せて、こちらに向かってやって来る。男の子たちは、農夫の駆り立てる二輪馬車や荷馬車に乗った男の子らに呼びかけている。どの少年も溌剌として、お互い大声をかけ合っていたので、広々とした野が、たのしい声でいっぱいになり、それを聞いたすがすがしい空気が、笑い出すほどだった。

「これらは過ぎ去った昔の影に過ぎない。彼らには、我々が見えないのだ」幽霊は言った。

 陽気な一行はやって来た。彼らが近づくと、スクルージは、その一人ひとりを知っていて、名前をあげた。彼らを見て、スクルージはどうしてあんなにも喜んだのだろう。彼らが通り過ぎた時、どうしてその冷たかった目が輝き、心が躍ったのだろう。彼らは十字路や脇道でメリークリスマスと言いながら家路についたが、それを聞いていたスクルージは、どうして喜びで充たされたのだろう。メリークリスマスなど、スクルージにとって何になろう。メリークリスマスなど、くたばってしまえ。それが今までスクルージに、どんな利益をもたらしたというのだ。

「みんなが学校から帰ったわけではない。誰からも相手にされない子供が、まだ学校に残っている」幽霊は言った。

 スクルージは、知っていると言った。そしてすすり泣いた。

 二人は大通りを曲がり、よく知っている小道へと入った。すぐに色あせた赤れんがの屋敷が見えてきた。屋根には小さな風見鶏の載ったキューポラがあり、中には鐘がぶら下がっていた。建物は大きかったが、落ちぶれた屋敷の類だった。広々とした家事室は、ほとんど使われておらず、壁はじめじめしていて苔が生え、窓は壊れ、出入口は朽ちていた。ニワトリが、馬小屋の中でコッコッと鳴きながら、反りかえって歩いていた。馬車置き場と納屋は、草でおおわれていた。建物の中にも昔の名残はなかった。もの寂しい玄関から中に入り、開け放しのドアから見ると、多くの部屋には、家具らしい家具はなく、寒々としてだだっ広いだけだった。土の匂いがする、冷え冷えとした殺風景な建物だった。朝いくら早く起きても、十分な食べ物がない、そんな暮らし向きを感じさせた。

 幽霊とスクルージは、玄関を通って、家の奥のドアの前にやってきた。目の前のドアが開くと、そこは奥行きのある、殺風景で、陰気な部屋だった。樅材の粗末な椅子と机が並んでいたため、いっそう殺風景に見えた。その机のひとつに坐って、男の子がひとりぽっち、本を読んでいた。そばにあった火は、今にも消えそうだった。スクルージは椅子に腰掛け、忘れていた可哀想な自分を前にして泣いた。あの時のスクルージだった。

 家の中にひそむこだま、壁の向こうでチューチュー鳴きながら動き回るネズミ、薄暗い裏庭で雨どいの水が解けてぽたぽた落ちる音、葉が落ち、しょんぼりしたポプラの枝のため息、だらしなくばたんばたんと揺れる空っぽの倉庫の扉、火のぱちぱちという音。スクルージの心に迫り、スクルージの気持ちを和らげないものはなかった。涙がとめどなく流れた。

 幽霊はスクルージの腕にそっと触れ、読書に没頭している幼い頃の彼を指さした。突然、外国の服を着た男が窓の外に現れた。驚くほどリアルで、はっきりと見えた。ベルトには斧をさし、薪を載せたロバの手綱を引いていた。

「おや、アリ・ババだ」スクルージは大喜びで叫んだ。

「たのもしいアリ・ババ爺さんだ。そうだ、そうだ、覚えている。あるクリスマスの日、あのひとりぼっちの子供がここに取り残されていた時、はじめて、あんな風に現れたんだ。可哀想な子、それと、バレンタイン」スクルージは言った。

「森の中で育ったその弟のオルソン。ほら、彼らが行くぞ。眠っている時にズボン下をはいた恰好でダマスカスの門のところに捨てられた、あの男の名前は、何だったっけ。見えるだろ、あの男。それから、霊魔に逆さまにされたスルタンの家来。ほら、あいつが逆さまになっている。ざまあみろ。せいせいする。お姫さまと結婚する資格なんてあるものか」

 スクルージが、そんなことに夢中になって、泣いたり笑ったりしながら、異常な声を出し、興奮しているのをロンドンの商売仲間が見たり聞いたりしたら、どんなにびっくりしたことだろう。

「ほら、オウムだ」スクルージは叫んだ。

「緑色の体に黄色の尻尾。レタスのようなものを頭のてっぺんに生やしている。そうだ、そうだ。可哀想なロビンソン・クルーソー、オウムはロビンソン・クルーソーが島を一周して元の場所に戻った時 、そう言ったんだ、“可哀想なロビンソン・クルーソー、どこに行ってきたんだい”って、ロビンソン・クルーソーは夢を見ていると思ったけど、夢じゃなかったんだ。実はオウムだったんだ。ほら、フライデーだ。小さな入り江めがけて一生懸命駈けていく。おおい、しっかり、おおい」

 それから、いつものスクルージの性格からは考えられないことだが、突然、心境が変化し、かつての自分を哀れに思った。

「あの男の子には、可哀想なことをした」スクルージはそう言うと、再び泣いた。

「できることなら」スクルージは、袖口で涙を拭い、ポケットに手を突っ込んで、辺りを見回しながらつぶやいた。

「だけど、今となっては遅すぎる」

「どうしたんだね」幽霊は訊ねた。

「何でもない」スクルージは言った。

「何でもないんだ。昨夜、私のところでクリスマス・キャロルを歌っていた男の子がいたが、何か恵んでやるべきだった。それだけだ」

 幽霊は思いやりに充ちた笑みを浮かべ、手を振った。手を振りながらこう言った。

「さあ、もう一つのクリスマスを見に行こう」

 幽霊がそう言うと、少年のスクルージが、大きくなった。部屋は少し薄暗くなり、いっそう汚くなった。漆喰のかけらが天井からはげ落ち、木舞がむき出しになっていた。これはどういうことだ。これを読んでいるみなさんと同じように、スクルージにも分からなかった。ただ、彼には、この通りに起きたということが、分かっていた。すべてがこの通りだったと、他の男の子たちがみんな、楽しい休暇を家で過ごすために帰った後も、スクルージは、ひとりぼっち、そこにいたということが。

 その男の子は、もう本を読んでいなかった。うちひしがれて、あっちに歩いて行ったり、こっちに歩いて来たりしていた。スクルージは、幽霊を見た。悲しげに頭を振り、心配そうにドアの方に視線を移した。

 ドアが開き、男の子よりもずっと小さい女の子が駆け込んできた。その女の子は、男の子の首に腕を回し、私の「大好きな、大好きなお兄ちゃん」と言いながら、何度もキスをした。

「私、お兄ちゃんを迎えにきたの」女の子は、小さな手を叩き、体をよじらせて笑いながら、そう言った。

「お家に帰るのよ、お家よ、お家」

「家だって、ファン」男の子は言った。

「そうよ」女の子は言った。はちきれそうな喜びに包まれていた。

「お家に、いつまでも、ずっといるのよ。いつまでもよ。お父さんは前よりもずっとやさしくなったわ。だから、お家は天国のようよ。ある夜なんか、ベッドへ行こうとしたら、私にとてもやさしく話しかけてくれたのよ。だから、お兄ちゃんが家に帰っていいか、もう一度お願いするのが恐くなくなったの。お父さんは言ったわ、いいって、家に帰るべきだって。お父さんは、お兄ちゃんを迎えに行くために、私を馬車に乗せてくれたのよ。お兄ちゃんは、大人なんだからって」少女は、目を見開きながら言った。

「ここへは、もう二度と戻ってこないのよ。でも、それより、クリスマスをずっといっしょに過ごせるのよ。どこよりも楽しいクリスマスを過ごすのよ」

「ファン、すっかり大人の女性になったんだね」男の子は驚いたように言った。

 女の子は手を叩いて笑った。男の子の頭を撫でようとしたが、背が低すぎて届かず、また笑った。女の子は、つま先で立って男の子を抱きしめ、それから、一途な子供心で、男の子をドアの所まで引っ張って行った。男の子は、大喜びで女の子について行った。

 玄関では、ものすごい声がした。

「スクルージ君の鞄をここへ持ってきなさい」

 校長先生みずからが玄関に現れた。校長先生は、この上なく恩着せがましそうに、スクルージ少年を睨んだ。その握手に、彼は怯えた。校長先生は、スクルージとその妹を、古井戸のような、寒さで身震いする、これ以上ないというほどの応接間に連れていった。壁にかかった地図も、窓際に置かれた地球儀や天球儀も、寒さでロウのようになっていた。校長先生は、妙に水っぽいワインのデカンターと、妙に胃にもたれる大きなケーキを取り出し、二人に分け与えた。同時に、貧相な召使いに、駅馬車の御者にグラス一杯のワインを持って行かせたが、御者は、ありがたいが、以前と同じものならいらないと言った。

 スクルージ少年のトランクは、この時には馬車の屋根にくくりつけられていたので、二人は大喜びで校長先生に別れを告げ、馬車に乗り込み、庭をさっと通り過ぎて行った。くるくる回る車輪は、黒っぽくなった常緑樹の葉を踏みつけ、しぶきのように、霜や雪をはね上げていた。

「あの娘は、そよ風にも堪えられないような、弱い体だったが、気立てはやさしかった」幽霊は言った。

「その通りです」スクルージは叫んだ。

「おっしゃる通りです。違うなんて、言えるわけがない。絶対に言えない」

「彼女は、成人してから死んだんだね」幽霊は言った。

「子供がいたと思うが」

「ひとりいます」スクルージは答えた。

「そうだ」幽霊は言った。

「お前の甥だ」

「そうです」スクルージは落ちつかない様子で短く答えた。

 幽霊とスクルージは、ついさっき学校を後にしたばかりだったが、今は賑やかな、街の大通りにいた。影のような通行人が、行ったり来たりしていたし、影のような荷馬車や馬車が先を争っていた。実際の街に起きる、あらゆる騒動や喧噪があった。商店の飾り付けからみて、ここもクリスマス・シーズンということが、一目瞭然だった。ただ、夕方で、通りには街灯が灯っていた。

 幽霊はある商店の店先で立ち止まり、スクルージにこの店を知っているか訊いた。

「知っています」スクルージは答えた。

「この店で見習いをしていましたから」

 二人は中に入った。スクルージは、ウェールズ・カツラをつけた老紳士を見ると、びっくりして叫んだ。その老紳士は、もう 5 センチ背が高かったら、間違いなく頭が天井につかえるような高い机についていた。

「え! フェズウィッグさんだ。どうなってるんだ。生き返っている」

 老フェズウィッグは、ペンを置き、柱時計を見上げた。7 時を指していた。彼は手をすりあわせ、だぶだぶのチョッキを直し、靴の先から頭のてっぺんまで、全身で笑った。それから、心地よい、なめらかな、豊かで、喜びにあふれた声で呼んだ。

「ヤッホー、さあさあ、エベニーザ! ディック!」

 かつてのスクルージは、その時には若者へと成長していて、見習い仲間を連れて、元気よく入ってきた。

「ディック・ウィルキンスだ。間違いない」スクルージは幽霊に言った。

「何ということだ、ディックがいる。彼は本当に私のことを慕ってくれたんだ。ディック、ああ、可哀想なディック」

「ヤッホー、おまえたち」フェズウィッグは言った。

「今夜は仕事はなしだ。クリスマスだよ、ディック。クリスマスだ、エベニーザ。戸締まりをしようじゃないか」手をパンと叩きながら、老フェズウィッグは言った。

「さっと、やっちまおう」

この二人の若者が、どれくらいすばやく取りかかったか、信じられないほどだった。一、二、三でよろい戸を持って勢いよく通りに出ると、四、五、六で戸をはめ、七、八、九でそれらに閂をさして固定し、競走馬のように息せき切って、十二を数えないうちに戻ってきた。

「よーし」老フェズウィッグは、驚くほど機敏に、高い机から飛び降り、叫んだ。

「おまえたち、片付けるんだ。ここに、広い場所をつくろう。いいか、ディック。さあさあ、エベニーザ」

 片付けること。フェズウィックさんが見ているところでは、彼らが片付けようとしないものはなく、彼らに片付けられないものはなかった。作業はすぐに終わった。動かせるものは、この世から永遠に捨て去られたかのように、すべて片付けられた。床を掃いて水を撒き、ランプの芯を切り、石炭を暖炉に山のようにくべた。店の中は温かく、心地よい、からりとした、明るい社交ダンス場になった。冬の夜には、申し分のない部屋だった。

 楽譜を持ったバイオリン弾きが入ってきて、高い机に上り、そこを舞台に、50 人の胃痛病みがうめくような音を出して、音合わせをした。フェズウィッグ夫人は、満面に笑みを浮かべてやって来た。陽気で可愛いフェズウィッグさんの 3 人の娘さんもやって来た。その娘さんたちに失恋した、6 人の若者も続いてやって来た。それから、この店に雇われている若い男女が、全員やって来た。フェズウィッグさん宅のお手伝いさんは、パン屋をしているいとこを連れてやって来た。フェズウィッグさん宅の料理人は、牛乳屋をしている、彼女の弟の親友といっしょに入って来た。通りの向かいの少年もやって来た。彼の主人は、十分な食べ物を与えていないという噂だ。少年は、ひとつおいた隣に住んでいる少女の後ろに隠れようとしていた。少女は、その女主人から耳を引っ張られたことがあるということだ。次から次へと人がやって来た。恥ずかしそうに入ってくる人、堂々と入ってくる人、しとやかに入ってくる人、おどおどと入ってくる人、押す人、引っ張る人など、とにかくそんな風にして、みんながやって来た。

 さっそく 20組 になって、みんなは踊り始めた。部屋を半分回り、向こう側を通って元に戻ったり、まん中まで行って、戻ったりした。愛情に充ちたさまざまな間柄の人たちが、くるくる回り、踊っていた。最初に先頭に立った組は、いつも間違った場所に移動し、次ぎの組がそこにくると、新たな先頭になった。しまいには、すべての組が先頭になり、先頭に続く後ろの組はなくなった。踊りがこんな具合になった時、フェズウィッグさんは、手を叩いてやめさせ、「上出来、上出来」と叫んだ。バイオリン弾きは、自分のために特別に用意された、黒ビールのかめの中に、火照った顔を突っ込んだ。だが、顔を上げると、休んでいられるかとばかりに、誰も踊っ ていないのに、すぐさま弾き始めた。まるで、それまで弾いていたバイオリン弾きが、くたくたになって戸板で運び出され、新前の自分が、相手を打ち負かすほどの腕を見せなければ、破滅だといわんばかりだった。

 踊りはさらに続いた。罰金ゲームをやって、また踊った。ケーキ、ニーガス酒、大きなコールド・ロースト肉、冷ました煮物、ミンスパイ、たっぷりあるビール。だが、この夜の圧巻は、ロースト肉や煮物を食べた後の、バイオリン弾き(巧みなやつで、いわれなくても、ちゃんと自分の仕事を心得ていた)が、「サー・ロージャー・ド・カバリー」を弾き始めた時だった。フェズウィッグさんは、立ち上がり、奥さんと踊り始めた。二人も先頭をつとめたが、自分たちのために用意された、かなり難しい曲に合わせて踊った。23 、4 組みが後に続いた。あなどれない人たちだった。踊ることに目がなく、歩こうなど全く考えない人たちだった。

 だが、踊っている人たちがその 2 倍、いや、4 倍いようとも、フェズウィッグさんはひるまなかっただろう。奥さんにしてもだ。奥さんは、どんな意味からいっても、フェズウィッグさんにひけをとらなかった。これが十分な褒め言葉になっていないというなら、適切な言葉を教えてもらいた。私はそれを使おう。フェズウィッグさんのふくらはぎは、まばゆい光を発しているようだった。ふくらはぎは、フェズウィッグさんが踊るたびに、月のように輝いた。ある時には、次ぎはどうなるのか、予想もつかなかった。二人が、踊りをひと通り終えた時、前に進み、後ろにさがり、両手を取り合い、おじぎをし合い、螺旋状に回り、つないだ手の下をくぐり抜け、元の場所に戻った時、フェズウィッグさんは、空中で両脚をすばやく動かす「カット」をやって見せた。まことに見事なカットで、脚でウィンクしたように見えた。そして、両脚で着地した時には、よろめきもしなかった。

 時計が11時を打つと、この家庭舞踏会は終わりとなった。フェズウィッグ夫妻は、戸口の両側にそれぞれ立って、帰って行くひとり一人と握手をし、メリークリスマスと言った。二人の年季奉公人を残して、みんなが帰ると、フェズウィッグ夫妻は、二人にも同じように握手をして、メリー・クリスマスと言った。こうして人々の陽気な声は消え、店の奥にあるカウンターの下のベッドには、二人の若者が残った。

 この間ずっと、スクルージは、正気を失った人間のようだった。彼の心も魂も、その光景にとけ込み、かつての自分と同化していた。彼はすべてがありのままだと思い、すべてを思い出し、この上なく興奮した。かつての自分とディックの晴々とした顔が消えると、スクルージはやっと幽霊のことを思い出し、自分をじっと見ているのに気づいた。幽霊の頭の上には、光が明るく輝いていた。

「たいしたことじゃない」幽霊は言った。

「このようなおめでたい人間を心からありがたがらせるのは」

「たいしたことじゃない」スクルージは相槌を打った。

幽霊は、フェズウィッグを心から褒めたたえている二人の年季奉公人の話を聞くように促した。スクルージがそうすると、幽霊は言った。

「そら、違うか。彼はほんの数ポンドのお金を使っただけだ。たぶん、3 ポンドか4 ポンドだろう。こんなに褒められるほどの金額かね」

「そうじゃないんです」それを聞いて、スクルージは、興奮して言った。知らず知らず、今の自分ではなく、かつての自分になって話していた。

「そうじゃないんですよ。フェズウィッグさんは、私たちを喜ばすこともできるし、悲しませることもできる力を持った人なんです。私たちの仕事を軽くすることもできるし、重くすることもできる。楽にすることもできるし、つらいものにすることもできる。その力が、言葉や態度だけだとしても、あまりにもちっぽけで些細なことなので、いちいち数えることができないとしても、それがどうしたというんです。あの人がもたらしてくれた幸福は、一財産を使ったほど大きなものなんです」

 スクルージは、幽霊の視線を感じて、話すのを止めた。

「どうしたんだ」幽霊は訊ねた。

「なんでもありません」スクルージは言った。

「何かあるんだろ」幽霊は言った。

「いえ」スクルージは答えた。

「ただ、私のところの事務員に、今、ひとこと、ふたこと何か言えたらと思ったんです。それだけです」

 スクルージがそう言うと、かつての自分がランプの火を小さくした。スクルージと幽霊は、再び外に並んで立っていた。

「わたしの時間は残り少ない」幽霊は言った。

「急ぐのだ」

 幽霊はスクルージに言ったのでもなければ、その場にいる誰かに向かって言ったのでもなかった。だが、その効果はすぐに表れた。というのは、スクルージには、再び自分の姿が見えたのだ。今度は、前よりも歳を取った、青年時代の自分だった。顔の輪郭には、後年見られた、とげとげしい厳しさはなかったが、不安で、貪欲な兆しが芽生えていた。目は、何かを貪欲に得ようと、落ち着きなく動いていた。そこには、すでに根付いた情熱が見て取れた。そこが成長する樹木の影の行き着く場所だった。

 スクルージはひとりではなかった。傍らには喪服を着た、若く美しい女性が坐っていた。彼女の目は涙に濡れ、クリスマスの過去の幽霊の放つ光できらきら輝いていた。

「何でもないことです」彼女は、穏やかに言った。

「あなたにとっては、取るに足りないことです。他に大切な人ができ、私の代わりをしているんですもの。これから、その人が、私と同じように、あなたを元気づけたり、慰めたりしてくれるのなら、悲しむことなんかないんです」

「お前の代わりの大切な人とは、誰のことだ」スクルージは問い返した。

「金ぴかの人です」

「これが世間の公平なやり方か」スクルージは言った。

「貧乏ほど世間が辛くあたるものはないくせに、富を求めると、これほどの厳しい非難はないときてる」

「あなたは世間を恐れすぎています」彼女は優しく言った。

「あなたが持っていたあらゆる望みは、侮辱されないことだけになってしまいました。私はあなたの気高い情熱が、ひとつひとつ消えていくのを目の当たりにしました。あなたは、お金を儲けること、この情熱の虜になっています。違います?」

「それがどうした」スクルージは言い返した。

「私がそれほどの利口者になったとして、どうだというんだ。お前に対しては変わっていないんだ」

 彼女は頭を振った。

「変わったというのか?」

「私たちの約束は、ずいぶん前のことです。貧しかったけど、それに満足し、がまんして一生懸命働いていれば、いつかは、世間並みの生活が送れると思っていた頃のことです。あなたは変わりました。約束をした頃のあなたは、今とは別人でした」

「子供だったんだ」スクルージは、じれったそうに言った。

「ご自分でも、変わったとお気づきでしょう」彼女は言い返した。

「私は変わっていません。二人の気持ちがひとつだった頃、幸福を約束してくれたものが、気持ちが離ればなれになってしまった今は、不幸をはらんでしまいました。私がこのことを何度考えたか、どれほど真剣に考えたか、申し上げるつもりはありません。私はこのことを考え、あなたを束縛するのをやめようと思った、それだけを申し上げます」

「私が今まで束縛されたくないと言ったことがあるか」

「言葉ではありません。一度もありません」

「じゃ、どうして?」

「あなたは、性格が変わり、心が変わり、生き方が変わったわ。人生の大きな目標として、今までとは違うことを望むようになりました。私の愛に価値をもたせてくれたすべてが教えてくれているのよ。二人の間に、そんなものがなかったら…」少女はスクルージを、控え目ながらしっかり見て言った。

「ねえ、あなたは私のことを理解しようとしているの、私を失いたくないと思ってるの。いいえ、思ってないわ」

 スクルージは、思わず彼女の言ったことに同意しそうになったが、その気持ちを抑えて言った。

「お前は考え違いをしている」

「できれば、間違っていると思いたい」彼女は答えた。

「でも、神さまはご存じです。これが真実だと分かった時には、どうにもならないと思いました。今までも、今も、これからだって、選ぶのはあなたです。あなたが、持参金なしの娘を選ぶとは、私には思えません。あなたは、この女性ならと納得しても、すべて得かどうかで判断するのです。女性を選ぶ時、ほんのちょっとの間、ご自分の主義に背いたとしても、間違いなくすぐに後悔し、悲嘆にくれるのです。私が分からないとお思いですか。私には分かっています。もう、束縛はしません。かつてあなたを愛したのですから、心を込めてあなたを自由にしてあげます」

 スクルージが何か言おうとすると、彼女は顔をそむけ、再び話し始めた。

「あなたも辛いかもしれません。これまで過ごした日々を思えば、あなたも少しは辛いのだと思いたくなります。でも、ほんの少したてば、そんなことがあったなど、思い出しもしなくなるでしょう。儲けにならない夢なのですから、目が覚めてよかったとお思いになるんです。あなたが選んだ人生が、どうか、幸福なものでありますように」

 彼女はスクルージから去っていき、二人は別れた。

「幽霊さま」スクルージは言った。

「もう何も見せないでくれ。家に連れて帰ってくれ。私を苦しめて楽しんでいるのは、なぜなんだ」

「まぼろしは、もうひとつあるのだ」 幽霊は声高に言った。

「もうたくさんだ、見たくない。もう見せないでくれ」スクルージは叫んだ。

 だが、幽霊は容赦しなかった。スクルージを両腕で羽交い締めにすると、次ぎに起きることを無理矢理見せた。

 二人は、それまでの場面とは違う、別な場所にいた。大して広くもなければ、立派でもない部屋だったが、くつろぐにはうってつけだった。冬の暖炉の近くには、美しい少女が坐っていた。前の場面で見た少女ととてもよく似ていたので、スクルージは、今や美しい奥さんとなって、娘であるその少女と向かい合わせに坐っている彼女を見るまで、同一人物だと思っていた。部屋の中は、これ以上ないほど騒がしかった。というのは、そこには動揺したスクルージには、数え切れないほどの子供がいたのだ。詩の中の有名な牛の群とは違い、40 人の子供がひとりのように振る舞うことはなかったが、それぞれの子供が、40 人分の振る舞いをしていた。そのため、信じがたいほど騒々しかった。だが、誰も気にしていなかった。それどころか、その母親と娘は、心から笑い、楽しんでいた。娘はそれからすぐに遊びに加わり、情け容赦なく若い山賊に身ぐるみ剥がされてしまった。

 仲間に入れるんだったら、どんなものでも差し出すのだが。だけど、あんなに乱暴なことはできない。いやいや、できない。全世界の富をもらっても、あの編んだ髪をくしゃくしゃにしてほどいてしまうようなことはできない。それに、あの大切な小さな靴、あれを引っ張り取ることなど、できるわけがない。何ということだ!勘弁してくれ。あのひよっこどもがやっているように、あんな風に、ふざけて彼女の腰回りを測ることは、私には無理だ。罰として、腕が曲がったまま、二度とのばせなくなる。だが、正直にいうと、唇に触れてみたいと心底思った。何か質問をして、唇を開かせてみたかった。恥ずかしがらせないで、うつむいた目のまつげを見てみたかった。髪の毛をほどいて、波打たせてみたかった。あの寸分の髪も、価値のつけられないほどの記念品だ。白状するが、子供のようにほんの少しでも勝手気ままに振る舞えていたら、それがどれほど価値あるかことかを知っている人間だったらと思ったのだ。

 ドアをノックする音が聞こえると、興奮して大騒ぎしている子供たちの真ん中にいた、服を剥がされた、笑い顔の彼女は、すぐさま、ドアの方へ突進するように運ばれた。帰ってきた父親への挨拶を遅らすまいとしたからだが、父親は、クリスマスのおもちゃやプレゼントを抱えた男といっしょにいた。すると、喚声があがり、先を争うように、無防備な運び人に襲いかかった。椅子を梯子代わりにして、その人の身体に登り、ポケットに手を突っ込んだり、茶色の紙包み奪ったり、うれしさのあまり、ネクタイにしがみついたり、首に抱きついたり、背中を叩いたり、脚を蹴ったりした。

 包みをひとつひとつ開けるたびに、驚きや、喜びの喚声が上がった。赤ん坊がお人形さんのフライパンを口に入れようとし、やめさせたけど、木製の大皿にくっついていたおもちゃの七面鳥を呑み込んだかもしれないと、びっくりさせるような声が上がった。だが、間違いだと分かると、すぐに安心した。誰もが、喜び、感謝をし、有頂天になった。言葉には表せないほどだが、興奮した子供たちは客間から次第に出て行き、階段を一段ずつ上って最上階にたどり着くとベッドに入り、そして静かになった、そう言うだけで十分だろう。

 スクルージは、それまで以上に目を凝らして見た。この家の主は、娘がやさしくもたれかかるままに、娘と母といっしょに、暖炉のそばの自分の場所に坐った。スクルージは、しとやかで、将来が楽しみなあのような娘が自分を父と呼び、人生の晩年である冬を春にしてくれたらと思うと、目の前が、ぼんやりとかすんできた。

「ベル、今日の午後、お前の昔の友人を見かけたよ」夫は、妻の方を笑顔で振り向きながら言った。

「誰ですの」

「あててごらん」

「そんなの、分かりません。あら、分かったわ」彼女は、夫と同じように笑顔で、すぐさま言った。

「スクルージさんね」

「そう、スクルージさんだ。彼の事務所の窓のそばを通ったら、閉まってなくて、中にはろうそくが灯っていたから、スクルージさんが見えたんだ。彼の共同経営者は、もう先が長くないということだよ。事務所には、あの人ひとりが坐っていた。まったくのひとりぼっちじゃないのかな」

「幽霊さま」スクルージは言った。その声は打ちひしがれていた。

「この場所から連れ出して下さい」

「言ったはずだ。これらは昔起きたことの影だと」幽霊は言った。

「見ているものは、ありのままの現実なのだから、わたしを責めないでくれ」

「連れ出してくれ」スクルージは叫んだ。

「耐えられないんだ」

 スクルージは、幽霊の方を向いた。自分を見ているその顔には、奇妙にも、それまで見せられた人々の顔の断片が、映し出されていた。それを見て、スクルージは、幽霊に食い下がった。

「どこかへ行ってくれ。私をもとの場所に戻してくれ。もう、取り憑かないでくれ」

 揉み合っている時、目に見える抵抗を何もしない、相手が何をしようとまったく動じない幽霊とのことが揉み合いと言えるのならだが、スクルージは、幽霊の放つ光が、高く、煌々と燃えているのに気づいた。その光が何らかの影響を及ぼしているいるのだとおぼろげに感じ、スクルージは、明かり消しの帽子をつかみ、いきなり幽霊の頭にしっかりとかぶせた。

 幽霊が帽子の下に沈み、明かり消しの帽子は、幽霊をすっぽり包んでしまった。だが、スクルージが力のかぎり抑えても、光を隠すことはできなかった。光は帽子の下から地面の上を、止めようのない洪水のように溢れ出ていた。

 スクルージは、相当な疲れを感じた。耐え難いほどの眠気が襲っているのも分かっていたし、自分の寝室にいることにも気づいていた。彼は帽子をもう一度押しつぶした。すると、手から力が抜けた。それからふらふらとベッドに入り、すぐさま深い眠りに落ちた。




第三章 第二の幽霊

 スクルージは、けたたましいいびきで目覚めた。ベッドに起き上がると、考えをまとめようとした。言われなくても、鐘が再び 1 時を告げるところだと分かっていた。ジャエコブ・マーレイを通じて遣わされる第二の使者と会う特別な目的に合わせて、申し分のないタイミングで目覚めたと思った。

 だが、今度来る幽霊はどのカーテンを引いて入って来るのだろうかと考え始めたら、ぞっとしてきたので、自らの手でカーテンをかたっぱしから開け、再び横になってベッドのまわりを鋭く見回した。というのは、幽霊が現れた時、ひるまずに立ち向かいたいと思ったし、不意を打たれたくなかったし、びくびくしたくなかったからだ。

 機敏で、常にそつがないことを自慢にしているノーテンキな紳士たちは、コイン投げから殺人に至るまで、何でもござれと自分たちの冒険能力の幅の広さを吹聴する。このような両極端の間には、確かに、かなり広範囲にわたって、さまざまなものがある。

 スクルージに関しては、これほど大げさにはいわないが、妖怪変化に対しては、広範囲にわたり心構えができているし、赤ん坊からサイの範囲でなら、大して驚かないということは信じてもらいたい。

 今や、いかなるものにも心構えができていたが、何も起きないことに対してはできていなかった。そして、鐘が 1 時を打っても何も現れなかった時、スクルージは発作を起こし、震え出した。5 分、10 分、15 分とたっても、何も現れなかった。彼はずっとベッドに横たわっていたが、時計が1時を告げた時、ベッドに射し込んだ炎のような赤い光がさしていたのが、まさにそこだった。ただの光だったが、それが何を意味し、何をしようとしているのか見当もつかなかったので、幽霊が次から次ぎに現れるよりもぞっとした。彼の身体が、知らないうちに、自然発火の特異な状態になったのではないかと、ふと不安になった。

 しかし、彼は頭を働かせ始めた。みなさんや私が最初に考えたことをだ。というのは、いつの時でも、何をするべきかを知っていて、それを間違いなく実行するのは、窮地にある当事者ではないのだ。彼はやっと、この幽霊のような光の源と秘密は、隣の部屋にあるのではないかと考えた。光をずっとたどっていくと、そちらから射してくるらしかった。そうとしか考えられなかったので、彼はゆっくり起きあがり、スリッパを引きずりながらドアのところまで歩いた。

 スクルージの手が錠にふれたとたん、聞きなれない声が彼の名を呼び、お入りと言った。彼は言われた通りにした。それは彼の部屋だった。そのことに間違いはなかった。だが、驚くほど変わっていた。壁や天井には、みずみずしい緑の木々が垂れ下がり、本物の森のようだった。そのどこにも、つやつやと光るベリーの実が輝いていた。ヒイラギやヤドリギやツタの葉は、光をてかてかと反射し、無数の小さな鏡が、辺りに散らばっているかのようだった。力強い炎が、ごうごうと煙突に燃え上がっていたが、その勢いは、くすんだ化石のようなこの暖炉には、スクルージの時代にも、マーレイの時代にも、幾年もの過ぎ去った冬の間にも、絶えてなかったことだった。

 床には、七面鳥、ガチョウ、猟獣肉、家禽、ヘッドチーズ、大きな肉のかたまり、子豚、長く連なったソーセージ、ミンス・パイ、プラム・プディング、カキの樽、赤く焼けた栗、サクランボ色のリンゴ、果汁たっぷりのオレンジ、甘いナシ、公現祭前夜祭を祝う大きなケーキ、波立つパンチなどが、玉座のように積み上げられ、そこから立ち上るおいしそうな湯気で部屋がかすんで見えた。長椅子には、見るからに、陽気で、輝かしい巨人が、気持ちよさそうに坐っていた。豊穣の角にも似た燃え上がるトーチを手に持ち、それを高く掲げ、スクルージがドアから恐る恐る入って行くと、その光を彼に注いだ。

「お入り!」幽霊は大きな声で言った。

「入って、わたしをよく見るがいい」

 スクルージはおずおずと入り、幽霊の前で頭を下げた。彼はそれまでの頑固なスクルージではなかった。幽霊の目は澄み、やさしさに満ちていたが、目を合わせたくはなかった。

「わたしはクリスマスの現在の幽霊だ」幽霊は言った。

「わたしを見るのだ」

 スクルージはうやうやしく見た。幽霊は、白い毛皮で縁取られた、緑色のローブか、あるいはマントかを一枚だけ身に着けていた。あまりにも無造作にひっかけていたため、大きな胸はあらわになっていたが、わざわざ何かで守ったり隠したりするには及ばないとでもいうようだった。衣服の広々したひだの下に見える足も、裸足だった。頭にはヒイラギの冠をかぶっていた。冠にはあちこちにきらきら光るつららが下がっていた。濃い茶色の巻毛は、長くゆったりとしていたが、にこやかな顔も、輝いている目も、広げた手も、陽気な声も、くつろいだ態度も、朗らかな様子も、同じようにゆったりしていた。腰のあたりに差していたのは、古風な鞘だが、その中には刀剣はなく、鞘は古くて、錆だらけだった。

「今まで、わたしのようなものに出合ったことはないか」幽霊は大きな声で言った。

「ありません」スクルージは答えた。

「わたしの一族の若いものたちといっしょに出歩いたことはないか。若いものたちというのは(わたしはかなり若いんで)ここ数年に誕生したわたしの兄たちのことだが」幽霊は続けた。

「そんな覚えはありません」スクルージは言った。

「ないと思います。兄弟はたくさんいるのですか、幽霊さま」

「千八百人を超える」幽霊は言った。

「養うのが相当大変だな」スクルージはつぶやいた。

 クリスマスの現在の幽霊は立ち上がった。

「幽霊さま」スクルージは従順だった。

「私をどこなりと連れて行って下さい。昨夜は無理矢理出かけましたが、教わるところがありました。それが今分かってきました。今夜は、教えてくれることがあるのなら、私のためになるようにして下さい」

「わたしの衣にふれなさい」

 スクルージは言われた通りにし、衣をしっかりつかんだ。たちまち、ヒイラギ、ヤドリギ、赤いベリーの実、ツタ、七面鳥、ガチョウ、猟獣肉、家禽、ヘッドチーズ、肉のかたまり、子豚、ソーセージ、カキ、パイ、プディング、フルーツ、パンチなど、すべてが消え去った。部屋も、暖炉も、赤々と輝いていた炎も、夜の時間も消え去り、二人はクリスマスの朝の街角に立っていた。そこでは(天候が厳しかったため)人々が、荒々しいが元気のある、心地よい響きをさせながら、家の前の舗道や、屋根の上の雪をかいていた。雪がドシンと下の道路に落ちたり、ばらけて小さな吹雪ができあがるのを見て、少年たちは大喜びしていた。

 屋根一面に積もった雪や、地面のやや汚れた雪とは対照的に、家々の玄関は黒く汚れ、窓はもっと黒く見えた。地面に積もった雪には、荷車や荷馬車の重たい車輪で掘り起こされた、深いわだちができていた。大通りが分かれるところでは、わだちは他のわだちと幾度も交錯し、黄色の分厚い泥や氷のような水が流れ、跡をたどることができない、複雑な水路のようになっていた。

 空はどんよりして、小さな通りにも、半分解け半分凍った、うす汚れた霧が立ち込めていた。霧の重い粒子は、すすけた微粒子となって降り注ぎ、まるで大英帝国のあらゆる煙突が、一斉に火を吹き、心ゆくまで炎を燃え上がらせているかのようだった。天候や街にはそう楽しいところはないのだが、この上なく晴れ渡った夏の陽気や、これ以上ないほど輝いている夏の太陽が、懸命にまき散らそうとしても無駄なほどの、楽しい雰囲気があちこちにみなぎっていた。

 というのは、屋根の上で雪かきをしている人は、陽気で、喜びに満ち溢れていたからだ。手すりからお互い呼びかけたり、時々ふざけて雪のボールを投げ合ったりしていた。冗談を数多く飛ばすよりも、この方が、はるかに効果的な飛び道具だった。ボールが当たれば大笑いし、当たらなくても同じように大笑いした。鳥肉屋はまだ完全には店じまいしていなかったし、果物屋は、この時とばかりに輝いていた。

 陽気な老紳士のチョッキのような形をした、栗の入った丸く膨らんだ大きなかごは、ドアにたてかけてあるものもあれば、栗を入れすぎたために膨らみすぎて、通りに転がり出ているものもあった。赤らんだ、胴回りの広い茶色のスペイン種の玉ねぎは、スペインの修道士のように、丸々太って輝いていたが、女の子が通り過ぎると、浮気心を出して、棚からウィンクし、吊してあるヤドリギを取りすましてちらりと見た。

 ナシやリンゴは、咲きほこるピラミッドのように高く積み上げられていた。ブドウの房は、店主の心あるはからいで、人目につくフックにぶら下げられ、無料で道行く人々によだれをもよおさせていた。苔のついた、茶色のハシバミの実の山は、その匂いをかぐと、森の中の昔ながらの道や、くるぶしを枯葉に深く埋め、足をとられながら楽しく歩いたことを思い出させた。ずんぐりした浅黒い、ノーフォーク産のリンゴは、黄色のオレンジやレモンを引き立てていたが、実は果汁たっぷりでひきしまっていて、今すぐ紙袋に入れて家に持って帰り、食事の後に食べてくれと、しきりに懇願していた。

 このような極上のくだものにまじって、金色の魚や銀色の魚がボールに入れられていた。鈍感で、血のめぐりの悪い種ではあるが、何かが起きていることは知っているようで、一匹残らず、のろのろと、適当に興奮し、口をパクパクさせながら、その狭い世界をぐるぐる回っていた。

 食料品店。そう! 食料品店。よろい戸が一枚か二枚閉められ、あらかた店じまいをしていたが、すき間からは、さまざまな光景が垣間見えた。カウンターの上に下りてきた天秤が、陽気な音を立てたり、より糸が糸巻きからくるくるっと離れたり、小さな缶が、お手玉のようにガタガタと跳ねたり落ちたり、紅茶とコーヒーの混じった香りが鼻に心地よかったり、レーズンは豊富にあり、品種もめずらしく、アーモンドは真白で、シナモン・スティックは長く、まっすぐだし、その他の香辛料もおいしそうな香りがし、砂糖漬けにしたフルーツは、きちんと固まっていて、溶かした砂糖が点々としていた。これらの光景を目にすれば、どんな冷静な人でも気が遠くなり、心がかき乱されるだろう。

 だが、それだけではなかった。イチジクは適度に水気があって柔らかく、フランス産プラムは程良い酸っぱさで、きれいに飾られた箱で顔を赤らめていたし、全てが食べ頃で、クリスマスの装いを凝らしていた。だが、どのお客も、この日を楽しく迎えようと、先を急いでいたし、我を忘れていたので、店先でぶつかり合ってよろけ、枝編みのかごを乱暴に押しつぶしたり、買ったものをカウンターの上に置き忘れ、走って取りに戻ったり、このような間違いを何度も犯したが、これ以上ないほど上機嫌だった。

 食料品店の店主や店員は気さくで威勢がよく、エプロンを背中で締めているぴかぴかに磨かれたハート型の金具は、彼らのハートといってもよかった。外に出して着けているのは、みんなに見てもらうためだし、クリスマスのカラスが望むなら、つついてもらうためだった。

 だが、まもなく教会の尖塔が、善良な人々を残らず教会や礼拝堂に呼び寄せたので、彼らは晴着を着て、この上なく晴れやかな顔で、群をなして通りをやってきた。同時に、横町や、路地や、名もない曲がり角の至る所に、調理してもらう夕食の材料をパン屋に運ぶ人々が、ぞろぞろと現れた。

 飲み騒ごうとしているこれらの貧しい人々は、幽霊の心を引いたようだ。幽霊はスクルージと並んでパン屋の店先に立ち、食べ物を持った人々が通り過ぎるたびに、その覆いを取り、たいまつから香料を振り撒いた。普通とは違うたいまつで、一度か二度、食べ物を持った者同士が押し合い、罵り合うことがあったが、幽霊がたいまつから数滴の水を注ぐと、たちまち機嫌が直った。彼らは、クリスマスに喧嘩するなんて恥ずかしいことだね、と言った。その通りだ。本当にそうだ。

 やがて鐘が鳴り止み、パン屋は店を閉めた。だが、パン屋のかまどの上の、雪がとけ、濡れてシミになっているところには、持ち込まれたあらゆる夕食の材料や、それらが調理されていく様子が、ほんのりと映し出されていた。歩道からは、まるで敷石が焼かれているかのように、湯気が立ち上っていた。

「たいまつから振り撒いたものの中には、特殊な風味が入っているんですか」スクルージは訊ねた。

「入っている。わたしだけのが」

「この日のどんな料理にも合うのですか」スクルージは訊ねた。

「親切な気持ちで出された、どんな料理にもだ。粗末な料理には特に合う」

「どうして、粗末な料理に特に合うのですか」スクルージは訊ねた。

「一番必要としているからだ」

「幽霊さま」スクルージは少し考えた後で言った。

「人が関わるあまたある世界の、あらゆるものの中でも、あなたがこのような人々の無邪気な楽しみを制限しようとしているなんて」

「わたしが!?」幽霊は叫んだ。

「あなたは、この人たちからごちそうを食べる手段を、七日ごとに奪っています。この人たちがごちそうを食べられそうなのは、その日ぐらいだというのに。そうでしょう?」スクルージは言った。

「わたしが!?」幽霊は叫んだ。

「あなたはパン屋を、七日ごとに閉めさせています。それが同じことになるんです」スクルージは言った。

「わたしが、閉めさせている!?」幽霊は声高に言った。

「間違っていたらお許し下さい。あなたの名において、少なくともあなたの一族の名において行われていることです」スクルージは言った。

「おまえたちの世界には、われわれのことを知っていると主張し、われわれの名で、自分たちの情欲、高慢、悪意、憎悪、嫉妬、偏見、我欲を満たしている者たちがいるのだ。われわれも、われわれのすべての一族も、その者たちは存在していないに等しく、無関係なのだ。いいかね、その者たちのしたことについては、その者たちを批判してもらいたい。われわれではなく」幽霊は答えた。

 スクルージはそうすると約束した。二人はそれまでと同じように、人には見えない姿で、町外れへと歩いて行った。幽霊は(スクルージはパン屋で気づいたのだが)身体が巨大だったが、どの場所にも簡単におさまった。低い屋根の下でも、幽霊は天井の高いホールにいる時のように、優雅で神秘的な存在として立っていた。これこそ幽霊の驚くべき特徴だった。

 おそらく、自分の力を誇示する時の善良な幽霊の喜びからだろう、あるいは、親切で、もの惜しみしない、愛情深い性質からか、あらゆる貧しき者に対する同情心からか、幽霊は、スクルージをまっすぐに彼の事務員の家に導いた。というのも、幽霊はそこに行ったし、衣にしがみついているスクルージをそこに連れていったのだから。入り口の敷居のところでほほ笑むと、立ち止まってボブ・クラチットの住まいを、たいまつを振って祝福した。考えてみよう。ボブは 1 週間にわずか 15 ボブを稼ぐだけだ。土曜日ごとに、自分の洗礼名と同じ名のほんの 15 枚をポケットに入れるだけなのだ。だが、クリスマスの現在の幽霊は、ボブの 4 部屋の住まいを祝福した。

 その時、クラチットさんの奥さんが立ち上がった。着飾っていたが、ドレスは二度裏返した粗末なものだった。だが、安物のリボンは、6 ペンスにしては見栄えのいい派手なものだった。彼女は、同じように派手なリボンを着けた、次女のベリンダ・クラチットに手伝ってもらい、テーブルクロスを掛けていた。一方で、ピーター・クラチット君は、フォークをポテトの鍋に突っ込んでいた。ばかでかいシャツ(ボブのシャツだが、この日のお祝いにと、跡継ぎの息子に与えたのだ)の襟の両端を口にくわえ、粋な服装で着飾ったのが嬉しくて、流行に関心のある人が集まる公園で見せたいと思っていた。

 そこに、クラチット家の二人のちびっ子、男の子と女の子が駆け込んできて、パン屋の前でガチョウの焼ける匂いがしたけど、うちのガチョウだよ、と大声で叫んだ。二人はセージの香味料やオニオンといった、贅沢なごちそうを思い浮かべながら、テーブルの回りをはしゃぎ回り、ピーター・クラチット君を有頂天にさせた。彼は(自慢じゃないが、襟で窒息しそうだった)火を吹き熾していたので、煮立つのが遅かったポテトが、取り出して皮を剥いてくれと鍋の蓋をゴトゴト鳴らした。

「いったい、あんたたちの大事なお父さんはどうしたんだろうね」クラチット夫人は言った。

「それに、ティムのおちびさんも。マーサも去年のクリスマスには、30 分も遅くなることはなかったんだけどねえ」

「お母さん、マーサはいますよ」少女は入りながらそう言った。

「マーサだ、お母さん」クラチット家の二人のちびっ子は叫んだ。

「バンザーイ。マーサ、すごいガチョウがあるんだよ」

「おやまあ、どうしたんだい、遅かったじゃないか」クラチット夫人はそう言うと、マーサに何度もキスをし、おせっかいなほど熱心に、ショールや帽子を脱がせてやった。

「昨夜は仕上げなけりゃいけない仕事がたくさんあったのよ」少女は答えた。

「それに、今朝は後片付けをしないといけなかったの、お母さん」

「まあ、帰ったんだから、もう気にしなくていいよ」クラチット夫人は言った。

「さあさあ、暖炉の前に坐って温るんだよ」

「だめ、だめ、お父さんが帰ってきたぞ」どこにでもさっと現れる、クラチット家の二人のちびっ子は叫んだ。

「隠れるんだ、マーサ。隠れるんだってば」

 マーサが隠れると、小柄な父親のボブが入ってきた。房を除いて長さが少なくとも 3 フィートもある襟巻を前に垂らしていた。彼のすり切れた衣服は繕われていたし、ブラシがかかっていて、この季節にふさわしかった。彼はティムのおちびさんを肩に乗せていた。ティムのおちびさんといえば、可哀想に、小さな松葉杖を持ち、脚には鉄のフレームがはめられていた。

「おや、マーサはどうしたんだ」ボブ・クラチットは見回しながら叫んだ。

「まだ来ていません」クラチット夫人は言った。

「来ていない」ボブは、上機嫌だったが、急にがっかりしてそう言った。彼は、ティムの馬になって、教会からずっとパッパカパッパカと帰ってきたのだ。

「クリスマスに来ていないなんて」

 マーサは、冗談にしろ、父親ががっかりするのを見たくなかった。そこで、早すぎたが、クロゼットの扉の陰から出て、ボブの腕の中に飛び込んだ。

 クラチット家の二人のちびっ子は、ぐつぐついう火にかかっているプリンの音を聞かせてやろうと、ティムのおちびさんを急かし、台所へ連れて行った。

「ティムのおちびさんは、良い子にしていましたか」クラチット夫人は、ボブのだまされやすいのをからかいながら、そう訊ねた。ボブはマーサを心ゆくまで抱きしめた。

「純金のようだったよ」ボブは言った。

「いや、それ以上だ。ひとりで坐っていることが多いから、思慮深くなってるところがあるんだね、聞いたこともない不思議なことを考えているんだ。帰りながら、教会の中でみんながぼくを見てくれてたらいいのにな、だってぼくは足が悪いだろ、だから足が悪い乞食を歩けるようにしたり、目が悪い人を見えるようにしたりした人をのことを、クリスマスの日に思い出すのは、みんなにとっては嬉しいことだよって言うんだから」

 この話をしている時、ボブの声は震えていたが、ティムのおちびさんは強くたくましくなったと言った時には、声の震えはさらに大きくなった。

 小さな松葉杖の音が元気よくコツコツと床に響くと、次の言葉を言い出さないうちに、ティムのおちびさんが戻ってきた。ティムは、お兄さんとお姉さんに付き添われ、暖炉の前の自分のイスに坐った。ボブは袖口を、やれやれ、もっと汚れるかもしれないと思っているのか、まくり上げ、温かい飲み物を作ろうと、ジンとレモンをジョッキに入れ、よくかき回してから、温めるために暖炉の中の横棚の上に置いた。ピーターと、どこにでも顔を出すクラチット家の二人のおちびさんは、ガチョウを取りに行き、それを持ってすぐに意気揚々と戻ってきた。

 それから、あらゆる鳥の中で一番珍しいのがガチョウだと思わせるほどの、大変な騒ぎになった。羽の生えた不思議な生き物、これに比べれば、黒い白鳥などありふれていた。実際、この家では、ガチョウはその通りの鳥だった。

 クラッチット夫人は、肉汁(あらかじめ小さな鍋に作っておいたもの)をぐつぐつ煮た。ピーターはすさまじい力でポテトをつぶした。ベリンダは砂糖を加え、アップルソースを甘くした。マーサは温めた皿を拭いた。ボブはティムのおちびさんを自分の隣、テーブルの端っこに坐らせた。クラチット家の二人のおちびさんは、みんなのイスを並べたが、自分たちのも忘れてはいなかった。二人は席について、目を光らせながら、ガチョウをよそってもらうのを待ちきれず、叫び声を上げまいとしてスプーンを口に突っ込んだ。

 いよいよ、皿が並べられ、お祈りが唱えられた。クラッチット夫人が、肉切りナイフを上から下までじっくりと見つめ、ガチョウの胸に突き刺そうとすると、みんなは息を止めたように静かになった。だが、実際に突き刺し、待ちに待った詰物がどっと溢れ出ると、喜びのささやき声が食卓全体に広がった。ティムのおちびさんでさえ、クラチット家の二人のおちびさんにつられて、ナイフの柄でテーブルを叩き、弱々しく「ヤッター」と叫んだ。

 またとないガチョウだった。ボブはこんなガチョウがあろうとは、思ってもみなかったと言った。肉はやわらかいし、風味もいいし、大きさや、値段の安さなど、みんなが褒め称えた。アップルソースやマッシュドポテトを添えると、家族全員にとって、十分なごちそうになった。実際、クラチット夫人が(皿の上の小さな骨のかけらをみながら)嬉しそうに言ったように、とうとう食べきれなかった。

 だが、誰もが満足していた。特におちびさんたちは、セージやオニオンまみれになっていた。ベリンダが皿を取り替えると、クラチット夫人は、ひとりで部屋を出て行った。プディングを取りに行くためだが、気が気でなかったので、誰にも見られたくなかったのだ。
 もし、火が十分通っていなかったら。もし、取り出す時にくずれたら。もし、ガチョウで陽気に騒いでいる間に、裏庭の塀をのり越えて、誰かが盗んでいたとしたら。クラチット家の二人のおちびさんたちが青ざめるような、あらゆる恐ろしい思いをめぐらせた。

 おや! すごい湯気だ。プディングが鍋から取り出された。洗濯をした日の匂いだった。布の匂い。食べ物屋とお菓子屋が隣同士で、その隣に洗濯屋が並んでいるような匂いだった。まさにプディングだった。それからすぐに、クラチット夫人は、顔を火照らせ、誇らしげにほほ笑みながら、プディングを持って入ってきた。プディングは、小さな斑点がついた砲弾のように、堅くしっかりしていたし、4分の1パイントの半分の、そのまた半分の度の強いブランデーが、芳しい香りを放っていた。てっぺんには、クリスマスのヒイラギが立てられていた。

 なんと! すばらしいプディングだ。結婚してから、クラチット夫人が作った最高のプディングだ。ボブ・クラチットは、静かにそう言った。クラチット夫人は、肩の荷がおりたので白状するが、小麦粉の量に自信がなかったと言った。誰もがプディングについて何か言ったが、大家族にしては小さすぎるプディングだと、言ったり、考えたりする者はいなかった。いたとしたら、まったくの異端児だ。クラチット家の者なら、そんなことをほのめかすことさえ、顔を赤らめただろう。

 ようやく食事が終わり、テーブルクロスを片付けると、炉を掃除してから、火を大きくした。陶器製の容器に作った飲み物を味見すると、申し分なかった。リンゴとオレンジをテーブルに置き、シャベル一杯の栗を火にのせた。それからクラチット家の人たちは、みんな炉の回りに集まり、ボブのいう円形、実際は半円なのだが、になった。ボブの横には、この家のガラスの器、2個のコップと柄のないカスタードカップが並んでいた。

 熱い飲み物は、これらのガラスの器に注がれたが、その器は黄金の杯にも等しかった。ボブは、喜びに充ちた顔で注いだ。火の上では、栗がぱちぱちと騒々しくはぜていた。ボブが口を開いた。

「みんな、クリスマスおめでとう。神さまがみんなを祝福してくださいますように」家族みんなが同じことを言った。

「神さまがぼくたちみんなを祝福してくださいますように」最後にティムのおちびさんが言った。

 彼は小さなスツールに腰掛け、父親のそばにぴったり寄り添っていた。ボブはティムの弱々しい小さな手を握ったが、まるで、愛している息子をいつまでもそばにおいておきたいと願い、連れ去られるのを恐れているかのようだった。

「幽霊さま、ティムのおちびさんは助かるのでしょうか」スクルージは訊ねた。今までは気にもしなかったことだった。 

「わたしにはぽっかりと空いた席が」幽霊は答えた。

「みすぼらしい炉の片隅に見える。それと、持ち主をなくした松葉杖が、大事にしまわれているのが。もし、未来がこれらの幻影をそのままにしておくのなら、あの子は死ぬだろう」

「いけません、いけません」スクルージは言った。

「お願いです、親切な幽霊さま、あの子は助かると言ってください」

「もし、未来がこれらの幻影をそのままにしておくのなら」幽霊は答えた。

「わたしの一族の誰ひとり、あの子をここで見つけることはないだろう。それがどうしたというのだ。あの子が死にそうだというのなら、死ねばいいではないか。そうして余計な人間を減らせば」

 スクルージは幽霊が引き合いに出した、かつての自分の言葉を聞いてうなだれ、後悔と悲しみでいっぱいになった。

「いいか」幽霊は言った。

「もし、おまえが木石ではなく、心を持った人間なら、何が余計で、それがどこにあるのかを見出すまで、こんなひどいことを言うものではない。どんな人間が生き、どんな人間が死ぬのか、それをおまえが決めるというのか。神の目からみれば、この貧乏な男の子供のような何百万人の人間よりも、おまえの方が生きる価値もなければ、生きるにふさわしくないとも言えるのだ。ああ、神よ、葉にとまった虫けらが、屈辱の中にある飢えた仲間のことを長く生きすぎるという、そんなことを聞こうとは」

 スクルージは幽霊に厳しくとがめられ、うなだれ、震えながらうつむいた。だが、自分の名前が聞こえると、すぐに顔を上げた。

「スクルージさんに、このごちそうをもたらしてくれた人に、メリークリスマス」 ボブは言った。

「まったく、ごちそうをもたらしてくれた人だわ」クラチット夫人は、顔を赤くして、声を張り上げた。

「あの人がここにいれば、私の言いたいことをうんとごちそうしてあげるのに。おいしく食べてくれるといいんですけどね」

「おいおい、子供たちがいるんだよ。クリスマスだし」ボブは言った。

「そうね、確かにクリスマスだわ」彼女は言った。

「スクルージさんのような、あんな邪悪で、ケチで、頑固者の情け知らずの健康を祝して乾杯するんですものね。あなたはご存じよね、ロバート。そのことはあなたが誰よりもよく知っているんですものね、かわいそうに」

「やれやれ、クリスマスだよ」ボブはやさしく言った。

「スクルージさんの健康を祝して乾杯しましょうか」クラチット夫人は言った。

「スクルージさんのためじゃないわよ、あなたとクリスマスのためによ。あの人が長生きしますように。メリークリスマス、それから、新年おめでとう。きっと、あの人も楽しくなって、幸せになることでしょう」

 子供たちも彼女の後に続いて乾杯した。彼らが心のこもらないことをしたのは、これが初めてだった。ティムのおちびさんは、最後に乾杯したが、そんなことは少しも気にしていなかった。スクルージはこの一家にとっては、鬼にも等しかった。彼の名を口にすると、暗い影が射した。それを振り払うには、たっぷり 5 分はかかった。

 影が消え去ると、みんなは悪意の権化のスクルージを振り払ってほっとしたというだけで、以前にまして 10 倍も陽気になった。ボブ・クラチットは、ピーターのために就職先を考えていて、それが決まれば、1 週間に 5 シリングと 6 ペンスにもなると話した。

 クラチット家の二人のおちびさんたちは、ピーターが実業家になると思うと、笑いころげた。ピーターはといえば、途方もない収入を手にした時には、いったい何に投資すべきか慎重に考えているかのように、襟の間から思慮深く炉の火を見ていた。

 帽子屋で働いているマーサは、どんな仕事をさせられているか、何時間続けて働いているかを話し、明日の朝はベッドでゆっくり休むつもりだと言った。明日一日は、彼女が家で過ごせる休日なのだ。

 彼女は、数日前に伯爵夫人や貴族を見たが、その貴族はピーターと身長がほとんど変わらなかったとも言った。それを聞いたピーターは、その場に居合わせた人にも頭が見えなくなるぐらい襟を高々と引っ張り上げた。会話を楽しみながら、栗や飲み物の入った陶器製の容器を回し合った。それからみんなは、おちびさんのティムが歌う、雪の中をさまよう子供の歌を聞いた。ティムは、哀愁をおびたか細い声で、とても上手に歌った。

 この家族にはこれといって注目するところは何もない。容姿端麗でもければ、りっぱな服を着ているわけでもない。靴には水がしみこんでしまうし、服もあまり持っていなかった。ピーターは質屋通いをしたことがあるかもしれないし、その可能性は大いにあった。だが、誰もが幸福で、感謝していたし、家族を愛し、このひと時に満足していた。

 彼らの姿がだんだん消えていった。消え去る時には、幽霊のたいまつがふりまく明かりで、彼らはいっそう幸福そうに見えた。スクルージは彼らを見ていた。特におちびさんのティムからは、最後まで目をはなさなかった。

 もう暗くなりかけていた。雪もかなり激しく降っていた。スクルージと幽霊は、通りを歩き回っていた。台所や居間など、あらゆる部屋で燃えさかっている火は明るく、すばらしかった。こちらでは、ちらちら輝く炎から、おいしいごちそうが準備されていることが見て取れた。皿は火に十分かざされて温められ、深紅のカーテンは、寒さと闇を閉め出すために引かれるばかりだった。

 あちらでは、家の子供たち全員が雪の中に走り出て、結婚して家を出た姉や兄、いとこ、叔父、叔母を出迎えた。真っ先に挨拶するのは自分だといわんばかりだった。また、こちらでは、お客が集まっている様子が、ブラインドに映っていた。あちらの、誰もがフードをかぶり、毛皮のブーツをはいた、美しい女性の一団は、皆がいっせいにぺちゃくちゃしゃべりながら、足どりも軽く、近所の家に向かっていた。彼女らが、顔をほてらせながら入るのを見る独身男性の苦悩が、ここに始まる。彼女らは巧妙な魔女であり、そのことをちゃんと自覚していた。

 知人同士の集まりに行く人の多さを見たならば、どの家も客が来る予定がなく、煙突の中ほどまでも炎を高々と燃え上がらせているということもなく、 着いた時に出迎えてくれる人は誰もいないのではないかと思うだろう。祝福あれと、幽霊は大喜びしていた。広い胸をさらけ出し、大きな手のひらを広げ、手の届くかぎり、明るく、たわいのない喜びを、すべてのものに惜しみなくふりまきながら、ふわふわ浮いて進んでいた。

 薄暗い通りに明かりを点々と灯しながら、前を走っていた点灯夫は、今晩のためにきちんとした服装をしていたが、幽霊が通り過ぎると、笑い出した。クリスマス以外にも連れがいることを、この点灯夫は知らなかったのだが。

 二人は吹きすさぶ、荒涼とした荒れ野に立っていた。幽霊からは何のまえぶれもなかった。そこは、ごつごつした巨大な岩があちこちに散らばり、巨人の墓場を思わせた。水はあらゆる方向に流れていたが、寒さで凍らなければ、至る所に流れていたことだろう。そこには苔やハリエニシダ、雑然と生い茂る雑草以外、何も生えていなかった。西の空には、夕日が燃え立つような赤い光を放ち、不機嫌な目のように、その荒廃とした光景を、一瞬、にらみつけると、顔をしかめながら、低く、さらに低く、夜の深い闇の中に沈んでいった。

「ここはどこですか」スクルージは訊ねた。

「地の底で働く坑夫が住んでいるところだ」幽霊は答えた。

「彼らはわたしを知っているのだ。ほら」

 明かりが一軒の小屋の窓に灯っていた。二人はすぐにそこに向かった。泥と岩の壁を通り抜けると、陽気な人々が明々と燃える火を囲んでいた。年を重ねた老人と老婆、その子供たち、その子供たちの子供たち、そらからまたその子供たち、みんなよそ行きの服装で、陽気に着飾っていた。

 老人は、荒れ野に吹く風の音にかき消されそうな声で、クリスマスの歌をみんなに歌って聞かせていた。老人が子供の頃のとても古い歌だった。時々、みんなもいっしょになってリフレーンの部分を歌った。みんなが声を上げると、老人も高らかに歌い、みんなが歌うのをやめると、老人の声も再び張りを失った。

 幽霊はそこに長くはとどまらなかった。スクルージに衣をつかむように命じると、荒れ野の上をさっと飛び越えた。どこへいくのか。海ではなかろう。いや、海だった。振り返った時、陸地の端、恐ろしげな岩の連なりが見え、スクルージはぞっとした。激しくとどろく波の音で、スクルージは何も聞こえなかった。波はうねり、とどろき、自らが穿った不気味な洞窟の間を荒れ狂っていた。何としてでも大地を削り取ろうとしていたのだ。

 岸から数キロ離れたもの寂しい暗礁に、灯台がぽつんと立っていた。荒天は一年じゅう続き、波は激しく打ちつけていた。その土台にはたくさんの海草がからみついていた。ウミツバメは、海草が海から生まれるように、風から生まれたのではないかと思わせた。灯台の周りを舞い上がったり舞い降りたりして、かすめ飛んでいる波と見まがうほどだった。

 だが、こんなところにも灯台を守る二人の男がいた。男たちが燃やしている火は、厚い石壁の小窓から、荒れ狂う海上に一条の明るい光を放っていた。二人は、粗末なテーブルに坐り、テーブル越しに、荒れてごつごつした手を握り合い、缶に入れたグロッグ酒でクリスマスを祝っていた。二人のうちの年長の男は、古い船の船首像のように、顔全体が厳しい天候のために荒れ果て、傷だらけになっていた。男は、勇壮な歌を歌い始めたが、歌そのものが、まるで疾風のようだった。

 幽霊は再び、暗く、うねる海の上を、どこまでも、どこまでも速度を速めて進んで行った。そして、どの岸からも遠く離れたとスクルージに言うと、一隻の船の上に降りた。二人は舵を操る舵手、船首にいる見張り、当直のオフィサーのそばに立った。それぞれの持ち場では、暗く、亡霊のようだったが、誰もがクリスマスの歌を口ずさんだり、クリスマスのことを考えたり、これまで過ごしたクリスマスのことを同僚に小さな声で語っていた。そこには家を思う気持ちがあった。

 起きている者も眠っている者も、善良な人もそうでない人も、船に乗っている者は誰もが、一年のどの日よりも、この日にはやさしい言葉をかけ、祭り気分をいくらか味わっていた。そして、遠く離れた、愛する人たちのことを思い、その人たちも自分のことを思い出しては喜んでくれていることを知っていた。

 スクルージはびっくりした。風のうなりに耳を傾け、死の深淵にも等しい神秘の深みをたたえた未知なる海の上、孤独な暗闇を突っ切って進んでいくのは、何と厳かなことかと考えていた、そんな時に、朗らかな笑い声を聞いて、非常に驚いたのだ。その笑いが自分の甥のものであり、自分が明るく、からりとした、まばゆいばかりの部屋にいることを知った時には、もっと驚いた。幽霊はほほ笑みながらそばに立ち、その甥を満足そうに、にこにこしながら見ていた。

「は、は、は、は」スクルージの甥は笑った。

 あり得ないだろうが、みなさんが、もしスクルージの甥以上に笑いに恵まれた人を知っているなら、ぜひお近づきになりたい。その人を紹介して下さい。知遇を得たいと思っています。

 病気や悲しみは他の人に伝染するが、この世では、笑いや陽気な気分もそれらに劣らず、自然と人に伝染している。ものごとは公平、公正で、立派に調和がとれているのだ。スクルージの甥が、腹を抱え、頭を振りながら、顔をこの上なくくしゃくしゃにして笑った時、スクルージの義理の姪も、同じように心から笑った。集まった二人の友人も、すぐさま、朗らかに笑い転げた。

「あの人はクリスマスをたわごとだと、本当に言ったんですよ」スクルージの甥は声を上げた。

「しかも、そう信じてるんだから」

「なおさらひどいってことよ、フレッド」スクルージの姪は腹を立てて言った。

 このような女性に恵みあれ。彼女たちは、ものごとを決して中途半端で終わらせたりはしない。いつも真剣なのだ。

 この姪はとても可愛かった。とにかく可愛いのだ。えくぼのある、びっくりした表情のすばらしい顔立ちだった。熟れた小さなくちびるは、キスするためにあるようだった。きっと誰もがそう思うだろう。あごのまわりには、愛らしいさまざまなくぼみがあり、笑うとそれぞれが寄り合った。目はどんな少女にも見られないほど明るく輝いていた。人をじらすような女性だと感じるかもしれないが、申し分のない女性だった。まったく、申し分がなかった。

「あの人はおかしな年寄りだよ」スクルージの甥は言った。

「ほんとうにそうだ。愉快な人なのかもしれないけど。でもね、あの人が人を不愉快にすれば、あの人自身にはねかえってくるんだから、あの人のことを悪くは言わないよ」

「あの人がお金持ちということは確かよ、フレッド」スクルージの姪はほのめかすように言った。

「少なくとも、あなたはいつも私にそう言ってるわ」

「それがどうしたというんだい」スクルージの甥は言った。

「あの人の財産は、あの人には何の役にも立ってないんだよ。それで何かいいことをするわけではないし、楽しむわけでもない。あの人が、それでぼくたちに何かしてやろう、なんてことを考えて満足することはないな、は、は、は」

「私はあの人には我慢できないわ」スクルージの姪は言った。彼女の姉妹たちをはじめ、女性たちはみんな同感だと言った。

「ぼくは違うな」スクルージの甥は言った。

「ぼくはあの人が気の毒だな。腹を立てようと思っても立てられないよ。意地の悪さで、誰が損をしているんだい。あの人自身じゃないか。いつもそうだろ。今回もそうだ。あの人は、ぼくたちを嫌いだと決めつけて、食事にも来ない。その結果はというと、大したごちそうを食べ損なったわけじゃないけどね」

「いいえ、すばらしいごちそうを食べ損なったと思うわ」

 スクルージの姪が口をはさんだ。他の誰もが同じことを言った。判断を下すには格好の人たちだった。なぜなら、その人たちは食事を終えたばかりで、デザートをテーブルに置き、ランプの明かりに照らされて、暖炉のまわりに集まっていたからだ。

「そう、だったらすごく嬉しいな」スクルージの甥は言った。

「というのは、ぼくは若い主婦をあまりあてにしていないんでね。トッパー、きみはどう思う」

 トッパーがスクルージの姪の妹のひとりに目をつけているのは、明らかだった。というのは、独身者はみじめなのけ者で、そのような話題に口をはさむ権利はないと答えたのだ。

 これを聞いて、スクルージの姪の妹は - ばらをつけた方ではなく、レースの襟布をつけた方だが - 顔を赤らめた。

「その先をおっしゃいよ、フレッド」スクルージの姪は手をたたきながら促した。

「この人は言い始めて、いつも途中でやめるのよ。おかしな人でしょう」

 スクルージの甥は、また笑い転げた。つられて笑うまいとするのは不可能だった。ぽっちゃりした妹は、芳香ビネガーで何とか笑うまいとしたが、誰もがフレッドにつられて笑い転げた。

「こう言おうとしていただけなんだ」スクルージの甥は言った。

「おじさんが僕らを嫌って、いっしょに楽しく過ごそうとしないことが、何の害にもならない楽しい時間を失うことになるんだ。僕はそう思うな。あのかび臭い古ぼけた事務所や、あの人のほこりっぽい部屋で、ひとりで考えていても得られないような愉快な仲間を、確実に失っているんだ。おじさんが嫌がっても、僕は毎年同じような機会を作るつもりだよ。だって、あの人が可哀想でしょうがないんだ。おじさんは死ぬまでクリスマスをののしるかもしれないけど、考え直さなければならなくなるさ。僕がそうしてみせるよ。毎年あの人のところに上機嫌で行き、スクルージおじさんお元気ですかって言うんだ。それがお金に困っている事務員に、50 ポンドでも残そうという気を起こさせたら、意義のあることじゃないか。それに昨日は、あの人の気持ちを揺さぶったと思っているんだ」

 スクルージの気持ちを揺さぶったと聞いて、今度はみんなが笑い出した。だが、スクルージの甥は、まったくの好人物だったので、みんなが何を笑っているのかそう気にしないで、とにかくみんなが笑ってくれるようにと、陽気になるように盛り上げ、酒の瓶を嬉しそうに回した。

 お茶をすませると、みんなで音楽を楽しんだ。彼らは音楽一家だった。合唱や輪唱など、確かにこつを心得ていた。特にトッパーは、歌手のようにみごとな低音を出すことができたが、額の血管を浮き上がらせることも、顔を真っ赤にすることもなかった。

 スクルージの姪は、ハープを上手に弾いた。いろいろ弾いた中に、簡単な小曲(取るに足りない、2分もあれば口笛で吹けるような曲)があった。それはスクルージを寄宿学校からつれ戻しにやってきた、あの女の子になじみの曲だった。スクルージも、クリスマスの過去の幽霊のおかげで、思い出している。

 この曲が流れると、幽霊が見せてくれたあらゆる場面が、スクルージの心によみがえってきた。心はますます和らぎ、もっと前からこの曲を何度も聞いていれば、日々親切な気持ちで過ごせたかもしれないし、ジェイコブ・マーレイを埋葬した寺男の踏み鋤に頼らずとも、自分の手で自分の幸福を探せたかもしれないと思った。

 彼らは一晩中音楽だけで過ごしたわけではない。しばらくしてから、罰金ゲームを始めた。時には子供になるのはいいことだ。偉大な創造主自身子供だったクリスマスこそ、そのように過ごすのに適している。そう、まず目隠し遊びをした。もちろんだ。私はトッパーのブーツには目がついていたとも信じられないし、実際には見えていなかったとも信じられない。私の考えでは、トッパーとスクルージの甥との間で取り交わしがあり、クリスマスの現在の幽霊もそのことを知っていたということだ。トッパーがレースの襟布をつけたぽっちゃりしたあの妹の後を追う様子は、簡単に信じてしまう人をばかにしていた。炉辺用具を倒したり、椅子につまずいたり、ピアノにどすんとぶつかったり、カーテンにからまって息ができなくなったりしながら、彼女がどこへ行こうと、トッパーはついて行った。彼はぽっちゃりした彼女が行くところを、いつも知っていたのだ。

 トッパーは他の人をつかまえようとしていなかった。わざとぶつかっていけば(中にはそうする人もいたが)、つかまえようというふりはしただろうが、これは相手をばかにしたようなもので、彼はすぐにぽっちゃりした妹の方へこそこそと行ってしまうのである。

 彼女は何度も、そんなの公平じゃないわと叫んだ。実際、公平でなかった。だが、ついにトッパーは彼女をつかまえた。彼女は絹が擦れるさらさらという音をたて、すばやく身をひるがえして彼のそばから逃れたが、彼は逃げようのない隅に彼女を追いつめた。その時の彼の振る舞いは、実にけしからんものだった。彼女だと分からないふりをしたり、彼女の頭飾りに触れ、さらに彼女の指輪やネックレスに触って彼女かどうか確かめる必要があるというふりをするなど、言語道断であり、まったくひどいものだった。別の人が目隠しをした鬼になると、カーテンの陰で二人っきりになって話していたが、きっと彼女も彼に何か言ったにちがいない。

 スクルージの姪は目隠し遊びには加わらなかった。居心地のいい隅で、大きな椅子に腰掛け、足台に足をのせてくつろいでいた。そのすぐ後ろには幽霊とスクルージがいた。彼女は罰金ゲームには加わり、アルファベットの文字全部を使って、私は私の恋人を愛しますという遊びを見事にやってのけた。同じように、「どのように、いつ、どこで」の遊びも抜群で、妹たちをさんざんに打ちまかし、スクルージの甥は、内心ひそかに喜んだ。トッパーに言わせれば、彼女たちも頭が良いんだと答えるだろうが。

 そこには年をとった人や若い人など、二十人くらいいたが、みんな遊びに加わった。そして、スクルージも加わっていた。スクルージは目の前で行われていることに夢中になり、自分の声は相手には聞こえていないのに、時々かなり大きな声で自分の推測を口に出し、かなり見事に言い当てていた。針孔が折れることはないという折紙付の、ホワイトチャペル特製の最上の鋭い針でさえ、スクルージよりも鋭くはなかっただろう。もっとも、スクルージは自分を鈍い人間だと思い込んでいたが。

 幽霊はスクルージが夢中になっているのを見てとても喜び、彼をやさしく見つめていた。スクルージは、お客が帰るまでここにいさせてと、少年のように頼んだ。だが、それは無理だと幽霊は言った。

「ほら、新しいゲームだ。 30 分、ほんの 30 分だけ…」 スクルージは言った。

 イエス・ノーというゲームだった。スクルージの甥が何かを思い描き、他の者はそれが何かを当てるのだ。スクルージの甥は、場合に応じて、イエスかノーと答えるだけだ。彼に浴びせられたおびただしい質問から分かったことは、動物、しかも生きた動物であり、どちらかというと不快で、残忍な動物、時に吠えたりブーブ鳴いたり、時に言葉を話したりし、ロンドンに住み、通りを歩き回るが、見せ物になったり、誰かに引き回されたりすることはなく、動物園にはいないし、市場で屠殺されることはない。馬でもないし、ろばでもない。牝牛でも、トラでも、イヌでも、ブタでも、ネコでも、クマでもない。

 新しい質問が出るたびに、スクルージの甥は笑い転げた。あまりおかしいので、たまらなくなってソファから立ち上がり、足を踏みならした。とうとう、ぽっちゃりした顔の妹が、同じように笑い出し、叫んだ。

「わかったわ。それが何か分かったわよ、フレッド。分かったのよ」

「何だね? 」フレッドは叫んだ。

「それはス、ク、ルージ、おじさんよ」

 その通りだった。みんなが感心した。もっとも、不平をいう者もいた。

「それはクマですか」には、「イエス」と答えるべきで、たとえスクルージさんだと思っていても、ノーという答えで、考えがそれてしまったというのだ。

「あの人がこんなに楽しませてくれたんです」 フレッドは言った。

「あの人の健康を祝して乾杯しないのは、恩知らずですよ。ちょうど手元に、香料の入った温めたワインがありますから、さあ、"スクルージおじさんのために"」

「では、スクルージおじさんのために」 みんなは大声でそう言った。

「どんな人であろうと、あの老人のために、メリークリスマス、それからハッピーニューイヤー」スクルージの甥は言った。

「私がそう言ってもありがたがってくれないだろうけど、スクルージおじさんが、喜んでくれますように」

 誰も気づかなかったが、スクルージはとても陽気で快活になっていたので、幽霊が時間を与えてくれたなら、返礼の乾杯をし、その場にいた人たちには聞こえなくとも、お礼のスピーチをしただろう。だが、スクルージの甥が話し終えるか終えないうちに、この光景はすっかり消え去り、スクルージと幽霊は、再び遠く旅立っていた。

 二人は多くのものを見、遠くまで行き、たくさんの家を訪問したが、いつも幸福がもたらされた。幽霊が病人のベッドの傍らに立つと、病人は元気になった。異国の地に立つと、そこは誰にとっても故郷となった。悪戦苦闘している人のそばに立つと、その人たちはより大きな希望を持ち、忍耐強くなった。貧困は豊かさになった。救貧院や病院や監獄、みじめな者たちが潜んでいるあらゆる場所、ちっぽけな、はかない権力をひけらかす人間が戸を固く閉ざし、幽霊を閉め出していないそんな場所で、幽霊は祝福を与え、スクルージに教訓を授けた。

 一夜だとすると、長い夜だったが、スクルージは一夜だとは思っていなかった。なぜなら、幽霊と過ごした時間の中に、いくつものクリスマス休暇が凝縮されているように思えたからだ。不思議なことは他にもあった。スクルージの外見は変わらないのに、幽霊は年をとり、明らかに老けていた。スクルージはこの変化に気づいていたが、口には出さなかった。子供たちの十二日節前夜祭のパーティを後にし、二人が外に立った時、スクルージは幽霊を見て、髪が白くなっているのに気づいた。

「幽霊の命はそんなに短いのですか」スクルージは訊ねた。

「この地上では、たいへん短い」幽霊は答えた。

「今夜で終わる」

「今夜!」スクルージは言った。

「今宵、真夜中にだ。聞け、時間は迫っている」

 鐘の音が、ちょうど 11 時 45 分を告げた。

「お尋ねしてはいけないことでしたらお許し下さい」 スクルージは幽霊の裾をじっと見つめながら言った。

「あなたの身体ではない、何か変なものが裾から出ていますが、それは足ですか、それとも爪ですか」

「肉の上についているのだから、爪かもしれない」 幽霊は悲しそうに答えた。

「これを見るのだ」

 幽霊は裾の間から二人の子供を取り出した。汚らしく、おどおどしていた。ぎょっとさせる、見たくないようなみじめな子供たちだった。二人の子供は、幽霊の足もとにひざまずき、その衣服に取りすがっていた。

「さあ、これを見るがよい。ここだ、ここをよく見るのだ!」 幽霊は叫んだ。

 男の子と女の子だった。肌が黄色で、痩せこけ、ぼろぼろの衣服をまとい、しかめ面で、オオカミのようだったが、卑屈にひれ伏してもいた。若々しさが美しくその表情に表れ、みずみずしく彩られるところを、生気のない、しなびた、老人のような手が、その表情をつねり、ねじ曲げ、ずたずたに引き裂いていた。天使の玉座に、悪魔が潜み、脅かすように睨みつけていた。偉大な創造のあらゆる神秘をもって、人間性をどのように変化させようとしても、どのように退廃させようとしても、どのような悪い方向に向かわせようとしても、どんな程度でも、これほどおぞましく、ぞっとさせる怪物を、その半分ほども生み出せないだろう。

 スクルージはぞっとして、後ろに飛び退いた。子供たちをこのようにして見せられたので、かわいらしいお子さんたちですねと言おうとしたが、そのようなみえみえの大嘘をつく仲間に入るのを、言葉自体が拒否したのだ。

「幽霊さま、この子たちはあなたのお子さんですか」 スクルージにはそう言うのがやっとだった。

「この子たちは、人間の子供だ」 幽霊は二人の子供を見おろしながら言った。

「この子たちは、わたしにしがみついて、父の願いを訴えているのだ。この男の子は [無知] だ。この女の子は [貧困] だ。二人には用心するがいい。二人と同じ立場にいるすべての者には用心するがいい。とりわけ、この男の子には用心しろ。消されていないなら、そのひたいには見えるであろう、 [運命] という文字が。見えないと言うのか!」幽霊は、片手を街の方に差し伸べながら叫んだ。

「[運命] を肯定する者どもを悪しざまにののしるのだ。自分たちの利益のために これを 認めれば、この世はさらに悪くなる。当然の報いが待っているのだ」

「その子たちには身を寄せる場所とか、何か救う方法はないのですか」スクルージは叫んだ。

「監獄はないのかね?」 幽霊は振り向きながら、これが最後と、スクルージのかつての言葉でそう言った。

「救貧院はないのかね?」

 鐘が 12 時を告げた。

 スクルージはあたりを見まわした。幽霊の姿はなかった。鐘の音が響き終わると、彼は老ジェイコブ・マーレイが言ったことを思い出した。目を上げると、衣をゆったりとまとい、フードをかぶった荘厳な幻が、地面を霧が這うように近づいてくるのが見えた。





第四章 最後の幽霊

 幻はゆっくりと、厳かに、音を立てることもなく近づいてきた。そばまで来た時、スクルージはひざまずいた。幽霊が通る空気中には、闇と神秘が振りまかれているようだった。

 幽霊は真っ黒い衣でおおわれていた。頭、顔、身体はすっぽり隠れ、差し伸べた片方の手だけが見えた。この手がなければ、幽霊の姿と夜とを見分け、幽霊を包む闇とを区別するのは困難だっただろう。

 スクルージは、幽霊がそばまで来た時、背が高く、威厳に満ち、その神秘な存在を前にして、自分が荘厳な恐れに満たされているのを感じた。幽霊は言葉を話すことも、動くこともなかったので、彼にはそれ以上のことは分からなかった。

「私は "未来のクリスマスの幽霊" の前にいるのでしょうか」スクルージは訊ねた。

 幽霊は答えず、前方を手で指した。

「あなたは今まで起きたことではなく、これから起きることの影を私に見せてくれようとしているのでしょうか」スクルージは重ねて訊いた。

「そうでしょう? 幽霊さま」

 あたかも幽霊が頭を下げたかのように、衣服の上の方が、ひだになったところで、一瞬縮んだ。

 幽霊からの返答はそれだけだった。

 スクルージは、この時には、幽霊といっしょにいることにすっかり慣れていたが、何も話さない幽霊がとても恐ろしく、両脚はがたがた震え、幽霊について行こうとした時、立っていることもできなかった。幽霊はわずかの間立ち止まり、スクルージの様子をじっと見て、回復する時間を与えた。

 だが、幽霊が立ち止まったために、両脚の震えはますますひどくなった。どんなに目を凝らしても、幽霊の手と黒い大きなかたまりが見えるだけで、幽霊がその黒い衣の中からこちらをじっと見つめていると思うと、漠然とした恐怖で、ぞっとした。

「未来の幽霊さま」スクルージは叫んだ。

「私にはあなたが今までのどの幽霊よりも恐ろしく感じられます。でも、あなたは、私のために何かしてくれるのだと知っています。私も今までの自分ではない自分になることを望んでいます。だから、あなたのお供をする覚悟はできています。感謝の気持ちでそうさせていただきます。何か話してはくださらないのですか」

 幽霊は何も答えなかったが、その手は、二人の前方をまっすぐに指し示していた。

「ご案内下さい」スクルージは言った。

「ご案内下さい。夜はどんどん更けていっています。私にとって貴重な時間です。ご案内下さい、幽霊さま」

 幽霊は近づいて来た時のように立ち去った。スクルージは幽霊の衣の影の中に入り、ついて行った。衣の影が持ち上げて運んでくれると思ったのだ。

 幽霊とスクルージが街に入ったようには見えなかった。街が二人の回りに突然現れ、街みずからが二人を取り囲んだように見えた。どちらにしても、幽霊とスクルージはそこにいた。街の中心、取引所の、商人たちの中にいた。商人たちは忙しそうに行き来していた。お金をポケットの中でチリンチリン鳴らしていたり、かたまって話をしていたり、時計を見たり、思案げに立派な金の印鑑を弄んでいたりしていた。それはスクルージには見慣れた光景だった。

 幽霊は実業家たちのちょっとした集まりのそばで立ち止まった。その手が彼らを指しているのを見て、スクルージは彼らの話を聞こうと近寄った。

「違う」ばけもののような顎をしたおそろしく太った男が言った。

「どっちにしても、あまり詳しくは知らないんでね。知っているのは、彼は死んだということだけだ」

「いつ死んだんだ」別の男が訊いた。

「昨夜だと思うな」

「ええ? どうしちゃったんだろう」また別な男が、とてつもなく大きなかぎ煙草入れの中から、煙草をどっさり取り出しながら言った。

「殺しても死なない男だと思っていたけどな」

「誰にも分かりませんな」最初の男があくびをしながら言った。

「お金はどうしたんだろう」身なりのいい赤ら顔の男が言った。鼻の先っぽにはイボが垂れていたが、七面鳥の雄の肉塊のようにぶらぶら揺れていた。

「聞いてないな」大きな顎の男が、またあくびをしながら言った。

「仲間にでも残したんじゃないかな。私には残してくれませんでしたがね。これだけは確かだ」この冗談に、みんなはどっと笑った。

「ずいぶんと安っぽい葬式になるでしょうな」男は続けてそう言った。

「どう考えても参列しようという人を思いつきませんからね。どうでしょう、人を集めてみんなでボランティア参加というのは」

「食事が出るなら、出てもいいですよ」鼻の先にイボのある身なりのいい男が言った。

「参加するとしたら、食べさせてもらわないと」みんなは、またどっと笑った。

「なんだかんだいって、この中では私が一番無欲な人間ですな」最初の男が言った。

「私は黒の手袋をはめませんし、食事もふるまってもらいません。でも、誰か行くんなら、私も行きますよ。考えてみれば、彼とは親友でなかったと言い切る自信はないんでね。会えばいつでも立ち話をしたもんです。ではみなさん、これで失礼」

 話している者も聞いている者も、いつの間にか立ち去り、別の集まりに混ざっていった。スクルージは今の男たちを知っていた。どういうことなのかと、幽霊の方を見た。

 幽霊はすうっと通りに出た。その指は立ち話をしている二人の男を指していた。スクルージはさっきのことはどういうことか分かるかもしれないと、また耳をすました。

 この二人の男もよく知っていた。実業家であり、大金持ちで、有力者だった。常日頃、この二人によく思われるように心がけていた。商売上ということだが。ただそれだけのことだったのだが。

「やあ、これは、これは」一方の男が言った。

「やあ、どうもどうも」もう一方の男が答えた。

「そうそう」最初の男が言った。

「いやあ、あのおいぼれの悪魔、とうとうくたばったんだって」

「ええ、聞きましたよ」もう一方の男が言った。

「寒いですな」

「クリスマスですからね。そうそう、スケートはおやりにならないんでしたね」

「ええしません。他にすることがあるんでね。ではさようなら」

 それ以上の言葉は交わされなかった。そのようにして、二人は出会い、会話を交わし、別れた。

 スクルージは最初、幽霊はどうしてこんなささいな会話を重視しているのか不思議だったが、そこには隠された目的があるにちがいないと、どういうことか考えてみることにした。共同経営者のジェイコブ・マーレイの死と何か関係があるとは思えなかった。あれは過去のことで、目の前にいるのは「未来の幽霊」だからだ。かといって、自分と直接関係があり、あてはまる者も思いつかなかった。

 誰のことを話しているにせよ、そこには自分が改心するための目に見えない教訓があるに違いないと、スクルージは、見たり聞いたりしたことは、すべて大切に覚えておこうと決めた。特に自分の影が現れた時には、よく見ておこうと思った。というのは、自分の未来の行いは、今までの自分には何が足りかなったのか、その手がかりを与えてくれるだろうし、今の会話が何を意味するのか容易に解いてくれるだろうと思ったからだ。

 スクルージは、その場に自分の姿を求めて見回したが、いつもの場所には別の男が立っていた。時計は彼がそこにいるいつもの時間を示していたが、入口から流れ込む人の中に、自分の姿はなかった。だが、彼はあまり驚かなかった。なぜなら、スクルージは人生を変えようと思っていたし、新しく芽生えた決意が実現された情景を見ているのだと思ったし、そう望んでいたからだ。

 音も立てず、闇のように、片方の手を差し出したまま、幽霊はスクルージのそばに立っていた。スクルージは思索にふけっていたが、我に返ると、幽霊の手の格好や、自分に対する位置から、見えざる目が自分を鋭く見ているような気がした。スクルージはぞっとし、ひどく寒気を感じた。

 スクルージと幽霊はにぎやかなその場を離れ、人目につかない街の一角に入っていった。スクルージはその場所や、そこの悪い評判を知ってはいたが、一度も足を踏み入れたことはなかった。道は不潔で狭く、商店や家々はみすぼらしかった。人々は半裸で、酔っぱらっていて、だらしなく、醜悪だった。汚水だめのような路地や屋根のかかった通路からは、悪臭や汚れや動物の死骸や生ごみなどの不快なものが、通りにあふれ出ていた。その一角全体が、犯罪や汚れや悲惨にまみれていた。

 いまわしいこの巣窟の奥に、いかがわしい屑屋があり、片流れ屋根の下で、鉄器具、使い古しの布、空瓶、骨、脂ぎった臓物などを買い入れていた。床の上には、錆びたカギ、釘、鎖、蝶番、ヤスリ、天秤、分銅など、あらゆる種類のくず鉄が山のように積まれていた。見苦しいぼろ布、腐った脂肪の塊、骨の塚には、誰も詮索したくないような秘密が秘められ、隠されていた。古レンガで作られた木炭ストーブのそばで、商っている商品に囲まれて座っているのは、七十近い白髪のやくざ者だった。彼は寒さを防ぐために、さまざまなぼろ布をひもに掛けて、汚らしいカーテンを作っていた。静かな老後のあらゆるぜいたくの中で、彼はパイプをふかしていたのだ。

 スクルージと幽霊がこの男の前に立ったちょうどその時、重い包みを抱えた女が店の中にこっそり入ってきた。この女が入るか入らないかのうちに、同じように重い包みを持った女が入ってきた。そのすぐ後に、色あせた黒い服を着た男が入ってきた。二人の女は顔を見合わせてびっくりしていたが、この男が二人の女を見た時の驚きも、それに劣らなかった。三人はしばらくぽかんとしていた。パイプをくわえた老人もだった。それからどっと笑った。

「ほっといても掃除女が一番に来るんだよ」最初に入った女が大声を出した。

「次が洗濯女で、その次が葬儀屋なんだよ。いいかいジョー爺さん、これがめぐり合わせだよ。ただで三人がこうして出くわしたんじゃないんだよ」

「三人が出会うのにこれ以上の場所はあるまい」ジョー爺さんは、パイプを離しながら言った。

「中へ入りな。お前さんは昔からそうしてるんだし。あとの二人も知らない仲じゃないしな。ちょっと待ってな、店の戸を閉めるから。ええい、この戸はやけにきしるな。こんなにさびついた金物は、ここにはこのちょうつがいだけだ。こんなおいぼれも、ここにはこのわしだけだがな。うわっ、はっはっはっ。みんな、ぴったりの仕事をしてる似たもの同士というわけだ。さあさあ、居間へ入りな」

 居間というのは、ぼろ布のカーテンの裏だった。老人は階段の敷物押さえの古びた金属棒で火をかき集め、パイプの柄でくすぶっているランプの芯を整え(夜だったのだ)、パイプをまたくわえた。

 彼がそうしているあいだ、今しがた口を開いた女は、包みを床に放り投げ、これ見よがしに丸椅子に座り、両肘を膝の上で組むと、あとの二人をじろじろ眺めた。

「いったいどうしたってんだい。かまやしないだろ、ディルバーのおかみさん。誰でも自分第一に考えるのは当り前だろ。あの男はいつもそうだったよ」女は言った。

「ほんとにそうだね。あんな男、他にはいないだろうよ」洗濯女が言った。

「だったら、おどおどした顔して突っ立ってんじゃないよ。みんなおんなじさ。誰もひと様のあら探しをしようなんて思っちゃいないよ」

「もちろんだよ」 ディルバーのおかみさんは言った。

「そんなこと思っちゃいないさ」 その場にいた男も、口をそろえた。

「だったらいいじゃないか、それで十分だろ。こんなもののひとつふたつなくなったって、誰が困るっていうのさ。死んだ人間は困らないだろ」女は声を荒げた。

「もちろんだとも」 ディルバーのおかみさんは、笑いながら言った。

「死んだ後も持っておきたかったんなら、あのごうつくばりのどけち」 女は続けた。

「なんだって生きている時にまともな暮らし方をしなかったんだい。そうしてたら、死神にやられた時だって、面倒見てくれる人がいただろうに。あんなふうにひとりぽっちでくたばらずにすんだのさ」

「本当にその通りだよ、罰が当たったんだよ」ディルバーのおかみさんは言った。

「もう少し重い罰でもよかったんだよ」女は言った。

「わたしが罰を選べるんだったら、そうなってたよ。間違いないよ。包みを開けておくれ。いくらになるか教えて欲しいんだ。はっきり言っておくれよ。わたしからでも気にしないよ。この人たちに見られたって、かまうもんか。ここで出会う前から、好き勝手に取ってたってことはお互いよく承知してんだからね。罪なもんか。包みを開けておくれよ、ジョー」

 だが、他の二人はなんとしてもそうはさせまいとした。色あせた黒色の服を着た男は、我先に自分が盗んできた物を取り出した。品物はそう多くはなかった。印鑑が一つ二つ、鉛筆箱ひとつ、カフスボタン一組、大した値打ちのないブローチ。それで全てだった。ジョー爺さんは、それらをよくよく調べ、値踏みし、払ってもいいと思う金額をチョークで壁に書き、もうこれだけだと分かると、合計を出した。

「これがお前さんのとり分だ」ジョーは言った。

「釜ゆでにされたって、これ以上はびた一文出さないからな。さて、お次は誰だ」

 次はディルバーのおかみさんの番だった。シーツとタオル、わずかの衣類、古臭い銀のスプーンが2本、角砂糖つかみ、ブーツ数足。これらの金額も、同じように壁に書きつけられた。

「女にはいつも払いすぎるんだ。これがオレの欠点だな。だから身を滅ぼしたんだが」ジョー爺さんは言った。

「これがお前さんのとり分だ。もう 1 ペニーよこせとか、もっともらえるなんて思ってたら、気前よくしようなんてやめて、半クラウンさっ引くからな」

「さあ、今度はわたしの包みをといておくれ、ジョー」最初の女が言った。

 ジョーは包みを開けやすいように、両ひざをついた。いくつもの大きな結び目を解くと、巻いてあった厚手の大きな黒っぽい布を引っ張り出した。

「こりゃなんだ」ジョーは言った。

「ベッドカーテンじゃないか」

「ああ、ベッドカーテンさ」腕を組み、前屈みになって笑いながら女は答えた。

「あの男が横たわってるところを、カーテンとか、輪っかとか、全部ひっぺがしたってえんじゃないだろうな」ジョーは言った。

「そうだよ、ひっぺがしたのさ、それがどうしたんだい」女は答えた。

「お前さんは財産を作るように生まれついてるんだな」ジョーは言った。

「そのうちきっとひと財産つくるだろうよ」

「手を伸ばせば自分のものになるんだ、あんな男のために、引っ込める気はないね。そうだろ、ジョー」女は落ち着き払って答えた。

「ちょっと、毛布の上に油を落とさないでおくれよ」

「あの男の毛布か」ジョーは訊ねた。

「他の誰のもんだってんだい」女は答えた。

「あの男は毛布がなくたって、風邪なんてひきっこないよ。そうだろ」

「伝染病かなんかで死んだんじゃなきゃいいがな、ええ?」ジョー爺さんは、手をとめて見上げながらそう言った。

「心配ないよ、伝染病で死んだんだったら、そんなもんのために、あの男のところをうろついて、いっしょにいたいとは思わないよ。ああ、そのシャツなら、目が痛くなるくらいよく見ておくれ。でも、穴とか擦り切れたところとか、見つかりゃしないよ。あの男の持ち物の中では最上のものだよ。品質も抜群さ。わたしがいなかったら、無駄にしちまうところだったね」女は答えた。

「無駄にしちまう?」ジョーは言った。

「それを着せて埋めることがだよ」女は笑いながら答えた。

「どっかのバカが着せたんだね。だからわたしが脱がせたのさ。着せて埋めるんだからね、キャラコがだめっていうんなら、キャラコには何の使い道もないよ。死体にはキャラコはよく似合うんだ。そのシャツよりみっともないわけないだろ」

 スクルージはぞっとしながら話を聞いていた。彼らは老人のランプの薄明かりの中、盗品を囲んで座っていた。スクルージは、激しい嫌悪感をもって彼らを見た。この連中が、死体をやりとりする悪霊だとしても、これ以上の激しい嫌悪感は抱かなかっただろう。

 ジョー爺さんが、お金の入ったフランネルのバッグを取り出し、それぞれの報酬を床の上に数え上げると、さっきの女は「は、は、は」と笑った。

「最後はこうなっちゃうんだねえ。生きている時は、恐がらせて、誰ひとり寄せつけなかったけど、あの男は、死んだ時にはあたしらを儲けさせてくれたよ。あ、は、は、は」

「幽霊さま」スクルージは言った。全身がぶるぶる震えていた。

「よく分かりました。この不幸な男に起こったことが、私にも起きたかもしれないのですね。私の人生は、今のところ、その方向に向かっているし。おや、これは何だ」

 スクルージは、ぎょっとして、後ずさりした。場面は変わっていた。彼はベッドに触れるか触れないかの所にいた。むき出しで、カーテンのないベッドだった。ベッドには、ぼろぼろのシーツに覆われて、隠されるように横たわるものがあった。それは、何も語らずとも、それ自体が恐ろしい事実を物語っていた。

 その部屋はとても暗かった。スクルージは、どんな部屋か知りたかったので、衝動にかられて見回したが、あまりにも暗かったので、はっきりと見えなかった。空に上った蒼白い光が、直接ベッドに落ちた。そこには、剥ぎとられ、奪われ、見つめる者も、泣く者も、世話をする者もいない、この男の死体があった。

 スクルージは幽霊の方を見た。幽霊の確固とした手は、頭部を指していた。シーツはぞんざいにかけられていたので、スクルージが指を動かし、ほんの少し持ち上げさえすれば、顔があらわになっただろう。スクルージはそうしようと思った。たやすくできる気がしたし、そうしたかった。だが、傍らにいる幽霊を追い払う力がないように、覆いを取り除く力はなかった。

 おお、冷徹なおぞましい死よ、汝の祭壇をここに設け、汝の意のままなる恐怖で飾れ。ここは汝の領土なのだ。だが、敬愛され、誉れ高き者に対しては、髪の毛一本も汝の思いのままにはならないだろう。顔つきひとつ醜くすることはできないだろう。その手が重く、離せばぐったりするからではない。その心臓や鼓動が止まっているからではない。かつてその手が、誰にも開かれ、寛大で誠実だったからだ。心は温かく、勇気や優しさにあふれていたからだ。その鼓動が、人の鼓動だったからだ。打ってみるがいい、死の影よ。善行が傷口から吹き出し、世界が不死の生命で種播かれるのが分かるだろう。

 誰かの声がこれらの言葉をスクルージの耳に届けたのではない。だが、スクルージは、ベッドの上を見た時、これらの言葉を聞いたのだ。今この男が起きあがったらなら真っ先に何を思うだろうか、スクルージは考えた。おもむくままの欲望か、厳しい取引のことか、身を苛む気苦労か。実際、それらが彼をまぎれもなく死に追いやったのだ。

 彼は暗く、何もない家の中に横たわっていた。あの人はこんな時やあんな時には私に親切でしたとか、親切な言葉をかけてくれたことがあるんで、私も親切にしようと思っているんです、などというような男も、女も、子供もいなかった。ネコが戸口をひっかいていた。炉石の下では、ネズミががりがり音を立てていた。死の部屋で何を望んでいるのだ。なぜ、ああもひっきりなしに、騒々しいのだ。スクルージは考えまいとした。

「幽霊さま」スクルージは言った。

「ここはぞっとする場所ですね。ここを去っても、教訓は忘れません。信じて下さい。さあ、行きましょう」

 幽霊はそれでも指で頭部をじっと指し示していた。

「分かっています」スクルージは言った。

「できるのならします。でも、私にはその力がないのです。ないのです、幽霊さま」

 幽霊は再びスクルージを見ているようだった。

「この町にこの男の死を悼む人がいるなら」スクルージは喘ぎながら言った。

「お願いです、幽霊さま、その人が誰か教えて下さい」

 幽霊はスクルージの前で、黒衣を翼のようにさっと広げた。黒衣が下ろされると、昼の光に照らされた部屋が現れた。そこには母親とその子供たちがいた。

 母親は誰かを待っていた。いてもたってもいられない様子だった。彼女は部屋の中を行ったり来たりしていた。もの音がするたびに、びくっとして窓から外を見たり、時計に目をやったりした。針仕事をしようとしたが、手につかなかった。遊んでいる子供たちの声に我慢できなかった。

 待ちに待ったノックの音が聞こえた。彼女はドアに走り、夫を迎えた。夫は若かったが、心労でやつれ、暗い顔をしていた。だが、その顔には、大きな喜びのような、いつにない表情があった。彼はそれを恥ずかしく思い、一生懸命抑えていた。

 彼は暖炉のそばに用意されていた夕食の席についた。彼女は夫に(長い沈黙の後でだが)かすれた声で、どうでしたと訊いた。彼はどう答えていいか、戸惑っているようだった。

「うまくいったの? それとも良くないの?」彼女は、夫が答えやすいように、そう訊ねた。

「良くないんだ」夫は答えた。

「じゃ破産するのね」

「いや、まだ望みはあるんだ、キャロライン」

「あの人が態度を和らげてくれたら」彼女はそう言って、はっとした。

「望みはありますわ。望みのないことなんてないんですから。そんな奇跡が起きれば」

「あの人は態度を和らげないよ」夫は言った。

「死んだんだから」

 彼女は見た目通りに、おだやかで我慢強い女性だった。だが、彼女はそれを聞いた時、心の中でありがたいと思い、両手を固く握りしめたまま、そう口に出した。すぐに神に許しを請い、気の毒に思ったが、最初に抱いた感情が、偽らざる気持ちだったのだ。

「昨夜話しただろ、ほろ酔いの女のことを。一週間延ばしてもらおうとあの人に会いに行った時だけど、あの女が言っていたことは、ぼくを避けるための口実だと思ってたけど、本当だったんだな。病気でも、あの時は、死ぬまぎわだったんだ」

「私たちの借金は誰が引き継ぐのかしら」

「さあ。でも、それまでにはお金の工面がつくさ。つかなくても、よっぽど運が悪くない限り、引き継いだ人が、あれほど無慈悲ってことはないよ。今夜は安らかに眠れるよ、キャロライン」

 その通りだった。慎まなければと思っても、二人の気持ちは軽やかになる一方だった。何のことか分からないまま、じっとその場で聞いていた子供たちの顔も、晴れやかになっていった。この男が死んだことで、この家族は幸福になったのだ。男が死んだことでもたらされた、幽霊がスクルージに見せることができた唯一の感情が、喜びだったのだ。

「死に関わる優しい気持ちを見せて下さい」スクルージは言った。

「でなければ、あの暗い部屋が、さっきまでいたあの部屋が、いつまでも私にまとわりつきそうです、幽霊さま」

 幽霊はスクルージを、いろいろな通りに連れていった。スクルージには歩きなれたところだった。幽霊と歩きながら、スクルージは、自分を見つけようと、あちこち見たが、どこにもいなかった。二人は、貧しいボブ・クラチットの家に入った。スクルージは以前、その家に行ったことがあった。母親と子供たちは、暖炉の回りに座っていた。

 静かだった。もの音ひとつしなかった。騒々しいクラチットのおちびさんたちも、彫像のように部屋の隅でじっと座って、本を前にしたピーターを見ていた。母親と娘たちは、縫い物をしていた。黙々としていた。

「そして、ひとりの幼な子を取り上げて、彼らの真ん中に立たせ…」

 スクルージはこの言葉をどこで聞いたのだろうか。夢に見たのではない。スクルージと幽霊が敷居をまたいだ時、ピーターが声に出して読んでいたのに違いない。ピーターはなぜ読むのをやめたのだろう。

 母親は縫い物をテーブルの上に置き、手を顔にあてた。

「目が疲れるわ、この色」彼女は言った。

 この色とは。ああ、かわいそうなおちびさんのティム。

「目が少しよくなったわ」クラチット夫人は言った。

「ろうそくの明かりだと、目が疲れるのよ、この色は。お父さんが帰ってきた時、疲れた目なんか絶対見せたくないからね。そろそろ帰ってくるはずよ」

「ちょっと遅いかもね」ピーターは、本を閉じながら言った。

「お父さんは、ここんとこ、いつもよりゆっくり歩いてるんじゃないかな、お母さん」

 みんなは、また黙ってしまった。沈黙を破って、母親は、一度は口ごもりながらも、しっかりした快活な声で言った。

「お父さんが歩いているのを、おちびさんのティムを肩車にして歩いているのを、見たことがあるわ。とても早く歩いてたわねえ」

「ぼくも見たことがある、何度もだ」ピーターは大きな声で言った。

「ぼくもだ!」他の誰かが叫んだ。

 誰もが知っていることだった。

「でもティムは、軽かったからねえ」母親が、せっせと編み物をしながら、また口をひらいた。

「お父さんはティムをとてもかわいがってたから、肩車をしても、ちっとも苦にならなかったのよ。そうよねえ。ほら、お父さんが帰ってきた」

 クラチット夫人は、急いでボブを迎えに出た。小柄なボブは、毛糸の襟巻をしていた。傷心のボブには、毛糸の襟巻のような、温めてくれるものが必要だった。ボブは中に入った。 お茶が暖炉の棚に用意されていた。ボブにお茶をいれようと、みんなで争った。二人のおちびさんは、ボブの膝に乗り、小さな頬をボブの頬にすりよせた。「気にしないで、お父さん。悲しまないで」 とでもいうように。

 ボブはみんなの中で、とても快活だったし、家族のみんなに楽しそうに話しかけた。テーブルの上の編み物を見て、クラチット夫人や娘たちの、熱心で手早い仕事ぶりをほめ、日曜日よりずっと前に出来上がるねと言った。

「日曜日? じゃ、今日、行ってきたの、ロバート」クラチット夫人は言った。

「ああ、そうだよ。きみも来ればよかったのに。緑一面のあの場所を見れば、きみの心も晴れ晴れしたんじゃないかな。でも、これから何度でも見られるからね。ティムに約束したんだ、日曜にはここに歩いてくるって。私のかわいい、とてもかわいいティム」ボブは言った。

「私のかわいいティム…」

 ボブは突然泣き崩れた。どうすることもできなかった。どうにかすることができたなら、ボブとティムの間は、もっとへだたっていたということになるだろう。

 ボブは部屋を出て、二階へ上がって行った。そこは灯が明るくともり、クリスマスの飾りがかかっていた。その子供のそばには椅子が置かれていた。最近まで誰かがそこにいたようだった。悲しみに沈んでいたボブは、その椅子に腰を下ろした。少し考え、気を落ちつけると、子供の小さな頬にキスをした。過ぎてしまったことに折り合いをつけ、彼は晴れ晴れした気持ちで下に下りていった。

 みんなは暖炉の回りに集まり、話をした。母親と娘たちは、針仕事を続けた。ボブはみんなに、スクルージさんの甥が、どんなに親切な人かを話した。

「一度くらいしか会ったことがないのに、今日通りで出会った時、ぼくが落ち込んでいるの見て、いやあ、ちょっと落ち込んでいたからね、あの人はぼくに、どうして落ち込んでいるのか聞いてくれたんだ」ボブは言った。

「あの人がとても感じのいい話し方をするもんで、事情を話したんだ。すると『クラチットさん、心からお悔やみ申し上げます。あなたのやさしい奥さんにも、心からお悔やみ申し上げます』って言われてね。でも、どうして知っていたんだろう。分からないな」ボブは言った。

「知っていたって、何をですの?」

「うん、おまえがいい奥さんだってことだよ」ボブは答えた。

「そんなこと、誰でも知ってるよ」ピーターは言った。

「その通りだ、ピーター」ボブは叫んだ。

「お母さんは良い奥さんだって、みんな知ってるね。あの人は言ったんだ『心からお悔やみ申し上げます。あなたの優しい奥さんにも。何か私にできることがあれば』って、私に名刺をくれたんだ。『ここが私の住んでいる所です。ぜひおいで下さい』ってね。嬉しかったのは」ボブは言った。

「あの人のやさしさで、あの人が私たちのために何かをしてくれるかもしれないってことじゃないんだ。まるでおちびさんのティムを実際に知っていて、私たちといっしょに悲しんでくれているようだったよ」

「本当にいい方なんですね」クラチット夫人は言った。

「あの人に会って話をしてみると、きっとそう思うよ」ボブは言った。

「もしあの人が、ピーターにいい仕事を見つけてくれても、いいかい、ちっとも驚かないよ」

「聞くだけにしておくんだよ、ピーター」クラチット夫人は言った。

「だったら」妹の誰かが言った。

「ピーターは誰かといっしょになって、ひとり立ちするのね」

「ほっといてくれよ」ピーターはにやにやしながら言い返した。

「それもあり得るな」ボブは言った。

「いつかはね。でも、まだ先の話だな。みんなとは、いつ、どういう形で別れるにしても、あのおちびさんのティムを忘れる者はいないと思っているよ。そうだろ? あれが、我が家で起きた最初の別れだ」

「忘れるもんですか、お父さん」みんなは叫んだ。

「それに」ボブは言った。

「あんなに小さな子供なのに、どんなに我慢強く、どんなにやさしかったか、それを思い出したら、いいかい、お互い喧嘩をしようなんて思わなくなるだろ。喧嘩をするのは、ティムを忘れているってことなんだから」

「喧嘩なんて絶対しないよ、お父さん」みんなは、また口をそろえて叫んだ。

「とても嬉しいよ」小柄なボブは言った。

 クラチット夫人はボブにキスをした。娘たちもボブにキスをした。二人の幼い子供たちもボブにキスをした。ピーターとは握手をした。ティムの幼い魂、子供らしさは、神から授かったのだ。

「幽霊さま」スクルージは言った。

「どうやらお別れが近づいているような気がします。別れるのは分かっていますが、どのように別れるのかは分かりません。死んで横たわっていたあの男は、どのような人間なのか教え下さい」

   未来のクリスマスの幽霊は、これまでと同じように、ビジネスマンのたまり場にスクルージを連れて行ったが、スクルージ自身の幻はそこにはいなかった。時が前後しているとスクルージは思った。今見ているこれらの場面には、未来というだけで、時間的順序はないようだった。幽霊は何があろうと立ち止まらず、頼まれた目的を目指して、どんどん先に進んだ。スクルージは、待って下さいと嘆願した。

「この路地は」スクルージは言った。

「私たちが急いで通り過ぎようとしているここは、私が仕事をしている場所です。長く仕事をしています。事務所の建物が見える。私が将来どうなるのか、見せて下さい」

 幽霊は立ち止まった。その手は別な方を指していた。

「建物はあちらです」スクルージは叫んだ。

「なぜそんな方を指すのですか」

 幽霊の指は微動だにしなかった。

 スクルージは自分の事務所の窓に駆け寄り、中を見た。そこは依然事務所として使われていたが、彼の事務所ではなかった。家具は違っていたし、椅子に座っているのは別人だった。幽霊は相変わらず同じ方向を指していた。

 スクルージは幽霊のところに戻り、自分がなぜそこにいないのか、どこに行ったのか疑問に思いながら、幽霊について行った。幽霊とスクルージは鉄の門のところにやってきた。スクルージは立ち止まって、辺りを見回し、それから中に入った。

 教会の墓地だった。ここに、これからスクルージが名前を教えてもらう哀れな男が、地面の下に横たわっているのだ。結構な場所だった。家々の塀に囲まれ、草や雑草がはびこっていた。植物の生命が成長したのではなく、死が成長しての草であり、雑草だった。埋葬が多すぎて、息がつまりそうな場所、満腹でまるまる太った場所だった。結構な場所だった。

 幽霊は墓地の中に立ち、ひとつの墓を指していた。スクルージは震えながらその墓に近づいて行った。幽霊はこれまでと少しも変わらなかったが、その厳かな姿に新たな意味を感じ、スクルージはぞっとした。

「あなたが指しているその墓石に近づく前に」スクルージは言った。

「ひとつだけ聞きたいことがあります。これらのことは、将来そうなるという幻なのでしょうか、それとも、そうなるかもしれないというだけのものなのでしょうか」

 幽霊は相変わらず傍らの墓の方を指していた。

「人の歩む道は、それずに邁進すれば、決まった所へと行き着きます」スクルージは言った。

「でも、それれば、行き着く所も変わってきます。あなたが見せてくれたものも、そうだと言ってください」

 幽霊は相変わらず動かなかった。

 スクルージは震えながら墓石の方へゆっくりと近づいて行った。指が示す方を見ると、打ち捨てられた墓石には、自分の名前、エベニーザ・スクルージと書かれていた。

「ベッドに横たわっていたあの男は、私なのか!」スクルージは、両膝をついて叫んだ。

 幽霊の指は墓石からスクルージへと動き、また墓石を指した。

「嫌だ、嫌だ、幽霊さま、嫌です!」

 幽霊の指は動かなかった。

「幽霊さま」スクルージは幽霊の衣をしっかりと握りながら叫んだ。

「お聞き下さい。私は以前の私とは違います。このように接してくださらなければ、なるべき人間にはならなかったでしょう。もし、希望が少しもないのなら、どうして、このようなものを私にお見せになるのですか」

 はじめて幽霊の手が震えているように見えた。

「善良な幽霊さま」スクルージは、幽霊の前にひれ伏して言葉を続けた。

「あなたは本心から私を憐れみ、私のために取りはからってくれました。 あなたが見せてくださった幻は、違う生き方をするためで、まだ変えられるとはっきりおっしゃってください」

 親切な手は震えていた。

「私は心からクリスマスを祝い、一年中その気持ちを持ち続けます。過去、現在、未来の幽霊と共に生きるつもりです。三人の幽霊は、私を励ましてくれることでしょう。教えてくださった教訓を忘れるようなことはしません。お願いです、この墓石に書かれている文字は、 消すことができるとおっしゃってください」

 スクルージは苦しみのあまり、幽霊の手をつかんだ。幽霊は振り放そうとしたが、スクルージの願いは強く、放されまいとした。だが、幽霊の方が強かった。幽霊はスクルージを突き放した。

 運命を変えてもらおうと、最後の祈りとして両手をあげた時、スクルージには幽霊の頭巾と衣が変化するのが見えた。幽霊は縮み、つぶれ、だんだんと小さくなってベッドポストになった。




第五章 結末

 そうだった。ベッドポストは彼のものだった。ベッドも、その部屋も彼のものだった。なによりも喜ばしいことは、これから先の時間も、彼のものだった。償うための時間だった。

「過去、現在、未来の幽霊と共に生きよう」スクルージは、ベッドから飛び起き、そうくり返した。

「三人の幽霊は、私を励ましてくれるだろう。ああ、ジェイコブ・マーレイよ。そのためにも、神や、クリスマスが称えられるように祈ろう。私はひざまずいてそう言っているんだ。マーレイよ、ひざまずいてそう言っているんだ」

 善良であろうと決心すると、スクルージの胸は激しく高鳴り、身体は熱く火照った。そのため、声がつまり、話すことさえままならなかった。スクルージは幽霊ともみ合っている時、激しく泣いたため、顔は涙で濡れていた。

「引きはずされてはいなかったんだ」スクルージは、ベッドカーテンの一方を両手で抱きしめながら叫んだ。

「ベッドカーテンも、環も、何もはずされていない。すべてここにある。私もここにいる。見てきた未来の幻影も、消し去ることができるかもしれない。きっと消せる。そうさ、消せるとも」

 そう思いながら、スクルージはしきりに着替えようとしていたが、衣服を裏返しにしたり、逆さまに着て、引き裂いてしまい、かなぐり捨てたりと、衣服を相手に途方もない格闘をしていた。

「どうしたらいいんだ!?」スクルージは叫び、笑ったり泣いたりをくり返しながら、ストッキングを巻きつけた完璧なラオコーンの格好をしていた。

「気持ちが羽のように軽やかだ。天使のように幸福な気分だし、小学生のように楽しい。ああ、酔っぱらいのように目が回る。みなさん、クリスマスおめでとう。世界中のみなさん、新年おめでとう。ハロー、ここだぞ。おーい。ハロー」

 スクルージは跳ね回りながら居間に入って行き、そこで立ち止まった。息がすっかり切れていた。

「鍋がある。粥が入っているぞ」スクルージは叫び、また跳びはじめ、暖炉の回りを回った。

「ドアだ。あそこからジェイコブ・マーレイの幽霊が入ってきたんだ。クリスマスの現在の幽霊が座っていたのは、あの角だ。さまよえる幽霊を見たのは、あの窓だ。みなちゃんとある。みな本当のことだったんだ。何もかも実際に起きたことだったんだ。ハハハ」

 実際、何年も笑ったことのないスクルージにとってみれば、それはすばらしい笑いであり、とても輝かしい笑いだった。これから長く続く、光輝く笑いの開祖だった。

「今日は何日だろう」スクルージは言った。

「幽霊とはどれくらいの間いっしょにいたんだろう。何も分からないな。赤ん坊になったみたいだ。かまうもんか。気にすることはない。むしろ、赤ん坊になりたいくらいだ。ハロー。オーイ。ここにいるぞ、ハロー」

 スクルージは有頂天になっていたが、聞いたこともないような教会の力強い鐘の音で我に返った。ガラーン、ガラーンというハンマー音。ディング、ドングという鐘の音。鐘がディング、ドングと鳴り、ハンマーがガラーン、ガラーンと鳴った。ああ、すばらしい、すばらしい。

 スクルージは窓にかけ寄り、開けると、身を乗り出した。霧も、もやもかかっていなかった。晴れ渡った、輝かしい、陽気な、心動かされる寒さだった。ピューっと風に吹かれ、血がさわぐような寒さだった。黄金色に輝く太陽、神々しい空、心地よい新鮮な空気、陽気な鐘の音。ああ、すばらしい、すばらしい。

「今日は何の日だね」スクルージは下を通るよそ行きの服を着た少年を叫んで呼んだ。おそらく少年はぶらぶらしながらあたりを見回していたのだろう。

「何の日?」少年はこれ以上ないほど驚いて言い返した。

「今日は何の日かって聞いてるんだよ、坊や」スクルージは言った。

「今日? だって、今日はクリスマスだよ」少年は言った。

「クリスマス!」スクルージはひとりごちた。

「間にあった。幽霊は一晩ですべてを見せてくれたんだ。思う通りに何でもできるんだな。もちろんできるに決まってる。もちろんそうさ。オーイ、坊や」

「何だい?」少年は答えた。

「ひとつおいた次の通りの角に鳥屋があるのを知ってるかい」スクルージは尋ねた。

「知ってるとも」少年は答えた。

「利口な子だ」スクルージは言った。

「ほんとに良い子だ。あそこにぶらさがっていた、賞をもらった七面鳥は売れたかどうか知ってるかい。賞をもらったのでも、小さい方じゃなくて、大きな方だぞ」

「えーと、僕くらいでかい七面鳥のこと?」少年は言った。

「うーむ、なんて愉快な子なんだ」スクルージは言った。

「この子と話すのは楽しいな。そうだよ、坊や」

「まだぶら下がってるよ」少年は答えた。

「そうかい、それを買ってきてくれないか」スクルージは言った。

「まさか!」少年は叫んだ。

「本当だとも」スクルージは言った。

「わたしは本気なんだよ。あの七面鳥を買ってきてくれないか。ここに持ってくるように言っておくれ。店の者にどこに七面鳥を届けるか伝えるよ。その人といっしょに戻っておいで。そうすれば 1 シリングあげる。5 分以内に戻ってきたら半クラウンあげよう」

 少年は弾丸のようにすっ飛んで行った。この半分の速さでも弾丸を飛ばすことができたら、その人は射撃の名人に違いない。

「ボブ・クラチットのところに届けさせよう」スクルージはそうつぶやくと、両手をこすり、身体をよじらせて笑った。

「誰が届けさせたか知らせないでおこう。おちびさんのティムの倍はある七面鳥だ。ジョー・ミラーもあんなものをボブのところに届けさせるなんて冗談はしたことがなかろう。これからだってしないだろうな」

 届け先を書く手は振るえていたが、とにかく書き、下に降り、通りに面したドアを開けた。鳥屋の店員がいつ着ても大丈夫だった。立って待っている時、ノッカーが目に入った。

「生きている限り、これを大事にしよう」スクルージは、手で軽くノッカーを叩きながらそう言った。

「今までほとんど関心を払わなかったが、なんて正直そうな顔をしているんだ。すばらしいノッカーだ。おや、七面鳥だ。オーイ。やあやあ。元気かね。メリークリスマス」

 すごい七面鳥だった。これだと、自分の脚では立てなかっただろう。たちまち脚が、封ろうのようにポキンと折れてしまっただろう。

「まいったな、これじゃカムデン・タウンまで持ってけないな、馬車がいるな」スクルージは言った。

 スクルージはくすくす笑いながらそう言うと、くすくす笑いながら七面鳥の代金を支払い、くすくす笑いながら馬車の代金を支払い、くすくす笑いながら少年に駄賃を渡した。これまで以上にくすくす笑い、笑いながら、息も絶え絶えに椅子にふたたび腰をかけ、くすくす笑ってとうとう泣き出した。

 ヒゲを剃るのが大変だった。というのは、手が絶えず振るえていたからだ。剃りながらダンスをするのではないにしても、ヒゲを剃る時には注意していなければならない。だが、スクルージにしてみれば、鼻の先っぽを切ったとしても、絆創膏を貼れば、それで十分満足だった。

 スクルージは一番良い服を着て、とうとう、通りに出た。この時間、大勢の人々が通りを行き交っていた。クリスマスの現在の幽霊と見た同じ人々だった。スクルージは、手を後ろに組んで、喜びに溢れた笑顔でひとり一人を見た。彼はこの上なく楽しそうに見えたので、気のいい 3、4 人の人が「おはようございます。メリークリスマス」と声をかけた。

 スクルージは後々、それまでの経験の中でも、あれほど嬉しく響いたことはなかったと、たびたび語った。

 それほど行かないうちに、スクルージには、かっぷくのいい紳士がこちらにやってくるのが見えた。昨日、彼の事務所に来て「スクルージ・マーレイ商会ですね」と言った男だった。出会った時、この老紳士が自分をどんな風に見るかを考えたら、心が痛んだ。だが、スクルージは、これからの自分が進むべき道を知っていたので、ためらわなかった。

「もしもし」スクルージは歩くペースを速めながら、老紳士の両手を取ってそう言った。

「ご機嫌いかがですか。昨日は寄付がたくさん集まりましたか。ごくろうさまです。あなたにとって、良いクリスマスであれと思っています」

「スクルージさんですか」

「ええ」スクルージは言った。

「それが私の名前ですが、あなたにとっては愉快な名前ではないかもしれませんね。お許し下さい。あのう、お願いがあるのですが」スクルージは老紳士の耳元でささやいた。

「何ですって!」その紳士は叫んだ。呆気にとられているようだった。

「これはなんとまあ、スクルージさん、本気ですか」

「よろしければ、きっちりとその額です。多額の未払い分もそこには含まれていますから。お願いします」スクルージは言った。

「これは、これは。そのようなご厚意に対して、何と申し上げてよいやら」その紳士は、スクルージの手を取って言った。

「どうか何もおっしゃらないで下さい。私のところにおいで下さい。来て下さいますか」スクルージは言った。

「お伺いしますとも」老紳士は叫んだ。彼は間違いなく行くつもりだった。

「ありがとう、心からお礼を申し上げます。本当にありがとう。それでは」スクルージは言った。

 スクルージは教会に行った。それから街を歩き回った。人々が忙しそうに行き交うのを見たり、子供たちの頭を軽くたたいてなでたり、乞食に話しかけたり、家々の台所をのぞいたり、窓を見上げたりした。スクルージは、すべてが喜びだと分かった。散歩が、散歩に限らず何に対してもだが、こんなに喜びを与えてくれるものだとは、それまで夢にも思わなかった。午後、彼は甥の家の方に足を向けた。

 スクルージは、上がって行ってノックする勇気が出るまで、甥の家の前を何度も行ったり来たりしていたが、一気に駆け上がり、ノックした。

「ご主人はご在宅かな」スクルージは若い女性のお手伝いに言った。本当に人の良さそうな、良い娘だった。

「ええ、いらっしゃいます」

「どこにいるのかな、お嬢さん」スクルージは言った。

「ダイニングルームにいらっしゃいます。奥様もごいっしょです。よろしければご案内します」

「ありがとう。彼は私を知っているんでね」そう言った時には、スクルージは、ダイニングルームの錠に手をかけていた。

「中に入らせてもらうよ」

 スクルージは錠をゆっくり回し、ドアのところから顔を斜めに入れた。二人はテーブルをながめていた。(テーブルにはごちそうがずらりと並んでいた)。こうした若い主婦は、こういうことについては、決まって神経質で、何もかもがちゃんとしていなければ気がすまないのだ。

「フレッド」スクルージは言った。

 なんとまあ、義理の姪の驚いたことといったら。スクルージはその時、彼女が足台に足をおいて、部屋の隅に座っていることに気づかなかったのだ。そうでなければ、声などかけなかっただろう。

「ああ、びっくりした! どなたです?」フレッドは言った。

「私だよ。おまえのおじさんのスクルージだ。ごちそうになりに来たよ。入ってもいいかい、フレッド」

 入っていいかいだって? 握手でスクルージの腕がちぎれなかったのは、神の恵みだった。スクルージはすぐにくつろいだ。これ以上のまごころは他にはないだろう。義理の姪は、幻影で見た時と同じ様子だった。トッパーが来た。彼も同じだった。まるまる太った、妹もだ。みんなが来た時、誰も彼もが同じだった。すばらしいパーティだった。愉しいゲーム、心からうちとけた雰囲気、このうえない幸福感 …。

 翌朝、スクルージは早くから事務所に出た。そう、事務所に朝早くからいたのだ。事務所に早くいさえすれば、ボブ・クラチットが遅く来るところをつかまえられる。スクルージが考えたのは、そういうことだった。

 そして、スクルージはそうした。そう、スクルージの思うとおりになった。時計が 9 時を打った。ボブは現れなかった。15 分たった。ボブは現れなかった。ボブはきっかり 18 分 30 秒遅れて事務所に出てきた。スクルージは、ボブが独房のような仕事場に入るのを見るために、ドアを広く開けたまま座っていた。

 ボブは、ドアを開けた時には、帽子を脱いでいた。マフラーもだった。すぐさま椅子に座り、9 時開始の遅れを取り戻そうとするかのように、さかんにペンを走らせた。

「おい!」スクルージは、できるだけいつもの声で怒鳴った。

「こんな時間に来るとは、どういうことなんだ」

「すいません、遅刻してしまいまして」ボブは言った。

「遅刻だ」スクルージはくり返した。

「確かに、遅刻だね。ちょっと来てくれないか。おかまいなければだがね、旦那様」

「一年に一回のことです」ボブは弁解しながら、独房のような仕事場から出てきた。

「もう二度としません。昨日はちょっと浮かれたものですから」

「いいか、はっきり言っておこう」スクルージは言った。

「私はこういうことにはもう我慢ができないんだ。だから…」

 スクルージは言いながら、椅子から飛び上がり、ボブのチョッキをこづいたので、ボブはそれまでいた独房のような自分の仕事場へとよろめいた。

「だから、私はおまえの給料をあげてやろうと思っている」

 ボブは震え上がり、定規に手を伸ばした。それでスクルージを殴りつけ、おさえつけておいて、路地にいる人に助けを求め、拘束衣を持ってきてもらおうと思ったのだ。

「メリークリスマス、ボブ」スクルージは、ボブの背中を叩きながら言った。その言葉には、心がこもっていた。

「感謝してるよ、ボブ。今まで祝ったどのクリスマスよりも、すばらしいクリスマスを祝おうじゃないか。君の給料を上げよう。苦労している君の家族の援助もしようと思っている。今日の午後は、湯気の出るほど温かいビショップ酒を飲みながら、そのことについて話し合おうじゃないか、ボブ。火をもっと熾しておくれ。それから、仕事に取りかかる前に、石炭入れをもうひとつ買ってきてくれないかな、ボブ・クラチット」

 スクルージは、言葉以上のことをした。口にしたことすべてを実行したし、それ以上に多くのことをした。死ななかったおちびさんのティムにとっては、第二の父となった。この古き街の中で、いや、世界中のどの街、どの都市においても、これ以上ないというほど、善き友人となり、善き主人となり、善き人間となった。スクルージが変わったのを見て笑う人もいたが、スクルージは、笑われるまま、気にとめなかった。 というのは、善に関していうと、はなからそれを笑いものにしない人がいるなど、この地上ではあり得ないことを十分に承知していたからだ。また、善を笑う人は、ものの見えない人だということを知っていたので、にやっと笑って目に皺を作るのも、見えないという病が、もっと醜い形で表れるのも、同じことだと思っていた。 スクルージ自身も、心の中で笑っていた。彼にとっては、それで十分だった。

 スクルージは、もはや幽霊と接することはなかったが、それからは、絶対禁酒主義を通した。世の中にクリスマスの祝い方を知っている人がいるなら、どう祝うかを知っているのは、スクルージだといつも言われていた。私たちも心からそう言われますように。私たちのすべてが心からそう言われますように。おちびさんのティムが言ったように、私たちひとり一人に神様が祝福してくださいますように!

- 了 -





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