Ensamble Amedeo Mandolin Orchestra HOME  

mandolin


  メニューへ戻る


  表紙

  ごあいさつ

  プログラム

 => 曲目解説

  編曲ノート

  久我山小学校
      合唱団


  メンバー


  案内状

  チラシ

   

アンサンブル・アメデオ 第19回定期演奏会
パンフレットより

Ensemble Amedeo The 19th Regular Concert
〜未来のこどもたちへ〜
2003年1月18日(土)17時開演
於:大田区民ホール アプリコ
 


曲目解説
| 子供部屋 | おもちゃの交響曲 | マザーグース | 時の踊り | トロイメライ | 魔法使いの弟子 |

第1部

ようこそ、子供たちの世界へ!
アンサンブル・アメデオの今年の定期演奏会は、アンゲルブレシュト作曲の「子供部屋」で幕開けです。この曲は、フランスの童謡や民謡を題材にして作られた小品集で、とってもかわいらしくて楽しい曲ばかりです。フランスの子供たちはどんな歌を聞いて大きくなるのか、ちょっとだけ垣間見ることができますね。子供部屋の王様は子供たちです。小さな王様たちが楽しく遊びまわったり、小さな自分の世界でいろんなことを考えたりしている姿が目に浮かぶような曲です。 2曲目は、子供部屋にありそうなおもちゃの楽器を使って演奏する「おもちゃの交響曲」です。交響曲といっても、ベートーベンの「運命」みたいのではなく、かわいらしくて楽しい曲です。モーツァルトのお父さんであるレオポルド・モーツァルトの作曲です。

第1部最後の曲は、「マザーグースファンタジー」。杉並区立久我山小学校合唱団の皆さんとの共演が実現いたしました! イギリスの子供たちなら誰でも知っているマザーグース。<ハンプティ・ダンプティ>、<メリーさんの羊>、<ロンドン・ブリッジ>などの曲は皆さんもよくご存知ですよね。今日はこうした「マザーグース」の名曲の数々を、日本の子供たちの歌声に乗せてお届けいたします。どうぞお楽しみに!

「子供部屋」−ピアノ4手のための36の小品よりD.-E. アンゲルブレシュト
Suite From “La Nursery”, 36 Pieces for Piano 4-handsD.-E. Ingelbrecht

◇「子供部屋」について

アンゲルブレシュト作曲の「子供部屋」は、36曲からなるピアノ連弾(4手)用の小品集です。高音部は生徒用、低音部は教師用に書かれているので、ピアノ連弾のレッスンに最適ですね。どの曲にも、17〜19世紀からフランスに伝わる子供の歌が、主題として引用されています。どれもみな可愛く、親しみやすい旋律ばかりです。こうした旋律の良さを生かしながら、上品で素敵なコンサート・ピースにしたのがこの曲です。

フランス民謡にはどんな曲があるのか調べてみると、子供の頃に聞いたたくさんの曲がフランス民謡だったので、びっくりしました。例えば、むすんでひらいて、キラキラ星、ABCの歌、クラリネットこわしちゃった、アビニョンの橋の上で、アマリリス、フレール・ジャック、一日の終わり、などなど。今回演奏する曲の中にはこれらの曲は入っていませんが、しかし、これらフランス民謡ととてもよく似た、愛らしくてとても楽しい気持ちにしてくれる曲がいっぱい散りばめられています。

この曲集の36 の小品は、フォーレの組曲「ドリー」のように6曲でひとかたまりになって、6つの曲集に分けられています。第1、2集は1907年、第3集は1911年、第4、5集は1920〜21年、第6集は1932年に書かれました。

アンサンブル・アメデオでは、第3回サマーコンサート(1997年7月、ティアラこうとう)において、この「子供部屋」の中から9曲を抜粋して演奏しました。今回は、そのときに好評だった3曲(今回の第5〜7曲目)と、その他に新たに4曲を加えて、合計7曲を抜粋し、マンドリン・アンサンブル用に編曲して演奏いたします。


◇今回演奏する曲について

今日は、「子供部屋」に収録されている36曲のうち7曲を選んで、アメデオ特製の組曲としてお送りいたします。演奏する曲目は次の通りです。
  1. 「クリストフ坊や」(第6集・第1曲より)
  2. 「お父さんのうしろで、鳥が鳴いた」(第5集・第3曲より)
  3. 「足のわるい坊や、どこにいくの?」(第2集・第1曲より)
  4. 「踊ってバンブーラ」(第6集・第4曲より)
    バンブーラとは、200年前のアフリカ発祥の踊りです。一部の人が勢いよく裸足で地面を踏み鳴らし、掌で足を叩きだすと、それがまたたくまに周囲へ広がっていきます。
  5. 「牧場のうた」(第2集・第4曲より)
  6. 「こわれた人形の子守唄」(第1集・第5曲より)
  7. 「マルブルー公」(第5集・第6曲より)
    ドラムと笛が鳴り、軍隊の行進のようですが、ちょっとユーモラスです。この軍隊的な曲はすぐに、遠く戦争に行ってしまう夫に対するマルブルー夫人の心配や孤独へと変わります。マルブルー公は生きて戻っては来なかったそうです。

◇作曲者アンゲルブレシュトについて

19ingel.jpg デジレ・エミール・アンゲルブレシュト(Desire-Emile Ingelbrecht, 1880〜1965)は、作曲家というより指揮者としてのほうが有名です。1880年にパリで生まれました。父親はパリ・オペラ座のヴァイオリン奏者、母親もピアノとヴァイオリンの演奏家という環境で、7歳からパリ音楽院でヴァイオリンと作曲を学びましたが、音楽に不向きという理由で放校。25歳の時から指揮を始め、ドビュッシーに認められ、彼の「聖セバスチャンの殉教」初演の際に合唱指揮者を務めました。ドビュッシーとの親交は彼の死去まで続き、国内外でドビュッシー演奏のスペシャリストとして知られました。1913年にシャンゼリゼ劇場の音楽監督に就任。第一次世界大戦後、パリ・オペラ・コミークなどの指揮者を歴任し、1934年には新設のフランス国立放送管弦楽団の初代首席指揮者に迎えられました。戦後はパリ・オペラ座の音楽監督(1945〜50)を務め、1951〜58年にはフランス国立放送管の首席指揮者に復帰しました。1965年にパリで死去。彼の死後に発売されたドビュッシー「ペレアスとメリザンド」(1962年録音)のLPが絶讃を浴び、1988年のレコード・アカデミー大賞を受けました。

作曲家としての代表曲は「レクイエム」、「フルートとハープのためのソナチネ」、「子供部屋」などです。彼はフォーレとドビュッシーに強く影響を受け、初期には印象派的な傾向がありましたが、最終的には個人的なスタイルに到達しました。


おもちゃの交響曲L. モーツァルト
Kinder SymphonieL. Mozart

『レオポルト・モーツァルトの人生の大部分は、何はともあれ職務を果たし働く毎日であった。そんな中で「楽しみ」だったのは、家庭内を取り仕切ること、機知に富んだ会話、「石弓」、それに彼自身が付き合うに相応しいとみなした家族との交際であった。

レオポルトは二つの人生を歩んだ。ひとつは自分自身のものであり、そこでは自らの個性、偉大さ、そして存在意義をも高めることが出来た。それに対してもうひとつは、息子が自らの人生を生きる権利を主張するという恐るべき瞬間を迎えるまで、彼が息子と共有した人生であった。』

エーリヒ・ヴァーレンティン(久保田慶一訳)


◇〜〜とある1月某日、都内某所にて〜〜

「ねえ、『おもちゃの交響曲』って、モーツァルトのパパ(レオポルト・モーツァルト)が作った曲だって、知ってた?」
「ううん。ハイドンじゃなかったの?」
「それが違うんだな。20世紀になって、ミュンヘンの国立図書館で発見された、レオポルトの『カッサチオト長調(Cassatio in G)』っていう楽譜があるのね。その中の第3、4、7曲を、誰かが選んで『おもちゃの交響曲(子供の交響曲Kinder Symphonie とも呼ばれる)』にしたらしいの。その誰かは、おそらくハイドンかその弟じゃないか、って言われてる。」
「モーツァルトのパパって、映画の『アマデウス』とか、ミュージカルの『モーツァルト』を観る限り、ものすごく教育熱心なキビシイ人、って印象があるんだけど。」
「そうねー。彼は自分で作曲もしたし、教則本や楽譜帳なんかも書いてるしね。特に有名なのは『ヴァイオリン教程』っていう本かな。これは当時のヨーロッパでベストセラーになったのよ。そのかたわら、モーツァルトや、お姉さんのナンネルを連れて、いろんなところに音楽旅行してるんだよね。小さい頃は、ドイツ、ウィーン、パリ、ロンドン、その他色々。大きくなってからはイタリア。」
「当時のイタリアって、音楽のメッカだったんでしょ?」
「16世紀から18世紀にかけては、音楽だけじゃなく、全ての芸術・文化の中心地だったの。そうそう、面白い話があってね。モーツァルトの洗礼名は《ヴォルフガング・テーオフィル・モーツァルト》だったんだけど、それを、イタリア語のアマデオからくる《アマデウス》に変えちゃったんだよ。つまりそれ位イタリアの影響って凄かったってこと。だからパパは、どうしてもモーツァルトをイタリアのどこかの貴族に就職させたかったみたいよ。出世するには、『イタリア帰り』ってことが勲章みたいなものだったらしいから。結局ダメだったけどね。」
「モーツァルトがイタリアに行った時期って、ちょうど13〜17歳位だっけ? 多感で吸収力が旺盛で、国際感覚を身につけるには最適な時期だよね。」
「そう。だからパパはその時期を狙っていったんじゃないかしら? そうだとしたら、パパってスゴイ戦略家で、教育家。」
「ほかにも、宮廷や貴族のお屋敷でモーツァルト(とナンネル)の演奏会を開いたりして、お金を稼いだりしたところなんて、ヘタな商売人顔負けだよね」
「そんなパパなのに、この『おもちゃの交響曲』はすごく可愛いよね。なんか全然結びつかないな〜。」
「そうそう。おもちゃが入っているから、愛嬌も遊び心もたっぷり、って感じ。馴染みやすいよね。楽しいし。」
「使われてるおもちゃはどんなのがあるの?」
「えーっと、ブリキのラッパでしょ。かっこう笛、うぐいす笛、うずら笛、振るとガラガラ音が出る円筒形の玩具(おもちゃ)、パチパチ音を出す玩具、太鼓・・・ってとこかな。昔はこの曲の楽譜を出版している出版社特有のおもちゃが販売されてたみたいだけど、今は入手困難みたい。だから通常は似たようなおもちゃで代用してるんだって。」
「へえ、そうなんだー。」
「今日は『アメデオ』の演奏で、この曲が聴けるんだよね。なんか仕掛けも一杯ある??のかな?すっごく楽しみ。」
「うん。こういう曲をこういう人が作ったんだぁ、なんて考えながら聴くのって、また違った感じかもね。」
「あ、もう始まっちゃう。早く行こ!」

◇レオポルド・モーツァルトについて

レオポルド・モーツァルト レオポルド・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart, 1719〜87)(以下レオポルト)は、1719年11月14日、アウグスブルクで生まれました。
父親の祖先は、15世紀まで溯れます。その頃はモッツハルト(Motzhart)という姓でした。その子孫が17世紀にアウグスブルクに移住し、モーツァルト(Mozart)と名乗るようになり、代々建築師(石工)として続きました。アウグスブルク一帯には、モーツァルト一族が建造した教会があちこちに残っているそうです。母親の祖先も代々織師でした。

彼は、ザルツブルクの大学で哲学や法律を学びましたが、音楽に熱中し、とうとう大学を除籍になりました。その後、ザルツブルクの貴族の従僕兼楽師を経て、ザルツブルク大司教宮廷楽団のヴァイオリン奏者となります。1743年、24歳の時です。整理された合理的教授法、適格な指摘、厳しさと粘り強さ、幅広く豊かな教養を併せ持っていたレオポルドは、優れた教育者としてだけでなく、作曲家としても活動の幅を広げていき、1757年には宮廷作曲家、1763年には副楽長に任命されます。作曲家としての多彩な活躍振りは、彼の残した数多くの教会音楽、交響曲、協奏曲、セレナード、室内楽などから伺い知ることが出来ます。

また、1756年に彼が執筆した「ヴァイオリン教程」という教則本は大絶賛を浴び、ヴァイオリン演奏法の名著として各国語に翻訳され、再版されました。この年の1月に、彼の息子『神の子』ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(以下モーツァルト)が誕生します。この本が刊行されるまでに音楽出版社のロッターとの間で交わされた往復書簡は、モーツァルトが誕生するまでの資料を提供する貴重なものになっているそうです。

レオポルドには、もう一人ナンネルという天才ピアニストの娘がいましたが、弟モーツァルトの才能の前には彼女の影も薄く、レオポルドはますますモーツァルトの為にすべてを犠牲にするようになります。モーツァルトが才能を開花させたのは、ひとえに父レオポルドの功績といってよいでしょう。

レオポルドは、1787年5月に68歳で亡くなります。モーツァルトは、父の死にあたり『死んだむく鳥によせるモーツァルトの詩』を詠んでいます。

ここに憩うかわいいおろか鳥むく鳥、
彼はまだ生命の盛りだというのに死という激しい苦しみ
を経験しなければならなかった。
それを思うとこの胸は張り裂けそうだ。
おお、この詩を読まれるかたがたよ。
君もむく鳥にひとしずくの涙を流してやってほしい。(以下略)
また、モーツァルトはこの年に数々の名曲を作曲しています。その中でも特に有名なのは、KV.525 “アイネ・クライネ・ナハトムジーク”でしょうか。実はこの曲は注文主がわかりません。もしかして、これらの作品は、父へ捧げられたものなのでは? そう考えられる余地は充分ありますよね?

レオポルドの教則本の序文には、『音楽』の語源について、次のように書かれています。
《歌の女神である9人のミューズ神“Musen”、ギリシャ語の「勤勉」、水“Moys”と学問“Icos”、或いはナイル河の流れの音、風のざわめき、小鳥のさえずり、更にヘブライ語「神をたたえて発明考案された作品」といろんな意味があります。読者の方にどれでも気に入ったものを採用してもらいたい。どれも決めずにおきます。》
あなたにとっての音楽とは、なんですか?

◇「おもちゃの交響曲」について

この曲は、3つの楽章からなる小さな交響曲で、おもちゃの楽器を入れて演奏するところから「おもちゃの交響曲」あるいは「子供の交響曲」と呼ばれています。(曲についての詳しい話は会話(3〜4ページ)を参照してくださいね。)

第一楽章:
ハ長調、4分の4拍子、アレグロ(Allegro)。簡単なソナタ形式。冒頭に第一主題が提示されたあと、ト長調に移行し第二主題が提示される。この主題提示部を繰り返したあと展開部に入り、2つの主題が簡単に展開される。再現部では第二主題がハ長調で短く再現される。

第二楽章:
ハ長調、4分の3拍子、メヌエット(Menuetto)。複合3部形式。トリオはヘ長調。冒頭の主題では、かっこう笛が旋律の中に効果的に取り入れられている。

第三楽章:
ハ長調、8分の3拍子、アレグロ・モデラート(Allegro Moderato)―アレグロ・ヴィヴァーチェ(Allegro Vivace)―プレスト(Presto)。だんだんスピードをあげながら、同じ旋律を3回繰り返す。

児童合唱とマンドリンアンサンブルのための<マザーグースファンタジー>
編曲 小穴雄一
"Mother Goose Fantasy", Fantasia on Old British Nursery Rhymes and Traditional Folk Songs for Mandolin Orchestra and Children's Chorus

正確なタイトルは、「イギリスで古くから歌い継がれているナースリーライムと民謡による、児童合唱とマンドリンアンサンブルのための幻想曲<マザーグースファンダジー>」ということになります。ちょっと長いですね。ちなみに、ナースリーライムとは、昔から伝わる童謡やわらべ歌のことです。
マザーグースのうたは、イギリスで、昔々のそのまた昔から、ずっとずっと、歌い継がれてきた童謡で、その数は800曲を上回るとも言われています。格言あり、なぞなぞあり、ナンセンスあり、早口言葉あり、遊びうたあり、数えうたあり、なんでもありです。どれも風刺と機知に富み、ちょっと理屈っぽくて、宇宙的感覚に満ち溢れています。イギリス人独特のユーモアは、幼年時代以来親しんでいる、これらの歌に培われているところが大きいのかも知れません。
さて、「マザーグース」という愛称はいったいどこからきたのでしょう? いろいろ説があるようですが、出版屋のニューベリーが、当時流行っていたベローの童話<がちようおばさんのおはなし(Contes de ma Mere I'Oye)>から借用したというのが最も有力なようです。この童話は、かの有名な「白雪姫」や「親指小僧」など、まさにおとぎ話の宝庫です。

ところで、考えてみればチャーチルだって、ワットだって、コナン・ドイルだって、ターナーだって、ビートルズだって、みんなみんなマザーグースを歌って育ったのですね。だから、エルガー、ホルスト、ヴォーン=ウィリアムズ、ディーリアズ、ブリテンなども、みんな子供のころは幼椎園あたりでお遊戯しながら、きっとマザーグースごっこなんかしていたに決まっています。そう考えると、なんだかわくわくしてきます。やはりマザーグースはイギリス人の根っこみたいなものです。というわけで、この際いろいろごちゃまぜにして、特製ミックスジュースみたいにしてメドレーに仕立てました。
マザーグ−スには不思議がいっぱいです。しかし、どれも普段のなんでもない生活のなかから生まれたものばかりです。生活に密着しているということでしょう。ルーイスキャロルの「鏡の国のアリス」では、あのハンプティ・ダンプティが登場していましたし、アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」、パン・ダイン「僧正殺人事件」などの推理小説でも事件の謎解きに一役買っていました。やはりマザーグ−スは、いろいろと空想をめぐらしながら鑑賞するのがほんとうの楽しみ方なのかもしれません。
マザーグ−スには子供の歌が欠かせません。今回は久我山小学校のみなさんが素晴らしい歌声を聴かせてくれます。


今回とりあげた主な曲を順にご紹介しましょう。
はじめはちょっと厳かに。霧にむせぶロンドンの街に、ウエストミンスター寺院の「ビッグベン」の鐘の音が響きます。この調べは懐かしい学校のチャイムの響き。

プロローグは創作曲<ようこそ、マザーグースのくにヘ>
マザーグースララうたはなつかしい
ララたのしくララゆかいにララキラキラかがやけ
ハンプディ・ダンプティのおじさん、グーシーガンダーおばさん
ようこそ、ふしぎのくにへ、メルヘンファンタジー
短い序奏の後は<ヘイ・ディドゥル、ディドゥル>。これば代表的な、意味なしうた。
ヘイ・ディドゥル・ディドゥル、ヘイ・ディドゥル・ディドゥル
こねこひくヴィオローン、
めうしはほら、おつきさまをとびこえました
そんなこときいたことないよ
へイ・ディドゥル・ディドゥル、ヘイ・ディドゥル・ディドゥル
こいぬはおおわらい、
おさらとスプーンはふたりなかよく、にげてゆきました
次は<いたずら笛吹きトム>の歌。ほんとうはトムが笛吹きなんじゃなくて、笛吹きはトムの親父。ちょっと失敬!
トム、トムのふえふき! とってもいたずらだいすきで
あるひこぶたを、ちょいとしっけい、にげてった
トム、トムのふえふき! こぶたをまるごとたいらげた
それがみつかって、おおめだまをくらった
ンプティ君ちょっと元気なさそうだね。
ハンプティ・ダンプティ、へいのうえ
ハンプティ・ダンプティ、おっこちた
おうさまのうまをあつめても
ハンプティはもとにもどらない
ハンプティ・ダンプティ、へいのうえ
ハンプティ・ダンプティ、おっこちた
くにじゅうのへいたいさんあつめても
ハンプティはもとにもどらない
ハンプティ君はこわれたあと天国にいきました。この歌詞は本番までないしょですよーっと!
ところで、イギリス人は「王様の馬すべて」「王様の兵隊すべて」という言葉を聞くだけでハンプティ君のことを思い出し、卵が壊れたかのように取り返しのつかないことを想像するんだそうです。ハンプティ君はきっと、この曲を聴く人々の心の中に生きてるんですね。

ハンプティ君がもやもやと森の彼方に消えていったあと、いきなり<くわのきのまわりで>。これは典型的な輪舞曲。みんなで手をつないで輪になって踊り回ります。
くわのきのまわりでわになっておどろうよ
それはしんしんさむいしものあさ
これがてのあらいかたあらいかたあらいかた
さむいあさにゃぁてあらってほら、めをさませ
ふゆのあさはしもおりていてついたさむいよ
ほんとにぶるぶるぞくぞくさむいあさよ
これがはのみがきかたみがきかたみがきかた
さむいあさにゃぁはみがいてほら、ぴかぴかに
勢いのついたところで、一気に<スリー・ブラインド・マイス>(3匹の目の見えないねずみさん)。これはマザーグース超人気ナンバー。結構、動物をモチーフにした歌、多いですよね。 さんびきのねずみさんかみさんのあとおいかけ
かみさんはでばぼうちょうでちょんときりおとした
その、しっぽ
こんなふしぎなこときいたことないでしょ
また、かけてくるよスリー・プラインド・マイス もうひとつ、ねずみにちなんだ歌。<ヒコリーディコリードック>。これも超人気ナンバーです。
いっちく、たっちく、ぼーん、ぼーん
はしらのとけいがぼーん
ねずみがとけいをかけあがる
ねずみがすたこらかけおりる
ふたたびハンプティ・ダンプティのパラフレーズが遠くから蘇ってきます。これはひょっとしてハンプティの亡霊かしら? そういえば童謡って、むかしから恐れのような一種の不気味さが同居していますよね、行きはよいよい、帰りはこわいみたいな。というわけで、しばし幽玄の境地へ誘います。不安な響のなかで<子守歌>を2曲。
ねんねしよおやすみかぜがふくきのうえ
ゆりかごはかぜにゆれえだがおれおっこちる
ねんねこぼうやねんねこぼうや
だれですか、すっかりその気になって催眠術にかけられたみたいに眠っているのは! 静かに寝てくださいね。いびきは禁物ですよ。ここで曲はしばらくインストゥルメンタルになります。合唱はしばらくお休みです。インテルメッツォはおなじみ<グリーンスリーブス>。ここからは夢のなかと思ってください。だから、分散和音もちょっと変です。でも心配いりません。夢のおはなしは、いつだってきまって結論がないんですもの。いつもいいところに限って消えうせてしまう。

そうこうしているうちに、<シンプル・サイモン>の登場です。
シンプル・サイモンとは「おろかな男」「だまされやすい人」という意味で広く伝わっているキャラクターです。映画でも“サイモン”という名前が付くと、そういうキャラだったりするみたいです。
早口ことばは直訳できませんでしたので、いっそのこと日本のものをいれちゃいました。
ウリウリガウリウリニキテウリウリノウリウリウリノコエ!

いよいよクライマックスが迫ってきました。<メリーさんの羊><黒羊のうた><ロンドンばしおちる>この3つはどうにもごちゃごちゃにからまって、投げ出したくなるような「知恵の輪」、あるいは、もつれてどうにもならない「あやとり」みたいに、収拾つかなくなっていきます。この3つのうたの歌詞は、それぞれ次の通りです。
メリーさんのひつじしろいひつじ
メリーさんのひつじはゆきのよう
メリーさんのひつじどこでもついていく
あるあさがっこうへいきました

メーメーけいとはありますか?
イエッサーイエッサー3つほど
ごしゅじんさまにひとつ、おくがたさまにひとつ、
もうひとふくろはぼうやのよ

ロンドンばしおちるおちるおちる
ロンドンばしおちるマイ・フェア・レディ
きとつちでつくろうつくろうつくろう
きとつちでつくろうマイ・フェア・レディ
きとつちじゃながされるながされるながされる
きとつちじゃながされるマイ・フェア・レディ

きんとぎんでつくろうきんきらきん、ぎんぎらぎん
きんとぎんでピッカピカマイ・フェア・レディ
きんとぎんじゃぬすまれる、ぬすまれる、ぬすまれる
きんとぎんじゃぬすまれるマイ・フェア・レディ
ねずのみはりをたてようたてよたてよ
ねずのみはりがねむったらどうしよう!
パイプをすわせようねむくならいように
パイプをすわせようマイ・フェア・レディ
エビローグはふたたび冒頭のテーマがもどってきます。いかにもありがちなエンディングですよね。でも、不思議の国のアリスの最後も、トランプの兵隊さんにおわれるんでしたよね。あのような感じです。では、心ゆくまでじっくりとお楽しみください。
(アンサンブルアメデオ第12回定期演奏会パンフレットに加筆)


第2部

第2部の1曲目は、ポンキエルリ作曲の「時の踊り」です。この曲は、ディズニーの名作「ファンタジア」にも出てきますし、テレビのいろんなCMでも使われています。かわいらしい旋律、優美なメロディー、そして陽気な舞曲など、いろんな旋律が次から次へと出てくるのでとても楽しめる曲です。

2曲目は、シューマンの「トロイメライ」です。「トロイメライ」とはドイツ語で「夢」の意味です。楽譜では1ページで終わる小曲ですが、シューマンの代表作であるばかりではなく、ベートーベンの「エリーゼのために」やショパンの「子犬のワルツ」などと並んで、ピアノを弾かない人でも知っているほど有名な作品です。

第2部最後の曲は、デュカス作曲の「魔法使いの弟子」です。この曲は、1940年に製作されたディズニーの「ファンタジア」で使われているだけでなく、1940年版のファンタジアの中で唯一、「ファンタジア2000」(2000年製作)においても取り上げられた作品です。魔法使いの弟子に扮したミッキ−マウスが、先生のいない間に魔法を使い、箒(ほうき)に水汲みをさせますが、それを止める呪文を知らなかったために家中が水浸しになってしまい、さあ大変! そこに先生が帰ってきて、魔法を止める呪文を唱えて一件落着、あ〜よかった!というお話です。この曲は、こうした情景が映像としてありありと目に浮かんでくるような音楽です。先のことをよく考えずに、止め方の知らないことを始めてしまうのはとても危険ですね。魔法使いの先生がいてくれて本当に良かったですね。・・・だれか、ハンプティ君を元の姿に戻してあげられたらいいのに……ハリー、ハーマイオニー、お願い! 映画「ハリー・ポッター」に出てくる組分け帽のような帽子をかぶった魔法使いの弟子が、魔法の杖を振って箒を操っている様子を想像しながらお楽しみください。

歌劇「ジョコンダ」より「時の踊り」A. ポンキエルリ
La Gioconda ? Danza dell’oreA. Ponchielli

◇「時の踊り」について

この曲は、夜明けから真夜中までの時の推移と、それに伴う気分の変化を描写しています。短い導入部と次のような6つの部分から構成されており、これらは連続して演奏されます。
  1. 夜明けの時(ニ長調、4分の2拍子、アンダンテ): 夜明けの様子が静かなトリルで描写されています。静けさの中から小鳥のさえずりが聞こえてくるかのようです。
  2. 昼の時の入場: 太陽がだんだん高く上っていく様子が目に浮かぶようなクレッシェンドです。
  3. 昼の時の踊り(モデラート): 軽快でかわいらしい旋律が高音楽器で奏されます。この旋律はテレビのCMなどでよく使われています。
  4. 夕方の時の入場: スタッカートの多い、やや憂いを含んだ旋律が、夕暮れ時の様子を表しています。
  5. 夜の時の入場: 夜を思わせる音楽です。この「夜の時」の部分は長く、終曲の前まで続きます。次の3つの部分から構成されています。
    1. 優美で流れるような旋律が低音楽器で奏されます。   
    2. ギター・ソロのあと、イ短調、4分の3拍子、アンダンテに変わります。夜の闇の中で、妖精が飛び跳ねているかのようです。   
    3. イ長調になり、艶やかで流れるような旋律がたっぷりと奏されます。
  6. 終曲(イ長調、4分の2拍子、アレグロ): 陽気で楽しく、はずむような音楽です。リズミカルな舞踏会の場面が想像されます。

◇歌劇「ジョコンダ」について

「時の踊り」が入っている歌劇「ジョコンダ(La Gioconda)」は、ユゴーの戯曲「パドヴァの暴君アンジェロ」を原作とした悲劇です。このオペラは、スカラ座から依頼を受けたポンキエルリが作曲し、1876年に初演され、爆発的な成功を収めました。オペラといえばヴェルディと言われていた19世紀中期のイタリア・オペラ界で、ヴェルディの作品と匹敵するくらいの成功を収めた唯一のオペラがこの「ジョコンダ」であり、有名なバレー音楽「時の踊り」をはじめ、ポンキエルリの劇場的才能のすべてが要約されている作品です。

このオペラのあらすじ: ジョコンダ(陽気な女という意味)は17世紀ベネチアの歌姫であり、エンツォという元貴族の男に思いを寄せています。謝肉祭の日、エンツォは昔の恋人であるラウラと偶然再会したことをきっかけに、ラウラへの想いを甦らせます。しかしラウラは既に、ベネチアの総督の妻でした。エンツォとラウラの密会の現場を見た総督は怒り狂い、ラウラに毒薬を渡し、自らの命を絶つように迫ります。一方、恋人エンツォを取られたジョコンダは、ラウラに嫉妬します。しかし、ラウラがジョコンダの母親の恩人であることや、エンツォの気持ちを考えた末、ジョコンダは自分の恋をあきらめ、ラウラを救う決心をします。ジョコンダはラウラに、仮死状態になる薬を手渡し、ラウラはそれを飲んで倒れます。ジョコンダには、もはや幸せの望みもなくなり、彼女の運命は終局へと近づいていくのと裏腹に、舞踏会場ではにぎやかな「時の踊り」が奏されます。その後、ラウラが死んだという知らせを聞いたエンツォは、舞踏会場で騒動を起こします。舞踏会のあと、墓から掘り出されたラウラの仮死体は息を吹き返します。エンツォとラウラは大喜びし、船で遠くへと旅立ちます。ジョコンダはそれを見送った後、短刀で自害します。

◇作曲者ポンキエルリについて

ポンキエルリ アミルカーレ・ポンキエルリ(Amilcare Ponchielli, 1834〜1886)は、19世紀イタリアのオペラ作曲家であり、ヴェルディの後継者と言われるほどの人物でした。教会オルガン奏者を父親に持つ彼は、幼い頃から音楽の才能を示して、わずか9歳でミラノ音楽院に入学しました。在学中にオペレッタを作曲。1854年に卒業後、クレモナの教会オルガン奏者になり、1856年にはオペラ作曲家としてデビュー。以後、この地で続々と新作を発表し、さらに指揮者としても活躍しました。1876年には歌劇「ジョコンダ」を作曲し、一躍世界的に有名になりました。1883年にミラノ音楽院教授に就任。彼の教え子の中には、プッチーニとマスカーニがいます。1886年に急性肺炎のため、51歳でこの世を去りました。

「子供の情景」より「トロイメライ」R. シューマン
Kinderszenen - TraumereiR. Schumann

◇「トロイメライ」について

この曲は、全13曲からなるピアノ小曲集「子供の情景(Kinderszenen)」(作品15、1838年)の第7曲目にあたる曲です。13曲中の7番目、つまり、ちょうど真ん中に位置しています。これら13曲は共通のモチーフによって有機的なつながりを持っています。シューマン独特のかなり凝った濃密な構造で出来ていますが、抒情性に満ちあふれた作品です。

「子供の情景」は、シューマンが28歳のときに作曲されました。シューマンは、のちに彼の妻となるクララに宛てた手紙の中で、この曲集について次のように書いています。「あなたは以前僕のことを、ときどき子供のようなところがあると言いましたね。その言葉が僕の心に残っていて、羽を生やして飛びまわり、いつのまにか30曲ほどの小さい曲が出来上がりました。その中の12曲を選んで、『子供の情景』という題をつけました。このピアノ小曲集は、ピアノの大家にとっては大して面白くないかもしれないけれど、あなたはきっと興味を持ってくれるでしょう。僕はこの曲集を誇りに思っていますし、これを演奏すると、特に僕自身、大きな感銘を受けるのです。」「(この曲集は)大人の回想であり、むしろ年取った人のためのものです。」「『子供の情景』は、われわれ(シューマンと妻クララ)の将来のように平和で、穏やかで、幸福な作品なのです。」

「トロイメライ」の構成はA ? B ? A’という三部形式であり、Aの部分が繰り返されます。冒頭で奏される主題には、「子供の情景」の第1〜6曲目で常に用いられていたモチーフ(4つの音の下降音形)が含まれています。Bの部分では、この主題が展開されます

◇作曲者シューマンについて

19shumann.jpg ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 ~ 1856)はドイツのロマン派音楽の推進者であり、作曲および評論によって新しいロマンティックな芸術を開拓しました。8歳から音楽を学び、9歳で作曲を始め、14歳の時にはかなり上手にピアノを弾けたそうです。父親が文学志向であり、家が書店であったので、シューマンは幼時から本に親しみ、詩作も行っていました。父親は息子を作曲家ウェーバーのもとで学ばせたいと望んでいましたが、ロベルトが16歳のときに亡くなりました。1828年にライプチヒ大学に入学。親に強制されて法律を学びましたが興味が持てず、翌年ハイデルベルク大学に移ったあとも、法律よりピアノと作曲、文学に熱中しました。1830年、20歳のとき、パガニーニの超人的なヴァイオリン演奏を聞いて感激し、自分の進むべき道は音楽以外にないことを実感。ライプチヒに移ってヴィークに師事し、ピアニストとしての本格的訓練を受けました。1831年から音楽評論を開始し、1833年には「音楽新報」を設立。以後、約10年にわたってロマン主義音楽を啓蒙し、評論の意義を高めました。なかでも、1831年(シューマンもショパンも21歳のとき)に若きショパンを絶賛した論文や、1853年に若きブラームスを紹介した論文は有名です。彼は生前、作曲家としてよりもむしろ、評論家として知られていたそうです。

1832年、指の強化トレーニングに無理があり、指の故障のためピアニストを断念、ピアノ作品を中心とした作曲に向かいました。この時期までにシューマンを強く刺激した作曲家は、バッハ、シューベルト、ショパン、パガニーニなどでした。1836年に、師ヴィークの娘で天才的ピアニストであったクララと恋に陥り、翌年婚約。この時期に、「子供の情景」を含むシューマンの代表的ピアノ作品のほとんどが作曲されました。クララとの結婚はヴィークに反対されましたが、裁判で勝利し1840年に結婚。この年には、「詩人の恋」など多数の歌曲を作曲しました。また、イェーナ大学から哲学博士の学位を贈られました。1841年には交響曲、1842年には室内楽曲を作曲。1843年、メンデルスゾーンによりライプチヒ音楽院が設立された際に、作曲、ピアノ、スコア・リーディングの教授となりました。

1844年になると、うつ病の兆候が激しくなり、評論活動を中止。ドレスデンに移って指揮者となりました。1848年に病状が好転すると創作力がよみがえり、「マンフレッド」などの劇場音楽を作曲。しかしやがて再び健康を害するようになります。1850年にはデュッセルドルフに移り、指揮活動を行うとともに、交響曲第3番を始め多くの作品を書き、世間での彼の名声はますます高くなっていきましたが、1853年から言語不明瞭、動作緩慢とともに、うつ病の不安症状に悩まされます。1854年、ライン川に投身自殺を図りますが救助され、彼の希望でボン近くの精神病院に入院。1856年、46歳のとき、会話もできない状態となり、クララとブラームスに看取られながら息を引き取りました。

シューマンの作品としては、4つの交響曲、2つのピアノ協奏曲、歌曲集、ピアノ小品集などが有名です。ピアノ音楽に文学的表題性を与え、歌曲においては詩との融合を目指した点が特徴的です。


交響詩「魔法使いの弟子」P. デュカス
L'Apprenti SorcierP. Dukas

◇交響詩「魔法使いの弟子」について

この曲は、ゲーテ(1749〜1832)のバラード「魔法使いの弟子」を、H. ブラツのフランス語訳に基づいて、ポール・デュカスが序奏とコーダつきの交響的スケルツォとして作曲したものです。スケルツォとは、速い3拍子系の軽快な曲のことです。また、ここで言うバラードとは、物語性の濃い伝説などを題材にした近代の詩形のことです。ゲーテが作った30数編のバラードのうち、「魔法使いの弟子」は特に優れた作品であると言われています。

この曲は1897年、デュカスが33歳のときに作曲され、パリで作曲者自身の指揮によって初演されて、大好評を博したそうです。デュカスの名はこの作品によって有名になり、この曲は今日においても盛んに演奏されています。デュカスが得意とした主題を展開させる技法が十二分に発揮された曲です。

◇「魔法使いの弟子」のあらすじ

曲のあらすじを、ゲーテの詩(左段)を参照しながら見ていきましょう。
魔法使いの先生が出掛けて、
今日は僕がお留守番。
先生なんかいなくても
僕はちゃんと思い出す、
呪文の文句、簡単さ!
道具もみんな揃ってる。
ようし、これからこの僕が
勝手に魔法を使っちゃおう!

水来い、水来い、満ちて来い!
みるみる満ちてざぶざぶと
あふれ余って浴びるほど!

それからおまえ古箒、
このボロ切れをひっかぶれ!
どうせおまえは下働き、
僕の言うこと聞いてくれ!
二本の足で立ち上がり、
頭を上にまっすぐに、
そして急いで行って来い、
水がめ持って水汲みに!

水来い、水来い、満ちて来い!
みるみる満ちてざぶざぶと
あふれ余って浴びるほど!

するとほらほら出ていくぞ
箒のやつが水汲みに!
行ってはすぐにまた帰り、
帰っては行く、飛ぶように!
早くも桶はいっぱいだ、
あふれ余ってざぶざぶざぶ
鉢もたらいもみないっぱい、
たらいも鉢もみな浮かぶ。

止まれ、止まれよしてくれ!
もうたくさんだこれ以上!
呪文を忘れたどうしよう?

箒をもとに戻すには
何と言ったかあの言葉?
箒は水を汲んでくる、
くるくるくるわ、ほらくるわ、
箒! ほうき! こらあほう!
もういらないぞあの水は!
よせと言うのに、頼むのに、
僕の頭に百の川。

いかん、いかんこりゃいかん!
ひっつかまえるぞこら箒!
するとあれ見ろあの目つき!

まるで悪魔の申し子だ、
さては我が家を水攻めに
するつもりだな。四方から
しきいを越えていっせいに
あれあれ波が寄せてくる
これこれほうき、箒これ、
おまえは棒だ、棒立ちに
なって隅に立っていろ!

言っても、言っても、どうしても
聞いてくれんかバカなやつ!
それでは斧でまっぷたつ!

割って薪にしてくれよう、
覚悟はよいか? はいどうぞ!
と、しゃがむところを容赦なく
斧ふりあげて、ええいくぞ!
さすがは見事、ぼくの腕、
箒は裂けてまっぷたつ!
これでやっとひと安心、
先生の前で顔が立つ。

ところが、ところが割れたのが
二つになってひだり右
二倍スピード出す箒。
どうどうどうどうどの部屋も
階段までもドロ水で
浸かってしまった、た、た、た、たたいへん、
たいへん、たいへん、た、たすけて!
すると先生やって来た、
先生、先生、水が出た!
水が出た、出た! 水止めて!
止める呪文を、わ、忘れた!

「箒、ほうき、隅へ行き、
もとのように立っておれ!
箒を動かす者は俺」

(参考:万足卓訳)







序奏部(8分の9拍子、Assez lent、原曲はヘ短調、今回はホ短調で演奏する。)
弦楽器の神秘的な音によって、静かな雰囲気がかもし出されます。魔法使いの先生が出掛けてしまい、そのスキに弟子は、覚えたばかりの魔法を使ってみようとして、魔法を唱えます。まず、マンドリンがこの曲の動機を奏でて、クラリネットなどの木管がこれに答えます。この木管が、弟子が唱える水汲みの呪文です。呪文が二度繰り返されると、木管が忙しく動き、魔法が効いてきたことを表します。急激に動きが高まると、ティンパニの一打で突然、辺りは静まり返ります。












スケルツォ(8分の3拍子、ホ短調、Vif)
静けさの中から、マンドロン・チェロ(原曲ではファゴット)の旋律が聞こえてきます。箒が動き出して水汲みを始めたのです。これがこの曲の主要主題(水汲みの主題)です。この主題は、繰り返されるうちに次第にしっかりしたものになっていき、箒が一生懸命に水汲みをしている様子が描写されます。ときどき高音楽器が、流れるような下降音形の旋律を奏でますが、これは弟子が得意になって「もっともっと水を汲め!」と魔法をかけている様子を示しており、この曲の第二の主要主題(呪文の主題)です。これら2つの主題が展開され、さらに副次的な主題や、情景を描写するような旋律を交えながら、変化に富んだ見事な管弦楽法によって曲は進行していきます。













次第に水量が増してきて、波が押し寄せてくるような情景が、半音階での上下進行でうかがえます。弟子は箒の動きを止めたいと思いますが、しかし彼は、魔法を解く呪文を知りませんでした。ありとあらゆる方法をやってみましたが、みなどれもダメです。弟子は慌て始めます。そうだ、斧で真っ二つに割ってしまえばいいんだ、と弟子は考え、斧で箒を割ると、箒は2つに割れ、動きを止めます。









一旦、箒の動きが止まり、音楽も止まります。ほっ、よかった。。。と思ったのも束の間、割れた箒は、今度は2本で水を運び始めます。今までの2倍のスピードで水汲みをされてしまい、家中水浸しの大洪水! 「助けてくれ〜」と叫んでみても無駄です。とうとう彼は、大声で先生を呼びます。するとファンファーレが鳴り響き、先生のご帰還が告げられます。先生が呪文を唱えると、箒の動きはぴたっと止まります。





コーダ(8分の9拍子、ホ短調、Assez lent)
先生の呪文によって箒は止まり、水は引き、辺りはもとの静けさを取り戻します。静けさの中で、水滴がしたたる音が聞こえてきます。水滴の最後の一滴がギターのハーモニックスとピッコロで奏されて・・・・・はい、おしまい!

◇作曲者デュカスについて

デュカス ポール・デュカス(Paul Abraham Dukas, 1865-1935)は、フランスの作曲家、音楽評論家、教師であり、特に管弦楽法の大家として知られています。13歳を過ぎた頃から独学で作曲を始め、1882年に16歳でパリ音楽院に入学し、ドビュッシー、ダンディらと親交を結びました。1888年、ローマ大賞第2位に入賞。音楽院卒業後の1892年、ワーグナーの影響を受けた序曲「ポリュークト」で成功を収め、作曲家としての地位を確立しました。その後、兵役に赴きましたが、暇を見つけては古典音楽のスコアを熱心に読み耽ったそうです。除隊後はサン=サーンスの助手を務めたりしました。32歳のとき、交響曲ハ長調を作曲。続いて交響詩(交響的スケルツォ)「魔法使いの弟子」(1897)が評判となり、彼の名が広まりました。以後、メーテルリンクの戯曲による歌劇「アリアーヌと青髭」(1899〜1906)、バレー音楽「ラ・ペリ」(1911〜12)など、緻密な構成による独自の作風を築き、その豊かな管弦楽法は、ほかの作曲家たちにも影響を与えました。彼の作品には、ベートーベン、ワーグナー、フランクの影響が見られます。ドビュッシーらと親交がありましたが、完全に印象派に染まることなく、いずれの派にも属さないフランス音楽界の孤峰でありました。デュカスは、その厳格な自己批判の精神ゆえに、会心作と思ったものだけを発表したため、作品の数は多くありません。

彼はまた、音楽評論家、教育者としても著名な存在でした。1892〜1932年には新聞や雑誌に多くの評論や研究を発表する一方、ベートーベン、ラモー、スカルラッティの作品の校訂、出版にも従事。1910〜35年の間にパリ音楽院の管弦楽法と作曲法の教授をつとめ、メシアン、デュリュフレなどの後進を育てました。近代から現代に至るフランス音楽の発展期に多方面にわたって重要な貢献をなし、時流を導く大役を果たした作曲家でした。
(曲目解説担当 新井宗仁、一関恵子、鷲谷章子)

参考文献

「最新・名曲解説全集」(音楽之友社)
「音楽大辞典」(平凡社)
「新音楽辞典」(音楽之友社)
「クラシック音楽作品名辞典」(音楽之友社)
「新版・大音楽家の肖像と生涯」(音楽之友社)
Etcetera KTC1157、CDブックレット
田辺秀樹「モーツァルト〜カラー版作曲家の生涯〜」(新潮社)
木原武一「天才の勉強術」(新潮選書)
ミュージカル・演劇雑誌「レプリーク12月号」(阪急電鉄潟Rミューニケーション事業部)
石井清司「モーツァルトをめぐる人たち」(潟с}ハミュージックメディア)
ワーナーミュジックジャパンAMCY-19010, CDブックレット(解説:ボブ・ギルモア)
平野敬一「マザーグースの唄」(中公新書)
平野敬一「マザーグース竜謡集」(エレック選書)
藤野紀男「マザーグースの英国」(朝日イブニングニュース社)
アンサンブル・アメデオ第12回定期演奏会パンフレット
ポンキエルリ「時の踊り」スコア(日本楽譜出版社)
デュカス「魔法使いの弟子」スコア(日本楽譜出版社)
サム・モーガンスターン編「音楽のことば」(哲学書房)
上田真而子・文、斎藤隆夫・絵「まほうつかいのでし」(福音館書店)

HOME | アメデオについて | 笑顔! | 歩み | 活動 | 演奏会案内 | パンフレット | CD販売 | 試聴室 | 写真館 | 掲示板 | リンク
Copyright(C) 1998-2007, Ensemble Amedeo All rights reserved.