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ROD STEWART JAPAN TOUR '94 |
アンプラグド発表後初、そして9年ぶりの来日コンサート 22、23、24日:横浜 横浜アリーナ |
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セットリスト 26日 大阪城ホール
20.SALING 21.DA YA THINK I'M SEXY 22.TWISTIN'THE NIGHT AWAY |
インタビュー 1994年4月某日 NHK-BSで放送されたライブ映像「ROD STEWART JAPANTOUR 94」のなかに挿入される形でインタビューが聞けました。しかし、音楽的な質問をしてほしかったな、インタヴュアーには。 インタビュー○不明(以下NHK) NHK:30年前に歌手としてデビューしたわけですが・・・・・。 ロッド:30年?まいったなあ。まだ俺19歳だよ・・・なんてね。そう、デビューしたのは19歳の時だった。 NHK:何を得たいと思っていましたか?自分自身のゴールをどこにさためていましたか? ロッド:大勢のガールフレンド、それにスポーツカーかな。全て手に入ればいいのにと思っていたよ。でも本当のこと言うと黒人達の音楽がやりたかったんだよ。マディ・ウォーターズやサム・クックのような。 NHK:子供を持つことで、何か自分自身の生活が変わったということはありますか。 ロッド:変わるってことはないね。とは言っても、末っ子のレネエは上の3人の子供達よりも僕を変えたがね。末のレネエには目をかけているよ。15年前にはじめて父親になった時より良い父親になっているわけだ。昔は自分のことで手いっぱいだったからね。いつもツアーに出ていたし・・・・。レネエが生まれて実に楽しいし、これから生まれてくる子供ももちろん楽しみなんだ。 |
ライブリポート アンプラグド・ライヴ 大歓声と鳴り続ける拍手。 4月26日の大阪城ホールはロッドの歌とパフォーマンスに心から酔いしれた素晴らしい一夜だった。アンプラグド形式で始まったコンサートだったが、ロッドは曲が盛り上がると立ち上がり、マイクスタンドを軽々と振り回し放り投げた。さらには歌の端々でサッカーボールを客席に向かって蹴りまくり、その度に至る所で歓声が挙がった。もちろんロッドのボーカルは昔に比べてもほとんど衰えを感じさせない、パワー溢れるものだった。レコードよりも声が出ているとすら思ったほどだ。 ところで今回のライブの特長はやはりアコースティック楽器をかなり使用していることだろう。メンバーはもちろん、ステージ後方には十数人のオーケストラを配置し(全員日本人!)、バラッドナンバーでは曲の深みを表現するのに絶大な効果があった。アンコールの最後には客席から数人のファンをステージに上げて一緒に歌う場面もあり、ホール全体が大いに沸いた。本当にロッドはいい歌を聴かせてくれた。心からロッド、ありがとうと言いたい。 *イアン・マクレガンがキーボード/ピアノで参加していたのは秘かに嬉しかった。 初めて体験するロッド・ライヴ 正直な話、ロッド・スチュワートのコンサートに行くなんてこと、数年前には考えたことすらなかった。今、こうしてロッドのコンサートレヴューを書いているのも不思議な位だ。今回、大阪公演を2回観たわけだが、観終わった瞬間から何かを伝えたい、この感動を書き残しておきたい気持ちに捕われてしょうがなかった。 アリーナ席に着いてまず目に入ったのはステージの天井を囲むように吊された赤いカーテンとその中央ステージ正面にに飾られた紋章だ。イギリス貴族の家紋というべきそれは、貴族のパーティかクラシックコンサート会場の様な品格を漂わせ、尚且つこれが英国を祖国に持つロッド・スチュワートのコンサートであることを私に語っていた。 開演前の会場にはBGMはR&Bかモータウンが流れていた。それらは今夜のコンサートの曲目とロッドの趣味を連想させるもので私は静かに聴き入っていた。きっとロッドのプライベートな場所でもこれらの曲が掛かるのだろう。 開演時間の7時を10分ほど過ぎた頃、明かりが落ちた場内とは対照的にライトで照らされたステージにメンバーが一人二人と席に着く。ここで注目したのがステージ奥に揃えられた生のオーケストラだ。ロッドはこのツアーに帯同させていたのだ。さらに驚くべきことにオーケストラメンバーはタクトを除いて全員日本人でないか!その瞬間ロッドのこのツアーにかける並みでない真剣さと心配りが伝わって私はとても嬉しかった。 「MR.ROD STEWART!!」 今夜の主役をコールする叫び声とともにロッドが登場。1曲目はアンプラグドと同じ「HOT REGS」だ。上下ブルーのスーツに黄色地のシャツで身を包み、天に向かって叫ぶかの様な例のスタイルで歌い叫ぶ。アンプラグドのステージと同じように椅子に腰掛けてはいるが、腰を乗せているだけといった感じで、すぐにでも動きまわれそうだ。これがあのロッド・スチュワートだ。ブロンドの髪がとても眩しくみえる。 続け様に「CUT ACROSS THE SHORTY」。聴き慣れているのよりもいくぶんリズムが早い、と思いきや間奏部分で突然マイクスタンドを握って立ち上がり、体に巻き付けるかのように振り回したのだ。「ああ、これぞロッドだ。俺が本当に観たかったロッド・スチュワートの姿だ。」 次の曲は、ピアノのイントロで始まった。一瞬静まりライトが落ちた場内、ロッドは両手を横に広げ、”みなさん。シット・ダウン。”の合図をとる。「REASON TOBELIVE」だ。・・・・・・・・ |
ROD STEWART JAPAN TOUR '96 |
「ユア・ザ・スター」発表後の来日公演(1月12日〜23日) 12日 :福岡 福岡国際センター 14日 :大阪 大阪城ホール 17日 :名古屋 レインボーホール 18日 :東京 日本武道館 20日 :札幌 月寒グリーンドーム 22、23日:東京 日本武道館 セットリスト 14日 大阪城ホール
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22日 日本武道館
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インタヴュー 1996年1月某日 外タレミュージシャンに重点を置いた音楽誌「WHAT'S IN?」誌1996年4月号よりのインタビュー記事からの抜粋です。ロッドの音楽的なバックグラウンドに突っ込んだインタビューは読み応えがありました。 インタビュー○落合隆(以下WN) WN:今回の日本公演はいかがですか? ロッド:日本でのライブ・パフォーマンスは他でやるのとはかなり違うよ。 WN:それはどういうことですか? ロッド:日本には何度も来ているし、文化も理解しているつもりだけど、オーディエンスの反応には今だって肩透かしを食うことがあるんだ。こっちは汗だくになって歌うのに、曲が終わるとぱらぱらと適当に拍手するだけだろう。日本の観客の感情表現の方法があまりにも限定されているのが解せないね。だから日本は少しやりにくいよ。 WN:あなたにとってロックンロールやソウルの魅力とは? ロッド:それは、ロックンロールやR&Bの簡潔さだろうね。例えばソウルミュージックは文字どおり魂や心を揺さ振る音楽のことでパフォーマンス次第では大きな感動を与えることが出来る。僕自身はそれほどビートルズのファンではなかったんで、10代の頃からソウルミュージックばかりを聴いて育ったんだ。 WN:今後あなたはどういった方向に進んでいくべきだと思いますか? ロッド:もう今回の「ユア・ザ・スター」ようなアルバムは作らないと思う。今後は自分のルーツに返って歌い続けていきたいと思うよ。 |
TV出演 1996年1月15日 来日中の外タレをよくスタジオに呼んでミニライブを行なうテレビ朝日系「ニュースステーション」。久米さんとの掛合いを通じて、実に活き活きとしたロッドが楽しめました。常に人を楽しませようとする彼の陽気なパーソナリティはどんな場所でもやはり魅力的でした。それでもやっぱりナマ歌を聴かせて欲しかったなあ・・・・・。 インタビュー○久米宏(以後久米) (相撲観戦をしたらしいロッドに対して) 久米:相撲レスリング、面白かったですか? ロッド:面白かったけどアッという間に終わりましたよ。 久米:やっぱりサッカーの方が良いのかな?今日は高校生のサッカーニュースがあとで出てくるかもしれませんよ。 (サッカーの試合結果を伝えて) スポーツ担当アナ:ロッドさんはこの試合をテレビでちゃんと見ていたそうです。 ![]() (ロッドが小さな紙を持っていたことを思い出して) 久米:あの“紙”どうしました?あれ何? ロッド:あ!そうそうそう! (ロッド、ポケットから慌てて紙を取り出す) 久米:あれ、何?なんですか、これ。 ロッド:これはコンサートのスケジュールなんですよ。 (英語っぽく話す久米) 久米:17日、ナゴォヤ、、、18日、トウキョウ・ブドォウカン。 (一日一日にうなずきながら) ロッド:イエース。 久米:20日、サッポォロ(笑)。 ロッド:イエース(笑)。 久米:22日、トウキョウ・ブドウォカン。 ロッド:ハイ! 久米:23日、トウキョウ・ブドウォカン!! ロッド:ハイ!!! (一同爆笑) 久米:東京はいいですけど20日の札幌、これは寒いです。ものすごい寒い。 ロッド:ええ、そのつもりで来てます。 (久米、スケジュールの紙を手にとって) 久米:これ、テレビで言おうと思って用意してきたんですか? (ロッド、カメラを指差して) ![]() ロッド:そうです。皆さんにコンサートを楽しんでもらおうと思って。これが言いたかったんです。 久米:ロッドさんなら宣伝しなくてもお客さんはいらっしゃるんでないですか? ロッド:そんなことないですよ。どんなひとでもやっぱり宣伝はしないといけないんです。 久米:そんな時代なんですか。 ロッド:そうですね、常に宣伝はしないとね。 (久米、レガシーのCMを暗に意識して) 久米:“センデン、マイファースト”みたいなね。通じない、全然通じないや(笑)。 久米の腕を軽くたたき人差し指を振るロッド→ 久米:あちらで1曲お願いします。 ロッド:いいですよ。ネクタイとってもいいですか? 久米:どうぞ、どうぞ。ネクタイとるんだ。やっぱり、苦しいんだ、歌う時。 ![]() ロッド:そうですね。 久米:カッコイイなあ。僕と同い年なんですよ、僕と。 ロッド:知ってますけど、ふたりとも年の割にはスゴイいい感じだと思いませんか? 久米:ははははは、フレンド、ファーストね。じゃお願いします。どうぞ、プリーズ。 ロッド、ニュースステーションのスタジオで「今夜きめよう」を歌う。 ***上のインタビュー内容は「ミュージック・ライフ」、「FM STAION」、「ニュースステーション」より無断で抜粋もしくは活字化しました。著作権等の問題もありますが、いずれも現在では見ることができないものばかりなのですが、このまま埋もれさすには惜しい内容なのであえてとりあげました。関係者の皆様、みのがして下さい。*** |
イアン・マクレガン・インタヴュー 1996年初旬 ロッドの日本公演に94年に続き帯同したイアン・マクレガン。時は丁度スモールフェイセズのブームという事でインタビューが実現した。以下はDIG誌からの抜粋です。全文を読みたい方はバックナンバーを買いましょう。 インタビュー●赤岩和美(以下AK) AK:あなたは元々ブルースをやっていたんですね? イアン:そうだよ。今でもマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフは大好きだよ。当時はブルース・バンドだった初期ストーンズをよく観に行って、彼らを観て自分でもバンドをやろうと思ったんだ。 AK:スモールフェイセズ当時のメンバーとの付き合いはありますか? イアン:ロニー・レインはコロラドに住んでいるよ。車椅子の生活で残念だけどだんだん弱っている。でもロッドとロンガ治療費を負担しているので心配は要らないね。良い友達だね。今年の6月頃にロッドとロン、ケニーと僕とで再結成ツアーをやる予定もあるんんだ。(中略)ロニーはプレイできないけれどステージには出る予定だ。(中略)まだ、検討の段階だけどね・・・・・・。 |
ライブリポート え!? ゲット・バック! その日はFM802で“ウェルカム・ロッド・スチュワート”ということで頻繁にロッド・スチュワートの曲をかけていた。そしてさらにその夜のライブの1曲目が何になるかをクイズとして出題していた。答えは会場の大阪城ホールからの生音声中継で発表するとのことだった。私もアリーナ席で待ちながらあれこれと予想するに、まあ、普通に考えれば“ホット・レッグス”とか“フォー・エヴァー・ヤング”とかのパンチが効いた曲、あるいはニューアルバムからのシングルカット曲とかを予想していた。ところが何とそのオープニング曲はザ・ビートルズの“ゲット・バック”だったのである。ロッド・スチュワートがこの曲を昔シングルで切ったことはもちろん知っていたから「なるほど、そうくるかあ」と感心してしまったのだが全く予想だにしていなかった。果たしてクイズの正解者はいたのだろうか? さて、大阪でのライブは1994年春以来の2年ぶり。ニューアルバムを引っさげてのライブになるのではと思ったがしかし、この日の曲目は次のようにロッド・ザ・ベストともいえるナンバーで固められ新曲は“スーズ・ミー”の1曲だけ。結構ニューアルバムを気に入って聞き込んでいた私には少々残念な感もあったが、その分過去の選りすぐりのナンバーが聴けたのだから良しとすべきだろうか。(何せこれが通算3回目のライブなのだから) 中でも最も嬉しかったのは“アイム・ルージング・ユー”だ。これはフェイセズ時代のライブ定番でバンド全体で見せ場の多い曲だ。あのピリピリとした緊迫感が伝わるイントロのギターがたまらない。ロン・ウッドでないのは目をつむろう。 |