2006年秋、レンタカーを駆ってアメリカ南西部をドライブした。
STORY [1ページ]【2ページ】【3ページ】【4ページ】
TAMAYO の 旅行記 ④

【15日目】朝はお湯が出た。一晩中ボイラーを動かしたからだ。電気はカジノで使い果たしてしまうのだろうか?朝のラスベガスはしらけていた。メキシコ人の男に人が、街中の灰皿の吸い殻を集めて歩いている。夜の潜水服の男、朝の吸い殻集めの男、みんな白人ではない。差別というのか、はまり役というのか?私にはわからないが、いやそうに働いている人を見たことがない。仕事に対する考え方が日本人と違うらしい。街の中を抜け、空港付近の殺風景な道路のはるか遠くに、日本の分譲住宅のような建物の集落が続いている。ラスベガスで働いている人たちのベッドタウンなのだろう。砂漠っぽい道をしばらく走ると、やがて緑の木々のある高級住宅街が現れる。キャンプ場もありきれいな処だ。ホテルの経営者の家なのか?とにかく何もない田舎なのに、やたらと立派な家が並んでいる。フーバーダムに着いた。駐車場は有料、おまけにビジターセンターからゲートに入ってしまったために、ツアーの仲間入り、ダムの下まで連れて行かれて、タービンの廻るうるさい音の中で、このダムについての説明を聞かされたが、英語だから全然わからない。YASUHIROが途中で係の人に、表に出して、といったので前の組のツアーに入れてもらって出てきた。外はまた夏に戻ったように暑い。広い川をせき止めただけのつまらないところだった。ラスベガスにしても、フーバーダムにしても、人間の造ったものには何も感じなかった。キングマンに向かう道はもう見慣れたアメリカの道だったが、やはりこんなところを走っているほうが楽しい。パワーハウスに寄ると、2週間前のこの旅の始まりの時の気持ちがよみがえり、胸がいっぱいになる。今度はUS40でニードルスへ向かった。この道も来た時のRoute66とは違う楽しさがあった。ニードルスの街に入って行くのは分かりにくい。モーテルも1ヶ所に集まっているのではなく、 US40沿いに2軒と、オールドタウンに2~3軒、コロラド川沿いに少しと、街外れのゴルフ場のあたりにもちょっと高級なモーテルがある。時間があったので、モハベ砂漠を突っ切る道のほうも途中まで行ってみた。陽が落ちる寸前の地平線を、サンタフェ鉄道が長い列車を引きずって走っていた。見方によっては、カリフォルニアのRoute66が一番それらしい道といえるかも知れない。サンタフェ鉄道とも、もうすぐさよならだ。何だか感傷的になる。

【16日目】バクダッドカフェに寄ろうと思って旧道を走ることにした。やはりルート66の方が風景は楽しい。時間があればもっとこの道を走りたかった。車もあまり通らないし、途中で自由に車を降りられるし・・・・でもあまりにも遠回りになるところは、US40を利用した。結局バクダッドカフェには寄らなかった。LAに入ってからのフリーウェイが心配だ。LA方面の山の上に巨大なスモッグがのかっている。多分あのスモッグは西海岸の風に乗って、ニードルスの方までやって来るのだろう。ニードルスが暑いのはそのせいかも知れない。LAに入ってからは心配したほどでもなく、昼過ぎに空港近くのモーテルにチェックインした。バジェット(レンタカー)も歩いて行けるくらいだし、空港も近いので安心してゆっくり出来る。中庭のあるきれいなモーテルだ。ここに2泊する。すぐに街にでた。モーテルでもらった地図を頼りに、センチュリーシティーへ向かったが、地図が変だ。だいたいクーポンブックやモーテルの地図は今までみんなおかしかった。手書きの地図の距離感がどうもYASUHIROの感覚に合わないようだ。手当たり次第に近くの店に入ったり、通行人に道を尋ねる。メキシコ人の親子が、道路わきの自宅の塀の上に座って話していたので、聞いてみる。よくわからなかったらしく、男の子が家の中に入って行って、昼寝していたらしいお父さんを呼んできてくれた。貧しそうだったけど本当に優しくて、幸せそうな家族に見えた。センチュリーシティーショッピングセンターはちょっと高級そうで、キャリアガールやビジネスマンが買い物をするようなお店が多かった。本屋でLAの地図を買って、サンタモニカまで行った。夜になっていたが、ピアにはまだたくさん人がいた。恋人たちが、しっかり抱き合ったり、キスしていたりとてもロマンチックだ。もっと長くいたかったけれど、寒くてじっとしていられないくらいなので帰ることにした。帰り道は一般道を通ったけれど、日が落ちると、LAも急に車が少なくなり、人通りもほとんどなくなる。アメリカ人は夜遊びしないのだろうか?それにしてもYASUHIROの方向感覚は伝書鳩なみだ。地図も見ないでちゃんとモーテルの前についていた。

【17・18日目】

朝からサンタモニカへ向かう。ショッピングモールの駐車場は無料。そこに車を止めて街へ・・・・まだ時間が早いので街は静かだった。開店したばかりの「オールドネイビー」に入ってみたが、あまり気に入ったものはなかった。カフェテラスでコーヒーを楽しむカップル、木陰でくつろぐ老夫婦、高いビルがないのでゆったりした、いい街だ。静かにサックスの音色が流れている。黒人のミュージシャンが椅子に座って演奏していた。うまい!!足元にアドレスを書いたカードが立て掛けてあり、「結婚式・パティーでの演奏承ります」などと書いてあった。ホームレスの女性が話しかけると、ニコッと笑ってあいずちを返すが、サックスの音は途切れない。女性はしゃべりまくったあと、次の角で「私はホームレスです」と書いたカードをもってぼんやり立っていた。海岸にでると、乾いた陽射しがあふれていた。ピアの土産物屋の辺りをぶらぶらしていると、大型のワゴン車が砂浜の駐車場にとまり、ユダヤ教のファミリーが7人くらい下りてきた。男の人は黒のサテンのフロックコート、ちじれたもみあげを長くのばし、黒い帽子を頭にのせている。子供たちも女性も全員黒服だからちょっと目立つ。ピアでじゃれていたカップルも、目の端の方でチラチラ観察していた。夕べ寒くて長居出来なかった海岸も、ちょうどいいくらいのさわやかな風が吹いていた。町へ戻って、色々な店をのぞいていて、アメリカンイーグルで欲しいTシャツを見つけた。YASUHIROはまたジャケットを買った。やっぱりアメリカンイーグルがお気に入りのブランドになった。横に交差しているストリートでは、朝市が始まっていた。果物や野菜や手作りジャム、パイ、アイスクリーム、キャンディー何でも安い。子供たちが大勢、買ったばかりのものを路上に座って食べている。何をするのも熱心で元気そうに見える。そのくせ、あまりチャカチャカとはしこそうな子はいない。いつもなにかに集中している。私もアップルパイを買って、歩きながら食べた。 アルバカーキーでもそうだったけれど、旅行者なのにアメリカの日常の生活の中に居られたのは本当にうれしかった。スーパーで食料品を買ったりして節約していたから、普通の生活者とたくさん出会うことが出来たと思う。ゆっくりと街を楽しんでから、ビバリーヒルズへ向かったが、ヒルズ族のご夫人の運転マナーの悪さには辟易した。セレブリティーは他人を押しのけても先へ行かなければならないような習慣を身に付けた人々のようだ。 狭い道路の西側にはやたらと高い生け垣がめぐらせてあり、奥の宮殿までは見えなかった。明日は車を返さなければいけないので、早めにモーテルに帰って車内をきれいに掃除した。

最終日

レンタカーを返す時、時間がかかると思ったので、早くモーテルを出たが、実に簡単に終わってしまった。外からモニターでチェックして、ゲートの前で車を降りるだけ。実に大ざっぱに思えたが、後で渡されたチェックカードを見ると、走行距離まで記入されていたのにはびっくり。アメリカという国は大ざっぱに見えて、実はシステムは完ぺきでガチガチに管理されているらしい。広い多人種の国だから、そうでなければ安心して生活出来ないのだろう。でも私は、日本の何処までがシステムで、何処からズルズルなのかわからないよりは、アメリカの乾いたシステムが好きだ。帰ったらまたすぐに来たくなるに違いない。かくして、4,100マイル(6,500キロ)の旅は終わった。

【このページのトップ】