2006年秋、レンタカーを駆ってアメリカ南西部をドライブした。
STORY [1ページ]【2ページ】【3ページ】【4ページ】
TAMAYO の 旅行記 ①

【1日目】 朝8時過ぎにLAに着いた。入国の手続きを終え、バジェットのシャトルバスを探して,
それからレンタカーを借りた。レンタカーには灰皿がない。この会社のレンタカーは全部灰皿がついてないらしい。とにかく出発しようということで街に・・・・・フリーウェイになかなか乗れず、メキシコ人街を2~3回ぐるぐるまわった。教会も学校も住宅もメキシコ風建物で、面白いけれど、荒れた気だるい雰囲気で、少し危険な場所だとYASUHIROが言う。US110からUS15を通ってBarstowへ・・・・・Barstowの住宅街は、ひっそりしていた。あまり広くない敷地に囲まれた、屋根の平らな小さな住宅が20~30軒埋もれたように佇んでいる。人の姿はまったく見えないが、時々犬をつないでいる家があった。スーパーマーケットはこんな小さな街にあわない大きな店で、店の左側は、苗木を売っていて、砂漠の中を通ってきた私にはまるで植物園のように見えた。そういえば、さっきの住宅街も少し余裕のありそうな家は、敷地の中に2~3本木を植えていた。サルスベリのような木やゴムの木みたいなものが多かったが、木を育てるのも大変らしい。スーパーマーケットの広い駐車場のずっと奥の方に、大型トレーラーが何台か止まっていて、その手前には大きなバイクが5台とまっていた。スーパーマーケットの中は食料品から、雑貨そして何やら工具類まで、天井に届くほど積み上げてあった。多分ここはネバダ、カリフォルニア、アリゾナなど各方面へ行く中継地点になっているのだ。トラックの運転手もライダーもこれから先必要なものをここで買いそろえるのだろう。ドーナツを買い込んでいるライダーの横をすり抜け、お目当てのクーラーボックスを探したが、なかった。ついでなのでトイレにと、ドアノブを回したが開かない。通りかかった店員に「may I use?」というと、「今使ってるんだよ、白人の太っちょ がね」と身振りで答える。やせっぽっちのメキシコ人の男が、太っちょ女のまねをするのがおかしかったので、声を上げて笑ったら、うけたと思ってもう一度やって見せた。スーパーマーケットを後にして初めての給油。給油の仕方がわからないでもたもたしていると、通りがかりのおばさんが教えてくれた。本当に親切。後でわかったが、アメリカでは給油の仕方も一通りではなかった。さてUS40でNeedlesへ、気温35度くらい、岩の上に薄く砂が積もったような砂漠で、窪みに、背の低い植物が生えている。延々と続くこの風景の中に時々、日本の建て売り住宅のような集落が現れる。あんなところに人が住めるのだろうか・・・・・?でも近づいてみれば、いま通り過ぎたバーストゥの住宅街みたいなのかも知れない。ところどころに枯れ川があり、そのそばには2~3メートル位にまで背の高くなった木が白灰色に立ち枯れていた。灼熱と乾燥の地では、それ以上成長出来ないらしい。この過酷な風景は延々と続くように感じられたが、西側の低い山並みに、夕日がゆっくりと沈んで行く頃に変わり始めた。Needlesについた時にはもう日が暮れていた。初めて経験するモーテルのオフィスにはインド人の面白いおしゃべりなおじさん。オールドタウンにサンタフェ鉄道の操車場があると教えてくれた。夜モーテルの庭に出ると、US40を走るトラックのライトが見えた。サンタフェ鉄道の汽笛が聞こえる。とうとうアメリカに来てしまった。明日からどんな旅になるのだろう。

【2日目】朝、Needlesのオールドタウンへ行った。広い道路に沿って、土産物店や洋服屋などが数件あるだけの閑散とした街だ。アメリカの土の色をした四角い建物に、直にペンキで店の名が書いてあるのが古い町らしい。いい感じだ。サンタフェ鉄道の操車場には、今は使われていない古い駅舎があった。アーチ型の回廊をめぐらせた洒落た建物だ。第一次大戦に使われたという大砲なども、駅前の公園に展示してあった。うろうろしていると列車が入ってきて、一番前の車両から、小ざっぱりしたTシャツを着た大きな体の男が3人降りてきた。大きなザックを肩にかけている。駅の中から出てきた別の男達と、楽しそうにおしゃべりをはじめた。荒野の旅が終わったのだろうか?この後、私たちの旅の途中何度も、このサンタフェ鉄道に出会った。昨日、すぐ傍らを 寄り添うように走り、交差し、はるか地平線の辺りを走り続ける列車を数えてみた。それにしても長い列車だ。60輌位まで数えたが、その3倍ほどあるので途中でやめた。Historic Route66の入り口がわからなかったので、MuseumというRoute66グッズ等を売っている店で聞いた。店にいた中年の女性。私たちが単語だけしかわからないので、アクションで一生懸命説明してくれた。これからこんなことが続くのでしょうね? ほんとカッコいいおばさん。NeedlesはCARIFORNIAだけど、コロラド川を超えればARIZONAだ。川沿いに静かな住宅街がありゴルフ場もある、美しい街だけれど、町外れはもう荒涼としたモハベ砂漠がつづいている。旧道の山越えの道は、緩やかな峠が幾重にも重なる細い登り坂で、ガードレールもないから、パスしたら谷底に落ちる。こんな風景は今まで見たこともない。ほとんど木が生えていない。山がいくつも重なってつづいている。オートマンの街は、そんな峠の坂を上ったところにいきなり現れた。土産物屋だけがならんでいる。わずか100~200メートル位の細い道に,ロバが数頭いて、車を降りると鼻をすりよせてくる。道の真ん中でカウボーイの格好をした男達が、西部劇をやっていた。オートマンホテルという古いホテルは、今は土産物屋になっているけれど、昔馬車や古いトラックで、峠越えをした旅人には、ここはかけがえのない宿場町だったのでしょう。いいホテルだ。下りの道はつづれ折りになっていて、走るのは大変だが、それだけに景色はいい。道を走っていると、対向車線をやってきた車が、路肩に寄りなさいというのでそうした。するとこの道は行き止まりだからと、キングマンへ降りる道を丁寧に教えてくれた。アメリカでは何度もこういうことがあった。親切な人が多い。時々過剰な時もあるけれど、まあそれも面白いから聞いておく。キングマンへ降りる道は本当に美しかった。はるか下から峠を上がってくる対向車が見えて、なおその後ろにカーブする道が見える。キングマンに降りるとすぐにARIZONAのビジターセンターがあった。モスグリーンの古いすてきな建物で、昔は電力会社だったそうだ。それで別名パワーハウス。ここの案内の女性がまたカッコいい。たどたどしい英語の質問にもめげず、地図を取り出して、キビキビと答えてくれて、最後に、わかった?というように眼を見るので、OKサンキューというと親指を立てて笑った。パワーハウスの中にRoute66博物館があるので行って見た。ここの受付の女性はもうかなり高齢の優しそうなおばあちゃん。この入場券で後2つ博物館に入れますよと言って地図をくれた。先にモーテルにチェックインしてから、街に買い物に出かけた。アメリカで本屋はどこかと訪ねると、どの街でもスーパーマーケットのある場所を教えてくれた。買い物の出来るところというのは、フレッシュフードマート、雑貨のマート、衣料品のマートと、それぞれに別れた巨大なマーケットが一ヶ所に集まっている。本屋もその中にあるのだ。天井まで積み上げられた商品の下を、大きなカートを押して大量の商品を買っている人を見ると、すっご〜い!!!レストランで山の様な食事をたいらげている人を見ても、まいった!!としか言い様がない。モハベ博物館へ行ったのは夕方になってしまった。充実した展示だったが、20分しか時間がなかったので急いで見て回った。係の人が気の毒がって明日の朝また来てくださいといってチケットくれたけれど、街外れに泊まったので、結局翌日そのまま街を後にセリグマンへ向かった。

【3日目】Historic Route66は遠くに小さな集落の見える山道で、ほとんど対向車もなく走りやすかった。それほど長い時間走ったと思わないうちに、キャンプ場があり、レストラン付きの何でも屋みたいな店の前で、若い男女のグループが何組か写真を撮りあっていたので車を降りてみた。Route66の旗とARIZONAの州旗があってみんなその下で写真を撮っている。私も観光客らしく写真を撮ってもらった。Seligmanはもっとずっと先だろうとYASUHIROも思っていたようだったが、3分も走らないうちに、有名な床屋さんの土産店や、マネキンのいっぱい飾ってある店があった。ここがSeligmanの街だった。街を少し歩いているとジェームス・ディーンの板人形があり、アメリカでは今もジェームス・ディーンとマリリン・モンローそれにプレスリーはアイドルなのかも・・・・街の裏通りの住宅のあるところへ行くと、遠くの駅に列車の先頭が見えた。すぐに走り出すかと思って待っていてもなかなか動かないので、線路の真ん中で写真を撮った。線路わきの木の上にカラスがとまって鳴いている。鳴き声も日本のカラスと違うみたい・・・英語か?トラックの上には西部劇に出てくる、クウォーターという種類の気の強そうな馬が2頭がいた。クウォーターという馬は1/4マイル、つまり400メートルダッシュをすると、サラブレッドよりも早いらしい。だからクウォーター(ほんとに簡単なネーミングがなんともアメリカ的)陽射しが熱かったが木陰は乾いた風がひんやりと涼しかった。Williamsには昼過ぎ1時半頃に着いた。Williamsの街は美術品を売っている古い店や、フエブロの工芸品を売っている店、土産物店が10軒位と、レストランが10軒位、あとはモーテル、といった小さな街だがグランドキャニオンへ行く汽車の駅がある。少し早いけれど、モーテルにチェックインして、ちょっとグランドキャニオンを見に行くことにした。GRAND CANYONへ向かう道は両側が林になっていて気持ちのいい道だった。このあたりはKAIBAB NATIONAL FORESTで冬はスキー場にもなるし、夏はキャンプ場がいくつもある。いろんな野生動物も棲んでいるらしい。ヘラ鹿を見たかったけれど、リスしか見られなかった。森林をぬけると、岩の間に低い植物が生え、道の両側には高山植物のような黄色い花が咲いていた。空気が薄くなってくるのがわかる。右側にずっと見えていた、上が平らな山を過ぎてしばらく行くと、グランドキャニオンの入り口だった。グランドキャニオンにはいくつかの絶景ポイントがあるが、まず入り口近くにあるのがマザーポイントだ。グランドキャニオンは、とにかく大きかった。標高3000メートルもあるので頭が痛くなってきた。歩いていると足が重い。今日はここだけを見て、モーテルに戻ることにした。Williamsに戻る途中、YASUHIROも頭が痛いといって、車の中で少し寝てしまった。夜モーテルの近くのレストランへ行き、ハンバーガーとサラダを食べた。とにかく量が多くて食べきれない。街を歩き土産物屋を見て回った。昼は陽に焼かれあんなに暑かったのに、夜はフリースを着てもまだ寒い。このあたりも標高2000メートル位ある。暗くなった木立の中を観光客を乗せた馬車がゆっくりと通りすぎた。街の中で汽車の汽笛がいい感じで聞こえてくる。フエブロの壺を買ったお店の主人は、日本語で「有り難うございました」と言っていた。やっぱり観光地だ。あまりにも観光地なので、明日はもう普通の町へ行こうかなどと、夜YASUHIROと話しあった。キャニオンの大きいのもよくわかったし・・・・・

【4日目】  でも、朝起きるとやっぱり・・・・グランドキャニオンが気になった。YASUHIROも気になっていたようで、でとにかくもう一度行ってみようということになった。(昨夜の会議はなんだったのか)昨日行った道をたどってビジターセンターへ行った。Mother Pointは昨日ほど観光客はいない。ビジターセンターでシャトルバスの乗り場を教えてもらい、車を駐車場において、小さいリュックに水とドーナツを入れて出発した。シャトルバスでPowell Pointまで行きHopi Pointまで歩いて、またシャトルバスに乗った。このあたりのポイントからは、キャニオンの下まで見えて、はるか下にコロラド川の濁った水の流れが見えた。標高差は1400メートルもあるけれど、川の標高はまだ750メートルもあるという。岩層の色の変化や岩の隆起の異様さは目をみはる不思議さだ。今もなお隆起を続ける。この渓谷の一番下の層(16~18億年前の層)ババスパイインディアンが農地をきり拓いて生活しているという。夏は40℃~50℃も気温が上がるという、こんな渓谷の下で一度も上にでることもなく、一生この谷に暮らすものがほとんどなのだそうだ。不思議な谷には不思議な人が暮らしているのだ。HopiPoint・Mohave Point・Pima Pointとシャトルバスから降りては下をのぞきこんで、またシャトルバスに乗り、折り返しのバスでマザーポイントへ戻った。サウスリムは、ロッジもホテルも大きなスーパーマーケットも本屋も、とにかくなんでもあるので、何日も泊まって、あちこち歩いて楽しめるようだ。アメリカに住んでいたら、キャンプしたりも出来るだろうな。帰りにキャニオンの一番しっぽのDesert Viewに行った。ここのウォッチタワーはインディアンのウォッチタワーの型を再現してわりと新しく造られたものらしい。一階はお土産物を売っていて、上の方には、ナバホ族のいろいろな絵が壁や天井に描かれている。インディアンは、アートではなく宗教的な意味や、また昔、戦で散々になった一族の集合場所を示した暗号だったりで、絵を描いたとか、読んだことがあるが、立派なアートだ。このタワーの渓谷は、高さはそれ程でもないが今まで見たどのポイントよりも美しかった。ここではコロラド川が、黄色ではなくエメラルド色をしている。渓谷の涯、真っ平らに見える台地はあかね色に染まり、地平線と空が溶け合っている。その台地の上に、上が平らな岩、尖った岩などさまざまな型の岩が、もうこの世のものとは思えないほど異様な美しさだ。今日は本当に来てよかったとYASUHIROと何度もそういって、夕方遅くなるまでこのデザートヴューにいた。帰りの車の中で、やっぱりモニュメントバレーに行こうかと言い合った。そうだ、あのあかね色の台地の上を走り、あの奇岩のそばまで行ってみよう、と二人で決めた。FragStaffに着いた時はもうすっかり暗くなっていた。ファミレスやモーテルのネオンがきらめく街をぬけ、薄暗い街外れの、へんなモーテルに入った。モーテルの駐車場で子供たちが遊んでいる。どうやらここで生活している様だ。2つ隣の部屋は、黒人のラッパースタイルの兄ちゃんが出入りしている。ラブホテルの様にも使われてるみたいだ。ドアはがたぴしして、うまく閉まらないし、窓のカーテンはフックがちぎれて垂れ下がっている。全然やる気がなさそうで、ただアホな旅人が迷い込んでくるのを待っているだけなのだろうか?まあいいか、屋根と壁はあるし、明日は朝早くモニュメントバレーへ行こう。あの台地の上を走れるのだから。

【5日目】 朝モーテルの外をうろついていると、暇そうな男がぶらぶらしていた。前の道路の向こうは鉄道が走っているらしく、ディーゼル車の汽笛が、しょっちゅう聞こえる。早くにモーテルを出て、レストランで食事をして、昨日通った素晴らしい景色の89号をモニュメントバレー目指して、CameronからTubaCityを通り、160号をKaiyantaへ向かう。このあたりの風景はメサと呼ばれる、上が平らになった山や、尖った山、奇岩など次から次へと現れて、その異様さと美しさに目をみはる。もう地球とは思えない、もうこの世の風景とは思えない。地図ではずいぶん遠い。ケイヤンタ、カイエンタ、ケイエンタ。日本人はいろいろな読み方をする。Navajoがナバホだからよくわからないが、ケイヤンタにしておこう。ナバホネイションのケイヤンタの街は モーテルが4~5軒と、ガソリンスタンドがあるだけなのに、巨大なスーパーマーケットがある。商品も充実しているが、ちょっと違うのは、セメント袋位の大きさの小麦粉が山のように積んであり、干した木の実とかが、大きな袋で売っている。それに今までどこのスーパーでもにぎやかに売り出されていたハロウィングッズがない。大きな赤いカボチャも売ってない。出入口のまわりにはやたらと、インディアンの老人がたむろして、暇そうに通りすぎる人を見ている。ナバホネイションは神聖なインディアンの土地で、ケイヤンタは平和を愛するインディアンの街だと言う人もいるけれど、私には老人達の視線が穏やかには見えなかった。でも、no residentsの私には難しすぎるので今日は考えるのはよそう。MONUMENT VALLEYと呼ばれる場所。この163号のシーニック道路は言葉では表現出来ないような異様な風景だった。呆気にとられて写真を撮りまくっているうちに、Mexcan Hatに着いてしまった。もうUTA州に入っている。191号でMexcan Waterまで行くとまたArizona州に入る.160号はNew Mexco州に入ると64号になる。このあたりユタとアリゾナの境の辺りの風景はまた美しい。Shiprockのスーパーマーケットで、祭でもあったのか、インディアンの少年がたくさん集まっている。スーパーマーケットはやはりケイヤンタと同じ雰囲気で、ハロウィンには無関心のようだ。私に向けられる視線はやはり険しい。シップロックの街からからUS40に向けてまっすぐに延びた491号でGallupに向かう。そろそろ日暮れが近づき、西の空と太陽とメサが美しい。いったい何処からがモニュメントバレーで、何処からがただの荒れ地なのだろうか?HopiもNavajoもIndian Reservationは、その広大な土地に全く人の手を入れていない。たまにヤギを、数頭放っているくらいで、作物も作らず牛も飼っていないようだ。何億年か前に突然隆起したと言われるこの西南部の地層をそのまんま現わにして、放置してあるのだ、何も実らない土地なのか?もともと狩りをしていた一族だからなのか?宗教的な理由か?政治的な理由なのか?それともただの怠け者なのか?これまたnon residentsの私にはわからない。日の暮れてしまった491号をインディアンの少年がスタスタ歩いている。家に帰るのか?遠くに小さな集落があり、ところどころ灯がともっている。小さな小屋かトレーラーハウスにインディアンたちは住んでいる。私もこんな数億年前の地層のままのメサや、奇岩に囲まれた赤い大地の上で生活をすれば、神を信じるようになるのかも知れない。

【このページのトップ】    【次のページ】