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「この際、あいつが並以上に鈍いのが幸いというべきなのかね…」
少年が登校した後、朝食後の一服を吹かしながら鳴海はひとりごちた。

(またぞろ、ぼやきの付き合いをさせられるのか)
やれやれと思いつつ、黒猫は窓際に寝そべった。
鳴海が自分に言う言葉はわかり、鳴海もこちらの気分くらいは察してくれるが、混み入った話は、例のいろはの表を使わなければ無理である。
それを出してこないということは、単に考えの整理、と言えば聞こえはいいが、実際には愚痴を吐き出したいだけなのだった。
(まあ、こんな類の愚痴を言える相手は他におらぬしな)
多少は鳴海に同情もして、ゴウトは一応耳を傾けていた。

「学校側に突っ込んで聞かなかったのはこっちの落ち度だけど、抜け駆けしてわざわざ直に担任に会って行方不明の級友の話を聞き出したんなら、その時点でこっちにも情報寄越したっていいだろうが。電話ってものがあるんだから。それを独り占めして晴海町まで飛んでって、いいところでピンチのお姫様救い出す騎士やって、帰りはお車でお送りと来たよ。しかもこっちには顔合わせず、恩も着せないお気遣いぶりだ。普通ならこれで惚れちゃうよ。少なくとも『この人、気があるの?』くらい思うよ。だろ?」
だろ?と言われても、それは、女ならそうかもしれないが…
少年は相手を格上の、力ある術者として尊敬しているだけである。
助けられたからと言って、それは好意は持ち、感謝もしているだろうが、心の底には同じ男、術者として自分を恥じる気持ちがある筈である。
少年は決して「お姫様」ではなく、騎士にならねばならない立場なのだから…

しかし、男同士だから恋愛にはなり得ない、ということはこの少年に関しては意味を成さないのだった。
神社で使者が鳴海に言ったのもこのことを指しているのだし、だからこそ鳴海がこのように気を揉むのだ。
もっとも鳴海は山上の気の利いたアプローチばかりを問題にしているが、そういう点では相当に鈍い少年である。
だから鳴海の愚痴などは、お固い娘に悪い虫がつくやもと、要らない心配をする父親の文句同様に聞き流しておけばよいが、ゴウトが本当に憂えるのは、だから少年には決して「恋愛遊戯」のような真似は出来ず、(老人の時のように)本人すらわからない何かのはずみで自分の使命も忘れるほど本気になってしまうことなのだった。
(そうなった時には山上の方が手を打ってくれると期待するしかないな…)
ぼんやりと軽子坂商店街に目をやり、ゴウトは一つ欠伸をして首を伏せた。

***

午前の授業の終わりを告げる鈴が鳴った。
今日は土曜日で半ドン、放課ということになる。
三村は相変わらず登校していなかった。
教師によると、世間体を憚っていた家の方でも遂に警察に届けたそうだ。
幾人かの級友に聞いてもみたが、三村は学校では少年同様特に親しい友もおらず、部活動などもしていない。学科が終わるとすぐに帰っていたようだ。
「成績も今一つだったみたいだな」
「当てられても、答えられないことが多かったし」
「英語だけは割に出来ていたようだが」
そんな風で、勉強が面白くないからと町で遊んでいるのだろう…というのが大方のなんとはなしの意見であった。
(自分も同類と、思われているのかもしれないな)
少年の出席率は三村より遥かに低いし、成績は…一応平均あたりだったとは思うが、決して優等ではない。

「でもあいつは軟派じゃないだろう」
一人が言うと、
「はは、無理無理」
周りの何人かが笑った。
「葛葉なら、いけるけどな」
からかうような目つきでよくわからない事を言う者もいた。
結局三村がどうしているのかという見当はつかないまま、少年は今日も晴海へ行ってみることにした。
今日はもちろん一度探偵社に戻ってきちんとサマナーの装備を整え、ゴウトにも随行してもらう。
そのことは朝のうちに、鳴海とゴウトに了解を得ていた。
「とにかく、何か変わったことがあったらすぐ電話を入れるように」
言いながら燐寸棒建築に勤しむ鳴海を後に、少年はゴウトと共に探偵社を出た。

***

「やあ、今日も晴海かい?」
停留所の脇に停まっていた車の窓が開いて、山上が顔を出した。
背広姿は相変わらずだが、眼鏡はかけていない。あくまで職場用の小道具ということなのだろう。
(騎士様は今日もお迎えか)
鳴海の影響でそんなことを考えてしまい、ゴウトはおかしくなった。
「おや、今日は業斗童子もご一緒なんですね。さあ、どうぞ」
言いながらもう、ドアを開けている。
少年は困惑したような表情になり、それから首を振った。
「急ぐわけでもありませんし、市電で行けますから」
「ここまで来ていただいているのだから、お断りするのもかえって失礼だろう。ご好意に甘えたらどうだ」
誘いを受けたのが意外だったのか、少年は目を見開いてゴウトを見た。
「ほら、お目付け役のお許しも出たよ。乗って乗って」
少年はそれでもまだゴウトの顔を伺い、
「ほら、通行人の邪魔になるだろう」
急かされてやっと助手席に乗り込んだ。

車をスタートさせた山上は、
「級友の写真は、今日も持ってきているよね?」
と確認し、
「晴海の前に、銀座町に行ってみようと思うんだ。ラスプーチンに写真を見せて、彼が見たのと同じ人物か確認してもらえば早いかと」
「なるほど、これは立派な探偵ぶりだな」
少年の膝の上でゴウトが感心した風に言うと山上は、
「ふと思いついたのですが、業斗童子にお褒めいただくとは光栄です」
謙遜しつつも満更でもなさそうに答える。
少年を見ると、こちらは虚心に感服しているようである。
それに関しては、普段から身体を使う方が得意で、推理の方は鳴海や自分の言うことを感心して聞いていることが多いのだから仕方あるまい。
(術や剣の技で、ただ感心しているだけでは困るが…)
この際行動を共にしてじっくりその辺を見定めてやろう、というのが山上の運転手役を認めたゴウトの腹づもりであった。

銀座のミルクホールに行ってみると、まだ午後の早い時間だというのに、ラスプーチンがカウンターの隅でとぐろを巻いてウォッカを流し込んでいた。
(今更ながら、人造人間が酒を飲むというのがわからんな…先日は大福まで食っていたというし)
そんなことを考えながらゴウトは山上と少年の後に続いた。
「おヤ、皆サンお揃いネ?」
ラスプーチンは機嫌良くこちらに向かってグラスを掲げてみせた。
「聞きたいことがあってね。この間の学生のことだが」
「オゥ、ミーは正直に答えまシたヨ?もう、変なワザは勘弁ヨ」
前回の金縛りを思い出したらしく、ラスプーチンは逃げ腰になった。
「今日は単に確認作業だ。ほら、写真を」
ゴウトに促されて少年が写真を見せたが、ラスプーチンは首を捻った。
「似てイるような気はすルけど、見たのハ一瞬ダし…この子は身長はドのくらいなノかね?」
聞かれて少年は言葉に詰まった。
「正確デなくていいヨ…君と比べて大きいノか、小さいかデも」
それも、少年にはわからないらしい。

(これは…)
「おまえより背の高い学生もそうそういるまい。はっきり違うというわけではないなら、とにかく晴海に行ってみよう。今日は偵察の出来る仲魔も連れてきているのだろう?」
ゴウトは返事を待たずミルクホールを出た。
山上も事態を察したようで、すぐに後に続き、ゴウトを追い抜いて車のドアを開ける。
また逡巡する少年に先んじてゴウトが座席に飛び乗ると、少年は身を縮めるようにして脇に身を沈めた。
山上がゆっくりと車を走らせるのに任せ、ゴウトは少年を睨めつけた。
「ろくに知りもしない相手を、依頼されたわけでもないのに貴重な時間を使い、人に心配をさせて捜索するというのは、一体どういうことなのだ?」
「それは…」
言って、その後が続かない。
反抗してという心持ちではなく、自分の中で言葉を組み立てているらしい。
自分の気持ちや感覚をきちんと言葉にするのは不得手なのだ。

「功を焦って、出しゃばったのではあるまいな?」
「……」
こちらから言ってやると、少年は少し考えて、頭を傾げる。
言われるとそうかもしれないが、違う気もする、というところだろう。
とにかく嘘はつけない性分なので、そういう表し方になる。
「当代に今更、そんな必要は無いでしょう」
山上の方が、気を使ってか口を挟んだ。
「いえ…そうなのです」
やっと考えがまとまったらしい少年が口を開いた。
「一人前なのだと鳴海さんやゴウトに見せたくて、軽はずみをした…と思います」
「そういうことか」
(前の晩、ラスプーチンのことで鳴海と俺が判断を疑うような形になったのが、原因の一つなのかもしれん。そういうことならば…)
とりあえずこの場ではこれ以上の叱責は無用だろう。

「すみません…山上さんにまでご迷惑を」
「それで、どうするのだ、この後」
「自分はとにかく三村を探します。自分の思惑は別として、ほってはおけないことです」
それまでとはうって変わって毅然とした調子で言う。
そういう割り切りは速いのだ。
「ということだが、悪いが山上氏、つきあってくれるかな」
「もちろん、乗りかかった船ですから」
山上は少年が話している間も黙ってハンドルを握っていたが、
「僕には全然迷惑などではありませんよ。恩恵も受けていますし…」
そう言って、少年に片目を瞑って見せる。
その西洋人のような仕草は、山上の柔らかな曲髪や綺麗な頬の曲線などによく似合っていた。
少年は今一つ意味がわからないようで、曖昧に目をしばたいているが、その様子に山上はまた愛しげな笑みを浮かべる。
やれやれ、とゴウトは少年の膝の上で体を丸めた。
(こんなところを鳴海が見たら、さぞまたうるさかろう…)

***

「うむ、行方不明の少年の件は警察からも回状が回ってきていたが、うちでは目撃者はいなかったようだよ。自分も見ていない」
海軍省に勤務する川野定吉は、少年の聞き込みにこんな答えを寄越した。
「君と同じ制服ならば、見れば記憶に残る筈だが、役に立てなくてすまんな」
「いえ、有難うございました」

今回の晴海での聞き込みは、まずは普通にお役所方面から攻めてみようということにしたのである。
「私営の探偵の単独捜査では探れないことも、人海戦術の使えるお役人ならわかるということもあるしな。その逆もあるが」
ゴウトの意見に従って海軍省から警察へと回り、直接の成果は無かったが、それでも最近、夜の遅い時刻になってもこっそりと遊んでいる学生や、そういう学生たちと水夫たちの喧嘩沙汰などが問題になっていることを教えられた。
外国人との「親しい以上と見られる」交際なども、実態はつかめないものの、増えているようだ、という話である。

「三村君という子が、そういう交際にはまり込んで、帰る気をなくしているというだけなら、いいんだけどね」
「いいのですか?」
海軍省前の公園を歩きながら何気なく口から出た、という感じの山上の言葉に、少年が率直に反応した。
「あ、いや、それはもちろん、家に黙ってというのはよくないけど」
山上は意表を突かれたように、少々あせり気味に言葉を加える。
その様子にゴウトは忍び笑いをした。
(修験者にとって他人の痴情沙汰など、関わるに値しないということだろうな)
「事件に巻き込まれたりしているよりはいいだろう、ということだよ」
「ああ、そうですね」
「とにかく公の捜査では見つかっていないみたいだから、そろそろ君の得意技を出す時じゃないかな?」
ここに来てからずっと外法属の仲魔に読心術を使わせ、相手の言葉に嘘が無いことを確認はしていたが、もっと積極的に仲魔を使えということだ。
「ここでは人目が多いな。外国人居留地の方がいいだろう。先に例の屋敷をもう一度確認しておいてもいいだろうし」
ゴウトの言葉に少年は肯き、三人――傍目には二人と一匹は、高台から港の方へ下っていった。

レビソンの屋敷は少年たちが出てきた時と外観は変わらず、静まり返っていた。
その様子にゴウトは逆に怪しさを感じた。
「数体の死人を放置してきたというが、何の臭いも感じられんな」
人間にはわからなくても、犬などが嗅ぎ付けて騒ぎになっていてもおかしくはない。
たまたまこの辺りにそのような動物を飼っている家が無いということかもしれぬが、
「用心した方がいいですね」
山上も言い、ドアに手をかけながら片方の手は背広の下の銃を探る。
少年は刀の柄に手をかけた。
山上はドアを蹴って開けると、素早く脇に身を寄せた。
屋敷内はそれでも静まり返ったままだ。
何かが動く気配もない。
ゴウトがうなずくのを見て、少年は中へ走った。
何も起きない。
昨夜あった筈の死体も消えていた。

「古い骸だったからとはいえ、こうも綺麗に消えているというのはおかしいな」
「誰かが片付けたということでしょうね。しかしここのアジトは我々に知られたので放棄したということか」
「死人使いは一人で動いていたわけではないということだな」
屋敷のあちこちを点検しながらゴウトと山上は話し合った。
少年は自分も部屋を覗きながら雷電属の仲魔に現場検証をさせている。
するうち、書斎の本棚の一画が光った。
「本をどけてみろ。おっ…」
本の後ろに何かのスイッチが見える。
少年がそれを押すと、どこかで鈍い音がした。
「隠し扉か何かが作ってあったようですね」
「ふん、スイッチと隠し場を離しておくとは念のいったことだ」
少年は今度は疾風属の仲魔を偵察に飛ばし、その後を追った。

「人間〜、あっちの部屋に降りる階段があるよ!」
淡赤色の長い髪を羽ばたかせて空中に浮く少女悪魔が嬉しそうに報告する。
「よく見つけたな」
言って少年は捜索の間に使った魔力を回復するドロップを与える。
「わーい、ご褒美、ご褒美!」
喜ぶ仲魔を見る少年の口元に微かな笑みが浮かんでいることは、ゴウトや仲魔たち以外には大抵気づかれないのだが、
「うーん、仲魔が羨ましいな。優しい労わりがあふれ出してる」
と言う山上は、どうやら表情よりは、少年の体をまとう気の変化のようなものを見ているらしい。
(ふむ、さすがと言うべきか…)
屋敷の納戸の中にあった階段を降りて行った先は、同じような大きさの小部屋だった。
しかし床はむき出しの土のままで、出入り口もない。
仲魔の現場検証にも何も現れない。

「どういうことだ?更に難しい仕掛けがあるのか?」
「いや、これは…」
目を眇めて辺りを見回していた山上は、
「異界への穴を閉じた痕があります…こちらへ」
言ってそのまま両手の指を組み、詠唱を始めた。
少年とゴウトは山上の脇に立ち、黙して待った。じきに空気が変わり、悪魔達の糧となる細かい粒子がちらつき始めた。
(身一つで異界開きを行い、他人も同行させ得るとは、これまたさすが…)
ゴウトの感嘆の目線に気づいたのか山上は、
「痕が残っていたから出来たのですよ。あまり買い被られると、後でボロが出そうですからご勘弁を」
と、謙遜してみせた。

異界の方の小部屋には現界には無かった扉があった。
開けると早速数体の異形が現れたが、先頭の少年の刀捌きの前に瞬時に散った。
今回の「主犯」の使い魔というわけではなく、たまたま「美味そうな」獲物を見かけて、相手の力も知らずに寄ってきた魔のようだった。
扉から先へと進むほの暗いトンネル状の道の途中でも、何度か同様の手合いと遭遇したが、少年は手もなくそれらを討った。
その様子が普段どおりで、山上の術と競ったり、あるいは良いところを見せようなどという気負いが微塵も見えないことにゴウトは安堵した。
(まあ、身体を使う段になると、余計な頭はどこかへ行ってしまうヤツだからな)
トンネルの天井や脇の壁は簡単な木組みで支えられていたが、ところどころに岩が露出し、水がしみ出している箇所もあった。
歩く地面もかなり湿っている。

「河口か、海の底を掘って作ってあるのでしょう。簡易な作りだからそれほど長い通路ではないと思うが…」
山上の推測を裏付けるように、突き当たりに上っていく階段が見えた。
と、少年の足が止まった。
「どうした?」
少年は数歩先に進んだところでしゃがみ、土の上から何かを拾い上げた。
「……」
その小さな金属の釦は少年が着ている制服の袖に付いている物と同じであった。
「どうやら、三村もここを通った――と言うよりは、連れてこられた可能性が高そうだな」
うなずく少年の顔は少し青白みを帯び、眉根が下げられている。
「早く、探さないと…」
(手遅れかもしれぬが)という言葉をゴウトは飲み込んだ。
山上も無言で肯き、マントの上から少年の震えているようにも見える肩に手を回した。




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