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悪魔の詠唱が最終節にかかった時、開いていた窓から一陣の突風が吹き込んだ。
「うっ?」
悪魔は苦悶の声をあげてのけぞった。
そこへ数発の銃弾が続けざまに撃ちこまれる。
「な、何者…」
答えはなく、再びの疾風が巻き起こった。
少年にはまったく害をなさず柔らかく舞うその風は、縦横無尽に悪魔の身体を裂いた。
「グハアッ!」
断末魔の声と共に、悪魔は塵と化した。

「大丈夫か?」
銃を構えたまま窓から飛ぶように入ってきたのは山上だった。
「あ…」
「いいから、動かないで」
目上の人間に対し反射的に椅子から身を起こそうとして、身体が思うようにならない少年のあせりに気づいたのか、山上は、口元に笑みを浮かべた。
「間に合ってよかった…他にやつの仲間はいるのか?」
「……」
使用人がいたことを思い出し、少年はどうにか首を縦に振った。
「階下か?どれ、見てこよう。その前に…」
山上は手を組み合わせ、呪を唱えた。
簡単な結界だ。
「あまり強い気は感じられないから、とりあえずこれで大丈夫だろう」
言って、ドアの外へ向かう。

(自分が油断したばかりに、お手を煩わせてしまった…)
それほど使用人がいた気配はなかったが、中にはおかしな術を使う者もいるかもしれない。
(早く、この害薬を身体の外に出してしまわなければ、加勢も出来ない…)
しかし山上はすぐに階段を上ってきた。
戸惑って見上げる少年に、
「数人…いや、数体の死体があった。死人使いだったのだな、あの悪魔は」
山上は握っていた銃を背広の下のホルダーに収めると、西洋風に肩をすくめて見せた。
少年はほっとした。
どうやらそれで気が抜けたらしい。
意識だけはどうにか戻ったものの、先ほどまではどうにか動いた身体が、鉛のように重くなってしまった。
(どうしよう…このままでは…)
わかりにくいと言われる少年の表情だが、山上は敏感にその困惑を見てとったらしい。

「しつこい縛のようだね。術ならば悪魔を倒した時に解ける筈だから、毒の一種か。茶に入っていたのか」
辺りを見て推測しつつ、山上は身体を屈めて少年の背と膝の後ろにに腕を差し入れ、軽々と持ち上げる。
(えっ…)
女子供のように横抱きにされて町を歩くのかと少年は狼狽したが、山上は抱いた少年を、少し離れて置いてあった長椅子の上に運んだ。
「これが一番速い」
すぐ脇に腰を下ろした山上は、眼鏡を外すとそのまま覆いかぶさるようにして口を合わせ、舌で少年の唇を割った。
濡れた舌はそのまま内側に伸びてあちこちを這い回る。
(……)
一瞬驚いたが、すぐに山上が少年の身体に回った毒素を吸い出すか浄めるか、とにかく何らかの技を行ってくれているのだとわかった。
「う…」
額から汗がにじみ出た。
身体の感覚が戻ってくる。
同時に、少年を困惑させる反応も起きた。

(あ…)
自身の頬の熱さを感じる。
この分では、耳まで赤く染まっていることだろう。
それを見てか、あらためて、なのか、とにかく山上も気がついたらしい。
「はは、僕のベーゼの腕前も捨てたものではないということだね」
「……」
冗談めかして笑う山上に多少気は楽になったが、これではすぐにはここを出られない。
「失礼を…憚りに行ってまいります」
起き上がろうとする少年をしかし山上は制し、自分が立ち上がった。
少し辺りを見回してから、ドアのところまで行って、脇にあったスイッチで電燈を消す。
「責任は取るよ」
「……」
暗闇の中、長椅子に戻る革靴の足音が響いた。


戻った山上は背広の上衣を脱ぎ、銃の入ったホルダーも外して、椅子の背もたれにかけた。
その頃には既に、少年の目は窓から入る外の月明かりだけで十分物が見えるようになっていた。
それは山上も同じらしく、座りながら少年の頬に片手を当て、
「緊張しなくていい…気を楽に」
もう片方の手は、少年の肩から二の腕のあたりを、そのこわばりを解くように滑らせた。そのまま顔を近づけて、唇を合わせる。
再び山上の器用な舌が少年の物にからめられ、唇を軽く吸われる。
(あっ…)
おさまりかけていた興奮がまた高まってきてしまう。
山上は満足そうに微笑んだ。
「今日は、抑えなくてよいのだからね」

毒は抜けた筈なのに、まだ一部が残っていて身体を巡っているのだろうか。
腕や足に力が入らなくなり、山上の囁く言葉が頭にというよりも、もっと深いところで響く。
いつのまにか制服もシャツも釦を外され、露わになった首や鎖骨の辺りを吸われている。
徐々に息が荒くなり、ついと声を漏らしそうになる。
その度に「いいから」と言われるが、その言葉でまたあらためて自分の状態を自覚させられ、いたたまれないような気分になる。
悲しいわけでもないのに、目の表面が濡れてくる。
背をもたせかけていた長椅子の肘袖から徐々に上体が滑り落ちて、今や長椅子に横になり、その上に山上の身体がある。
山上の顔は更に胸へと下り、舌で入念にねぶられた乳頭が柔らかく噛まれた。
頭がのけぞり、眉根が寄ってしまうのが抑えられない。
(こんな表情をお見せしては、不満に感じていると思われるのでは…)
山上はそんな少年の不安には毛ほども気づかぬ様子で、その口は胸から腹へとよどみなく滑っていく。
細く柔らかな髪が時折肌をこするのがまた高ぶりに繋がった。
ズボンが下げられ、大きな掌で腰や腿をさすられる。
その手は次第に内側へと寄り、下帯の結び目が解き放たれた。

「あっ…」
窮屈な思いをしていたものは、ろくに外気に触れる間もなく山上の口内に捕えられた。
敏感な部分が器用に動く舌で弄ばれる。
同時に両の手の指は幹の部分をこすり上げたり、後ろの方へと潜ったりした。
ほとんど限界に近づいていたところに技巧を駆使された少年には耐える術が無かった。
自制出来ない叫びと共に身体に痙攣が走り、迸りが噴出した。
「……」
少年はしばらく息を付けず、身体も思うように動かせなかった。
やっと身体を起こし、声が出るようになった時には、山上はもう衣服の乱れを整え、背広を腕に通していた。
「…申し訳ありません…至らぬ様をお目にかけてしまい…」
なんとか詫びを口にする少年に山上はそれまでとまったく変わらぬ穏やかな笑顔を見せる。
「気にしなくていいんだよ。生理的な事柄なのだから。それに…」
眼鏡をかけ直しながら、少し悪戯っぽい表情をした。
「僕も楽しませてもらったからね」

***

階下へ降り、少年は念の為に山上の見たという死体を確認した。
(もしや、その中に三村が?)
という疑惑が湧いたのだったが、死体はいずれも、じきに土に返りそうな物ばかりだった。
「昨日や今日死んだ人間ではない。長いこと使役されていたのだろう」
山上の指摘でとりあえずは安心したが、しかし三村の行方がわかっていないのは相変わらずである。
「とりあえず今日は帰りなさい。所長さんも心配していた」
「えっ?」
急に鳴海のことを持ち出されて少年が目をしばたくと、
「僕がここに来たのは、彼から電話があったからだ。確認の為師範学校に行って担当教師から、君が写真を借り出して行ったということを聞いた…」
それで晴海町とわかってすぐに来て下さったのか…しかし、自分がこの屋敷へ来るのを見ていた人などが運良くいたのだろうか?
「ここまで来てしまえば、君の気を辿るのはたやすかった。窓が開いていたから、玄関は無視して飛べばすんだしね」
(そんなことも出来るのだ…)
さすがだ、と少年は感嘆の溜息をついた。

屋敷を出て山上が向かった路地には車が止まっていた。
「いちいち停留所で止まる市電より、この方が速いからね」
どうやら山上の車らしい。
山上は少年に向かって助手席のドアを開けた。
「帰るついでだ。家まで送るから」
「あ…有難うございます」
少年が問われるまま午後の経緯を話すと、山上は少し厳しい表情になった。
「学友を探そうという気持ちは偉いが、それならそれできちんと準備をして行きなさい。その友達は単に悪い遊びにはまっているだけで、決しておおごとではないのかもしれないが、それと関係なく君を狙う者はどこにでも現れるのだから」
「…はい。考えが足りませんでした」
諭された少年がうつむきがちに言うと、
「まあ、若者は多少の無茶もするものだ。そこから学べばよい」
再び笑顔になって横から少年の肩を抱いた。

***

筑土町に入ると、
「横道に入ると面倒だから、悪いけど」
と、神代坂を登った多聞天の前で山上は少年を下ろした。
「ぜひ探偵社にお寄りになって、せめてお茶なりと」
命を救ってもらったというのに十分な礼も出来ていない。
こんなに近くまで送らせておいてそのまま帰したでは気が利かぬと、鳴海やゴウトにも叱られるだろう。
少年は熱心に誘ったが山上は、
「もう遅いし、また寄らせてもらうよ」
気さくに手を振ってアクセルを踏み、車を走らせた。
少年は走り去る車の後姿に頭を下げ、探偵社に続く路地へと降りた。
(おかしな一日になってしまった…ゴウトに何と言おう…)
爛々と緑色に光る目付け役の瞳を思い、少年の足取りは若干鈍くなった。

しかし鳴海とゴウトに長々とお説教を食らうだろうと思っていた少年の予想は外れ、特に鳴海は第一声こそ、
「何時だと思っているんだ!どこへ行っていた?」
と声を荒げはしたものの、少年が「勝手をしてすみませんでした」と謝った後では黙ってその報告を聞き、途中時々眉をしかめはしたが、最後には、
「…ま、無事でよかった。おまえの腕は信用しているが、無防備に怪しいことろに近づくのはやめてくれよ」
とだけ言い、先に自室へ戻っていった。
そんな鳴海をゴウトは意味ありげな目で見送っていたが、
「言っていないことがあるな?」
と、少年を屋上へ連れて行った。

「ここでなら話せるだろう」
と言われ、少年は素直に肯いた。
少年が省いたのは、以前にゴウトから「この類のことは鳴海には黙っておけ」と言われた、その類のことのように思われたからである。
鳴海がいなければあのまま探偵社の部屋でか、少年の自室に行って話してもよかったのだが、そちらでは鳴海にも聞こえる可能性があったから、ゴウトが屋上へ連れ出してくれたのは幸いだった。
先刻には「毒を飲まされて動けなくなったのを、山上の解毒の術で治してもらった」と報告したのを、術者に関する知識の乏しい鳴海は何やら呪文でも唱えて行うものとでも想像しただろうが、
「実際には、生理的に『精を出させた』とでも言うべきものだった、ということか」
「はい、お見苦しい様をお見せして、お手数をかけさせてしまいました」
「それだけで…終わったのか?」
「はい…?」
ゴウトが珍しく追求してくるのに少年は訝しく思ったが、
(葛葉一族として、こちらを低く見ている修験の人間に醜態を見せたことを、気に病んでいるのだろう)
と思い当たった。
確かに自分の感覚を抑えられず、大仰な態を晒してしまったのは修行不足であるが、相手は格上の方なのだから、見逃してくれているだろう。
盆の儀式の時にも、多少はそんな様を見せてしまっていたのだし…

「とにかく、ご自分から動いて助けに来て下さったのだから」
少年はゴウトを安心させようと言ったが、黒猫はあまり得心したようには見えなかった。
「…まあいい、もう休もう」
二人は自室へと戻り、寝台に入った。
暑い季節にはゴウトは少年の机の上や床で寝るが、今頃は寝台の毛布の上に寝そべるのが習性である。
脇の小さな笠付き電灯を消す際、ふいと思い出し、
「山上さんはあの時最後に、自分も楽しかったと仰っていた。お世辞のようなものだろうが、とにかく何も心配することは…」
不機嫌そうなフシャーッという返事だけが戻ってきた。
(折角教えてやったのに、もう眠りかけていたのか。ゴウトは寝つきがいいから…)
少年は仕方なく電灯を消し、毛布を被ったが、今度はゴウトの方から逆に、
「一つ言っておくが」
と声がしてきた。
「何ですか?」
「おまえが甘い物に弱いということが悪魔共にも知られているようじゃないか。今後は、大福なんぞをバカ喰いするのはやめろよ」
それだけを言って、返事も待たず身体を丸めた。
闇の中、少年は一人頬が熱くなるのを感じた。




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