美ヶ原・天狗の露地から茶臼山

先年、初めて訪れた美ヶ原は、ほとんどの高度を車で稼ぎ、ほぼ単なる高原台地の散策のみに終始した。これは原と名がついているものの立派な山なので、下から登ってみたいものだと夏の朝に焼山沢登山口に車で出向いてみたものの、スズメバチやらアブやらにたかられて車のドアを開けることさえできず、急遽計画変更して、天狗の露地まで出て美ヶ原の縁を歩いて茶臼山を往復するものとした。けっきょく前回同様にほとんどの高度を車で稼ぐことになってしまった。


焼山沢登山口を経由して登る林道はやや心細い狭さだったが、松本から登ってくる道路に合流すると広くなる。樹林が切れると正面に漂う雲の合間から王ガ頭が予想外の大きさで姿を現す。停まって見ていると雲は徐々に千切れて薄まり、山上に着陸した巨大宇宙船のような王ヶ頭が迫力ある姿で迫ってくる。
舗装道終点には自然教育センターがあり、広い駐車場がある。ここでのテント泊禁止という警告が出ていた。土産物屋と食堂も併設しているセンターのなかには美ヶ原の立体模型があって、予想よりは谷が入り組んだ地形をしていることがわかる。とはいえ、あいかわらずこんな広い平坦面ができた理由はわからないままだった(書いてあったが納得できないので忘れてしまった)。
舗装の崩れた林道を歩き出す。林道はT字路にぶつかり、左は王ヶ頭へ、右は王ヶ鼻へ向かう。今日のところは前回出向けなかった後者を優先して右へ行く。あいかわらずゆるやかな登りで、右手にアンテナ施設を見上げるようになったところで左手に細い山道が分岐する。ほんのわずかで岩が重なる王ヶ鼻に着く。ここは眺望雄大で、正面には鉢伏山が大きな山体を見せ、眼下には三城の牧場が谷間に沈んでいる。王ヶ鼻山頂部は周囲が断崖絶壁で、柵などない。小さな子供を連れた家族も来ていて、祖父祖母父母は子供たちの一挙手一投足にかなり神経質になっていた。
王ヶ鼻
王ヶ鼻
分岐に戻り、広い未舗装林道を王ヶ頭を頭上に見上げて緩く登り、山頂のホテルが迫ってくると、右手に分かれる山道がある。案内板によればアルプス展望コースという。本日は雲が湧いてアルプスは見えなさそうだが、王ヶ頭は観光客ばかりだろうし林道の道のりは一度歩いているので、今回のところはあまり人通りのなさそうな山道を辿ることにした。
王ヶ鼻から王ヶ頭へ向かう途中
王ヶ鼻から王ヶ頭へ向かう途中
ヤナギラン
ヤナギラン
予想通り頭上の王ヶ頭ホテル脇広場からは嬌声が盛んに聞こえてくる一方、山道は静かなものだ。傍らには夏の花々が途切れることなく咲いており、このあたりに特有だという板状節理の岩が重なる光景ともども足下が愉しい。右手は三城方面に下る急崖で、彼方には雲が晴れつつある鉢伏山が悠然としている。
アルプス展望コースから三城を見下ろし鉢伏山を遠望する
アルプス展望コースから三城を見下ろし鉢伏山を遠望する
団体はみな山上の広いのを歩くかと思っていたら、40人くらいはいそうなのが前を歩いている。もしや修学旅行かと思ったが若いメンバーも含むハイキングの団体のようだった。広場のように広がったところで休憩し始めたところでちょうど追いついたので、こちらは足を止めることなく先行することにした。行けども行けどもハクサンフウロのピンクの花が途切れることがない。同じ行列なら花の行列のほうが遙かに好ましい。


この日の目的地である茶臼山は、王ヶ鼻から遠望しても、山頂直下で山道に入ったあたりから望んでも、そこそこ遠く、上り下りがないわりには歩きでがあった。展望のよい烏帽子岩を過ぎ、百曲園地という名の少々開けた場所を過ぎると、ようやく近くなった気がしてくる。山道は溶岩台地の縁から離れ、両側が柵で区切られた幅の広い道となって台地中心部を目指すようになる。周囲は五月に訪れた時とはうってかわって青みある牧草地だが枯れ草も目立つ。この夏の少雨炎暑のせいだろうか。牛たちの姿が見あたらないのでもう放牧は終わりかと周囲を見渡せば、左手彼方の小高いところに何頭もいた。周囲を警戒しやすいところを選んでいるのかもしれない。
ハクサンフウロの群落
ハクサンフウロの群落
塩くれ場の三叉路に着く前に、右手に踏み跡が分かれる。人間だけが通れるように開けられた入口で柵を抜け、牧場の真ん中を横切っていく。牛はいないものの足下には新旧とりまぜて牛糞が多く、踏まないように歩く(とくに比較的新しそうなやつは)。目立つ標識はほとんどないが踏み跡は明瞭だ(とはいえ霧が出てくると少々心許ないかもしれない)。茶臼山に近づき、平坦な放牧地が徐々に傾斜を付けてくると再び柵があり、先ほど同様の人間だけ出入りできる隙間を通って牧草地を出る。岩が配されて日本庭園風情の場所を過ぎ、木々の合間を縫って上がっていけば、茶臼山山頂に着く。
よく踏み固められた小広い山頂には木製ベンチが配され、今はどうか不明だが人の訪れが多い時期があったことを窺わせる。美ヶ原方面は木々に遮られてあまりよく見えないが、南方は大きく開けている。夏霞に遮られて最初はわからなかったが正面に控えるのは左右に広い八ヶ岳連峰、その右手にゆったりとした鈍角三角形を広げるのは霧ヶ峰。心が伸びやかになる光景だ。
茶臼山頂 奥は(たしか)三峰山
茶臼山頂 奥は(たぶん)三峰山
山頂からさらに先へ、木々で覆われた細い山道に入っていくと5分ほどで建物が見えてくる。休業中のハイランドヒュッテだ。近寄ってみると、正面から見て感じたのとは異なり奥に長い建物で、わりと古びていて二枚ほどガラス窓が外れてしまっている。以前はここに泊まって美ヶ原を横断する計画など立てていたものだが、今後その計画に日の目を見せてやれるかは微妙な状況のようだ。
茶臼山頂に戻り、再び美ヶ原方面を梢越しに一瞥する。平坦な台地を越えた先には高原美術館の規模の大きな野外彫刻がいくつか、とくに真っ赤な巨大パイプを組み合わせたようなのがよく目立つ。あの美術館は広くて、一度立ち寄ったくらいではとても充分に見たとは思えない。ぜひまた再訪したいところではある。


立ち去りがたい広々とした眺めだが、またの機会もあるものさとか思いつつ山頂を後にし、元来た道を戻る。再び牧草地内に入ると草原を横切ってハイカーが三々五々やってくる。牛の落とし物だらけなので誰も来ないと思っていたものだから意外だ。親子連れも来る。父親と小学生くらいの息子は平気そうだが、若い母親と女の子は足下が気になってしかたなく、進むのが嫌そうなのがありありとわかる。
ふたたび観光客も通る広い道に出た。帰路は王ヶ頭経由とすることにした。アルプス展望コースをたどったほうが快適だろうと思うのだが、せっかくだから高所でくつろぐ牛たちを間近に眺めておきたいと思ったのだった。牛もたくさん見られたが普通の人もたくさん見られた。王ヶ頭ホテル前に着いた時はラウンジでのコーヒーが脳裏に浮かんだが、いざホテル内に入ってみると人の多さに閉口し、土産物売り場を一周しただけで出てきてしまった。
人間を見送る牛たち、背後は茶臼山
人間を見送る牛たち、背後は茶臼山
塩くれ場から美しの塔を遠望する
塩くれ場から美しの塔を遠望する
王ヶ頭からは寄り道せず天狗の露地まで戻った。車では焼山沢登山口のある林道に下らず、松本側に出て浅間温泉に立ち寄って汗を流した。「琵琶の湯」という名の日帰り入浴施設は人気があるらしく、館内はだいぶ盛況だった。
2013/08/13

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